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永遠に続く天国の「ホテル」に入ろう
ボランティア会社の問題解決レディ
本日、私たちはここにスプリームマスター チンハイをご紹介したいと思います。(笑い) 偉大な彼女をお迎えできるのは、私にとっても光栄な事です。困った時はいつでも彼女にお願いすれば、どんなトラブルでも解決してくださいます。彼女は「問題解決レディ」です。チンハイ(清海)とは愛の海を意味し、スプリームマスターとは神の事です。私はマスターのために働く事をとても誇りに思います。私はこの会社の経営陣の一人ですが、ここには、要求があろうとなかろうと、いついかなる時でも報酬なしで働く従業員がたくさんいます。この会社はとても変わっています。従業員はみんなただで働きたがるのです。私はここではとても人気があります。たぶんみなさんもそうでしょう。
世の中の社長はいつも「だめだめ…たぶん…おそらく…」などと言います。本当の社長というものは、いつも私たちが何か行動を起こす前から「イエス」と言います。でもみなさんも知っているでしょう、管理職についている人は怠け者です。あまりに長いこと雇われていて、立場も安定しているし給料も良すぎるし、すべて良い事ずくめ、起きるできごとはみな良い事ばかりで長く働いてきた結果、今は大変良い地位についているためでしょう。他の多くの管理職同様に怠け者になっているのです。そうそう、このコンベンションセンターの支配人には言わないでくださいね。彼は怠け者などではありませんから。
さあ、スプリームマスター チンハイの話に戻りましょう。彼女はとてもすばらしい支配人の一人です。時々彼女は「彼」になります。女性から男性へと変わるのです。時々彼女は年老いた女性になったり、長いひげを蓄えた老人に見える事もあります。若いレディに見える事もあれば、きれいな王女様や立派な王様だったり、美しい女王様やかわいい子供だったりします。誰かが困った状況に陥って助けが必要になった場合に、彼女はいろいろな姿に変わるのです。人々が困った事になる理由は、どのようにしてスプリームマスター本人に直接連絡をすればいいのか知らないからなのです。私は電話会社やインターネットなどを必要とせずに、どのようにしたら毎日直接マスターと交流できるかをここに教えに来たのです。
(マスターはステージから離れようとしていた修行仲間に気づくと、ソファの所から彼に向かって残るように言い、そして話を続けました。)私は誰かが一緒にいてくれるとうれしいのです。昨日からホテルの部屋で、ずっと独りでした。ホテルにいるのは大嫌いです。とても孤独で、長い廊下があって、誰も話し相手がいません。いつ廊下を歩いても、ただドアと部屋があるばかりです。私が旅行をあまり好まない理由の一つは、ホテルの部屋が嫌いだからです。私はホテルにいると本当に孤独を感じます。魂は孤独ではないのですが、心が寂しがり、うっぷんがたまるのです。しかも時々嫌な臭いがします。もし禁煙の部屋をとる事ができれば、まだましです。そうでなければ気持ちいいものではありません。
ホテルの部屋にいて良い事は、メディテーションができる事です。私はそこで瞑想し、入定し、その部屋をあとにしてどこか違う場所に行きます。追加料金を払う必要はありません。(笑い)
どこかへ行けば部屋代が無料になると言っているのではありませんよ。(笑い) つまり観音法門のメディテーションをすれば、私たちは同じ時間に少なくとも二つの場所に存在する事ができるのです。一つはこの地球上に、もう一つは天国に。同時に両方の事ができるのです。その後修行がもう少し進歩したら、みなさんはこの地球上にいながら、一つの惑星のたくさんの違った場所、あるいは宇宙のたくさんの惑星上に同時に現われる事ができるようになります。支払うのは自分が泊まっているホテルの料金だけです。みなさんはそこにある肉体から離れられますが、それでも肉体のために支払いをするのです。この肉体には、毎日たくさんの費用がかかります。生まれ落ちたその日からこの大きさになるまで(マスターが手で大きさを示す)。まあ、私はそんなに大きくは育ちませんでしたが、いずれにしてもここまでになるのに、とてもとてもたくさんのお金と努力と時間とエネルギーをこの体に注いできました!
幸せな事に私はとても良い会社に雇われて、すばらしい仕事をしています。ですから私は食べ物を無駄にはしていませんね。(笑い)
私たちはみな神の子
私たちはみなここで、とても謙虚にこの人間を演じています。そしてこの仕事をしていると、自分たちは単なる人間ではなくて、非常にすばらしい偉大な存在であるという事を忘れてしまいます。私たちは全宇宙さえも含んでいるのです。いついかなる時もしたい事を完璧に行なえます。私たちが何者であろうと、肌の色や職業、年齢にかかわらず、そしてどこにいようと、たとえ牢獄にいても、閉鎖的な国にいても、アメリカのように自由な国にいても、いつでも何でも完全に成し遂げられます。FBIでも妨害する事はできません。なぜなら私たちはそれを魂で行うからです。それをするためにこの体を離れる必要すらありません。もし私たちの修行レベルが高ければ、この地球上で同時に仕事をする事ができます。車を運転したり、買い物に行ったり、化粧をしたり、皿を洗ったり、犬や猫の世話をしたり、ボートを操縦したりする間に、私たちの力を必要とする何千万もの他の仕事を同時に成し遂げられるのです。ですから、もし自分たちの助けを必要とする友人がたくさんいるのがわかれば、助けが必要なまさにその時に、彼らに手を貸すためにいつでも化身となって飛んで行かれるのです。そして人々はその同じ時間に、カリフォルニアのサンタモニカで船やボートに乗ったりして楽しい時を過ごしている私たちの姿を見る事もできます。これは私たちが永久に持っている力で、いつでもそうできるのです。その能力があるのです。誰もこの力を奪い取る事はできません。ただし、私たちはその力を復活させなければなりません。再発見しなければならないのです。
私たちは方法を知らなければなりません。この世界に一時的に滞在する間の忙しいスケジュールのために、目や耳や心を閉じてはいけないのです。そうすると本当の目や耳を使って本物の知識を得る事ができなくなってしまいます。毎日24時間の内のほんのわずかな時間を取っておくべきです。どんなにたくさんの時間を節約できるとしても、少しでいいのです。自分自身の栄光を思い出すために、聖書に書いてある「神の王国はあなたの中にある」とか、「私たちはみな神の子である」といった事を実際に経験するため、ほんの少しの時間を自分のために取っておくべきなのです。仏教の経典も「仏性はあなたの内面にある。生きとし生ける者はみな仏陀である」と教えています。もしあまりにも忙しいと、こういった事は思い出さないでしょう。このような言葉をただ聞くだけで、実際にそれが何であるかを知る事はないのです。サクラメントやフレズノという地名を聞いた事があるだけの人と、実際に来て、そこに滞在した人とでは全く違う話になります。ですから、私たちの多くは、自分は神の子であると聞いてこう言います。「ええ、知っていますよ。それに仏陀でもあります。ちゃんと知っています」。しかし実は私たちも、本当にはわかっていないのです。それが毎日とても苦しんでいる理由です。自分の内面の一部分が「自由にして!
私を偉大な存在にして! 本当の自分にして!」と泣き叫んでいるからです。それが内在の仏陀です。内なる神です。至上のマスターなのです。
いったん真の自分を知れば解決できない問題はなくなり、死を恐れたり、危険におびえる事もなくなります。いつも心地よくて安心感があり、神のように感じて神聖な気持ちでいられ、いつも楽しくて、物質面や精神面で助けが必要な人がいればいつでも手助けする用意ができています。スピリチュアルな手助けは最高の助けです。なぜならばいったん誰かを手助けすれば、助けられた人は自立でき、その後は自分たちの物質的な要求を自力で処理できるようになるからです。
最初の頃はおそらくスプリームマスター チンハイが、肉体面、あるいは精神面で必要な時にみなさんの手助けをします。しかし、やがてみなさんは自分で自分の面倒を見られるようになり、その後は他のあらゆる人々を助けるようになるのです。亡くなった両親、祖父母、代々の先祖たち、そして未来の家族さえ、みなさんはそのすべての面倒を見るのです。みなさんの印心の日は彼らが自由になる日です。つまり彼らがすでに他の世界にいれば、よりいっそう高い自由と知識の王国に上昇して行くのです。もしこの地球上にいれば、地上で可能な限りのあらゆる物質レベルでの助けを得るでしょう。そしてみなさん自身は聖人の仲間に入り、有能な真の人間、つまり本来あるべき本物の存在になるのです。私たちは単なる肉体ではないのですから。「あなたは自分が聖霊である事を知らないのですか?
あなたは単なる寺院ではない事を知らないのですか? この肉体は神の宮殿にすぎず、聖霊があなたの中に宿っているのだという事を知らないのですか?」
私たちはみな、聖書の中にあるこの言葉を読みます。聖書の一節として読むのですが、その本当の意味、つまり聖霊が私たちの内に住んでいる事を実際に体験してはいないのです。聖霊とは誰の事でしょう?
私たち自身です。私たちの真我です。それは神の一部であり、全宇宙の一部です。そして一度この聖霊を認識すれば私たちは自由です。永遠に自由です。死の天使はもう私たちの魂を要求する事はできません。ひとたび目を閉じればこの地球での仕事は終わり、この大宇宙の中で自分が選んだ家なり、どこへでも自由に飛んで行かれます。どこに住むかを自分で選ぶのです。どの天国に行くかを選べるのです。家の近くでも、現在、過去、あるいは未来にいる友達や親戚の近くでも選べます。私たちは彼らと一緒に住むか、あるいは別々に住んでいても、いつでも彼らの所に行けるようにするかを選択します。彼らの事を考えるだけで、もうそこにいるのです。ここに来るために私が払わなければならなかったような飛行機代も必要ありません。(笑い)
この世界では違いますが、魂の世界では私たちは自由です。私たちは自由で、偉大なのです! メディテーションをした後、この小さな、私たちが「肉体」と呼ぶ小さな牢獄の一室に戻った時に、時折ちょっと悲しく感じたり、悲嘆にくれるようになるのはそのためです。でも少なくとも、時間があればいつでも自由な王国に戻る事ができます。毎日ずっと、この小さな肉体に繋がれているよりはましです。ちょうど刑務所に服役している人が、時々保釈金を積んで外に出る事ができるようなものです。そこにずっと座っているよりまだましです。それにこの場合の「保釈金」は無料です。私が今日ここに来て、スプリームマスターが今すぐに印心を受ける事ができると言ったからには、何ヵ月も待たなくても、いつでも自分で自分を刑務所から仮釈放できるのです。私たちは明日まで生きているかどうかすらわからないのですから。
時期を逃さずに修行する事が重要
パラマハンサ・ヨガナンダの本の中に一つの話があります。この本を読んだ事がありますか? あるヨガ行者の自叙伝です。もし読んだ事がなければぜひ読むべきです。スピリチュアルで偉大な自分に気づき、真の自分を再び目覚めさせて自身の偉大さをもっと発掘したいと願う、そういった高潔な理想を駆り立てるにはとてもいい本です。これは本当にとてもすばらしい本です。他にもたくさんの本がありますが、ここでそれらの本すべてについて話す事はとてもできません。タイトルを全部覚えていませんし、たとえ覚えていたとしても時間がありません。ここに本を売りにきたわけではありませんしね。とにかく修行者のためになる精神世界についての本はたくさんありますが、これはそのうちの一つです。
この本の中に印心を望むある男の話があります。その男はとても悪い考えを持っていて、本の中に出てくる一人のマスターを困らせてやろうと目論んでいました。そのマスターの名はラヒリ・マハサヤだったと記憶しています。彼はそこへ行ってマスターがにせものであると証明したいと思い、問題を起こしたくてうずうずしていました。ところが、彼が腰を下ろす前にマスターはみなに向かって言いました。「ここに絵が何枚かあるが、見たいかい?」。弟子たちは全員答えました。「はい、ぜひとも!」。するとマスターは続けて「では、みな誰かの後ろに座って前の人の肩に手を当てなさい」。悪意を持ってやって来た男も含め、弟子たちは言われた通りに並びました。
しばらくして、弟子の一人が女性の絵を見ると、みなの前にとても美しくて若い女性の絵が現われました。それからマスターは、外からやって来た悪意ある男性も含めた全員に、同じ女性の絵を見たかどうかを尋ねました。彼はとても恥じて、自分は彼女の事を知っていると答えました。そして「ああ」とため息をつきました。マスターは尋ねました。「その女性は誰ですか?」。男は答えました。「ええ、私の罪です。私は結婚していますが、かつてこの女性と浮気をして、その間ずっと彼女にお金を払っていました。良くない事です。わかっていますが、どうか許してください。私はここに悪意を持ってやって来ました。私はあなたを傷つけ、汚名をきせたいと思っていました。でもあなたは初めからお見通しだったのですね。お願いです。私を許してください。そして弟子として受け入れて頂けますか?」。マスターは「もちろんいいでしょう!
でもまず家に戻らなければいけません。そして6ヵ月の間、道徳的な生活を送る事ができたら印心を授けましょう。それができなければ弟子にするわけにはいきません」と言いました。ところが彼は、三ヵ月後には以前と同じ悪い習慣にふけるようになってしまいました。そして間もなく男は死んでしまったので、結局は印心を受ける事はできませんでした。彼は努力はしたものの、失敗してしまったのです。
私たちも同じです! この世界は一時的に滞在するにすぎないホテルであって、しかもそこは私が今宿泊しているホテルよりずっとひどいと知りながら、私たちはしょっちゅう物事を明日に延ばします。私が滞在しているホテルでは、いくらかのお金を払えば、平和の中に私をおいてくれます。彼らは私の部屋を掃除し、タオルを替え、石鹸や何やかや、必要なものすべてを与えてくれました。けれども、私たちが「人生」と呼ぶこのホテルでは、毎日働き、お金を払わなければならず、それどころか支払いをしてもまだ苦しまなければならないのです。来る日も来る日も私たちの貴重な時間、貴重なエネルギー、知識、この地球上での大切な短い命をもって支払っているのです。本来それらのものは、自分自身の偉大なパワーを認識するために使うべきものです。そのパワーがあれば、努力もせずにやすやすとあらゆる事に取り組む事ができるのですから。
私たちは自分の貴重な時間やエネルギーを全部犠牲にしています。あまりに忙しすぎるからです。この地球上のシステムは私たちをとても忙しくさせます。朝から晩まで始終働き、週末も働き、それでいて十分に幸せとはいえません。十分な幸せというのは、お金を払っていい部屋に泊まったり、メイドのサービスやルームサービスを受けたりする事ではありません。そんな事ではないのです!
時間や労力を支払って支払って、支払い続けてもそこにはそう大した幸せはありません。むしろ幸せよりも苦しみがあります。すばらしい家族を持っていても、幸せな結婚をしていても、それでも私たちはそのために支払わなければなりません。私たちはこれを維持してゆくために働かなければならないのです。私たちは子供のため、あるいは心配のため、何やかやのために、雨が降っていても嵐でも、どんなに危険でも、健康を害していても、疲れきっていても、前の日一晩中寝ていなくても働きます。それでもまだ働かなければなりません。そうまでしても、誰も私たちを気の毒に思ってはくれません。誰も、です!
そしてもし、あまりに頻繁に体調不良を訴えでもしたら、人は私たちが嘘をついていると思い、首にするかもしれません。そうなったらまた苦労して他の仕事を探さなければなりません。しかもそれは簡単な事ではないのです。このように地上のこのホテルはあまり親切ではありません。私たちに対して十分なもてなしをしてくれないのです。もしホテルに行ってお金をたっぷり払ったとしたら、いいサービスが期待できますよね?
違いますか? ところがこの地上のホテルではそうはいかないのです! 昼も夜も支払い、最後の呼吸をするその日までこの世にいる限り毎日毎日支払って、それでもいいサービスは受けられないのです。
ですから、みなさんが私に尋ねてくれれば他のホテルを見つけるようにアドバイスします。一ついい所を知っているのです!(笑い) 私はたくさんのホテルを知っています。父なる神のふるさとにはたくさんのマンションがあるのです。そこは全部空室で、みなさんの趣味にかなった最高に美しい家具や調度品で飾りつけられていて、いつでも楽しめるようにみなさんを待っているのです。まだそこに住む必要はありませんが、今は時々行って見学し、それから戻って来る事ができます。そしてこの世界で修行に精進すればそこへ行かれるのです。みなさんには仕事がありますから、一日の内で2時間ほど、自由になる時間を自分自身のために取っておくのです。私たちはみな世界のため、肉体面、もしくは物質面での需要を満たすために働いていますが、魂や精神面で必要とするもののためには働いていません。だから疲れきってしまうのです。私たちはもうくたくたです。十分に眠っても気分よく感じません。しかしメディテーションをすれば、たとえ十分に寝ていなくても気分は爽快で、たっぷり充電されて、エネルギーに満ちているように感じ、山でさえも動かせるような気がします。
それにどんなに大勢の人々がそこに行っても大丈夫です。いつでも準備が整っている部屋が数えきれない程ありますから。この世界には、私たちが天国で持っているものと比較できるものは何一つありません。もし本当のふるさとがいかにすばらしいかを知れば、私たちはすぐにでも死にたいと願うでしょう!
こんな表現をしてごめんなさい。でも天国というのはそのくらいすばらしいのです。他の世界、天国、私たちの本当のふるさとを訪れた多くの人はみな、この世界には一秒たりとも戻りたいと思いません。いわゆる「臨死体験」をして生き返った人々でさえ、この世界には戻りたがらないのです。光を見た後、天国のイエス・キリストや仏陀が、愛で彼らを包み込んでくれるのを見た後、彼らのすべてが変わるのです。彼らはこの地球上のものはもう何も欲しがりません。そのような愛がここにはないからです。
愛の源
そのような愛こそ、みなさんが人生においてずっと探し求めてきた愛なのです。この地球上のあらゆるものはすべて本物の愛のように見えます。あるいは本物の愛に似ていたり、愛を約束してくれるもののように見えます。私たちはそれらに向かって走り、いろいろな犠牲を払いますが結局は失望するだけです。麻薬やお酒なども含めたこの世界のものすべてに対し、人々はより良い感覚をもたらしてくれるように錯覚しますが、それらは本物ではありません。結局最後には不快な感覚をもたらすだけで、精神的にも肉体的にも蝕まれ、家族全体にトラブルを引き起こしさえするのです。しかし真の幸せならば、毎日私たちの内面に見い出す事ができます。そのために何かを支払ったり犠牲にしたりする事はありません。真の幸福は、自分自身にも家族や友人や知り合いの誰にでもますます利益をもたらすだけなのです。
本当の愛が欠けているため、私たちはこの世界でありとあらゆる愚かな行ないをしています。そうすれば真の愛が手に入ると思っているからです。魂の内面では真の愛を渇望し、追い求めています。自分がかつて本物の愛を手にしていた事や、天国がどんな所であったかを知っています。なぜなら私たちはそこからやって来たのですから。他のどこから来たというのでしょう?(聴衆答える「シエロ!」[スペイン語で天国の意])
天国! そうそう、その通りです。私たちは神から来ました。神は私たちの父であり、母であり、両親です。だからそこに戻ろうとじたばたするのです。神こそは唯一の友人であり、生命のあるなしにかかわらず、この地球上や宇宙のあらゆる惑星上のすべてのものの唯一の源です。神こそが私たちの幸せと真の自我の源なのです。それを見い出さない限り、私たちは常にこの暗闇で手探りし、決して見い出す事のできない幸せを得るために、物質的なあらゆる手段に訴えようとするのです。
この世界では、最高に幸せな人間関係であってさえも、必ず楽しくない部分もあるものです。しかもそれを保つには多くの努力が必要な上、維持してゆけるかどうかさえわからないのです。たとえ維持できるとしても多くの労力を注ぎ込まなければならないし、たくさんの妥協や痛みまで伴います。けれども天国から来る幸福、私たちに内在する本当の幸福は永久に続いてゆくものなのです。それこそ私たちが求めるべき幸せです。そして見つけるのはとても簡単です。休んだりリラックスしたりする時間を利用して、何もしないでテレビの前のソファにもたれる替わりに、内にある幸福をどのようにして見つけるか、その方法をお教えします。
誰でも毎日何時間かはリラックスする時間を取ります。そうじゃありませんか? 毎日ゆっくりできる時間が必要です。その時間こそが神を見つけられる時なのです。それはただ方法を知りさえすれば、とても簡単な事なのです。そのために何かしなければならないというのではなくて、疲れた時にいつも座るように、そこに座るだけなのです。こんなふうに座って(マスターは椅子に座ったまま背筋を伸ばす)、そして目を閉じます。そしてこの後お教えするような方法で、ただ集中するだけでいいのです。こんなふうに足が浮いていてもかまいませんよ。
「人生」というホテルは永遠ではない
ですから神を見つけ出そうとするのは、とても自然な事なのです。神というのはみなさんの真我なのですから。自分自身の内面以外に探す所はないのです。この事に気づかないうちは、本当に幸せな生活は決して手に入りません。そしてこの生と死のサイクルの中を、まるで再生紙のように永久にさすらうのです!
時には見かけは違うかもしれませんが。それはちょうど人がリサイクルできる物を集めて、それを使って別の物を作り出すようなものです。形は違いますが、やはり同じ材質なのです。その上、私たちはすべて同じような、毎回そう長くはとどまれないこの苦しみの人生を何度も何度も輪廻しているのです。それが問題なのです!
私は、人生はホテルだとお話ししました。私はホテルにやって来て部屋に入り、荷物をほどきます。そして服のしわをアイロンで伸ばします。そうすればみなさんと会った時に見苦しくないですから。そしてあちこちに装身具をつけてから、完全に自分の家と同じように部屋を整えます。でも私は、そこが自分の家ではない事を知っています。何日かしたら出て行かなければなりません。それでもすべき事はしなければなりません。
同じように、霊的修行者はこの世界ですべき事をしています。けれども彼らはそれが本当の家ではない事を知っているのです。なぜならば、彼らは本当の家がどんなものか知っているからです。私は本当の家から来たばかりですから、まだそこの事を忘れてはいません。ですから、もし私たちが毎日修行をすれば、神の王国に帰る練習、新しい家、つまり本当の家を見つける練習をする事になるのです。それからここにまた戻って来て、その後も同じように繰り返します。そうすればたとえこの物質世界に戻って来ても忘れません。ただし戻って来ると言っても、行ったり来たりするというようなものではありません。こういう表現をしているだけです。この世界の言葉では十分に説明できないのです。こうして、もし毎日行き来していれば、決して本当の家を忘れる事はないでしょう。そして私たちが「人生」と呼ぶこのホテルで何かしていたとしても、それに縛られる事はありません。そこをどんなふうに飾り立てていてもです。ちょうど私がホテルの部屋を飾って、ベッドメーキングも何もかも自分でするようなものです。私はメイドの手を煩わせません。そして出て行く時にこう言います。「さあ、どうぞきれいにしてください」。というのは、私は自分に便利なように物をそこら中に置いているからです。でも、その部屋を飾っても私にはそこが自分の家ではない事はわかっています。
ところが、もし他に本当の家がある事を知らなければ、いつまでもこの世界に縛りつけられてしまいます。額に汗して働き、この世界で得たものを保ち続けようとして非常に苦しむでしょう。もし何らかの理由でできなければそれは強い痛みとなり、執着となり、もしかしたら苦しみや痛みのために死んでしまうかもしれません。多くの人々がお金を失い、仕事をなくし、家をなくして自殺してしまいます。あるいは、彼らが所有していたものへの執着から病気になってしまいます。けれども霊性の高い人は、たとえすべてを失っても動揺しません。自分がもっとすばらしいものを持っている事を知っているからです。
宝は、地上ではなく天国に貯えなさい
インターネットで見た笑い話があります。こんな話です。ムーチョ・ディネロ(スペイン語で「たくさんのお金」の意)というとても裕福な人がいました。彼は死の床にありましたが、そのような状況でも自分の財産を手放したくありませんでした。彼はものすごくたくさんのお金と黄金を持っていました。そこで、さらに黄金を買い集めて家中に積み重ね、死ぬ時に持って行けるようにしました。周りの者は言いました。「だめだめ、黄金なんか持って行けませんよ。あなたが稼いだものはみんなこの世界の物ですよ。ここを離れる時が来たら全部置いて行くのです。身一つで行きなさい。何も持って行く事はできません!
何も持たずに生まれて来たのですから、死ぬ時も何も持たずに旅立つのです」。すると、男はとても惜しい気がしたので、神や死の天使と交渉する事にしました。「お願いです。神様、スプリームマスター
チンハイの所へ行って黄金を持って行けるかどうか聞いて来てください。私にはこれが必要なのです。私は人生をかけて黄金のために働いてきたのです。離れられません。どうかお聞き届けください!」
死の天使は彼が気の毒になりました。頭を振って無知な男を哀れみ、そして言いました。「いいでしょう。天国に着いたら神にお前の願いを伝えましょう」。神は天国からこのかわいそうな我が子を見て言いました。「わかりました。黄金を持って来させなさい。大丈夫、心配する事はない」。それで、この今にも死にそうな男は大きな袋を作り、持てるだけの黄金を詰め込み、なんとその瞬間本当に死んでしまいました。それから彼は黄金の詰まった袋を携えて、真珠のちりばめられた天国の門までやって来ました。それを見て聖ピーターが声をかけました。「おや、お前は何を運んできたのだ?
地上から天国に何か持って来るなど許されていないのだよ。知らなかったのかい?」。 男は答えます。「でもスプリームマスター チンハイにお願いしたのです。マスターはいいとおっしゃいました」「本当に?
よろしい。確かめて来るから待っていなさい」。こう言って聖ピーターはマスターの所に行って聞きました。「マスター、あなたはあの男に地上から何か持って来るのをお許しになったのですか?」。マスターは答えました。「いいのです。彼はとても気の毒な男なのです。好きなようにさせておきなさい」
それで聖ピーターは戻って来て言いました。「よし、よし、お前は確かに許しを得ていた。よろしい。でも私は、お前が何を持ち込んできたのか確認しなければならないんだ」。そこで男は袋を開け、聖ピーターに中身を見せました。ピーターは言いました。「なんだ、こんな物か!
お前は石を持って来たのか。道路を舗装するための石だよ!(笑いと拍手) なんだ、こんな物を持って来たのかい?」
OK、いいでしょう。ここではみなさんも子供たちもそんな事はしません。でも天国では黄金で道路の舗装をするのです。本当です。地上では私たちはダイヤモンドが大好きですが、天国の人々は、ダイヤモンドは建物の壁や道路や歩道など何にでも使います。
つまり天国では黄金やダイヤモンドやルビーの上を歩くのです。あらゆる樹木がすばらしい宝石でできています。葉っぱの一枚一枚すべてです。宝石のように見えますが、固くはありません。とてもきれいですが、鋭い感じは全くありません。とても美しい物質であるというだけです。これらは本物の黄金やダイヤモンドです。地上のダイヤモンドは時に人を傷つけます。たとえ永遠のように見えても、決して永遠ではありません。地上のダイヤや金は人間の手で壊せますが、天国のものは壊せません。私たちはそういう所からやって来たのです。私たちは美しい宮殿からやって来たのです。そこは美しく、高貴な住まいでした。自由で、愛と優しさにあふれていました。ところが私たちは苦しみに満ち、哀れで無力な人間という存在となって、今いるこのような場所に格下げされてしまったのです。でもこのような状態のままにしておく必要はありません。私たちは自身の内に宝物を持っているのですから。「あなたの財産は、地上ではなく天国に貯えなさい」。どうやってそれをするのかですって?
もう一度それを探し出せばいいのです。天国の宝物、つまり私たちが内面に持っている本当の宝石を、真我の栄光を見つけ出すのです。
私はみなさんに、他でもないこの真の財産をお見せするためにここに来たのです。とても重要な事です。ですからもしお望みならば、印心を通して、みなさんが本当の自分を再発見し、これからずっと幸せになれるように道案内をします。ありがとう。(拍手)
質疑応答 (Qは質問、Mはマスター)
Q: 親愛なるマスター、観音法門は私たちに、内在の光と音に集中するように教えてくれます。でも生まれつき目や耳が不自由な人はどのようにして修行すればいいのでしょうか?
M:まあ! 外からの光や音ではないのですよ。私たちの内面に存在する本当の光や音です。そこは神の王国です。内在の光や音を観るのに肉体の目や耳は必要ありません。わかりますか?
だから盲目の人でも耳の聞こえない人でも神の王国を見たり聞いたりできるのです。肉体的な事について話しているわけではありません。
Q:マスター、悟りはすべての魂が通らなければならない旅路です。グルやマスターの役割は精神的な成長を通して人々の進歩を手助けする事です。あなたは釈迦やグル・ナーナク(シーク教の最初のグル)やその他のたくさんのマスターが通ってきたと同じように、修行に身を捧げ、苦しみを体験されてきました。それなのにどうしてあなたの弟子たちに対しては即座に悟りを開けると断言できるのでしょうか?
敬意を込めてお尋ねします、マスター。
M:確かめてください。どうすればいいかわかりますよ。私を試してごらんなさい。(拍手)
Q:親愛なるマスター、悟りを開いた人としてのご意見をお聞かせください。周りにいるまだ目覚めていない人たち、つまりあなたが教えたいと思う方法を拒絶したり、ないがしろにしたり、知らなかったりする大勢の人を見た時、彼らが本当の自分を知って平和と喜びを得るのに妨げとなる事を、どのようにして乗り越えていらっしゃるのですか?
M:まあ! 彼らには選択する権利があるのですよ。誰にでも今すぐ家に帰るか、ここにまだしばらく滞在するか選ぶ自由があります。だから何の問題もないのです。彼らをそっとしておきなさい。もしあなたが天国に帰りたいのなら行きなさい。彼らがそれを望まないならここにとどまらせ、その状態に耐えさせるのです。
Q:マスター、私は猫と犬を飼っていて、肉を与えています。どう思われますか?
M:私ではなくてその猫と犬に聞いてみなさい! (笑いと拍手) そうですね、あなたが自分の人生で何を望むかさえ、私が決めるわけにはいかないのですから、犬や猫ならなおさらです。でも弟子の中にはペットに菜食のえさを食べさせている人たちもいます。それでも犬や猫たちは大丈夫ですよ。私は犬を5頭飼っています。彼らは菜食のえさを食べていますが、みんな活発で、健康で申し分ないですよ。何も問題はありません。私は猫にも菜食のえさをやっていました。もちろん大丈夫でしたよ。動物たちは不満を訴えたりはしませんでした。ペットフードを売っているお店でも、犬猫用の菜食のえさが置いてあります。お店で問い合わせてもいいですよね。私は犬たちに「ウィソン」(菜食のドッグフードのブランド)のものを食べさせています。これはいい製品ですよ。でも私の犬は、ドッグフードは食べません。人間と同じものを食べるのです。私はたくさん料理します。犬に先に食べさせて、食べ残しを全部私が食べるのです。最初、犬たちはドッグフードを食べていたのですが、私の作ったものを食べた後はもうドッグフードを食べようとしなくなりました。ドッグフードを出すと、ただ周りをうろうろして「何なのこれは?」とでも言っているように私の顔を見つめるのです。(笑い)
それで、私は毎日彼らに食べさせるために料理をしなくてはならなくなったのです。私に作る時間がない時だけドッグフードを食べます。彼らは私の気持ちを楽にさせるためにほんの形だけちょっと食べて、後は台所からおいしい、本当の食べ物がくるのを待つのです。
Q:マスター、あなたはこの世界における発明品やアイディアのすべてはゴミだ、とおっしゃいました。私にはアイディアがたくさんあります。それで、印心を受けて修行をしたら私は進歩しますか?
M:ええ、もちろん! あなたはちょっとはましなゴミを発明するようになるでしょう! (笑い) 本当にゴミだと言っているわけではありませんよ。私が言っているのは、この世界にあるものは何であれ、たとえ最高の発明品であっても、それは他のさらに高度に発展した社会の余りものだという事なのです。でも私たちの社会は彼らほど発展していませんから、これらのゴミ、つまり発明品は私たちにとってはすばらしいものなのです!
ですからどうかもっと集めてください! 私たちにはそれが必要ですから。
Q:マスター、私は長い間菜食を続けてきましたが、卵は食べていました。印心できますか?
M:いいですよ。問題ありません。ただこれ以上食べないでください。卵は否定的な力を引き寄せて、修行の進歩を妨げます。
Q:マスター、神とイエス・キリストの違いは何ですか?
M:違いはありません。私と父なる神は一つです。イエスはそう言いませんでしたか?(拍手) そうですね。違うとすれば、人々は肉体ある存在としての彼を見ましたが、神を肉眼で直接見る事はありません。それで神とイエス・キリストは違うと思ってしまうのです。けれども神はイエスを通して人々に天国に帰る道を示したのです。
Q:マスター、なぜ私たちは病気になるのでしょうか? 何かの啓示でしょうか? それとも病気に打ち勝つために闘わなければならないのでしょうか?
M:病気というのは私たちのスピリチュアルな部分や、精神、感情、あるいは肉体面における何らかの不調です。ある病気はスピリチュアルな面での弊害によるものですし、あるものは感情のアンバランスから、別のあるものは肉体的な不具合から起きます。ですから私たちはそれがどんな種類の病気なのかをチェックしなければなりません。多くの病気は背負っているカルマと関係があります。でもそれ以外は、体に十分気をつけていない事からくるのです。肉体は車に似ています。車には燃料を入れて、磨いたり、洗ったり、時々オイル交換やガソリン補給をしたり、定期的にエンジンをチェックしたりしなければなりません。そうやってこそ車はちゃんと走るのです。ところが私たちの多くは、自分の体の世話となるとひどいものです。もし疲れて気分が落ち込んだ感じがしたら、ビタミンをとったり、十分休憩してリラックスしたり、何かヨガのような事をしなければなりません。もしあなたがここで印心を受ける事を望まないのならば、ヨガのグループを探したり、少なくともヨガのような運動をしたり、音楽を聴くなど、気分を良くして心身をゆったりとさせてくれる事をするべきです。あるいは楽しくくつろげる映画を見るのもいいでしょう。そしてビタミンをとりなさい。もし気持ちが沈んでいるようならビタミンB12をもっととりなさい。よく言われる事ですが、ビタミンは気持ちを明るくしてくれます。総合ビタミン剤が毎日の食事の中で不足する栄養を補ってくれます。なかには、高カロリーで栄養価の低いものばかり食べているのにそれには気付きもせず、その上車が良く走る事を期待する人もいます。車には点検が必要です。でなければちゃんと走りません。肉体はたくさんの栄養を必要としています。タンパク質や果物、野菜や、もろもろの体に良いものを必要としているのです。もし栄養のバランスを考えないでたらめな食事を毎日続けたら、当然体の状態は悪くなってしまいます。
Q:マスター、印心を受けた後で悟りを得るためには、お金や宝石といった、この世界の富や財産を放棄しなければならないというのは本当ですか?
M:あなたがそうしたいのなら。(笑い) でも実際のところ、悟りを得るのに必要なものはそうたくさんはありません。一日にほんの2、3時間を要するだけです。あなたがそのための時間をやりくりできるのなら、他には何もいりません。お金はいっさい必要ありません。今持っているあらゆる物をそのまま持ち続ければいいのです。私はあなたに何も要求しません。決してしません。あなたはあらゆる物をそのままにして、人生を楽しんでください。メディテーションを続ける限り祝福されます。それが観音法門です。あなたは悟りも、この世の富も両方を持つ事ができるのです。(拍手)
Q:マスター、五戒の中で「邪淫をしてはならない」というのはどのような理由から定められたのでしょうか?
そしてこれは同性愛も含むのでしょうか?
M:邪淫をしない、というのは肉体的な行為にふけりすぎて、スピリチュアルな修行を放棄してはいけないという事です。もし自分と同じ性別の人を愛したとしても、修行を適度にすればよいのです。同性愛が禁じられているわけではありません。これはただ、もし本当に誰かを愛するのなら単なるセックスだけではなくて、愛を持ちなさいという事です。性行為だけ、というのは良くありません。あなたが女性を愛そうと、異性同士でもかまわないのです。女性と女性、男性と男性でも、愛があれば大丈夫です。なぜなら私たちが誰かを愛する時は、心や魂を伴っているからです。行為そのものが目的でセックスをする時は、単に肉体的な意味しかありません。感情的な発展や献身は保証されていません。霊的な向上は含まれていないのです。ですから満足感がないし、気持ちの上でも堕落したと感じるのです。やがて自己嫌悪に陥りますが、そんな行為を邪淫と呼んでいるのです。例えば、もしあなたにパートナーがいるとしたらお互いに尊敬し合うべきです。そうすれば周囲にいる多くの人々の、誰一人の感情も傷つける事はありません。性的喜びは神からの贈り物だからです。それは間違いなどではありません。性行為に愛が伴えば、一層良いでしょう。ずっと気分は良いし、気高く感じるでしょう。霊的な修行をしたほとんどの人が、この時折の肉体的行為を単なる繁殖の手段だと考えます。まあ、私にとっては遠い昔の事ですが。(笑い)
好きなようになさい。ただ愛を持ち続けてください。何をしようと、愛が伴っていれば大丈夫です。(拍手)
Q:マスター、私は24年間メディテーションを続けた後、夫と離婚しました。彼を愛していたので悲しくてたまりません。なぜこのような事が起きるのでしょうか?
M:それはどういう種類のメディテーションですか? 24年間も? う〜ん、それは私の責任ではありませんね。その頃は普及活動をしていませんでしたから。(笑い)
私はこの仕事を始めてからまだ15年かそこらです。そうですね、その瞑想法が離婚の原因というわけではないでしょう。離婚はカルマの解消のための一部として起きたのです。あなたは今日、ここにある美しい花を見ます。でも明日には花は枯れてしまいます。明日枯れなかったとしても、来週にはそうなるでしょう。あらゆる事は、そのうちに自らの結末を迎えるものなのです。人生も同じです。私たちは永遠にここにとどまるわけにはいきません。ですから、生を終えるまで結婚生活が続いたなら、それはそれで結構な事です。数十年先に延びたというだけの事です。24年で離婚しようと44年で終ろうと大した違いはないのです。ただの数字です。結婚生活が長く続いても続かなくても、それに何か意味があるわけでもありません。さっさと他の男性を見つけてしまいなさい!
(笑いと拍手)
Q:親愛なるマスター、私は14歳です。私の母は、私が小さな時から、もう10年もずっと病気です。もっと強くならなくてはいけないとわかってはいるのですが、それがとても難しいのです。何かアドバイスをお願いできますか?
M:私が言える事はそう多くはありません。本当にお気の毒ですね。あなたはとても良い子です。そして強いわ。そのままでいいのよ! 神に助けてくれるように、内面の力をくださるように祈りなさい。印心を受けて修行をしなさい。メディテーションをすればあなたは強くなって、まるでスーパーウーマンになったように感じるでしょう!
Q:マスター、なぜ印心を受けるのに年齢制限があるのでしょうか? 制限から外れる人々は印心に不適切だったり範囲外だという事でしょうか?
M:もしくは、高齢者であればコースを終える時間が十分にない、という事です。年齢が若すぎるのならば両親からの許可が必要です。そうすれば両親は子供の面倒を見られるし、子供は両親の意志に逆らわずにすむからです。この世界はそのようなものですし、物質界の法則にそったやり方です。
Q:もし今日印心を受けて、何かの理由で修行ができなくなったり止めてしまったとしたら、私の身に何か悪い影響がありますか?
M:あなたが修行をしないとすれば、修行をしないという事そのものがあなたに起き得る最悪の事態です。もしあなたが誰かと結婚して、その後離婚したとします。何が起きますか?
離婚した、というだけの事です!
Q:マスター、どのようにして修行の進み具合を知る事ができるのでしょうか?
M:自然にわかります。成長している時には自分が成長している事がわかるのと同じです。
Q:親愛なるマスター、悟りを開くとは神と共に一つの意志を共有して生きるという事と同じですか? それは私の意志を神にゆだね、神の意のままに生きる事と同じですか?
M:はい、同じ事です。
Q:悟りへの道を妨げる主なものは何でしょう?
M:自分自身です。私たちが修行を求める時、何ものもそれを止める事はできません。私たちに求める気持ちがなければ、あらゆるものが私たちを引き止めるのです。
Q:マスター、私はカソリック教徒です。印心を受けた後も今の信仰や修行、祈りを続ける事ができますか?
M:あら、私自身もカソリック教徒なんですよ!
Q:マスター、今日印心を受けたとして、その後、子供が食べるための肉料理をしてもかまいませんか? 問題ないでしょうか?
M:いいですよ。しばらくして、あなたが料理の匂いに我慢できるなら、ですが。
Q:宇宙には因果応報の法則があります。そこで質問ですが、私たちがすでに引き起こしてしまった悪い行いを取り除く事は可能ですか?
M:いいえ、できません。けれども霊的な力と知識によって、報いを最小限にする事や、同じ過ちを将来繰り返すのを避ける事はできます。
Q:マスター、もし私がすでに悟りを開いた禅のマスターから教えを受けていたとしたら、あなたとそのマスターとの違いは何でしょうか?
同時に大勢のマスターの教えを受けて開悟する事はできますか?
M:もしあなたに十分な時間があるのなら。私はあなたのマスターがどのような方法で開悟したか知りません。そのマスターがあなたを連れて物質的なレベルを遥かに越えて、あらゆる道を通って、最高に高い所、最高の王国に連れて行けるかどうかを聞いた方がいいでしょう。連れて行ってくれるならここに来る必要はありません。答がノーなら早くこちらに来た方がいいでしょう。
Q:マスター、私は光と音を見せながら先生が弟子に教えている例を見た事があります。その弟子たちは正しく導かれていませんでした。彼らは迷子になって、ほとんど混乱しているようでした。あなたのガイドが良い物であるという保証はありますか?
M:私の弟子に聞いてみてごらんなさい。彼らが良い状態ならあなたもわかるでしょう。(拍手) 成っている実によってその木を知るのです。違いますか?
Q:「神との対話」という本の中に、この地上は天国であると書かれていました。私たちは天国に住んでいて、もし天国に行かなければならないと考えてしまったら、すでに自分自身を低いレベルに位置づけてしまっているという事です。ここ以外に行かなければならない所などありません。そうしますと地上と天国の違いはいったい何なのでしょうか?
というのは、私たちは良い事、悪い事、あらゆる事を経験するためにここにいるからです。違いますか?
M:はい、それは真実です。でもあなたはこの地球が天国であるという事をすでに知っていますか? ここに座って天国を見る事ができますか? もしできないのなら、私はその方法をあなたにお教えしなければなりません。本当です。天国はまさにここに座って見る事ができるのですが、あなたはその方法を知らなければなりません。どこででも、トイレの中でも、飛行機の中でも、公園でも、スーパーマーケットでも、本当にあらゆる所で天国を見られるのです。これは真実です。けれどもあなたはどこを見るかを学ばなければなりません。そしてみなさんにお見せするために私はここに来たのです。(拍手!!!)
Q:マスター、私は学生です。看護と医学用語学を専攻しています。この専攻を終えて学位を取得するには生物学を取らなければなりません。授業では実験してその結果を比較するために、動物を殺したり野菜を採集したりします。動物を殺すのは暴力です。私はクラスメートが動物を殺すのを見るのに耐えられません。これはメディテーションの効果でしょうか?
この事は先々私のメディテーションに影響するでしょうか? 動物を殺すのを避けるために専攻を変えるべきでしょうか? 私としてはこのまま学位を取りたいのですが。
M:もし学位を取得したいのなら、もうすでに答は出ていますね。もし動物を殺したくないのなら、殺さなければいいのです。クラスメートが殺すのなら、それは彼らの問題です。あなたは自分の望むように他人の行動を制限する事はできません。あなたは自分のしたいようにするだけです。ただ勉強を続けなさい。友達に、自分は動物を殺したくないから見るだけにすると言いなさい。
Q:親愛なるマスター、幻覚を起こさせる薬物は霊的な経験にどのような影響をおよぼすと思われますか?
M:どんな薬物も自然のものではありません。私たちはあらゆるものをすでにここに持っています。(マスターは智慧眼を指差す)何のために薬物が必要なのですか?
私の方法は、みなさんがすでに持っているものをただお見せするだけで、そこに何か加えなければならないという事ではありません。私たちはすでにこの世界で十分に混乱しています。私たちの心や体に、これ以上の混乱を付け加える必要はありません。薬物は長く使えば悪い影響を与えます。誰でも知っている事です。(拍手)
Q:もし悲しみが何もなかったら、どのようにして天国の幸せを本当の意味で感謝する事ができるのでしょうか?
M:確かにその通りですね。しかし悲しみはたっぷりあります。ですから今は幸福を味わう時なのです。
Q:観音法門は禅と似たようなものですか? 両方を修行していても、開悟できますか?
M:しばらくすれば、あなたは観音法門を選ぶべきだと気付くでしょう。私は禅の修行をずっとしてきました。本当の禅とは、元をたどれば観音法門だったのです。
Q:私の息子と夫は今日印心を受けます。どうか二人が五戒を守るための助言をください。
M:まあ、ご主人と息子さんが? もし私がお二人に助言を与えなければならないとしたら、何を言うべきでしょう? すでにここにすべて書いてあります。ですから彼らが印心を受けると決めたからには、守るはずですよ。
Q:人間や他の生物のクローンもやはり神の創造物ですか?
M:私が殺されればいいとでも思っているのですか? みなさんは論争中の話題をとりあげるのが好きですね。そうですね、私は生物創造の選択は神にお任せしたいと思います。それが私の答です。この地上ではすでに技術的な失敗による人口過剰や狂乱、災害といったトラブルをたくさんかかえています。ですから創造の力は神の手にゆだねたいのです。
こんな笑い話があります。それほど霊的な話というわけではありませんが、今の質問にはちょうどいいでしょう。インターネットで見つけたものです。著作権を侵害したと言われたくありませんからね。それはこんな内容の話です。あまりにもたくさんの飛行機事故や航空関連の問題、そしてその危険性を新聞で読んで、人々はうんざりしてストライキを続け、もうこれ以上飛行機には乗りたがらなくなりました。彼らは飛行機がぶつかるのではないかと恐れ、爆発するのではないかと怖がり、とにかく震え上がっていました。そこで、科学者のグループからなる会社が、総力を挙げて完全に電子機器とコンピューターで制御された、パイロットのいらない飛行機を作り上げました。彼らは長い時間をかけてこの飛行機を作った後、やっと初飛行の日を迎えました。乗客が全員乗り込んで離陸した後、人間の声にそっくりなコンピューターのアナウンスが流れてきました。「みなさま、電子制御飛行機の初飛行にようこそご搭乗くださいました。当機は、以前心配されておりましたような人為的なミスはいっさい起こしません。さあ、背もたれを後ろに倒してのんびりとおくつろぎください。間違いは何も起きませんから、せんから、せんから、せんから、せんから、せん…」(笑い)
Q:親愛なるマスター、否定的な考えや悪い思考が頭に飛び込んで来た時はどのようにコントロールしたらよいでしょうか?
M:その考えを放っておくのです。そうすれば自然にどこかへ飛んで行ってしまいます。もし否定的なものと闘い続けていたら、肯定的なもののための時間がなくなってしまいます。ですから頭の中でネガティブな考えが浮かんだり、認識したりするごとに、何かしらポジティブなものと置き換えるのです。もっと肯定的で楽しい何かをして、否定的な事は忘れるのです。あるいはメディテーションをしている間に、この問題といかにして取り組むかを私がお教えします。
Q:マスター、もし私たちが殺してはいけないのなら、家の中の害虫をどうすればいいのでしょうか? 害虫は病気を引き起こしたり服や食物を汚します。
M:害虫が家の中に入ってきた後ではなくて、その前に対処するべきです。入って来た後ではちょっと遅いですね。いいですか。水と酢を1:1の割合で混ぜたもので家の中を徹底的に掃除するのです。この溶液は消毒作用があり、酢の臭いもしませんし、あらゆるものに対して消臭の働きもあります。消臭というのは、害虫を引き寄せるあらゆる臭いを中和する、という事です。虫がついたものを一度徹底的にきれいにしなさい。全部、陽に干してふるい落とし、水と酢の1:1溶液で、できる限り毎日掃除しなさい。もし酢の臭いが気にならないなら、もう少し酢の割合を増やすといっそう効果的です。そして窓枠やドアの枠、家のまわりには、人体には害のない虫よけスプレーを吹き付けなければなりません。そうすれば害虫はそれ以後、家の中には入ってきません。そうでないといつでも外から家の中に入って来ようとします。週に一回か、適当な間隔で定期的にスプレーするべきです。そうすれば今後もずっと虫が入って来る事はないでしょう。そして自分自身もお風呂に入って、清潔に、衛生的にしなければなりません。こうすれば害虫が家の中で繁殖する事はありません。
Q:マスター、子供というのはそれぞれ、生まれつきすでに良い子か悪い子か決まっていて変えられないものなのでしょうか?
私は母親なのですが、自分の子が悪い子なのでは、と心配なのです。
M:子供の中には少し扱いにくかったり、優しさに欠けて生まれてくる子がいます。でもその子にふさわしい指導や霊的な手助けがあれば、変わってゆくでしょう。
Q:マスター、あなたはミルクを飲んだりチーズを食べたりしていいとおっしゃっています。でもここアメリカでは、牛たちは非常にむごい仕打ちをされています。ミルクには成長ホルモンが含まれていて、たくさんのチーズが死んだ牛の胃袋を使って作られています。私たちはベーガン(乳製品も食べない厳格な菜食主義者)になるべきでしょうか?
M:もしできるのであればそうしなさい。時々そうする事にしてもいいでしょう。あまり極端にならないでください。乳製品を食べなくても生活できるなら、もちろんそうしてもかまいませんよ。
Q:マスター、私の妻は約一年間菜食をしてきました。ところが、妊娠してから肉や卵をとても食べたがります。どうすればいいでしょうか?
M:彼女に聞いてごらんなさい。ところで奥さんは修行仲間ですか? 違いますか? 方便法をしているのですね? わかりました。妊娠はただの言いわけです。肉や卵を食べたいのをお腹の子のせいにしているのです。かわいそうな赤ちゃん。いずれにしても方便法を実践しているわけですね。もし彼女が菜食をしたくないのなら無理強いはやめましょう。この私たち観音ファミリーの事は、すべて自ら望んでする事です。もし本当の家に帰る準備があるなら、私は道を示してそこへ至る方法や、その旅をより早くスムーズなものにするために何を避けるべきかを教えます。でもまだその準備ができていないのなら、したい事をしてかまわないのです。肉を食べ、ワインを飲み、結婚だって何だってできますよ。すべて本人次第です。私は学びたいと望む人々にだけ教えます。まだその段階でないと思うなら、それでいいのです。あまり難しく考えないで、時間をかけるのです。
Q:マスター、印心を受けると五世代から七世代にまでわたって親族も共に救われるとあなたがおっしゃるのを、私は何度も聞きました。それは親族も印心を受けた人と同じレベルまで連れて行ってもらえるという意味ですか?
それとも親族は違うレベルに行くのですか? それから、印心を受けた人は彼らの所を訪れる事はできますか?
M:ええ、もちろん救われますが、親族は違うレベルの世界に行く事になります。どこに行くかは彼らが内面でどの位誠実であるか、どの位のカルマを背負っているかによります。しかし印心を受けた本人は自由です。いつでも、どこでも、誰にでも会いに行けます。何の問題もありません。つまり印心を受けた人は死んだ後でも、この地球上に存在している間でも、自分の親類縁者の所を訪ねられるという意味です。最後には、違うレベルに存在していてもそうでなくても、いつでも一緒にいられるようになります。なぜならば、みなさんは一カ所だけではなくて、違うレベルにも同時に存在できるようになるからです。例えばあなたのご両親が霊的な世界の最下層である阿修羅界にいて、あなたがそれより上の創造のレベルにいるとしましょう。あなたは上のレベルと阿修羅界の両方に同時に存在できるのです。というのは、あなたがどこへ行こうと、もう一つ別のレベルを獲得する事になり、望みさえすれば、ある場所にいるのと同じように他のレベルにも同時に存在できるからです。ですからあなたのご両親には、あなたがいつも自分たちと一緒にいるように見えるでしょう。その一方で、あなたはより高いレベルにもいて、そのレベルにいる他の人々はいつもあなたを見かけるのです。だから霊的な王国では喪失感や欠落感、引き離された感じなどがないのです。それがこの地上とは違う点です。
Q:親愛なるマスター、私たちが悟りを開いてイエス・キリストや釈迦のレベルに到達した後もさらに学べるもっと高いレベルはありますか?
M:ええ、ありますとも。もっと高いレベルに行かれますよ。ここで目指しているのは一般的なマスターのレベルです。まだたくさんのレベルがあります。もっと高い所でも低い所でも、あなたが行きたい所ならどこでもかまいません。でも、マスターのレベルに達しさえすれば、もうそれで十分なのですよ。
Q:マスター、あなたは天国の道路は黄金で舗装されていると言われました。やはり魂にも別の世界で宮殿が必要なのですか?
私は物質的な肉体だけが豪華な建物を必要とすると思っています。黄金は、この世界では単にあまり量がないために貴重なわけです。しかし、天国にはたくさんあるのですね、それでも貴重品なのですか?
M:天国では誰も黄金の事など気にもとめません。ただそこにあるというだけです。でもそれは天界の人がわざわざそこに置いたという意味ではありません。それはあるレベルを単に表現しているにすぎません。この世界とは全く違っていてすべてが美しくて、輝いていて、高貴で、光を放っているのです。天界の黄金は地上のものよりずっとすばらしいものです。豪華な家の中にいるようです。そういう家に行くとすべてが豪華でたっぷりあるものですよね?
Q:マスター、死後の臓器提供についてどう思われますか?
M:特に意見はありません。自分の持てるもの、自分だったら欲しいと思うものを、お金を寄付するようにただ提供すればいいのです。何も問題はありません。
Q:神は私たちを人間という存在にして、元々は完璧な存在だったという事を気づかせるために、あらゆる試練や困難を与えるのでしょうか?
M:私たちが楽しみたいからです。みなさんは、お金持ちをたくさん知っていますよね。彼らは毎日、毎年、もしかするとずっと休暇を続けています。彼らの生活ぶりはというと、大きな邸宅を持っていて、家中に使用人を置いています。休暇が続けば彼らは何をするでしょうか?
彼らは時々、貧しい人が住むようなわらぶき屋根の小さな家を借ります。そして、例えば家には何百万ドルもする、ビューッと月までも飛んで行くような豪華なヨットを持っているのに、外に出てボートを漕ぎ、太陽の下で汗を流します。私たちは楽しみたいのです。楽しめるなら何をしようとかまわないのです。私たちはこの世界、この不完全な世界に来るまでは、自分の完璧な本質を認識できずにいたのです。これはつまり反射された映像を見る事であり、それによって自分自身を知る事ができるのです。この世界は自分を知り、神を知るために作られています。男性と女性の違いをはっきりさせるために女性が創られたのに似ています。もし比較するものがなければ、自分を知る事はできないでしょう。わかりますか?(拍手)
これはお金持ちが何ヵ月か太陽の下でボートを漕いで汗を流し、わらぶき屋根の家での簡素な生活をした後、自分の家、自分のヨットや自家用飛行機や、その他便利な設備のある快適な生活に喜んで戻るのと同じ事なのです。
Q:親愛なるマスター、私は自分が天国に帰る用意ができているかどうかわかりません。私はあなたを尊敬していますし、メディテーションをして神を知りたいと望んでいますが、それと同時にこの人生で才能や技能、能力を伸ばしたいとも思っています。これは私がまだ天国に帰る準備ができていない事を意味しているのでしょうか?
あるいはまだ印心を受けるレベルに達していない事を意味しているのでしょうか?
M:いえいえ、あなたは単に人生を愛しているだけです。いい事ですよ。すばらしい事です。自分の能力や才能や力をすべて失うまで待つ事はありません。そんな状態になったら気落ちして、貧困にあえぎ、悟りを開くのにいらぬ障害を背負う事になります。あなたは、幸せに満ちて何でも持っているうちに修行をするべきです。今は最高のタイミングです。つまりあなたはとても高いレベルにいるという事なのです。なぜならば、あなたはあらゆるものを持ち、あらゆる恩恵を受け、それでも神に会う事を求めているからです。つまりあなたはすでに聖人なのです。
Q:マスター、ある人が印心を受けたものの、ほんの少し修行しただけであきらめてしまい、それから間もなく死んでしまったとします。その場合、この世界に生まれ変わる事は可能ですか?
あるいはあなたはその人を解脱させてくれますか?
M:マスターとその人次第です。スプリームマスター チンハイはその人がそう望めば連れて行きます。この女性に不可能はありません。彼女は最高にすばらしいのです!(拍手)
Q:キング・ジェームス版の聖書に「幼子にならなければ天の王国に入る事はできない」とありますが、これはどういう意味なのでしょうか?
M:それは、私たちはあらゆる先入観をぬぐい去り、それまでの生において心や体や感情にしみ込んだカルマの障害物をすべてきれいに取り去らなければならないという意味です。印心すると、マスターはあなたをきれいにします。浄化の火と霊的な祝福によって、人を再び幼子のように光り輝かせ、純粋で無垢にします。こうしてその人はただちに天国を見る事ができるのです。
Q:マスター、以前カルマというものは自分自身の道徳的基準や経験によって作られるとおっしゃいました。それならば、道徳的基準を持っていない人は、普通の人よりカルマは小さくなるのでしょうか?
つまりそういう人は悪い事をしても自分が悪いとは思わないわけですよね? それと、良くないという記憶はあるけれども、記憶の中の、自分の悪い行いの一部を忘れたとしたら、その人のカルマはそれ程大きくならない、という事になりますか?
M:なんとすばらしい言いわけでしょう!(笑い) 銀行に強盗に入ってから警官に向かって「私は何をしでかしたか忘れました。ごめんなさい」と言ってみてごらんなさい。警察があなたの指紋をとったり顔写真をとったりいろいろしているのに、あなたの言葉を信じると思いますか?
神をごまかすいい方法ですが、成功させるのは難しいですよ。知能がどうであっても、どんな性格であっても、自分がした事のすべては潜在意識に記録されます。それは霊的なパワーで処理されない限り、潜在意識の内側から自分で消さない限り、決して消え去る事はありません。そのようにして私たちは救われるのであり、印心後に再び子供のようになれるのです。
Q:マスター、結婚生活が幸せではなかった場合、夫と離婚してもかまわないでしょうか? どうすれば離婚するのに良い時期を知る事ができますか?
M:まあまあ! ご主人と話し合ってください。二人とも離婚に同意するならばそうしなさい。つまり、あなたが彼とどうしても離れなければならないとか、もっと大事な目的があるといった場合です。問題から逃げ出すためという理由ではだめです。なぜならばあなたが出会う次の男性は、もしかするともっとやっかいな問題をもたらすかもしれないからです。利息は増えるものですからね、そしてそれがカルマでもあるのです。
Q:親愛なるマスター、修行仲間が禅三から戻って来ると、なぜ違って見えたり、変化していたりするのでしょうか?
M:それは彼らがさらに浄化され、より純粋になり、より輝くようになるからです。
Q:親愛なるマスター、私には叶ったらいいなと思う5つの夢があります。私はこの人生で成功するようにマスターから祝福をしてもらいたいのです。国際禅に霊体だけで参加する事は可能ですか?
肉体的に参加するのとどう違うのでしょう?
M:わかりました。では彼女は家にいてこう言うのですね。「OK、私は心で国際禅に参加しています」。それはとても便利です。良い考えです。次回はみなさんだけここに来て、私はこう言いましょう。「さあ、私は心でここに来ています。肉体で現れる必要はないでしょう」。そうしてもいいですか?(だめです)
みなさんの答がこの質問に対する答です。本当にすばらしい考えを持っているものですね、全く!
Q:マスター、私は79歳です。アメリカに初めて来て、ここフロリダであなたにお会いする事ができました。今日は私にとって最高に幸せな日です。ありがとうございます、マスター。私は申し上げました通りの高齢ですが、心から印心を受けたいと思っています。健康には自信があります。マスターお願いです。印心を授けていただけませんか?
M:あなたは健康には恵まれていますが、時間は残されていません。どうか無理を言わないでください。大学で勉強しようと思えば、ある程度の時間が必要です。なかには時間を要する事柄もあるのです。方便法を受けてください。それでも十分すばらしいのですよ。
Q:マスター、私は中国大陸から来た弟子です。中国に帰る前にあなたにお会いできて本当にうれしく思っています。中国人の修行仲間すべてと同様に、あなたが末永く幸せですばらしい生活を送られるようお祈りいたします。二つお聞きしたい事があります。最初の質問です。たくさんの人が同じ事を聞いていますが、私をマスターの旅にご一緒させていただけないか、という事です。私は西洋の人々にマスターの教えを広めたいのです。私は人生を人類に捧げる方法を探しているのです。
M:あなたは自分の所にとどまるべきです。そして家族や地域の人々に貢献しなければなりません。それが世界に貢献するという事であり、私と共に旅をするという事なのです。私と旅をするというのは肉体的にという意味ではなく、同じ理想、同じ目的を持って生きて行くという事なのです。そうすれば、やがて私たちは共に同じ所に行き着きます。それに、もし私と一緒に行動したら、たくさんの困った事が起きます。あなたの家族は寂しがるでしょうし、あなたが属している所では、勤勉な才能のある働き手が不足する事になるでしょう。ちょうど家屋がその構造を支えるためにはたくさんの煉瓦を必要とするようなものです。もし一つ抜き取ったら情況が変わってしまうでしょう。あなたの場所にとどまって、そこで聖人となりなさい。
Q:マスター、マーヤの天使とカルマの支配者は人々をこの世界に縛りつけ続けるために共に働いているのですか?
M:はい、そうです。彼らは一体で、同じ存在です。彼らは善で、自分たちの仕事、つまりみなさんが自分自身を知ろうという決意を強めるというりっぱな仕事をしているのです。
Q:今日印心を受けた人は、すぐに、もしくは短い期間で愛する人を助けたり、苦しみを和らげたりできるようになりますか?
M:もちろん。すぐに、ある程度までは。ある程度というのは、つまり本人にはどれ程多くの祖先が地獄や苦しみから救われて、より高い世界に引っ張り上げられたかわからないからです。しかも、この世界での人生でも数えきれない程多くの人々を救うのです。
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