菜食を守る事の重要性

食べる物に注意しましょう。そうすれば自分自身を汚染したり、細胞と脳を混乱させたりせずにすみます。食べ物による汚染や混乱は結果的にみなさんの精神的成長を妨げます。私たちが食べる物を神が気にしているというわけではありません。けれども、もし私たちが酔いを起こすような物や、肉や動物性食品などといった純粋でない食べ物で体の機能を害するなら、細胞や頭脳も汚染されて混乱してしまうのです。そうなると、物事をはっきりと考えられなくなったり、幸福と智慧の源を探すための心穏やかなメディテーションができなくなってしまうのです。
私たちは心を落ちつかせて座らなければなりません。メディテーションの時も日常活動においても、より穏やかで、より内面に集中するように心がけなければなりません。そうしてこそ自身の内にある神性の真の根源にふれる事ができるのです。そこから私たちはあらゆる日常的な問題や悩みに対応する事が可能になり、人生をもっと幸せにできるようになるのです。もし私たちが、細胞、脳、血液や精神状態を混乱させたとしたら、私たち自身も混乱します。そうなるともう正しく考える事ができなくなってしまいます。メディテーションをしていても、とてもそわそわしたり、いらいらしたりするでしょう。たとえメディテーションがうまくできたとしても、体内に取り込んだ汚染物質からの悪影響のせいで見えるものが曇らされてしまいます。ですから、神や私がみなさんの食べる物を気にしているというわけではありませんし、たとえみなさんが肉をほんのちょっと食べたとしても、そのせいでまっすぐ地獄に落ちるというようなものでもありません。そうではなくて、ただ、もし私たちが神のようになりたいのならば、行いや口にする物がすべて純粋なものであるよう気をつけなければならないという事なのです。そうすれば、私たちも純粋になります。
ここでみなさんが食べる物はすべて完全な菜食で、とても衛生的です。調理する人々は、みなさんのために手袋やマスクをしています。たとえ彼らが多少の細菌や風邪のウイルスに感染していたとしても、みなさんにうつる心配はありません。けれども外のレストランで食べる時は、当然保証の限りではありません。それでも食べる前に聖名を唱えて食べ物を浄化し、神に捧げる事ができます!
こうするだけでも多くの感染の危険を最小限にできます。
私もみなさんが何を食べるかについて気にはしていません。ただし、口にする物はなんであれ、メディテーションや精神修行、感情、気質、個性や人生の価値観に影響をおよぼします。すべて食べるもの次第なのです。物質世界にいる以上、あらゆる物質が私たちに影響をおよぼします。ですから、私たちは自分自身のために気をつけて、カルマの負担や苦しみのより少ない、純粋な食べ物を食べなければならないのです。動物は屠殺の時に死を恐れ、生に執着し、大いに苦しむからです。彼らが私たちのために強制的に早死にさせられるとしたら、当然その恐怖や憎しみは私たちが食べる肉に残されるのです。それで、まさに動物が死ぬ前に感じたように、それを食べる私たちも攻撃的で騒がしく、不満がいっぱいで、時には暴力的になるわけです。
植物も感覚を持っていますが、それは本当の感覚ではなく、いわば反射的な反応で、それほど強いものでもありません。寿命も動物ほど長くありませんし、恐怖心はそれほど強烈ではないのです。その上、植物は切られても再び育つ事ができます。みなさんが木の枝を一本切ると別の枝が二、三本伸びてくる事もあります。ですから私たちが多少木を切ったとしても大丈夫なのです。ただしその後は、切った分より三本多く木を植えなさい。あるいは枝を一本切ったら、次に三本多く枝を育てるのです。大丈夫です。私たちは自然を崇拝はしません。自然を利用するのです。それだけではなくて自分たちのために自然を保護します。人類が常に最優先されなければなりません。一部の極端な人たちは「オーケー、それならば私たちは植物も食べない事にします。彼らにも生命がありますから」と言います。私は「いいでしょう、そうして死になさい」と答えます。私たちは狂信的な極端な考え方を良しとしません。物事すべてをちょうど私たちのふるまいと同じように、中庸で至極穏やかな方法で行うのです。
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