マスターの言葉
専心と専門

 大多数の人々は物事をうまくこなす事ができません。それは、心を集中して熱心にやらないからです。みなさんは一つの職業にしかつく事ができません。例えば成長してから医学を勉強し、医者になったとします。成功するかしないかは、それに集中するかしないか、愛の心があるかないかによります。あるいはみなさんが商売の事や技術を学ぶ時は、一つの職種しか勉強できません。そうしてこそ、うまくできるし徐々に向上できるのです。それは訓練を重ね、しかも慣れてくるからです。しかし、一つの職業にしかついていないからといって、必ずしもみんなが成功できるとは限りません。それで、ほかよりも優れた医者や建築家がいたりするのです。それはすべて、集中の度合いが違うため、聡明さも違ってくるからです。
 どうして明師は何でもできるのでしょう? それはいかなる時も心を一つの事に向けているからです。何をするにしてもそれに専念し、身・口・意のすべてをそこに集中しているからです。そして、同時にほかの所にも身・口・意を向ける事や、何千億もの化身を持つ事ができるからです。例えば、踊りながらでも何千億に化身する事ができます。それは集中し続けているからで、すでにそのレベルに達しているという事です。ちょうど太陽が世界のあらゆる所を照らしていても、太陽自体は何も消耗しないようなものです。しかし、ろうそくは一カ所しか照らせません。しかも、ほんの少しの間だけ照らせばそれで終わりです。修行者と一般の人の違いはここにあります。なぜ私たちにはほかの人には見えない所まで見えるのでしょうか? それは私たちが集中するからです。どうして私たちは何をしても完璧で、ほかの人よりうまくできるのでしょうか? もし必要であれば、専門家よりもよくできます。それは私たちがいつも集中しているからなのです。
 マスターは何をするにしても心をそこに集中し、気が散りません。その事だけを一途に思い、ほかの事は考えません。たとえ考えたとしても、別の部分で考えています。しかもまた、多くの化身に分かれて、同時に多くの仕事もできます。普通の人はこんなふうにはできません。もし、練習を重ねて習慣にしなかったならば、集中して物事を行えません。みなさんは集中によってできるのではなく、専門家であるからできるのです。専門と専心とは違います。専門はその職業だけができるのであって、しかもよくできるかどうかはわかりません。慣れてきて、やっとうまくできるようになるのです。
 私たち修行者は修行を重ねて高いレベルに達すれば、専門でなくても完璧にこなし、しかも専門家よりもうまくできます。それは心を智慧の所に集中するからです。だから何をしてもよくできるのです。違いはここにあります。それでどんな事でもできるのです。私たちは自分の智慧を得られれば、何でもできます。宇宙全体を照らしたり、全宇宙を造る事ができるのです。それでもまだ何かできない事があるでしょうか? 必要な事はすべてできるし、必要でない事はそのままにしておくのです。