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The Supreme Master Ching Hai の観音法門と東南アジアの中国人
2000年5月6日、The Supreme Master Ching Hai(以下SMCH)は招請により「宗教と世界の中国人」をテーマとしたシンポジウムの第4回目のセミナーに出席し、東南アジアにおける観音法門の発展について述べた。このセミナーは名高い国家学術研究機構である「中央研究院」で行われた。主催者は以下の通りである。中央研究院東南アジア区域研究プロジェクト、フォルモサ宗教学会、中央ラジオ局、中央研究院近代史研究所海外華人研究グループ、中華科際整合研究会。セミナーには多くの教授を始め、学術研究者、メディア関係者および各分野の精鋭たちが出席した。 SMCH、台湾大学教授阮芝生先生、ご出席の学術界および各界の学術に関心をお寄せくださっているみなさま、こんにちは。本日は、ここ中央研究院において宗教と学術、この二つの面を総合的に討議するというたいへん得がたい機会に恵まれました。 ありがとうございます。私も遠慮なしでいきたいと思います。お招きいただいた以上はダイレクトに話を進め、時間を守りたいと思います。私たちを信頼し、このような光栄な機会を与えてくださいましてありがとうございました。私は元々フォルモサは自分の家だと思っています。ですからこちらに帰って来るのは特別な事ではありません。長い間、海外で忙しかったので戻らなかったのです。 発端 では、活動についてお話しします。私たちは各国の各地方に、それぞれ連絡用のセンターがありますが、東南アジアには私たちの兄弟や姉妹が比較的多くいます。修行仲間の事です。私たちは「同修」と呼びます。つまり同じ修行法をしているという意味です。 東南アジアでの発展 こうして私たちは続けていきました。後にフォルモサにたくさんのセンターができて、みんなが自ら進んで連絡担当の係になってくれたので、たくさんの拠点ができたのです。その後各国で、特に東南アジアで拠点ができました。先ほど議長から、主に東南アジアについて話すよう言われましたので、他の国の事はさておいて、東南アジアについてお話ししたいと思います。私たちは多くの国々に――東南アジアやアジア各国に連絡拠点ができました。ますます多くの人に知れ渡り、連絡拠点もますます増えて、そしてますます大勢の人々から私に会いたいという要望が出てきたからです。私一人では多くの所に行かれませんので、彼らはビデオ撮影をしたり、テープに録音したりして広めましたらますます広まり、その後、さらに本まで印刷するようになりました。というのは来られない人がいますので、本を印刷する必要が生じたのです。その後、雑誌も発行するようになりました。こうして自然に発展してきたのです。 私たちのいわゆる連絡拠点は立派なものではありません。ほとんどがごく普通の建物で、プレハブのものもあります。決して立派というほどのものではありません。私たちは立派なお寺などは建てていません。そういう事はあまり重要視しないのです。しかし同修たちは、建物があまりにもみすぼらしいので、自分たちであちこちを修理したりして、少しはきれいに見えるようになりました。以前、私たちはみんなテントに住んでいました。陽明山には今でも私のテントがあり、たまに帰って来て時間がある場合は、そこに行って休んだりします。私たちは何かを建立しようとか、何かを建設しようという考えはありません。ただ場合によってそれらが自然にできるだけの事です。 マスターに教えていただきたいのですが、私たちの手元に、アソシエーションから提供していただいた資料があります。みなさんもマスターのお話を聞きながら20頁をご覧ください。そこにマレーシアに関する内容があります。マレーシアはほとんどの人がイスラム教徒ですが、あなたはどのように活動を展開し、あなたの方法を紹介したのですか? これは多くの人が成し遂げられなかった事です。どうぞ! 多くの中国人はわりあいに伝統的です。私たちの観音法門は宗教を問わず、頭にかぶるベールをおろす必要も、お寺に行って拝む必要もないものです。私たちがすでに申しましたように、この観音法門は自分の内在の神性、内にある自分の天国を見つける事ですので、誰がいかなる宗教を信仰していても全く関係ありません。私たちがメディテーションをする時、さまざまな宗教を持つ同修がいて、彼らはそれぞれ違った服装をしています。イスラム教徒はイスラム教の服を、仏教の僧侶は自分たちの僧服を着て来ます。僧侶もまたいろいろな国の人がいてさまざまな服を着ています。小乗仏教の僧や大乗仏教の僧もいれば、中国の僧や韓国の僧もいるのです。彼らはみなそれぞれ違った服を着ていますから、それこそ色とりどりです。みんなはもう慣れています。各自が内面に向けてメディテーションをするだけで、宗教の事については全く口にしません。そして自分の中で理解して、さらに良いイスラム教徒や仏教徒やクリスチャンになってゆくのです。みんな愛に満ち、幸せに満ちています。ですからこの外見、つまりいわゆる伝統は、私たちにとっては妨げになっていません。むろんマレーシアやその他のイスラム教国家では、先ほど議長がおっしゃったようにフォルモサのようには簡単にいきません。一定の制約があります。けれども政府が私たちに対して何かの制約をしたというわけではありません。政府もわりと開放的でした。イスラム教徒が自ら来たのであれば、何の問題もありません。私たちは家々を訪ね歩いてノックしたりなどはしませんでした。何もしていません。彼らは自ら来たのです。というのは講演に際し、私たちは「イスラム教徒は来ない方がよい」とはっきり記したからです。(笑い)
私は英語で講演しました。でも思い出させてくださってありがとうございます。私はその事をすっかり忘れていました。議長の話を聞くとまるで物語のようです。(マスター笑う) そうです。私たち近代史研究所の者は、みな物語を聞くのが大好きです。ですからぜひどうぞ聞かせてください。 そうですね。けれども、もうだいぶ前の事ですから。私は自分が話した事をすぐに忘れるタイプです。言い終わったらすぐに忘れます。もし昨日の講演で何を話したのですかと聞かれても、すっかり忘れてしまっています。けれども話の内容をちょっと見れば、少しは思い出せます。 ではマスターの話をみなさんによく聞いていただきたいと思います。 けっこうでしょう。当時、中国人は本当に気の毒でした。私はそこに着いて彼らの話を聞き、涙が出てきました。けれども良い事をすれば必ず善の報いがあるものです。徐々に、すべてが公正に手配されるのだと思います。みなさんもご存知のように、今では中国人はあそこでだいぶ楽になっています。これも神の手配です。ですから人に誤解されたり、いじめられたりする時は、中国人のあの忍耐力と寛容さを手本にしていれば、神はすべてを面倒見てくれるものであるとわかるでしょう。遅かれ早かれ、神は公正に取り計らってくれるのです。 では次に、タイでの状況についてお話しいただきましょう。みなさんは資料の21頁をご覧ください。1994年に、マスターはタイの宮殿でシリントン王妃とお会いになっていますが、当時の状況についていろいろご紹介いただけますか。 私たちが講演した後、王室の方々もそのニュースを知ったようです。私たちの修行仲間の誰かと知り合いのようで、私もどういう背景だったのかよくわかりません。誰かに招かれれば私はそこに行くだけです。ほとんどは私たちの同修が手配します。「マスター、明日誰々さんがどこそこにマスターをお招きして、何々をします」と言うと、時間があれば私は承諾します。当時、タイで何かの災害があって、私たちはいくらかの救援物資を寄贈しました。(議長:毛布とかセーターなどです)そうです、そうです。たくさん寄贈しました。その時だけではありません。おそらく、それで王室が私たちの貢献を認めて、会ってくださったのでしょう。たいへん光栄な事です。私たちはプレゼントを用意して殿下に渡しました。その後もう一度会いたいとおっしゃってくださり、手配するとの事でしたが、私は時間がありませんでしたので、お詫びしてお断りしました。当時私はちょうど他の事をしていました。タイの王室の方たちはとても謙虚で友好的です。妃殿下はとても純粋で、会った人はみな好きになるような方です。飾らない、ありのままの人で、あまりおしゃれもしていませんでした。国民にとても愛されていて、私も彼女がとても好きです。けれども、残念ながらもう一度お目にかかる時間はなかったのです。 みなさん、22頁をご覧ください。1992年のタイでの活動状況です。(SMCH:これはタイに関するもので、たくさんあります。タイに関するものは本当にたくさんあります)タイに関するものは多いですね。この資料によりますと、タイのチェンマイで世界菜食大会を行っています。タイにはどれぐらいのセンターがありますか? (SMCH:まあ、それはたくさんあります)チェンマイセンターについてご紹介いただきたいと思います。チェンマイとかチェンライ、バンコクあるいはその他にもセンターがあるのですか? あります、あります。ハチャイ、コンケン、バンコク・・・全部はっきりとは覚えていません。同修の方が知っています。私はただ行ったり来たりするだけで、たくさんは覚えていません。私は時々、仕事を大急ぎでこなしますので、毎日時間の事を覚えていないのです。今日も電話をしていて、今日は何日で、何時に何をするのか、今日日本に行くのか、あるいはフォルモサなのかと聞くわけです。時にはとても忙しいため、荷造りをして一人で行くのは大変です。かと言って大勢の人を連れて行くとたいへん目立ちますので、だいたいこっそり行くのが好きです。ただ仕事が多いため、時々忘れます。一番よく覚えているのはコンケン、ハチャイ、チェンマイ、バンコクです。まだありますが忘れました。そこにも修行仲間がたくさんいて、彼らはタイ語を話します。一部の人は中国語を話しますが、通訳もとても上手です。私が初めにそこに行った頃は、一部の中国人は中国語で話せませんでしたが、後に私の録音テープを聞いて中国語で話すようになりました。授業料をもらわなければなりませんね! タイの人たちはとても優しく、修行者をとても尊敬しています。修行している人にはひざまずいて、お花などを供養したりしますし、とても謙虚です。 はい。それでは次にシンガポールについて見てみましょう。1991年にすでにシンガポールで活動を展開していますが、その頃、シンガポールにはオゥラックの難民たちが確かにいたと思いますが。(SMCH:数百人いました)当時はどのような状況だったのでしょうか? 1991年4月ですが。 私はそこに行ったついでに難民に会いに行き、彼らに少しばかり必要な物を買ってあげただけです。講演の方が主な目的でしたから。当時大勢の人が来て会場は満員になり、歩く事もできず、たくさんの人たちが廊下や階段に座って聞きました。昨日、ここでも同じ状況になりました。昨日はもっと多く、本当に大勢の人が来ました。(注:5月5日の、フォルモサ桃園ドームでの講演を指す) その後はとても順調でした。シンガポール政府はとてもおおらかでしたし、シンガポール人の内在の精神性は非常に高く、私たちをすぐ受け入れてくれました。そしてとても清潔な国で、国民はみなよくルールを守っています。シンガポールではチューインガムを路上に吐き捨てると500ドルの罰金が科せられるそうです。彼らの修行も非常に安定していて、修行したいと思ったらすぐ修行し、教理も聞くとすぐにわかります。シンガポールの人たちは本当に智慧を発揮しています。私はとてもうれしく思いました。 彼らにわかってもらうための最も大事な方法は何ですか? 要領は何ですか? 私はただ思うままに話をするだけです。(笑い) しかし、私が思うままに言ってもわかってくれないと思います。 彼らは聡明なのです!(笑) では次にフィリピンについて教えていただきましょう。1991年4月にフィリピンのオゥラック難民を支援していますが、マスターはなぜベトナムをオゥラックと呼び換えているのですか? これが一つめの質問で、二つめの質問は、フィリピンではマスターに市の鍵を贈呈し、マニラ市の名誉市民になっていますが、彼らはなぜこういった事をしたのでしょうか? 私にもわかりません。私がフィリピンに着いた途端にそうなったのです。誰かが、私はどういう人で、ここに何をしに来たかなどと紹介したので、市長は私たちを招いてくれたのだと思います。そしてあの鍵をくださいました。あの時とてもきれいな鍵でしたので、記念にと思ってとっておきました。けれども、ドアは開けられません。(笑い) 初めて鍵をいただき、すごいと思いました。私は家もありません。その時私はテントで暮らしていました。いただいた鍵はとてもきれいに包装されていました。後にたくさんの鍵をいただきましたので、何とも感じなくなりました。それを一つひとつ並べて飾りものにしました。アメリカではいくつもの鍵をいただきました。もしあなたがお望みなら、一つ差しあげます。(笑い) これは現地の政府からの物でないと意味がないのですが、しかしマスターからの物なら受け取ってもいいですよ。(SMCH:分け合えばよいのです)わかりました。では次にオゥラックの部分を見てみましょう。たくさんお話しいただきたいと思います。マスターはオゥラック出身です。次の部分でオゥラックについて紹介したいと思っておりますので、どうぞ! あの時、私がフィリピンに行ったのは、オゥラック人の代わりにフィリピン政府に彼らを受け入れてくれるよう話し合いをするためでした。その後受け入れてくれました。残った5千人を全部受け入れてくれました。フィリピンの人たちはとても善良です。国はまだ貧しいものの、とてもおおらかでした。そこでおとといは彼らの所に行ってあいさつし、私たちの感謝の気持ちを表しました。オゥラックについてですが、昔はオゥラックと言っていたのです。楽しい方がいいではありませんか。オゥラックの方が彼らに好運をもたらしてくれると思います。私は響きのよい名前が好きです。私はデザイナーですから、きれいでおしゃれなものが好きです。ですから聞く場合も美しいものを求めます。台湾も、台湾とは言わないでフォルモサと呼び、私たちは書く時も全部これで通します。みなさんご覧になればわかると思います。私たちはみんなフォルモサと呼んでいて、台湾とは呼びません。たまには忘れますが。 オゥラックに戻りたいと思いますか? 水害で二百万人が被害を受けていますが、マスターはどれぐらいの金額をかけて彼らを救援したのですか? この資金はどこからきたのでしょうか? 実生活に必要な問題も非常に重要だと思いますので単刀直入に質問しました。 もうずいぶん時間がたって私も忘れてしまいました。言いたくないわけではありません。どれだけの国にどれぐらいの物資を送ったか覚えていません。誰か覚えている人はいませんか? 私はみんな忘れてしまいました。 私の言っている意味は、これらの資金は募金をしたものか、それとも・・・(SMCH:お金はどこから来たかという事ですね)お金はどこから来たのか、そうです。 まあ、銀行に行って引き出しました。(笑い) 仕方がありません。あんなに多くのお金を家に置いたら危ないですからね。(笑い) ほとんどは私たちが仕事をして得たもので、私は自分で洋服をデザインしたり、物をデザインします。当時は、私は衣服をデザインしていました。今はもっと高級な衣類をデザインしていますが。その時は小物をデザインしたり、帽子等を編んでバザーをやって売りました。私たち修行者は菜食をしている上、1日に1回か2回の食事をし、非常に簡素な生活をしています。着る物はその頃はまだ少なく、2、3枚しか持っていませんでした。それからテントに住んでいました。そこで稼いだお金がたくさん残り、それによって彼らを支援したわけです。同修の中には、救援物資を自ら被災地に持って行った人たちもいます。私たちは修行仲間から寄付を受け取る事はしません。もし寄付したければ、直接被災した国に持って行くようにします。フォルモサの同修もフィリピンや各国、各地に資金を援助しました。ですからフォルモサは、今はとても有名です。苦難を助ける所となっています。彼らはみなフォルモサの団体と呼んでいます。 この部分についてはThe Supreme Master Ching Hai インターナショナルアソシエーション(以下SMCH I.A.)のみなさんに補足説明をしていただきたいと思います。この資金はどこから来たのか、どのように募金し、使ったのか、これはとても重要な問題です。次の総合ディスカッションの時、私の方からまたこの問題を提起したいと思います。ここにアソシエーションの主だった責任者が出席していると思います。貴重な時間ですので、次はカンボジアに移りたいと思います。カンボジアの様子はどうだったのですか? カンボジアはその時、全国が知るようになりましたね。フォルモサのみなさんも貢献しています。私たちの団体だけではありません。一人が少しずつお米を提供して、全部合わせるとたいへんな量になったのでそれを送りました。たくさん送りましたが、私はもう忘れました。本当です。やり終えたら忘れてしまいます。6千トンだったでしょうか。新聞に書かれています。それを送りました。その頃、カンボジアは長い間災難続きで人々は飢餓状態にあり、お米を作る事もできませんでした。今は問題ありません。彼らは私たちが贈ったお米を少し残し、それを種にして植えました。カンボジアの首相が私に「ご報告します。私たちはみなさんのお米をたくさん植える事ができました。今はもっと多くのお米がとれるようになりました」と言ってきました。ですから私たちはその時の災害だけを支援するのではなく、後々まで支援し、子供たちやお年寄りたちも十分食べられるようにしたのです。彼らは非常に私たちに感謝してくれています。フォルモサの修行仲間もそれ以外の人たちも一緒になって援助した事に対し、感謝しています。 最後の質問になりますが、カンボジアに関する事です。資料に1996年第六項目にリトリートについて書かれていますが、リトリートとは何なのかを説明していただけますか。簡単に紹介してください。 私たちは毎年少し時間をさいて、静かに座って自分を振り返ります。神は心にあります。私たちが心でそれを知るためです。リトリートとはこういう事です。すべてを置いて3〜5日、あるいは7日間、状況に応じて決めますが、メディテーションをします。すべては神性のために、あるいは内在の神のために集中するのです。これをリトリートと言います。毎年ありますが、いろいろな国で行います。最近はタイで行いました。数日後に韓国でも行います。私たちがこのようにするのは自分のためであり、世界平和のためです。みんなが心を合わせると力も大きくなり、祈りやすいのです。リトリートというのはそういう事です。 もう35分が経過しました。前半は、このように東南アジアの中国人について簡単に私の方から質問を提供し、マスターに説明をしていただきました。後半は、台湾大学の阮芝生教授に評論をお願いいたしましょう。(拍手) 学識者による評論 本日はSMCH自らこの会場においでいただき、私もみなさんと同様に、たいへん気合いが入っています。主催者側を始め、多くの人はマスターが本当に来てくださるとは予想できなかったと思います。今日のテーマは「SMCHの観音法門と東南アジアの中国人」ですが、次に私が話す主な内容は、私たちの手元に配られた論文に沿って進めたいと思います。テーマは2つの部分に分かれていますが、その中の東南アジアの部分についてはこの会場に多くの専門家がいらっしゃいます。議長の朱さんは海外の中国人を研究しておられます。特にインドネシアの華僑や宗教についての著作もあります。その他台湾宗教学会や東南アジア研究企画所の研究者のみなさんも、私以上にこの問題に詳しいと思いますので、私がこれからお話しする内容は、主に論文の中の、SMCHの観音法門の部分についてふれたいと思います。 宗教はもともとみな観音法門から来たものである 観音法門は宗教ではありません。けれどもすべての宗教は観音法門から来たものです。この世界にはすでにたくさんの宗教がありますので、私はもう一つの宗教を作りたくはありません。最初から考えた事もありません。そうしようと思ったら、とっくにしたはずです。教主と言えばちょっと響きが良いですからね。(笑い) 観音法門を修行するというのは私たちの本来の姿に戻るという事です。しかし一般の宗教は、みな古代の人々の体験を言っているだけです。例えばイエス・キリストは修行してどのような能力があって、どんな神通力があったとか、そして神と一緒にいるとか、彼の弟子たちが修行してどういう能力を備えたとか、神と一緒になれたなどです。あるいは、釈迦はこれを修行した結果、何々を得たとか、そして成就したので釈迦の弟子もこれを修行して成就したなどなどです。私たちの観音法門も、人々に彼らと同じ道を歩ませています。ですからすべての宗教は、元々みな観音法門の修行から来たものなのです。イエス・キリストがこの世に来たためにキリスト教と呼び、釈迦が来たので仏教と呼ぶようになったのです。こうして多くの宗教を生み出してしまいました。お願いですから、私が死んだ後にChing Hai教と呼ばないでください。(笑い) そうですね。社会の人々と宗教研究者たちは、みなさんの団体を観音法門あるいはChing Hai教団と呼んでいますが、あなたはChing Hai教団という呼び名を受け入れますか? むろんみなさんにはどんな呼び方もする権利があります。ただし私たちは非常にシンプルに考えていて、自分で自分を認識するだけの事です。ですから私たちはもう1つの他の宗教を作って社会に影響を与え、もっと多くの宗教紛争になるのを恐れています。私たちは自分の神性を認識するだけで、自分の内面の最もよい性質を認識するだけの事です。ですから何も名札をかけておく必要はないのです。実際に私たちはそう思っています。けれどもみなさんがChing Hai教と呼ぶのはかまいません。私たちは自分の名刺にそれを書いたりはしませんが。 第2の質問は先程の事と関連するものです。あなたは以前、自分はどんな宗教にも属さないとおっしゃっていますが(SMCH:そうです)観音法門とその他の宗教とはどんな関係がありますか? 先程の質問への回答で、すでにお答えになったかもしれませんが、さらに深くご説明をいただきたいと思います。 もう少しつけ加える事もできます。先程も言いましたように、本来宗教は存在していなかったのです。例えば、釈迦がこの世に来る前には仏教はありませんでしたし、イエス・キリストが来る前にもキリスト教はなく、ムハンマド(モハメッド)が来る前は、回教は存在しませんでした。つまりすべてのいわゆる悟りを開いた人は、神の意志によりこの解脱の方法を伝授し、すでに「家」に帰る用意ができた人に伝えるのです。後になって、彼らのマスターや信徒が亡くなると、後世の人たちは彼らの師と弟子たちが何を教えていたかがほとんどわからず、引き続き教え伝える事ができなくなったわけです。そこで偶像を崇拝し、言葉による、いわゆる教理を崇拝するようになったので、「以心伝心」によるパワーはありません。こうして1つの宗教ができるのです。観音法門は元々最も古い「家」に帰る唯一の方法です。家に帰る道はたった1つしかないのです。そういう事です。 わかりました。第3の質問です。フォルモサにも海外にも、観音法門と称する名前があり、伝授する事もありますが、あなたが伝授する観音法門とは特に違った点はあるのでしょうか? というのは今日のテーマは「SMCHの観音法門」ですので。 まあ、これは彼らがそう称しているのです。観音法門とは私たちが自性を顧みる事です。つまり内在の音流を観る事です。この音流が本性であり、神性です。ですから他の団体でこれと同じものを教えるとしたらそれも「観音法門」と言えます。もしくは、彼らは別の名を使っているかもしれません。「音流」とか「神の内在の音」とか「THE WORD」と呼ぶかもしれません。もし私たちに内在の神性を聞き(あるいは内在の天国とも呼ぶ)、内在の光を見せてくれるなら、同じ方法である事を示しています。 ありがとうございます。先程の第2の質問は、団体組織に関するものです。私たちの知る限り、古くからのカトリックにしても、新興の一貫道にしても、例えばカトリックはローマ教皇から宣教師の間に、枢機卿、大司教、司教、司祭があり、一貫道にも師尊、師母、道長、点伝師、壇主、引保師など、みな巨大な教会、教団組織があり、厳密な階級や肩書きがあります。ですから動員する際は能率が高くて速いのです。しかし官僚体制に似かよった行政システムが成り立ちやすい事もあります。これは私たちが一般的に知っている情況です。そして観音法門の門徒は、今は全世界にいて、実際の人数は私はよく知りませんが、少なくとも数十万人はいると思います。その数字はよくわかりませんが、今後さらに増えてゆくと思います。観音法門の団体を観察する時、論文資料を見た限りでは、マスターとあなたの弟子たちの間には「観音使者」という、比較的正式な名称の存在があるだけです。これを見ると、目下の観音法門は厳密な組織を持つ団体ではないようです。このようにあまり厳密でない組織が有効に門徒を動員して大規模な普及教育活動を行う事はできるのでしょうか? 特に長い間持続できますでしょうか? 現在見たところではできるようです。というのは、毎回集会を催す規模は非常に大きいからです。これは主に指導者本人の魅力からだと思います。しかし、これで長続きできるのでしょうか? マスターにお尋ねしますが、この問題についてどう思われますか。あるいは何かご感想はおありでしょうか? ありがとうございます。あなたの質問ははっきりしていますね。(笑い) 隙がありません。たぶん悟りを開いた方なのでしょう。私たちは組織とか、あなたがおっしゃった、いわゆる官僚的な地位は信じていません。観音使者というのも便宜的にこう言っているだけで、人々に、彼らが観音法門を言葉で伝えるられるのだという事をわかってもらうための名称です。ただし、内面の、本当のメッセージの伝達は、静かな、言葉を発さない中で行い、神から内面に対して心で伝えます。観音使者が伝えるものではありません。観音使者は、彼らに説明してもらうというだけの事です。ですから「使者」と呼ぶのです。私たちはたくさんの、しかもりっぱな名称は好んでおりません。私一人が「Supreme Master」、つまり最高の師という名称に耐えるだけで十分です。みんなが外で非難されずにすみます。私たちは謙虚になるよう強調し、自分で修行し、外面的な何かの地位を求めているわけではありません。ですから私たちの団体では、仕事をする人は多くても名前を書き記しているものはあまり見当たりません。誰々さんが何をした、などとは書きません。例えばスタッフの中でも撮影グループはたくさんの仕事をしていますが、自分の名前は書き残していません。大勢の人がサンプル本や書籍を作っていますが、誰が印刷したかなどと書き記していません。時々、国によっては名前を表記しなければならないという法律があって、それで書き記す場合はあります。このように、なるべくみんなに知られないようにするのです。人に知ってもらったので、公開せざるを得なくなったのです。地位といったもののためにやっているのではありません。みんなは自分の内面の偉大さをよく知っているので話す必要もないのです。 そこでプレッシャーはマスター一人で耐えていればいいというわけですね。 この方が良いのです。みんなが自由でいられますから。 私の質問はこれで終わります。朱教授。 すばらしかったです。阮教授のすばらしい評論と質問に感謝します。そしてマスターの奥の深いお答え、ありがとうございました。次は会議のスケジュールを少し調整したいと思います。会場のみなさんの中にも、きっと大変興味を持たれ、マスターにいろいろな見解を伺ったり質問をしたい方がおいでかと思います。コメンテーターへの質問もよろしいかと思います。次にみなさんにこの場を開放し、質問していただきます。はい、そちらの女性! さっきの議長の質問について、引き続き伺いたいと思います。つまり、SMCHは、自分は供養を受けないと強調していますが、彼女は世界各地であれだけの善行をされていて、それは決して少しばかりの資金でできるわけではありません。先程、自分は帽子を編んだり洋服をデザインしているとおっしゃいましたが、それは弟子に向けて売っているのですか? それとも一般の人に売っているのでしょうか? その売り上げであんなにたくさんの難民を助ける事ができるのでしょうか? あるいはアメリカの水害や東南アジア各地の天災や人的災難にあった人を支援する事ができますか? これらの資金源について、もっと説明していただけませんでしょうか? 私本人は、提供されたものを受けとる事はしません。しかし、被災民が現れた場合、弟子が直接難民に届けるとしたら私たちの物と一緒にして、一つにして送ります。弟子たちも貢献しています。みんなが一緒にやっています。 次へ |
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