2006年10月30日
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10月最後の日曜日、鈴鹿山系・入道が岳へ行ってきました。恒例の洛中シンポジウム、山組の下見登山です。悪丸君は本番の日は芝刈りでゴルフに行きますので、いつも下見に参加しています。入道が岳は標高906mということでまあ、少しは楽かなと甘い気持ちで出かけました。実際はハイキング気分ではとても行けないきつい山でした。アップアップしながら何とか行けたというところでした。 |
| 朝、6:15、自宅を出発、集合場所のJR山科駅まで足慣らしに歩く。途中のコンビニで弁当を買い込みリュックを背負って朝の歩道を歩く。30分くらいで山科駅に到着する。ここから出発するのは4名です。某氏の車で7:05に出発する。一号線をひたすら亀山へ向かう。 鈴鹿峠を越え、亀山を過ぎて国道306号線で菰野町方面に走る。途中、椿大神社の方へと左折し、椿大神社の駐車場へ到着したのが8:45くらいだった。 ここで残りの二名と合流する。 |
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椿大神社はけっこう有名らしく、駐車場もたくさんあり、広い神社でした。椿大神社には、樹齢数百年のヒノキやスギの巨木が茂り、「伊勢の一の宮」として知られている。ここは帰りに散策しよう。 9:10ころ、出発する。前方の入道が岳と思しきあたりはガスがかすんでいる。晴れたらいいがと祈る。スタート地点の標高は191m。登山口がどこかわからなくしばしウロウロする。椿大神社の入口の看板を見て歩く。本殿脇から椿大社の脇を通る道路へ入りしばらく舗装道路を歩く。まもなく愛宕社の鳥居が見えた。ここが9:19。ここから登るのが北尾根コース。今日はこのコースです。 いきなり石段が続く。何段あるのだろう。数えなかったがおそらく数百段はあろうという急な石段がいきなり続く。歩きはじめにはきつい石段だ。周囲は献木した椿の木がいっぱいある。あえぎながら愛宕社へたどり着いた。 9:27だ。実は帰りにわかったのだがこの石段の脇に登山道があったのだ。 |
| 椿大神社 | 愛宕社鳥居 | 登山口 | 石段 | 愛宕社 |
| クマザサ | アセビ | ポイント8 | 御在所岳 | バッタのお迎え | 可憐なリンドウ |
| ちょうど12:00。やったぜという感じ。頂上は入道が岳の名にふさわしく入道の頭のようだ。かなり広い。三角点には906mとある。近くには登頂記念のプレートがたくさんあった。視界は360度。すばらしい。こんなに視界が開け、広い山頂は初めてだ。登ってきた北尾根の稜線が見える。あんな道を登ってきたのか。御在所岳、釜が岳、その他宮指路岳や釈迦岳まで見える。はるか先には伊勢湾も見える。天気がいいとセントレア中部国際空港まで見えるらしい。ここで昼食、すきっ腹には何でも美味しい。暑くもなく寒くもなく心地いい。このまま昼寝したらきっといい気持ちだろうと思う。頂上には鹿の糞もあちこちに散乱。こんなところを走り回ってるんだ。 |
| 北の頭 | 三角点 | 鳥居 | 頂上 | 眺望 |
| 椿大神社 社殿創始は神話に伝える「天照大神」「猿田彦大神」の時代であります。 天孫(てんそん)「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」が降臨の際、猿田彦大神は、天の八衢に「道別(ちわき)の神 」として出迎え、風貌雄大、超絶した神威を以って恙なく天孫を高千穂の峰に御先導申し上げ、肇国の礎(いしずえ)を成したこの大神を、後に倭姫命(やまとひめのみこと)の御神託により、磯津(いそづ)(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓に「椿(ちわき)の大神の社(おおかみのやしろ)」として奉斎することになったのは、天神(あまつかみ)と地祇(くにつかみ)の幽契(ゆうけい、すなはち霊通による約束)であって、日本の国家肇国の発祥を物語る重要な意味があります。 この北伊勢高山短山の麓に地祇・猿田彦大神を主神として祀る椿大神社があり、南方はるか二十四里の所に天神を祀る伊勢の神宮がありますのは誠に神慮によるものと言うべきでしょう。 昭和初期、内務省神社局の調査によって、全国二千五百社に及ぶ猿田彦大神を祀る神社の総本宮であることが再確認され、「猿田彦大本宮」(地祇大本宮)と尊称するようになりました。 |
| 馬酔木 (あせび) 枝葉に「アセボチン」という有毒成分を含んでいる。馬が食べると酔って足がなえること から「足癈(あしじひ)」と呼ばれ、しだいに変化して「あしび」そして「あせび」となった。 漢字の「馬酔木」もその由来による。また、このことから、葉を煎じたものは殺虫剤としても使われている。 |
| 猿田彦神 猿田彦神は、多くの神々のなかでも最高にユニークな部類に入る神である。何がユニークかといえば、まずその容貌についての印象が実にはっきりしていて、しかも非常に特異であるということだ。日本神話に登場する神々で、この神ほど詳しく顔つきが説明されている例はほかにない。 そうした異形の猿田彦神が活躍するのは、天孫降臨の場面である。詳しくはそちらの項を参照していただこう。とにかく、役目を果たした猿田彦神は、このあと故郷の伊勢国(三重県)へ帰る。このときに彼を送ってきたのが天鈿女神で、彼らはのちに結婚して伊勢国の五十鈴川のほとりに住んだとされている。この天鈿女神との結びつきが、本来導きの神である猿田彦神の性格に複雑な要素を加えている。というのは、天鈿女神は邇邇芸命に命じられ、猿田彦神の名を取って猿女君(サルメノキミ)を名乗る(猿女氏の遠祖)のである。猿女とは”戯る女(サルメ)”とも解され、神事芸能に関する役割を意味するという説もある。これに従えば、猿田彦神は芸能ごとにも深く関係していることになる。 |
| 天鈿女神 日本神話において実に有名な神である。天岩戸事件の時だ。天岩戸に隠れてしまった天照大神を呼び戻すために、決定的な役割としての舞を舞ったのがこの神である。 最後の手段である。宴もたけなわとなったとき、天鈿女神が舞台の上に躍り出て、舞を舞い始める。手には男性器をかたどった日矛(ヒボコ)を持ち、見事なステップで空桶を踏み鳴らし、集まった神々をその踊りの世界へと誘ってゆく。やがて会場のボルテージが上がってくると、天鈿女神は胸をはだけて乳房を露出し、さらには腰の紐をほどいて衣を下げ、女陰をあらわにした。美女のストリップである。神々といえどもほとんどが男、この踊りを見て黙っていられるわけがない。会場は大きな歓声と笑いで満ちあふれ、楽しくにぎやかな様子は最高潮に達した。 洞窟の中でこの歓声を聞いていた天照大神も、実は外の様子が気になって仕方がない。ひときわ大きな笑いが聞こえたとき、思わず入り口の大岩を少しずらして外を覗いてしまった。これがまさに、思兼神が画策した瞬間である。彼の命を受けて待ちかまえていた天手力男神が、大岩を力任せに引き開け、天照大神の手を取って引っぱり出した。そして天太玉神が、すかさず洞窟の入口に注連縄(シメナワ)を張って境界を設け、「二度と再びこの中にはいることがありませんように」と大神に願った。さらに、天照大神が承諾すると、天手力男神が天岩戸を山ごと持ち上げ、下界へ向かって放り投げたという。この山は今の長野県あたりに落ち、戸隠山と名付けられて信仰され、今でも神社が残っている。 このようにして、世界は光を取り戻し、あらゆる生き物はまた息を吹き返したという。 |
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