
上越市東本町1丁目 高野商店 2004年11月3日 14:00より
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挨拶する 高野 恒男氏(写真上左) 講演する 久保埜 佐吉氏(写真上右)
高野商店は明治32年9月創業。太物を商う。太物とは、麻織物、綿織物のこと。火災
に遭うことがなかったので、建物は 105年経っているという。現在は廃業している。家の
中を整理していたら、麻糸、麻織物などが出てきたため、麻文化を継承しようと昭和30年
代まで、麻を栽培していた西頸城を尋ね歩いたが、だれも知らないという。そこで、名立町
教育委員会に照会したところ、名立町上瀬戸で昭和30年代まで麻の栽培をしていた
久保埜 佐吉(80)、マサ(73)夫妻を紹介され、今回の「麻文化」の講演会にこぎ着けた。
(高野 恒男氏)
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麻を績む。糸車で縒りをかける。実演は 久保埜 マサ氏。麻を績んだいとを入れる入れ物
は「おぼけ」と呼ばれる。
麻製の布は、正倉院にもあるし、日本の麻の栽培の起源は有史以前までさかのぼると
言われている。律令体制下では麻、麻布は重要な租税であった。
上杉 謙信公は苧麻の栽培の奨励を行った。その利益は佐渡の金と並んで上杉軍の軍
資金になった。といわれる。越後上布、おぢや縮など、麻織物も盛んである。上杉家は会津
に転封になり、麻の栽培は、会津に持って行かれ、後に米沢に移った。越後で麻の栽培は
魚沼地方に少し残った。
明治以降大麻の栽培が盛んになる。明治20年代から衰退するが、昭和に入って軍用品
として再び大麻の栽培が盛んになるが、昭和30年代以降大麻の栽培は行われなくなった。
大麻の栽培が衰退したのは、大麻は麻薬といわれ、進駐軍により禁制となり、栽培には
県知事の許可がいること。綿製品が入ってきたこと。マニラ麻が入ってきたこと等々による。
大麻製品には、麻織物、蚊帳、下駄の鼻緒の芯、畳表の経糸、漁網などがある。
(久保埜 佐吉氏、高野 恒男氏の話に、サイト管理人の見解も少し付け加えました)
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携帯用のチゲ (計量器) 麻栽培農家を 回り、携帯用の チゲで目方を 計り、買い入れ ていたという。 |
![]() 写真上 麻糸 写真右 麻の葉紋、正六角形を基にして麻の 葉をかたどっている。連続しているの を「麻の葉繋ぎ」とよぶ。 千代紙の図柄にも使われている。 |
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![]() 麻織物 |
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お聴きの曲(midiファイル)はヤマハ(株)から提供されたものです。
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