上越市ふるさとアピール年間キックオフ事業 2007年1月27日

 甲斐・信濃・越後 三国物語シンポジウム

   主催 上越市 共催 NHK新潟放送局  会場 直江津 ホテルセンチュリーイカヤ

  上越市ふるさとアピール年間について 上越市長 木浦 正幸

    NHK大河ドラマ「風林火山」は、武田信玄公のライバル上杉謙信公も登場すること。
   越後に流された親鸞聖人が五智の居多ヶ浜に上陸して今年は800年になること。これを
   機会にに、上越市をアピールして、知名度を上げたい。と話された。

  記念講演 「戦国名将の武士道 ー上杉謙信と武田信玄ー」 

    講師 歴史小説家 火坂 雅志氏

 講演する 火坂 雅志氏

   上杉家の家老
  直江 兼続を描いた
  小説「天地人」で知られる。

   謙信公と信玄公について
  1時間にわたって講演
  された。


   HNK大河ドラマ「風林火山」は、井上 靖氏の名作であり、武田信玄公の軍師 山本勘助
  を主人公にしている。軍師とは、戦国大名に知恵を授けるブレーンであり、戦国大名は、
  それぞれ、軍師を抱えていた。
   川中島合戦は5回行われ、4回目が激戦で、川中島合戦といえばこれを指す。この時
  上杉軍は妻女山に、武田軍は海津城に陣した。10日あまりにらみ合った後、信玄公は
  山本勘助の啄木戦法を採用。山本勘助は、敵を翻弄する戦法を得意としていた。啄木戦法
  は武田軍の1隊が妻女山の裏から、上杉軍を追い出し、山から下りてきた上杉軍を八幡原
  で待ち構えていた本隊とで挟み撃ちにする作戦であった。しかし、謙信公は、海津城から
  盛んに上がる炊煙で、武田軍の夜襲を察知、先に妻女山を下りて、川中島へ移動。前半は
  上杉軍の勝ち、後半は、妻女山を下りてきた武田軍の別働隊により、上杉軍の負け。この
  戦で山本勘助は戦死する。啄木戦法が失敗したことの責任を取ることと、お屋形さまを護る
  ため上杉軍に突入したためと言われる。
   戦国時代は、過酷な時代で、農民でも身を守るため刀を差して農作業していた。謀略、
  裏切りは当たり前の時代であった。謙信公はそれをしなかった、義を守る、信義を重んじる
  美学に基づいた生き方で、戦国時代の変わり者だった。経済を充実させた。当時の流通の
  主力は船で、日本海が主な交通路で、越後上布、米などを運んでいた。軍事行動に経済の
  裏打ちがあった。謙信公は、義と経済を両立させた名将である。

   武田信玄公は、6分、7分の勝ちで上出来という。勝ちすぎると勝ちに奢り、慢心するから
  である。足りない3分、4分の反省、考えを高める努力をする。無敗の武将といわれた。若い
  頃は、村上義清に2度も大敗している。信玄公は、何で負けたか考える。当時の武田の武将
  は個人プレーで、チームプレーに欠けていたため、策に長けた義清の誘いに乗り、深追い
  して義清軍に囲まれて多くの武将が討ち取られてしまった。そこから、武田騎馬軍団の組織
  作りをする。のろし、カネで、通信網、情報網を整備。棒道の軍用道路、今でいう高速道路網
  の整備。このようにして、欠点を乗り越えた。武田軍の経済は、金山開発。

   よく聞かれるのが、謙信公が織田信長公と戦ったらどちらが勝つかと言うこと。実は両者は
  戦っている。織田軍が加賀に侵入すると、謙信公は能登の七尾城を落とし、織田軍北陸方面
  軍の柴田勝家麾下の織田軍を手取川で敗走させた。織田信長公は、実力主義で、
  木下藤吉郎秀吉が草履取りでも、取り立て、俊才・明智光秀を見いだした。織田軍は、方面
  軍制を敷き、お互いに競わせたから、みんな仲が悪かった。手取川の戦いでも、羽柴秀吉が
  柴田勝家に無断で戦線離脱した。

   一方信玄公は、上洛を決意、徳川家康のいる浜松城を素通りしたため、家康は、あわてた。
  三方原に布陣したが、信玄公の術中にはまり大敗した。しかし、信玄公は尾張で病死。謙信
  公は、上洛直前に病死。

   織田信長公は、強い相手とは戦わない。相手が弱るのを待つ。上杉謙信公を恐れ、洛中
  洛外図(上杉本(米沢市上杉博物館所蔵)六曲一双 国宝)国宝級の屏風を贈り機嫌を取って
  いる。また鉄砲など新しいものを取り入れる。戦略家ではあるが、名将とはいえない。伊勢
  長島
叡山を焼き討ちし、老若男女を焼き殺している。谷の奥に隠れた者まで探し出して
  皆殺しにしている。独裁者であり、彼の部下は、信長公の前では這い蹲っていた。驕慢から
  慢心し、本能寺で明智光秀に討たれてしまう。
   信長公は改革派。関白秀吉殿下は信長公のように相手を全滅させることはしない。取り込ん
  でしまう。毛利、上杉、前田、徳川と連立政権を作った。安定と繁栄の時代。秀吉殿下は、徳川
  家康公を恐れていた。また大陸進出の拡大主義に走った。これは、信長公が考えていたもので
  ある。

   徳川家康公は、法治国家を造り、大陸進出を止め、内政重視の政策をとる。徳川幕府を開き、
  大老、老中などの組織作り。甲州から工人を呼んで金貨造り。これらすべて、武田信玄公から
  学んだ。また、上杉家を残す。つぶすことは天下のためにならないと考え、会津120万石から
  米沢30万石へ転封。信長公から秀吉殿下へは政権委譲だったが、秀吉公から家康公へは
  政権交代である。

   上杉謙信公は先駆者であった。信玄公は、勝頼公に、何かあったら上杉謙信を頼れ、あの
  男は信頼できる男だ。といったと伝えられている。

   注 以上は、1時間にわたった火坂 雅志氏の講演内容を記したものです。録音ではなく、
     メモから起こしたため、不備があるのはお許し願いたい。「公」「殿下」の尊称は、管理者が
     用いました。文責は管理者にあります。以下、同じです。

  NHK大河ドラマ「風林火山」について

   NHK番組制作局チーフ・プロデューサー 若泉 久朗氏

 講演する 若泉 久朗氏

   NHK大河ドラマ「風林火山」の撮影について
  30分話された。

 


    風林火山のテーマは「生きることは愛することだ」。謙信公、信玄公にはロマンを感じた。
   中世最後の武将で、織田以後は近世の武将。川中島を見てきたが、妻女山海津城
   1キロも離れていないので驚いた。

    1番多い問い合わせは、武田信玄公といえば上杉謙信公。いつから謙信公が出てくる
   のか。というもの、現在では、謙信公はまだ6歳であり、中盤から出てきますので、もう
   少し待ってもらいたい。上杉謙信公は途中から出てくるので、インパクトが必要で配役に
   悩んだが、ある公演で、Gackt(ガクト)さんが乗馬姿で出てきたのを見て、これだと思い
   ダメ元で交渉した結果引き受けていただいた。

    撮影では、時代考証は忠実にと心がけているが、許される範囲で、多少の演出はして
   いる。主人公の山本勘助については分からないことが多い。視聴者からいろいろな説を
   いただくが、ドラマの後で、こうしたことを放送したい。

    難しいのは、宇佐美 定満の扱い。上杉軍の軍師といわれるが、山本勘助同様、人物が
   よく分かっていない。しかし、武田軍の軍師、山本勘助を主人公にする以上、ドラマに
   出さないわけにはいかない。

    富士山の写真は現在は風景が違っているのであの写真は合成で、富士山自体も時代
   に合わせて修正している。視聴者はよく見ていて、山中湖からの富士山の場面で、あれ
   は本栖湖からの富士山だと言われた。よく聞くと、この方は、富士山撮影のベテランで
   富士山のことはよく知っている方だった。

    注 大河ドラマは、時代劇だけに時代考証、風景など、難しいところがありますね。この
      制作態度はNHKならではでしょう。

  パネルディスカッション

   甲府市、北杜市、長野市、上越市の4氏のパネリストにより行われました。

 左から、甲府市、北杜市、長野市
      上越市のパネリスト。

   NHK大河ドラマ「風林火山」
  の放映をどう生かすかなどに
  ついて60分話されました。


  甲府市  風林火山ブームを巻き起こす。前回の大河ドラマではブームは一過性だったが、
        箱物だけでなく、心を動かす取り組みをする。風林火山博(平成19年1月20日
        (土)から平成20年1月20日(日)、入場料金 大人個人 600円。団体 500円
        小・中学生 個人 300円。団体 250円。小学生未満無料。
        http://www.fu-rin-ka-zan.jp )を開催、山梨の魅力を全国に発信。歴史を知って
        もらう、山梨を愛する心で、歴史ブランド・山梨を全国に。

  北杜市(平成の合併で、明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川村、
       小渕沢町が合併してできた新市、上越市と合併した旧柿崎町と北杜市の旧須玉町
       が姉妹町であったため、現在 上越市と北杜市は姉妹都市となっている)

        北杜市は馬の町。NHK大河ドラマのロケ地。武田家祖先の地。「風林火山」のロケ
       に使われてる「風林火山館」(ロケのあるときには見学不可)には、これまで7万人が
       訪れている。

        取組 勘助の墓が北杜市にある。棒道、寺。ふるさとを知ることは愛することである。

  長野市  NHK大河ドラマ「天と地」の時に、川中島・八幡原に、謙信公信玄公の一騎打ちの
       像を建てた。今年は、八幡原で、川中島の戦いのシアターを作る。妻女山に上杉軍
       の旗を、海津城には武田軍の旗を立てる。
        善光寺は11回火事に遭っている。今年は再建300年。特別企画「長野灯明まつり」
       (2007年2月10日(土)から2月18日(日)PM6:00〜PM9:00
       http://www.nagano-toumyou.com )を開催。

  上越市  謙信公祭、親鸞聖人800年。浄興寺川中島の戦いで火災に遭い、上杉謙信公
       の誘いで、上越へ。長野市との縁の深さを感じる。おもてなしステッカーを作る。地域間
       競争を勝ち抜かねばならない。上越米をブランドとして売り出したい。

  甲府市  山梨は言葉は汚いと言われるが、家族のように客を迎える。方言丸出しで、
       ボランティアが観光案内したい。おもてなしステッカーはすでに作って、私は今つけている。
       地域間競争だけでなく、新潟の酒、甲州のワインをセットにして売り出す手もある。

  長野市  観光の広域化、エリアとして展開する必要がある。善光寺ご開帳、集客プロモーション
       で、観光客が増えた。都市間競争から、甲信越同盟にしていく必要がある。

  甲府市  信玄公は、「人は城、人は石垣、人は堀」といった。人が大事だ。

 最後に握手する出席者。

 


 
 会場に展示された甲冑
  左 上杉謙信公甲冑
  上 武田信玄公甲冑



  お聴きの曲(midiファイル)はヤマハ(株)から提供されたものです。

 

 

 

         

 

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