
蓮如(れんにょ)上人が苦心の末築いたや山科本願寺。
今も上人が眠る故地にゆかりの史跡を訪ねます。

■蓮如上人の御指図の井戸 (音羽乙出町)
音羽の里は水が出なかったが、蓮如の指図によって掘ったところ、
こんこんと水が涌き出たとの伝説があります。
■山科本願寺南殿跡(光照寺) (音羽伊勢宿町34 581‐1654)
現在の光照寺の一帯は、蓮如の隠居所である
山科本願寺南殿の跡といわれています。
■大津皇子・粟津王墓 (若宮八幡宮 音羽森廻り町36 581‐1493)
大津皇子・粟津王の墓と伝えられる高さ約2メートルの塔。若宮八幡宮の境内にあります。
■皇塚(おうづか)
奈良街道の西側にある円墳跡。一説には桓武天皇陵ともいわれています。
■蓮如上人廟所(びょうしょ)
蓮如は1499年3月、山科で85才の生涯を閉じられました。
廟所の近くには、山科本願寺の土居の一部も残っています。
■西宗寺(さいしゅうじ)
蓮如に山科本願寺の土地を寄進した海老名五郎左衛門が創建したと伝えられる浄土眞宗本願寺派の寺です。
■三之宮神社
中臣鎌足の陶原の館跡とも伝えられる地に建てられた神社。
後小松天皇が奉納した大般若経六百巻が伝わっています。
山科本願寺の半世紀
浄土真宗中興の祖である蓮如は、北陸など各地で布教活動を行ったのち、
1478年に山科・西野の土地を寄進され、本願寺の再興を図りました。
その後1480年に御影堂、翌81年には阿弥陀堂が竣工。さらに、寺の周囲、南北1.5キロメートル、
東西1キロメートルの範囲に土居と濠をめぐらせて城郭をつくり、広大な山科本願寺・寺内町を形成しました。
応仁の乱で京の街がことごとく焼け野原になったあとだけに、その隆盛は当時の人々に強い印象を与えたことでしょう。
蓮如の死後、跡を継いだ蓮如の子・実如(じつにょ)はその繁栄を維持したのですが、実如の孫にあたる證如(しょうにょ)の代になって細川晴元、法華宗徒らと争った結果、1532年、ついに山科本願寺は焼き払われ、53年間の短い歴史を終えました。
中央公園やその南に土居や濠の一部が残り、山科本願寺の名残を見ることができます。なお江戸時代、そのゆかりの地に東・西本願寺の別院が建立されました。
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