#01 

 ホン・サンス/恋愛についての4つの考察

 (2013/01/14)

 

 「よく知りもしないくせに」

  Like You Know It All

 「ハハハ」

  Hahaha

 「教授とわたし、そして映画」

  Oki's Movie

 「次の朝は他人」

  The Day He Arrives


 今は一段落したものの、一時期の韓国映画ブームは確かに凄かった。

 ただ…世間的には凄かったけど、逆に僕としては少々腰が退けてしまったのも確か。韓国映画とくればイケメンの 甘っちょろい映画みたいになっちゃったし、何より監督も俳優も一発は良いのが出てもすぐにダメになっちゃう「消耗品」めいたところが感じられて、僕にはど うにも違和感ばかりが感じられたからだ。案の定、いつの間にか「韓流映画ブーム」はどこかに行ってしまったが、それと同時に韓国映画全般にわたって下火感 が濃厚になってしまった。僕自身も以前のように韓国映画に関心が持てなくなってしまったのが正直なところだ。

 そんなわけですっかり韓国映画には疎くなってしまった僕だが、そんな中でも「この人の映画だけは見たい」と思わされる人が3人だけいる。それはポン・ジュノ監督とソン・ガンホ、そしてホン・サンス監督だ。

 その3人の中では、ホン・サンスだけが少々耳慣れない名前かもしれない。確かに作品が地味だし大ヒット作もない。当然、作品を見ている人は限られているに違いない。ただこの人の作品は、韓国映画ってだけでなく現在の世界の映画界の中でも際だったものだと思うのだ。

 そんなホン・サンスとの出会いは、僕がこのサイトを作った1999年に遡る。その時点ではあの「シュリ」 (1999)もまだ公開される前で、世間一般では韓国映画はほとんど認知されていない状態だった。そんな頃、僕は東京・渋谷で開かれた「NEO KOREA - 韓国新世代映画祭 '99」という新作上映で、ホン・サンス監督の「江原道の力」(1998・DVDリリース時のタイトルは「カンウォンドの恋」)という作品と出逢ったの だ。このあたりの事情について僕はこのサイトの中で何度も繰り返しているのでもう詳しくは書かないが、とにかくこの作品を見た時の衝撃は今でも忘れられな い。いや、ホントにビックリした。

 それからホン・サンスの新作を目にするまでにはかなり時間がかかったが、「気まぐれな唇」(2002)、「女は 男の未来だ」(2004)、「映画館の恋」(2005)など、思い出したようにやって来る新作をむさぼるように見たものだった。それでも公開された作品の うちいくつかは見逃していたし、ここ数年は作品公開も途絶えていたようだ。だから突如、この「空白期間」のホン・サンスの未公開作品が4本連続で上映され ると聞いた時には、僕は文字通り狂喜乱舞した。これはまたとない機会だ。

 そんなホン・サンス作品のことを一言でズバリと言い表すとしたら、やっぱり「韓国のエリック・ロメール」ってこ とになるんだろう。フランスのエリック・ロメール作品は僕も大好きだが、ホン・サンスの作品にはそれと一脈通じる味わいが間違いなくある。しかも…見てい る僕らが同じ東洋人ということも作用しているかもしれないが…登場人物のカッコ悪さやトホホ感(笑)がより一層身に染みるあたりが、ロメール作品以上にロ メール作品らしい、エリック・ロメール作品が持つ「精神」を突き詰めているような映画に思える。これはそもそも東洋人がフランス人よりカッコ悪いからかも しれないのだが(笑)。

 さらにホン・サンス作品は、どれもこれも似通った構造を持っているところも特徴だろう。主人公は大抵が監督か俳 優といった映画人か、あるいは大学教授という教養のある人物。この2つを混ぜ合わせたように、映画監督でかつ大学で教えているという設定も多い。主人公は 旅先で先輩か後輩と会うが、そこでこの先輩か後輩と関わりのある女たちと「厄介」を起こし、トホホな結末へと導かれていく。この金太郎飴みたいに毎度毎度 同じ展開は、ある意味で「寅さん」以上にマンネリだ。なのに毎回新たな発見があるように思えるし、毎回新鮮で瑞々しい。先ほどエリック・ロメール作品と酷 似していると指摘したこととは矛盾してしまうのだが、これはホン・サンス作品でなければ味わえない独自の味わいなのだ。これは実物を見ていただかないと分 からない。

 

「よく知りもしないくせに」

 2008年夏、チェチョン(提川)。長距離バスの停留所に立っている映画監督ク・ギョンナム(キム・テウ)の前 に、ボランティア学生が運転する迎えのクルマがやって来る。ギョンナムはこの町で開催される国際映画祭の審査員として招かれていたのだ。彼は映画祭事務局 でスタッフの女性コン・ヒョニ(オム・ジウォン)に挨拶するが、ついつい軽い気持ちでボランティア学生に「今度飲もうな」と声をかけると、コン・ヒョニに 「出来もしない安請け合いをしないで」と叱責されてその剣幕に圧倒される。審査員には彼の他に外国からの招待客やベテラン女優オ・ジンスク(ソ・ヨン ファ)も招かれていて、ギョンナムはジンスクに「告白しますが、私はあなたを尊敬しています!」と平身低頭だ。審査委員一同はその後、出品作の上映会場へ 移動する運びとなっていたが、ギョンナムは一人ホテルへと戻る。用事があると言っていたものの、本当は居眠りこいていただけ。実はこの映画祭を口実にある 女と合流しようと目論んでいたが、それがうまくいかずフテ寝というわけだ。そのくせ夜のレセプションにはチャッカリ参加。そこでエロ映画専門女優オ・ジョ ンヒ(ウン・ジュヒ)に「映画に出してくれ」と迫られ閉口するが、その場に別の若手映画監督が登場すると態度を一変。手の平返しでギョンナムには目もくれ ず、今度はその若手監督に売り込みをかけるからウンザリだ。そもそもその若手監督はギョンナムの後輩だが、今はすっかり第一線の花形。対するギョンナムは 最近めっきり現役から遠ざかってる観があるから面白くない。そんな各人の思惑が交錯してか、レセプション後に一同がホテルの一室で飲んでも、いささかヤケ 酒的なムードが濃厚だ。おまけになぜかコン・ヒョニとオ・ジョンヒの女の戦いみたいな様相を呈してきた。その結果、コン・ヒョニが泥酔したあげくゲロを吐 きまくることになり、ギョンナムたちは辟易して部屋から出ていくことになる。翌日はそんな深酒がてきめんに災いし、ギョンナムはウトウトして出品作もロク に見れずじまいだ。そんな彼が出品作上映の映画館から出てくると、そこに一人の男がやって来る。それはギョンナムの後輩サンヨン(コン・ヒョンジン)。か つて彼と一緒に映画会社を興そうと奔走したが、うまくいかなそうだと分かって袂を分かった相手だ。サンヨンはギョンナムが去った後も孤軍奮闘して一本だけ 作品を作ったものの、うまくいかずに身体を壊して郷里に戻ったと聞いていた。そのサンヨンが、今目の前に立っているのだ。彼はギョンナムがこの町に来ると 聞いてわざわざやって来たようで、二人は早速昼間から一杯やり始める。そこで話題になったのは、最近結婚したサンヨンの妻のことだ。彼は妻を持ち上げたあ げく「生涯の伴侶」と熱弁。イマイチ半信半疑なギョンナムは話半分で聞いていたが、サンヨンはそんな彼を自宅へと誘うのだった。タクシーに乗って連れて行 かれたサンヨンの自宅は、町から離れること40分の郊外。そこで紹介されたサンヨンの妻ユ・シン(チョン・ユミ)は、確かにチャーミングな女性だった。早 速、そこでも飲み始めるギョンナムとサンヨン。ところが飲みに加わったユ・シンは何やらインチキ宗教めいた妙な話をし始めるので、酒の席に妙な空気がたち こめる。そのままサンヨン宅で眠ってしまったギョンナムが翌朝起き出すと、浴室でユ・シンがシャワーを浴びているではないか…。さて、何とかかんとか町に 戻ったギョンナムは出品作を見に行くが、当然のことながら舟を漕ぎまくる始末。結局、ホテルで爆睡するしかない。ところが翌朝目覚めてみると、ホテルの彼 の部屋にサンヨンからの手紙が届いているではないか。その内容は「オマエを軽蔑する。二度とオレたち夫婦の前に顔を出すな」という穏やかでないもの。それ にまったく心当たりがない訳ではないせいか、ギョンナムは頭を抱え込んでしまう。とにかく「誤解」を解こうとタクシーでサンヨンの家へ駆けつけるが、彼の 顔を見たユ・シンは泣きわめくサンヨンは逆上するで話を聞いてもらうどころではない。あげくサンヨンに石を投げつけられるアリサマで、「よく知りもしない で」と捨て台詞を残すのがやっとだ。こうなれば、もうこんな町に残る意味もない。ギョンナムは出品作をDVDに焼いてもらって自宅で見ることにして、映画 祭スタッフのコン・ヒョニに頼み込む。ところがそのDVDを持ってきたコン・ヒョニは、ギョンナムが泥酔した彼女を一人ホテルの部屋に残したせいで、彼女 が強姦されてしまったと吊し上げるではないか。こちらはほとんど言いがかりに近い逆ギレだが、何しろ凄まじい剣幕で「死ねばいい!」とまで言われ、ギョン ナムは這々の体で逃げ出すほかなかった…。さて、それからしばらく経って、舞台は一転して済州島。その空港でギョンナムが待っていると、迎えのクルマが やって来る。今回は先輩コ教授(ユ・ジュンサン)の招きで、大学での自作の上映会兼講演会を行うためにやって来たのだ。持参したDVDを使っての上映会は 盛況。遅れて駆けつけた女子大生に「ファンです」などと言われて悪い気はしない。ところが上映の後の講演会での質疑応答では、その女子大生が最も辛辣なこ とを言ってくるから分からない。夜はこれらの学生たちを引き連れ、コ教授も参加しての飲み会。最初は映画論を語り合っていてはずが、いつの間にか腕相撲大 会になっていたり、もうてんやわんや。そのうちにスペシャル・ゲストが登場して、飲み会はさらに盛り上がる。それはギョンナムとコ教授の共通の大先輩であ り、芸術家としても著名な名士・画家のヤン(ムン・チャンギル)だ。このヤン先輩がわざわざギョンナムのために来てくれたとあって彼は思いきり舞い上が り、「告白しますが、私はあなたを尊敬しています!」と平身低頭。しかし、「名士」ヤン先輩の登場で空気は一変。みんなの注目もヤン先輩に集まり、ギョン ナム内心穏やかではない。飲み会はそのままホテルのギョンナムの部屋に移動するが、ヤン先輩が例の女子大生を寝室にお持ち帰りするに至って、ギョンナムは すっかり辟易してしまう。そんなご乱行の翌朝、昨夜のことは何もなかったかのごとくサッパリした表情で起き出したヤン先輩は、ギョンナムを自宅に誘う。ヤ ン先輩は最近若い妻と再婚したとかで、その若妻がクルマで迎えに来るというのだ。ところが迎えに来た実際のヤン先輩の妻を見て、ギョンナムは仰天する。そ れは、彼が大学時代に付き合っていたコスン(コ・ヒョンジョン)ではないか…。

 

 この作品、映画の真ん中あたりで真っ二つに分かれる「前後編」構成をとっている…と言えば、ホン・サンス作品を 見てきた人なら「なるほど」と合点がいくかもしれない。僕が最初に見たホン・サンス作品である「江原道の力」(「カンウォンドの恋」)や、その後の「気ま ぐれな唇」が同じ構成をとっているからだ。

 ただしホン・サンスの「前後編」構成は、単に真っ二つにお話が分かれているだけではない。この両者がお互い相似 形を描いていて、それぞれに酷似した点と微妙にズレている点を持っているあたりがユニークなのだ。毎回同じようなシチュエーションが生じてしまい、その状 況でやっぱり同じように反応する、あるいは微妙に異なる反応をする主人公の描写が絶妙なのである。そういう意味では、作品のテーマはまったく異なるが、ス ティーブン・ソダーバーグがチェ・ゲバラの半生を描いた「チェ/28歳の革命」(2008)と「チェ/39歳別れの手紙」(2008)の二部作の作り方と どこか似通った位置関係であるようにも思える。

 この作品でも、前編・後編の両者は実に微妙に似ていて微妙にズレている。まず、前後編とも主人公はバス停留所 (前編)か空港(後編)で迎えを待っている。出迎えに来たボランティア学生(前編)とコ教授(後編)はどちらも「パンを買ってたので遅れた」と弁解する。 後編のコ教授登場の際には僕らはすでに前編で主人公がサンザンな目に遭っているのを見てきているから、またまた冒頭から同じように「パンを買っていて」云 々という台詞を聞くや、こりゃあまた一揉めあるぞというイヤな予感がするのである。これはなかなかうまい設定だ。

 主人公のク・ギョンナムは、毎度お馴染みホン・サンス作品らしい人物。芸術肌の映画監督らしいが、今はパッとし ない境遇にあるらしい。知的な人格者であるように思われたがっているが、実はいいかげんで無責任。映画祭審査員もやる気が感じられないし、女に対する態度 もテメエ勝手だ。人前では謙虚な素振りをしているが、誰かが自分より注目されればムッとくる。…つまりは、この僕のような人間だ(笑)。見ていてコッケイ な男という点では、先ほども述べたように一連のホン・サンス作品の系譜に連なる。

 ところが…この文章の冒頭では何度も「エリック・ロメール的なテイスト」と語って来たホン・サンス作品だが、実 はここ最近の傾向としてはそんなテイストだけでは括れない様相を呈してきている。僕が知る限りでは、「女は男の未来だ」あたりからエリック・ロメール路線 を徐々に逸脱し始めているのだ。かつてよりも登場人物をよりエグく描いたり、より突っ放したかたちで描いたりしているように見えるのである。

 今回の作品では、かつての作品ではなかった唐突なカメラのズーミングやパンが行われる。それはあたかも、素人に よるビデオ映像みたいな手法で、作品としては「映画館の恋」でも多用された技法だ。それによって観客はサッと素に戻ってしまい、登場人物への感情移入を妨 げられるのだ。

 思えばそれまでのロメール・タッチの作品群では、観客はドキュメント風映像で主人公を第三者的に見せられ、その 本音と実際を観察させられることから、みっともない素顔を知ることになる。観客はその滑稽さみっともなさを見せられるとともに、「こいつオレみたい」と共 感もしたものだった。

 しかしホン・サンスは、それでは足りないと思ったのではないだろうか。カッコ悪い、みっともない、だけどそんな 自分(たち)も愛おしい…と共感してしまうことが、彼の本意ではなかったのではないだろうか。だから、途中に醒めてしまうズームやパンなどを挟んで、安易 な共感や感情移入が出来ないようにしたのではないか。こいつらのカッコ悪さ、みっともなさは「愛おしい」なんて思ってはいけない類のモノだ。それは偽善と か傲慢とか無責任とか虚言癖とでも言うべきモノで、忌み嫌われ反省されることはあっても決して共感なんてされるべきものではないんだぞ…。近年のホン・サ ンス映画の登場人物がだんだん共感しづらい人々になってきた理由を、僕はそんな風に感じていたのだがどうだろう。

 ただ、それ故に窮屈で好きになれない作品になっていた「女は男の未来だ」や「映画館の恋」とは、この作品はまたまた一線を画するようになってきたようにも思う。

 そんな従来との「違い」が最大にハッキリ出ているのは、我々観客にも主人公の言動のすべてが見えていないところ…だろうか。

 確かに主人公はだらしなくて優柔不断な男だ。僕らは主人公のそんなダメさを、彼の言動の一部始終を第三者的に観察することでじっくり見せられている。まさに僕が今まで「ロメール・タッチ」と言っていたドキュメンタリーのような手法で、それは描かれているわけだ。

 しかし今回、僕ら観客はいくつかの箇所で「起こったことのすべて」をハッキリ見せてもらえない。

 そのうちのひとつが、前編において主人公が後輩サンヨンの家で泥酔のあげく目覚めて、サンヨンの妻ユ・シンが シャワーを浴びているのに気付くくだり。その後、主人公はなぜかそそくさとサンヨンの家を後にするが、ホテルの部屋にサンヨンからの「絶縁状」が届けられ る。主人公は慌てて再びサンヨンの家にやって来るが、そこでサンヨン夫妻の激怒にあって退散せざるを得なくなるのだ。

 もうひとつの例が、やはり前編における映画祭スタッフの女性絡みのエピソード。主人公が慌てて映画祭から退散し ようとする折りもおり、この映画祭スタッフの女性はいきなり激怒して主人公を罵倒しまくる。実は映画祭スタッフと審査員たちで酒を飲んだ時、主人公たちが 彼女を部屋に置き去りにしたために彼女が男に犯されてしまったということらしいのだが、いくら何でも藪から棒すぎる。主人公だけでなく観客の僕らも、そん な「真相」は初耳なのだ。

 もっとも彼女は映画の冒頭でも、ボランティア学生に「今度飲もう」などと安請け合いする主人公にいきなりキレて 叱責したりしている。実際にこの女性の指摘は当たっていて、しまいには主人公はその「口だけ番長」ぶりを派手に露呈してしまうのだが…。 それにしたって初対面でのその唐突さはかなり極端で、ちょっと奇異な印象を与える。だから「彼女がヘンなのだ」と言えばそれまでなのだが、主人公に何らか 関わった二人の女性が、ほぼ同時に主人公に尋常でないキレっぷりを見せて、その「真相」を観客がちゃんと見せてもらえていないというのは、ホン・サンス作 品においては極めて異例だ。どちらかというと主人公の言動をちゃんと見せるどころか、顕微鏡で見つめているように観客にじっくり「観察」させるのがホン・ サンスの手法なのに、ここではあえてそれらが「隠されている」のである。

 そのうちの前者では、主人公はタイトルにもなっている「よく知りもしないくせに」を台詞としても口走る。そのあたりを見ても、そんな「隠す」手法が意識的に行われているのが分かる。

 人間、自分にとって都合の悪いことは無視するか、都合のいいように曲げたり美化したりするのが常だ。それを「ま んま」見せて僕らに居たたまれない気持ちを味合わせるのがそれまでのホン・サンスの手法だったのだが、ここであえて「見えない」部分を作ったのには、果た してどのような意図があったのか。火の見櫓の上に登って「高みの見物」的に見えれば人なんて愚かに見えるが、実際のところ当人にしてみたら、やむにやまれ ぬところだってあるんじゃないのか。そりゃあさすがに「よく知りもしないくせに」くらい言いたくもなるんじゃないか。トコトン人の愚かさを容赦なく暴き立 てたあげく、ホン・サンスはちょっとそんな気持ちになってきたのではないか。この作品での再度の作風の転換には、そんな彼の心境の変化が関わっている気が してならない。

 「女は男の未来だ」に次いでのホン・サンス作品出演になるキム・テウの演技は、かなりコミカルさを強調したもの だ。彼が演じる主人公は、最初からもっともらしいことを言ってもどこかコッケイな人物だ。ちょっとホメられればハシャいでいるのが周囲にミエミエ。自分を 立派に見せようと見栄を張り、背伸びばかりしているのを見透かされている。そして立派なことを言いながらチャランポランなところを完全に見透かされてい る。正直言って、終始「小物感」がにじみ出ているのだ。これまでのホン・サンス作品では我々観客には主人公のコッケイさが露呈していたが、登場人物たちに はこれほどミエミエになっていなかったように思う。これはハッキリと「コメディ」として撮っていると言っていいのではないだろうか。

 そんな彼が「人間ってのは難しい」と語るラストは、だから「ありきたり」な結論なんだけどシミジミと身につまさ れる。それまでの過程で「こいつの気持ち分かる」と安易に思わせない仕掛けを施して観客に「こいつバカだな」と思わせているだけに、この最後の「ありふれ た」言葉が値千金の重みを持ってくるのである。

 

「ハハハ」

 カナダへの移住を決意した映画監督チョ・ムンギョン(キム・サンギョン)は、先輩のパン・チュンシク(ユ・ジュ ンサン)とチョンゲ(清渓)山に登って昼間から一杯やり始める。飲むほどに会話がはずみ、楽しい思い出話に花が咲く。彼らはごく最近、たまたま二人ともト ンヨン(統営)の街を訪れていた。そこで自然と、二人の話もそのトンヨンでの体験談になってくる。まずはトンヨンで母親に会いに行ったムンギョンの話。彼 はカナダに行ったら会えなくなる母親(ユン・ヨジョン)に会うため、彼女が経営する食堂に顔を出す。しかし、元々何となく折り合いの悪かった母親とはギク シャク。せっかく息子らしいことをしようとあげた赤い帽子も、母親はちっとも嬉しそうな顔をしない。ただ食堂で出されたメシはうまかったので、ムンギョン としては食いに専念した…。「それって良い話なのかよ?」とチュンシクが話に割って入る。それに対してムンギョンは「メシがうまかったから良い話ってこと で!」と答え、二人は笑いながらまたしても「カンパ〜イ!」を杯を重ねる。今度はチュンシクの話の番だ。トンヨンを訪れたチュンシクは、後輩で詩を書いて いるというチョンホ(キム・ガンウ)と連れだって、彼が馴染みだという食堂へとやって来る。その食堂の女将はチョンホを実の息子のように可愛がっている。 実はこの食堂、先ほどの話でムンギョンが訪れた母親の食堂なのだが、その話を語っているチュンシクも聞いているムンギョンもそれにはまったく気付いていな い。それはともかく…女将はムンギョンからもらったばかりの赤い帽子を、そのままチョンホにあげてしまった。そんなこととはツユ知らず、ムンギョンもチュ ンシクも高笑いしながら「もう一杯!」と酒のピッチが上がる。さて、今度はムンギョンが話す番だ。彼は母親の友人である郷土歴史館館長チャン(キ・ジュボ ン)に連れられ、この街の名所旧跡を巡ることにする。トンヨン随一の史跡である「洗兵館」という建物にやって来たムンギョンとチャン館長は、そこでちょう ど子供たち相手にこの建物の由来を語っている観光ガイドのワン・ソンオク(ムン・ソリ)に出くわした。チャン館長に彼女を紹介されたムンギョンは、どこと なくムチムチした彼女の肉感的魅力に惹かれる。しかし口から出たのはそんな思いとは裏腹で、批判的で偉そうな屁理屈だった。ちょっとは頭が良さそうに見せ たかったのだろうが、初対面でこんな批判的な言葉をぶつけられたソンオクが思わずカチンと来ても無理はない。彼女は素っ気ない返事をすると、サッサと彼の 前から去っていくのだった。「いやぁ、いい女だったんですよ」「あっはっは、もう一杯!」てな感じでまた乾杯の後、今度はチュンシクの番。彼は実は一人で トンヨンの街を訪れたわけではなかった。妻には内緒で、CAのアン・ヨンジュ(イェ・ジウォン)とのアバンチュールとシャレ込んでいたのだ。そんなわけ で、ホテルではこのヨンジェと一緒。しかし昼間は例の自称・詩人チョンホとツルんでばかりいるので、さすがのヨンジェもだんだんストレスが溜まってくる。 しまいにはチュンシクに妻と別れて自分と結婚してくれ…と一番面倒くさいことを言い出すに至って、チュンシクは真綿で首が絞まるようにジワジワと悩まされ ることになる。一方、母親の食堂で店員として働いている可愛い女ノ・ジョンファ(キム・ギュリ)といい仲になりそうになりながらチャンスを失したムンギョ ンは、例の「洗兵館」で再びガイドのソンオクを見かける。今度はたまたま案内していた客にツッコミを入れられ、ソンオクは感情的になっていた。ここはチャ ンスとソンオクに近付いたムンギョンは、前の失態をカバーすべく彼女が喜ぶような言葉を並べ立てた。効果はてきめん。徐々に接近するムンギョンに警戒を解 いていくソンオク。ただ彼女には海兵隊上がりの恋人がいるらしく、その存在だけが目の上のタンコブだ。ところがもう一方のチュンシクはと言えば、例の詩人 のチョンホに付き合っている恋人を紹介されるが、実はその恋人こそガイドのソンオクだったのだ…。

 

 今までホン・サンス作品といえば、基本的にドキュメンタリー・タッチと言える語り口の映画だった。

 もちろん、全部が全部ただのリアルなドキュメンタリー・タッチというわけではない。例えば「女は男の未来だ」か らはそれが変質し始め、無造作に過去場面が挿入されて時制が故意に混乱させられたりした。続く「映画館の恋」では映画の前半部分が丸ごと「劇中劇」だった りして、見ている側の視点は混乱しっぱなしだ。この後の彼の作品は今回見ることができた「よく知りもしないくせに」まで見ることができていないので何とも 言えないが、少なくとも2作連続でこうした傾向が出てきたということは、ホン・サンスが何らかの意図を持って意識的に語り口の変更を行ったものと思われ る。

 しかしながらこうした視点の混乱が導入されて以来、僕にとってはホン・サンス映画にちょっと距離を感じるようになってしまったのだ。

 それまでのホン・サンス映画は、僕が今まで何度も述べてきたようにエリック・ロメール・タッチの作品だった。等 身大の男の言動をドキュメンタリー的に「第三者的視点」でじっと観察することで、その生態の愚かさや矛盾を明るみにするとともに、その「リアリティ」から 我々自身が普段気付いていない自分のカッコ悪さ・アホさ加減にも気付いていく…というもの。見ている我々は最初はニヤニヤしながら徐々にヒヤリとさせら れ、その一方で相田みつをじゃないが「人間だもの」(笑)と秘かに共感もしてしまう…というのがホン・サンス映画の醍醐味だったのだ。

 ところが、どうやらそれじゃ満足できなくなってきたらしい…というのが「女は男の未来だ」「映画館の恋」あたり のホン・サンス作品らしく、その結果、主人公たちのアホっぷりはますます容赦なく暴かれるものの、「人間だもの」的共感はしづらい映画となってしまってい たのだった。このあたりは、先の「よく知りもしないくせに」の感想でも書いた通りである。

 ホン・サンスとしては人間のアホらしさをもっと無慈悲に冷ややかに見つめたかったのかもしれないが、そうなると実もフタもなくなってしまう。少なくとも僕にはそう思えてしまって、それまでのホン・サンス映画ほど素直に受け入れられなくなっていたようなのである。

 そんなホン・サンス映画が「よく知りもしないくせに」あたりからまた微妙な軌道修正を行っているみたいに見えたのは、彼自身もそんな変更点を「成功」だとは思えていなかったからだろうか。少なくとも僕にはそのように感じられる。

 しかしホン・サンスとしては、やはり何らかの「視点」や「語り口」の実験はやりたかったようである。なぜホン・サンスがそう思ったのかは分からないが、この「ハハハ」はこれまでのホン・サンス映画では最も野心的な構成になっているのだ。

 映画が始まるや否や、ナレーションで主人公ムンギョンともう一人の主人公チュンシクの出会いが語られる。カナダ 移住を決意したムンギョンが、先輩のチュンシクと出会って昼間から一杯やり始めるという趣向だ。ただしこのエピソードはムービーではなく、モノクロの静止 画面で提示されるのがミソだ。お話はこの二人がそれぞれトンヨンの街を同時期に訪れて体験するエピソードを変わりばんこに語っていくかたちで進んでいく が、そちらはカラーの動画で描かれていく。むろん、こっちのエピソードが映画のメインの部分である。つまり、映画の構成としては現在と主人公たちの語りと いう二層構造になっていて、しかも語りの部分もムンギョンとチュンシクの物語が別々に存在している。しかもしかも…我々観客だけには明らかにされているの だが、この別々に存在しているはずのムンギョンとチュンシクの物語の世界は、実は彼らが気付いていないだけで地続きの関係になっているのだ。縁は異なモノ 味なモノとでも言おうか。このあたりの構成の妙が、何ともうまいのである。

 それは…主人公の言動の一部が観客からは見えない「ブラック・ボックス」の中にしまい込まれている構造をとって いる、前作「よく知りもしないくせに」の真逆にあるようでもある。あるいは従来の主人公をひたすら客観視することで、彼らの愚かさを暴き立てる従来の「ロ メール・タッチ」のホン・サンス映画をさらに押し進めたようにも見える。今までは主人公をじ〜っと見つめ続けることでその本質を見据えていたのが、今回は 主人公からは見えていない「現実」を別の視点から補強することで、主人公のアホっぷりをさらに際だたせようという作戦だ。とにかく「視点」を変えるという のは、ここ何作かでのホン・サンスのひとつの課題であったようなのだ。

 その結果は見事に成功。話法に変化が生まれてからのホン・サンス映画としては文句無しの面白さ。それまでの何作かの試行錯誤が、見事に実を結んでいる観がある。そうか、彼はここ何作かずっと「これ」をやりたかったのか。僕は妙に納得してしまった。

 本作で主人公のムンギョンを演じているのは、「気まぐれな唇」でも主人公を演じていたキム・サンギョン。一般的 には「殺人の追憶」(2003)で都会から来た若い刑事を演じていた俳優…と言った方が分かりがいいだろうか。ただしホン・サンス映画に出た時の彼は、ひ たすら愚鈍な表情を強いられる(笑)。今回は「気まぐれな唇」より一層アホっぽい顔つきで、終始口も半開き。最もだらしないのがサイズ小さめのパッツン パッツンのポロシャツで、カッコ悪さがさらに際だっていた。対する先輩チュンシク役には「よく知りもしないくせに」にも顔を出しているユ・ジュンサンで、 彼は「黒く濁る村」(2010)でコワモテ検事の役を演じた俳優。さらにムンギョンが追いかけ回す観光ガイド役には、「大統領の理髪師」(2004)はじ め代表作数知れずの演技派女優ムン・ソリ。野暮ったくてどこか肉感的でムチムチしたエロさがあって、なかなかの好演。さらにチュンシクの愛人のCA役に は、「気まぐれな唇」の前半部分に出てくる奔放な女を演じていたイェ・ジウォン…と、ホン・サンス作品の中でもなかなかの「豪華キャスト」の作品となって いるところも見どころだ。

 とにかく構成の妙で、今回上映される4本の中でも最も「分かりやすい面白さ」を持った作品と言えるかもしれな い。一時期ちょっと迷走(と勝手に僕は思っているのだが)していたホン・サンスも、本作で何かを掴んだような感触がある。そんな雰囲気は、次の「教授とわ たし、そして映画」へと引き継がれていくのである。

 

「教授とわたし、そして映画」

<呪文を唱える日>

 マンションから出てきた男ナム・ジング(イ・ソンギュン)は、いきなり意味不明な「呪文」をつぶやく。ジングは 妻(ペク・チョンニム)が唐突に別の男の名前を口走ったことに少々動揺しているが、それを後からやって来た妻に問い質すわけでもない。逆に「今日も飲み会 だ」などと言ったことから、妻に飲んでばかりいることを責め立てられる始末だ。ジングは映画監督だが、今は映画を撮れない身。大学の映画学科非常勤講師と して、何とか生計を立てている。だが今日も今日とて女子生徒のシナリオをボロカスにブッ叩いて、まったく妥協を見せない。その後、大学内でソン教授(ム ン・ソングン)に会うが、同僚の一人の教授に昇進したことでお祝いの食事会があると言われ、それに出ることにする。その後、学内でジングの作品の上映会が あり、生徒と作品についてのティーチインを行うはずだったが、質問に立った女子生徒がいきなりジングに食ってかかる。この女子生徒が言うには、ジングが彼 女の友だちを弄んだというのだ。これによって上映会は紛糾。ジングはティーチインを慌てて切り上げるハメになる。さて、例の食事会まで時間の空いているジ ングは、あちこちをウロウロ。自分のことを撮影したカメラ愛好者の女(ソ・ヨンファ)に少々チョッカイを出したりして時間をつぶしている。ところがたまた ま出会ったオ教授(ソン・ギヒョン)にソン教授の食事会の件を話したところ、オ教授の態度が豹変。ソン教授が金の亡者で云々と口汚く罵るではないか。「君 もあいつには気を付けろ」などと忠告されたジングは、当惑せざるを得ない。そんなこんなで始まった食事会。最初は円満な雰囲気だったものの、ジングはソン 教授から高い酒を勧められてチビチビやるうちに、どんどん酔いが回ってきたようだ。よせばいいのに先ほどのオ教授の話を持ち出して、「不正を行っているの か否か」としつこく絡んだものだから周囲の人々はドン引き。ソン教授も激怒して最悪の幕切れとなってしまう…。

<キング・オブ・キス>

 映画学科の生徒ナム・ジングは、自らの自信作をビデオでソン教授に披露。ソン教授はこの作品を絶賛して、映画学 科主催の映画賞は確実と太鼓判だ。映画学科の仲間も顔を合わせるたびに、ソン教授がホメていたから受賞間違いなし…と言ってくる。正直ジングも悪い気はし なかった。「まだ分からない」「そんなこと聞いてない」などのコメントを繰り返しながら、ついつい余裕をかましてしまう。そんなジングは、同じ映画学科の 仲間チョン・オッキ(チョン・ユミ)とその友だちヤンスン(パク・ソヨン)と飲みに行く。ヤンスンが酔っぱらって眠っている隙に、ジングはかねてから目を 付けていたオッキを口説く。しかしオッキはまんざらでもない感じなのだが、イマイチ乗ってこない。それもそのはず…実はオッキはあのソン教授とデキていた のだった。そしてついに、映画賞の授賞式の日がやってくる。その結果は…予想外にもジングの受賞ではなかった。ショックを受けながらも、内心の動揺を何と か見せまいとするジング。折しもクリスマスだったこの夜、彼は酒とツマミを買ってオッキの住むマンションにやって来ると、その外から携帯で彼女に電話をか ける。しかし彼女は外にいると言い、彼にはつれない。実はオッキは自室にいた。例の友だちヤンスンと飲みながら、ソン教授との関係について語っていたの だ。仕方なくマンションの外で酒を飲み、そのまま居眠りしてしまうジング。そんなこんなで朝になって、友だちヤンスンを返したオッキはジングがマンション 外でうたた寝しているのを見つける。驚いた彼女はジングを自室へ初めて招き入れ、そこで二人は結ばれるのだった…。

<大雪の後に>

 記録的な大雪が降った翌日、ソン教授は万難を排して何とか大学にやって来た。講義に穴を開けてはマズイと必死に 教室まで辿り着いたものの、教室には人っ子ひとりいない。さすがにこれにはソン教授も落胆してしまう。そもそも本来なら映画監督だったはずのソン教授。ホ ントはオレはこんな事してる場合じゃなかったんだ…と、どんどん気持ちが沈んでいく。そんなソン教授に同情して声をかけてきたオ教授には、「そろそろ辞め て新作撮らなくちゃ」とありもしない仕事の話を口走る始末だ。そんな落ち込んだソン教授が校舎からキャンパスを見下ろしていると、何と生徒のひとりチョ ン・オッキが雪の中をやって来るのが見えるではないか。前から可愛らしい彼女に目を付けていたソン教授は、思わず目を細める。さらにもう一人、生徒のナ ム・ジングがやって来るのも見える。どうやらこの二人以外はやって来ないようだ。ソン教授は二人を教室に迎えて、映画論にとどまらず男女論、恋愛論などな どを奔放に語り尽くすのだった…。

<オッキの映画>

 私、チョン・オッキはある年の大晦日に、年上の男ソン教授と手近な行楽地のアチャ山に出掛けた。そしてその2年 後の正月、今度は若い男ナム・ジングとアチャ山に出掛けた。二人の男はクルマに私を乗せて、同じ駐車場にやって来て、同じオブジェの前を通ったが、その時 の言動はまったく異なっていた。同じ道を通り、同じ公衆トイレに入ったが、そこでも二人の男の言動は対照的だった。この山で年上の男は「例え別れても2年 後の正月ここで会おう」と言っていた。そして私が若い男とこの山にやって来ると、遠くから私たちを窺っている人影が…。何と、年上の男は本当に約束通り、 2年後の正月にここにやって来たのだった…。そんな私の経験を、映画にしてみたのがこの作品である。出来る限り事実に近付けたいと思ったので容貌が似た俳 優を使ってはみたものの、やはり多少違いが出てしまったのは致し方ない。そのために、その時の実感にイマイチ迫れなかったかもしれない…。

 

 これは今回のホン・サンス作品連続上映の中でも、異色作中の異色作かもしれない。

 前作「ハハハ」が最も分かりやすい「面白さ」を持った映画だとすると、最もわかりにくいのが本作とでも言おう か。確かにこの作品、あの人物がどうで、この事件がこうで…などと解釈し出すと、分かったような分からないような。しかしそれゆえに、インパクトは最も大 きいともいえる。

 お話としては4つの短編に分かれていて、それぞれ登場人物は共通していると思われる。そう思われるのだが、本当 に「共通」しているのかは分からない。同じ俳優が演じて同じ役名がついているからと言って、必ずしもそうとは言えないからである。ひとつの短編が終わって 新しい短編が始まる際に、毎回手書きの汚ったねえ文字のキャスト名がビデオ録画で改めて画面に出てくる。だからなおさら、これらの短編はそれぞれ独立して いるのでは?…という疑惑が持ち上がるのだ。しかも僕が書いた最終編「オッキの映画」のストーリー紹介では「ナム・ジング」とか「ソン教授」という名前で 一応書いてはみたが、実際の映画ではオッキ(チョン・ユミ)のナレーションで「若い男」「年上の男」と語られるだけ。同じ俳優がやっているので僕は便宜上 あのように書いたものの、実際にはどこか曖昧な扱いなのである。

 しかもこの最終話はオッキ自身が撮った映画ということになっていて、最後に「似た俳優を使ってみたものの、やっ ぱりホンモノとは違って」云々などというコメントが出てくる。そうなると、それに先立つ3つの短編もそれぞれ誰かの映画ってことなんだろうか? 本作全体 のタイトルからして第4話と同じ「オッキの映画」であることから、すべてが彼女の映画であったと考えることも可能だが…などと、考えていくといろいろ謎は 深まる。

 謎と言えばもっと不思議なこともあって、まずは開巻まもなく主人公ジングが「ひみつのアッコちゃん」の「テクマ クマヤコン」みたいな「呪文」を口走る(笑)。その後、まったく説明も何もないが、あれは一体何なのだろうか? 第1話のタイトルにまでなっているので重 要な意味があるらしいのだが、アレって韓国語を分かる人なら何かピンと来るものなんだろうか?

 おまけにそこでジングが出てくる自宅マンションって、第2話「キング・オブ・キス」でオッキの住んでいるマンションとして出てきた建物だ。するとジングはオッキと別れた後、彼女が住んでいたマンションに妻と住むようになったのだろうか? それも何だか奇怪な話だ。

 素直にお話を見ていくと、どうやらお話の順番は「3〜2〜4〜1」となるようで、何だか「ナルニア国ものがたり」でも見ているような感じだが(笑)、繰り返して言うようにそれが本当の時間の流れかは分からない。そもそもつながっている話かどうか定かではないのだ。

 ただ、つながっていると考えると、それなりに含蓄のあるエピソードがチラホラしている。

 例えば第1話でナム・ジングは食事会でべろべろに酔っ払い、なぜか世話になっているはずのソン教授に絡む。そこ で場の雰囲気をわきまえてない発言を連発するのだが、それだけを見たら単に「常識のない男」で終わってしまう。ところが、それから時代を遡ってナム・ジン グがまだ学生だった頃の第2話を見ると、冒頭でジングがソン教授から「映画賞受賞間違いなし」と太鼓判を押されながら、結局は見事にハシゴをはずされると いう展開になる。さらに第4話まで見ていくと、年上の男ことソン教授は愛人の学生チョン・オッキに対して、「嫉妬心からナム・ジングに不当な評価を下して しまう」という告白をしているのだ。なるほど不当な扱いを受けていたジングにもその自覚があったから、第1話でソン教授に「不正を行っているのか」と絡む 展開になったのか…と何となく分かっている仕掛けになっているのだ。

 また、それぞれの短編が時間の流れとは別に分断されたカタチで並べられているため、皮肉な効果を挙げているとこ ろもある。例えば第2話から第4話までの展開を見ると、ジングが恋している女子大生オッキはソン教授の「お手つき」だ。まことにけしからん教授だと言いた いところだが、実は当のジングも第1話では大学の非常勤講師ながら、どうやら生徒に手を出して弄んでいたらしいことが暴露されている。何のことはない、第 3話ではソン教授自身もかつては映画監督であったことを独白しているので、ソン教授とは明日のジング自身とも言えるのだ。

 そんなわけで、今回上映された4本の中では最もユニークな作品ともいえるのだが、もちろんそれまでのホン・サン ス作品と共通する部分もたくさんある。まずは主人公が映画監督くずれの大学教授あるいは大学講師であること、彼らが女とだらしなく関わりを持つこと。また 第4話「オッキの映画」では、「江原道の力」(「カンウォンドの恋」)や「気まぐれな唇」、そして「よく知りもしないくせに」と同じく「前後編」構成を とっている。ただ真っ二つに分けるのではなく、ここでは細かくパラレルに行ったり来たりする構造になっているわけだ。

 先に僕は、前作「ハハハ」が最も分かりやすい面白さを持った映画で、それに対して本作が分かりにくい映画である と語った。しかし、「ハハハ」は二人の主人公のエピソードをそれぞれパラレルに語っていくうちに、それぞれのエピソードが微妙に重なり合って深く関わり 合っていることが分かってくる映画だ。 語り手の当人同士はそれと気付かないが、両者の話を聞くことで、観客の僕らは話の全貌を補完できる。そんな「ハハハ」に盛り込まれた「構成の妙」は、確実 に本作にも受け継がれているのだ。時制も語り口も異なる4つの短編というカタチをとることで、ひとつの長い長い「三角関係の物語」をいくつもの角度から見 せてくれる。それはまさに、ホン・サンスが「ハハハ」を通過したからこそ獲得できた話法だろう。

 その一方で、「ハハハ」では片方の主人公の話からもう片方の主人公の話へとパラレルを繰り返すうちに、二人の物 語が完全に補完できるのに対して、本作にはどうしても埋めきれないすき間のようなモノが残る。「よく知りもしないくせに」にもこうした「見えない」部分が 残されていたが、そこが本作の持つ「新しさ」だろうか。あえて曖昧な部分をつくることによって、より「人生のつかみどころのなさ」「人間のあいまいさ」が 印象づけられ、今までの作品よりもさらに「深み」が増しているのである。

 また本作では今までのホン・サンス作品にはなかった視点として、第4話「オッキの映画」として「女性の視点」が 加わっていることでも注目されよう。もっともこれも男たちの心理や本音が手に取るように分かるようには、彼女の本音は分からない。謎はナゾのままで放置さ れたままだ。さらに男の映画作家にありがちな女の描き方として「やっぱり男は女には勝てない」的な安易な決着のつけ方もしていない。女は確かに男二人を天 秤にかけ、冷ややかに「品定め」しているように描かれる。しかしその結果どうなったのか…については、映画から完璧に退場させられてまったく語られない。 それはそれで、冷たく酷薄な描かれ方ではないだろうか。男の愚かさダメさを凝視するホン・サンスは、女に対しても決して甘くはないようなのだ。

 そんな本作の中で最も強い印象を与えるのが、エドワード・エルガー作曲による有名な「威風堂々」のメロディだ。 誰でもどこかで聞いたことのあるメロディであるこの有名な曲は、まず映画のオープニングで流れる。その後も短編エピソードが終了して次のエピソードに移行 する際に流れ、エンディング・クレジットにもしめくくりとして演奏される。つまり、本作では都合5回もこの曲が流れるのだ。ある意味ではブックエンドや 「しおり」のような役割で使われているこの曲、映画の中の登場人物たちのグダグダさ情けなさ加減に対して、元々が行進曲であることからも軽快でテンポよく 流れる。しかも端正で、どこか厳格さと上品さを漂わせてもいる。正直言って映画監督くずれの大学教授や講師が女を相手にグチュグチュやっているホン・サン ス映画の物語とは、これほどミスマッチな曲もないのだ(笑)。それが短編が終わるごとに繰り返し流されるから、聞いている側としては何となく皮肉な気分に もなってくる。キチッとした「威風堂々」のメロディを横に置いてみると、この映画の主人公たちのだらしなさが際だってくるのである。

 しかし、これがまた不思議なことに…お話が進んでその全貌が明らかになり、何度も何度もこの曲を耳にしているうちに、僕らはどこか切ない気分にもなってくる。

 「威風堂々」という曲の中でも最も有名な箇所は、どうやら第1番の中間部のメロディらしい。そこは別名で「希望 と栄光の国」とも呼ばれているらしいのだが、なるほどこの異名のごとくどこか晴れがましさを感じさせるメロディだ。しかし映画で描かれている人物たちの人 生行路は、決して「晴れがましい」ものではない。いや、「晴れがましい」ものになるはずだったし、「晴れがましく」なれるはずだったのに、そうはならな かった人生だ。

 特に主人公とおぼしきナム・ジングの人生を考えると、さらに切なさは増していく。映画監督としての将来を夢見て いた学生が、まずは学内の映画賞で出鼻をくじかれる。恋していてやっと手に入れたと思った恋人は、自分が教わっている教授のお手つきだ。やっと映画監督に なれても続かず、生活のための不本意な大学勤め。かつての理想も消え果て、女子大生をつまみ食いする日々。そんな自分の妻も他の男に抱かれているかもしれ ない…。自分に約束されていたはずの「晴れがましい」人生は手に入らず、夢も理想も消え果ててしまった。そんな切ない気持ちが、繰り返される「威風堂々」 のメロディとともにこみ上げてくるのだ。それは「哀愁」のような感情と言ってもいい。

 だからこそ、ホン・サンスはこんな構成をとったのかもしれない。

 時間の流れを分断し、あるいは順番を変えて、エピソードによっては女側の言い分を「映画」にしたお話だと言い、 あたかも短編それぞれがつながっていない単独の話にも見えるようにした。それっていうのは、すべて僕ら観客側の感情移入や思い入れをその都度断ち切る仕掛 けにはなっていないか。

 若い頃に夢見ていた「晴れがましい」人生が、夢も理想も消え果てた無惨なモノへと変貌してしまうことなど、僕ら はみな大なり小なり経験している。そこには誰しも苦い思いやセンチメンタルな感情を持ち得るし、誰もが共感できるだろう。しかしそういう感情は、一つ間違 うと自己憐憫や醜悪なノスタルジーにもなりかねない。そもそも、そんな手垢がついたようなモノをそのままモロに出すのは照れ臭い。だからホン・サンスは、 そんな安易な感情移入をしにくくしたのではないか。

 実はこの作品、一見分かりにくい作品にはなっているものの、今までの彼の作品の中で意外にも最もストレートな感情を描いているのではないか。この映画で繰り返し使われる「威風堂々」のメロディは、そんなストレートさの名残りのように思われるのである。

 

「次の朝は他人」

 冬のソウルにやって来た映画監督ユ・ソンジュン(ユ・ジュンサン)。彼は現在は地方に引っ込んで監督業は開店休 業状態、もっぱら大学で映画を教える身だ。何とか先輩ヨンホ(キム・サンジュン)と会おうと携帯で電話するが、なかなか連絡がつかない。途中で彼のファン だという女優(パク・スミン)に出会ったり、食事中に偶然映画学校の生徒たち3人に出会ったりするが、肝心のヨンホ先輩とは連絡がつかずじまいだ。最初は 映画学校の学生たちに大先輩らしく振る舞って飲んでいたソンジュンだが、酔っぱらっていきなりキレると逃げ出してしまう。そんなこんなでソウルで行くアテ もないソンジュンは、本来は来るつもりのなかった場所へ足を伸ばしてしまった。かつての恋人の住むアパートだ。まだ彼女はあの部屋に住んでいるだろうか。 ベルを鳴らすと、果たしてかつての恋人キョンジン(キム・ボギョン)はまだその部屋にいた。ズカズカと押し掛けたソンジュンに怒るわけでも泣くわけでもな く、部屋へと受け入れるキョンジン。当然のことながら無愛想に応対する彼女に、ソンジュンはいきなり「来るんじゃなかった」と泣き崩れる。かと思えば、泣 きながら彼女を押し倒してしまうから訳が分からない。訳が分からないながらも、それでどうにかなってしまうところが男と女の不思議なところ。おまけに一戦 交えてスッキリした表情のソンジュンは立ち去り際に「オレたちもう会わないほうがいい」などと言ってキョンジンを納得させてしまっているのだから、まこと 男女の仲とは不可解なものだ。さて翌日、やっとヨンホ先輩と連絡がついたソンジュンは、一緒にレストランでメシを食うことになる。そこにヨンホ先輩は、親 しくしている後輩の映画大学女性教授ポラム(ソン・ソンミ)を連れてくる。どうやらヨンホ先輩はポラムに「その気」があるらしいが、ハッキリと態度には出 さない。そしてポラムは、いかにも知的なハンサムのソンジュンが大いに気に入ったようだ。3人はその後、ヨンホ先輩のお気に入りの場所、バー「小説」へと 流れ込む。店はまだ開店前だったが、常連のヨンホ先輩は手慣れた様子で上がり込み、勝手に酒を出して飲み始めた。やがて店のママが遅れてやって来たが、そ の顔を見てソンジュンはビックリする。やって来たソン・イェジョン(キム・ボギョン二役)は、先日別れたばかりのかつての恋人キョンジンに瓜二つだったの だ。動揺したソンジュンは、突然店のピアノを弾いたりしたりする。そんな彼がバーの外でタバコをふかすと、携帯には皮肉にもキョンジンから未練たらたらの メールが入っているではないか。その夜、ソンジュンはヨンホ先輩の家に泊まって、翌日、ヨンホ先輩が元俳優のジョンウォン(キム・ウィソン)に会うのに付 き合うことにする。二人がジョンウォンと会ったのは、昨日もメシを食った例のレストランだ。ところがここで想定外のことが起きた。ジョンウォンはかつてソ ンジュンの作品に出てもらった縁があったのだが、彼の方では一度ソンジュンから役を降ろされたことを根に持っていたのだった。「金に目がくらみやがって、 汚ねえんだよ」とモメる二人に、ヨンホ先輩は丸く収めるのがやっと。そんなこんなでこの三人に例によって女性教授ポラムを加えて、またしてもバー「小説」 へと流れるのだった。この夜はポラムは昨夜に増して積極的にソンジュンに話しかけ、「今日は不思議なことに、映画関係者ばかり4人も立て続けにあったの よ!」とドヤ顔で発言。正直どこが面白いのか分からない話題に酒の席には微妙な空気が流れるが、ソンジュンはさりげなくやり過ごす。「すべては偶然で、そ れに人間は自分の見たい意味を見出してしまうのです」…そんな知的な語り口に、ポラムはまたまた夢中だ。やがてイェジョンが登場するや、またまた気取った ピアノ演奏を披露するソンジュン。それもポラムにはいちいちステキに見える。そんなソンジュンが外でタバコを吸っていると、食べ物がなくなったため買いに 行こうとイェジョンが出てくる。それを見たソンジュンは、彼女と二人きりになるチャンスを逃しはしなかった。食べ物を買った帰り道、ソンジュンはイェジョ ンにいきなりキスをせまり、彼女もまたそれに応えるのだった…。

 

 オープニング・クレジットが赤い背景に白い字、エンディング・クレジットが青い背景に白い字。しかしそれ以外の本編は、全編にわたってモノクロの作品だ。

 先にも何度も語ってきたように、「女は男の未来だ」や「映画館の恋」ではとりつくシマのない印象が強くなっていたホン・サンス作品だが、この4作品連続上映の作品群ではそれが一転。特に最後を飾る本作では、ますます軽みを増している。

 本作では、それまでのホン・サンス作品でも使われていたリフレイン効果がさらに頻繁に出てくる。とにかく本作 は、「繰り返し」の連続なのだ。主人公は何度も何度も同じ女優と街でバッタリ出会い、同じレストランでメシを食い、同じバーに行って飲んだくれる。そこで 特徴的なのは、いつもその店の看板や外景が出てきた後でその場面に入っていくあたりで、「よく知りもしないくせに」などとは一転してのフィックス画面で撮 影されているあたりも含めて、見ていて何となく小津安二郎の円熟期の作品群を連想させられた。「晩春」(1949)とか「彼岸花」(1958)、「秋日 和」(1960)、「秋刀魚の味」(1962)などの小津後期の一連の作品では、主人公たちは馴染みのトンカツ屋や料亭、バーなどに繰り返し入り浸って、 どうでもいいようなことばかり語り合っている。それらのシークエンスでは、判で押したように店の看板や外景が大写しになり、それからおもむろに本題に入っ ていった。そんな作品群と共通するようなムードが、この作品には感じ取れるのである。これはいささか強引かもしれないが、ホン・サンスは今回、小津作品に かなりの影響を受けているのではないだろうか? 正直言ってこの人の作品に小津の影響を感じたことなんて今までなかったのだが、今回は唐突にそんなことを 連想してしまった。

 今回の主人公ソンジュンも毎度お馴染みコッケイでいいかげんな男で、それは映画の前半で元恋人のアパートに押し 掛けるくだりで遺憾なく発揮される。いつもと同じように調子よく無責任。自分の都合で別れたらしい女の元にテメエの都合で勝手に押し掛けたあげく、情けな い泣き落としでモノにしてしまう。そしてスッキリ「身も心も軽くなる」や、またまたテメエの都合で「オレたちはもう会わないほうがいい」なんて調子のいい ことを言う。その後、彼女から未練たらたらメールが来ても、一切返事せずに黙殺だ。

 ところがこいつの女の好みは一貫しているのだろう。その後に訪れたバーのママに同じ面影を見出した主人公は、たちまちポーッと夢中になってしまう。彼女の前で気取ったピアノ演奏を披露するなど、ミエミエにいいとこ見せようと張り切るのだ。

 ところが今回のこの主人公の描かれ方には、なぜかホン・サンスの悪意が感じられない。描かれているキャラは今ま でと大差ないように見えるのに、なぜか露悪的な描かれ方には見えない。それどころか、バーのママが好きでスキで仕方なくなってついていったあげく、夜道で 強引にキスを迫るあたりに、中学生か高校生みたいな無邪気で一途な恋愛を見てしまった。それは微笑ましいとも言える描かれ方だ。演じるユ・ジュンサンは今 回の連続上映でも「よく知りもしないくせに」、「ハハハ」に出演しているが、そのたび印象が違うのでビックリだ。

 結局、主人公はまたしても「オレたちは別れないといけない」という判で押したような同じ台詞を吐いて別れるのだ が、それだってあまり今までのホン・サンス作品みたいな冷笑的な描かれ方には感じられない。それは主人公のコッケイさが、もはやガキっぽさの域までいって いるからではないか。別れ際に主人公は「関白宣言」じゃあるまいし、バーのママに「いい男と付き合う」「日記をつける」などといったくだらない三箇条を言 い残す。ハッキリ言って愚にも付かない笑っちゃう話なのだが、そのバカバカしさ故に「偽善者」とか「男の身勝手」という印象よりも、無邪気でアホっぽい感 じが強まっているのである(ついでに白状すると、自分もこの手のバカげたことを過去にしていたような記憶があるから困ったモノだ)。

 考えてみると、色恋沙汰で「相手に真摯である」ってどういうことなんだろう。世間的には「責任をとる」だの何だ のってことなんだろうか。「貞節」だとか「誠実さ」だとか、そういうお年頃だったら「一緒になる」ことが「真摯な態度」だと言われるのかもしれない。しか し本当に相手に真摯である感情ってのは、正直言って男にとっては「好きだ」「キスしたい」「やりたい」ってレベルまでではないだろうか。それ以外の「責 任」だとか「誠実」だとかっていうのは、社会的な付属物や不純物でしかないのではないか。

 僕も割と若い頃は堅物だったし、屁理屈で凝り固まって頭でっかちになっていた。そして相手に誠実でいい人であろ うと思っていたものだが、この歳になるとそれが相手にとっても自分にとっても余計なモノだったのだなと分かるようになってきた。所詮はそういう雑事は世間 相場では大事なのかもしれないが、色恋沙汰にはどうでもいいこと、否、余計で邪魔なことなのかもしれない。「好きだ」「キスしたい」「やりたい」、終わっ たらスッキリしたし「もう会わないほうがいい」…ってのは、彼にとってウソのない態度であり、何より真摯な態度なのではないだろうか。いいかげんに見える かもしれないが、その瞬間瞬間にはそこには誠実なモノがあるのである。

 夜道でバーのママにいきなりキスを迫る主人公には、学生時代の自分もこうありたかったなどと思って、いっそ清々しいものを感じてしまったよ。

 またこの映画では、主人公ソンジュン+バーのママ…という恋の鞘当てのほかに、ヨンホ先輩〜女性教授ポラムへの 想い、ポラム〜ソンジュンへの想い…などが水面下で交錯して、秘めた恋愛模様が展開するあたりも楽しい。一時期のホン・サンス作品と比較しても、ハッキリ とした軽やかさに包まれた作品となっているのだ。

 考えてみると、これまでの作品は大抵が主人公がソウルから地方都市に出てくる話だった。ところがこの作品では主 人公がソウルにやって来る話で、物語はずっとソウルで展開する。それが映画全体に都会的なシャレた雰囲気をもたらしているのか。そういや先ほど僕が引き合 いに出した後期小津作品も、どちらかといえば都会的な作品だった。

 あるいは、ニューヨークやパリなどを舞台に何人もの登場人物が右往左往する、ウディ・アレンの恋愛コメディを引 き合いに出してもいい。そこには多少シニカルな視点もあるのだが、作品の基調はあくまで軽やかで楽しいものだ。主人公たちを引いて見てはいるものの、その 「正体を暴き立てる」ようなタッチではないのである。

 それってかつて引き合いに出されたエリック・ロメール作品でいえば、「緑の光線」(1985)とか「友だちの恋 人」(1987)あたりに相通じる軽やかさともいえる。これらのロメール作品は郊外やリゾート地を舞台にしているのでちょっと言ってることが矛盾してしま うのだが、ここで僕が言っている「都会的」というのは軽妙でシャレた作品のことと解釈していただきたい。

 ともかく、そういう意味ではホン・サンスも一時期の試行錯誤を経て、また原点復帰を遂げようとしているのかもしれないのだ。

 


Like You Know It All

(2008年・韓国)映画製作チョンウォンサ 制作

監督・脚本:ホン・サンス

出演:キム・テウ(映画監督ク・ギョンナム)、オム・ジウォン(映画祭スタッフのコン・ヒョニ)、コ・ヒョンジョ ン(ヤン先輩の妻コスン)、コン・ヒョンジン(ギョンナムの後輩サンヨン)、チョン・ユミ(サンヨンの妻ユ・シン)、ソ・ヨンファ(審査員の女優オ・ジン スク)、ウン・ジュヒ(エロ映画女優オ・ジョンヒ)、ムン・チャンギル(画家のヤン先輩)、ユ・ジュンサン(ギョンナムの先輩コ教授)

Hahaha

(2010年・韓国)映画製作チョンウォンサ 制作

監督・脚本:ホン・サンス

出演:キム・サンギョン(映画監督チョ・ムンギョン)、ユ・ジュンサン(ムンギョンの先輩パン・ジュンシク)、ム ン・ソリ(観光ガイドのワン・ソンオク)、イェ・ジウォン(CAのアン・ヨンジュ)、キム・ガンウ(詩人カン・チョンホ)、ユン・ヨジョン(ムンギョンの 母・食堂の女将)、キム・ギュリ(食堂の店員ノ・ジョンファ)、キ・ジュボン(郷土歴史館館長チャン)、キム・ヨンホ(イ・スンシン<李舜臣>将軍)、

Oki's Movie

(2010年・韓国)映画製作チョンウォンサ 制作

監督・脚本:ホン・サンス

出演:イ・ソンギュン(映画監督・大学の映画学科講師ナム・ジング)、ムン・ソングン(ソン教授)、チョン・ユミ(チョン・オッキ)、パク・ソヨン(オッキの友人ヤンスン)、ソン・ギヒョン(オ教授)

The Day He Arrives

(2011年・韓国)映画製作チョンウォンサ 制作

監督・脚本:ホン・サンス

出演:ユ・ジュンサン(映画監督ユ・ソンジュン)、キム・サンジュン(ソンジュンの先輩ヨンホ)、ソン・ソンミ(映画大学の女性教授ポラム)、キム・ボギョン(ソンジュンの元恋人キョンジン /バー「小説」のママ、ソン・イェジョン)、キム・ウィソン(元俳優ジョンウォン)、パク・スミン(女優)

「よく知りもしないくせに」2012年11月10日/「次の朝は他人」11月17日・シネマート新宿「ホン・サンス/恋愛についての4つの考察」にて鑑賞

 


 

 

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