「憎くてももう一度」

  Love Me Once Again

 (2002/11/25)


 

 ここはおそらくソウルの山の手。日曜の昼間、セガレを連れて釣りに興じるやたら貫禄のある口ヒゲ男がいる。この男シン・ヨンギュンはその貫禄の通り製薬会社社長のブルジョア。一緒にいるまだ小さいセガレまでサングラスをかける生意気さ。つまりはエエとこの日曜のバカンスと言うわけだが、その割には釣りをしている川が小汚いのがご愛敬。やがてそこにヨンギュン社長の幼い娘と妻チョン・ゲヒョンまでやってきて、汚い川辺にパラソルなんか立てての団らんが始まった。

 ところがそこに女中が飛び込んでくる。ヨンギュン社長の友人が急用で家を訪れたと言うのだ。ヨンギュン社長は日曜なのにとブーたれながら家に戻る。

 ブルジョアを絵に描いたような立派な家には、ヨンギュン社長の旧友メガネ教授が訪れていた。何だ、金の無心かなどと軽口を叩くヨンギュン社長だったが、メガネ教授の顔は思いっきりマジ。こりゃただならぬ雰囲気とヨンギュン社長が気づくや否や、メガネ教授は思いもかけぬ言葉を口にした。

 「あのムン・ヒちゃんがオマエに会いにくるぞ!」

 この名前を聞くや、ヨンギュン社長の顔もこわばる。どうもこのムン・ヒなる女性、かつてヨンギュン社長と訳ありだったらしい。それが何と8年ぶりに社長を訪ねてくると言うのだ。メガネ教授はこの知らせを聞いて、慌ててヨンギュン社長の家に駆けつけた訳。

 さぁ、社長は顔面蒼白。妻チョン・ゲヒョンがどうしたのか尋ねてもオロオロ。とにかくムン・ヒ嬢が知らせて来た待ち合わせ場所、かつてこの社長が働いていた大学の校庭にやってくる。日曜には誰もいないガランとした校庭。そこにポツンと置いてあるベンチを眺めて、ヨンギュン社長も思わずかつての思い出を脳裏に蘇らせていた…。

 荷台に若い女性を乗せて、土手を自転車でひた走る若い男。それがかつてのヨンギュン社長その人であることは、口ヒゲはまだなくともその貫禄ありすぎの太鼓腹で見てとれる。よせばいいのに趣味の悪いサングラスかけてるそのアリサマは、太鼓腹とあいまって「不良番長」こと梅宮辰夫を連想させる品のなさ。ただしこちらはバイクならぬチャリンコというところがセコい。そして荷台に乗せている女性は、他ならぬムン・ヒに違いない。

 この当時はまだ社長どころか大学に勤めるペーペーの研究員の身のヨンギュン。口汚いババアが経営する下宿に一人で住む身となれば、本来なら男所帯にウジがわくところ。そこをこのムン・ヒちゃんが何かと世話を焼いて飯は食わせるわ洗濯物は洗うわ、おまけにどうもアッチの処理まで任せているような。アハハウフフとジャレあい笑ってる二人の様子は、誰がどう見たって恋人どうしのそれ。下宿屋のババアも彼女にだけは猫なで声を上げて、ヨンギュンにいつ結婚するのか問いただす。

 だが、そんな言葉を聞くや否や、ヨンギュンの顔が曇る

 ムン・ヒの方はと言えば、故郷からやれ帰ってこいだ縁談がどうだと矢の催促。故郷にいる兄貴としてはかわいい妹を一人ソウルで幼稚園の先生なんかやらせておきたくはない。そんな手紙が来るたびに、ムン・ヒちゃんの顔もまた曇る

 だから彼女は事あるごとに梅宮ヨンギュンに結婚をチラつかせるのだが、そのつどヨンギュンの顔色は冴えない。あまりの毎日の結婚話にたまりかねて、ヨンギュンはマブダチのメガネくんを呼び出した。メガネだってこの頃はまだ教授なんて偉くはなってない、ヨンギュンと同じく大学に雇われてるペーペーの医者の身。「じゃあたまに一杯やっか!」と気楽に飲み屋につき合った。

 ところがそこで梅宮ヨンギュンが持ち出したのは、酒もまずくなりそうな重た〜い話

 ムン・ヒのやつがさぁ、俺と結婚したがってるみたいなんだよ。俺、困っちゃってさぁ〜。っとと、おいおい。オマエ、妻子持ちだっていうこと彼女に話してなかったのか?

 ジャ〜〜〜〜〜〜ン!

 な、何と梅宮ヨンギュン、もうこの時には妻も子もいた。アンナも生まれてた。それを何ともすっとぼけたことにムン・ヒちゃんには黙ったままで、チャッカリ彼女のナニまで頂戴しちゃってた訳。これにはさすがのメガネも呆れかえる。そりゃオマエ、いくら何でも「食いしんぼう万歳」過ぎやしないか梅宮ぁ〜!

 だってだって、俺だって言いたかったけど言いそびれちゃってさぁ…と言ったところで、それでナニまでやらかしているテイタラクでは全然言い訳になってない。マブダチのメガネにトコトンお灸を据えられる梅宮ではあった。

 だが、下宿に戻ってみるとあのムン・ヒちゃんが待っている。今度こそはうち明けようと思っても、自分を信じ切っているその顔を見ると今更言い出せないのはいつもの事だった。

 そんなこんなグズグズしているうちに、何と突然妻子がソウルに上京するとの電報が来た。それも本日ただ今到着との慌ただしさだ。しまった! もっと早くケリをつけていれば良かったものを。とりあえずバス停に駆けつけてみると、乳飲み子を抱えてたった今田舎から来たばっかりという風情の妻チョン・ゲヒョンが待っていた。現在でこそ社長夫人の洗練も身に付いた彼女だったが、まだこの頃は素朴そのもの。何とかホテルに連れていって時間を稼ごうと焦る梅宮ヨンギュンだが、そんな彼の気持ちを知ってか知らずか「もったいねえ」の一声で却下する妻。下宿にやってくれば例のババアと大喧嘩。もうヨンギュン生きた心地がしない。そしてそこに最悪の事態が…あのムン・ヒちゃんがニコニコ笑いながらやってくるではないか!

 一・触・即・発・!

 瞬時に事態を掌握したムン・ヒちゃんはわっと泣き出すと走り出した。その後を慌てて追いかけるヨンギュン。そんな亭主の様子を見た妻チョン・ゲヒョンも、そのただならぬ気配に慌てて後を追った。

 ムン・ヒが舞い戻ったのは自分のアパート。そこにヨンギュンもやってきた。「すまない、本当にすまない」って何度繰り返してもこいつがすべてダマしたことに変わりはない。あぁ俺は羽賀研二並みのサイテー男になり下がっちまったよぉぉぉ〜。

 だがそんな梅宮ヨンギュンをムン・ヒちゃんはなぜか優しく許した。思わずムン・ヒちゃんに抱きつくヨンギュンだが、オマエそんな事やってる場合じゃないだろ。

 案の定、そこに妻チョン・ゲヒョンが乗り込んできた。ヨンギュンったらいちばん最悪の状況を見られる間の悪さ。ここで妻もハラを決めた。「さぁ、どっちを取るのかはっきりしてちょうだい!」

 だが太鼓腹と女へのおイタは不良番長並みなのに、いざとなると何も決められない情けない梅宮ヨンギュン。そんなオタオタしている様子を見て、妻チョン・ゲヒョンはたまりかねて部屋を飛び出した。あぁ、女房が行っちゃう〜!

 そんな情けねえ梅宮ヨンギュンのツラを見たムン・ヒちゃんは言った。「奥さんの元に行ってあげて、私のことはいいから」…そんな彼女の言葉を聞くや否や、脱兎のごとく部屋を飛び出す梅宮ヨンギュン。どうしてこんなゲス男にここまで優しいんだムン・ヒちゃん。

 その夜ムン・ヒちゃんは一人下宿を後にした。置き手紙を残して…。何と彼女のお腹の中にはあのヨンギュンの子供がいたのだった!

 私一人で育てて見せる。あなたを一生世話しようと決めていた私だもの…。

 く〜っ、テメエ梅宮それでも男かこのボケ〜!

 …というわけで(笑)8年の歳月は流れて、今その懐かしい大学の庭に佇む梅宮ヨンギュンの前にあの懐かしいムン・ヒが一張羅を着て現れた! その隣には母親の手をつかんでトコトコ歩く男の子…これがヨンギュンの息子キム・ジョンフンか!

 梅宮ヨンギュン、茫然自失。

 さて、旅館の屋上で久々に語り合う二人。「言いたいこともいろいろあるだろう」なんて聞いたふうな事を言ってる梅宮ヨンギュンだが、その事の重みが全然分かっていないのは、二言めには「ウチにも事情が…」などと言い訳一辺倒なところからも明らか。何をためらっているのか、ヨンギュンも今では社長の身。梅宮辰夫だって不良番長から「はぐれ刑事純情派」の警察署長へと転身しているではないか。ただの署長どまりと思っては困る。何せヒラ刑事の藤田まことだって真野あずさのママなんかがお相手する高そうな店に入り浸れるご身分だ。梅宮もそこらの署長よりぐっと格が上に決まってるだろう。それを何をモタモタ言い訳に終始するのか往生際の悪い梅宮。

 これには長年堪え忍んできたムン・ヒもさすがにキレた。「アナタどれだけ私が苦労したと思ってるの!」

 故郷に帰れば兄貴に追い出され、断崖絶壁から身を投げる寸前までいったけれどお腹の子供が不憫で死ねなかった。それから女一人で辛酸なめ尽くし、やっとこ子供がある程度大きくなってみれば、お父さん恋しやと日毎繰り返す。その後ようやく妹を許す気になった兄貴が訪ねて来れば、オマエいつまで一人で子供を育てているんだとガタガタ言われる。考えてみればこんな辺鄙な漁村にいるこの子が不憫。本来ならば社長にまでなった父親の下で裕福な暮らしが出来ようものを。考えに考えた末にムン・ヒは心を決めた。この子を父親のもとに返そう。

 そんな思いでやっとのこと戻って会いに来たのに…ヨヨヨのヨ〜と泣き崩れるムン・ヒ。これにはさすがの梅宮ヨンギュンも参った。ただただ時間をくれと言ってその場を退散するしかない。

 だがヨンギュンが帰宅してみると、あのメガネ教授が家に来ていた。この男、ダチのヨンギュンの方についてるんだかムン・ヒについてるんだか分からないコーモリ男で、今日も今日とてヨンギュンの女房チョン・ゲヒョンに隠し子のことをチクりに訪れていたのだ。たちまち険悪な雰囲気。とは言え、こうでもしなけりゃあの優柔不断の梅宮ヨンギュンが、女房に本当のことを語る訳もないか。

 翌日、妻チョン・ゲヒョンはムン・ヒの泊まる宿屋に出掛けて行った。そこで女同士の激突…はなかったものの、率直かつディープな話し合いが持たれたわけ。妻チョン・ゲヒョンいわくは、隠し子キム・ジョンフンを家で引き取る代わり、今後はこの息子と一切の縁を切るように…というキツい一言。しかしそれも仕方ないか。ムン・ヒは泣く泣く条件をのんだ。

 何にも知らない我が子を乗せて、クルマは行く行く煙は残る。ムン・ヒは自分の小さな写真が入ったペンダントを我が子キム・ジョンフンに渡した。泣き崩れるムン・ヒのその手には、愛しい我が子ジョンフンが「すぐに迎えに来てね」と渡した黄色い風船が残された。わんわん大泣きで漁村に舞い戻ったムン・ヒは、かわいい我が子を諦めようと自分に言い聞かせるように、その黄色い風船を空に解き放ったのだった。

 だが案の定、物事はうまくはいかなかった。まずは梅宮ヨンギュンのガキ二人がいけない。ブルジョアのガキは根性が悪いと相場が決まっているだけに、突然家にやってきた「兄弟」ジョンフンくんを何だかんだとチクチクとイビりまくる。ところが梅宮ヨンギュンはまるで分かってなくて、通りいっぺんにクソガキを叱るだけ。梅宮のガキの躾が悪いから、アンナは羽賀研二ソデにしてくっついた亭主も働かない稼ぎがないゴクつぶしと毎度毎度オトコを見る目がない。夕食の時はと言えば、梅宮ヨンギュンはテメエの元からのガキ二人と一緒に食べて、ほとんどジョンフンくんをシカト。ったく金持ちのガキなんざ一発二発張り倒してやらにゃあいかん。特に今どきの両親の間に生まれたガキは、躾がまるでなってないぜ。親からしてなってないからな。電車でクツ履いたまま座席に座って、俺のズボンを踏むんじゃねえこのクソガキが!

 ふ〜っふ〜っ。興奮してしまった(笑)。

 そんなこんなで元々は明るく健気な性格、素直で人を疑わないキャラだったジョンフンくんも、見るみるうちに思いっきり暗くなっていく。夜になれば「母親恋しい」と泣くばかり。

 そんな気持ちは伝わっていくのか、実母のムン・ヒも息子がツラい思いをしているんじゃないかと心労のあまりボロボロ。周囲もこのままでは死んでしまうと心配する。

 そんな毎日に疲れ、母会いたさにペンダントの母の写真を見つめていたジョンフンくん。ところが梅宮ヨンギュンがそんな彼の姿を見ていたのがマズかった。大の大人のヨンギュンときたら、まだ年端もいかないジョンフンくんからペンダントを奪い取ろうとマジでしがみつく。大会社の社長で貫祿十分のヨンギュンが、小さい男の子の手からペンダントをむしりとろうとする、この胸のすく男らしさカッコよさ父親らしい包容力。これにはさすがの妻チョン・ゲヒョンもシビれて呆れ顔。これが儒教の国男性天国の韓国だからよかったものの、日本の出来事だったら嫁さんとっくに実家に帰ってるよ。

 ペンダントむしり取った代わりにオモチャだ自転車だと買い与えても、テメエが経営してる原宿の漬物屋から漬物持ってこられても、そんなものクソの役にも立ちゃしない。ジョンフンくんの母恋しい気持ちは、いまや最高潮に達してしまったわけ。だから学校帰りに家には帰らず、そのまま母の待つ漁村に帰ろうとする。だがそこは子供の悲しさ。どうやってそこまで行けばいいかが分からない。そんなこんなでただオロオロしているうちに、あっという間に陽が暮れる。そのうち一天にわかにかき曇って、たちまち激しい雷雨の夜だ

 梅宮ヨンギュンの家ではジョンフンくんが帰らないと上へ下への大騒ぎ。おなじみメガネ教授までかり出されての大捜索となるが、まるであの子の行方は分からない。ところがヨンギュンまるで自分のやった事が分かってなくて、あのガキ手をかけさせやがって、帰って来たら施設にブチ込んでやるといきまく見下げ果てたオヤジ根性。いいかげん妻のチョン・ゲヒョンもウンザリする。

 この雷雨にズブ濡れとなったジョンフンくんは、仕方なくイヤでイヤでしょうがない家に戻ってくる。だけど子供の背丈ではブザーのボタンに届かない。門の外まで来ても、中に知らせることが出来ないジョンフンくん。そのうち体も冷え切ってコックリコックリし始めるではないか。

 眠ってはいけない!

 何と生みの母ムン・ヒが、そんな息子の様子を心配して物陰で見守っているではないか。実は彼女、あまりの胸騒ぎにいてもたってもいられず駆けつけてみての、案の定のアリサマ。だが、そのままではジョンフンくんが死んでしまうと、ムン・ヒがたまりかねて声をかけようとしたちょうどその時…メガネ教授が門の前でうずくまっているジョンフンくんを見つけた。

 さぁ、家の中からは梅宮ヨンギュンや妻が出てきた。やっと見つかった、よかったよかったとなるかと思いきや、この梅宮太鼓腹オヤジは事もあろうに寒さに震えるジョンフンくんに手を上げるではないか

 その時、雷光一閃!

 何と物陰に隠れていたムン・ヒの姿がクッキリ現われる。ジョンフンくんをいたぶっていた梅宮ヨンギュンはマッ青。ジョンフンくんも恋しい母親の姿を見つけて、急に元気になった。

 「おかあちゃ〜ん!」

 ままよと逃げ出すムン・ヒ。その後をメガネ教授が追いかける。乱暴狼藉をはたらいていた梅宮ヨンギュンは、ハッと我に返って大いに恥じ入った。

 自分を呼ぶジョンフンくんの声から逃げたムン・ヒだが、考えてみるとここで自分が逃げなきゃならないのがオカシイ。開き直ったムン・ヒは追いかけて来たメガネ教授に宣言する。「手放したのが間違いでした。あの子は私が連れて帰ります!」

 ひたすら低姿勢だった今までとは一変して、堂々と上を向いて梅宮オヤジの家に乗り込むムン・ヒ。梅宮の妻は「私が至らなかったばかりに…」と言葉もないが、そもそもはこの妻の責任でもない。事の発端から何から悪いのはすべて、優柔不断テメエ勝手な梅宮ヨンジュン太鼓腹オヤジ。にも関わらず、まだロクに謝りもしないでブツクサ言い訳に終始するだらしなさ。どこまで情けねえんだオメエは。羽賀研二のことを悪く言う権利などないだろうがこのボケ! 奴はまだアンナとペアヌード撮って借金返済しようとしただけ見どころがあるわ。

 一夜明けて駅のホームでは、旅立つムン・ヒとジョンフン母子を見送る梅宮一家の姿があった。だが、もはやムン・ヒはヨンジュンを責めもしない。ジョンフンくんも調子のいい事を言ってるヨンジュンを許してる。もっと訳分からないのは、ヨンジュンのガキ二人がすっかり仲直りしたかのように笑ってること。テメエこのクソガキども、誰か小遣いカツアゲして泣かせてやれ!

 いつかはこの子も大きくなります。その時にはまたあなたの前に現われることでしょう。

 憎くてももう一度、憎くてももう一度…それが父子というものだから

 そう言い残すと、梅宮一家に波乱をもたらした羽賀研二…じゃなかったムン・ヒとジョンフン母子は、蒸気機関車の煙とともに去って行くのであった…。

 

 「シュリ」以降、いまや外国映画の中でも定番となった感がある韓国映画。その活況の源流が1970年代後半〜80年代あたりからのニューウェーブ作品群にあることは、結構知られているところじゃないだろうか。だが、その前の韓国映画はまるで不毛の地であったのかと言うと、そんなはずはないと思うんだよね。今日の映画ほどの洗練は当然のごとく期待できないまでも、それなりの作品は必ずあったはずだ。

 今回、国立近代美術館フィルムセンターが主催した「韓国映画/栄光の1960年代」なる催しは、そんな空白を埋めるような連続上映。ニューウェーブになってからの作品というものは割と目にする機会もあったのだが、この1960年代の作品群ってのはほとんどお目にかかることが出来なかった。そんな名前だけ知っている作品に触れることができるというのが、今回のイベントの最大の魅力だ。

 で、今回の「憎くてももう一度」なる作品、決して映画祭に出品されたり批評家受けする芸術作品、作家映画などではない。だが1960年代にバカ当りした大衆娯楽映画として、僕もその名前だけは知っていたんだね。

 この映画がいかに当ったかということは、この作品にすぐ続編が制作されたことからも伺える。その作品「続・憎くてももう一度」(1969)はまたまたヒットして、「憎くてももう一度(三編)」(1970)、「憎くてももう一度・大完結編」(1971)とシリーズ化にまで発展してしまったからスゴイ。また、何と1980年には「憎くてももう一度 '80」としてリメイクされて同年の観客動員数ナンバーワンとなり、続編「第2部・憎くてももう一度 '80」をも生んだ。さらに1999年にはテレビドラマ化され、何と2001年には本作のチョン・ソヨン監督自らがリメイクした「憎くてももう一度2002」まで登場するに至ったというのだから、そのインパクトたるや想像を絶している。韓国ではメロドラマと言えば、この「憎くてももう一度」ときちゃうほどの作品なんだろうね。

 では、なぜこの僕はわざわざ今回この映画を見に行くほどのこだわりがあったのか?

 それは、今年公開されたホ・ジノ監督の近作映画「春の日は過ぎゆく」のせいなんだね。

 詳しくは「春の日は過ぎゆく」感想文に書いたからここには触れないが、この映画のキーポイントとも言えるかたちで「憎くてももう一度」なる歌が出てくる。モロに日本の夜のムード歌謡というか演歌みたいな女の恨み節として、主人公(男)の気持ちを代弁するかたちで出てくるわけ。で、僕はこれって絶対に映画「憎くてももう一度」の主題歌に違いないとにらんだんだね(このあたりは僕の「春の日は過ぎゆく」感想文からもリンクしている「てじょんHP 韓国映画と歌」の中に、“韓国映画と歌(23) 「憎くてももう一度」 〜「春の日は過ぎ行く」より”として詳しい事情が載っているのでご一読されたい)。妻を持つ身の男を愛した女の心情を歌った歌としてピッタリな歌詞だったからね。だけど僕が尋ねた韓国映画ファンの方々も、映画「憎くてももう一度」実物には接したことがなかったので、それが正しいのかどうか確認することが出来なかった。今回の本作鑑賞には、そんな確認の意味もあったわけなんだね。

 では、もったいつけても仕方がないから、この件についての結論から先に言おう。映画「憎くてももう一度」には主題歌はなかった(笑)。テーマ音楽のメロディも劇中で特に印象づけられるようなものではなかったので、映画の大ヒットによってテーマ曲のメロディに詞をつけて歌ったということも考えにくい。おまけにこの感想文のストーリー紹介を読んでいただければお分かりのように、物語はかつて妻子ある男性を愛してしまった女の心情よりは、その関係で生まれた息子にまつわる葛藤を主眼としているんだよね。ラストのタイトルに通じる台詞から見ても、ここでの「憎くてももう一度」ってのは隠し子の息子とその父親との間で持たれる感情のことを言っている。だから、どうもちょっとこれは僕の見込み違いらしいと認めざるを得ない。

 もっともこの作品、オリジナルだけで4本もシリーズ化されている。第一作にはなかったかもしれないが、その後の何作かから主題歌がついたという可能性も否定しきれない。また、息子にまつわる葛藤だけで4作を延々続けていくことはかなりキツいと想像されることから、これ以降の作品には本来の男女間の恋愛感情に関する「憎くてももう一度」的趣向が蒸し返さないとも限らない。だから依然として「春の日は過ぎゆく」の中でうたわれる「憎くてももう一度」という歌が本映画シリーズの主題歌である可能性は完全に捨て切れないものの、まぁ普通に考えれば「春の日は過ぎゆく」と映画「憎くてももう一度」の関連はないと思った方が賢明だろう。ここは僕の完全な深読みの失敗だ。負けを完全に認めたい。

 さて、そんな興味から見に行った本作だが、実際には「春の日は過ぎゆく」との関連を抜きにしてもなかなか楽しめる一作だった。意外にも…と言うより当然…と受け止めるべきだろうが、かつての日本映画、松竹映画あたりのメロドラマ気分が濃厚に漂っていて、何とも懐かしい雰囲気なのだ。

 1960年あたりのブルジョア家庭の描き方あたりも、まだ「先進国」などと威張ってなかった頃の日本のような中途半端な豊かさが伺える。ラストシーンで母子が故郷に帰るために乗り込む列車は、何とまだ蒸気機関車だ。首都ソウルの駅からまだ蒸気機関車が走っていたのだ。1968年と言えば、日本でもそろそろかなり地方に行かないと蒸気機関車が見れなくなっていた頃だろう(僕は1970年くらいに北海道で蒸気機関車を見て、ひどく懐かしかった記憶がある)。その分だけ韓国が経済発展的に日本の後を追っていたということなのだろうか。劇中に出てくる自動車がトヨタのコロナの初期モデルにソックリな韓国車だったりと、風俗描写的に興味尽きないものがある。横長画面のシネマスコープ・サイズも、ビスタサイズ主流の今日としては懐かしさの一因だろう。

 映画そのものの出来は…と言うと、実はそんなに質的に高いものとは思えない。特に出だしはヨレヨレで多少失笑してしまう箇所もいくつかある。アフレコの台詞は口と合ってない。レール移動の際にカメラの影が人物に映ってしまう。音楽がシークエンスごとにブッチンブッチンと切れる。演技と演出が大げさ過ぎて笑っちゃう。すでに中年太りで現代場面の社長役としては適役のシン・ヨンギュンなる男優が、その貫祿のまま若き日を演じる苦しさも笑いを誘う。

 そんな不倫男の田舎の実家から、妻子がノコノコ上京してきて愛人とハチ合わせしてしまうあたりの描写は、シリアスな映画の深刻な見せ場にすべきなのに、ハッキリ言ってドリフの「全員集合」みたいなお笑いになってしまっている。しかも不思議なことに、マジメにやろうとしたのに失敗しておかしくなっちゃったんじゃなくて、最初からユーモラスに描こうとした形跡があるんだよね。この映画の監督チョン・ソヨンって一体何を考えていたのかね?

 まぁ、そんなこんなで単純素朴な一本調子演出。実直と言えば聞えはいいが、ハッキリ言って下手クソとしか言いようのない映画…と見始めた時は思ったわけ。

 では、つまらなかったのか?

 いやぁ、それが結構面白かったから映画って分からないんだよ。それも、上記したように図らずも滑稽になっちゃったところが笑えたからではない。おそらくほぼ映画の制作者が意図していた狙いの通りに、本気で面白く見ちゃったと思うんだよね。

 では、どこが面白かったのか?

 確かに単純素朴、ストレート一本勝負で技巧なんて微塵も伺えないこの映画。だけどねぇ、実際のところは野球のピッチャーじゃないけど、ストレート一本勝負で戦えればそれに越したことはないんだよね。でも段々そうはいかなくなって、使う手がなくなってきたり受け手がスレてきたりつくり手が衰弱したりしてきたところで、映画ってのはいろいろ技巧を使わざるを得なくなってきた。技巧ってのは一種の刺激だから、それもいずれは色褪せ飽きられる運命にある。そうするとさらに強い技巧=刺激を追求していかざるを得なくなる。まぁ、世界中のあらゆる映画が、今そういうジレンマの中で新しい作品を生み出しつつあるわけなんだよ。

 ところが確かに今日の僕らには技巧もなく馬鹿正直な素朴演出にしか見えないこの映画、技術的な稚拙さはいかんともし難いにしても、その根幹にはえらく骨太な力強さが息づいているんだよ。今日の僕らがこれをやろうったって無理なんだよね。つくる側も見る側も単純素朴な力を信じ切っている、そんな状況下だからこそ実現できる力強さなんだ。この映画は疑いなくそんなパワーに満ち満ちている。

 それは役者にも言える。この映画の災難を一身に引き受けるヒロインのムン・ヒの、悲惨だけど潔くも美しい姿。彼女ってこの作品で爆発的人気を得たらしいが、それもうなずける。そして彼女をしのぐ存在感なのが、隠し子役のキム・ジョンフンだ。とにかくこの利発そうで愛嬌がある子役が素晴らしいんで、僕らはすっかり乗せられてしまう。「A. I.」のハーレイ・ジョエル・オスメントだって歯が立たないほどの健気さ加減。いや〜、こりゃまさに天才子役だよね。この子を見ちゃうと観客はみんな彼を応援せずにはいられない。映画マニア的、映画理論的には噴飯物のパターンだろうが、そうは言っても理屈抜きのところがあるんだよ。

 まぁ元々映画って大衆のものだ。だからこれでいいのだ。愛の不毛とか何だかつまんないものしか見せてもらえなくなった昨今の映画を考えると、この下手クソな映画の方が数倍観客のことを考えてる。

 正直言って今日の僕らの目からすると、何で一番の元凶のオヤジがのうのうとしていて、こいつのおかげで人生狂わされた母子がひたすら耐えなければならないのか、そして何でこの母子が何だかんだ言ってもこのオヤジを最終的には許しちゃうのか、まるで納得が行かない。だが、この時代でこの国…男性中心の儒教のお国柄と考えれば、何となく分からないでもない。この国の映画の常として、この儒教的な女性受難のお話をこれでもかこれでもかと描く作品がゴマンとあるからね。それらの作品はどれもこれも、見ていて血圧が上がりそうな橋田寿賀子ドラマの100倍ひどいイジメのような映画ばかり。ハッキリ言って韓国映画好きの僕でも、このジャンルの作品だけはあまり得意としてはいないんだよ。

 ところがこの「憎くてももう一度」、そんな儒教的バックボーンを反映して女性たちは堪え忍び男の不始末はほとんど不問にされたままのストーリー展開にも関わらず、こうした一連の韓国女性受難映画のようないたたまれなさはあまり感じられない。かわいそうはかわいそうなんだけど、見ている時は気楽に楽しめる作品に仕上がっているんだよ。それはなぜか?

 そこらへんを改めて考えてみるに、やはり先に述べたような下手クソさ、ユルユルぶりがプラスに働いているような気がするんだよね。これギッチギチに隙なしでタイトなドラマを展開していたら、まるで悪夢みたいな映画になったかもしれない。まるでジェットコースターみたいな運命の急落だからね。そこをユル〜くつくったことで救いが出てきた。本妻と愛人ハチ合わせのくだりのドリフみたいなお笑いも、ひょっとしたらあえてやっているのかもしれない。いや〜、すべて折り込み済み計算づくの下手クソならぬ下手ウマと言ったら、いくら何でもちょっと言い過ぎだな(笑)。おそらくは偶然の産物だろうけどね。だけど幸いな事に演出がユルかったから、ヒロインたちの受難も安心して見ていられる作品に仕上がったってことはあるかもしれない。この安心して見ていられるって要素も、大衆娯楽には無視できない要素だからね。

 だから、ほとんど期待しないで見たこの「憎くてももう一度」、大昔のテレビの昼メロみたいな内容の映画ではあったが、僕は結構楽しんだ。おまけにこのシリーズを追いかけて、この後で登場人物たちがどうなるのか見届けたくなったよ。きっと当時の韓国のお客さんたちも、そうして4作全部つき合わされたんだろうねぇ。

 

 

<追加>

後日、この作品の続編「続・憎くてももう一度」をご覧になった方より連絡をいただき、この続編のオープニングとエンディングには主題歌が存在することが分かった。しかも、この歌はまさに「春の日は過ぎゆく」に出てきた歌であるとのこと。この文では可能性は低いのでは…と書いたが、まさにそれが正解だったという事実をここに付け加えさせていただきたい。


Love Me Once Again

(1968年・韓国) 韓振<ハンジン>興業 制作

日本劇場未公開

監督:チョン・ソヨン

原作・脚本:イ・ソンジェ

出演:シン・ヨンギュン、ムン・ヒ、チョン・ゲヒョン、パク・アム、キム・ジョンオク、キム・ジョンフン

2002年11月17日・東京国立近代美術館フィルムセンター「韓国映画 - 栄光の1960年代」にて鑑賞


 

 

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