「はなればなれに」

  Bande a part

 (2001/05/21)


 まずはオープニング。楽しげで軽快なミシェル・ルグランの音楽に乗って、主役3人の顔がパッパカパカパカ変わっていく。もう、これだけ見ていても何とも楽しい気分になっていくんだね。

 オープンカーを走らせる若造が二人。片ややせぎすで神経質そうなサミー・フレイ、もう片方は若いくせに早やオヤジ顔のクロード・ブラッスール。二人で知り合ったばかりらしい女の噂話なんかしてる。途中で車は話題にのぼってる女が自転車に乗って走ってるのを追い越すが、彼女は車に気づかない。「スター・ウォーズ」のレイア姫みたいに鈍くさい髪型のアンナ・カリーナだ。二人は何やらこの女がらみで企んでいるらしく、川岸に車を停めて、向こう岸の家の様子をうかがう。どうもこの家は彼女の叔母さんの家らしい。はてさて一体どうなってるんだ。やっぱゴダールの映画って昔から訳分かんないのかとボヤき入りそうになったところで、当のゴダールらしきナレーションが「話は3週間前に遡る」とご説明。まだ若かった頃のゴダールは、今ほどゴーマンじゃなかったらしい。

 こいつら柄にもなく「ノバ」だか「イーオン」みたいな英語教室に通ってるのだが、この教室って書取りばかりやらせてて、こんなんで英語おぼえるのかきわめて怪しい。そこでお察しの通り、フレイとブラッスールは勉強なんかしちゃいない。かわいこちゃんのカリーナにちょっかいばかり。先生の目を盗んではなんだかんだとやっている。このへん、「8時だヨ!全員集合」での学校のコントみたい。先生が長さんだったらどやされるぜ。

 休み時間にはカリーナにブラッスールがからむからむ。どうも最初はフレイが目をつけたらしいが、いまやまったく相手にされず、ブラッスールがカリーナとベタベタ。どっちかと言えばフレイの方が二枚目で、ブラッスールはその後「ラ・ブーム」でソフー・マルソーの父親演じた時とあんまり変わらないくらい、オヤジ入っててアブラギッシュな感じ。でも、そのアブラギッシュさが女には頼もしく見えるのか。アッチの方もフレイより強そうだしな。フレイは何だか悲しそう。

 で、この男二人とんでもない奴らで、カリーナが叔母さんの家に金がゴッソリあるなんて言っちゃったもんだから、それを巻き上げようなんて計画立てている。そんなのダメだのイヤだのカリーナ言ってる割に、結局その計画に荷担することになるあたり、一体何を考えてるんだか。アブラギッシュなブラッスールなら、「結局、オンナのイヤは“やって”ってことなんだよ」てな、安手のポルノ映画のセリフまがいの事を言いかねないぜ。

 喫茶店で三人して計画立てようってなことになるが、結局どっちの男がカリーナの隣に座るかでああでもない、こうでもないとジタバタしているようなアホらしさ。それにつき合ってるカリーナもあんまり頭良さそうじゃないよねぇ。

 ところがブラッスールの叔父たちってのが奴に輪をかけた柄の悪さで、「俺たちに黙ってオイシイ思いしようなんて太てえ野郎だ」と割り込んでくる。こいつぁヤバいと焦ったブラッスールは計画を早めてこの日の夕方決行となるが、何と準備万端で乗り込んだつもりが、その日に限って金のある部屋にカギがかかってる。結局、翌朝早くに計画は変更だ。

 だが、どこまでもドジなこの二人。翌朝乗り込んだら今度は金がなかった。その場にいたカリーナの叔母には顔を見られるわ、カリーナはひ〜ひ〜言うわで何から何まで思い通りいかない。

 トホホ・・・俺たちどうなっちゃうんだよぉ〜。

 

 ジャン・リュック=ゴダールって、僕にとっては鬼門とも言える映画作家なんだよね。「パッション」からようやくリアルタイムで作品見ることが出来たんだけど、どれもこれもハッキリ言って・・・。

 つまんねぇ〜〜〜〜!!!

 こんなこと言ったらシネフィル失格だかバカだかトンマだか知らないが、そんなの誰にどう言われたって俺はいいよ。だって、本当につまらねえんだもん。何だか思わせぶりの演技、思わせぶりのショット、思わせぶりのブツ切り音楽。そこにゴダール旦那の戯言としか思えない屁理屈ナレーションがブツブツブツブツ、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと流れててイライラする。それでも「パッション」とか「リア王」とかは、まだ題材の面白さで何とか見れた。だけど、それ以外の最近のゴダール作品ってどこがいいの? 映画評はどれもこれも傑作だとか素晴らしいとか絶賛オンパレードだが、不思議なのはどの映画評もどこがどう「いい」のか何度読んでも分からないこと。こんなのってオカシイと思わないか。あいつらホントに分かってるのか? 一瞬は自分に教養がたりないから分からないんだなんて余計な事を考えさせられるが、よく考えてみなよ。具体的に「どう」と言えない映画評なんてどこかオカシイ、絶対きっとみんな分かってないはずだ。誉めてる奴、実は分かんないって言えなくて無理して誉めてないか? どうだ、図星だろう(笑)! 今、白状するなら許してやるぜ。

 悲しいかな、昔のゴダール作品なら結構見れる。「勝手にしやがれ」とか「軽蔑」とかを今さら引き合いに出したら、それこそシネフィルたちにバカにされるだろうけど、この頃は面白かったよね。「ワン・プラス・ワン」あたりも面白かったけど、それってローリング・ストーンズが出てるからかね? で、何で今のはあんなにつまらないんだよ。

 ご贔屓ジェラール・ドパルデューをもってしても、近作「決別」はどうにもならなかった。俺は「決別」でゴダールと「決別」したよ(笑)。それともあのタイトル、みんなゴダールと「決別」しろって言ってるつもりかな?

 ケナすとバカにされる、映画が分かってないと言われる、だからみんなしょうがなくて誉めてるんじゃないか? ならば、この俺がハッキリとトドメを刺してやるぜ。ゴダール、おまえはもう才能の枯渇した過去の人間だよ。どれもこれもつくるのも見るのも時間のムダな映画ばっかし! ホントは自分自身が一番それよく分かってるから、訳分かんないようにごまかしてるんだろ? それがやれる技術くらいなら、まだかろうじて残っているからタチが悪いんだよな。

 それをハッキリ確信したのは、この1964年のゴダール作品を見たから。伝説的な作品なんだそうだが、俺にはそんなこと関係ない。これはそんなご立派な映画じゃないもんな。

 だって、出てくる連中がどいつもこいつもバカばっかり

 っていうか、幼いって言うべきかな。カッコつけてるつもりが全然サマになってないとこがオカシイんだ。で、俺はこれを誉め言葉として言ってる。なぜなら、そんな登場人物たちがみんなかわいげあって微笑ましいんだよね。若さはバカさだ。そして、それだから愛おしい。いいじゃないか、そんなバカな奴ら。

 筋書きは上に書いた通り、どうでもいいような下らない話だがこいつらにはそれでいい。実際ストーリーなんてどうでもいいみたいだ。それより途中に挟まる本筋とは関係ないエピソードがいいんだよ。フレイがブラッスールを撃つ格好をすると、ブラッスールが東映時代劇の大部屋斬られ役役者みたいにもがいてポーズつけたりして、バカバカしいことおびただしい。

 「インディ500」に出るゾなんて言って車を飛ばしてるのもガキっぽいよな。

 喫茶店にこもっては1分間黙ってみようぜなんて下らない提案して、実際やってみる。映画もノイズまで消してそれにつき合うバカバカしさ。

 それに3人でルーブル美術館を走り抜けようなんてショットもあって、これまた下らないんだけどオカシイ。やってる役者たちも思わずバカバカしくって笑っちゃってる。

 そんなシーンで主役3人はいつも若さで輝いてる。特にヒロインのアンナ・カリーナのかわいさったらないよ。そこで演じられてる内容がどうのじゃない。そんなバカバカしいこと一生懸命やってる連中の可愛げがいいんだよ。

 その頂点が、やっぱり喫茶店でのダンスのシーンなんだろうね。ツイストみたいな何とも言えない不思議なダンスを三人が興じる姿を延々撮ってる。音楽はずっとゴダール作品でトレードマークのブツ切りになったりするんだけど、それが後年の作品みたいにイヤミにならなくって、思わずハッとするようなカッコよさなんだよね。そういやこの場面を見ていて、ハル・ハートリーの「シンプルメン」で同じ女一人男二人で演じられる妙ちきりんなダンスシーンを思い出したけど、あれはこの「はなればなれに」をパクってたんだねぇ。

 で、ゴダールはここでも実はブツブツとナレーションを入れている。若い頃から理屈っぽかったらしく、「荒涼とした風景に、漆黒の木々が死者の海を思わせた」とか、「夜のパリは、二人に先の見えない将来を感じさせた」とか屁理屈こいてるんだけど、画面のほうは先に言ったようなバカバカしさだから、思いっきりこの文句が滑ってるわけ。はは〜ん、ゴダール偉そうに言ってるけど、結局若造が一生懸命背伸びしてるだけだったんだなと分かる。そう思ってみれば、この生意気な屁理屈もかわいいじゃないか。許せるどころか、それこそが若さだと思いたくなるよ。

 問題なのは、その後本当に偉くなったゴダールが妙に知識もついて地位も名誉も得たのに、同じようにやってるところだったんだ。出演者たちも登場人物たちも、もう若さを嬉々として享受してやしない。ゴダールも変なテクニックだけは磨きがかかって、妙にもったいつけるようになる。だけど、だれも猫に鈴つけないで誉められる一方だから、どんどん増長して頭にのぼる。そうなって何もかも変わっちゃったのに、まだ懲りないで屁理屈ナレーションだけ同じように入れている。これはハッキリ言って勘違いだよな。

 もう可愛いアンナ・カリーナもいない、若さの輝きもない。かわいらしくってバカバカしい弾んだ気分もなくなった。それでいい歳くったジジイに屁理屈ナレーションだけ聞かされてれば、いいかげん不愉快になるのも道理なんだよ。ジジイの屁理屈より若くて可愛い女に決まってるだろうが、このボケが。

 映画はラストに「人間はみんな、はなればなれだ」とか「愛し合ってみる?」とかアホな戯言言って終わる。でもねぇ、その時には若い奴にはそれって真実なんだよね。世界の幸福と不幸が全部見えてる気がしちゃう。それでそんな神をも恐れぬ発言しちゃうけど、そこに邪心はないんだよ。それはそれで、彼らには本気も本気なんだ。そして後になってみれば、それがとっても尊いわけだよね。だって歳くったところで、それより物事見えてくるかと言うとそうでもない。実はいつまで経っても真実なんて見えない。分かったと言う奴もいるけど、それは本当に分かってないバカな死にぞこないのジジイやババアだよ。かわいそうにゴダール、おまえもつまんない奴になっちまったよな

 分かってないくせに真剣に分かったと思えたあの頃に、もう一度戻りたいと言ったらいけないことだろうか。この映画を見て、正直久々にそう思っちゃったよ。

 


Bande a part

(1964年・フランス)

監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール

出演:アンナ・カリーナ、サミー・フレイ、クロード・ブラッスール、ルイザ・コルペイン、シャンタル・ダルジェ、エルネスト・メンゼル

2001年4月30日・劇場にて鑑賞


 

 

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