「シャレード」

  Charade

 (2005/01/24)


 それは早朝のこと。パリからボルドーに向かう列車から、一人の男が投げ出された。頭から血を流して死んでいるその男の正体とは…?

 さて舞台変わってここはフランスの雪山。雄大な山々に抱かれた高級スキー・リゾートで、一人の女が猛然とメシを食いまくっている。そんな女を狙う銃口が…。

 ところがそれは水鉄砲だ。びしょぬれにされて思わず顔をしかめるその女の名はレジーナ(オードリー・ヘプバーン)。たった今、彼女に水をかけたジャン=ルイ坊や(トーマス・チェリミスキー)とその母親シルビー(ドミニク・ミノー)と共に、このスキー・リゾートに遊びに来ていたのだ。だがレジーナの気分は晴れない。夫チャールズ・ランバートとの夫婦生活が、いよいよ暗礁に乗り上げたのだ。何しろ夫にアレコレ秘密と嘘が付きまとうのが耐えられず、ついに離婚を決意した彼女。そのせいで、今日も朝からストレスによるバカ食いだ。

 そんな折り、ジャン=ルイ坊やの水鉄砲が縁でたまたま知り合った男(ケイリー・グラント)がレジーナに近づいてくる。彼の名はピーター・ジョシュア。「前にどこかでお会いした事が?」などと見え透いた手を使うのでオチャラかしたものの、悪い気はしない。つい「ミセス・ジョシュアはいるの?」と聞いてみると、何とも食えないこのセリフだ。「いたよ、でも別れた」

 ともかく彼女ももうここは引き払ってパリへと帰る。そこでパリでの再会を約束してジョシュアと別れたレジーナだったが…。

 彼女がパリの豪華なアパルトマンに戻ってみると、何と部屋の中はものけのカラ。家具も家財道具も服一枚残さず、まるっきりスッカラカンになっているではないか!

 呆然とするレジーナをいきなり呼び止める怪しげな男…だが、彼はパリ警視庁から来たグランピエール警部(ジャック・マラン)だった。「すみませんが、ご同行いただけませんかな?」

 こうしてパリ警視庁へと連れて行かれたレジーナ。彼女を待っていたのは、「夫」チャールズ・ランバートの死体だった。早朝に列車から突き落とされたのは、レジーナの夫だったのだ。

 そんな彼の死には、何とも不審な影がつきまとう。彼は南米行きの客船のチケットを持っており、明らかに国外へと高飛びするつもりだったようだ。そして出発前に家財道具や資産の一切合切を競売にかけ、25万ドルの金に換えていた。ところが列車に残っていたランバートの遺品には、その25万ドルはなかった。残されていたのはルフトハンザのロゴ入り旅行バッグと、その中に入った簡単な日用品、「木曜の5時、シャンゼリゼ公園」と書いたメモ帳、そしてレジーナに宛てて切手まで貼ってあった封書が一通だけ。手紙の内容も「元気か、早く会いたい」などと当たり障りもないものだった。

 だが、もっと驚いた事には…。

 夫チャールズ・ランバートにはその名が記されたスイスのパスポートの他、別名のアメリカ、チリ、イタリア…などの別のパスポートが存在していた。一体全体、夫の正体は何だったのか? 愕然とせざるを得ないレジーナだったが、そんな彼女をわざわざ訪ねてきたあのピーター・ジョシュアが慰めてくれた。

 さて、教会で行われた夫ピーターの葬儀。だが出席者は妻のレジーナとその友人シルビー、さらには事件担当のグランピエール警部だけ…という寂しい顔ぶれだ。

 …と、思っていたら…。

 いきなりやって来たのはメガネをかけた小男(ネッド・グラス)。この男、棺に収められたピーターの顔を見るやいきなりひどいクシャミを連発。そんな様子にレジーナとシルビーが唖然としていると…。

 次にやって来たのは背の高いヤセた男(ジェームズ・コバーン)。棺のピーターの顔を手鏡で映してしげしげと眺め、いきなりレジーナの前に来るとドスの効いた声でこう言った。「ご亭主は汚ねえ男だったんだぜ。オレは許さねえからな!」

 さらにトレンチコートの大男(ジョージ・ケネディ)。こいつと来たら、いきなり棺のピーターに針をブッスリ! 死んでいる事を確かめると安心したのか、そのまま教会を出ていった。

 次から次へとやって来た怪しげな客たちに動転したレジーナは、次にやって来たハゲ男が肩を叩くのでドッキリ! だが、この男は彼女に手紙を持ってきただけだ。その手紙は「アメリカ大使館」から来たものだった。明日の午後1時、大使館のバーソロミューなる人物の元まで出向くように…とのこと。

 手紙の時刻にアメリカ大使館を訪ねたレジーナを、バーソロミュー(ウォルター・マッソー)が迎え入れる。ここでレジーナは、またしてもショッキングな事実を突きつけられる。

 夫チャールズが、CIAに追われていた人物だと言うのだ。

 「それって“スパイ”なの?」

 「“エージェント”と言っていただきたい」

 ともかく彼が慌てて換金して持ち逃げした25万ドル…それは元々彼がアメリカ政府から奪った金だと言う。そしてその金を、3人の人物も追っている

 バーソロミューから見せられた古い写真には、夫チャールズと一緒にその3人の人物が写っていた。その3人とは…例の葬儀に現れた怪しい連中だ!

 メガネの小男はギデオン、背の高いヤセ男はテックス、そして大男はスコビー…いずれも先の大戦中にチャールズの戦友だった男たちだ。

 チャールズを殺した人物は、これらの誰かである可能性が高い。そしてそいつらは金を探して、いずれレジーナの命も狙ってくる。金を政府に返さねば命は助からない…と、まぁそんな調子で、バーソロミューはさんざ脅しをかけてくるからレジーナもたまらない。レジーナとて、そんな金に覚えはないのだ。だがバーソロミューは容赦しない。自分の連絡先を渡しながら、彼女にこうトドメを刺した。

 「あなたは必ず持っているはずだ。それを探して持ってきてください。さもないと…」

 そしてバーソロミューは、彼と会った事を「他言無用」と固く口止めした。これにはすっかり怯えきるレジーナ。

 そんなレジーナを励まそうと、ジョシュアはナイトクラブへと連れ出す。そのクラブのバカバカしい余興で一時我を忘れて楽しむレジーナ。ジョシュアとの間にも一瞬いい雰囲気が流れるのだが…。

 ジョシュアの目の届かぬ隙に、彼女の前にあのメガネ男ギデオンやヤセ男テックスが次々と現れ、「金をよこせ」だの何だのと脅しにかかる。そんなこんなをジョシュアに語る訳にもいかず、彼に連れられてグッタリしながら宿に戻るレジーナだ。ジョシュアに甘えて部屋へと誘うレジーナだが、イマイチ乗りの悪いジョシュアは、彼女が何を思い煩っているのかを知りたがった

 そんなこんなで部屋の前でジョシュアと別れたレジーナが、ドアを開けて一歩中へと入っていくと…。

 そこにはあの大男スコビーが立っていた!

 何とスコビーの右手は、金属製のゴツい義手だ。スコビーは恐ろしい形相で彼女に迫る。「あのブツはどこだ、ブツをよこせ!」

 慌てて部屋を飛び出し扉を閉めるレジーナだが、スコビーの義手が扉を突き破る! 慌てて飛び出した彼女に気づき、立ち去りかけていたジョシュアが戻ってきた。

 「助けて、殺される!」

 ジョシュアは急いで部屋へと飛び込む。すると、ドタンバタンと激しい物音が聞こえてくるではないか。それが静まっても誰も何も言って来ないので、レジーナはコワゴワ部屋に入っていく。

 すると、ジョシュアがのされて倒れていた。スコビーは開け放した窓から逃げ出したに違いない。起きあがったジョシュアは、勇敢にも窓から窓へと移ってスコビーを追いかけていく…。

 …と、思いきや、ジョシュアがある部屋に窓から入り込むと、そこにはメガネ男ギデオンやヤセ男テックス、そして先ほど義手を見せていた大男スコビーがいるではないか。しかも、彼らはジョシュアが入って来ても平然としたままだ。そしてジョシュアにこう切り出した。

 「おい、金はどうなったんだ?

 「ふん、オマエらが邪魔するから仕事にならん

 何と…ジョシュアはこの3人のグルだったのか。ジョシュアが言うには、レジーナは自分を信用しているから手を出すな…とのこと。だが義手の大男スコビーは納得しなかった。「そもそもこれはオレたちの金だが、オマエのもんじゃねえ!

 ジョシュアが仕切るのが気に入らない義手男スコビーは、捨てゼリフを吐いて去っていった。ジョシュアはジョシュアで彼らが手配したレジーナの隣の部屋のカギをゲット。何とか金のありかを探るべくレジーナの部屋へと戻った。

 そうとは知らぬレジーナは、戻ってきたジョシュアに抱きついた。そしてジョシュアに、自分が25万ドルを巡るいざこざに巻き込まれている事までは打ち明けた。ところがそこに一本の電話が…。

 「そこにダイルはいるか?」

 慌てて電話に出たレジーナは、受話器の向こう側の声にギョッとした。それはあの義手男スコビーの声だったからだ。だがもっとギョッとしたのは、どうもスコビーがジョシュアを「ダイル」という名で呼んでいるらしいこと。しかもスコビーはこう付け加える事を忘れなかった。「悪いことは言わねえ、決して奴を信用するなよ

 打ち解けた雰囲気もそこまで。たちまち冷水を浴びせられたようにジョシュアを警戒し始めたレジーナ。彼女はジョシュア(あるいはダイル)が隣の部屋をとったと聞いて、またしても彼に対する疑いを濃くせざるを得ない。

 せっぱ詰まったレジーナはバーソロミューと連絡を取ると、早速近くの市場で会おうと言う。そこで思い切って部屋を飛び出したレジーナは、慌てて彼女の後を追うジョシュア(あるいはダイル)を何とか機転で振りきった。おかげで市場で落ち合ったバーソロミューにレジーナは自信満々。鼻息荒くこう言い放つほどだ。「女にはスパイの素質があるのよ」

 さて、果たしてダイルとは何者か?

 バーソロミューはレジーナに、事の発端から話し始めた。それは大戦中の1944年のこと。アメリカ戦略事務局OSSは25万ドル相当の金塊を5人の人間に託し、フランス地下組織の軍資金として役立てるためにドイツ軍の後方へと送り込んだ。ところがその5人は金塊をわがものにして土中に埋め、ドイツ軍に奪われたと偽った。この5人こそが、レジーナの夫チャールズ、メガネ男ギデオン、ヤセ男テックス、義手男スコビー…そしてダイルだったのだ。だがドイツ軍の攻撃に巻き込まれスコビーは片腕を失い、ダイルは死んだ。戦後チャールズがその金塊を掘り出して独り占めしたのは、最初にバーソロミューが話した通り…。

 つまり、ダイルは死んだはずの男だ

 ここでバーソロミューは、重ねてレジーナに協力を要請する。何とかジョシュア…もとい「ダイル」の素性を探り出して欲しいと言うのだ。これにはレジーナもビックリ。

 「何で私がその“CIO”の事件に関わらなきゃいけないのよ!」

 「・・・・・」

 「・・・・・」

 「あの〜、“CIA”です、奥さん」

 結局レジーナはバーソロミューに説得されてしまった。何より「ドイル」は彼女を信頼している。そしてレジーナは逃げるわけにもいかない。チャールズは逃げようとして殺されたのだ。こうなったら真相を知るより方法がない。それにはレジーナがもっとも打ってつけな状況にある。バーソロミューにそう言われれば、グウの音も出ないレジーナであった。

 「何しろ、女は“スパイ”の素質があるんでしょ?

 「…“エージェント”よ」

 というわけで、いきなりにわか素人スパイをする事になったレジーナ。スカーフを巻いて、サングラスをかけて…と思い切り怪し過ぎる出で立ちで、パリの街にジョシュア…もとい「ダイル」を追い回す。彼を追ってアメリカン・エクスプレスのサービス・センターにやって来ると、案の定「ダイル」名義で郵便物をもらおうとしているではないか。レジーナはサービス・センター内の電話ブースから「ダイル」を呼び出し、いきなり彼を問いつめた。

 「何でウソついたの、“ダイル”さん?

 こうして始まった「ダイル」の告白。もちろん彼は金塊強奪に立ち会っていた「ダイル」ではない。その弟だと言うのだ。兄の「ダイル」は金塊強奪に反対して他の連中に殺された。彼「ダイル」はそれを証明しようとしているのだ…と。だがレジーナは、どこまで信用していいやら分からない。しかも途中で電話が切れたからビックリ。見ると、いつの間にか「ダイル」が電話ブースからいなくなっているではないか

 実は「ダイル」は、電話中にあの義手男スコビーに無理矢理連れ出されていた。銃で脅されて最上階まで上らされ、サービス・センターの閉館時間まで待って屋上に上げられた「ダイル」。案の定、スコビーは前々から気に入らなかった「ダイル」に襲いかかった。彼は「ダイル」がすでに金の在処を突き止めたと思いこみ、それを聞きだそうと焦っていたのだ。

 スコビーの尖った義手で、スーツの背中を切り裂かれ血を流す「ダイル」。屋上での緊迫した戦いの末、スコビーは自滅して屋根から転落。何とか義手で雨といに引っかかったスコビーを後目に、屋上を後にする「ドイル」だった。

 さて、ホテルに戻ってきた「ダイル」を見て、レジーナは背中の傷に仰天。その素性への疑いを一時保留にして、甲斐甲斐しく彼の手当てをする。そのうちに、二人の間にまたいいムードが蘇ってきた。レジーナがファーストネームを問うと、「アレクサンダー」だと答えが返ってくる。

 「ミセスはいるの?」

 「いたよ、でも別れた」

 そして「ダイル」とイチャイチャし始めるレジーナだが、どうも「ダイル」はバツが悪そうだ。彼女がいくらモーションをかけても、彼の方は何やらのらりくらり。業を煮やしたレジーナに「マジメになって」と言われても、何ともシブい顔で逃げ腰になってばかり。

 「マジメってのは、男がこの歳になると一番苦手なモノなんだ」

 ところがまたしてもいいところで電話が入る。「なあに?」などと物憂げに電話に出たレジーナに、またまた冷水を浴びせるような一言が…。

 「ちょっとこっちに来てくれねえかなぁ、ちっちゃい坊やがレジーナおばちゃんを待ってるんでね

 電話の声はヤセ男テックスだ。部屋には他にギデオン、スコビーもいた。その言葉を聞いたとたん、レジーナには事態がハッキリのみ込めた。

 「ジャン=ルイ坊やが人質に取られたわ!」

 

 もちろんこの後もアレコレと物語はナゾがナゾを呼ぶ展開だが、それは実物でご覧いただいた方がいい。ここまで読んでいただいても分かる通り、この映画は一見ヒッチコック・タイプのロマンティック・サスペンスだ。

 何しろ主役の一人にケイリー・グラントを起用した事からして、その意図は明白。「汚名」(1946)、「泥棒成金」(1954)…そして何より、「巻き込まれ型サスペンス」の原点にして完成型である「北北西に進路を取れ」(1959)のヒーローであるグラントは、明らかにここではヒッチ・サスペンスのアイコンだ。そしてこの「シャレード」も、当然ヒッチ開発の「巻き込まれ型サスペンス」の典型としてのスタイルをとっている。

 何しろハリウッドは「北北西に進路を取れ」公開以来、この映画のリメイクみたいに同系列の作品をつくりたがった。それらをいちいち指摘していくのも大変なので多くは挙げないが、例えばロマン・ポランスキー監督、ハリソン・フォード主演の「フランティック」(1988)などはその典型。アーノルド・シュワルツェネッガー主演のコマンドー(1985)ですら、この「巻き込まれ型サスペンス」作品の遙か遠い親戚と言えるかもしれない。イマドキの若い映画ファンには、この手のジャンルの最も新しい例としてジョン・ウー監督、ベン・アフレック主演のペイチェック/消された記憶(2003) を挙げればお分かりいただけるだろうか?

 だが今回の「シャレード」は映画そのものを見れば誰にでも分かるように、厳密には「巻き込まれ型サスペンス」そのものではない。あくまで「巻き込まれ型サスペンス」の“パロディ”として、笑えるコメディ作品としてつくられている。「巻き込まれ型サスペンス」のシチュエーションを利用して、そこから醸し出すユーモアの部分を拡大しているのだ。そういう意味ではチェビー・チェイスとゴールディ・ホーンが主演した「ファール・プレイ」(1978)、シドニー・ポワチエ監督、ジーン・ワイルダー主演の「ハンキー・パンキー」(1982)、ジョン・ランディス監督、ジェフ・ゴールドブラムとミシェル・ファイファー主演「眠れぬ夜のために」(1984)…などなどの先駆にあたる作品と言っていいだろう。アメリカ映画はヒッチ風の「巻き込まれ型サスペンス」が好きで好きでたまらないのと同様に、それをパロディ化したコメディ作品も大好きなのだ。

 まして監督がスタンリー・ドーネンと来れば、本来は雨に唄えば(1952)、「掠奪された七人の花嫁」(1954)などミュージカル映画の監督で知られた人だ。シリアスなサスペンスなどどう考えても畑違い。コミカルな映画をつくらない方がオカシイ。

 当のスタンリー・ドーネンもこの趣向が大いに気に入ったのだろうか、この後またしても同趣向の姉妹編、グレゴリー・ペックとソフィア・ローレン主演の「アラベスク」(1966)を発表している。 ヒッチ・スタイル「巻き込まれ型サスペンス」のパロディ風という内容からも、ヒッチ作品経験者で典型的なアメリカ男優とヨーロッパ出身女優の顔合わせというキャスティングからも、さらにモーリス・ビンダーのタイトル・アニメーションやヘンリー・マンシーニの音楽という布陣からも、ハッキリ「シャレード」を踏襲したと分かる作品だ。

 考えてみれば、当時ドーネンが得意とするミュージカル映画はどんどん下火になっていく傾向にあった。そんな時代の空気は、ドーネンにとっても如実に感じられたはずだ。おそらくヒッチ・スタイルのサスペンス・コメディという作品形式は、ドーネンにとって新たな金鉱脈を発見したようなものだったに違いない。

 なるほど、コミカルにオシャレに殺人やお宝探しが展開し、美男美女のロマンスの花が咲くこれらの作品群の世界は、ある意味で「非現実」の世界だと言える。そこにはどこかミュージカル映画とも相通じるものがあったのではないか。そしてそんな「非現実」感の醸成のためには、それなりの舞台やらゴージャスなヨーロッパ女優も必要となるわけだ。オードリーやローレンというスター女優、そしてパリの街…といった要素は、作品本来の持つ性質が要求したものなのだ。

 ドーネンがそんなスタイルを「アラベスク」以後も続行出来なかった理由は、またまた時代の気分が変わったからだとしか言いようがない。オードリーやローレンといった、ヨーロッパ臭の強いスターがアメリカ映画を席巻する時代が終わってしまったのだ。時代はすぐにアメリカン・ニューシネマを求めるようになっていったわけ。ドーネンの凋落もここから始まってしまうのだが、それはまた別の話だ。

 ただ先にも述べたように、その後もアメリカ映画が常にヒッチ流「巻き込まれ型サスペンス」や、そのパロディ作品を愛好し続けているのは言うまでもない。だから同系列の作品は飽きもせず次々つくられるわけだ。特に「シャレード」「アラベスク」をリリースしたユニバーサル映画はこの系統の作品にご執心だったようで、本家本元のヒッチコック作品も発表しつつ、ドーネンの「アラベスク」を待たずにモロに同趣向の作品を別に仕立てていたから念が入っている。それがロック・ハドソンとクラウディア・カルディナーレ主演の「目かくし」(1965)なる作品だ。ヒッチ作品経験者ではないものの典型的なアメリカ男優とヨーロッパ出身女優というキャスティングからしてモロに狙いは同じ。そのあたりの事は、「ペイチェック/消された記憶」の感想文に書いた通りだ。

 さらに驚いた事には、この「シャレード」自体がリメイクされている! まぁリメイク流行りの昨今だから、このネタがリメイクされない方がオカシイと言えばオカシイのだが、何と監督にジョナサン・デミという堂々たる布陣で、マーク・ウォールバーグとタンディ・ニュートン主演で2002年に制作されているのだ(日本では劇場未公開・ビデオリリース)。だがウォールバーグにケイリー・グラントの役とは、いささか荷が重すぎたのではないだろうか。何より日本未公開ってあたりが、この作品の出来映えを暗示しているような気がする。どうせこの手の作品はみんな「北北西に進路を取れ」のリメイクみたいなものなんだから、あえて今さら「シャレード」の看板なんか、わざわざ掲げなくとも良かったのにねぇ

 僕はこのリメイク版は見ていないが、それ以外の「アラベスク」「目かくし」は大いに楽しんで見たものだ。だが確かに楽しんだ事は楽しんだものの、ペックとローレンもハドソンとカルディナーレも、やっぱりグラントとオードリーのシャレのめした楽しさには敵わない気がする。そういう意味では、何と言っても「シャレード」こそがこの手の作品の「決定版」だと思うんだよね。

 とにかく開巻まもなく始まるモーリス・ビンダーのモダンなタイトル・アニメーションとヘンリー・マンシーニの音楽だけで、すでにワクワクが始まっている。

 そして何より、ケイリー・グラントとオードリー・ヘプバーンの浮世離れカップルぶりが素晴らしい。

 実際、グラントとオードリーの二人は、最初から最後までふざけたやりとりを続けるばかり。夫チャールズの葬儀シーンも、三人のクセモノ役者のおかげで何ともシュールでバカバカしい趣向が連発する。そしてまるで関西の漫才みたいな、くどいまでのギャグの繰り返し(笑)。「ミセスはいるの?」「いたよ、でも別れた」…とか、「スパイね!」「エージェントです」…とか、とにかく最初スベってもこっちが根負けして笑うまで繰り返されるから恐れ入る(笑)。

 ストレスを感じると何かとモノを食いまくるオードリーというのも、彼女のやせっぽちな体型のせいもあって笑わせる。特にウォルター・マッソーとのやりとりで、オードリーが「CIO」と言った後で両者が沈黙のままにらみ合い、しばらく経ってからウンザリした顔でマッソーが「CIAです、奥さん」と訂正するあたりの「間」のオカシサたるや…すっとぼけたマッソーの顔も絶妙で、これは実物を見ていただかないと分からない。僕はこの映画を何度もテレビで見ていたんだけど、こんなに笑える映画だったか…と改めて驚かされたよ。

 そこへきて…グラントが服を着たままシャワーを浴びるという、本筋には全く関係ないバカげたパフォーマンスを延々見せたりしてるんだから、くだらないと言えば実際くだらない(笑)。だがこの二大スーパースターによる偉大なるムダの垂れ流しこそが、映画ファンにとっては何よりの贅沢でご馳走なのだ。

 当時オードリーは34歳。キャリアのピークである「マイ・フェア・レディ」(1964)の寸前ではあるが、「妖精」であり続けるにはいささか年齢的にキツくなろうかというところ。そこで、同性愛疑惑を流され苦悩する「噂の二人」(1961)や、「都会のおとぎ話」の中の「自由人」というポジションながらも実はよくよく考えるとコールガールまがいの役柄を演じた「ティファニーで朝食を」(1961)など、徐々に従来の単なる「清純」「クリーン」…のイメージから、徐々に逸脱した役を演じざるを得なくなっていた。こうした事情から、この「シャレード」では彼女はついに人妻役を演じる事になる。

 ただし“単なる「清純」「クリーン」からの逸脱”…とは言いつつも、「噂の二人」も「ティファニーで朝食を」も、いまだリアルで世俗な役とまではいっていない。いずれもまだまだ汚れていない役柄だ。結局オードリーにはそんな現実味や生活感のある役は似合わないのだ。現にこの「シャレード」でも、「人妻役」とは言え夫と一緒に写っているショットはひとつもない。不思議な事に夫が死んでも悲しんでいないようにさえ見える。これで本当に「未亡人」かと思うほどのリアリティのなさだ。

 そんなリアリティのなさは、実はグラントとのロマンス模様にも言えることだ。グラントは終始迫ってくるオードリーに腰が退けているが、それは必ずしも「事件の当事者と関係を持ってはマズイ」という感情だけではないように見える。当時のケイリー・グラントは59歳。確かに初老に差しかかったシワクチャのロバート・レッドフォードが、デミ・ムーアやミシェル・ファイファーを相手にしていた事を考えれば大した事はない。それでもこの25歳の年齢差は、オードリーが実際より遙かに若く見えるだけ「オトナと子供」みたいなムードを醸し出す。「夫」との関係もそうだが、どう考えてもセックスが介在するようには見えないのだ。そこが「妖精」オードリーたる所以であり、かつまた「限界」であるとも言える。

 それでも…だからこそ、この映画でのオードリーは何とも光っている。「人妻」ごっこ、「未亡人」ごっこを嬉々として演じている「お嬢さん」みたいな…ちょっと倒錯したような色気も感じてしまう。実際、かえって不思議な色気があるんだよね。

 実際の人妻は別にいやらしくも何ともないが、口に出して「人妻」と言うと何ともいやらしいから不思議なものだ(笑)。もちろんオードリーが演じるから見事にクリーンに脱臭されてはいるのだが、むしろ「人妻」ごっこを演じているからこその清純で可愛らしいお色気を感じてしまう。そんな彼女がジバンシーの素敵な服をとっかえひっかえ着替えて出てくるからたまらない。服なんかに興味がない男だって、この映画のオシャレ気分には酔わされてしまう事請け合いだ。

 そこへきて相手が父親みたいで「粋」を絵に描いたようなケイリー・グラントだから、不思議にくすぐったいような甘さとシャレっけを感じてしまう。何ともこの二人のやりとりが見ていて楽しいよね。

 そういう意味でオードリーとはまさに「食用」ではない、「観賞用」の女なのだ(笑)。ひどい言い方をあえてするなら、たぶん食っても小骨ばかりでうまくも何ともないだろう(笑)。実際この映画でだって、やたら金がかかりそうだし生活感ゼロだしね。涼しげに水槽の中で泳いでいるのを眺めている事が、男としては無上の喜びになるわけ。この映画でのケイリー・グラントのポジションは、まさにそんな「男の視点」の代表みたいな感じなのだ。

 だが「ヒッチ・スタイル」の映画に出るという事は、オードリーにとってどこか“単なる「清純」「クリーン」”からの脱出を意味していたのだろうか。4年後にかなりシリアスなサスペンス「暗くなるまで待って」(1967)に出たというあたりには、彼女なりの役柄の模索の跡を感じずにはいられない。それでも限界を感じたのか、オードリーはこの「暗くなるまで待って」以降、ほぼ9年間にわたっての長い引退状態に入ってしまうのだが…。彼女にとっての不幸は、それらが「ヒッチ・スタイル」の映画ではあっても本当のヒッチコック作品ではなかった事だ。スタンリー・ドーネンやテレンス・ヤングではなく、実際にヒッチコック監督作に出ていたらどうだったか…今となってはそれが惜しまれてならない。まぁ、当時はすでにヒッチコック自身も低迷期だったから、やっててもどうだったかな…という気はしないでもないのだが、逆に真のエレガンスを持ったオードリーの起用が、ヒッチにグレース・ケリー以来のカツを入れていたかもしれない気もするんだよね。これは実際のところ何とも言えないのだが…。

 そしてこの作品は、脇を固める面々がまたまた豪華。何しろウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン、ジョージ・ケネディの共演だ。もっとも「シャレード」発表の1963年当時、彼らはまだ「スター」ではなかった。マッソーは「恋人よ帰れ!わが胸に」(1966)でオスカー助演男優賞を取るまでは単なる脇役俳優だったし、スターダム突入はジャック・レモンとのコンビが確立した「おかしな二人」(1968)から。コバーンは「荒野の七人」(1960)で頭角を現し、「大脱走」(1963)に起用されようというところ。ケネディは「暴力脱獄」(1967)でオスカー助演男優賞を取るまでは悪役専門俳優で、スターとしての真価を発揮したのは「大空港」(1970)からだ。だからまだみんなブレーク以前での出演ということになるのだが、もうこの時点で三人とも目立ちすぎるくらい目立ってる。やっぱり頭角を現す奴ってのは、最初っからどこか光っているんだよね。

 映画のもう一つのお楽しみは、オシャレなパリ名所案内的な魅力。シャンゼリゼ公園やらパレ・ロワイヤルやら…オードリーと一緒に観光しているような楽しさ。この映画はたぶん、そんなミーハー気分で見るのが正解なんだと思うよ。

 だが、実はこれも当時のアメリカ映画ならではの事情があった。1950年代末あたりからテレビに押されて興行成績が急降下してきたアメリカ映画は、徐々に人件費も物価も高いハリウッドで映画を撮らなくなった。こうして1960年代あたりから、やたらにヨーロッパを舞台にしたアメリカ映画が氾濫し始めたのだ。ジョン・フランケンハイマーやらブレーク・エドワーズらが、何かと言うとフランスで映画をつくっていたのにはそんな理由がある。当時ヨーロッパを舞台にしたスパイ映画が氾濫したのも、「007」シリーズのヒットや東西冷戦などという要素以上にそういう事情があったからだ。ヨーロッパ・スターがハリウッドに多数流入してきたのもこの頃ならではの現象だ。オードリーがヨーロッパ・ムードをまとってハリウッド・スターとなり得たのも、そんな時代の要請があったればこそなのだ。

 ならばジョナサン・デミ版「シャレード」が、なかなか思うに任せなかったであろう事も分かる気がする。ミュージカル映画の凋落、最後のハリウッド美男美女スターの輝き、ブレーク寸前の豪華脇役陣、ハリウッド制作基盤のヨーロッパへの脱出…そんなさまざまな偶然と幸運がこの作品を形作っていた事を考えれば、それもさすがに無理はないかもしれない。

 この映画こそ、何より1960年代という時代の典型的産物だったんだからね。

 

 


Charade

(1963年・アメリカ)スタンリー・ドーネン・フィルムス・INC.制作

ユニバーサル映画

監督・製作:スタンリー・ドーネン

脚本:ピーター・ストーン

出演:ケイリー・グラント、オードリー・ヘプバーン、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーン、ジョージ・ケネディ、ネッド・グラス、ドミニク・ミノー、ジャック・マラン、トーマス・チェリミスキー

2005年1月17日・DVDにて鑑賞


 

 

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