「片腕カンフー対空とぶギロチン」

  獨臂拳王大戦血滴子

  (The One Armed Boxer Vs. the Flying Guillotine)

 (2004/01/19)


 18世紀、中国は清の時代。清の皇帝は抵抗する謀反人たちを弾圧すべく、あの手この手を使っていた。その中でも最も手強い弾圧者が、封神と言われる盲目の老人(カム・カン)だ。盲目だからと言って侮るなかれ。この老人、普段は僧侶の姿を装っているものの、実は奇妙な武器「空とぶギロチン」を操って多くの命を奪ってきた人物。彼は清朝に刃向かう人物を自らの二人の弟子に探らせ、自らは荒野の一軒家で一人ぼっちの修行を続けていた。

 そんな弟子二人から、一人修行する封神の元に便りが届く。遥か彼方から飛んできた鳥の足に、小さな木の札がくくりつけてあるのだ。その木の札には、浮き彫りにする形でメッセージが書かれていた。

 「強い片腕の反逆者がいる」

 木の札には、これを封神が見る時には弟子たちは死んでいる事だろうとも書いてあった。封神は自分の住んでいる小屋に入ると、とある小さな代物を手に取った。それは細い鎖につながれた赤くて小さい円筒形のモノ。ところが封神がそれをバッと広げると、小型の傘状の物体へと変形するではないか。しかもその周囲にはギザギザと刃がついている。封神がまるでヨーヨーを回したりコマを回したりする要領でその代物の細い鎖を引っ張り、ブ〜ンと近くの木の杭に向かって投げつけると、何と木の杭の上部先端が鋭く切り取られてしまうではないか。さらにニワトリに向かって投げつけると、ニワトリの首がすっ飛んだ。

 こ、これが「空とぶギロチン」なのか?

 やがて小屋の中に戻った封神は、雄叫びを上げて屋根を突き破り、飛び出して外へと駆け出した。自分の愛弟子の仇…片腕の男を討つために!

 その頃、弟子たちの猛訓練で賑わう、一つのカンフー道場があった。

 それは片腕ドラゴンなるカンフーの名手(ジミー・ウォング)が開いた道場だ。その稽古たるや熾烈を極める。片腕ドラゴンはしばしば弟子たちを集めると、自らが模範を示した。竹で編んだカゴの上に乗って、そのカゴをつぶさずひっくり返さずにひょいひょいと歩く術がそれだ。だが、それだけで驚いてはいけない。さらには壁づたいに天井にピタピタと歩いていく、「2001年宇宙の旅」ディスカバリー号乗組員やら「恋愛準決勝戦」でのフレッド・アステアも真っ青な術まで見せるから驚きだ。

 そんな片腕ドラゴンの道場に、一つの知らせがもたらされた。それは鷹爪拳道場プレゼンツの武術大会開催の知らせだ。武術の使い手の最強を決める武術大会とあって、その流派を問わずに参加出来るという。これには弟子たちも色めき立った。

 「ぜひ参加しましょう!」

 だが片腕ドラゴンの表情はすぐれなかった。清朝の警戒が強い昨今、あまり目立った行動は慎みたいのだ。だが弟子たちは、せめて見るのも勉強のうちだと言う…。

 さて、こちらはその話題の鷹爪拳道場。弟子たちが例の武術大会めざして稽古に励む折りもおり、一人の怪しげな南方から来た男が乗り込んでくる。その男はタイのムエタイの使い手。今回の武術大会に外国人は参加出来ない。それを不満に思っての道場破りだった。「俺の腕を見ろ!」

 どこからかいきなりエキゾチックな笛の音が聞こえてくると、ムエタイ男はいきなり踊りだしたからたまらない。これは沢村忠かキック・ボクシングか(笑)? だがこの男の腕前は見た目よりかなり強そうだった。大会主催者の鷹爪拳道場・館長ウーのお転婆娘が、調子こいてこいつに挑戦したけど苦戦。ウー館長が見かねて止めなければ、危うくやられちまうところだ。

 その後、大会には外国人参加が認められ、国の内外から多数の武闘派が集まる事になった。エントリーした選手たちがたむろする接待所も大混雑。インド人やら東南アジア人やらが行ったり来たり。そりゃそうだ、女子十二楽坊だって紅白に出るご時世。その裏番組に回った曙太郎は元々がハワイ出身横綱。イマドキ外国人は出られないなんて流行らないぜ。

 例の「ギロチン」坊主こと封神もまた、この大会にこっそりエントリーしていた。例の「強い片腕の反逆者」が出場するに違いないと踏んでのことだ。

 そんな選手たちでごった返す食堂でのこと、そこに例の封神もいたと思いねえ。一人の片腕の男が、ガツガツ飯を食っていた。一叩きでハエを7匹殺したのだけが自慢のアホな男。ところがこの男、食うだけ食って手持ちの金がまったくないのに気が付いた。こっそり店を逃げ出そうとすると、店の主人に感づかれて騒がれる。そこで仕方なく、この片腕男は開き直ってタンカを切るしかなくなった。

 「このオレを誰だと思う? 片腕ドラゴンとはオレのことだぁ!」

 その瞬間、店の片隅で静かに食事していた封神は、思わずピクッと耳をそば立てた。「何っ? 片腕っ?」

 いきなりスックと立ち上がった封神は、例のギロチンを取り出して片腕の男に投げつけた。

 あっと言う間に首チョンパ!

 食堂のオヤジはビビりまくるが、封神はあわてず騒がず「この男は片腕ドラゴンか否か」と静かに尋ねる。オヤジは素気なく、こいつは単なるバカだと教えてやった。すると封神は悔しがって一言。

 「失敗じゃったか! だが、こうなったら片腕なら皆殺しじゃ!」

 オノレの安易な攻撃がマズかったという冷静な分析がまるでない。あぁ、何ともハタ迷惑な「ギロチン」坊主こと盲目の封神であることよ。

 さて、いよいよ鷹爪拳道場プレゼンツの武術大会の日がやってきた。

 荒野の一角に幕を張って仕切った空間で、これから幾多の熾烈な戦いが行われることになる。それはさらながら異種格闘技の祭典、武術のオリンピック、ストリートファイトのワールドカップの様相を呈していた。集まって来たのはありとあらゆる拳法、剣法の達人ばかり。それも広くアジア全域から集まってきた猛者で、会場の熱気はムンムンだ。そんな試合を、あの片腕ドラゴンと門下生たちが見に来ていた。

 試合は一対一で進められる。それぞれの流儀が違うから、どっちが勝つか予断が許さない。出てくる選手も例のムエタイ・キックボクサー(笑)とかヨガのインド人とか日本の「ラストサムライ」(笑)とかさまざま。で、そんなゴッタ煮的大会だから、元より正々堂々なスポーツマンシップなど誰もありがたがっているわけがない。例のヨガ・インド人など戦っているうちに腕がニョロニョロ伸び放題だし、ムエタイ・キックボクサーは劣勢になったら相手の目にホコリぶっかけちゃうし、「ラストサムライ」こと躍馬次郎は「無刀流」を自称するだけあって二本の棒だけで闘ってたのに、最後の最後で棒に仕込んでいた刃物を使っちゃう始末。さすがにセコい日本人…と西安大学でも大暴動だ。思わず見ていた片腕ドラゴンも、「卑怯な!」と顔をゆがめた。

 「…だがうまい手だ、参考にしよう」

 そんなに強いヤツならもっと言いようがありそうなものだが、ついついセコさをモロ出しにする片腕ドラゴン。ただし門下生の白い目を意識して、急に言い訳に終始するあたりがお茶目だ。「あの清く正しく美しく…みたいに売ってる女子十二楽坊だって、ホントは13人なのに12人と偽ってたんだ。作戦としてダマシはアリ。売れりゃいいんだよ!」

 そんな片腕ドラゴンの元に、今回の大会の主催者=鷹爪拳道場の館長ウーよりラブレターが届く。数々の武勇で知られた伝説の男・片腕ドラゴン。ウーは観客席にその片腕ドラゴンがいるのに気付き、何とか試合に出て欲しいとラブコールしたのだ。だが片腕ドラゴンはつれない。自分の身分がバレたと気付くと、怖じ気付いたかサッサとこの場を離れようとする。それを見た門下生たちは、ますます片腕ドラゴンを疑惑の目で見つめ始めた。焦った片腕ドラゴンはまたまた苦しい言い訳に終始。「女子十二楽坊って歌もうたわないくせに紅白に出たんだよ! あれってホントは“歌合戦”だからね! 勝ちゃいいんだよ!」…などと、女子十二楽坊ネタを繰り返して自己正当化を狙うばかりだ。

 この大会は万事がそんな調子だから、負けた方が死ぬのがお約束。時には同士討ちで勝者なしなんて場合もザラだ。敗者で助かったヤツと言ったら、鷹爪拳道場の館長ウーの美しい娘と戦った猿拳の男だけ。この男、ウーの娘の鷹爪拳の猛攻に着ているモノがボロボロ。さすが今年の干支にちなんだ猿拳とあって、最後に「ギロチン」ならぬオノレの「モロチン」をさらすおめでたさだ。ウーの娘も新春早々目の保養と大喜び。

 さてそんな最中、なぜか対戦者の中にまたしても片腕の男が現れたと思いねえ。

 この片腕男が何とか相手の男を倒して勝利するや否や、武術大会会場にあの「ギロチン坊主」こと封神が現れた事は言うまでもない。みんなが驚く間もなくギロチンを飛ばし、片腕男の首をもぎ取ったのは言うまでもない。これには主催者のウー館長も怒った。「せっかくの大会をブチ壊しにしやがってぇぇ〜!」

 だが封神は身じろぎもしない。「わしに関わらぬ方がいいぞ。とても適わないからな」

 関わって来たのは封神の方なのにこの言い草。これにはウーはマジ切れだ。そうなると封神十八番の「ギロチン」の出番。あっと言う間にウーは殺され、それを止めようとした娘まで深手を負った。会場はたちまち阿鼻叫喚だ。

 そんな大会のシッチャカメッチャカぶりは、引き揚げてきた片腕ドラゴンや門下生たちの耳にも届いた。すると今度は道場を解散しようなどと言い出す片腕ドラゴン。こいつ本当に強いのか?

 「だけど女子十二楽坊は…」

 「女子十二楽坊は関係ありませんっ!」

 「ボクは弟子のキミたちの事が心配でさぁ…」

 そんなこんなしているうちに、なぜかあのキックボクシング前奏曲が流れてくる。何とあのムエタイ・キックボクサーが自分でラーメン屋台のチャルメラみたいな笛吹いてやってくるではないか。「片腕ドラゴンよ、貴様が試合に出ないからこっちから来てやったぜ。ギロチン坊主も呼んでやったからな!」

 「チッ!…ったく余計な事しやがって!」

 …と、ついつい本音がこぼれる片腕ドラゴン。まずは一の弟子がムエタイ・キックボクサーにかかっていくが、案の定思った通り苦戦しっぱなし。そこに障子をブチ破って、あの「ギロチン」坊主こと封神が突っ込んでくる。すると道場はてんやわんや。弟子たちはその場で解散。片腕ドラゴンも「ギロチン」には手も足も片腕も出ず、ただただやられっぱなしの逃げっぱなしだ。これは女子十二楽坊かける三イコール三十六計逃げるにしかずだ。

 さて、片腕ドラゴンが逃げの一手を決め込んだその頃、ある建物の中では、「ラストサムライ」躍馬次郎がウーの娘を介抱していた。先ほどの大騒ぎの最中、傷を負った彼女を助け出したのにはいかなる意図があったのか。気付いたウー娘は治療を感謝しながらも、そのあたりを疑わずにはいられない。あるいはアタシを介抱するドサクサに紛れて、ビーチクの一つや二つ見るか触るかシャブるかしたっておかしくない。すると躍馬次郎これが図星だったのかどうだったのか、慌てて「ラストサムライはバストサワラナイ」などとつまらないダジャレ飛ばすアリサマ。

 それどころか「ラストサムライ」躍馬ときたら、何と彼女を日本に連れていこうと企んでいるらしいのだ。「女子十二楽坊もまず日本でプロモーションして売れたんだからな!」って、こいつも隠れ女子十二楽坊ファンだったのか? 武闘派の間では女子十二楽坊がブームなのか?

 そんなヤツには用はない。ウー娘は「ラストサムライ」躍馬が目を離した隙に建物から抜け出した。そこに逃げを打った片腕ドラゴンが通りかかる。片腕ドラゴンは、ちゃっかり自分が隠れるためのアジトに彼女を連れていってしまった。

 さて、それにしたってずっと隠れているワケにはいかない。「ギロチン」坊主・封神も目障りだが、いつの間にか封神のパシリに志願したムエタイ・キックボクサーはもっと目障りだ。だから片腕ドラゴンは、隠れている間も「ギロチン」対策に頭がいっぱい。斧で竹を切ろうとしてなかなか切れない様子を見ても、「ギロチンの刃はあの斧より薄いはず」などとつぶやくばかりだ。そんな片腕ドラゴンに対してウー娘は竹の堅さや太さに注目していたが、彼女の場合考えていたのは「ギロチン」対策ではなく「デカチン」対策ではないか?

 さらに片腕ドラゴンは、町の鍛冶屋に何やらからくり仕掛けをつくらせた。次に片腕ドラゴンは、近くの棺桶屋の店を借り切った。どうもこの男、「ギロチン」坊主の封神との対決にこの店内を使おうと思っているらしいが…。

 そんなこんなで戦いの準備は進んだ。門下生の協力も得て、最初は「ギロチン」をカサに着て大威張りが目障りなムエタイ・キックボクサーから片付ける…と意見が一致。まずは弟子の一人がどこからかっぱらったのか例のチャルメラを鳴らしながら、ムエタイ・キックボクサーを隠れ家の小屋までおびき出すことになった。するとまるで猫にマタタビ。ムエタイ・キックボクサーはチャルメラの音色に逆らう事が出来ない。こうしてまんまとおびき出したキックボクサーを片腕ドラゴンがみんなの協力でいたぶりまくり、最後に鉄板焼にしてしまうという汚い戦いぶり。

 だが、本当の戦いがその後に控えていたのは言うまでもなかった…。

 

 「片腕カンフー対空とぶギロチン」な〜んて作品のこと、昨年の秋ぐらいまで誰も語ってなかったよね。知りもしなかったはずだ。突然話題になったのはあのクエンティン・タランティーノの新作「キル・ビルVol.1」のネタの一つに使われたかららしいんだけどね。

 「キル・ビルVol.1」のサントラCDを買うと、梶芽衣子の演歌だとかサンタ・エスメラルダの「悲しき願い」だとか「鬼警部アイアンサイド」のテーマの断片だとか、けったいなトラックがいっぱい入ってる。その中でも一際異彩を放っているのが、ドイツのプログレ・グループらしいノイ!というバンドの「空間美学PART 2」なる気色悪い曲だ。で、どうもこれが「片腕カンフー対空とぶギロチン」に使われていたらしい。元々、香港映画って昔は著作権の観念がなかったから、いろんなレコードやCDから音楽をパクり放題パクってた。そこらへんをタランティーノは注目したらしいんだが。

 そんな「片腕カンフー対空とぶギロチン」がまた最高のタイミングで、東京国際ファンタスティック映画祭の目玉として上映されることになったわけ。もちろん僕もちょっと見たくはあったけど、何しろファンタってどうも排他的なイメージがあって、僕なんか敷居が高くて行けそうにない気がしてたんだよね。だからパスしてしまった。ところが待っていればいいことがあるもんで、あの新東宝エログロ冒険活劇連続上映をやってた銀座シネパトスのレイトショーに下りて来てくれたから嬉しいじゃないか。むしろこうなるとこの映画にはファンタスティック映画祭は晴れがましすぎる。こっちの方がこの映画にはマッチしているよ。

 この「片腕カンフー対空とぶギロチン」、確かに僕も昔から気になってないワケではなかった。だってタイトルにある「空とぶギロチン」って言葉だけでインパクトが絶大じゃないか。台湾の立体映画「空飛ぶ十字剣」といい勝負なくらい、何がどうなってるのか見たくてたまらない映画ではあった。

 そもそも「空とぶギロチン」ってどんな格好をしているのか? それはこの映画のオリジナルなのか、それとも元々ある武器なのか? 興味はどこまでも尽きない。だいたい「ギロチン」って本来は空を飛ぶもんじゃないだろう(笑)。

 モノの本によれば、香港映画予告編集みたいなビデオクリップ見た人が、どこかでこの映画に出てきた「空とぶギロチン」が何十個もバ〜ッと舞い上がる場面を見たらしい。ということは、「空とぶギロチン」はこの映画の専売特許じゃないんじゃないか。こう考えていくと誰だって気になって仕方なくなるだろう。

 そもそも「片腕カンフー対空とぶギロチン」ってどんな由来の映画なんだろうって思っていたところ、ある人に「片腕ドラゴン」の続編だと教えられてピンと来た。そうだ、そうだよ…ジミー・ウォングのあの映画だ。

 1974年のお正月の「燃えよドラゴン」(1973)で一気にわき起こった香港映画ブーム。もちろんその後を追ったのはブルース・リーの他の作品ではあるんだけど、ドサクサに紛れて他の香港映画も公開されたことを多くの方々も記憶されていると思う。「片腕ドラゴン」(1972)って、そんな映画の一本だ。それも「燃えよドラゴン」以降のブームの渦中で、ブルース・リー以外のスターのカンフー映画が公開された、最初の一本だったように思うんだけどね。だからこれもカンフー映画を渇望するファンが殺到して、それなりに当たっちゃったように思うよ。今回の「片腕カンフー対空とぶギロチン」の中で、主人公がギロチン坊主の弟子を殺す回想シーンとして出てくるカラー処理された場面が、おそらくこの「片腕ドラゴン」の一部分ではないか。

 そしてこの映画の事を割とよく覚えているのは、この映画がジミー・ウォング主演だからと言うこともある。

 この当時、日本では誰もジミー・ウォングなんて知りはしなかったわけ。僕だって詳しく知りはしないよ。当時の映画ファン雑誌「ロードショー」とか「スクリーン」あたりだって、この人のことを詳しくは説明してくれなかった。せいぜい“ブルース・リーが出てくるまでは、この人が香港のアクション映画のトップスターだった”…とか、そんな事ぐらいだけ。

 でも僕は、意外にこのジミー・ウォングって人に縁があったように思うんだよね。

 というのは、僕はこれに先立つジミー・ウォング出演作をテレビで見ていた。それが、彼が日本の大映=勝プロに招かれての作品「新座頭市/破れ!唐人剣」(1971)だ。座頭市シリーズも数を重ねるごとにネタがなくなってきた事もあり、例えば「座頭市と用心棒」(1970)では天下の三船敏郎を対決相手に迎えたりするようになるんだよね。だから「破れ!唐人剣」もまた、座頭市シリーズ末期の強豪ゲストを迎えての一作ということになる。

 当時は確かジミー・ウォングも「王羽」って表記されていたと思うんだけど、おそらくは「香港トップスターが座頭市シリーズに登場!」って触れ込みだった。かねてから溝口健二監督の「楊貴妃」(1955)や70ミリ映画「釈迦」(1961)、「秦・始皇帝」(1962)などで、アジアの映画人たちと連携して独自のワールドワイド路線をしきりと模索していた大映ならではの作品なんだろうね。そんな発想の点だけじゃなくて、この「破れ!唐人剣」のジミー・ウォング起用を実現出来たのも、大映社長・永田雅一が以前からアジア映画人と培ってきた人脈を使ってのことかもしれない。

 で、実際の作品でもジミー・ウォングはかなりいい役で出てくる。座頭市もウォング演じる唐人剣士も、お互い言葉が通じない故の行き違いで対決しなければならないハメになり、最後には二人が日本語・中国語でそれぞれ「言葉さえ通じ合えていたなら…」と無念そうにつぶやいて終わる。どちらの顔もキチンと立てた作品になっているんだよね。僕は結構この作品が気に入った覚えがあるよ。

 で、その後も僕はジミー・ウォング作品を目にする機会があった。それは意外にも香港=オーストラリア合作映画、「スカイ・ハイ」(1975)だ。奇しくも今回の「片腕カンフー対空とぶギロチン」と同じ年の作品でもある。

 「スカイ・ハイ」…とくれば誰しも脳裏に思い浮かべるのが、プロレスラーのミル・マスカラスのテーマ曲ともなったあの有名なジグソーの歌。もちろんこの映画でも主題歌として、一番盛り上がるヤマ場に出てくるのは言うまでもない。ジグソーの歌が先にあってこの映画が出来たのか、この映画のためにジグソーの歌が出来たのか、さらにはこの映画とミル・マスカラスではどっちが先なのか…などなど、詳しい事は僕には分からないけどね。ただし、悪役には「女王陛下の007」(1969)の二代目ジェームズ・ボンドだったジョージ・レイゼンビー(そういえば、この人って確かオーストラリア出身だ)を迎え、当時はまだ国際的にパッとしてなかった「マッドマックス」(1979)以前のオーストラリア映画としては、結構「娯楽大作」風の構えの作品だったような気がする。ブルース・リー、ジェッキー・チェン大売り出しの仕掛人レイモンド・チョウが制作に加わっただけあって、いかにもこの人らしいハッタリ感あふれる映画だったように記憶している。

 お話は香港警察のスゴ腕刑事ウォングが、犯罪組織のボスのジョージ・レイゼンビーを倒すために単身オーストラリアに乗り込む…というもの。クライマックスにはウォング刑事が何とハンググライダーで敵の本拠地の高層ビルになぐり込むが、そこにジグソーの「スカイ・ハイ」がガンガン流れるのはお約束だ。ジミー・ウォングがやたら白人女性にモテモテで、濡れ場が多かったのも笑えた。

 それにしても「燃えよドラゴン」以前はほとんど我々の目に触れることもなく、「燃えよドラゴン」以後もしばらくはブルース・リー関連以外の作品は限られていた状況だった香港映画なのに、この僕でさえこの時期のジミー・ウォング出演作を2本も見ていたというのは我ながらスゴイ。それと言うのも、たまたま僕の見たジミー・ウォング映画が、2本とも海外合作作品かそれに準じた作品であったからだろう。逆に言えば、あの時期にそういう国際的な規模の作品に出演出来たという意味で、ジミー・ウォングは本当に香港映画界を代表するスーパースターだったんだろうなと思うよ。

 で、どうも今でもジミー・ウォングって、香港では重鎮的な存在ではあるらしい。ジャッキー・チェンとかそういうスターたちも、ジミー・ウォングの存在は無視できないような事をモノの本で読んだ覚えもあるし。

 ただねぇ、どうもこの人ってかなり怖いお兄さんたちとのつき合いがあるらしい。というか、この人自体がそっち系の人って話もある。だからみんな逆らえないって事もあるらしいんだよね。つまりはイイカゲンでいかがわしい、良くも悪くも昔のタイプのアジアの芸能人(日本だって地方ドサ回りなどではヤクザがにらみを利かしてたらしいしね)…って感じらしいんだよね、このジミー・ウォングって人は。

 で、「片腕カンフー対空とぶギロチン」って映画自体、そういうイイカゲンでいかがわしかった頃の香港映画を思わせる作品なのだ。

 まずは僕が一番気になっていた「空とぶギロチン」の造形からしてスゴイ(笑)。詳しくは図を参照してもらいたいが、まずは折り畳んである時の「ギロチン」は、細いクサリにつながれた小物という感じに見える<図1>。ところがそれを広げると、昔の連れ込み宿にあるような妖しげな電気スタンドのカサみたいな形状になる。真っ赤な色からしてそっち系の雰囲気がプンプンだ(笑)<図2>。外側には鋭い刃がギザギザと露出し、目指す相手の首をキャッチした時には、なぜかその電気スタンドのカサ状の本体から黒いヴェールのようなものが垂れ下がる。さらに「ギロチン」の内側にも外側と同様の鋭い刃が露出している<図3>

 というわけで、全体にどういう仕掛けになっているのかがサッパリ分からないが、被害者が「ギロチン」をガボッと頭からかぶせられている様子はまるで養蜂業を営んでいる人みたいに見える(笑)。だが電気スタンド状の「ギロチン」とその黒いヴェールを被せられた人物は、次の瞬間に首と胴体が分離することを覚悟しなくてはならない。この「ギロチン」を飛ばすには、「ギロチン」本体に付けてあるクサリを引っ張ってコマやヨーヨーを回す要領で飛ばす。ただし劇中では例の坊主がこの「ギロチン」を手でガッシと掴んじゃってる場面も出てくるのだが、その際に回りに露出していた刃で手を傷つけないのか…人ごとながら見ていて気になった(笑)。

 劇中で片腕ドラゴンの弟子たちが「本当にあったのか」…などと言っていたくらいだから、あくまで架空の武器としてのみ「空飛ぶギロチン」は存在していたのかもしれない。この映画では「空飛ぶギロチン」はリアリティのある形状と働きには描かれてないし、実は説得力を持って描こうともしていないからね。この設定やら仕掛けのいいかげんさが、とにもかくにも古き良き香港映画(…って僕が言うのも何だけど)らしさだと思わされるよね。

 今では香港映画と言えば、洗練もされているしお金もそれなりにかかってる。質的にも技術的にも高いものが多い。だけど昔はと言えば、ホントにバッタもんの匂いがプンプンしてたんだよね。この映画で言えば、ノイ!というバンドの曲を著作権無視でパクってるあたりもそうだ。で、実は今回この映画の実物に接して、ますますビックリしたんだよね。実は当たり前だがこの映画で著作権無視でパクってる曲はノイ!の曲だけではない。劇中でやたら何度も流れる曲が、やっぱりどこかで聞き覚えのある曲だった。これまたドイツのプログレ・グループ、クラフトワークの「Mitternacht」という曲だ。さらに映画のエンディングに短く流れる曲も、タイトルは出てこないが確かクラフトワークあたりの曲だったはずだ。それともタンジェリン・ドリームかな?

 こういう風に書くと、何だか僕がやたらプログレッシブ・ロックやドイツのバンドに詳しいみたいに思われてしまう。でも、僕は別にその手の音楽に傾倒していたワケじゃない。実は恥ずかしながら、僕はこれらクラフトワークの曲などを、かつて学生時代につくっていた自分の出来損ない8ミリ映画に使っていたのだった(笑)。最初に気が付いた時には驚いたよ、ホント。

 いや〜、これには偶然とはいえ、苦笑せずにはいられなかった。そして「片腕カンフー対空とぶギロチン」のスタッフが使いたがった気持ちも痛いほど分かる。実に映画のBGMっぽい、雰囲気盛り上げてくれる曲ばかりだからねぇ。笑っちゃう事に、僕はこの「片腕カンフー対空とぶギロチン」のサントラ音源を、自分ではそれと知らずにすでに持っていたということになるんだよね(笑)。で、これは象徴的な事だと思うよ。

 つまりこのジミー・ウォングって人は、ちょうど僕が学生の時に出来損ないの8ミリ映画をつくっていたのと同じ気分で、35ミリの劇場映画をつくっていたという事になるんだよね。そしてそう考えると、この映画の持つ独特なテイストがよく分かる(笑)。そのイイカゲンさ、マンガみたいな思いつきをそのまんま何も考えずに映像化しているところ、さらに意外にプライベートな感覚が残っているところ…。

 まずは映画の冒頭で「ギロチン」坊主を紹介すると共に、「ギロチン」そのもののスゴさを見せつけて、タイトルがバ〜ンと出る。なぜかノリノリのロックが流れるのはともかくとして、そこにまずは「Master of the Flying Guillotine」と英語で出てくれば、誰だってそれがタイトルだと思うよね。ところがさらに次カットでさらに「The One Armed Boxer Vs. the Flying Guillotine」なる別の英語タイトルが出てくるから、見ているこちらは「????」となってしまう。どっちがタイトルなんだ! いきなりナゾが渦巻く映画なんだよね(笑)。ちなみに僕が見たバージョンのクレジット・タイトルはすべて英語だったが、本編のセリフは中国語…それも香港で話されている広東語ではなくて北京語のようだった。ま、これはあくまで余談だ。

 ともかくスゴいのはあの武術大会だ。その出場選手のイイカゲンなことったら…タイのムエタイ・ボクサーもキック・ボクシングみたいな音楽流して踊るのか? インドからの出場者の武術がヨガ…って、ヨガって武術なのか? そもそも腕がどんどん伸びるって何なんだ? 最後その伸びた腕を柱に縛り付けられて、ジミー・ウォングにボコボコにされる間抜けぶりだから笑うよ。

 そして出てくる奴出てくる奴、どう考えても強そうに見えない。何だかタルいカンフーなのだ。それは実は、ヒーローであるジミー・ウォング自身例外ではない。僕は香港映画通でなければカンフー好きでもない、格闘技に詳しい訳でもないんだけど、どう考えても強くなさそうなんだよね。もし万事こんな調子なら、ブルース・リーが香港で映画に初めて主演した時、大センセーションで迎えられたのも分かる気がする。

 で、戦い方がどいつもこいつも汚い(笑)。

 武術大会のイイカゲンさ、出てくる選手のズルい勝ちっぷりは言うに及ばない。問題は…ヒーローであるジミー・ウォングその人が汚いということだ(笑)。香港じゃヒロイズムの定義が違うとは言わせない。ジョン・ウーの映画やジョニー・トウの映画を見る限りでは、香港だってどこだってヒロイズムに違いはないはずだ。だからこの映画のジミー・ウォング演じる主人公って、香港の人たちから見てもいわゆる一般的娯楽映画のヒロイズム概念からはどう見てもハズれているに違いない。誰が見たって100パーセント汚いはずだ(笑)。そもそもズルして勝ったヤツの試合を見て、「卑怯な! だがあの手は使えるな」…などとマジで言ってるヤツだからね。汚い手を使う事を何とも思っていない。

 ムエタイ・ボクサーと戦う時なんて、ヤツが裸足でいる事に目を付けて小屋の床を鉄板焼状態にして、弟子たちを使って外への脱出路も封じて殺しちゃうんだからね。ハッキリ言ってヒーローのやる事としては…笑っちゃうけどひどすぎる。ともかくやり方が終始一貫セコいわけ。これってどうした事なんだろうね。

 でも、そうした小ネタの数々は、何だか本当に8ミリ少年が思いついたまま撮っちゃったみたいで笑えるし、結構ワクワクさせられる。ヤマ場のジミー・ウォング扮する片腕ドラゴンと「ギロチン」坊主との戦いなど、なかなか見応えあってハラハラドキドキしちゃうよ。単純素朴な面白さがある。だが、それはそれとして…映画全編に漂っている「勝ちゃいいんだよ!」的な身もフタもない雰囲気…。

 これってねぇ、言いたくはないけどジミー・ウォングその人のキャラクターが大いに影響しているのかもしれないよ。だってこの人、前にも書いたようにヤバいスジの人とつき合ってるばかりか、ひょっとして自分自身がそのヤバいスジかもしれないんだよね。だとしたら、人生観として「勝ちゃいいんだよ!」…はアリだろう。だとすると、そういう彼なりの実感が、自分で脚本・監督を手がける作品に反映しないワケがないよね。つまりあのデタラメさセコさも、ジミー・ウォング的にはアリだ…と。

 手作り感覚の一種のプライベート映画みたいなもんだから、ジミー・ウォングその人の危ないポリシーまでモロに出ちゃった。かつて自分がつくった出来損ない8ミリ映画の映画音楽をこんな作品でまた耳にするに及んで、僕はこの映画ってジミー・ウォングにとって、意外にマジな真情吐露映画じゃないかって思えて来ちゃったんだよね。

 


獨臂拳王大戦血滴子 (The One Armed Boxer Vs. the Flying Guillotine)

(1975年・香港)香港第一影業機構 制作

監督・脚本:ジミー・ウォング

製作:ウォン・チューホン

出演:ジミー・ウォング、カム・カン、ドリス・ロン、ラウ・カーウィン

2004年1月5日・銀座シネパトス「クエンティン・タランティーノの宇宙」にて鑑賞


 

 

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