「ジェット・ローラー・コースター」

  Rollercoaster

 (2007/08/27)


 その男…仮に青年A(ティモシー・ボトムズ)とでも呼んでおこうか…は、釣り道具を持って海辺の桟橋へとやって来る。彼は竿から糸を水面に垂らしてみるものの、正直言って魚がかかるかどうかには関心がなさそうだ。見るからに好青年風の彼の関心はただ一つ。その桟橋から遙か前方に見える遊園地「オーシャン・ビュー」の売り物、ジェットコースターだ。彼は双眼鏡を取り出して、じっとジェットコースターを見つめる。

 その遊園地はもういいかげん年期が入った施設だが、それでも多くの人々を楽しませて来た。長年ここで勤める清掃員のジイサンも、みんなを楽しませる仕事に誇りを持っていた。今日も今日とてジェットコースターのコース上で点検を続ける同僚に、上機嫌で挨拶を送るジイサン。だがコース上に乗っているのは、帽子を目深にかぶった例の青年Aだ。

 やがて夜のとばりが降りてくる。ネオンがまたたきライトアップされた遊園地は、これからが本番だ。多くの客が押し寄せ、それぞれの遊具や設備で大いに楽しむ。青年Aもそこに現れ、綿菓子を買って今夜のお楽しみに備えていた。ただし彼の楽しみは、今夜ここに集まった他の客たちとはひと味違っていたが…。

 遊園地の花形、それはジェットコースターだ。今日も今日とて多くの客が乗り込んで、大いに怖がりつつも楽しんでいる。ところが…そのコースの途中、いよいよスピードにはずみがつこうという箇所に、小型の爆薬が仕掛けられていることを誰も知らない。いや、ただ一人…あの青年Aは知っている。彼は上着の胸ポケットから小さなリモコンを取り出すと、あたりを見回しながらその小さな赤いボタンを押した。

 コース上に仕掛けられた小さな爆薬が爆発する。

 それは小さな爆発だった。だが、ジェットコースターにとっては致命的…レールが一本ちぎれただけで十分だ。そしてそんな事とはツユ知らず、お客たちは大騒ぎしながらジェットコースターに乗っている。やがて全速力でジェットコースターは問題の箇所に突っ込んで…。

 コースターは空中にブチまけられた!

 ある車両はフェンスをブチ破って転落。またある車両は近くの土産店に突っ込んで大破した。別の車両はそのまま地面に叩き付けられ大破。楽しいはずの遊園地は、そのまま阿鼻叫喚の渦に包まれる。

 その頃、煙がもうもうと立ちこめる小部屋で、タバコをくわえながら難行苦行の真っ最中の男が一人。その男ハリー・コールダー(ジョージ・シーガル)は、特殊クリニックで禁煙療法を試している最中だ。だが、そんな彼のポケベルがやかましく鳴り出す。仕方なく電話に飛びついた彼は、そこで驚愕すべきニュースを知った。慌てて元々折り合いの悪い上司サイモン(ヘンリー・フォンダ)に連絡をとるが、彼は結婚記念日のパーティの真っ最中。それでなくても相性の悪いハリーに、いい返事をするはずもなかった。

 さて、ハリーが駆けつけたのは、先の遊園地「オーシャン・ビュー」。実は彼は規格安全省の検査官だった。この「オーシャン・ビュー」の施設を検査し、オーケーを出したのも彼。そこに大事故の報と来れば、心穏やかなはずもない。問題の破壊されたコースターの傍らには、遊園地最古参の例の清掃員ジイサンがいた。そのあまりにショックを受けた姿に、ハリーは思わず声をかけずにいられない。

 「こんなことが…今日もちゃんと同僚が点検していたのに…」

 さて、警察や保険会社の人間が詰めている事務所にやって来ると、早速ハリーに声をかけてくる人物がいる。地元警察のキーファー刑事(ハリー・ガーディノ)だ。「一体何が起きたんだ?」

 「それはいい質問だね」

 まったくいい質問だ。それが分かれば苦労はない。ところが関係者に話を聞いていくうちに、妙な事に気づくハリー。ここのコースターの担当者は、今日も点検をしたと言う。しかし、彼が点検を行ったのは朝の7時から8時。そして先程の清掃員のジイサンは、点検する彼を目撃したという。ところがジイサンが出勤するのは、せいぜい10時がいいところだ。では、ジイサンが見た人物とは一体誰だ?

 「あのジイサンは嫁さんに先立たれてから少々…な」

 そんな遊園地の管理者の言葉を聞いたら、ハリーもそれ以上疑念を挟めなくなった。結局この事故も不運な出来事のひとつ…で忘れられようとしていた頃…。

 そこから離れたピッツバーグの空港に、あの青年Aが降り立った。ピッツバーグには巨大遊園地「ワンダーランド」がある。その「ワンダーランド」のジェットコースターが火災にあったのは、それから間もなくの事だった。

 さて、例の「オーシャン・ビュー」の事故からしばらく経ったある日のこと。ハリーは恋人のフラン(スーザン・ストラスバーグ)と一緒に、離婚した妻が引き取った一人娘トレイシー(ヘレン・ハント)を迎えて休日を過ごしていた。そして、店で娘にハムスターを買ってやろうと見ていた時、その飼育箱の下に敷いてある新聞紙に目がとまる。

 「ピッツバーグの遊園地で火災」

 胸騒ぎを感じたハリーは、早速この遊園地「ワンダーランド」の管理者に電話を入れる。しかしなぜか管理者は、何が起きたか語ろうとしない。これは何とも奇妙だ。

 翌朝出勤してきたハリーは、助手に「ワンダーランド」の経営者の連絡先を調べさせる。すると、今日急用でシカゴに発ち、ハイアット・リージェンシー・ホテルに宿泊すると言うではないか。さらに例の事故のあった「オーシャン・ビュー」の経営者を調べさせると、これまたシカゴに向かう予定が入っている。こいつは何かヘンだ。

 早速、上司サイモンの部屋に乗り込むハリー。いきなりシカゴへの出張を認めろと言い出すハリーに、それでなくても彼を気に入らないサイモンはムッとせざるを得ない。だが、ハリーにもそれなりの理由があった。何とこの近辺の5つの遊園地の経営者たちが、揃いも揃ってみんなシカゴへの出張を入れており、全員がハイアット・リージェンシー・ホテルに宿をとっていたのだ。まさか業界の会合でもあるまい。半ば脅してサイモンの決済をとったハリーは、一路シカゴへと旅立った。

 そのシカゴはハイアット・リージェンシー・ホテルの一室には、「オーシャン・ビュー」の経営者が他の遊園地の経営者たちを集め、何やら秘密の会合を開こうとしていた。「私の元にこんなテープが送られて来たんだ。そして24時間以内に君たちを集めろという。それで集まってもらったわけだ」

 そしてテレコのスイッチを入れようとすると、突然ドアがノックされる。ホテルのルームサービスだと言って入ってきた男は…あの青年Aではないか。彼はルームサービスに化けて、部屋に盗聴器を仕掛けに来たのだ。そんな青年Aも部屋を出ていき、いよいよテレコを回そうとした矢先、またまた部屋にジャマが入る。

 もちろん、それは部屋を見つけて駆けつけたあのハリーその人だ。

 「オーシャン・ビュー」の経営者はハリーの訪問にシブい顔だが、「警察と新聞に連絡する」と言われれば無視もできない。かくして部屋にハリーを招き入れると、問題のテープを再生することにした。

 「これはあなたたち遊園地産業に従事する方々にとって、大きな危機です」

 回り始めたテープから聞こえて来るのは、もちろんあの青年Aの声。彼はすでに起こした2件の爆破事件で自分の実力は分かっただろう…と前置きした上で、各遊園地の経営者たちにカネを支払うよう要求していた。カネさえ払えばこれ以上何もしない…とも。

 テープが終わるや、部屋の中の議論は紛糾した。カネさえ払えば安全だと言うなら払おうという声。一度払ったら底なしだという声。本当に奴にそんな力があるのか…という声。さまざまな意見が飛び交う中、ハリーは一連の意見が出揃ったのを見計らったところで、おもむろに口を開いた。

 「ともかく、奴の力を見くびらない方がいい。私なら、ともかく連邦当局を呼ぶ事をお勧めしますね」

 こうしてホテルにやって来たのは、FBI特別捜査官のホイト(リチャード・ウィドマーク)他2名。彼らは出迎えたハリーに、アッサリこう言って片付けようとした。「ありがとう、ご苦労だった。後は我々に任せてくれたまえ」

 「え…? 私に何かできることは?」

 「結構だ。後はすぐに帰宅してくれて構わない

 まるで厄介払いのように追い払われた感じのハリーは、唖然としながらも「それじゃ失礼」とばかり帰宅の途につくことにした。だがそんなホテルのロビーに実はあの青年Aが潜んでいたとは、当のハリーもホイト捜査官も気づいていなかった。

 ところが帰宅したハリーが休日セッセと洗車しているところに、いきなり奇妙な電話がかかってくる。「あんたは休暇をとる資格がある。ヴァージニアへ行きたまえ。あそこはいい所だよ」

 そんな奇妙なイタ電の直後、今度はあのFBI捜査官ホイトご一行がやって来るではないか。どうも折り合いが悪そうなホイトの顔を見たとたん、イヤ〜な予感にとらわれるハリー。そして予感的中。ホイトは例の犯人「青年A」からのメッセージを持って、ハリーに会いに来たというわけだ。

 何とあの犯人「青年A」は、カネをハリーに持ってきてもらいたいと直々のご指名。その引き渡しのため、ハリーにヴァージニア州リッチモンドの遊園地まで来るように…と、ホイトは高飛車に命令する。

 命令されると逆らいたくなるのが、天の邪鬼なハリーの悪いところ。だが天下のFBIのご命令とあらば仕方がない。しかも犯人から事前にハリーに電話があったと聞けば、FBIは頭っからハリーと犯人の関係を疑い出す始末だ。これにはハリーも、お得意の憎まれ口を叩かずにはいられない。「アンタはオレの上司によく似ているよ。イヤミな野郎だぜ」

 こうして犯人の思惑通り、ヴァージニアの遊園地へと出かけることになったハリーだが…。

 

不遇の新技術「センサラウンド」方式

 かつて映画がテレビの猛追に怯えていた1950年代から1960年代にかけて、「スクリーンでなければ味わえない興奮を」…と考えた映画の作り手たちは、次から次へと「新技術」を紹介していった。

 シネマスコープから70ミリへ、さらにシネラマへ。3D立体映画から匂いの出る映画まで…それまでトーキーとカラー以外はこれといった改革のなかった映画というメディアに、1950年代あたりから目新しい技術革新の波が訪れたのだ

 しかしそれらの大半は、映画そのものの表現を広げるものにはならなかった。結局、大型スクリーン以外の新技術は定着もせず、その大型スクリーンもシネマスコープ以外は時流に合わないものとして自然に淘汰されていった。以後、映画にはこれといった「新方式」は導入されなかったのだが、1970年代半ばにして突然久々の「新技術」が紹介されたのだ。

 その名を「センサラウンド」という。

 この「新方式」、実はある一本の映画のために開発されたものだ。その作品は、ユニバーサル映画がパニック映画ブームの先陣を切って制作した大地震(1974)である。

 「大地震」は御存知の通り、チャールトン・ヘストン、エバ・ガードナー、ジュヌビエーブ・ブジョルド、ジョージ・ケネディらが主演したパニック大作。その売り物は、ロサンゼルスを大地震が襲うスペクタクルだ。その地震場面の迫力とリアリティを増すために、この「センサラウンド」方式が開発されたのだ。その仕組みはテクノロジーに疎い僕には皆目見当がつかないが…簡単に言うと、人間の耳には聞こえない「超低周波」をサウンドトラックに付け加えることで、観客に一種の衝撃を与えるものだ。これによって、観客があたかも揺れを体験するかのような感覚を覚えることになる。

 この感覚を今日体験しようにも、「大地震」を劇場で改めて見る機会はおそらくない。だからこの文章をお読みのみなさんは全くお気の毒と言わざるを得ないが、それでも「センサラウンド」を疑似体験できる方法はたった一つだけある。「大地震」公開当時MCAレコードから発売された映画のオリジナル・サウンドトラック盤のLPレコードを入手し、そのA面1曲目に針を落とすことだ。そこにはこの映画の地震場面のSEが、ごく短く低いレベルでではあるが収録されている。これを手持ちのオーディオ・セットでフル・ボリュームで流してみれば、かなりの効果が挙げられるはずだ。ただし肝心の曲が始まったらすぐに音量を落とさねばえらい事になるし、レコード針が拾うホコリの音も強烈なノイズになってしまうだろうが…。

 もっとも…そんな心配は全くの杞憂かもしれない。今日この実験を試してみようにも、そうそう実現しそうもない。何しろ現在LPレコードは販売していないので、このアルバムを入手するためには中古盤屋を根気よく探すしかない。このサウンドトラック・アルバムがCD化されたかどうか僕は知らないし、CD化されているとしても同じように冒頭に地震場面のSEが入っているかどうかは不明だ。仮に入っていたとして…ボリュームを上げて聞いてみても、CDに収録された音源で当時と同じ衝撃が再現できるかどうか保証の限りではない。

 さて、この僕も初公開時にこの作品を劇場で鑑賞したが、確かに「センサラウンド」の威力は凄まじかった。「揺れ」を体験したか…とまで言われると心許ないが、確かに大音響と共に劇場全体がビリビリ震えるような衝撃や緊張感は味わった気がする。そんなこんなの話題も含めて、イベント・ムービーとしての「大地震」はそれなりの成功を収めたはずだ。

 ところでこの「大地震」なる作品は、企画そのものからその隅々に至るまで、当時のユニバーサル映画社長ジェニングス・ラングによって具体化されたものだ。この映画に「センサラウンド」なる新音響効果を導入しようという発想も、当然このラングから出たものに違いない。

 そしてラングは「大地震」での成功を見て、「センサラウンド」方式をこれ一作で捨てるのは惜しい…と改めて思ったのではないか。早速この「新方式」は、アメリカ建国200年記念作品と銘打たれた「ミッドウェイ」(1976)で再使用されることになる。

 この作品はタイトルから分かる通り、かのミッドウェイ海戦での日米の戦いを映像化したもの。チャールトン・ヘストンを筆頭に、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャム、ジェームズ・コバーン、そして山本五十六に扮する三船敏郎など、オールスターが出演した超大作。その強力な「売り」として、「センサラウンド」方式が採用されたわけだ。

 この作品は、ドゥーリトル機によるアメリカ軍初の帝都空襲場面からスタートする。戦闘機の爆音で空気がブルブルと震え、東京に初めて爆弾が投下された瞬間…観客はド〜〜〜ンと激しい爆風のような衝撃を体験。この冒頭場面を見た時、僕は「センサラウンドって、ひょっとしたら戦争映画に使う方が向いているんじゃないか?」…とさえ思った。そのくらい、この「ミッドウェイ」の冒頭場面は破壊力抜群だったのだ。

 しかし、これ以降「センサラウンド」の威力はなぜかどんどん減退する。さすがに最初の一発の衝撃は絶大だったが、それが何度も何度も繰り返されると飽きてくる。「センサラウンド」の効果が思いのほか一本調子なのも、その効果に飽きが来る理由のひとつだ。

 もっとも、飽きが来る理由を「センサラウンド」だけに求めるのは酷かもしれない。何しろこの「ミッドウェイ」という映画、その出来栄えにいささか問題がある。何と「ミッドウェイ」という「戦争大作」、この作品のために改めて撮影された戦闘場面はほとんどない。その戦闘場面の大半は、過去に制作された戦争映画や記録映画・ニュース映画からのフィルム・クリップによって構成されているのだ。

 だから劇中カットによってフッテージが16ミリと35ミリ、モノクロとカラーに目まぐるしく変わる。画質も色調もさまざま。さながら太平洋戦争映画版「ザッツ・エンタテインメント」…と言えば聞こえがいいが、雑多な映像の寄せ集めモンタージュで構成された作品で、どう観ても大して予算がかかっているようには見えない。とてもじゃないが「超大作」と呼ぶには少なからず問題のある作品なのだ。

 画質も出どころもバラバラな戦闘ショットを何とかつなぎ止めて一貫性を持たせると共に、どこか安っぽいこの作品に「大作感」を与えるため、無理矢理「センサラウンド」方式が投入されたとしか思えない。正直言って、かなりトホホな作品だった。

 そんな訳で、第2作ではその威力を遺憾なく発揮したとは言い難い「センサラウンド」。しかしユニバーサル映画はまだこの技術の使い道はあると思ったのか、相次いで第3弾の準備を始めた。それが今回紹介する「ジェット・ローラー・コースター」だ。

 

実はパニック・スペクタクル大作というより小粒な内容

 「センサラウンド」方式の採用、オールスター・キャストと言うにはいささか貧弱ながら、それでも新旧スターを並べて一応の豪華さを見せるキャスティング、ジェットコースターの破壊という見せ場を核にしたと見てとれる企画…と、一見ユニバーサルが集中的に発表していた「大地震」(1974)、「エアポート'75」(1974)などの延長線上にあるパニック・スペクタクル大作の趣を持っているこの作品。実は公開当時見ることができなかった僕はずっとそんなイメージでとらえていたし、実際に配給会社側もそんなイメージで売っていたような気がする。

 しかしいざ実物に接してみると、この作品の趣旨はそんなイメージとはいささかズレていることが分かる。

 確かに導入部にはジェットコースター破壊場面があり、それがこの作品のひとつの「見せ場」であることは間違いない。だがそれはあくまで導入部だけで、後は爆弾を仕掛けられた…というサスペンスだけで引っ張る構成。しかも…僕はDVDで鑑賞したのでしかとは分からないが、おそらく「センサラウンド」の効果も、前述の冒頭パニック・スペクタクルと全編に出てくるジェットコースターの雰囲気の体感のみにとどまったはず。「センサラウンド」の威力を十二分に発揮したパニック・スペクタクル大作というには、いささか地味なつくりの作品となっているのだ。

 しかもその「派手」な場面が冒頭に登場してしまったため、後がずっと地味で大人しくなってしまったきらいがある。当然のことながら、結局この冒頭場面を超える「見せ場」はこの映画には登場しない。つまり「ヤマ場」が「ヤマ場」でなくなってしまった印象すらある。この「頭でっかち」とも言える構成も娯楽映画としては少々キツイところだったかもしれない。

 それではこの映画は一体どういう作品なのか…といえば、ミステリー・タッチのサスペンス映画というのがふさわしい。

 役名もない「名無し」のティモシー・ボトムズ扮する青年が、ジェットコースターに爆弾を仕掛ける犯人。動機も素性も最後まで分からないこの男に、主人公たちは終始翻弄されるのだ。そして満員のお客でふくれる遊園地を舞台に、爆破を阻止し犯人を逮捕するための主人公たちの必死の努力が続けられる…。パニック・スペクタクル映画という「見せ物」映画とは、かなり異なる面白さを狙った作品なのだ。

 それというのも、この作品の脚本を手がけた面々を見てみれば分かる。脚本を書いたリチャード・レビンソンウィリアム・リンクの二人は、あのテレビの傑作ミステリー・シリーズ「刑事コロンボ」のメイン・クリエイターとして、パイロット版「殺人処方箋」(1967)から手がけて来たコンビなのだ。そもそもパニック・スペクタクルなど望むべくもないスタッフなのである。

 だから映画はもっぱら、主人公側からの犯人追求に多くの尺数を割いている。そして一見大作風に見せながら、実はテレビムービー・クラスのスケールに留まっているのが正直なところだ。それは題材としての地味さと共に、前述した「刑事コロンボ」のリチャード・レビンソンとウィリアム・リンクの存在が醸し出したものかもしれない。特にエンディング、ティモシー・ボトムズの犯人が追われてジェットコースターに跳ね飛ばされるショボくてギコチない場面処理と、その後いきなり唐突に映画が幕となる終わり方などは、まるでテレビ・ムービーかと思わせる小ぢんまり感だ。これではどう見たってパニック・スペクタクル超大作とは言えまい。

 あるいはその小ぢんまり感は、監督のジェームズ・ゴールドストーンによるものかもしれない。

 ここに至るまでにポール・ニューマン主演の「レーサー」(1969)や、ジェームズ・ガーナーとキャサリン・ロス主演の「大捜査」(1972)などの作品を放っていたゴールドストーンは、「パイレーツ・オブ・カリビアン」を先取りした「早すぎた」海賊映画…ロバート・ショー主演の「カリブの嵐」(1976)でユニバーサル社長ジェニングス・ラングに気に入られたのか、今回の起用に至っている。だが、ざっとこの人のフィルモグラフィーを見渡してみても、あまりにバラエティに富みすぎていて特徴に乏しいことが分かる。唯一この人の作品に一貫してうかがえる特徴は、失礼ながらどことなく漂う「小ぢんまり」感だけだ。

 そこに気づかず、この「ジェット・ローラー・コースター」演出の実績を持って「大作の演出経験あり」と判断、自らのパニック大作総仕上げ作品世界崩壊の序曲(1980)監督に起用したアーウィン・アレンは、完全に判断を誤ったと思わざるを得ない。ポール・ニューマン以下豪華キャストを持ってしても防ぎようがなかった「序曲」のショボさは、やっぱり半分以上ゴールドストーンの責任のような気がする。

 日本ではこの作品…ご覧の通り「ジェット・ローラー・コースター」という何とも珍妙なタイトルを付けられて公開されてしまった。アメリカでの「Rollercoaster」という原題名を大きく変えるな…という要請が、ユニバーサル本社から出ていたからだろうか。日本ではこの乗り物を「ジェットコースター」と呼ぶために、苦し紛れに両者をつなぎ合わせて中途半端なタイトルになってしまったのではないか。

 そんなハンパな苦しさとパニック大作なのかそうでないのか曖昧なスタンスが災いしたのか、日本公開時にはかなり苦戦した作品だったと記憶している。まぁ、パニック大作ではなくミステリー・サスペンスなのだ…と言ってみても、元来が「センサラウンド」方式の効果を売り物にする作品である以上、その言い分にはいささか無理がある。

 「センサラウンド」第1弾の「大地震」にせよ第2弾の「ミッドウェイ」にせよ…特に後者はかなりの「上げ底」大作ではあったものの、いずれもユニバーサルの目玉大作であったことは間違いない。だからこの「ジェット・ローラー・コースター」にも、そんなムードが漂っていたのは確かだ。だが、作品の「格」以上に見せかけようとした努力が、この映画では裏目に出た。そのせいか、作品に必要以上に「小ツブ」感が出てしまったのが気の毒なところだ。やっぱり一時が万事、そんな中途半端さが災いした映画と言わざるを得ないかもしれない。

 そして、この作品で「センサラウンド」にも小ツブ感がこびりついてしまったのか…この後は「宇宙空母ギャラクティカ」(1978)に使用されただけで、その息の根は完全に止まってしまった。その「ギャラクティカ」が、「スター・ウォーズ」(1977)などのSFブームに便乗してつくられたTVシリーズを劇場版として再編集したもの…というあたりも、何となく哀れをそそる。

 また…これはあくまで未確認情報ではあるが、僕はここに挙げた4本のユニバーサル作品以外にも「センサラウンド」方式を使った映画があるという話を聞いている。その作品とは、ジョン・ブアマンが監督したワーナー・ブラザース映画「エクソシスト2」(1977)。実は僕はこの映画を劇場では見ていないのだが、公開当時見に行った知人の話では、終盤の家の崩壊シーンに明らかに「センサラウンド」が使用されていると言う。ただし映画にはどこにも「センサラウンド」の表記はないし、ユニバーサルが開発した特殊技術をワーナーに貸し出したりするか…という気持ちも少なからずする。もし「エクソシスト2」の「センサラウンド」使用が本当なら…それはそれで象徴的な出来事かもしれない。もはや「センサラウンド」は、ユニバーサルにとって切り札ではなくなっていたのだ。

 というわけで、「センサラウンド」の有難みまで落としてしまった観がある「ジェット・ローラー・コースター」。ではこの映画はつまらないかと言えば…さにあらず。

 小ツブ感は免れないが、小ツブには小ツブなりの良さがあるのだ。

 

あまりにも1970年代テイストが充満した作品

 ミステリーとしての楽しさ、主人公のキャラクターに漂うハードボイルド感、そして犯人が抱える虚無感…この映画には、いわゆる「大作」映画にない味わいがある。

 特にこの犯人像は、1970年代アメリカ映画に続出した「無差別殺人モノ」に共通するムードが漂う。例えばピーター・ボグダノビッチの出世作となった低予算映画「殺人者はライフルを持っている!」(1968)やライフル魔の実話を映画化したテレビ・ムービー「パニック・イン・テキサスタワー」(1975)、そしてこれら2作を参考に大作化したかのような「パニック・イン・スタジアム」(1976)…などは、モロに延長線上の作品だ。

 先にも述べたように動機も分からず素性も分からない犯人像は、いかにもこの時代の映画にふさわしい存在だと言える。ちょっと傾向は違うが、スティーブン・スピルバーグの出世作となったテレビ・ムービー激突!(1971)のタンクローリー運転手をここに加えてもいい。こんな不条理で不気味な存在としての犯人像は、いかにも1970年代映画の特産物だ。これが例えば…1980年代以降に同様のテロ行為を行う犯人像を描いた時、ダイ・ハード(1988)のように「金目当て」のような動機の明快さを持っていたことを考えれてみれば、このあたりの違いがハッキリお分かりいただけるはずだ。

 今回の作品では犯人をティモシー・ボトムズが演じているあたりも、そんな不条理感を増している。ボトムズと言えば「ラスト・ショー」(1971)、「ジョニーは戦場へ行った」(1971)などでナイーブで悲しみをたたえた青春像を演じて名を挙げた人。正直言って青春が似合わなくなるにつれて、パッとしなくなっちゃった人でもある。こんなナイーブさが売りのボトムズが犯人役を演じたのは、おそらくヒッチコックのサイコ(1960)でそれまで好青年役で売っていたアンソニー・パーキンスを犯人役に起用したことがヒントになっていると思われる。さらに、ここではナイーブ青年ボトムズが犯人を演じることで、一層その不条理感が強調されているのだ。好青年っぽいからこそ、この爆弾魔は何とも薄気味悪いのだ。

 そんなティモシー・ボトムズだけでなく、前述したように一応の豪華さを見せるキャスティングもこの作品の魅力のひとつ。リチャード・ウィドマークハリー・ガーディノスーザン・ストラスバーグヘンリー・フォンダ…中には単なる彩りとしての出演でしかない人もいるが、それなりに豪華な顔ぶれが揃っているのが嬉しい。現在スターとして知られるヘレン・ハントが、主人公の娘役を演じる「子役」として顔を出すお楽しみもある。

 しかしこのような顔ぶれのトップに立つ役者として…今回、「規格安全省の検査官」という何ともヒーローらしからぬ役どころを演じるジョージ・シーガルという名前に、イマドキの映画ファンの方々は奇妙な違和感を覚えるのではないだろうか。

 そもそも昨今、ジョージ・シーガルの名前は映画ファンにとって馴染みがあるとは言い難い

 実際、僕にとっても、ジョージ・シーガルのスターとしての記憶はそんなにあるわけではない。たまたま僕のリアルタイムな映画の記憶が1970年代から始まるから知っているだけだ。その代表作はオスカー作品賞候補にもなったグレンダ・ジャクソン主演の恋愛映画「ウィークエンド・ラブ」(1973)あたりであろうか。例えばSF「電子頭脳人間」(1974)などのシリアス作品もあったが、そもそもの持ち味は軽妙なコメディにあった人だ。最近ジム・キャリー主演でリメイクされた「おかしな泥棒ディック&ジェーン」(1977)でジェーン・フォンダと共演していたと言えば、当時の彼の大スターぶりが分かるかもしれない。ところがなぜか1970年代の終焉と共に没落して、今ではその存在を知る人もほとんどいなくなってしまった。そういう意味では、極めて1970年代的なスターと言えるかもしれない。

 そもそもジョージ・シーガルのようなスターが、このようなオールスター・キャスト映画…しかも大型サスペンス映画の配役のトップを飾れたということからして、今では考えられない。

 先にも述べたように、シーガルは軽妙なコメディを得意としたスターだ。逆に言うと…骨太で逞しい男性スターでもなければ、スケール感がある役者でもない。ちょっと小賢しいくらいの小ツブ感溢れる俳優だった。

 そんなシーガルの持ち味は、この「ジェット・ローラー・コースター」を見てもよく分かる。

 先にも挙げたように、この主人公は「規格安全省の検査官」という小役人。何と禁煙に苦しんでヒーコラ言いながらの登場。出てくるや否やヘンリー・フォンダの上司とイヤミの応酬。しかし、それも大した信念があっての事ではなさそうだ。「とりあえずエライ奴には逆らっておく」という態度以上のものではなく、ただキャンキャン吠えるだけで、骨太に孤高の立場を貫くわけでもない。何となく軽くて男らしくない男…それがこの映画でのジョージ・シーガルという男だ。

 おそらくイマドキなら、こんな男は大作映画の主役にはなり得まい。「ダイ・ハード」のマクレーン刑事などは等身大の男ぶりを売っているものの、彼はグチも弱音も吐くが、ちゃんとやる時はやるのである。だがジョージ・シーガル演じる主人公は、とてもじゃないが銃を持つことすら考えにくい。

 おそらくジョージ・シーガルみたいな俳優がスターになれた…そしてこんな主人公が大作映画のヒーローになれたのは、1970年代という時代のおかげではないだろうか。

 当時、ベトナム戦争やウォーターゲート事件でアメリカは揺れていた。人種問題や学園紛争、フェミニズムやヒッピー・ムーブメントで、既存の権威や価値観がすべて引っくり返った時代だった。先に挙げた「無差別殺人モノ」や不条理犯人も、いかにも1970年代的産物。ついでに言うと、例えば本作の犯人ティモシー・ボトムズやこの手の不条理犯人たちには、何となく「ベトナム帰り」「ベトナム後遺症」的なムードが漂っている。そういう描写や台詞がなくても何となくそんな事を感じさせるのが、この時代の映画の特徴なのだ。このあたりの時代の気分は、おそらくデビッド・フィンチャー監督のゾディアック(2006)に見事に活写されているはずだ。

 そんな既成概念や価値観の変化は、人々に「権威は疑ってかかれ」という意識を植え付けた。

 何しろ権威の最たるモノである大統領ですら不正を行っているのである。国家や民主主義のためと戦わされたベトナム戦争が全くの欺瞞だったのである。人々は権威という権威を疑った。ジョージ・シーガルが上司のヘンリー・フォンダにとにかく噛みつくあたりも、FBIから来た偉そうな年寄りリチャード・ウィドマークとソリが合わないのも、シーガルという俳優と彼が演じるキャラクターが極めて1970年代的だから。年齢が高い奴や地位が上の奴、大きな組織や権限をバックにしている奴にはとにかく噛みつき逆らうのが、1970年代の流儀だったのだ。それがいいことかどうかは別にして、とにかくこの時代はそうだった。かといって、シーガルが反逆のスピリットを持っているほど骨っぽくないのはご愛敬。一応キャンキャン吠えてはみるが、それらは「とりあえず」逆らってみるだけなのだ。根本からマッチョなイズムとかけ離れているのが、「1970年代男」なのである。

 だからこの男が一人で爆弾犯に立ち向かっても、いいかげんタカが知れている。最初などいいように翻弄されまくるテイタラクだ。あげく百戦錬磨のFBIの老兵ウィドマークにバカにされる。映画の後半は、そんな非力な「1970年代男」がなけなしの勇気を奮って意地を見せるという展開だ。

 だからと言って…ラストで主人公に「勝利」がもたらされるかと言えば、そうはいかない。

 主人公の目の前でジェットコースターに吹っ飛ばされる犯人。それは別に主人公が犯人を倒した訳ではない。そんな「達成感」のあるエンディングはここにはない。主人公は最後まで無力なままだ。

 そして主人公は、そのまま虚無的な表情で現場を離れる。その場にいた知らない男にもらいタバコをするものの、結局それを喫う気になれずに捨ててしまう。そんなシラけわたった幕切れは、例えばウィリアム・フリードキンの「フレンチ・コネクション」(1971)などのスッキリしないエンディングなどにも共通する味わいがある。

 いや…この時代は、あのスティーブン・スピルバーグでさえ「激突!」(1972)のようなシラジラしたエンディングを描いていた。あのシラジラした雰囲気は、時代の気分だったのだ。

 「ジェット・ローラー・コースター」という作品もまた、時代の産物だったのである。

 


Rollercoaster

(1977年・アメリカ)

ユニバーサル映画 制作

監督:ジェームズ・ゴールドストーン

製作:ジェニングス・ラング

脚本:リチャード・レビンソン、ウィリアム・リンク

出演:ジョージ・シーガル、リチャード・ウィドマーク、ティモシー・ボトムズ、ハリー・ガーディノ、スーザン・ストラスバーグ、ヘンリー・フォンダ、ヘレン・ハント

2007年1月2日・DVDにて鑑賞

 


 

 

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