「黄金」

  The Treasure of the Sierra Madre

 (2004/09/13)


食い詰め男たちが黄金の夢に飛びついて

 1925年、メキシコはタンピコの街。今日も宝くじの結果を見つめては、ため息をついている薄汚い身なりの男がいた。その男ハンフリー・ボガートはアメリカ人にも関わらず、何の因果でメキシコくんだりまで流れてきたのか。今日も今日とてアメリカ人と見れば、「同郷のよしみでめぐんでくだせえ」などと頭を下げる。そして安タバコにありつく情けなさだ。

 そんなボガートの足下を見るように、宝くじ売りのガキがまたやって来る。このガキャ〜と相手にしないが「買え買え」とやかましい。このガキの言う事聞いたばっかりに、なけなしのカネをさらに減らしたとあって、ボガートも苛立って水をぶっかけるアリサマ。それでもめげずに「今度はツキがあるよ」などと決して退かないから、このガキも根性が座ってる。まして「今度は…」などと言われれば、やっぱりボガートもスケベ根性が動いてまたクジを買わずにはいられない

 いつものねぐらである公園のベンチへ行くと、隣のベンチに誰かが寝ていた。その男ティム・ホルトも、やっぱり食い詰めのアメリカ人らしい。お互い無職の身に、「この街はよそ者には住みにくい」とただただボヤき合うばかりだ。

 さて、そうそう物乞いをやっている訳にもいかない。そんなボガートに声をかけたのが、バートン・マクレーンという男だ。「仕事をやらんか。力仕事だがな」

 もちろんボガートに異存はない。マクレーンに連れて行かれて、多くの男たちと一緒に集まった。その中には、たまたま公園で出会ったホルトの姿もあった。

 さて、彼らは船に乗せられて郊外の町へ。そこで大工仕事にしばらくコキ使われる。だが給金は支払われない。すべて終わってタンピコの街に戻ってからだ。まぁ、給料がいいから仕方ないか。

 ところが仕事を終えた彼らの船が街へ着いても、出迎えの者が誰も来ていない。仕方なくマクレーンはみなの給料を取りに行くと言う。待ち合わせの時間と場所を決めて、ボガート、ホルトとマクレーンはその場で別れた。

 ところがいつまで経ってもマクレーンは現れない。ボガートもマクレーンもダマされたのだ。聞けばマクレーンは、タダ働きさせては給金をネコババするので有名な詐欺師。今じゃダマされるのも田舎者だけ…とまで言われちゃ、まるで立つ瀬がない。落ち込むボガートとホルトはすごすごと激安木賃宿にシケ込むしかなかった。

 そんな木賃宿で、連れの男たちに得意げに話す老人が一人。その老人ウォルター・ヒューストンは、金鉱掘りを生業としている男。今だってやる気十分で、連れを探しているらしい。ただし金鉱探しはなかなかシビアーだとヒューストンはまくし立てる。何せ金探しをするヤツのうち、見つけられるのは1000人に1人、あとの99人は空振りだ。そして力を合わせて金を探しても、友情が続くのは見つかるまで。ひとたび見つかったら絶対揉め事は避けられない。それが黄金の魔力なのだ。

 そういうヒューストンも、かつて金で一発当ててオイシイ思いをしたことがあるようだ。ならば今はなぜこんな場所でこんなテイタラク? それは一発オイシイ思いをしたら、またオイシイ思いをしたくなるからだ。もっとオイシイ思いをしたくなるからだ。それでせっかく得た財産をスッカラカンにしてしまった。人の欲には限りがない。それも黄金の魔力なのだ。

 それを聞いていたボガートは、ついついヒューストンの話に口を出す。「オレはそうはならねえぜ」

 一緒にいたホルトもそれに同調した。そもそも、カネなどある程度あってラクが出来ればソレでいい。それ以上など望みはしない…。

 翌朝、木賃宿を出たボガートとホルトは、ヒューストンおやじの話を反芻していた。だがあの老人の話にはどうしても同意出来ない二人だった。「オレは違う。そんな欲深ではない。結局、その人その人の人柄の問題だぁな

 そんな二人の目の前を、あのマクレーンが通りかかるではないか!

 いい身なりをしたマクレーンは、羽振り良さそうに女を連れて歩いている。ボガートとホルトは怒り心頭、マクレーンを挟み討ちするかのように取り囲んだ。さすがに容易ならざる雰囲気に観念したマクレーンは、女を帰して二人と酒場へ入る。ここで何もなかったかのようにスットボケだ。「探したんだよ、どこ行ってた? あ、そうそう…また仕事があるんだけど」

 「スットボケるんじゃねえ!」

 隙を見たマクレーンは、ボガートを酒瓶で殴りつける。だがホルトがマクレーンを逃がさなかった。結局二人してマクレーンをボコボコな目に合わせると、彼の財布から必要な金額だけ抜いて酒場を去った。必要なカネ…自分たちが給料としてもらうはずのカネだ。それ以上は欲しくはない。

 さてフトコロに余裕が出てきたボガートとホルトだが、余裕が出てきたら知恵も回ってきた。このままではどうせジリ貧だ。何かしないとまた素寒貧に逆戻り。それならば…あのヒューストンじいさんの金の話に乗った方がよかねえか?

 早速例の木賃宿へ戻ると、ヒューストンじいさんに話を持ちかける。じいさんは大乗り気で虎の子200ドルもはたくと言うが、ボガートとホルトの持ち金は合わせても300ドル。じいさんいわく、金鉱探しにはロバだの道具だので600ドルは必要だ。やっぱりダメか。

 ところがそこに、あの宝くじ売りのガキがやって来た。何と先日ボガートに売ったクジが当たっていたと言う。何と、これは何かの奇跡なのか。これで三人は、金鉱探しの資金を手に入れる事が出来たのだ

 さて、早速列車に乗って奥地へと入っていく三人。だが列車で行けるような場所ではまだダメだ。そこはとっくに人々の手が入っている。誰も行かないような辺鄙な場所こそ、彼らが目をつけるべき場所だ。

 ところが突然、乗っている列車が停車する。どこからともなく、馬に乗った山賊たちが押し寄せて来たのだ。ここでやられては元も子もない。三人は荷物から拳銃を取り出して応戦した。

 やがて列車が再び走り出して事なきを得たが、ボガートはもう少しで敵のリーダーを仕留められたのに…と悔しがる。敵のリーダーは金色の帽子を被った男。列車が動き出したため、狙いを定められずに取り逃がしてしまった。

 とにかく…そんな事より黄金だ。列車を降りて、辺鄙な町でロバを買った一同は、どんどん荒野を進んでいく。こうなると、モウロクしていたかと思っていたヒューストンじいさんの足取りは軽い。ドンドンと先に進んでいく。普段鍛えてないボガートとホルトはヨレヨレ。ヤケに元気なじいさんが恨めしい限りだ。

 途中で光る鉱石を見つけて「黄金だ」と叫べば、こんなものはスカだとじいさんに却下される。まるっきり素人の哀しさで、だんだんイヤけが差してくるボガートとホルト。いよいよこりゃダメだとなるや、ボガートは「街へ帰ろう」と泣きを入れる始末だ。

 「帰るだと? 足下に金が眠っているのにか?」

 ヒューストンじいさんは、すでに周囲に砂金を見つけていたのだ。砂金があるということは、その源となった鉱脈がある。それは目の前のあの山にあるはずだ!

 こうなりゃ勇気百倍。現金にもボガートとホルトの足腰はしゃんとした。こうして三人の男たちは、やっと目指す金鉱を発見出来たのだ。

 まずは金を精製するための水の確保だ。井戸を掘って水路をつくり、金を選り分けるための場所をつくる。こうして金鉱掘りが正式に始まった。

 掘り出した金の鉱石は砕いた上で水の中で選り分け、純度の高い砂金にする。一日の終わりにはヒューストンじいさんが秤を使って、採れた砂金を三等分にするのが日課だ。

 「三等分にするのが一番気が楽だ。自分の分け前はそれぞれ隠し場所にしまえばいい

 この道ウン十年のヒューストンじいさんは、黄金が人を変える事を熟知しているのだ。案の定、ボガートとホルトの胸の内には、さざ波のように動揺が広がりつつあった。

 そんなある日、金鉱でボガートがツルハシを振るっていたところ、突然落盤事故が起こる。金鉱の入口から土煙が立つのを見たホルトは…しかし一瞬躊躇した。それは一人減れば分け前が増える…などという、邪念が一時脳裏をよぎったからか。だが次の瞬間に我に返ったホルトは金鉱に飛び込み、気絶していたボガートを助け出した。幸い頭を打っただけですぐに回復。この時はホルトに大いに感謝したボガートだったのだが…。

 夜、いつものように三等分の儀式を終えて…ヒューストンとホルトは今後の夢を語り合った。ヒューストンは雑貨店でも開き、一生ラクに暮らしたいと言う。ホルトは子どもの頃から夢見ていた果樹園の経営だ。だがそこに加わったボガートは、やれ洋服を何ダースもつくるだのオンナだの…という、夢も希望もない話。これには他の二人はシラケきった。

 さらに、どのくらいまで掘り続けようか…という話し合いになって、彼らの意見が対立。サッサと切り上げようというヒューストンじいさんに、一年でも掘り続けるというボガート。欲張るなとたしなめるホルトに、ボガートは元々多く投資したのは自分だ…とセコい話を持ち出す。たちまちその場の雰囲気は悪くなった。

 良くないムードはどんどんエスカレートしていく。夜中にヒューストンが寝床にいないのに気づいたボガートは、起きだして自分の隠し場所を確認しに行く。そのボガートの不在に気づいたホルトは、やはり起きだして自分の隠し場所の確認。もう誰も彼も信じられなくなった。

 完全に被害妄想に囚われたボガートは、昼間からブツブツ独り言をつぶやくようになる。それも「分かってるんだぞ」「フザケやがって」「クソジジイ」などと他の二人の悪口ばかり。みんなが自分を出し抜こうとしている…そんな強迫観念で頭が一杯だ。

 さらにホルトが大きな岩をどけようとしているのを見ると、ボガートは怒り心頭。「やっぱりな!」とわめいて一触即発の状態となった。実はその岩はボガートの分け前の隠し場所。ホルトがそれを奪おうとしていると錯覚したのだ。だがホルトはたまたま毒トカゲを見かけて、それが岩陰に隠れたのを殺そうとしただけだった。案の定、岩をどけると砂金の袋と共に毒トカゲが出現。何ともイヤな雰囲気でその場は収まった。

 しかも、厄介事はさらに続く

 しばらくぶりにホルトが町に買い出しに出ると、妙に馴れ馴れしく話しかけてくるアメリカ男がいる。おまけにこの男ブルース・ベネットは、金を探していると言うのだ。ホルトはもちろんスットボケたが、ベネットはまるで見透かしたように離れない。そんなベネットをやり過ごして山へと戻っていくホルトだが…。

 あのベネットは、結局三人の居場所を探り当ててやって来た!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後は映画を見てから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この男、自分も仲間に入れて分け前を三等分にしろ…と、フザケた事を言い出す。これにはボガートもマジギレで思わず殴りかかった。だがベネットは大マジメ。ただ三等分にするだけなら損はない…と一歩も退かない。

 ここで自分を追い返せば、彼らが金を掘っている事をしゃべる。そうすれば不法に掘っている彼らは捕まり、金はすべて没収だ。また、もし自分を殺せば、殺しに手を下した人間は他の二人に頭が上がらなくなる…。

 確かに道は二つしかない、仲間にするか、殺すかだ…。

 そんなベネットを待たせて、協議をする三人。ボガートは殺す、ヒューストンは仲間にする、そしてホルトは…やはり殺す。結局多数決でベネットを殺すことに決定。ただし三人同時に銃を撃って、誰も負い目がないようにする。こう決めた三人は、銃を構えながらベネットに近づいていった…。

 ところが、事態はさらに急転した

 ベネットが崖から下を見下ろしているうち、山賊たちがやって来るのを見つけたのだ。連中に見つかったら、身ぐるみ剥がれて殺される。それまでベネットを殺そうとしていた事などどこ吹く風。ここは一人でも人手が欲しい。彼らは荷物を隠してそれぞれが岩陰に隠れ、山賊たちが来るのをやり過ごそうとした。

 しかし山賊は彼らがいる場所までやって来て、そこに隠れている事まで気が付いた。そのリーダーはあの黄金色の帽子を被った男アルフォンソ・ベドヤ…列車で見かけたヤツだ。

 銃撃戦が始まり、いよいよヤバイ…となった時、なぜか山賊たちは退却を始める。一体どうしたのか…と見ていると、彼らを追う軍隊の連中がやって来るではないか。命拾いした彼らは、思わず狂喜乱舞した。

 だが皮肉な事に、銃撃戦であのベネットが命を落としていた。遺体の身元を調べていると、彼の妻からの手紙が出てくる。

 「金は見つからなくてもいいから、生きて帰ってきて」

 そんな彼の妻の手紙を読んでいるうち、三人男たちは我に返ったように冷静さを取り戻すのだった。

 それから間もなくして、掘り出す金の質が低下していった。この金鉱はもう掘り尽くしたのだ。それを知ったボガートは、憑き物がとれたように「帰ろう」と言い出した。

 こうして三人の男は10ヶ月の苦難の末、ようやく街までの帰路に就く事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を見てから読んで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが夜中、彼らの荒野の野営場所に何者かが訪れる。それは近所の村に住むメキシコ人たちだった。何でも川で溺れた少年が、意識を取り戻さないらしい。助けてくれ…と言われれば行かない訳にもいかず、ヒューストンは二人を置いて村へと出かけていった。

 村人総出で見守る中、何とか少年の意識を取り戻そうと四苦八苦するヒューストン。確かに息はしており死んではいない。あれこれ試して努力したあげく、ヒューストンは何とか少年の目を覚ます事に成功した。

 こうして翌朝、ボガートとホルトの前に戻ってきたヒューストン。ところがそんなヒューストンを村人が追いかけて来た。お礼をしなければ縁起が悪いと言うのだ。ハッキリ言って大きなお世話なのだが、何がどうあっても礼をするつもりらしい。根負けしたヒューストンは彼らと村へ戻る事にして、後から街へ追いかけていく…とボガート、ホルトに言った。ヒューストンの分の分け前を載せたロバは、二人が街まで連れていく。こうして一行は二手に分かれる事になった。

 ところが…これがマズかった

 ヒューストンの分のロバに手を焼き始めたボガートが、たちまちブーたれ始めた。さらにはホルトと内輪もめ。しまいにはヒューストンの分け前を盗んでトンズラなんて事まで言い出すボガート。これにはホルトも黙っていない。こうなるとまたしても一触即発。銃を構えてのにらみ合いは、ホルトが一応その場を収める事になった。だがこうなると、ボガートはもう猜疑心の虜。ホルトが何をどう言おうと疑ってかかる。前を歩けと言えば、背中から撃つつもりだろう…と絡む。後から来いと言えば、待ち伏せするつもりだな…と難癖つける。もう話にもならない。隙あらばホルトの銃を取り上げようとするボガートに、一睡も出来ない状態。しまいに寝込んしまったホルトを、ボガートは情け容赦なく銃で脅した。

 やがて一発の銃声が鳴り響いて…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは絶対に映画の後で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が知っている晩年のジョン・ヒューストン

 ジョン・ヒューストンと言えば巨匠中の巨匠だ。もちろん僕が映画を見始めた時には、とっくにスゴくエライ人になっていた。

 その作品を僕が実際に見た最初は、たぶん「ロイ・ビーン」(1972)だ。ポール・ニューマンが型破りな西部の判事を演じた映画。なぜか分からないが、当時それほど劇場に行けなかったはずの僕が、これはちゃんと映画館で見ていた。すごく楽しかったのを覚えているが、あまり話題にはならなかった映画だ。

 ただ、この当時のヒューストンって、巨匠は巨匠だったけどすでに「過去の人」って扱いにもなっていた気がする。

 僕はこの当時「ロイ・ビーン」と前後して、「白鯨」(1956)とか「クレムリン・レター」(1969)とかをテレビで見ていたから、キャリアの長い有名な監督だとは知っていた。そして作品はまだ見てなかったが、「ボギー」の愛称でお馴染みハンフリー・ボガートとコンビ作を連発していた事も知っていた。だけどここんところ作品に恵まれてない事は、何となく雰囲気で分かる。テレビの洋画劇場で映画に目覚めたばかり…ようやく映画雑誌を読むようになったばかりの僕でも、当時の新作「ロイ・ビーン」や「マッキントッシュの男」(1972)の地味な印象を見れば何となく分かるのだ。

 おまけに監督作品はそんな調子なのに、なぜか俳優としての出演作は相次ぐ。当時でも「最後の猿の惑星」(1973)、「チャイナタウン」(1974)に顔を出していた。まぁ、「チャイナタウン」なら分からないでもないが、何が悲しくて「最後の猿の惑星」(笑)。例えお遊びだったとしても、とてもじゃないが「巨匠」と呼ばれる男のやる事じゃないだろう。こりゃあ小遣い銭稼ぎなのかしら…と、何となく僕も「過去の人」と決めつけていたんだよね。

 それでも「風とライオン」(1975)での堂々たる助演ぶりは印象に残った。これならもう役者だけでいけばいいのかな…と、失礼かつ生意気にも思っていた僕ではあった。

 この当時公開された監督作品では、「王になろうとした男」(1975)が例外的に評判が良かった。僕は公開時に見てなかったけど、好評である事だけは知っていたよ。

 ところが監督作は、なぜかこの後パッタリと途絶えた。代わりに僕の耳に届くのは、「ジョーズ」のパクりにもなってない巨大タコが暴れるイタリア製ゲテモノ「テンタクルズ」(1977)とか、確か格闘技のチャンピオンだったジョー・ルイスを担ぎ出して007みたいにシリーズ化を目論んだもののミジメに失敗した「ジャガーNO.1」(1979)とか…のゲスト出演の話ばかり。こりゃもうダメか…とマジメに思ったよね。相当ご老体なのは間違いないし、半ば引退かな…と。

 そんなヒューストンがいきなり娯楽大作を撮るというから、僕もスッカリ驚いた。それが何とシルベスター・スタローン、マイケル・ケイン、マックス・フォン・シドーにサッカー選手ペレ(笑)…という、素晴らしくもメチャクチャなキャスティングで撮った戦争プラス・サッカー映画「勝利への脱出」(1980)。別に「巨匠」が撮らなくても…と思うような作品ではあったが、それでも職人に徹して面白く撮っていたのには驚いた。これほどのキャリアの持ち主にして、まるっきり「大御所」の大げささがないところにビックリ。普通に「現役」として娯楽映画を撮っているところが「非凡」だったよね。

 これで勢いがついたのか、それとも意外にも「巨匠」が気安く身軽である事に映画会社が気づいたか、ヒューストンは監督としての作品ペースをいきなりグンと上げる。それにしたって、次の作品がミュージカル大作「アニー」(1982)ってのには二度ビックリだったが…。

 ここで主演したアルバート・フィニーが気に入ったのか、ヒューストンがまたフィニーを起用して次に撮ったのが「火山のもとで」(1984)。共演はジャクリーン・ビセット…とくれば、またも大味な娯楽大作の「職人仕事」と思いきや、これが意外にもヘビーでシリアスな「作家映画」になっていたから、これまた三度ビックリ。メキシコを舞台に、酒浸りで自滅の道へひた走りする男を描いた不思議な映画だった。これは決して雇われ仕事ではない。

 かと思えば、ジャック・ニコルソン、キャスリーン・ターナーに愛娘アンジェリカ・ヒューストンを加えて「女と男の名誉」(1985)を撮る。僕は正直言ってこの映画をまったく面白いとは思わなかったが(笑)、世評はめっぽう高かったしヒットもした。これだけのキャリアを持ってかなりの高齢にも関わらず、ジョン・ヒューストンはバリバリの現役であり続けていたからスゴかったのだ。

 そう言えばこの時期のヒューストンと言えば、印象に残る映像がある。確かあれはシドニー・ポラックの「愛と哀しみの果て」(1985)が、作品賞などゴッソリとオスカー像をとった年のアカデミー授賞式だ。作品賞のプレゼンターとして、ビリー・ワイルダー、黒澤明と共に「三巨匠」の一角として登場したのがジョン・ヒューストン。しかもヒューストンがスゴかったのは、ワイルダーがとっくに作品を発表しなくなっていたのに、まだまだバリバリ撮っていた事だ。もっともこの年のオスカーでは、黒澤明も「乱」(1985)で監督賞にノミネートされていたっけ。そういう意味では黒澤明って人もスゴかったんだよね。

 そんなヒューストンの体調不良が伝えられ始めたのは、いつの頃だろうか? 実は監督作が来なくなっていた1970年代後半から、病魔はヒューストンのカラダを蝕んでいたのかもしれない。

 最後の作品は、ジェームズ・ジョイスの小説の映画化「ザ・デッド」(1987)。アイルランドを舞台にした、実に渋い…渋すぎる映画だ。だが…おそらくこの映画は、僕がリアルタイムで見れたヒューストン映画ではベストの作品だろう。ヒューストンが酸素吸入しながら撮ったとは到底信じられないような、気が遠くなるような素晴らしさ。いかに僕が「ザ・デッド」を気に入ったかは、この作品が僕の1988年のベストテンで、堂々第1位に挙げられている事でもお分かりいただけるはずだ。スクリーンで見た時から、最初の1分間で「傑作」だと確信したよ。そして、その後何度DVDで見ても胸が詰まる。涙がこぼれてしまう。みなさんにも、ぜひこの作品は一見していただきたいと強くオススメする。

 ともかく…そんな訳で、僕がリアルタイムで知っているヒューストンは、その晩年のほんのちょっとの間だけだ。それでも最後の輝きを見せてくれたから良かったが、それでもヒューストン絶頂期からはかなり隔たってはいた。何しろヒューストンと言えばやっぱりボギーとのコンビ作がまず挙げられるだろう。それなのに、僕がヒューストンの生前に見ていたのは、せいぜい先に挙げた「白鯨」、「クレムリン・レター」に、「天地創造」(1966)あたりがいいところ。これではヒューストンの本来のスゴさは分からない。僕がヒューストンの全盛期の作品に触れたのはビデオを見ることに抵抗がなくなった頃の事だから、それから大分後の事になるのだ。

 しかし…その中でも代表作と言われる「黄金」(1948)については、なかなか見る機会がなかった。ボギーとのコラボレーション、オスカー監督賞を得た高い評価、ヒューストン作品ならではのテーマが強烈に打ち出されている事、さらに父親ウォルター・ヒューストンの起用…と、この作品を見なくてはヒューストンは語れないという観もある。見よう見ねば…と思いながらも、なかなか旧作ってのは手が伸びない。結局豪華なDVDが発売されるに至って、ようやく見る気になったと言うわけだ。

 

自分が本当に欲しいモノとは何か?

 お話は有名だからとやかく言わないが、ともかく元々が脚本家上がりのヒューストンらしいうま味が充満している。男たちが金鉱探しに向かっていかざるを得ない状況がうまく描かれているし、そうなったらそうなったで世知辛くならざるを得ない伏線も生きている。彼らは一度ダマされて懲りているからね。

 そして金探しを知り尽くし、人の世の酸いも甘いも噛みしめたような、ウォルター・ヒューストンのじいさんに何とも味がある。こんなオイシイ役を親父に割り振ったジョン・ヒューストンもエライ。これでオスカー助演賞も納得の好演ぶりだ。

 「人柄の問題だ」…と、最初は金で人格が変わる事など信じられなかったボギーが、いつしかミイラ取りがミイラの状況になる皮肉さ。それでも彼がそうなるのは、ちゃんと脚本上で伏線が張られている。ウォルター・ヒューストンのじいさんは雑貨屋でもやってラクして暮らしたい、ティム・ホルトは果樹園をやりたい…と、人生の夢と目的がハッキリしてる。ところがボギーは何が夢かと尋ねられても、ロクな答えが返せない。実は彼にはちゃんとした望みなどない。ただイイ思いがしたいだけなのだ。だから欲望に限りがない。望みに歯止めがかけられない。そのあたりを、ヒューストン脚本はちゃんと書き込んであるからうまいのだ。

 もちろん脚本家としてのヒューストンばかりを褒める訳ではない。苦心惨憺の金鉱探しの様子、一同の関係が悪化していく様子、さらには終盤にかけての皮肉な運命の顛末まで、ドライでハードなタッチの演出は当時でなく今見たってかなり辛口だ。主人公三人の大変さや疲れが伝わってくるし、だからこその…終盤の「努力水泡」ぶりが際だつのだ。

 驚いたのは、実はこの映画にすでにジョン・ヒューストン自身が役者として出ていること。映画のはじめの頃で、ボガートが三回立て続けに物乞いをしてしまう白スーツの紳士が…どこかで見た事があるなと思ったら、やっぱりヒューストンだった。この時から役者をやっていたとは、ホントにこの人は出るのが好きなんだよね。そして若い頃のヒューストンの風貌は…まさしく「ホワイトハンター・ブラックハート」(1990)で「アフリカの女王」(1951)撮影中のヒューストンを演じたクリント・イーストウッドそっくり! これにはさすがに僕もびっくらこいた。ホントに似ていたんだねぇ。

 さらに役者としてのヒューストン…という点で言えば、実は僕はこの「黄金」を見ながら、ある別の映画の事を思い出した。それは日本では劇場未公開に終わり、まったく話題にもならないカタチで真っ昼間ひっそりとテレビ放映された、秘境の果てを行く(1970)なる作品だ(僕がテレビ放映未公開映画について綴った思い出のテレビ駄菓子屋映画に収録)。

 メキシコ奥地を行く白人のハンターがジャングルで行き倒れ、近くに住む白人の老人に助けられる。この老人を演じるのが、何とジョン・ヒューストンなのだ!

 しかもこのハンターは、自分の父親の仇を捜しに来たと言う。ハンターの父はかつて銀の鉱脈(確か「銀」と言っていたと思うのだが)を探しにこのメキシコまで来て、相棒に裏切られて殺されたと言うのだ。ところがヒューストンは「あくまで風の便りに聞いた話」…と断りながら、元々は裏切ったのは彼の父親の方だとたしなめる…。このストーリーを今にして考えると、まるで「黄金」の後日談みたいではないか!

 この作品が一体何だったのか…は分からないが、ジョン・ヒューストンがまるで父親ウォルター・ヒューストンのやった役とそっくりの役どころを演じているのは、まるっきりの偶然ではあるまい。

 しかもこの「秘境の果てを行く」の物語は、後半で仇探しなんてどうでもよくなってしまう。川で溺れた男の子(!)の遺体探しの話となっていくのだ。これも「黄金」の後半を思えば奇妙な符合だが、何だか「こっくりさん」みたいな方法で川に沈んだ遺体を探す方法が、何とも不思議な雰囲気を醸し出していた。

 そう言えば「黄金」でウォルター・ヒューストンが溺れた少年の意識を取り戻した方法も、とても人工呼吸などには見えなかった。腹をさすったり両手を上下に揺すったり…ああいう方法が実際にあるかどうかは知らないが、まるでまじないみたいに見えたよね。

 この「黄金」、監督作ではないが「秘境の果てを行く」…さらに「火山のもとで」でメキシコの「死者の日」という祭りをタップリと見せたあたりを考えると、ヒューストンってメキシコとその風習にかなりの関心があったようだね。「黄金」を見た今になってみると、もう見ることは叶わない「秘境の果てを行く」を、もう一回ちゃんと見直したくなった。

 そして先ほども少し触れたが…この映画のラストを飾る壮大な徒労、すべてが水泡に帰する幕切れの凄さ!

 結局運命のいたずらで、最後に相棒を裏切るボギー。だが、彼も山賊の残党に襲われ命を落とし、砂金を積んだロバを奪われる。ところが山賊は単なる砂だと勘違いし、砂金など目もくれなかった。慌てて駆けつけたウォルター・ヒューストンや一命をとりとめたティム・ホルトの目の前で、砂金は突風に煽られ虚空に消えていく…。

 空しい、決定的に空しい。

 大してヒューストンを語る資格のない僕だが、彼の映画にこうした「徒労」映画が多いというのは、いろいろと話に聞いている。確かに監督デビュー作「マルタの鷹」(1941)からして、大騒ぎしたあげくつかまされたのは偽物…という「徒労」ぶり。文字通り「王になろうとした男」のショーン・コネリーとマイケル・ケインの野望も空しく潰える。有名女優に憧れを抱き続けた「ロイ・ビーン」の判事は、最後まで彼女を一目見ることさえ叶わない。「白鯨」では巨大なモービー・ディックを仕留めるというエイハブ船長の野心も、逆に自らの身を滅ぼす結果となる。「徒労」とはちょっと違うだろうが…死に誘われるように自滅の道をひた走る 「火山のもとで」の主人公も、空しさの点ではいい勝負だ。確かにヒューストン映画では、主人公たちは空しく自滅するケースが多い。これは受け売りではなく、自分が見たヒューストン映画の範囲から言ってもうなづける。

 だがこの「黄金」では…僕はほとほと感心してしまった

 確かに空しい。あれほど犠牲をはらって長い時間をかけて、苦難の限りを尽くして手に入れた黄金。命まで奪われた者もいる。それがアッと言う間に虚空に消滅。それがまるっきり空しくないと言えば、どう考えてもウソになるだろう。

 だがこの「黄金」には、そんな単なる「空しさ」を突き抜けたような感動がある。

 砂金がすべて風に吹き飛ばされた様子を見て、一瞬呆然としたウォルター・ヒューストンは次の瞬間に狂ったように笑い出す。それを見ていたメキシコ人たちも、「これは楽しい事なのか」と勘違いして一緒に笑い出す。そんなナンセンスでシュールな状況に、思わず相棒のティム・ホルトも笑い出してしまう。

 もう笑うしかない。ある意味で、それは気が触れたような状況だし、感情でもある。

 だが、ウォルター・ヒューストンの真意は違う。彼は狂った訳ではない。それまでイヤというほど黄金に右往左往し翻弄されてきた彼だから、彼にはすべて見えたのだ。 そして彼の言葉を聞いたティム・ホルトも、やっとすべてを悟るのだ。

 「神様か自然か分からないが、楽しい事をやってくれるよ」

 考えてみればウォルター・ヒューストンもティム・ホルトも、ここではすでに欲しかったモノを手に入れているか、その目標が見えているのだ。ウォルター・ヒューストンは「一生ラクに暮らせる生活」が欲しかったし、ティム・ホルトも「果樹園」が望みだった。それは、もう手の届くところにある。どうした運命のいたずらか、もう黄金なしでも手が届くところにあるのだ。

 彼らは別に「黄金」が欲しかった訳ではない。自分本来の目標を叶えるために、それが必要なだけだったのだ。そんな目標がないハンフリー・ボガートは、だから自滅した。

 だったら、それでいいではないか

 欲しかったモノのために必死に努力して、それはどんなカタチであれ、叶えられつつあるのだ。だったら他に何が要る。今さら何で「黄金」などが必要なのだ。

 自分が本当に欲しいモノは何なのか…それを日頃どうしても忘れがちな僕らだからこそ、このラストは痛かったし、感動的でもあったんだよね。

 

 


The Treasure of the Sierra Madre

(1948年・アメリカ)ワーナー・ブラザース=ファースト・ナショナル映画 制作

監督・脚本:ジョン・ヒューストン

製作:ヘンリー・ブランク

総指揮:ジャック・L・ワーナー

出演:ハンフリー・ボガート、ウォルター・ヒューストン、ティム・ホルト、ブルース・ベネット、バートン・マクレーン、アルフォンソ・ベドヤ

2004年8月26日・DVDにて鑑賞


 

 

 to : Archives - Index 

 

 to : Outlaw Index

   

 to : HOME

 

 

Ads by TOK2