「光と影のバラード」

 

  (At Home among Strangers, a Stranger at Home)

 (2004/11/29)


 ロシア革命が勝利に終わった日。その日を彼らは決して忘れない。

 あの日、野原で美しい娘と一緒に喜び、大いにハシャいだ彼ら。みんな若かった。共に戦った同志たちは、大いに歌いふざけ、雄叫びを上げた。

 「勝利だ! 平等だ! 平和だ!」

 あげくの果てにブルジョア大地主どもが偉そうに乗っていた馬車も、坂から転がり落としてやった。みんな大いに腹の底から笑ったっけ。

 楽しかったあの日。だが現実の世界では、ハッピーエンドにはその後がある。

 ここはロシアの片田舎の街。赤軍の功労者だった彼らは、みな一様に共産党の中核を担う事になった。出世頭の党地方委員会議長アナトリー・ソロニーツィンを筆頭に、どこか醒めたような態度を見せるアレクサンドル・ポロホフシコフ、すぐ頭に血がのぼる財務担当のセルゲイ・シャクーロフなどなど…今では彼らはみなそれなりの街の「顔」だ。だが連日連夜の会議だデスクワークだ計算だ根回しだ…そんな事を延々繰り返しているうちに、何となく彼らは持ち前の覇気をなくしていた。事に気が短いシャクーロフなど、細かい数字ばかり並べられて毎日キレまくる。そりゃそうだ。自分たちはこんな事のために革命に勝利した訳ではない。なのに何が悲しくて毎日会議会議、あげく書類とにらめっこ。どうしたってドヨ〜ンとした気分にもなる。

 そんな中、中央の共産党本部からお達しが来た。革命以後いまだ混乱が続く新生ソ連では、食料や物資の不足が目に付く。ヘタをすれば餓死者が山ほど出るやもしれぬ。だが各国が懸念していた「共産主義国家」であるソ連を、支援してくれる国などどこにもない。国際連盟も支援を断ってきた。そこで仕方なく、共産党はブルジョアがため込んでいた財産をかき集め、それで海外から食料調達を図る事にした。ついてはこの地域にも、貴金属の供出が要請されたというわけだ。

 この地区でかき集められた資金は、金貨にして約50万枚。これをモスクワに運びたい。だが各地の治安はすこぶる悪い。白軍がまだ残って抵抗を続けているし、無政府主義者たち…と言えば聞こえがいいが、単なる盗賊たちもはびこっている。警備なしには金貨は運べない。

 そこで党の地方委員会では、この金貨を運ぶメンバーを選出した。カンカンガクガクの会議の結果決まったのは、ソロニーツィンらと共に戦ったユーリー・ボガトィリョフという男。だが、これにはかなり難色を示す者も多かった

 マズイことに、ボガトィリョフの兄は反革命分子だった。それも災いしたのか、ボガトィリョフもみなと共に戦った「同志」なのにも関わらず、なぜか恵まれた地位から脱落してしまった。本人もそんな地位を望んでいなかったのか、ともかく他の仲間たちとは一線を置くポジションのボガトィリョフ。何しろあの「仲間」の一人ポロポフシコフでさえ、彼を推すことを躊躇したくらいだ。彼の周囲からの浮きようが想像つこうというもの。それでもソロニーツィンは「革命の時には誰だって親兄弟別れて戦ったものだ!」とボガトィリョフを援護して押し切った。それはソロニーツィンにも、どこかボガトィリョフに後ろめたいところがあったからではないか

 こうして久々に陽の当たるところに出てきたボガトィリョフ…と思ったら、何といきなりその彼が殺されるというアクシデントが起こる。後頭部から撃ち抜かれ、顔は誰だか分からない状態。これにはソロニーツィン以下「同志」たちもイヤ〜な気分だ。それでなくてもやり切れない気分の中、あの「革命勝利の日」をイヤが上にも思い起こさずにはいられない。いつも冷ややかなポロホフシコフまで、ついつい泣きを入れたくもなる。「こんな任務はもうイヤだ、いいかげんやめたいよ」

 ともかく金貨運びは、これでますます予断を許さぬ状態となった。

 いっそ偽装のために、大げさな警護なしで列車に乗せて運ぼう…党地方委員会ではそう決定して、さりげなく金貨をカバンに詰めて、何人かの男たちに持たせて列車に乗せた。

 だが、やっぱりただでは済まなかった

 保線夫のデブ男アレクサンドル・カリャーギンが、陰で何者かと通じて暗躍していた。この男、何者かを拉致したあげくに何やらクスリを注射して、意識を失わせていたのだ。その男とは一体誰か? そして目的は果たして何なのか?

 そして輸送当日。列車最後尾の客車に乗っていた金貨運搬の一行に、敵の面々が攻撃を仕掛けて来たのだ。コッソリと最後尾の列車の連結をはずし、中に乗っていた連中を皆殺し。金貨の入ったカバンを奪ったのは、将校アレクサンドル・カイダノフスキー率いる白軍のメンバーだ。そして彼らは何食わぬ顔で別の列車に乗り込む。これでまんまと逃げおおせるかと思ったら…。

 遙か線路の前方から、少年を引き連れた一人の男が歩いてくる。その口ヒゲの男ニキータ・ミハルコフは、一体何を企んでいるのか? ともかく列車は減速せざるを得ない。すると…。

 アッという間に、馬に乗った列車強盗の一味が押し寄せてくるではないか!

 ミハルコフは、列車強盗を生業とする強盗団の親玉だ。札付きの無法者たちは列車に殺到すると、発砲するわ略奪するわで乱暴狼藉の数々。この大混乱の最中、白軍メンバーも次々殺され、残るは将校カイダノフスキーただ一人。例の金貨入りのカバンもどこかへ奪われてしまった。これには大慌てに慌てるカイダノフスキー。何食わぬ顔でミハルコフにアレコレ尋ねてみるが、どうもこの男は金貨の在処など知らぬようだ。「赤軍だ白軍だなんて、オレには興味ねえよ」

 かくしてカイダノフスキーはミハルコフ一味と行動を共にしながら、金貨を探す事にした。

 さてその頃、ある場所で意識朦朧になったボガトィリョフが発見される。彼は死んではいなかったのだ。金貨強奪の報に次いでのボガトィリョフ発見に、どうしたって彼を疑わずにいられない党地方委員会の面々。だが心配して集まってきたソロニーツィン、ポロホフシコフ、シャクーロフらがいくら問いつめても、ボガトィリョフいわく「オレは何も覚えてない」の一点張りでは話にならない。これにはさすがの「同志」たちも、ボガトィリョフを疑わずにはいられない。あの「革命勝利の日」を共に喜んだ仲なのに…疑われるより仕方ないボガトィリョフも疑わずにいられない自分たちも、やりきれない事おびただしいソロニーツィンたち。

 だがボガトィリョフとて、決してみんなをナメて言ってる訳ではないのだ。本当にここ数日の記憶が飛んでいる。そしてちゃんと答えられない自分が歯がゆくてならない。しかも自分を信じてくれない「同志」たちが情けない。何より「汚れちまった」革命と勝利の思い出が、悔しくも残念でならなかった。

 かくして銃殺刑のために連行されていくボガトィリョフ。だがすっかり諦めきった彼の脳裏に、いきなり欠落した記憶がフラッシュバックする。

 保線夫のデブ男カリャーギンだ!

 こうなりゃ、このままおめおめ処刑されてたまるか。自分の無実を晴らさにゃならぬ。何より人民の命がかかってる、頼みの金貨50万枚を取り戻さにゃならぬ。ボガトィリョフは何とか自分を捕らえていた連中を振り切って逃げ出すと、デブ男カリャーギンの元へ駆けつけた。もちろんボガトィリョフが、デブ男カリャーギンにキッチリ借りを返した事は言うまでもない。

 さて次にボガトィリョフは、列車強盗のミハルコフ一味のシマへと乗り込む。金貨があるとしたら、この連中が持っているに決まってる! そう睨んだボガトィリョフは、ミハルコフ率いる海千山千のゴロツキならず者たちの前に堂々単身殴り込みだ。

 さてボガトィリョフからこの一件を聞きつけたミハルコフは、妙にモノ分かりのいい素振りを示す。まずはボガトィリョフを白軍将校カイダノフスキーの前に連れて行くミハルコフ。だがこの二人とも金貨の在処について知らないのは、どうも間違いないようだ。仕方なくボガトィリョフもまた、しばらくミハルコフ一味と行動を共にする事にした

 その頃ソロニーツィンらは、保線夫のデブ男カリャーギンを問いつめて真相を知った。やはりボガトィリョフは濡れ衣だったのだ。しかもその直後、デブ男カリャーギンは口封じのために何者かに殺されてしまう。

 では、党幹部の中に内通者がいるのか?

 一方ボガトィリョフは、金貨の在処にようやくたどり着いた。実はミハルコフ一味の一人、ちょいと頭が弱いスキンヘッド男コンスタンチン・ライキンがコッソリ奪っていたのだった。ボガトィリョフに問いつめられて白状するスキンヘッド男。だが彼は金貨を手放したくないあまりボガトィリョフに襲いかかり、誤って自ら渓流に落ちてしまった。ボガトィリョフはとっさに川に飛び込み、そんなスキンヘッド男ライキンの命を助ける。かくしてスキンヘッド男ライキンも、さすがに命の恩人には大人しく従うようになった

 ところがせっかく見つけた金貨の隠し場所を、あのミハルコフも知ってしまう。まったく無欲なフリをして秘かに金貨を奪ったミハルコフは、単身それを持って渓谷を逃げてしまった

 かくしてボガトィリョフは、スキンヘッド男ライキンと白軍将校カイダノフスキーを伴って、金貨を奪ったミハルコフの後を追いかけるのだが…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画を見てから読んで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてソ連ニューウェーブの旗手とモテはやされたニキータ・ミハルコフの、これは長編映画監督デビュー作。実は日本では「愛の奴隷」(1976)、「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(1976)、「オブローモフの生涯より」(1979)などが公開され、その評価がかなり定まった後に公開された。だから、「あの」ミハルコフのデビュー作登場…って感じだったんだよね。

 そして、当時は「あの」…と言われるほど、ミハルコフの評価の高さはスゴかった。

 今でこそミハルコフなんて、誰もその名を語ろうとしない。そもそも作品が発表されてないみたいだから、それも無理はないのだが…。これだけ世界中の映画が見られる日本において、まったく省みられない存在になったのはあまりに寂しい。だって昔はミハルコフって、ソ連映画ニューウエーブの旗頭って感じだったんだからね。

 何しろソ連と言えば、重苦しい文芸映画やらやたらと物量だけはスゴくて長くて退屈な大作戦争映画…ってのが長く相場だった時代。もちろんその中でも例外はいくつかあった。例えばアメリカ・アカデミー外国語映画賞まで取った佳作メロドラマ「モスクワは涙を信じない」(1979)なんて愛すべき作品もあったが、ともかくソ連映画って「ツマンナイ」ってのが大方の意見だったと思う。ところがそこに登場したのがミハルコフの映画だったんだね。

 まずはチェーホフの映画化「機械じかけ〜」の見事さには舌を巻いた。何より面白い。楽しめる。シャレている。娯楽映画として見れるんだからね。しかもチェーホフだから味わい深さもひときわ。

 そこに「愛の奴隷」ときたら…むろんアート・シアター向けの映画の体裁ではあったが、扱ってる題材がひと味違う。サイレント時代の映画撮影隊のお話として、たっぷり映画へのノスタルジーを味あわせてくれる。おまけに映像のタッチやら音楽の入り方やらと来たら、まるでフランシス・レイの音楽を流したクロード・ルルーシュ映画ばりの甘さだ。なかなか酔わせてくれるんだよね。

 時は今と違って、まだソビエト連邦がしっかりと存在していた頃。しかもゴルバチョフが共産党書記長(のちにソ連大統領)になる前の話。何しろ1982年までは、あのブレジネフ書記長が生きていた。ゴルバチョフの書記長就任が1985年、彼による「ペレストロイカ」の提唱が翌1986年、ベルリンの壁が崩壊するのが1989年、ソ連邦の解体が1991年…というあたりの経緯を考えると、この当時のソ連におけるミハルコフの革新性がよく分かる。

 何しろそれは、単に映画のスタイルやら作家性の問題ではない。若い人にはピンと来ないだろうし、今ではとても想像できないだろうが…冷戦下の共産主義国家での映画づくりは、しばしば生きるか死ぬかの問題にもさらされた。冷遇され弾圧されたアンドレイ・タルコフスキーやらセルゲイ・パラジャーノフの例を見れば明らかだ。だからこそ、当時はこんなミハルコフの軽やかな革新性が、異様に突出して見えたのだ。

 まぁ今考えると、どこか危ないほどのアナーキーなスゴみを見せたタルコフスキーやらパラジャーノフと比べれば、ミハルコフのシャレっけなど大人しいものだ。現代の目で見れば、無難で毒のない欧米風のソフィスティケーションでしかない気がする。だが、かつてはそれさえも「危険視」されるムードが確かにあの国にはあった。それはミハルコフが活動を始めた頃も、決して消え去ってはいなかったのだ。そう考えれば、ソ連映画界でこれらの軽やかな作品をつくり、ちゃんと自分のポジションを守っているミハルコフは奇跡のような存在に見えた。

 またミハルコフ映画に見られるスタンスは、他の国々で進行中の映画のニューウェーブと呼応しているかのようでもあった。

 それは例えばスティーブン・スピルバーグやらジョージ・ルーカスやらブライアン・デパーマやらのハリウッドの新しい旗手たちとも一脈通じていた。あるいはフランスのジャン=ジャック・ベネックスたち、ドイツのニュー・ジャーマン・シネマの面々、香港のツイ・ハークやアン・ホイ、韓国のイ・チャンホやペ・チャンホなどなど…当時は出始めだった頃のチェン・カイコーやチャン・イーモウもこうした連中と並び称されていた気がする。

 そのカテゴライズが正しかったかどうかは諸説あるだろうが、彼らにはみな一様にどこか似た持ち味を持っていた。それは過去の映画の遺産を熟知して、それらを今風に活かそうとする事。テレビや映画を見て育った「映像世代」ゆえに、そうした引用を恐れていない事。そして「映像のダイナミズム」を最も重視する事。さらには娯楽・作家主義の概念を飛び越えた「大衆性」の持ち主である事。今になってみるとみんながみんなそうじゃないし、大分ハズれてきちゃった連中もいるにはいるが、当時同時多発的に世界中でニューウェーブが出てきたときには、何となくそれまでと違う空気を伴っていたものだ。そんな流れの真っ直中に、ソ連のミハルコフもいた。

 特にミハルコフの場合はその傾向が濃厚で、例えばこの後の「ヴァーリャ!/愛の素顔」(1983)では、まるでイングマル・ベルイマンの「ある結婚の風景」(1974)あたりを彷彿とさせる室内ドラマを見せるのだ。ベルイマンの息が詰まるような“シリアス家庭ドラマ”を意識した、ウディ・アレンの「インテリア」(1978)、ロバート・レッドフォードの「普通の人々」(1980)あたりとの「同時代性」を考えれば、いかに彼が「非ソ連」的な映画作家かお分かりいただけるだろう。

 そして…この映画はミハルコフの「西部劇」だ!

 いや、僕は冗談では言っていない。そもそもこの映画のDVDに収録されたインタビューで、撮影監督のパーヴェル・レベシェフが「ソ連製の西部劇だ」と明言している。つくった方も明らかに西部劇を狙ってつくっているのだ。

 まぁ、西部劇もイタリアで「マカロニ・ウエスタン」化してからは、世界中どこでもつくっていい不思議なジャンルになった。しかもソ連製ウエスタンってのは、別にこの「光と影のバラード」が専売特許でもないらしい。かつてモスフィルムで堂々と国内向けに西部劇を撮っていたらしい記事を、キネマ旬報で読んだ記憶がある。こういうのがまだまだあるから、僕もなかなか映画ファンをやめられない。いつか死ぬまでに一度でいいから、このソ連ウエスタンを見てみたいよね(笑)。

 脱線ついでに言えば…ウォーレン・ビーティが「レッズ」(1981)を撮っていた当時、ソ連もまた同じジョン・リードの物語を映画にしていたらしくて…言ってみれば“「レッズ」はこっちが本家”って事なんだろうけど(笑)…そのソ連版「レッズ」の主演を演じていたのがマカロニ・ウエスタンでお馴染みフランコ・ネロなんだよね。しかも監督は、「戦争と平和」(1965〜1967)の大御所セルゲイ・ボンタルチュクのはず。だとすると、ソ連もマカロニ・ウエスタンに何がしかの親近感を持っていたのかもしれない。

 閑話休題…そうは言っても、ちゃんとゲテモノじゃない本腰を入れた作品として、本格映画人がつくったソ連製「西部劇」…しかもそれがニューウェーブ作家の監督デビュー作となると来れば、やはりかなりユニークなモノだったのではないだろうか。これが映画作家キャリアの最初となったミハルコフ、やっぱりひと味違った男だったんだよね。

 まずはこの映画のどこがどう西部劇なのか…を点検する前に、ミハルコフのひと味違うあたりを探っていくと…。

 まずはお得意のチェーホフを扱いながら、イタリアのマルチェロ・マストロヤンニを主役に迎えた「黒い瞳」(1987)なんてのをつくっちゃうからね。次にはフランス資本の入った「ウルガ」(1991)。「太陽に灼かれて」(1994)ではついにアカデミー外国語映画賞を受賞。この人ぐらいアカデミー賞が似合うロシア映画人っていないんじゃないか。ミハルコフもすごく嬉しそうで、見ていてこっちまでハッピーな気分になったよ。そして何とリチャード・ハリス、ジュリア・オーモンドら国際的イギリス俳優を連れてきた「シベリアの理髪師」(1999)…。いかにもミハルコフらしい、ソ連・ロシアのワクを大きく超えた作品群だってお分かりいただけるだろう。

 だが、これってひょっとしたらミハルコフの兄の影響かもしれない。というのも彼の兄アンドレイ・コンチャロフスキーって、何とホントにハリウッドに行っちゃった人なんだからね。ナスターシャ・キンスキーを主演に迎えた「マリアの恋人」(1984)、黒沢明脚本を映画化実現した「暴走機関車」(1985)などなど…元々この兄弟には西側志向、ハリウッド志向があったのかもしれないよね。

 だけどコンチャロフスキーは柄にもなくシルベスター・スタローン主演の「デッドフォール」(1989)なんてのまで撮らされたあげく、その後はどうもパッとしない。今は何やってるんだろうね? そして弟ミハルコフだって今はすっかり鳴りを潜めている。むしろソ連なんか崩壊しちゃった方が活躍できそうな人なのに、一体どうしちゃったんだろうね?

 それはともかく…この「光と影のバラード」だ。僕はDVDのおかげで、ほぼ20年ぶりにこの作品と対面する事になった。だがその印象は、昔も今も変わらないな。

 僕は確かに、何度もこの映画をソ連製の「西部劇」だと繰り返して書いた。それには何の疑いも持ってはいない。だが西側の娯楽映画アクション映画を浴びるほど見ている映画ファンの方が、この映画にモロ「西部劇」を見るつもりで接したら、いささか脱力するかもしれない。実はこの映画、アクション映画としてはあまりキレが良くない(笑)。チェーホフを撮るのを得意とするミハルコフに、それを要求するのは酷ってもんだろう。活劇映画を撮る「テク」は、残念ながら彼にはないんだよね。

 だが、活劇を撮りたい「心意気」だけは十分に感じられる。

 列車強盗の場面なんぞ、どこをどう見たって西部劇そのもの。何より強盗団の首領を務めるニキータ・ミハルコフ自身の出で立ちが、マカロニ・ウエスタンでのフランコ・ネロそっくり(笑)。この首領がスゴ味を見せつけて、バカ笑いする手下をブチのめすあたりのハッタリ演出も効いている。しかも映画の後半には、機関銃を手にしてバリバリ撃ちまくる。他にもイカダをつくっての濁流下りとか、西部劇ゆかりの見せ場は多い。

 おまけに終始流れている音楽も、思いっ切りマカロニ・ウエスタンしているではないか。「惑星ソラリス」(1972)、「ストーカー」(1979)などタルコフスキー映画にも音楽をつけていたエドゥアルド・アルテミエフが、モロにエンニオ・モリコーネ風の哀愁のメロディを鳴らしまくっている。分かってるねぇ。このように、この映画はアメリカの正統派西部劇と言うより、あくまでマカロニの模倣を狙っているようだ。ここでのミハルコフは、キル・ビルVol.2のタランティーノとやりたい事は大して変わらない(笑)。

 しかも…物語自体もマカロニ・ウエスタン趣味が濃厚だ。お宝をめぐる疑い合い奪い合い。汚名を着た男が自らの無実を晴らすため単身立ち上がる…というのもソレっぽければ、「同志」と思っていたヤツが疑われ、その疑いが晴れるや味方の誰がクロか分からず疑心暗鬼状態…というあたりも「いかにも」な趣向。どいつもこいつも油断ならないって設定そのものがマカロニっぽい

 面白いのは…そんな中でも主人公たちのキャラクター設定だけは、アメリカ「正統派」ウエスタンっぽいところだ。彼らはそれぞれ「同志」として輝かしい勝利の時を共有した。ところが今や、それは極めて怪しいモノとなってしまう。理想と現実は程遠い。主人公はその中でどうやら出世街道から離れた「引き込み線」に入っちゃってるみたいだし、他の連中は順調な地位に就いたものの、それを決して心から喜んではいない。あの革命の高揚感と理想はどこへ行っちゃったの?…というあたりは、フロンティアが喪失して居場所がなくなりつつある、「アメリカ西部劇」のガンマンやらカウボーイの嘆きによく似ているのだ。この目のつけどころはなかなかうまいよね。なるほどこの映画を「西部劇」として撮ったあたりには、ちゃんとそれなりの必然性があるのだ

 そう言えば、同じ東欧圏のポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、フランス革命を題材に撮った「ダントン」(1982)にも、似たような葛藤が描かれていた。革命が今まさに起きようとしている時には同志として戦ったであろうダントン(ジェラール・ドパルデュー)とロベスピエール(ヴォイチェフ・プショニヤック)。だが、いざ革命が成就してみるとダントンの言動は革命政権にとってジャマになる。なぜなら、理想と現実は別物だからだ。口で言うようにいけば苦労はない。そこへきてダントンには妙に行動力と人望とインパクトがあるから、政権側としてはやりにくくて仕方がない。逆にダントンには政権のあり方が不満でならない。こうして両者の対立が深まったあげくダントンの処刑という最悪の結果を招くのだが、それが「革命精神の死」を意味する事はロベスピエール自身が一番よく分かっていた…。フランス革命に当時のポーランド自主管理労組「連帯」の顛末をダブらせながら、ワイダは「革命」というものが内包する矛盾…というより、人間集団が何か大きな事を成し遂げようとする時に必ず起こる矛盾を突いて、何とも秀逸。どっちがどっち…と一方的に糾弾する訳でないワイダの語り口は、実に冷静で見事。映画としても手に汗握るサスペンスだった。

 このミハルコフのロシア革命直後を描いた「西部劇」にも、まさにそのあたりが描かれている。そこを知的な攻防戦とせず、あくまでマカロニ・ウエスタンとして説いたところが、才人にしてイイ意味で「俗っぽい」ミハルコフの独壇場だ。

 考えてみると、面白くてユニークな映画を官僚主義や独裁主義が罷り通る当時のソ連で実現させるには、おそらく共産党の「教条主義」的な内容を盛り込まざるを得なかったのだろう。それゆえの「革命」話だとは言えないか。逆に言えば、お客さんにこうした「教条主義」的内容の映画を受け入れてもらうには、そのコロモを口当たりが良く面白くしなくてはなるまい。そのどっちが先でどっちが後かは分からないが、ミハルコフがソ連という国の中で「面白い映画」をつくるために考えた作戦は、非常に巧妙なやり口だったはずだ。

 それゆえソ連崩壊後は、ミハルコフは共産党政権と「なあなあ」だったとか、「媚びていた」と見られる傾向もあったように思う。それこそタルコフスキーやらパラジャーノフやらが弾圧されていた時に、ヌクヌクやっていたように思われがちだ。

 実際、某・蓮見重彦大センセイなどは、「ヴァーリャ!/愛の素顔」劇場パンフレットの中の故・武満徹との対談で、かなりネチネチとイヤミにミハルコフの事をいたぶっていた。これには相手していた武満も、明らかに辟易していたのが分かる。あげくの果てに「ミハルコフに、オマエはパラジャーノフの映画を見たことがあるか?…と聞いてやりたい」とまでホザくに至っては…頭はイイんだろうけど、ちょっと人としての品性を疑う。タルコフスキーやパラジャーノフだのをヨイショする一方で、体制ベッタリに東大のセンコーどもの親玉やってたのはダテじゃないよ。

 まぁ、確かにタルコフスキーやパラジャーノフほどの深みもヘッタクレもないだろうが、同じソ連だからと言うだけで…「オマエはタルコフスキーより下だ」ってケナしても意味ないんじゃないの?

 またまた閑話休題。ここで某・蓮見の悪口を並べても仕方がない。ともかく弾圧されなかったから、何とかかんとか作品をつくる機会を手に入れ続けていたからと言って、文句を言われるスジ合いはなかろう。確かに毅然として格好良く抵抗はしなかった。だが、そのノレンに腕押し的な「つかみどころのなさ」で、何とかかんとか「面白い映画」をつくろうとしてた事は評価出来る。少なくとも僕は好きだ。

 そもそも彼が日和見主義みたいに思われているのも、ちょっと違うと思っているんだよね。例えばこの映画だって、そもそも革命直後の話をアメリカの権化みたいな「西部劇」に料理したのも大胆なら、途中挟まれる描写もかなり大胆だ。例えば…金貨を運ぶ任務を受けた「同志」の死体(後でそれは偽装と分かるのだが)が見つかった時、連中のリーダー格アナトリー・ソロニーツィンは、じっとレーニンの肖像画を睨み付ける。それは「見つめる」と言うより「ガン飛ばしてる」と言った方が適切だ。「アンタの革命とやらは、一体何をもたらしてくれたんだよ?」とでも言いたがっているような、それは挑戦的な眼差しだ。

 しかも映画の終盤…金貨を奪還し白軍将校を捕虜にして見事生還してきた主人公ユーリー・ボガトィリョフに気づいて、かつての「同志」たちがみんな喜んで駆けつけるくだり。共産党の「いい顔」になってる一同がその地位の象徴みたいにふんぞり返って乗っていた黒塗りのクルマは、原っぱの坂の途中で乗り捨てられてしまう。…そこに冒頭の「革命勝利の日」の映像に出てくる、黒塗りの馬車がダブってくるという仕掛けだ。

 ここで重要なのは冒頭における“黒塗りの馬車”の持つ意味で、それは明らかに「大地主=ブルジョア」の象徴として登場している。だからまだ若き「同志」たちによって、乱暴に坂道から放り出されるんだよね。ところが、そんな“黒塗りの馬車”と共産党お偉いさんの象徴である“黒塗りのクルマ”が二重写しになるとすれば、これは立派な共産党批判になってしまうではないか。結構ミハルコフってヌケヌケとキツい事を言ってるんだよね。ただ、みんな分かってなくてバレてないだけで(笑)。

 それに、何かとバカにされがちなミハルコフのアメリカ映画志向っぽいところも、実は僕は気に入っている。だって「面白い映画」「大衆のための娯楽映画」を目指したら、どうしたっておのずからハリウッドに目がいくだろう。彼は「シベリアの理髪師」を1980年代から企画していたようだが、その時には確かジャック・ニコルソンやらメリル・ストリープの起用も考えていたはずだ。そんな親しみやすいミーハーぶりがまた笑わせる。今回の「光と影のバラード」は、そんな彼の無邪気な映画好きぶりが全開した作品だと言える。

 そもそもミハルコフは、「映画芸術」なんか信奉していないと思うよ。どこかのインタビューで「タルコフスキーは親しくしていたし、映画も好きですよ。正直言ってよく分からないところもあるけれど」(笑)…などと言ってたしね。日本のスノッブな映画ファンならハッキリ言えないような事を、一流映画人のくせにこうも正直に言ってくれる人柄が好きだ。これ聞いただけでも、「イイ奴」って気がしてくるでしょう(笑)?

 ただ、彼なりの誤算もあったかもしれない

 がんじがらめで検閲ガチガチの共産党独裁体制下で、「面白い映画」をつくりたいがための苦肉の策の数々。それがミハルコフの映画をすこぶる面白いモノにしてもいた。ところがソ連が崩壊してそんなモノが全部取っ払われたら…なぜかミハルコフは往事の勢いを失ってしまったではないか。あんな圧政下でも「面白い映画」づくりが出来たミハルコフ、ハリウッド映画もスターも大好きなミハルコフなら、この新しい時代こそ大いに羽根を伸ばして、もっともっと大胆に「面白い映画」づくりが出来るはずではなかったか?

 それなのに…ミハルコフの作品発表ペースはガクンと落ち込んでしまった

 そして、オスカーを取った「太陽に灼かれて」はともかく、念願の企画で西側スターまで迎えての「シベリアの理髪師」はどうも評判がイマイチ。僕は未見だから内容については何とも言えないのだが、それでも作品を取り巻く雰囲気の元気のなさだけは確実に感じられるんだよね。どうしてなんだろう?

 確かにロシアが市場経済に移った事から、国営で映画をつくっていた時代よりは作品制作が難しくなった事はあるかもしれない。ミハルコフ映画は「面白い映画」ではあったが、世の中刹那的になった時に人々がパッと飛びつくような類の作品ではなかった。SFXもSEXもなかった(笑)。だから、確かに作品発表のチャンスが激減したという事はあると思うんだよね。

 だけど…それにしたって、もっともっと注目されるはずの人ではないか。何だったら欧米資本をガンガン取り込む事だって出来るんじゃないか。それをいち早く「黒い瞳」でやっていたミハルコフではないか。

 ひょっとして…これはご本人にまことに申し訳ないのだが、実はミハルコフという人の作家としての在り方に根本的な問題があるのかもしれない。

 圧制下でノレンに腕押し、うまい事言いくるめて調子よく当局を丸め込み、ちゃんと「面白い映画」をつくってきたミハルコフ。まぁ、そこまで植木等みたいな人物ではなかったにせよ(笑)…その立ち回り方がうまかった事は言うまでもないよね。

 だけど、そういうタガがハズれたら…彼一流の「面白い映画」づくりも前と同じにはいかなくなった。

 イチャモンが付くから、いろいろ危ない規制があるからこその…それを乗り切るための工夫やら苦心惨憺。そういったノウハウがまったく不必要になったら、映画自体にも往事の元気がなくなってしまった。考えたくはないが、そういう傾向はないだろうか? だとしたら、まことにミハルコフにはお気の毒でならない。だけど、確かにクリエイターにとって「何でもアリ」なことほど危険な事はないのだ。

 だったらミハルコフはもうダメなのか?

 いや、そんな事はない。何か重しや足かせが必要なら、そんなモノはどこにでもある。人類史上、人が本当に自由になったためしなどはない。自由になった「気」がしているだけだ。本当は、やり過ごしてうまい事丸め込まねばならないモノは後を絶たない。だからミハルコフだって、新たな努力目標を見つける事が出来るはずだ。

 そして、それはすぐ目の前にあると思うよ

 人々を本当の意味で押しつぶし虐げる元凶…我々が長く親しんでいる究極の悪の権化、全世界を覆い尽くさんばかりの「軽薄志向」と「資本主義」

 またの名を「アメリカン・スタンダード」がね(笑)。 

 


(At Home among Strangers, a Stranger at Home)

(1974年・旧ソ連)モスフィルム 制作

監督:ニキータ・ミハルコフ

脚本:エドゥアルド・ヴォロダルスキー、ニキータ・ミハルコフ

出演:ユーリー・ボガトイリョフ、アナトリー・ソロニーツィン、セルゲイ・シャクーロフ、アレクサンドル・ポロホフシコフ、ニコライ・パストゥーホフ、アレクサンドル・カイダノフスキー、ニキータ・ミハルコフ、アレクサンドル・カリャーギン、コンスタンチン・ライキン

2004年11月21日・DVDにて鑑賞


 

 

 to : Archives - Index 

 

 to : Outlaw Index

   

 to : HOME

 

 

Ads by TOK2