#01 

 「影の列車」

  Tren de sombras (Train of Shadows)

 (2017/02/27)



 1930年11月8日にル・テュイ湖で消息を絶ったフランス人弁護士フルリ氏は、自らムービーカメラを回すアマチュア 映画愛好家でもあった。その後、彼が撮影したプライベート・フィルムが発見され、極めて不完全なかたちではあるがそれらが復元されることになる。そこには フルリ氏が消息を絶つ直前までの、彼の家族たちのくつろいだ様子が捉えられていた…。
 夜の湖畔を照らす満月の光。岸辺につながれた手漕ぎボートの傍に、ムービーカメラを構えたフルリ氏(ジュリエット・ゴルティエ)が立っている。しかし彼 の姿は、いつしか煙のように消えていた。そこには手漕ぎボートだけが残されて…それはフルリ氏失踪の後なのだろうか、はたまたその前のことなのだろう か…。
 痛んで不鮮明なモノクロ・フィルムではあるが、そこには家族たちの楽しい休日の記録が遺されていた。当時珍しかったムービーカメラを持っていたことでも 分かるように、フルリ氏とその家族は非常に豊かだったことは間違いない。ル・テュイ湖の近くにあるフルリ氏の邸宅には、縁者たちが集まって毎日楽しく過ご していた。そこには自分たちの母や祖母もいる。まだ幼い子供たちもいる。そしてメイドたち…。それらの登場人物たちの中でも目立つのは、うら若く美しい娘 (アンヌ=セリーヌ・オーシュ)と、口ひげを生やした紳士(イヴォン・オルヴァン)だろう。彼らは邸宅の庭でくつろいだり、テニスをしたり、タライを置い てそこで子供たちを行水させたりしている。あるいはちょっと近所に足を伸ばして、近くの川に泳ぎに行ったりピクニックに行ったりもする。クルマを使ってド ライブを楽しむこともあった。ピクニックといえば、湖を見下ろせる小高い丘は、一家のお気に入りの場所だったようだ。列車が走る広大な野原の向こうを見な がら、一家で過ごした日もあった。ある時などは、庭を見渡せる屋敷のテラスで一家で昼食をとっている時に、音楽に合わせてみんなでダンスに興じることも あった。例の若い娘も、口ひげの紳士も、フルリ氏も、メイドたちまで引っ張り込んでダンスダンスダンス…。どの映像もみんな楽しそうだ。この楽しい時間が いつまでも続いていくような、そんな懐かしくも愛おしい情景だった…。
 現代のル・テュイ湖周辺の街並み。地味な佇まいではあるが、路上の枯れ葉を掃き集めている清掃作業員がいたり、頻繁にクルマが走ったりして雑然としてい る。辺鄙な地方都市らしく、どこか繁栄から取り残されたような寂しさも漂う。かつて走っていた鉄道も廃線となり、鬱蒼と茂った茂みや雑草の中に、錆びた レールが寂しく取り残されている。
 そんな街の片隅に…例のフルリ氏の邸宅も遺されていた。
 近所の原っぱにいた羊の群れから、一匹がはぐれて邸宅の庭に迷い込んだ。邸宅の外観は確かに年期が入っている感じだが、庭は手入れがされていて寂れては いない。ただ、柵などあちこちが古びているのは仕方ないだろう。迷い込んだ羊は、この庭に何かの気配でも感じているのだろうか。
 邸宅の中も、キチンと整えられていた。おそらく管理者が、ちゃんと換気や掃除をしているのだろう。部屋の時計もちゃんと動いていて、静かに時を刻んでいる。
 ただ、人がいないだけだ。
 まるで、今でもここの住人がかつてのように住んでいそうだ。当時の家族たちの写真が、額に入れられて飾られていたりしている。フルリ氏のムービーカメラ も、そのままのカタチで保存されている。風に吹かれてカーテンの影などが部屋の壁に映り、何かの気配を漂わせている。だが、それはたぶん気のせいだ。
 夜になると若者たちがうるさい音を立てて近所でクルマを走らせたりしているが、邸宅の中はひっそりしたままだ。だがそのヘッドライトが窓から入って来 て、部屋の中にさまざまな影を映し出していく。あるいは風によって庭の木々が揺れて、枝葉の影が部屋の壁に映し出されたりもする。
 その都度、そこには何かの気配が感じられもするが…それも間違いなく気のせいだ。この邸宅にはもはや誰もいない。ただ、そこにかつて人がいたという痕跡が、「何か」の存在を感じさせるだけだ。
 それは幻影なのか、亡霊なのか。まるで、あのフルリ氏が遺した古いフィルムのようなものだ。
 あの古いフィルム…そこには、楽しかった家族の記録が生々しく遺されている。まるで昨日のことのように、彼らが生きていた痕跡が遺されている。そこでは、彼らは生きて動いている。そうしたフィルムの細部を改めてつぶさに点検してみると…。
 若い娘、口ひげの紳士、そして気づかなかった第三の人物…。最初にこれらのフィルムを目にした時には気づかなかったような、人々のまなざし、そこから浮かび上がって来る人間関係…が見えてくる。まるで彼らが生きているかのように、それらは今の我々に何かを物語っている。
 ひょっとするとフルリ氏も、これに気づいていたのだろうか…?

最初はドン引きしていた
ホセ・ルイス・ゲリン(笑)
 スペインの映画監督ホセ・ルイス・ゲリンのことはもう大分前からちょっと話題になっていて、僕も知っていた。
 一番最初にこの人の作品を知ったのは、たぶん2008年の第21回東京国際映画祭「ワールド・シネマ」というワクで「シルビアのいる街で」(2007) が上映された時のことだと記憶している。その後、この作品は劇場公開されてそれなりに話題になっていたが、僕はグズグズしているうちに見逃してしまった。 まことに残念。だが、仕事や何やらで見逃した…ってこともあるのだが、実は少々気乗りしなかったという面も正直あった。とにかく、どうキレイに言い繕った ところで所詮は「女のケツを追いかけ回す男」の話。しかも追いかけ回 すのが「いかにも」なイケメンというのもドン引き要素で、イケメンが触ってきたら痴漢じゃない…とか、イケメンが追いかけて来たらストーカーじゃない…み たいなアリバイみたいな感じ。こりゃあ女性観客向けの「言い訳」でしかないなと思って、いささかウンザリした記憶がある。だから、とうとう劇場に足を運ぶ ことはなかった。ただ、ゲリン自体は非常に評判を上げたようで、その後もその名前を聞く機会がチョコチョコあった。ならば、本来は映画ファンなら見なきゃ いけなかったんだろう。それでも、どうせ女に媚びたようなクソ気取った映画だろう(笑)…と、まったく食指をそそらなかった訳だ。
 そんなワケでしばらくして忘れかけていたゲリンの名前だが、ここへ来て急に思い出したのは映画館で見たチラシのせいだ。ゲリンの新作「ミューズ・アカデミー」(2015) の公開に合わせてのことである。ま〜たどうせ「女はすべてミューズなのだ」とか何とか言って、オベンチャラ言って女をダマすんだろう…ぐらいにしか思って いなかったが、「ミューズ・アカデミー」の公開と一緒にゲリンの過去の作品も連続上映すると書いてあったのが気になった。スペインの女ったらし監督なんて まったく興味もないが、チラシのラインナップを見ていくとちょいと気になる作品がないワケでもない。中でも気になったのが、この「影の列車」である。
 そういえばここ数年忙しくて、この手の上映会に足を運ばなくなってしまった。上映が行われる恵比寿の東京都写真美術館ホールは、昔何度か行ってちょっと気に入っている場所だ。そんなこんなで、久々にここへ見に行ってみようと思った次第。
 さて、そんなゲリン上映会の中でも僕が注目したのが、先ほど挙げた「影の列車」。英語題名は「Train of Shadows」だから、ほぼ直訳である。このタイトルの意味は映画そのものを見れば「なるほど」と分かるが、見る前は何ともナゾめいている。タイトルだけでも気になる映画だ。そもそも「列車」っていうものはリュミエール兄弟「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)やエドウィン・S・ポーター「大列車強盗」(1903)を例に挙げるまでもなく、極めて「映画的」な素材ではある。それで僕はまず興味を抱いた訳だが、実はその予感は割と的を射たものだった。本作はまさに「映画的」な映画だったのである。
 実は例のチラシには簡単ながら作品の解説も書いてあって、これもまたなかなか気になるもの。1930年にフランスのアマチュア映画作家が湖の畔で失踪し たが、それから30年経って失踪直前の家族映画のフィルムが見つかって…という短いストーリー紹介が書いてあった。これを見たとたん僕が連想したのは、何 を隠そうブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999) である(笑)。全世界のシネフィルさんたちからすれば、神聖にして犯すべからざる大ホセ・ルイス・ゲリン様を「ブレア・ウィッチ」なんかと一緒にしやがっ て…と抗議と罵倒が殺到しそうなところ。だが、本当にそう思ったんだから仕方がない。しかもこっちとしては、
そもそもホセ・ルイス・ゲリンなんざ女に媚び売るスカした野郎ぐらいにしか思っていない(笑)。
 
そして実際に見た作品は…何のことはない。やはり「ブレア・ウィッチ」やその手の映画が持っていた、映画ファンの根源的部分を揺さぶる要素が満載の作品だったのである。

映画ファンなら、見れば絶対に興奮する作品
 本作はハッキリ言って、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」的な要素を持った映画である。つまり、その元祖たる「食人族」(1981)やら、後のクローバーフィールド/HAKAISHA(2008)などと相通じる作品。いわゆる「ファウンド・フッテージ」ものと言われる作品だ。「メディアとしての映画」の謎めいた魅力を最大限に引き出した作品なのである。
 82分という決して長くない上映時間だが、その間はまったくセリフがない。字幕もない。イントロに「1930年にフランスのアマチュア映画作家が湖の畔で失踪し〜」みたいな文言が「スター・ウォーズ」(1977)冒頭みたいに出て来るだけで、後はまったく説明らしきものはない。特に映画の前半は、汚れてダメージを受けた(ように加工された)モノクロの家族映画のフィルムが無音で延々と上映されるのみだから、キツいと思う人にとっては正直言ってキツいかもしれない。
 だが、これが実はなかなか興味深いところ。先に「ファウンド・フッテージ」もの…と述べたように、これらのフィルムは実際に昔撮影されて後に発見されたモノではない。すべてホセ・ルイス・ゲリンがこの映画のために撮影して、古く見えるように汚したフィルムだ。この汚しっぷり、そのリアルさ加減が見ていて嬉しくなる。他に例を挙げるとすれば、クエンティン・タランティーノデス・プルーフ in グラインドハウス(2007)で、名画座や二番館三番館で上映されているボロボロのフィルムみたいにキズやホコリを付けた処理をしているようなものだ。これが映画ファンにはグッと来るところなのである。
 事実、僕はかなり体調が悪かったはずなのに、見ていて退屈しなかった。むしろ前のめりに見た。ただ先にも述べたように、冒頭のボロボロ・フィルム部分は かなり長いので、フィルムの痛みっぷりのリアリティまで楽しんじゃった僕みたいな人間じゃないと退屈する人もいるかもしれない。だが、これを我慢すれば後 半「おおっ?」となってくるのである。
 やがて唐突に画面は高画質のカラーフィルムになって、お話は現代に変わる。この唐突感がまた凄い。本作はこんな小さな佇まいの作品なのに、なぜか音響にドルビー・サラウンドを使っている。そのワケは、ここで一気にリアルな現実ノイズをクリアに聞かせて、観客を現実世界に引き戻す狙いがあったからだろう。実際、ここでまた観客は「???」となるのだが、見ているうちに例の家族フィルムの舞台となった屋敷が今も現存していることを知るのである。
 誰もいないしレポーターが出て来る訳でもない。ナレーションも入らず、ただただ屋敷の人けのない内部を見せていく。何も起きない。壁や天井に窓から入る 日光やカーテンの影が写るだけ。夜になっても、同じく窓からクルマのヘッドライトなどの光が入ってくるだけだ。何も起きない。
 なのに、なぜか不穏な雰囲気が漂ってくる
 これを他の映画で例えるのは非常に難しいが、僕が最近、渋谷のシアター・イメージフォーラムで見た、大内伸悟という監督の日本の自主制作映画知らない町(2013) に似ているかもしれない。ストーリーも映画としての構造もまったく異なる作品だが、どこか共通するモノを感じたのである(ちょっと「知らない町」をホメ過 ぎてるような気もするが…)。何も起きない、退屈な要素しかない、なのに不穏な雰囲気がずっと漂っていて目が離せない。そんな感じなのである。
 後半はいつの間にかまたまたボロボロ・フィルムに戻るが、今度はただ見せていくだけではなく、フィルムのディティールに注目していく。つまりは「検証」編だ。そして個々の部分を拡大したりスロー再生したりコマを止めたりしながら、そこに隠された秘密を探っていく。その細かいこだわり具合は、例えばブライアン・デパーマミッドナイトクロス(1981)でフィルムのコマ撮りと録音テープをシンクロさせていくくだりや、その元ネタとなったミケランジェロ・アントニオーニ欲望(1966)で写真をどんどん拡大して焼き付けて細部を観察していくくだりを連想させる。そんな映画的な面白さに満ちた、何ともサスペンス漂う見せ場になっているのだ。
 さらにこれらの趣向そのものも興味深いが…こうした展開をまったくセリフもナレーションも字幕もなしで、人物などを登場させての芝居も見せずに、ただただフィルムの映像だけで展開していく話術が凄い。このあたりで作者の意図が分かった僕は、見ていて本当にワクワクしてしまった。ホセ・ルイス・ゲリンに純粋に商業的な娯楽映画を撮らせたら、きっとかなりうまいんじゃないだろうか。
 しかもお察しの通り、ここで挙げたさまざまな作品…「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」、「デス・プルーフ in グラインドハウス」、「ミッドナイトクロス」、「欲望」…などは、いずれもメディアとしての映画を大いに意識した作品ばかり。こうした作品を連想させることからして、本作もまた「映画的」であることを意識した作品になっているのである。
 大体がセリフもナレーションも字幕もなし…で展開していくというあたり、ある意味で「映画の原点」を意識していることは間違いない。そしてそこで最終的に描かれるものは、お芸術の香り高い何だか分からない屁理屈などではなく、あくまでサスペンス映画のような面白さと いうのも素晴らしい。いや、これは本気で言っている。ある意味でサスペンスだし、ホラーだしスリラーだろう。僕がこの感想文で何度も「食人族」やら「ク ローバーフィールド/HAKAISHA」やら「スター・ウォーズ」みたいな作品を引き合いに出しているのは、決して冗談ではない。本作はその佇まいから気 取った映画のように見られがちだが、そんなお高くとまった映画ではないのだ。純粋に映画として「面白い」作品なのである。
 映画ファンなら、見れば絶対に興奮する作品。本作を見終わった僕は、安っぽいイケメンが出ていたことから「シルビアのいる街で」を見なかったことを大いに悔やんだ。あそこでホセ・ルイス・ゲリンが変に女に媚びさえしなきゃなぁ…(笑)。
 ともかく、本作は映画ファン必見とあえて断言したい。見るべし。


 


Tren de sombras (Train of Shadows)
(1997年・スペイン)
フィルムズ59、グルーポ・チネ・アルテ、インスティテュット・デル・チネマ・カターラ(ICC) 制作
監督:ホセ・ルイス・ゲリン
製作:ヘクトール・ファヴェール、ホアン・アントーニ・ゴンザレス、ペレ・ポルタベーラ
脚本:ホセ・ルイス・ゲリン
出演:ジュリエット・ゴルティエ、イヴォン・オルヴァン、アンヌ=セリーヌ・オーシュ

2017年1月18日・東京都写真美術館ホール「ミューズとゲリン」にて鑑賞

 


 

 

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