「日本誕生」

  The Three Treasures

 (2004/01/12)


 その昔、世界にはまだ海も陸もなく、混沌とした状態しかなかった。ただ、高天原という場所が天にあり、そこに次々と神々が生まれていった。その一番最後に生まれた男女一組の神々は、この混沌から人の住める場所をつくるよう先人の神々から命じられる。かくしてこの男女一組の神々は、この混沌から一つの島をつくった。やがて二人はそこに降り立つが、当然の事ながらそこはただゴツゴツとした岩場があるだけだ。

 「ここには花も泉もない」

 そんな女の神の一言に、男の神は「それはこれから俺たちが夫婦となって、一緒に創り上げるのだ」と答えた。そして二人はその場で睦み合ったのだった。

 夫婦になった二人は、力を合わせてこの国々を創り上げた…。

 そんな昔々の言い伝えを、一人の老婆=杉村春子が人々に語って聞かせている。今の時代は、すでに景行天皇の時代だ。この国は急速にそのカタチを整えつつあった。

 そんな人々の前に、皇子の小椎命(オウスノミコト)=三船敏郎が狩りを終えて帰って来た。小椎命=三船は気は優しくて力持ちの皇子でみんなの人気者。ところが小椎命=三船は聞き捨てならない事を聞いてしまった。兄の大椎命(オオウスノミコト)=伊豆肇が父・景行天皇の女に手を出していると言うのだ。これを知って激怒した小椎命=三船は、いきなり兄・大椎命の屋敷に乗り込んだ。すると案の定昼間っから女と乳繰り合っているではないか。そのザマを見てさらに怒り心頭の小椎命=三船は、兄・大椎命の首をグイグイ絞め始めた。だが苦しむ兄・大椎命の顔を見ているうちに小椎命=三船も忍びなくなった。結局兄・大椎命の首から手を離し、「オレの目の前から消えろ!」と怒鳴って命だけは助けたのだった。

 だが、世間では小椎命=三船が兄・大椎命の命を奪ったというウワサが流れた。これにはさすがの景行天皇=中村鴈治郎も捨て置けない。側近の東野英治郎たちも、厳罰・極刑で臨めとしきりに天皇=鴈治郎をせっつく。

 結局そんな側近の声を聞かぬ訳もいかず、天皇=鴈治郎は小椎命=三船に、西の国の熊曽(クマソ)=志村喬の征伐を命じる。手強さと残虐さで目に余る熊曽を倒しに行けと言われ、小椎命=三船は自らの強さを買われたと思い込んだから単純だ。早速、伊勢神宮で宮司をつとめる叔母倭姫=田中絹代の元へ出向き、熊曽征伐の件を得意になって報告するからおめでたい。しかもその際に巫女の弟橘姫(オトタチバナヒメ)=司葉子を見初めてクラクラ。弟橘姫=司の方でも悪い気はしないから世の中は分からない。

 だが倭姫=田中には、今回の熊曽征伐の意図が分かっていた。強豪の熊曽にはとてもじゃないが若い小椎命=三船は敵うまい。これは体のよい厄介払いだったのだ。それを知りつつも無邪気に喜ぶ小椎命=三船を見ていると、倭姫=田中は不憫でそれを告げられない。そんなことを倭姫=田中から打ち明けられると、弟橘姫=司もいても立ってもいられなくなった。冷たい水に身を浸し、小椎命=三船の無事を祈らずにはいられない弟橘姫=司だった。

 いざ小椎命=三船たちの軍勢が西国へやって来ると、松沼弟や入来弟ならぬ熊曽弟=鶴田浩二が貢ぎ物を持って直談判にやって来る。何とか平和裏に話を済ませたいとする熊曽弟=鶴田は、兄と違って平和的で理性のある人物だった。だが、熊曽征伐で頭が凝り固まった小椎命=三船はこれを突っぱねてしまう。

 案の定、熊曽は侮りがたい敵だった。小椎命=三船の軍勢は次々敗退。ジリ貧の戦況に焦りに焦る。そんな折り熊曽の新宮殿が完成とあって、大宴会が催されることとなる。これは敵が油断するいいチャンスと思いきや、敵もさるもの。警備はいつになく厳重で手も足も出ない。これでは駄目かと諦めかかっていた最中、小椎命=三船は女ものの衣装に身を隠して単身熊曽の新宮殿に乗り込むではないか。

 何と大胆不敵、お酌女を装った小椎命=三船は一気に熊曽兄=志村を討った。宮殿内は阿鼻叫喚の大騒ぎ。急を聞いて駆けつけた熊曽弟=鶴田が、小椎命=三船相手に一騎打ちだ。

 激しい剣の応酬のあげく、勝負は小椎命=三船の勝ちで終わった。だが熊曽弟=鶴田の末期の言葉が、小椎命=三船の胸に突き刺さる。

 「オマエとは一度ちゃんと話し合いたかったなぁ」

 小椎命=三船を天晴れな人物と認めた熊曽弟=鶴田は、最後に彼に「日本武尊=ヤマトタケルノミコト」と名乗るように言い残す。この遺志を、小椎命=三船はありがたく受けることにした。今日を持って小椎命=三船改め、日本武尊=三船だ!

 意気揚々と故郷・日本(ヤマト)の国に戻ってくる日本武尊=三船たち。だが、これは望まれなかった凱旋だった。そもそも「日本武尊」とは何様のつもりだ! またしても天皇側近・東野がイチャモンをつける。

 見かねた天皇=鴈治郎は、今度は日本武尊=三船に東国への出征を言い渡す。これには日本武尊=三船もキレた。やっと帰って来たら、また出征なの? 宝田明とか久保明とか弟の皇子もいるではないか。何でオレばっかりなの?

 そんなこんなで鬱屈した気持ちの日本武尊=三船の耳に、あの杉村老婆の昔話が聞こえてくる。それはまた、遠い神代の頃の大らかな物語だ…。

 高天原のVIPと言えば、何と言っても女神中の女神・天照大神(アマテラスオオミカミ)=原節子だ。だがその弟の須佐之男命(スサノオノミコト)=三船敏郎(二役)ときたら、暴れん坊で手が付けられない。それまでは何とか姉の天照大神=原が何とか庇ってきたが、ある時我慢も限度に達してついにはキレた。キレた天照大神=原は天の岩戸なる洞穴に隠れてしまったのだ。

 そうなると天照大神は太陽の女神だからして、地上から陽の光が消えてしまった。たちまち地上は暗闇が支配し、寒さや災いが広がり始めた。だが岩戸は重くてとても開きはしない。上戸彩とくれば「あずみ」だが、岩戸は「はずみ」では開かない。かくして困り果てた神々があちこちから集まって対策を練ることになった。その神々たるや、榎本健一、有島一郎、三木のり平、小林桂樹、加東大介、柳家金語楼…などなどなどの、東宝喜劇映画オールスターズだから豪華極める。しかし豪華だろうが何だろうが、岩戸が開かなければ仕方がない。それはやはりここに、東宝とくればこの人…森繁が欠けていたからだろうか。

 ここで金語楼が名案を出した。思いっきり楽しくやればいいのだ。あまり楽しそうにやっていれば、天照大神も我を忘れて出てくるかもしれない。かくして乙羽信子の女神のストリップ・ショーをメイン・イベントに、紅白歌合戦かはたまた新春スター隠し芸大会か…と思うほどの大騒ぎ。ともかく格闘技の裏番組もないから、これ以上ないほどの大宴会が始まった。

 これには天照大神も興味津々、一体何が起きたのかとついつい岩戸を開けてしまった。そこに本来なら曙太郎を引っ張って来たいところだったが、ボブ・サップに倒されたショックで断念。代理に朝汐太郎を連れてきて岩戸を引っ張らせた。

 ギギギギ〜ッ!

 たちまち辺りは光り輝く。神々はみんな喜んだ。「天照大神さま、もう二度と岩戸の中にはお隠れなさるな」

 何とも大らかな時代であったことよ…。

 そんな楽しい話を聞いていても、日本武尊=三船の気持ちは晴れない。またしても倭姫=田中の元に遠征の報告に行くが、ついついグチがこぼれてしまう。「父上はオレなんか愛していないのだ!」

 すると倭姫=田中は、奥から何やら持ってきた。それは代々伝わる宝刀グリーン・デスティニーならぬ「叢雲剣」だった。「こ、これをオレに?」

 倭姫=田中は、天皇=鴈治郎がこの宝刀を日本武尊=三船に授けたと告げる。これには日本武尊=三船も大喜び。それまでの態度がコロッと変わって「父上は私を愛してる!」と飛び出して行くから現金だ。だが、それは倭姫=田中の作り話だった。それを知った弟橘姫=司は心を痛める。そんな彼女の様子を見て、倭姫=田中は弟橘姫=司にクギを刺した。「オマエは神に仕える身。もし男に身を許すことがあれば、オマエはただでは済みませんよ!」

 そんなことがあるとはツユ知らず、日本武尊=三船は仲間に剣の自慢話だ。「この由緒ある剣はだな…」

 それはまたしても昔むかしの物語。悪行が過ぎて地上に追放された須佐之男命=三船のお話だ。彼がとある村にやって来ると、家の老夫婦と一人の娘が怯えきって泣いている。「一体どうした?」

 実はこの老夫婦には、この娘・奇稲田姫(クシナダヒメ)=上原美佐を含めて8人の娘がいたと言う。ところがこの地にはヤマタノオロチなる八つの頭を持ったキングギドラみたいな大蛇がいた。これが一年に一度やって来て、生け贄を要求すると言うのだ。そして毎年一人づつ娘を取られ、最後に残ったのが奇稲田姫=上原。

 「よしっ、オレがオロチを倒してやる!」

 まず須佐之男命=三船は、奇稲田姫=上原の身をクシに変えて安全な場所に隠した。安全な場所と言っても自分のフトコロの中だから、須佐之男命=三船によからぬ思いがあったやもしれぬ。ともかく須佐之男命=三船は8つの巨大な桶に強烈な酒をたっぷり入れて、オロチが出てくるのを待った。

 すると出てくる出てくる、オロチが湖から東宝怪獣映画のお約束で登場した。そして8つの桶に仲良くそれぞれ8つの頭を突っ込んで、グビグビと酒を飲んでしまった。これを怪しまないのが所詮はケダモノだ。さすがに強烈なアルコールが効いて、オロチはゴロ寝を決め込んだ。

 そこを飛び出して襲ったのが須佐之男命=三船。たちまち眼を覚ましたオロチだが、あっちこっちと動き回る須佐之男命=三船の後を追っているうちに、たまらず酒が回りだした。結局グッタリしたオロチの背中に乗って、チャッカリとどめを刺す須佐之男命=三船。その尾っぽを切り裂いてみると、例の名刀が出てくるではないか。こうして「叢雲剣」は、文字通り伝家の宝刀となったのだった…。

 そんな自慢話を披露しているうちはご機嫌だった日本武尊=三船だが、その機嫌は長く続かなかった。出発の折り、弟橘姫=司を口説いたところ、文字通り剣もホロロに断られてしまったのだ。これには根が単純な日本武尊=三船はブチ切れ。弟橘姫=司をボロクソに言ったあげく、ブリブリ怒ったまま出発してしまった。

 今回の旅には、実は日本武尊=三船としてはテーマがあった。やみくもに戦うのではなく、まずは話し合いだ。そうしろと倭姫=田中から言われていたので、いつもの癇癪は抑えようと心していたのだ。でも、この女がらみのイラだちでそれもどうなりますことやら。

 どこもかしこも、日本武尊=三船たちが立ち寄る先には人がいなかった。日本武尊=三船が強くて怖いという評判が伝わって、みんな恐れて近寄ろうとしないのだ。思わず拍子抜けする日本武尊=三船。

 だがある国では、美夜受姫(ミヤズヒメ)=香川京子なる美しい姫が応対してくれた。やっと自分を歓迎してくれる国があったと、またまた単純に喜ぶ日本武尊=三船。ところがそれは歓迎されていた訳ではなかった。王である美夜受姫=香川の父が病気で、逃げ出すことが出来なかっただけだ。そこで美夜受姫=香川自らが身を挺して、日本武尊=三船を倒そうと機を窺っていたのだ。

 だがあまりに単純バカに歓迎を喜んでいるのを見て、美夜受姫=香川は日本武尊=三船を殺せなくなった。彼女はふるまった酒に毒が仕込んであるのを白状し、日本武尊=三船にすべてを委ねた。そんな美夜受姫=香川を、日本武尊=三船は憎からず思うのだった。先に弟橘姫=司につれなくされた悔しさもある。かくして二人は一気に深い仲となってしまうのだった。すると、即結婚だ…となってしまう日本武尊=三船はやっぱり単純バカ。

 そんな折りもおり、何とそんな日本武尊=三船を追って、あの弟橘姫=司がやって来た。日本武尊=三船は不愉快がって帰そうとするが、彼女は倭姫=田中の言いつけで日本武尊=三船の身の回りの世話をするように言われたから…と譲らない。そんな日本武尊=三船の様子を見て、さらに美しい弟橘姫=司の姿を見た美夜受姫=香川は、内心イヤな予感を抱かずにはいられない

 だが、東の国々の平定はまだ終わってはいない。結局、日本武尊=三船たちは弟橘姫=司を連れて出発することになる。致し方ないこととは言え、美夜受姫=香川の思いは複雑だった。

 さて日本武尊=三船たちの軍勢は、相模国の国にたどり着く。だがその一足先に、日本(ヤマト)の国よりの使いが到着していたのを日本武尊=三船は知らなかった。彼らはこの相模国を治める大伴久呂比古(オオトモノクロヒコ)=田崎潤に、日本武尊=三船を亡き者にするよう頼んだのだ。「言った通りにしろ。これは天皇の命令だ」

 そうとは知らぬ日本武尊=三船は勇壮に火を噴く富士山に見とれながら、大伴久呂比古=田崎に歓迎されていると思い込んでいた。さらにイノシシ狩りに誘われる日本武尊=三船。だが、草むら深くイノシシを追っていくうちに、周りに誰もいなくなる。誰かがやって来たと思えば、それは弟橘姫=司だ。彼女は日本武尊=三船のそばを片時も離れまいと追ってきたのだ。

 ところが何者かが草むらに火を放ち、あたり一面はたちまち炎に包まれる。ワナだと日本武尊=三船が気づいた時には、火は二人の周囲を取り囲んでいた。それでも何とか炎の中を脱出した時には、日本武尊=三船と弟橘姫=司の間のわだかまりも誤解も解けた。彼女は倭姫=田中の言いつけでやって来たのではなく、自分の意志で日本武尊=三船を追って来た。それほど彼女は日本武尊=三船のことが忘れられなかったのだ。そうなれば日本武尊=三船も勇気百倍だ。

 かくして日本武尊=三船は、自分を裏切った大伴久呂比古=田崎を見事に討つことが出来た。だが、その大伴久呂比古=田崎が絶命する直前の、日本武尊=三船に放った捨て台詞が気にかかる。

 「オレよりも、父上の天皇を討った方がいいんじゃないか?

 かねてから胸の奥にうごめいていた、日本武尊=三船の疑念が再び目を覚ます。日本武尊=三船が改めて弟橘姫=司に「叢雲剣」のことを問いただすと、今度は彼女もトボケきれない。かくして日本武尊=三船は、今度こそ本当に自分が厄介払いされたことを知ったのだった。

 さて一同は三隻の船に分乗して海へ出た。そしてさらに東の国をめざそうとしていたのだが、ここで日本武尊=三船の気持ちが突然変わった。父・天皇の考えが分かった以上、この先さらに東をめざしたところで何になろう。

 「日本(ヤマト)に帰ろう」

 日本武尊=三船たちは船の方向を180度変えて、一路日本(ヤマト)を目指して船を進めた。いまや弟橘姫=司との仲も元通りだ。これで何もかもスッキリする…日本武尊=三船がそう思いながら、帰路に就いたその矢先…。

 一天にわかにかき曇った!

 竜巻、突風、稲妻、大シケ…。三隻の船は大波と豪雨に翻弄されて、今にも深い海の中に引きずり込まれそうだ。もはやこれまで…と観念したその時、弟橘姫=司が毅然と立ち上がって宣言した。「これは私が招いた災いです!」

 そう。神に仕える身なのにも関わらず日本武尊=三船に身を許した弟橘姫=司に、神の怒りが降りかかったのだ。そうと分かれば弟橘姫=司は、もういても立ってもいられない。日本武尊=三船が止める間もなく、弟橘姫=司はアッという間に海に飛び込んだ。

 すると雲は晴れ、風と雨は止み、波は一気に穏やかになっていった。あの大荒れの名残りはどこにもない。弟橘姫=司の姿が消えたこと以外は…。

 傷心の極みの日本武尊=三船はそのまま美夜受姫=香川の元には戻らず、償いとして例の「叢雲剣」を捧げて彼女に別れを告げた。

 一路、故郷・日本(ヤマト)へ!

 だが日本(ヤマト)では、日本武尊=三船たちの帰還を知った天皇側近たちが、彼らを迎え討つべく軍勢を送り出していた…。

 

 稲垣浩監督と言えば、もちろん黄金時代の日本映画が誇る巨匠の一人だろう。「宮本武蔵」(1954)ではオスカーの特別賞(当時は外国語映画賞部門はなかった)を、自らの傑作をリメイクした「無法松の一生」(1958)ではヴェネチア映画祭の金獅子賞を獲得するなど、日本映画の国際評価を高めた監督でもある。そしてこの二作を見ても分かる通り、黒澤明と共に三船敏郎を国際的スターにしたもう一人の人物でもあった。だからもちろん、巨匠という格付けに何の不足もないはずだ。

 ただ稲垣浩という監督、例えば同時代の日本映画の「巨匠」であるところの黒澤、溝口、小津などといった人々と比べると、何となくもうちょっと敷居が低い感じがするのはどうしてだろう。それは「無法松の一生」のように自作をリメイクしちゃったり、あるいは年に2〜3本というコンスタントな作品ペースを1960年代いっぱいまで続けていたり、名コンビの三船のためにと彼のプロダクション製作のオールスター映画「風林火山」(1969)などをつくったりと、割とフットワークが軽いあたりでそう見えるのかもしれない。今回の「日本誕生」も東宝の1000本記念映画というメモリアル映画…いわばお祭り映画だ。しかも東宝オールスターの見せ場をそれぞれつくっての作品だ。こんなのを頼まれて、ちゃんとこしらえちゃうあたりが「巨匠」然と見えない所以かもしれないね。作家と言うより職人とか仕事師のイメージが強いわけ。

 この「日本誕生」って、古事記とか日本書紀みたいな日本の神話・伝説の類を映画化したもの。そのあたりの企画意図からして、稲垣が自分でつくりたいと思ったものではないだろう。明らかに頼まれ仕事であることは明白だ。だってとぎれとぎれのエピソードの羅列になりがちなこの題材では、なかなか一つの作品として成立させるのは困難だ。特撮を見せたいとか豪華な大作をつくりたいといった意図以外には、モチベーションは見い出しにくいからね。

 で、その企画意図には、明らかに当時アメリカ・ハリウッドで盛んに制作されたスペクタクル史劇の向こうを張ろうという気持ちがミエミエ。大映が「釈迦」(1961)、「秦・始皇帝」(1962)で試みた、その手の豪華大作を狙ったのは確実だ。ただしあくまで日本の自前のお話で勝負したところが東宝の意地なのだろうか。

 見る前のイメージとしては、そんな古事記・日本書紀のお話を特撮がらみで制作した、いかにも内容が想像つくシロモノ。やんごとなき人々の勇ましくもありがたいお話を、延々見せられるに違いないと思っていた。考えようによっては、少々アナクロな企画とも言える。神代のお話をありがたがる気もこちとらには一向にないし、そのへんちょっと危惧したところもあるんだよね。

 そんな作品の要素は確かに間違いないのだが、見た後の印象は大分違う。神話のありがたいお話は盛り込まれているが、それはあくまで老婆の伝承というかたちのエピソードとして挿入され、お話のメインは日本武尊の戦いのお話だ。つまり奇跡とかおめでたい要素とか超自然的要素はすべて老婆の「伝承」の中に閉じこめて、メインの物語は出来るだけリアルなドラマに仕立てようとしている。日本武尊のお話も何だか勇ましいというよりは、悩んだり苦しんだりする部分が多い。このあたりの処理は、この企画を成立させる作戦としてまずは巧みだ。脚本を担当した八住利雄と菊島隆三も、いわゆる「ありがたい」お話にはしたくなかったんだろう。最低限そのあたりの意地は感じさせてくれる。

 もちろん円谷英二の特撮部分はアレコレと見せ場を盛り込んで楽しませてくれるし、娯楽映画としての楽しみはそれなりにキープしている。多少チャチな印象は否めないが、当時としてはこれが最高の技術だったと思うよ。そして多数のエキストラとかデカいセットとか、今ではとても望めない超大作でもある。これには本当に驚いた。あの頃はこれほどの力が日本映画にはあったんだよね。

 ただし、こうした「大作」の構えが災いしている点も多々あって、そのへんが苦しいところだ。とにかくこうした「大作」ふう見せ場がどれもこれも長ったらしい。何かと言えば盛大な宴会が出てきて、そこで多数の人海戦術による群舞を見せられる。雅楽と現代音楽が混ざったような珍妙な音楽に合わせて、何かというとやたら大規模な踊りが催されるのだ。これが正直言って見ていてダレる。まるで「マトリックス・リローデッド」(2003)での人間の都ザイオンにおける群舞シーンみたいで、ただただ長く続くのだ。天の岩戸のくだりでも、同様に大宴会が延々催される。そして最後の日本武尊たちの戦いのくだりも、これまたむやみに長い。大勢のエキストラを使って盛大にやっているのは分かる。だけどこうも何度もモブ・シーンが出てきて、それもいちいち延々と見せられては有り難みも半減だ。正直言って見ている方は退屈だし、稲垣浩も演出のしようがなくって困ってたんじゃないか。これは「大作」としての構えを欲しがった、会社やプロデューサー側の要請だったのだろうか。

 そんな「大作」としての血の巡りの悪さみたいなものは、この作品のあちこちに散見される。しかも神話・伝説の時代のこととなると、その実際は分かるまい。だから登場人物の立ち振る舞いとか風俗習慣などには、想像ででっち上げた部分が多くなる。そうなるとディティールの積み重ねやキメの細かさなどを、どうしても期待出来なくなっちゃうんだよね。あのチェン・カイコーにして「始皇帝暗殺」(1998)でそうした血の巡りの悪さみたいなものを感じさせたように、この映画でもそんな曖昧さが作品をフヤけたものにしているように感じられる。稲垣浩が演出のしようがなかったのも、これは仕方なかったのかもしれない。

 そもそも神話・伝説エピソードを団子をクシに刺していくみたいに見せていく構成では、どうしてもお話の緊張感が乏しくなる。そこからして無理があったんだろう。それにそもそもは元が伝承モノだから、近代的なドラマトゥルギーとか伏線とか感情を期待するのは難しい。登場人物の感情も単純素朴で、行き当たりバッタリなものになりがちだ。それをリアルで現代的な映画という形式でそのまま見せていくのは、どだい無理があるんだよね。だから、出てくるキャラクターが一体何を考えているのか分からない部分が出てくる。この映画の天皇とか倭姫なんかは、ちょっと考えていることが理解出来ない部分もあるんだよ。いい人間なのか性格に問題ある人間なのか、賢いのか愚かなのか分からない。まぁ、この題材でちゃんと性格を描くのが難しいのは分かるんだけどね。

 そこへ来て、メイン・キャラクターの日本武尊に三船敏郎を持って来たのも、ちょっと問題があったかもしれない。この映画の三船って気は優しくて力持ちキャラなんだけど、そもそもそれが今の感覚では単純バカにしか見えない。すぐに一喜一憂。喜んだと思えばすぐキレる。だからあまり賢くて人間的キャパがあるようには見えないんだよ。しかもキレるとそこはあの三船だから、やたらに異様な迫力がある。怒った時のスゴさが、危ない人にしか見えない。これはキャスティングのミスか演出ミスか分からないが、とても大勢の人間を率いるリーダーの器には見えない。そこからして大きな誤算だったんじゃないか。

 冒頭は例の神々による日本列島誕生の有名な神話エピソードなんだけど、それを行った男女ペアの神々の出で立ちからして聖書のアダムとイブを意識しているのは明らかだろう。ハリウッド製スペクタクル史劇を意識しているなら、当然そうなるだろうね。ところが出来上がった島に二人が上陸して、いざ「夫婦として契ろう」などと言い出すと、何とも異様なムードが立ちこめるからオカシイ。特に女神の扮装と来たら、長い髪でかろうじて乳房を隠している際どさ。特撮もどことなくチープな仕上がりと来るから、まるで新東宝映画のエロっぽい冒険モノみたいな雰囲気になっちゃうんだよね(笑)。舞台になるのも海辺の岩場ってあたりが、「女真珠王の復讐」(1956)とか「女厳窟王」(1960)とか「女奴隷船」(1960)など新東宝十八番の舞台だからね。このへんも稲垣浩演出、大いに困っちゃった雰囲気があるから笑ってしまう。

 ただ東宝オールスターの豪華さを堪能するには一番の映画だ。僕が驚いたのは上原美佐の登場。「隠し砦の三悪人」(1958)で出てきたばかりなので、このオールスター大作にも引っぱり出されたのだろう。他にはあと数本しか出演作がないはずだから、これは貴重な作品かもしれない。

 もう一つ貴重な出番と言えば、何と言っても天照大神役の原節子を挙げなければならないだろう。ミッション・クレオパトラ(2002)の感想文でも書いたけど、あの映画のクレオパトラ役モニカ・ベルッチと匹敵するほど、「この人しかいない」と思わせる登場ぶりだ。他には誰も出来ないだろうねぇ。

 細かいところを指摘すれば、それなりに面白い点も見つけられる。西の国に行けば人々はカラフルでエキゾチックな衣装をつけ、大陸やら南方の影響を伺わせる。東の国では何となく人々の出で立ちも原始的。相模国から望む活火山の富士山は、今とは姿の違うゴツゴツとした荒々しい山だ。そんな細かい点を見ているのは楽しいよ。

 円谷特撮の見事さについても語った通りだ。後年、稲垣浩が「大坂城物語」(1961)とその続編「士魂魔道/大龍巻」(1964)、さらには「ゲンと不動明王」(1961)などで特撮を大幅に取り入れた大作をつくったのも、この作品が予行演習になっていたのだろうか。ただ「巨匠」と言われる人で、これほど特撮を扱った作品を撮った人もいないよね。そのあたりも稲垣が「巨匠」然とは見えない所以かもしれない。

 そもそもこの「日本誕生」も上映時間3時間余。全編快調とは言いかねるし、実際にかなりユルい作品ではある。お正月の夜にボケッと見る機会でもなければ、少々シンドい作品でもある。

 それでも最後の最後まで踏ん張ったような、八住利雄・菊島隆三脚本と稲垣浩演出の心意気は感じさせてくれる。それはドラマのど真ん中を貫いている、三船敏郎演じる日本武尊の苦悩ぶりだ。

 天皇周辺の権謀術数に巻き込まれ、どんどんヤバい状況に追い込まれる日本武尊。そのあんまりな仕打ちに、日本武尊は「自分は父親から愛されていないのか」と悶え苦しむ。これが劇中何度も繰り返されるアリサマは、こうした映画にしては異例とも言える。華やかで勇ましくおめでたい大作のはずなのに、やたら主役の彼は苦しんでばかりなのだ。

 この「エデンの東」(1954)のジェームズ・ディーンみたいな設定も興味深いし、彼が女がらみで迷走するあたりも印象に残る。もっとも元々が伝承キャラだからそこに複雑な人間性は期待出来ないし、演じる三船も三船だからデリカシーある表現は望めない。だからやたらおめでたいバカ正直モノが、深い思慮もなく勝手に舞い上がったり怒ったり落ち込んだりしているように見えてしまう。それはそれで限界があるんだけど、それでもこうしたキャラ設定を行ったということは、出来る限りの範囲でこの映画に当時としての「現代性」を盛り込もうとした結果なのだろう。

 しかも劇中で繰り返されているのが、「昔は良かった」という嘆きだ。

 ここでの「昔」がどうしたって高天原に代表される神話の世界であるのはもちろんだが、この現代から見たら大昔の日本武尊の時代で、すでに「昔は良かった」という発言が出てくるのはどうしたことだろう。日本武尊はアレコレ多くの人間の思惑や企みや陰謀にモミクチャにされる。そして「何でオレばっかり」とグチりまくる。そう言う自分でさえ怒りに任せて無茶もやるし、時に過ちも犯す。女に対してはいい加減そのものだ。そんな自分の駄目さ加減を(常にではないが)痛感するハメになり、始終落ち込まざるを得ない。そんな最中、日本武尊はしきりに「大らかな昔は良かった」とつぶやくのだ。

 古事記・日本書紀などの神話・伝説の世界の映画化と言えば、先に述べたようにやんごとなき人々の勇ましくもありがたいお話になるところ。それなのに、この映画はまるっきりおめでたい気分にならない。ここに描かれた日本は全然いいところじゃない。天皇による国づくりの真っ最中にして、すでに人心は荒廃し汚れている。どこまで実現出来たかどうかは別にして、日本武尊が何とか争いではなく話し合いを模索しようとするのも、そんな国の有り様に疑問符を投げかけているように見える。

 天皇本人の意思が果たしてどうだったのかが曖昧ってあたりも、こうなると意識的に行われたことなのかもしれない。天皇周辺の側近にロクなヤツがいないってことも象徴的だ。それってこういう神話・伝説にアナクロな意図を込めたい人々には、冷水を浴びせかねないメッセージではないか。昇天して白い鳥の姿に身を変えた日本武尊は、最後に日本=ヤマトを捨てて高天原をめざして飛んでいく。名前に「日本」の文字までつけた人物が、こともあろうに最後は日本から逃げ出していく。まるでオレはこんな国はもうイヤだって言ってるみたいに…。

 これは、ひとつ間違えばヤバいテーマになりかねない題材を、慎重にコース変更した結果ではないか。作り手たちの良心が、何とかギリギリの妥協点を見出した結果だとは見えないか。

 この時代にしてこのテイタラク。まして後の世ときたら…。

 この後、この国は同じ調子でもっと悪くなってしまった。そして未曾有の災厄を乗り越えたはずの今も、ますます悪くなろうとしている。そんなメッセージは、正直言ってこの映画の製作から40年以上経った今こそ、シャレになってないと思うんだよね。

 


The Three Treasures

(1959年・日本)東宝 製作

監督:稲垣浩

製作:藤本真澄、田中友幸

脚本:八住利雄、菊島隆三

特技監督:円谷英二

出演:三船敏郎、司葉子、中村鴈治郎、宝田明、久保明、平田昭彦、伊豆肇、東野英治郎、田崎潤、田中絹代、杉村春子、志村喬、鶴田浩二、香川京子、左卜全、藤木悠、水野久美、乙羽信子、上原美佐、原節子、小林桂樹、加東大介、柳家金語楼、榎本健一、有島一郎、三木のり平、朝汐太郎

2004年1月2日・ビデオにて鑑賞(DVDより収録)


 

 

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