#01 

 「風の向こうへ」

  The Other Side of the Wind

 (2019/01/21)



巨匠監督が復帰を賭けた新作とは?
 事故に遭って大破したクルマのモノクロ写真。それは、過去の痛ましい記録だ。「これが、例の事故を起こしたクルマの残骸だ。あれが事故であったとすれば…の話だが」
 語っているのは、有名な老映画監督ジェイク・ハナフォード(ジョン・ヒューストン)の自称「最も成功したアシスタント」ブルックス・オターレイク
(ピーター・ボグダノビッチ)。オターレイクは長い年月を経て、その当時を回想する…。
 ハナフォードはその事故によって世を去った。ハナフォードを崇拝する者たちは、彼が自ら命を絶ったはずがないと語るが、異論がある者もいた。私はこの記録を公開したくはなかったが、今はもう気にしない。この記録はその日その場に居合わせたテレビ関係者や映画関係者、学生たちなどが撮影した16ミリや8ミリ映像をつなぎ合わせて作り出された。もちろんハナフォード自身の最後の映画「風の向こうへ」もその重要な素材のひとつであることは言うまでもない。それは、例のハナフォード誕生パーティーで上映された時のままで残された。皮肉なことに、それは彼の人生最後の日でもあった…。
 「スチーム風呂、テイク9!」
 カチンコが鳴る。場面はサウナの中。裸の女たちがひしめいている。その中で、電話の受話器を持っている女がひと際目立つ。小麦色の肌をした女だ。裸の女たちはみなこれ見よがしに乳房を揺らし、小麦色の肌の女はひとり電話をかけている…。
 「カット!」
 スタッフたちを引き連れて、老監督が撮影スタジオから出て行く。慌ただしく動き出すスタッフたちの中には、ハナフォードの個人秘書で「汚い仕事はすべて オレの仕事」と自任するマット・コステロ(ポール・スチュワート)と編集を担当するマギー(マーセデス・マッケンブリッジ)が見える。「彼女がジェイクを 説得してメディアを集めたの?」
 ここで言う「彼女」とは、ハナフォードとは大戦中からの長い付き合いで、ヨーロッパからやって来た訳ありの女ザラ・ヴァレスカのこと。彼女がハナフォード久々の新作のために一肌脱いで、今回の誕生パーティー兼新作お披露目会を企画したという訳だ。そのため、スタジオに集まって来た人々は、大忙しでハナフォードの自宅で行われるパーティーへと向かおうとしている。そのハナフォードの家は、ハリウッドから離れた牧場の真っ只中にあった。
 ごった返すスタジオ外でプロダクション・マネジャーのパット・ミリンズ(エドモンド・オブライエン)がメガホンで叫ぶ。「学生は『学生』と書いたバスに、ミュージシャンと小人は青いバスに乗って!」
 この日のために映画ジャーナリストやマスコミ、映画学校の生徒たちも呼ばれていて、彼ら
は早くもカメラを回していた。 さながら取材合戦である。そんな中に、高名な映画評論家ジュリエット・リッチ(スーザン・ストラスバーグ)やフィルム・インスティテュートから来たピス ターという若い男(ジョゼフ・マクブライド)も混じっていた。移動用に駆り出されたクルマは何台もあったが、そのうちスクールバスにはなぜか長髪の男のマネキンが 何体も座っている。それの薄気味悪い光景を見たマットは「ウケ狙いにしてもやり過ぎ」と閉口するが、用意したメイク担当のジマー(キャメロン・ミッチェ ル)はハナフォードの指示だと告げる。そんなジマーに、マットはバスに乗り込んで早々に「汚い仕事」を行う。「ハナフォードの命令」として、ジマーにクビ を告げたのだ。だが、周囲の人間はそれを見ても驚きはしない。ハナフォードが惨い仕打ちをしたり無茶なことを言うのは、今に始まったことではないからだ。
 明らかにスタッフの中でも重要人物である「男爵」と呼ばれる男(トニオ・セルワート)は、バスに乗り込んだところを雑用係のビリー・ボイル(ノーマン・ フォスター)に呼び止められる。ビリーはこれから試写室で映画のラッシュをスタジオの代表に見せる役目を仰せつかっているのだが、これは本来なら「男爵」 の役目では…と声をかけたのだ。だがそう言いながらも、自分が「マックスへの応対に向いてる」とハナフォードに言われて、ビリーはまんざらでもない様子 だ。それが一同の失笑をかっているなど、彼は夢にも思っていない。
 老監督ハナフォードの新作製作に力を貸してきたブルックス・オターレイクは、ハナフォードの家に行くための足を探して右往 左往。結局、そんな彼はハナフォード自らが運転するオープンカーに同乗することになる。そんな喧噪の中、先ほどの小麦色の肌の主演女優(オヤ・コダール) もひっそりとその場にいたが、やがて彼女もそこらの連中をクルマに乗せてパーティー会場へと向かった。
 一同が大騒ぎの末にスタジオを出て行った頃、ビリーは一人で試写室へと向かう。そこにはスタジオの代表であるマックス・デイビッド(ジェフリー・ランド)が、しびれを切らして待っていた。散々待たされた上にその場にハナフォード本人が来ないと聞いて、イライラが頂点に達していたマックス。そんな気まずい空気の中で、ラッシュ試写は始まった。
 一方、スタッフや関係者たちはバスやクルマに分乗して、一斉にハナフォードの家を目指す。自らハンドルを握るハナフォードのオープンカーには、オターレ イクの他に映画学校の生徒や映画ジャーナリストたちが山ほど乗り込んで、それぞれにカメラや録音機を回していた。もちろん、「映画界の生けるレジェンド」ハナフォードの話を隙あらば聞き出そうという訳である。だが、そんな彼らの試みを、オターレイクが断ち切った。
 かつて映画研究家であるオターレイク自身が、ハナフォードの本を作ろうとして長時間インタビューを試みていた。その経験から、彼はハナフォードがいかにインタビュー嫌いかを知っていたからだ。残念ながら多大な労力と時間を費やしながら、オターレイクのハナフォードに関する本は完成には至らなかった。そのせいという訳ではないが、今ではオターレイクは映画研究家から足を洗い、若手映画監督の筆頭として一世を風靡していた。だが、インタビュー内容はオターレイクの脳裏に焼き付けられている。だからオターレイクは、学生たちに「聞きたいことはオレに聞け!」と豪語する。
 だが、学生たちはハナフォードの過去ばかりを聞きたい訳ではない。一番聞きたいのは、今回の映画の主役として抜擢された若者の件である。その名をジョン・デールという若者は、ひどい状態にいたところをハナフォードが拾って救った…ということになっている。だが、本当のところはどうなのか?
 同じ頃、スタジオ内の試写室でもジョン・デールについての質問がマックスから飛んでいた。スクリーンには問題のハナフォード最新作のラッシュが上映され ている。その映画の主役が、例のジョン・デール(ボブ・ランダム)である。この長髪の若者がビル街から荒野にかけて、歩いたりバイクに乗ったりしながらあ の小麦色の肌の女を追いかける。それがラッシュの内容である。ショットの一つひとつは印象的でいかにも「今風」だが、肝心の物語が分からない。セリフひとつないからだ。まだラフな編集しかしていない…と弁解するビリーだが、泥縄式の説明しか出来ない。彼は何も知らないのだ。当然、マックスが納得できる訳もない。
 そもそも問題なのは、ここに出ている「主役」ジョン・デールが突然消えてしまったことだ。この映画の先行きが不透明になっているのは、それが理由だった。果たして彼なしで映画は完成できるのか。あるいは、彼は撮影現場に戻ってくるのか。
 大体、ハナフォードはイマドキの若者が分かっているのか?
 それは、移動中のバスに乗ったクルーの間でも話題になっていた。そして、失踪したジョン・デールとハナフォードとの関係にも、疑念が湧いていた。ハナ フォードはジョン・デールを拾って、救ってやったと言われる。そして、今回の作品に役者として起用した。だが、ジョン・デールは果たしてそれを喜んでいた か。彼はそれを望んでいたのだろうか…。
 試写室ではビリーがしどろもどろになりながらラッシュの内容を説明していたが、話が要領を得る訳がない。苛立ったマックスは、ハナフォードが台本なしのアドリブで撮影していると察した。「残りは夜のパーティーで上映する」とビリーは必死に説明するが、焼け石に水。業を煮やしたマックスは席を立ち、「時間の無駄だった」と言い放って試写室を後にするのだった。
 夕闇が迫るちょうどその頃、一同は次々と牧場のハナフォードの家に到着していた。台所ではザラ・ヴァレスカ(リリ・パルマー)が腕によりをかけて料理を 作り、パーティーの場を仕切るのは「男爵」という男。ゲストたちは早速そこで映画談義をぶつけ合うか、あるいは延々カメラを回し続けた。そんな中、拍手を 浴びながら「映画界におけるヘミングウェイ」ことハナフォードその人がようやく到着。カメラを持った一団が彼の一挙種一投足を追おうと迫る。そんな状況にドン引きしながらも、作り笑いで応対するハナフォード。
 ハナフォードとオターレイクという今夜の「主役」が揃ったところで、早速、うるさ型の映画評論家として名高いジュリエット・リッチが二人に食いつく。日頃から辛辣な批評を受けているオターレイクは、ジュリエットに辟易。オターレイクがハナフォードを猿真似しているという批判に、ハナフォードが彼一流の煙に巻くような皮肉で答える。「お互いをマネするのはいい、テメエのマネさえしなけりゃね」
 だが、それでも引かないジュリエットに、ハナフォードは「あんたは分かってモノを言ってるのかね?」と痛烈な一撃を返すのだった。
 家の一角では例のザラ・ヴァレスカがドキュメンタリー・フィルムの取材を受けていて、数多くの著名人とのロマンスやハナフォードについての質問を受けていた。そしてジマーはバスで運んで来た何体ものマネキンを持ち込み、庭に作られた小高い丘に次々と並べていく。
 その長髪の男のマネキンたちは、明らかに「主役」ジョン・デールに似ていた…。


僕にとっての「風の向こう側」とオーソン・ウェルズ
 長い映画史の中には、未完成に終わった「幻」の作品が無数にある。
 それらひとつ一つを挙げていってもキリがないが、例えばテリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」モノは何度も不幸な挫折を迎えながら、つい最近になって何と完成に漕ぎ着けたようだ。またホドロフスキーのDUNE(2013)で紹介されたアレハンドロ・ホドロフスキー版の「砂の惑星」映画化企画も、有名な話である。そもそも黒澤明が撮るはずだった「トラ・トラ・トラ!」だって、「幻」に終わった映画だ。そんな僕でも知っている「幻」の企画のひとつが、オーソン・ウェルズの「幻」の企画「風の向こう側」であった。
 この映画のことを初めて知ったのは、かつて芳賀書店から発行されていた季刊映画雑誌「映画宝庫」第3号(1977年夏号)を読んだときのことである。「映画宝庫」とは「雑誌」というよりひとつの単行本というべき書籍で、毎回ひとつのテーマに絞り込んで映画を語り尽くすいささかマニアックな雑誌。この時のテーマは「ザッツ・ハリウッド」というもので、ハリウッドのスターや歴史などをあらゆる角度から紹介する内容だった。
 その中に「映画で綴るハリウッド盛衰記」という40ページにわたる企画があった。早い話が「ハリウッド映画が描くハリウッド」。もちろん雨に唄えば(1952)も入れば、「アリー」なんてタイトルになる前…ということはバーブラ・ストライサンドがロック・ミュージック版にする以前…の「スタア誕生」(1937)とそのリメイク版(1954)も入る。「サンセット大通り」(1950)なんてハリウッド残酷物語も入る…といった案配。その末尾を飾っていたのが、「風の向こう側/The Other Side of the Wind」という未完成映画であった。
 「撮影開始以来4年、資金などの都合でいまだに完成していないオースン・ウェルズの脚本・監督作品(原文ママ)」と紹介されていたこの作品、「映画宝庫」第3号出版当時から考えると、撮影開始は1973年頃…とこの時点では思われていたのだろうか。それでも短い文章ながら、老監督役にジョン・ヒューストン、若手監督役にピーター・ボグダノヴィッチ…などと書かれていて、僕の映画ファン心を大いにくすぐった。だが、すでに僕もオーソン・ウェルズの当時の状況は知っていたし、この企画が完成に漕ぎ着けるのはかなり難しいことも分かっていた。期待はするけど、まぁ無理だろうなと察していたのだ。
 何しろ1970年代半ばのオーソン・ウェルズといえば、ニッカ・ウイスキーのCM「イングリッシュ・アドベンチャー」と称したシドニー・シェルダン原作
英会話教材「追跡」「家出のドリッピー」におけるナレーション(笑)がまずアタマに浮かぶ頃の話である。寂しすぎて涙がチョチョ切れる時代であった。
 そんなこんなしているうちに、1985年にウェルズはこの世を去ってしまった。享年70。だが、世の中の扱いはかなりひっそりとしたものだったように思う。なぜなら、もうすでにとっくの昔から、ウェルズは「隠居状態」みたいなものだったからだ。
 その後、本人出演作品という訳ではないが、ティム・バートンがC級映画監督の実話を描いた「エド・ウッド」(1994)の後半に、チラッとヴィンセント・ドノフリオ演じるオーソン・ウェルズが登場したのは圧巻だった。クズ映画しか撮らないC級監督エド・ウッド(ジョニー・デップ)だったが、映画撮影が難航して意気消沈。バーでガックリしていると、そこでオーソン・ウェルズその人と出会う。ウェルズは自らの窮状を告白しながら、「夢のためなら戦え、他人の夢を撮ってどうする?」とエド・ウッドを叱咤激励するという一幕だ。映画ファンなら感涙にむせばずにはいられない名場面である。
 だが、それは一方でオーソン・ウェルズという映画人が常に直面していた苦境を、何より如実に描いた場面でもあった。
 僕のようなアカデミックに映画を研究している訳でない普通の映画ファンにとって、オーソン・ウェルズの印象はただただ「不遇の人」の一言に尽きる。もちろんデビュー作にして出世作の「市民ケーン」(1941)以降、ウェルズが「干された」状 態を知っていたからだ。映画史に残る傑作とうたわれる「市民ケーン」ではあるが、実在の新聞王をモデルにしてしまったことからメディアを敵に回したのが運 の尽き。なまじっか才能があるものだから、気難しくて扱いにくい人物との悪評が付いて回る。それが災いして、以後は悲惨な映画人生を辿ることになった…と いうのは、映画好きなら誰もが知っていることだ。僕としては、ウェルズの名はエリッヒ・フォン・シュトロハイムと同様の呪われたイメージで脳裏に刻まれていた。
 では、1本の映画としての「市民ケーン」はどうか? 大変申し訳ないが、面白く見せてはいただいたものの、名作を「お勉強」させていただいた的な印象し かない。すでにガチガチの「傑作」評価が定着している作品だから、それを考えずに見ることなど出来ない。正直言って、1本の映画として単純に楽しむことは すでに出来なくなっていた。残念だが、それがホンネである。
 その後のウェルズ作品というと、そもそも作品が少ないところへ来てすでに「過去の人」だったから、神棚に上げたまま状態。僕らの世代にとっては、前述の 「イングリッシュ・アドベンチャー」の人というイメージしかないから仕方がない。マシな方の仕事でも、せいぜい巨漢の怪優としての映画のゲスト出演ぐら い。僕がリアルタイムで劇場で見たウェルズの出演作品と言えば、メル・ブルックス「珍説世界史PART 1」(1981)におけるナレーション(笑)だけじゃないだろうか。実際、この人の遺作ってアニメ映画「トランスフォーマー・ザ・ムービー」(1986)での声の出演らしい。「市民ケーン」の天才の遺作が、アニメの「トランスフォーマー」の声優って…。
 没後に「イッツ・オール・トゥルー」(1993)なんて作品がポコッと公開されもしたが、元々は旧作のドキュメンタリーらしいし、どうもその出自が怪しくて見る気がしない。ブルース・リー「死亡の塔」(1980)みたいなもんである。だから前に公開された「オーソン・ウェルズのフェイク」(1975)なんてのも見ていない。偏見かもしれないが、ちゃんとした作品じゃなさそうだったからだ。
 そんな中で、ウェルズの死後に僕の関心を引いた1本の作品があった。それが1998年に再公開された「黒い罠」(1958)だ。完全修復版とか銘打って公開されたものだが、これは素晴らしかった。
 「黒い罠」だって十分「神棚」クラスの映画なはずなのだが、ハードボイルド・ミステリーというジャンルのせいかそんな敷居の高さを感じさせない。冒頭の3分以上ある長回しは有名で、ブライアン・デパーマスネーク・アイズ(1998)などにも引用されたりしているが、今回は「お勉強」させていただいた気分は一切なし。そもそも、見ている間は「冒頭長回し」なんてことをスッカリ忘れて楽しんでいた。映画として面白かったのだ。理屈抜きで楽しめた。だから僕にとって、オーソン・ウェルズといえば「市民ケーン」よりも「黒い罠」だ。この点は断じて譲れない。
 それはともかく…確かに「イッツ・オール・トゥルー」みたいな映画ならともかく、さすがにちゃんとした劇映画がこれから「オーソン・ウェルズ作品」とし て世に出てくるとは思えなかった。だからウェルズの死のニュースに接した時、「風の向こう側」を今後見ることはもうなくなったな…と僕は漠然と思っていた 訳だ。黒澤明監督による「トラ・トラ・トラ!」を見ることが出来ないのと同じように、それはこの世に存在しなかった映画だったのである。
 ところが、それが忽然と姿を見せたというのだから、世の中は分からない…。

「風の向こうへ」とネットフリックス問題
 そういえば、そんな話を聞いた覚えがあったとは思っていたのだ。それはかつて巷に流れた、「風の向こう側」を完成して公開させるというニュースである。
 確かあれは2009年ぐらいじゃないかと思ったが、なぜかスピルバーグ門下のプロデューサーであるフランク・マーシャルが、 突然この話を持ち出したのだ。その時にはすぐにでもプロジェクトが動き出すような話だったと思うが、その後、この話の続報はなかった。そりゃあそうだろ う。僕は最初からこの手の話は信用していなかった。それはノアの箱船の残骸が見つかった…という類いの話と似たりよったり。アレも軍事衛星で位置を確認し たとか正式な探検隊を派遣するとか、そんな話が何度も浮かんでは消えながら正式なニュースとしていまだ発信されていない。「風の向こう側」完成のニュース も、その程度の信憑性にしか思えなかった。
 ところが、そんな話が性懲りもなく再び浮上して来たのである。それも、いかにも今風なコロモを纏っていたから無視もできないのだ。さよう、今回の「風の向こう側」完成の話は、今をときめくネット配信の会社「ネットフリックス」が絡んでいたのだ。
 確かに近年、ネットフリックスの鼻息はすこぶる荒かった。ネット配信で映画を見るという人々が増えているとは聞いていたが、勢い余ってネットフリックス は自社オリジナルの「映画」を製作し始めた。最初はせいぜい昔のテレビムービー規模の映画だろうと思っていたが、最近では一流のスターや一流の監督なども 参加し始めた。制作費もかなりの金額を注ぎ込んでいると聞く。
 韓国のポン・ジュノ「オクジャ」(2017)なる作品をネットフリックスで製作したという話は、僕にとっては軽い衝撃だった。その後も続々と有名映画人がネットフリックスで映画を撮り始め、アルフォンソ・キュアロンが撮った「ローマ」(2018)はベネチア映画祭で金獅子賞を受賞するに至った。一方、カンヌ映画祭は「映画館で上映する前提でない作品はお断り」との方針を打ち出したため、ネットフリックス映画は参加を取りやめるという事態となった。
 そんなネットフリックスが、オーソン・ウェルズの「風の向こう側」を獲得し、完成に漕ぎ着けようとしているのだ。さすがにこれは驚いた。と同時に、こいつらならやりかねないなとも思った。今のところ、ネットフリックスの映画へのカネの掛け方は尋常ではない。やれることは手段を選ばず何でもやりそうだ。案の定、こちらが疑いを差し挟む前に「予告編」がネットに登場した。ジョン・ヒューストンもピーター・ボグダノヴィッチも登場する。間違いなく、これはあの「風の向こう側」に違いない。何となく画面の粒子が荒く映像がチープに見えるのが気にはなるが、僕があれほど見たかった作品であることは疑いない。
 そしてあっという間にネットフリックスでの配信が決まり、ここ日本でも見ることができるようになった。邦題も「風の向こうへ」と決まった。もう間違いない。
 しかし、こうなると微妙である。本作はどうやらネットフリックスでしか見れないよ うなのである。映画館では特別な機会を除いて上映することはなさそうだし、DVDやブルーレイで出るかどうかも分からない。ネットで配信するモノを見る… というのは、何らかの記録媒体で所有する文化とはどこか相容れないもののように思われるからだ。そうなると、本作はネットフリックスに加入しなければ見れ ないのか。ここが、僕にとっての思案のしどころである。何を大げさなことを言っているのだ…と言われるかもしれないが、これは僕にとって重大問題だ。
 そもそも僕は、映画を映画館以外では原則としてあまり見ない
大体が地 上波やBS以外、テレビというものを見ていない。テレビそのものもあまり見ていないのだが、主に地上波でニュースなどは見ている。それ以外はほとんど見な い。ドラマにも興味がないし、バラエティなど見ると元から良くないアタマがさらに悪くなりそうなので見ない(笑)。だから、テレビで映画など見る気がしな い。
 子供の頃などは、テレビの洋画劇場にクギづけだった。大いにお世話になった。しかし、今これだけ劇場で映画を見るようになると、テレビで映画を見るなんて自殺行為に思える。テレビでまで映画を見たら死んでしまう。死なずとも廃人同然だろう。映画が好きだし見れるとなれば全部見たい僕だからこそ、それはマズいと思うのだ。
 だからスカパーだのWOWOWだので、溢れんばかりに放映されている映画を見ようとは思わない。どうしても貴重な旧作が放映される時などは、仕方ないの で知人に録画してもらう。それ以外は、完全に関わりを持たないようにしているのだ。でないと、こちらの命が危ない。いや、これはまったく冗談で言っていな い。自分には抑制が効かないと分かっているからこそ、近づこうとはしないのだ。
 決して映画館でなければ映画を見るべきではないとは、昔からこれっぽっちも思っていない。むしろ見逃した作品などは、DVDやビデオなどで積極的に見てきてもいる。だから「スクリーン至上主義」や「映画館原理主義」などでこう言っている訳ではない。ただ、ドンドン放映され消費されていく映画を拒む勇気がないし、拒めなければこっちの身がもたないのである。
 いわんやネットフリックスとなると…もうどうなるか想像がつかない。アマゾン・プライム・ビデオ? 冗談は休み休み言っていただきたい。こちとら仕事の せいで、近年は映画館にすらロクに行けていない。それなのに、こんなもので映画をじゃんじゃん見れるようになったら、仕事も出来なくなってしまう。僕はそ のくらい意志薄弱なのである。マジで寝る時間がなくなる。
 それにつけても、本作のネットフリックスでの配信は難しい問題ではある。 確かに僕は「スクリーン至上主義」や「映画館原理主義」などナンセンスとは思っているが、だからと言って映画を映画館で見ることが望ましい点は決して否定 しない。暗い映画館でスクリーンに上映される映画を見るという体験は、他のモノでは代え難いものがある。だから、ネット配信に拒絶反応はないが、それがイコール映画館での上映を否定することになるなら、僕は賛成しかねる。だが、ネットフリックスも企業ならば、そこは自前の映画を「囲い込みたい」のがホンネだろう。要はカネである。
 カンヌ映画祭がネット配信映画を拒絶するのは確かに残念だとは思うが、かといってそれを揶揄するかのようにベネチア映画祭が「うちは映画の未来を見ている」などと自画自賛するのも気持ちが悪い。 何だか年寄りが若造に媚びてるみたいで、ババアの厚化粧見せられているような不快感がある(笑)。そもそもネット配信の台頭で映画館がバタバタ倒れてしま うなら、それは望ましい事態とは思えない。資本主義大好き人間は「自然淘汰だ」と言いたいだろうが、「文化」というのはそれではいけないだろう。少なくと も文明人ならば…。「弱肉強食」は石器人や類人猿の論理ではないか。
 映画人たちも「ネットフリックスは自由に映画を作らせてくれる」「ネットフリックスは大胆な企画にカネを出してくれる」な ととバラ色の発言を繰り返しているが、そんなものは今だけの話だ。これがネット配信会社が数多く出て来てしのぎを削り始めれば、たちまち状況は変わる。カ ネにも厳しくなるだろうし、どんな企画でも好きに撮らせる訳にはいかなくなる。いや、たちまち「なんとかマン」やマンガの映画ばかりになるだろう。それは ハッキリ言って時間の問題だ。そうならないと思っているのは、よほどおめでたい奴だけだろう。カネ出してもらえるからヨイショしてるけど、要はな〜んも考えないでネットフリックスを過剰にヨイショしている映画人たちはバカなんだよ(笑)。
 まぁ、そんな訳で、僕もネットフリックスを否定はしないが、そのすべてが素晴らしいとも思えない。だから、せっかくのオーソン・ウェルズの実質上の遺作がここでしか見れないというのは、僕にとってはちょっと困ったことだった。実際にこの映画のためにカネを出してくれるのがここだけしかなかったのは事実で、それがなければ40年経とうが50年経とうが完成しなかったことを考えれば、ネットフリックスの功績には絶大なものがある。映画ファンとしては大いに感謝である。それでも、やはり劇場公開が難しそうというのは困った話だ。
 それは映画そのものにとっても「困った」ことだが、僕個人にとっても「浴びるほど映画を見れるネットフリックス加入はヤバい」という点で「困った」ことである。加入して見始めちゃったら手がつけられなくなりそう(笑)だから、僕は怖かったのである。
 そこで、僕は「風の向こうへ」の配信が始まった後も、しばらく悶々としていた。しかしネットフリックスには「お試し」期間があり、それを終えたら解約できる。それを知って、僕はともかく「風の向こうへ」1本だけでも見たいと「お試し」加入することにした訳だ。
 いやいや、どれだけ「清水の舞台から飛び降りる」的に大げさな話をしているんだか(笑)。小心者にも程がある。すべては僕の意志薄弱さがいけないのだが。
 だが、僕としてはそれほど悩んでも、「風の向こうへ」はどうしたって見たい映画だったのだ。

「風の向こうへ」に感じた第一印象
 さて、そんな紆余曲折を経て実物と対峙することになった「風の向こうへ」は、果たしてどのような映画だったのか?
 まず、率直な最初の感想を言おう。見てすぐに感じたままの、「イタい」とか「カユい」レベルの素朴な感想。本当に素の感想である。いわば、僕にとっての本作の第一印象だ。
 それはまず、「古い」ということだ。
 当たり前である。実際には1970年夏より撮影が始まっていて、最終的には1976年初頭にほぼ撮影が終了した作品である。古くない訳がない。
 出てくる人物の服装がまず古い。第一、もう亡くなっている人が出てくる。どうしたって古さを感じない訳にはいかない。
 だが、それ以上の意味で、僕は「古さ」を感じずにはいられなかった。それは劇中劇として出てくる映画「風の向こうへ」の内容についてである。
 ヒッピーのようなジーンズに長髪の若い男が、謎めいた女を追いかける。時に接近してみるかと思えば、バイクで迫ったりもする。別の場面ではこの男と女は クルマの中で激しくセックスもする。その前にこの女が出入りするのは、サイケデリックな照明に彩られた奇妙な部屋だ。物語としてはどうつながるか分からな いが、後の方では女は全裸になって荒野をさまよっている。
 そこに出てくる、長髪の男、ジーンズ、バイク、荒野を歩く全裸の女、カーセックス、サイケデリックな照明…などなどのアイテム一つひとつがイマドキでは時代を感じさせるモノばかり。そもそも、そこで行われている抽象的表現(劇中ではセリフがひとつもないので、どうしたって劇中劇映画「風の向こうへ」はそういう前衛映画の類いに見えてしまう)そのものが、今となっては何から何まで古い。ヌーベルバーグ末期からアメリカン・ニューシネマへの流れのどこかに生まれた作品のような印象だ。当時は新しかったのかもしれないが、それ故にかえって今は古く見えてしまうのである。
 そして、その劇中劇以外の「現実」場面全編に漂う、どこかチープな雰囲気。おそらく16ミリ・フィルムを使って撮影されたのだろう。明らかに画面の粒子が荒い。そしてライティングもかなり乱暴だ。まるで自主製作映画でも見ているような気分になる。予告編を見た時の印象は、間違いではなかったのだ。何となく編集のつなぎもぎこちない感じだ。それは、カットのたびにカラーからモノクロに変わったり、フィルムの質も変わることから生じた違和感かもしれない。
 考えてみると、本作の製作はかなり難航していて、撮影も中断しては再開、また中断…を繰り返していたと聞く。当然、撮影コンディションも違えば、その都 度状況もかなり異なっていただろう。むしろツギハギに見えるのが当たり前かもしれない。しかも、予算もなかっただろうから致命的にチープな現場だった可能 性がある。貧すれば鈍す…とも言うではないか。
 そもそも本作の前にウェルズが取り組んでいた「ドン・キホーテ」の 映画化も、チビチビ撮っては中断…を繰り返していたらしい。しかも、35ミリ・フィルムを使ったり16ミリを使ったりと場面によってフォーマットがまちま ちだったようだから、カタチだけなら本作とほぼ同じような状態になっていた訳だ(
それで一体どうやってつなげるつもりだったのだろうか?)。
 だからぶっちゃけ言わせてもらうと、あの「市民ケーン」の天才も、そのキャリアの最後には「現場勘」が失われていたのではないか…と失礼ながら思ってしまった。そして、カネのなさに泣かされていたのかなぁ…とも。さらに、当時の「今風」に合わせようとしていたのかも…とも思った。とてもじゃないが「市民ケーン」的な揺るぎなさは感じられない。「傑作」としての威厳がそこには見られない。
 実際の完成まで長い時がかかってしまったこともあるし、色褪せても仕方ない。まぁ、こんなもんかな?…というのが僕の第一印象だった。
 もちろん僕は映画界のバックステージものが大好きだから、そういう 意味で見ていてそれなりに楽しかった。ジョン・ヒューストンの味わい深い演技も魅力的だったので、彼が出ているだけで見る楽しみがあった。そもそももう見 れないと思っていた作品だから、見ることだけで長年の夢が叶った。少なくとも、僕は見ていて退屈はしなかった。そういう意味では、大いに楽しませてもらっ た作品である。
 そんな訳で、それなりの満足感を得ながらも、「まぁ、こんなもんか」という感じを持って見終わった作品だったのだが…。


本作を見て感じた、不思議な「既視感」の正体
 不思議なもので、映画というものは見てそれで終わりというモノばかりでもない
 見た後で何度か繰り返し見たくなる作品もあるし、見た後でしばらく経って印象がガラリと変わるものもある。では、僕にとっての「風の向こうへ」はどうだったかと言えば、当初は確かに「まぁ、こんなもんか」という作品でしかなかった。
 だが、不思議と見た後で余韻が残った。かっぱえびせんではないが、なぜか後の引く味わいだった。だから、ついついネットにつないでは「風の向こうに」を繰り返し見てしまう。正直言って、僕は今までこんなに同じ映画を繰り返し見たことはない。それは、加入していれば何度でも見れるネットフリックスだからこそ…だったのだろうか。いや、どうもそうではなさそうだ。
 ネットフリックスには他にゴマンと映画があって、その中には僕好みのクズなSF映画も山のようにあった。だが、僕はそちらの方にはあまり手が伸びなかっ た。たくさんあると、逆にお腹いっぱいになっちゃうもんなのだろうか。何本か手はつけてみたものの、結局はまたこの「風の向こうに」を見ているのだった。
 僕はやはり、この作品に不思議な魅力を感じていたらしいのである。果たしてその理由は一体何なのだろう?
 そのうち本作にはメイキングも存在することを知り、僕はそちらにも手を出してみた。「オーソン最後の思い〜40年の時を経て/A Final Cut for Orson - 40 Years in the Making」という作品がそれだ。またネットフリックスは調子に乗ったか、もっと長い「オーソン・ウェルズが遺したもの/They'll Love Me When I'm Dead」というドキュメンタリー作品(何とナレーターがアラン・カミングという豪華版!)も同時に作っている。これがどちらも実に興味深い作品なのである。
 これらによると、本作のクランクインは1970年8月23日。当初は主に劇中劇映画である「風の向こうへ」の場面を撮影していたらしい。ある資料による とジョン・ヒューストンが主演に決定して撮影が本格化したのが1974年のことだというから、それまでは主要な部分には手がつけられていなかったのだろ う。
 本作には重要人物として例のフランク・マーシャルも登場してくるが、今ではスピルバーグ傘下の人として知られるマーシャルは、意外にも若い頃に本作の撮 影に参加していたらしい。このメイキングによればマーシャルが初めて参加したのは1971年のこと。撮影は彼や主演女優のオヤ・コダールも含めて数人で行われていたというのだから、まさに自主製作映画である。当初はこんな感じで部分的に撮影が行われていた訳だ。なるほど、想像以上にチープな現場だったし、ツギハギ感が出る訳である。
 そして、僕がなぜこの映画にこれほど惹かれるのかも徐々に分かって来た。おそらく、僕はこの作品の「自主製作映画」的な部分に魅力を感じていたのだ。なぜなら、それは僕にも覚えがあることだからである。
 前々から告白してきたことだが、僕は大学から社会人のはじめにかけて、素人8ミリ映画を製作していた。どれもこれも出来映えなど大したものではないが、撮っている時は楽しかった。映画製作の、脚本、撮影、編集…そのプロセスのすべてが興味深かった。
 そして、それは本作「風の向こうへ」にも通じるところがある。何しろオーソン・ウェルズ自身がカチンコを叩いているくらいである。4〜5人でチョコチョコ撮っている感じは、8ミリ映画製作と何ら変わりはないだろう。あのワクワク感が、本作にも明らかに感じられるのである。
 そういえば、僕の作ったつまらない素人映画にも、パーティーが主要な舞台となる作品が あった。高校2年生の友人たちが集まって、大晦日の年越しパーティーをやる話だ。そのうちの何人かはパーティーを抜け出し、そこで事件が起こる。その一方 で、パーティー会場を舞台にした話も進行する…という映画。その作品を思い出すうちに、僕はなぜこの自作で年越しパーティーを描こうとしたのかを思い出し た。欧米の映画では、パーティーや宴会が重要な舞台となることが多い。そこに集まった人々のやりとりや、お互いの反応や感情の変化、表向きの言動とは裏腹の心の動きが面白い。人々が集まっ ている中での、そんな相乗効果や化学反応が興味深いのである。自分もそんな作品を作ってみたいと思っていたのだ。そんな諸々の意図が僕に実現できるかどうかは別 にして…だ。
 何十年も経って、僕は今さら自作がどのような意図で作られたのかを思い出した。そんなもの、撮影当時だってスッカリ忘れていたような気がする。自分の意図も忘れて撮っているんだから、そりゃロクな映画になっていない訳である(笑)。
 本作「風の向こうへ」のメイキングには、僕が本作に漂う「自主製作映画」的なムードと自分が作った8ミリ映画とを、脳裏で強烈に結びつけるに至った要素が含まれていた。このメイキング には、本作のフィルムが長年現像所に保管されていたことに始まり、それが今回編集され復元されて1本の完成作品として仕上がるまでが紹介されている。そこ には当然、本来完成に導くべきオーソン・ウェルズの意図を復元スタッフたちが探っていくという作業も含まれる。また、制作当時にはカネがかかりすぎるので実現できなかった、SFX撮影なども今回追加していった。そんなプロセスそのものが、ちょうど最近の自分の状況と二重写しになっていたのだ。
 実は僕は昨年半ば頃から、かつての自作8ミリ映画のデジタル化を進めていた。その際に音声の調整やダビングを行ったり、製作当時は出来なかったエフェク トを使ったりして、自作の「修復」を行っていた訳だ。そのためには、当時の自分が何を意図していたのか探る必要がある。さすがに自分が作ったものとはい え、すでに製作当時から30〜40年ぐらい経ってしまった今となっては、何を意図してどうしようとしていたのかを正確に覚えてなどいない。そんな自作デジ タル化の過程が、本作の修復作業とダブって見えたのだ。いわゆる「既視感」を感じたとでも言おうか。それで、ますます勝手に親近感を抱いたという訳なのだろう。
 さらに、僕自身が過去を発掘するノンフィクション本を作ることを仕事としていることもあり、本作にそのような興味と好奇心で惹かれた可能性はある。無名の人として生涯を終えた天才写真家を探るドキュメンタリー映画ヴィヴィアン・マイヤーを探して(2013)を見た時のような面白さを、そこに嗅ぎ取ったということはあるかもしれない。
 これはまったく個人的な事情なので、映画の感想としては余計な話を延々としてしまって申し訳ない。だが、これをここで話しておかないと、僕の感じた一種の「既視感」を理解してもらうのは難しい。そして、そのあたりを理解してもらわないと、本作に関する僕の感想としては不完全なモノとなってしまう。
 チャチな8ミリ映画を作っていた昔の僕とオーソン・ウェルズを同一視するなど不遜の極み(笑)だが、そう思いたくなるほど本作の手作り感には尋常ならざるものがあったのである。

実は先見性に溢れた野心作
 だが、自分が本作に惹かれた理由が分かったような気になった後も、僕はやはりスッキリしないものを感じていた。なぜこれほど本作を繰り返し見たくなるのか、まだよく分からなかったからだ。よくよく考えると、テメエの手作り素人映画に似た共感を覚えたからといったところで、これほど作品に惹かれるということはないだろう。それだけではとてもじゃないが、僕が本作に惹かれる「理由」について納得しきれない。
 本作はどこか「時代遅れ」なモノに見える。「ブキッチョ」で 雑な感じにも見える。「市民ケーン」のオーソン・ウェルズが生み出した遺作にしては、何となく稚拙な印象が残る。ならば、「期待倒れの作品だな」との評価 でオシマイではないか。あるいは歳月が流れたために「鮮度が落ちた作品だね」と言って済ませてしまえる映画だろう。ひょっとしたら、修復スタッフがウェル ズの意図を探り損ない、まずい編集を行ってしまったのかもしれない。
 なのに、僕はまた繰り返し見てしまっている
 これがベルナルド・ベルトルッチ「1900年」(1976)みたいな壮大なタペストリーみたいな作品ならば、その細部に至るまで味わいたくて何度も見返してしまうかもしれない。あるいはダイ・ハード(1988)のような巧みな脚本構成の映画だったら、その伏線の妙を確認したくて見直すということもあるだろう。ジョン・フォードの傑作西部劇駅馬車(1939)だったら、あのクライマックスの圧倒的な疾走感に浸りたくて何度も見てしまうということもあるだろう。だが、本作はそんな作品ではない。
 確かに全編数多くの登場人物が錯綜し、細かいエピソードと会話が展開する作品ではあるが、さほど複雑な構成にはなっていない。実は…おそらく映画を作る 側からすればいろいろデリケートな部分はあったかと思うが、少なくとも見る側にそんな細かな見方を強いるような作品にはなっていないのだ。しかも、映画そ のものの長さも122分と長からず短からず…なもの。物語的にもおよそ1日のお話で、大スケールな作品ではない。そして、見ていて圧倒的な疾走感や爽快感 を感じる映画でもない。
 しかも「時代遅れ」「ブキッチョ」な映画である。なぜ、これほど惹かれるのかが分からない。そもそも、本作こそ「市民ケーン」以上に「お勉強」させていただく的な映画鑑賞になりそうなものではないか。天才ウェルズの遺作を拝見させていただく…みたいな。
 だが、本作には「神棚」に乗せるようなモノを感じない。むろん最初はそういう先入観で見たことは事実だが、それではこれほど何度も見たいとは思うまい。
 そのうち、僕は何度目かの鑑賞で奇妙なことに気がついた。本作の冒頭で語られるブルックス・オターレイク(ピーター・ボグダノビッチ)のナレーションに、その手がかりは隠されていた。オターレイクはそこでこう語っている、「テ レビやドキュメンタリー製作者、そして学生、批評家、若い監督。彼らは16ミリと8ミリカメラを、招待されたジェイクの70才の誕生パーティーに持って来 た。(中略)この素材の選択は、あらゆるファインダーを通して見つめる、男の映像による肖像を描く試みである」(日本語字幕のママ)…。
 なるほど、本作はさまざまな素人記録映像のモザイクで構成している設定である。だから、本作の本筋にあたるドラマ部分の映像は、粒子も荒くカラーからモ ノクロへとカットごとに切り替わるのだ。そんなことは見てみりゃバカでも分かる。前述のドキュメンタリー作品「オーソン・ウェルズが遺したもの」でも、本 作はドキュメンタリーみたいな映画だとウェルズ本人が直々に語っている。僕自身も最初に本作を見ていた時からそのことは承知していたが、それが何を意味しているかについてはちゃんと分かっていなかった。
 つまり、その場で撮影されたさまざまな映像によって構成された映画…ということは、本作はいわゆる「ファウンド・フッテージ」ものと言われるジャンルの映画ではないか。ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999)やクローバーフィールド/HAKAISHA(2008)、最近ではその変奏曲としてイランのジャファル・パナヒが撮った人生タクシー(2015)や終始パソコン画面で展開するサーチ(2018)なども含まれる、あのジャンル。たまたま撮影された記録映像から構成したという体で製作した、映像が日常的に氾濫している現代ならではの極めて今風なジャンルである。
 実は本作は、このジャンルの先駆的作品だったのではないか
 そんなことを考えずに見ていたから気づかなかったのだが、そう見てみると全編がそういう約束事で作られている。パーティーのどんな場所、どんなタイミングにもカメラがあって、劇中では登場人物が観客にそれを意識させるべく「すべては撮影されている」的な発言を繰り返している。なるほど、確かにそうだ。本作は何と、記録映画クルーが人食い人種に接触する話を描いたイタリア映画「食人族」(1981)に先んじること11年(笑)、「ファウンド・フッテージ」映画の真の元祖として製作されていた作品なのである。いやはや、漠然と見ていて気づかなかったのだが、そう考えればオーソン・ウェルズ恐るべしである。
 考えてみれば、オーソン・ウェルズはまだ若き日の1935年、H・G・ウェルズ「宇宙戦争」のラジオドラマ化を完全なドキュメンタリー・スタイルで行ってセンセーションを巻き起こした男だ。ラジオを聞いた人々は実際に火星人の侵略が起こったかと思って、パニックが起きたほどのインパクトだった。おまけに映画での出世作「市民ケーン」でだって、冒頭で「疑似」ニュース映画をこしらえていたではないか。アンジェイ・ワイダ「大理石の男」(1977)で、
その語り口を「まんま」パクった「あれ」だ。ウェルズは、元々がフェイク・ドキュメンタリーならお手のものの人だった訳である。
 だから、映像は粒子が荒れて雑に見える。つなぎがモタついてチープにも見える。ライティングも乱暴だ。それはすべて、たまたまその場で撮影された素人映像、それらをつなぎ合わせて作られたもの…というスタイルを見せたいが故のものだからだ。決して現場がチープだったからではなかったのである。
 あるいは、逆にそういう映像スタイルに見せたかったからこそ、小規模プロダクションで製作したとも言える。決して「現場勘」が失せた訳でもブキッチョになった訳でもない。それはわざと作り出された効果だったのだ。すべては「作り物」でなく「リアル」に見せたかったからなのである。
 ただし、それが仇となったところもある。例えばスタジオ内の試写室での場面など、これを誰かが撮影していた…とするのは正直言って苦しい。よくよく見る と手持ちカメラがブレていて、どうやら物陰に隠れて撮影しているらしい演出はされているのだが、そのこと自体がちょっと無理な設定なのでピンと来ない。み んなが一斉にパーティー会場に移動しているはずなのに、酔狂な奴がわざわざスタジオに残って、しかも照明を落とした試写室で隠し撮りしているとは考えにく いのである。
 だからこの試写室の場面をはじめとして、ボケッと見ていると本作のあちらこちらに「その場のカメラがたまたま記録した」とは思えない場面が 出来てしまっている。みんながたまたま何でもかんでも「記録」していた…という設定には、さすがにいささか無理があるのだ。その結果、本作は「ファウン ド・フッテージ」ものとしての統一感に欠けることになってしまった。「ファウンド・フッテージ」ものは、すべてが映像として記録されているという環境を設 定できなければ、成立し得ないジャンルである。本作は、その形式を完璧に全うできてないように見えてしまうのである。
 また、当時重宝されていた映像メディアがほぼフィルムに限定されてしまう
当時はビデオ映像をフィルム上にそのまま使ってリアリティを出す手法が一般的ではなかった)ため、せいぜい35ミリ・フィルムの映像に対して16ミリの粒子の荒れた映像を使用し、カラーからモノクロへと変化したり手持ちでブレたりして「それ」風に見せるしか記録っぽく見せかける手法がなかった。 それ故に、ドラマとしての普通の「劇映画」との違いを明確に出すことができなかった(劇中劇である「風の向こうへ」のラッシュはワイドスクリーンで撮影されており、いわゆる「記録」部分のスタンダード・サイズとは一線が画されている)。だから、残念ながら「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」などのようにすべてが記 録映像で構成された風には見えにくい。それが、僕が本作を「ファウンド・フッテージ」ものと最初は気づかなかった所以である。
 仮に本作が現代に製作されていたならば、こうした問題は起きなかったはずだ。冒頭のオターレイクが語っていたように、イマドキは誰もがスマホで映像をバンバン撮れる時代なだけに、すべてが映像記録されていておかしくはない。むしろあり得る話である。だが、1970年代ではそうはいかない。本作ではその不自然さを払拭するため、パーティーにメディアや映画学校の生徒たちが多数招待され、その場に溢れんばかりにカメラが回っているということを終始強調している。だが、やはりこれはさすがに苦しいものがあるだろう。
 また、老巨匠監督と若手監督という主役二人を実際の映画監督であるジョン・ヒューストンとピーター・ボグダノヴィッチに演じさせたのも、そこに理由があったに違いない。最初は僕もフランソワ・トリュフォー「アメリカの夜」(1973) 的な、バック・ステージものの魅力を出すための映画人の起用かと思っていた。だが、本作の場合のヒューストン&ボグダノヴィッチ起用はもっと切実なものが あったはずだ。「ファウンド・フッテージ」ものとしてはどうしても不自然な部分が出てしまうので、それを補うべく「リアリティ」を増量するための本物の映画監督起用…と考えるのが自然だろう。リアルに見せるには「本物」を持ってくればいい…という発想である。
 実際のところは、ボグダノヴィッチの場合は製作上の諸事情から途中で役が変更になったりしたようのだが、その場合でも「映画研究家」から「映画研究家が高じて映画監督になった男」への変更であり、しかも主人公である老映画監督の「協力者」という役どころである。あくまでボグダノヴィッチ本人に限りなく近い位置づけなのである。
 だが、それがすべてうまくいったかというと微妙である。残念ながらジョン・ヒューストンはあまりに巧みな「役者」過ぎ、そもそも演技者としての映画出演 も多かったので「リアリティ」の補完には必ずしもプラスにならなかった。本来「ファウンド・フッテージ」ものの基本は、出演者を役者然としたスターではな く無名俳優で固めることが多い。だが、自作「天地創造」(1966)のノア役から「風とライオン」(1975)の国防長官ジョン・ヘイ役に至るまで味わい深い演技を見せてきたジョン・ヒューストンは、すでに立派に「スター」だった。何しろイタリアで、「テンタクルズ」(1977)なんてタコ怪獣を描いたクズ映画にも「役者」として出ちゃう人なのだ。だから、立派に「芝居」に見えちゃうのだ。これはちょっとウェルズの誤算だったかもしれない。
 だが、残念な点はいくつかあるものの、本作が時代より遥かに先をいっていたことは間違いない。映像が巷に氾濫し、誰もがすぐに動画を撮ろうとする今なら、本作の製作はもっと理解を得やすかっただろう。逆に、本作をここまで「寝かせた」からこそ、今日公開されてタイムリーな作品となったのかもしれない。
 40年以上経って、ようやく時代が本作に追いついたのだ。

時代の要求によって生まれた「自己解体」
 しかし、そうなるとひとつ腑に落ちないことがある。本作の「稚拙」な印象は説明がつくが、「時代遅れ」なイメージは理由が分からない。これだけ先進性があった作品なのに、なぜこうした「色褪せ」感が出てしまったのか。さすがにウェルズも、そうした「古さ」からは逃れられなかったのか。
 その「色褪せ」感は、主に劇中劇「風の向こうへ」の場面描写で多く見られる。
 ここからは憶測になってしまうが、異論反論を恐れず話を進めていくと…製作当時の1970年代初めに、僕が「古さ」を感じた劇中劇「風の向こうへ」の場面は果たしてどう見えたのだろうかというところに辿り着く。
 実は僕はこの劇中劇の場面を見ていて、ある別の映画のイメージを脳裏に浮かべていた。「イメージ」と言った理由は、僕はその映画をちゃんと見ていないからだ。たぶんテレビなどで断片的に見ただけで、本編を全部見たわけではない。その映画は、ミケランジェロ・アントニオーニ「砂丘」(1970)という作品である。
 全編とちゃんと見ていない僕が紹介するのもどうかと思うが…この映画はアントニオーニ初のアメリカ映画だったらしい。非常に雑に内容を紹介するならば、 ヒッピーやら学生運動が出て来て、若い主人公たちが荒野で全裸でセックスしたりする。ラストはさまざまなモノが爆破されていく…というエンディングであ る。ここで挙げた要素を見ていただければお分かりの通り、1960年代末〜1970年代初めのアイコンの「詰め合わせセット」みたいな映画である。そして、そこにちりばめられたアイコンは、本作劇中劇「風の向こうへ」に出てくる要素ともかなりの割合で符合する。
 これは、あながち僕の強引な連想とばかりも思えない。実は本作「風の向こうへ」のロケ地は、この「砂丘」の終盤を撮影した場所だったようなのだ。これは果たして単なる偶然なのだろうか。あるいは、やはり劇中劇は「砂丘」をイメージしたものだったと考えるべきなのだろうか。
 そして「砂丘」を見る限りでは、これらの要素は当時には「先端」だった可能性が高い。確かにそれは一般的に「先端」と見なされていただろう。ヒッピー、学生運動、フリーセックスは当時の流行りだった。確かに「一般的」にはそうだ。
 だが、自らもエッジが立った表現者だったウェルズにとっても、それは同様に「先端」で…カッチョいい(笑)ものだったのだろうか。
 「砂丘」を撮ったアントニオーニは前作欲望(1966)でも若者文化が花開くホットな1960年代ロンドンを描いて、大いに「先端」ぶりを発揮していた。僕もこの作品は大いに気に入っているのだが、その劇中でロックバンドが出てくる場面だけは、ちょっとした違和感を覚えた記憶がある。
 それはジェフ・ベックジミー・ペイジを擁していた頃のヤードバーズの 演奏場面だが、これが何となくイマイチなのだ。途中でアンプの具合が悪くなったため、キレたジェフ・ベックがギターをブチ壊す。すると、それまで身じろぎ もせず黙って演奏を聞いていた聴衆がいきなり熱狂して大騒ぎ…という場面である。そもそもジェフ・ベックがギター破壊というのが何となく「らしくない」の で不思議だったのだが、元々はザ・フーの起用を予定していて、蹴られたためにヤードバーズになったと聞く。つまりは、そんな程度の発想なのだ。果たしてアントニオーニって当時の先端文化…少なくともロック・ミュージックに理解があったと言えるのだろうか
 「欲望」は1960年代のロンドン先端文化を描いているようで、よくよく見るとそうした若者文化をどこか苦々しく見ている気配がする。少なくとも、好意 的に描いているとは思えない。その延長線上にあると思われる「砂丘」についても、おそらくはヒッピーやら若者文化を肯定的に見てはいないのではないか。実 物をちゃんと見ていないので断じることは出来ないが、「欲望」の内容から見て、どうしてもそうとしか思えない。少なくとも空疎なモノとして捉えていたように思う。
 しかも、「欲望」におけるヤードバーズの描き方からして、アントニオーニは批判している若者文化についてちゃんと理解できていたかどうか怪しいのだ。おそらく理解出来ていないし、理解したいとも思っていなかったのではないか。
 どうしてもアントニオーニの当時の「イマドキ文化」観には、上から目線の批判的な描き方とともに、文句を言いつつもこういう描写を描いて「分かっている」素振りを見せたいという欲求を感じてしまう。自分も結構いいトシこいてきたから分かるのだが(笑)、表現者としては
「先端」を行く表現を描かずにはいられない…という、いささかの「年寄りの冷や水」感を隠しきれないのだ。
 だとすると、その「砂丘」もどきの本作の劇中劇についても、同様のことが言えるのではないか。それを裏付けるかのように、本作のドラマの中で意味深いセ リフが出て来る。試写室で映画「風の向こうへ」のラッシュを見せられたスタジオの代表マックスは、思わずこう口走ってしまう。「年寄りが(若者を)理解しようとしている、そんな映画なのか?」
 さらに移動中のバスに乗った老監督ハナフォードのクルーたちも、同様のことをつぶやいている。「あのトシでイマドキのガキの何を知っているというんだ?」
 そもそも老監督ハナフォードは、ご執心だった若い主役ジョン・デールに逃げられている。ジョン・デールの…つまりは若者の心を掌握できていない。あれをしてやった、こうして助けてやった…と言いたげだが、肝心の若者本人がそれを望んでいたとは思えない描き方なのだ。それまでの映画では作品とそこに関わる人々の偉大な支配者として君臨し、すべてをコントロールしていたらしいハナフォードだが、今回の映画に限っては映画製作そのものも主役の掌握についてもうまくいっていない
 だとすると、「砂丘」もどき…と僕が思った劇中劇映画「風の向こうへ」の内容とは、むしろ当時における「イマドキ」要素の「典型」を並べたものと考えられなくはないか。
 それが僕に「古い」と思えたのは、当時の「先端」の「典型」を故意にわざとらしく並べたからだ。そして、いささかの冷ややかな視点で描いた。つまり、実は「わざと陳腐に見せていた」ということではないだろうか。老監督ハナフォードの「分かってなさ」の象徴として。
 それでも若者や若者文化と対峙しなくてはならない…と感じているのは、時代に敏感であるべき「表現者」としての誠実さであろうし、あるいは「先端」でありたいと考える見栄かもしれない。でも、結局は分かっちゃいないかもしれないのだ。
 ある意味でこれはアントニオーニに対する意地悪な視点(あくまでこの劇中劇が「砂丘」のパロディ的なものと考えれば…の話だが)とも言えるだろうが、ほ ぼ同年代(ウェルズは1915年生まれ、アントニオーニは1912年生まれ)の「同業者」として、ウェルズはアントニオーニの気持ちがイタいほど分かった のではないだろうか。そして、それは自分の中にもある…と。
 ウェルズはそんなテメエの老いた「カッチョ悪さ」も含めて、老巨匠ハナフォードに託して描こうとしたのではないだろうか。
 こう考えてみると、実は古びていたり稚拙で雑に見えていた本作の要素は、むしろ本作の巧みさや先見性の現れのように思えてくる。「市民ケーン」を作れた男が、あえて挑んだ「へたうま」映画のようなものを感じさせるのだ。では、なぜオーソン・ウェルズはそんな映画を作ろうとして、しかもさまざまな困難に直面していたにも関わらずその製作に執着したのか?
 ここからは憶測の域を出ないのだが、それはやはり時代の産物だったと言えるかもしれない。僕はミシェル・アザナヴィシウスグッバイ・ゴダール!(2017)感想文にも書いたが、1960年代後半には文化や価値観の大変動があった。実はオーソン・ウェルズもそれと無縁ではいられなかったのかもしれないのだ。
 「グッバイ・ゴダール!」では1960年代末のジャン=リュック・ゴダールが 陥った、創作上の混乱が描かれている。学生運動など変革の嵐が吹き荒れる当時のパリで、「変革者」の最先端を自負するゴダールだが、ある日、若者たちから 意外な突き上げをくらうことになる。変革者であったはずのゴダールは、この変化の激しい時代にあってはすでに打ち倒されるべき「権威」へと成り下がって いた。それに気づいたゴダールは、敏感な表現者であるが故にその変化についていこうとした。つまり「権威」の破壊である。自滅的なカタチで、自らの映画づくりそのものを解体しようと試みるのだ。
 「グッバイ・ゴダール!」という映画そのものは感心しなかったものの、そこで描かれていたゴダールの姿は、いろいろと示唆に富んだものだった。その作品の感想文にも書いたが、おそらくそうした変革のうねりは、当時の表現者のほとんどに何らかの影響を与えたように思える。ビートルズが「サージェント・ペパーズ」で頂点を極めた後、激しく対立して分解してしまうのもそうだろう。いや、若いクリエイターばかりではない。すでに巨匠であった黒澤明が「トラ・トラ・トラ!」製作で狂乱したかのような振る舞いを見せたのも、おそらくそうした「自己解体」衝動があったからではないか…と僕は思う。
 ならば、同様のことはオーソン・ウェルズの身にも起きたはずだ。
 完成まで40年…という歳月を勘定に入れないまでも、これほどダラダラな製作状況にならなければ、1970年代前半に本作は出来上がっていたかもしれない。撮影開始は1970年夏だという。前述したゴダールやビートルズの迷走は1960年代後半から始まっていただろうが、その余波やうねりは1970年前後にまだ欧米には残っていたはずだ。ハリウッド映画「解体」の結果である「俺たちに明日はない」(1967)、「イージー・ライダー」(1969)、「明日に向って撃て!」(1969)、「ファイブ・イージー・ピーセス」(1970)、「バニシング・ポイント」(1971)…などのアメリカン・ニューシネマは、いずれもこの時期と前後している。ついでに言えば、アントニオーニの「砂丘」も1970年の作品だ。時期的には完全にかぶるのである。
 ウェルズの場合はすでに前々から不遇な立場に追い込まれていたので、これ以上自滅的な方向には進みようがなかったのかもしれない。だが、それでも彼なりに「自己解体」を試みた可能性がある。それが本作「風の向こうへ」だ。
 映画史に燦然と輝く名作「市民ケーン」を作った男が、「へたうま」感溢れる本作を作ったこと自体がそれだろう。あえてラフなスタイルで、前人未到の「ファウンド・フッテージ」ものの先駆的作品を作ったことが、その証である。
 すべてを「記録」と偽る「ファウンド・フッテージ」ものは、そのインチキ臭い素性からして少なくとも映画づくりの王道ではない。 本来は「巨匠」のやることではない。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」以降、数限りなく発表された「ファウンド・フッテージ」ものだが、ほとんど名のあ る映画人によって作られてはいない。スピルバーグもスコセッシもクリストファー・ノーランも、フランソワ・オゾンやギレルモ・デル・トロだってやらない。知られた映画人によるものとしては、M・ナイト・シャマランヴィジット(2015)か イランのジャファル・パナヒによる「人生タクシー」ぐらいのものである。それだって、シャマランの場合は下り坂になったキャリアを立て直すための「起死回生」を狙ったバクチ。パナヒはパナヒで、止むにやまれぬ事情(イラン政府による映画製作の禁止)から そのジャンルが選択されている。自宅軟禁状態になったパナヒによって、デジタルビデオやiPhoneで撮った「これは映画ではない」(2011)に続く作品として撮られたものだ。それ以外の大概の「ファウンド・フッテージ」ものは、野心的な無名監督や若手監督によって、主に低予算ホラーの手法として使われているジャンルだ。
 それは、このジャンルが映画の「邪道」だと、誰もがどこかで感じているからなのだろう。ジャファル・パナヒじゃないが、「これは映画ではない」のである。手がけている連中ですら、「邪道」と知りつつあくまで「一発逆転」や「起死回生」の手段として開き直って選択しているジャンルである。まぁ、マトモなジャンルではない。
 それを大家であるオーソン・ウェルズその人が、しかも「先駆者」として製作した。そのこと自体が「自己解体」でなくて何であろうか
 しかも、老巨匠が若者(文化)と対峙して見事に自滅する…というお話自体が「自己解体」ではないか。
 映画という芸術形式は、絵画や音楽など他の形式と比べれば断然まだ「若い」ものである。そのためか、映画自体が「若い」メディアという印象が強い。実際の年齢とは関係なく、映画を作る者は精神の「若さ」が要求される。発想の斬新さ、フレッシュさが問われる。もちろん例外はあるが、基本的に映画にとっての美徳とは「若さ」ではないかと思われる。
 ならば、映画人が「若さ」を否定されるというのはアイデンティティーの崩壊にも等しいのではないか。
 それは老巨匠ハナフォードのみならず、オーソン・ウェルズにとっても同じだろう。そして、長らく映画を作れず「現場勘」の錆び付きを 意識せざるを得なかったであろうウェルズにとっては、それは切実なものだったはずだ。それでなくても、すでに「市民ケーン」で神話となっていたウェルズは 倒されるべき「権威」であり、しかも当時すでにウェルズは十分に「老いて」いた。表現者としての敏感なアンテナを備えていたはずのウェルズとしては、こう した当時の時代の要求は極めてナーバスにならざるを得ない問題だったはずだ。
 ましてウェルズはその高名にも関わらず、作品発表などの実質は伴っていなかった。本作当時はほとんど「張り子の虎」と化していた。その空疎さは自分が誰よりも痛感していただろう。
 本作は、そんなウェルズにとっての「自己解体」ではなかったか。
 映像スタイルやテーマもそうだが、何より本作の製作そのものがそうだったような気がする。もちろん資金調達その他の困難から製作が難航したのだろうとは思うが、何となく僕はウェルズが本作を自ら破滅的状況に導き、完成をズルズル遅らせていたよ うな気がする。というか、ドキュメンタリー映画「オーソン・ウェルズが遺したもの」でも語られていたが、彼はいつまでも本作を「製作」し続けたかったのか もしれない。そうでなければ、ここまで製作がモタつくことはなかったのではないか。すべてはウェルズの「自滅行為」だったのではないか…という気さえして くるのである。
 まさに内容から手法に至るまで、映画作りそのものも「解体」。描きたいテーマが表現や手段そのものとなってしまったのが、この作品ではないかと思うのだ。

「撮って、死なせる」…映画の「魔」を感じさせる刺激的な作品
 そんな本作は大騒ぎと混乱の一夜の果てに、「祭りの後」のようなひっそりとした場面で幕を閉じる。
 ハナフォード監督の劇中劇「風の向こうへ」ラッシュを上映したドライブイン・シアターが、夜が明けてがらんと人けがなくなった様子を見せて、本作は終わ るのである。この場面を見て、僕はまったく別の映画をまたしても連想した。それは、本作で重要な役割を果たしているピーター・ボグダノヴィッチの監督デ ビュー作「殺人者はライフルを持っている!」(1968)。そのラストシーンは、本作エンディングと同じようにがらんとした白昼のドライブイン・シアターだ。
 この作品、前述したように「風の向こうへ」にも参加しているフランク・マーシャルが監督アシスタントを勤めているのも注目すべき点だ。「風の向こうへ」 とこの「殺人者は〜」は、密接なつながりがあったと考えるのが自然だろう。ウェルズは「殺人者は〜」に影響されて「風の向こうへ」のエンディングを決めた か、あるいは、「殺人者は〜」自体にもウェルズが一枚かんでいたのか。
 実際のところボグダノヴィッチとウェルズの関係は、ウェルズの理解者・協力者としてのボグダノヴィッチという間柄でありながら、結構ヒリついたものでもあったようだ。ボグダノヴィッチがウェルズにインタビューするかたちで実現した「オーソン・ウェルズ/その半生を語る」という本があるが、それも制作中にウェルズが態度を硬化させて一度は頓挫。結局、出版に漕ぎ着けられたのはウェルズが亡くなったから…というシロモノらしい。
 このエピソードは、そっくりそのまま「風の向こうへ」の老監督ハナフォードと若手監督オターレイクとの関係そのものではないか。また、劇中にはオターレイクがハナフォードの猿真似である…的な揶揄を受けているらしい描写もある。一生懸命ウェルズを援護していたのに、こんな役をやらされたボグダノヴィッチの胸中たるや一体いかなるものだっただろうか…。また、これをやらせるウェルズもウェルズである。オターレイク=ボグダノヴィッチが主人公の「若き同業者」という設定も、前述した「若さ」に対する屈折した思いを投影したものかもしれない。オーソン・ウェルズ本人はこの映画のハナフォードは自分のことではない…とコメントしていたようで、それは半分は真実かもしれないが…あとの半分はおそらくウソだろう
 その他にも本作「風の向こうへ」には、興味深い要素がいくつもある。
 例えば、劇中劇の中で若手俳優ジョン・デールと全裸の女優が無人の街へ迷い込むような場面が出てくる。それは、実は映画撮影所のオープンセットなのだ が、そこに出てくる駅のホームに停車した列車のセットを見て、僕はアッと驚いた。錆び付いて朽ち果てたその列車のセットに、僕は見覚えがあったのである。 それはフレッド・アステア主演のミュージカル映画「バンド・ワゴン」(1953)で使われたセットなのだ。
 実際に僕が見たのは「バンド・ワゴン」そのものではなく、MGMが自社のミュージカル作品の集大成として作ったアンソロジー作品「ザッツ・エンタテインメント」(1974)。その作品の中で、「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアが「バイ・マイセルフ」という歌をうたう場面が出てくる。しかも「ザッツ・エンタテインメント」の中ではただ「バンド・ワゴン」のその場面を再録するだけでなく、廃墟と化した同じ列車のセットの前で老いたアステアに「バイ・マイセルフ」をうたわせる…というショットもモンタージュした。その朽ち果てた列車のセットこそ、本作に出てくるセットなのである。いやぁ、これは本当に驚いた。
 また、その後に続く場面も興味深い。枠だけや骨組みだけになったセットが不思議な影を落としている空間で、例のジョン・デールと全裸の女優が隠れんぼの ようなやりとりをする。ジョン・デールが女の後を追うと、女は物陰に隠れて出たり入ったり…。その場面のイメージは、どことなくウェルズ自身の作品「上海から来た女」(1947)での名場面…後に「燃えよドラゴン」(1973)のクライマックス場面でも引用された「鏡の間」の場面を彷彿とさせるのである。これはおそらく意識してやっているのではないか。
 考えてみれば、「風の向こうへ」は映画界の内幕を描くバックステージものでもある。何しろ劇中にはポール・マザースキーやらデニス・ホッパーやらクロード・シャブロールやらがパーティーの客として出て来るし、中にはまだ駆け出し時代のキャメロン・クロウもいるらしい。また、明らかにかつてのパラマウントの製作責任者だったロバート・エバンスらしきスタジオ代表マックス・デイビッド(そのせいか、冒頭で一行が出発する撮影所はよく見るとパラマウント撮影所である)や、有名な映画評論家ポーリン・ケイルらしきジュリエット・リッチ…など、「いかにも」な映画人が出て来たりもする。だから、そういう「内輪ウケ」的な場面が出てくるのも当たり前といえば当たり前だろう。これらはオーソン・ウェルズ流の茶目っ気と考えるべきかもしれない。
 先にも述べた通り、本作は夜が明けて誰もいなくなったドライブイン・シアターで幕を閉じる。エンディングを飾るのは、主人公である老巨匠ハナフォードによるナレーションだ。そこで語られるのは、まさに映画の「魔」とでも言うべき言葉である。いわく、「あまり見つめすぎると、その美徳や生気を奪い去ってしまうのかもしれない。撮って、死なせる」…。
 それは、映画に取り憑かれた者の「業」とでもいうべきものだ。
 本作の主人公である映画監督ハナフォードだけではない。作者たるオーソン・ウェルズも、そして出演しているジョン・ヒューストン、ピーター・ボグダノ ヴィッチも、映画製作の過程において関わった人々に多大な犠牲を払わせているはずだ。映画製作中のウェルズの傲慢不遜ぶりは、かの代表作でのエピソードを映画にしたザ・ディレクター/[市民ケーン]の真実(1999)を見ても何となく伺える。ヒューストンについては「アフリカの女王」(1951)製作時の彼を模したクリント・イーストウッド監督・主演の「ホワイトハンター・ブラックハート」(1990)を見れば、その無茶っぷりが想像できる。ボグダノヴィッチも「ラスト・ショー」(1971)
で出会った若いシビル・シェパードにうつつを抜かし、映画現場で裏方として彼を支えて来た糟糠の妻ポリー・プラットを捨てた(実際にはボグダノヴィッチの映画作りはプラットのサポートに負う部分が大きかったようで、離婚後に彼のキャリアが一気に下り坂になるあたりにより「業」の深さを感じさせる)。蛇足として言えば、ちゃっちい素人8ミリ映画をチマチマ作っていた僕でさえ、ここだけの話、そ こに巻き込んだ人々にかなりの犠牲を強いていたのだ。
 そして、そんなオーソン・ウェルズ自身はまた、映画によって十分すぎるほどの犠牲を自ら払い続けていた。それは、ウェルズの生涯を見ていけば容易に分かることだ。他人のみならず、自分も生け贄に捧げていたとも言えるのだ。かくのごとく、映画づくりとは実に「業」の深い行為なのである。
 だから、あるいはこうも言える。誕生パーティーの晩に無数のカメラによって凝視され尽くされたハナフォードは、それゆえ激しく疲弊し、生気を奪い去られて死へと駆り立てられたとも考えられるのだ。
 文字通り、「撮って、死なせる」
 それは映画づくりで多くの人々に犠牲を強いてきたハナフォードが受けた、一種の報いだ。映画で人を苦しめた男が、映画で滅びる。いわば、映画の「復讐」なのである。
 本作にはそんな映画の「魔」が、全編にベットリとこびりついている。それが、本作が映画を愛する者を惹き付けてやまない理由だろう。だから、他にもまだまだ本作については語りたいことがある。饒舌に過ぎるとは思うが、本作についてはどうしても語りたくなってしまう。
 初めに断っておくが、以下は妄想である。この映画を見た後で思い当たったことだ。僕はこの死のイメージがべっとりこびりついたエンディングを見た後で、ある作品のことを思い出した。それは、本作の主人公である映画監督ハナフォードの役を演じた、ジョン・ヒューストンの遺作のことである。
 その作品は、ジェームズ・ジョイスの短編小説を映画化したザ・デッド(1987)だ。
 主演が娘のアンジェリカ、脚本が息子のトニーというヒューストン・ファミリーによる作品というあたりも、彼の最後を飾る作品ということを大いに意識していたことは間違いない。そして、ジョン・ヒューストンがキャリアの最後をこの作品で締めくくったというのは、彼がかねてから愛していたアイルランドにちなんだ作品ということも大きいだろう。
 その「ザ・デッド」の上映時間の大半は、クリスマス・パーティーの場面である。まるでイングマル・ベルイマン「ファニーとアレクサンデル」(1982)第1章を連想させる、厚ぼったいパーティー描写が圧巻だ。すでに酸素吸入器を装着し、車椅子に乗っての演出だったジョン・ヒューストンだったが、そんなハンデをまったく感じさせないボリューム感溢れる演出ぶりである。そして映画のそこかしこに漂う「死」のイメージ…。
 もちろんヒューストンは、この時点で間違いなく自らの最後を意識していただろう。さらにこの前作にあたる「火山のもとで」(1984)も懸案の作品であり、彼が愛したメキシコを舞台に「死」のイメージに彩られた作品であった。だから「ザ・デッド」もその延長線上にあったと言える。
 だが、前々から映画化を目論んでいたジェームズ・ジョイスの短編小説を題材に借りたとはいえ、「ザ・デッド」は終盤以外のドラマの大半をパーティー場面に充てており、その内容には「死」のイメージが色濃く表現されていた。つまり、ある意味で「風の向こうへ」と共通する構造を持つ作品として作られていたのだ。
 もちろん、「ザ・デッド」はあくまでジョイス小説の映画化作品であり、舞台も20世紀初頭のアイルランドはダブリンである。そして映画スタイルとして は、「ファウンド・フッテージ」ものなど選択していないオーソドックスなものだ。描かれている世界も内容も「風の向こうへ」とは大きく異なる。だが、パーティーの喧噪の果てに「死」が浮かび上がってくる…という設定に、どこか共通するものが感じられるのだ。ついでに言えば、どちらもエンディングは主人公の静かなナレーションである。
 ヒューストンが主演者として起用されながら、結局は彼の生前には完成しなかった「風の向こうへ」。オーソン・ウェルズが亡くなったのは、1985年である。ウェルズの死とその時点では未完だった「風の向こうへ」は、ジョン・ヒューストンに「ザ・デッド」を製作させる動機のひとつになっていたのではないか。彼なりにウェルズに対する惜別の思いを表現した作品ではなかったか。ヒューストン自身も、「ザ・デッド」公開前の1987年8月に亡くなっているのである。
 ちなみに、妄想ついでにもうひとつ。実は今回この文章を書くにあたってオーソン・ウェルズについて調べていて、アッと驚く事実に突き当たった。何とオーソン・ウェルズは、音楽映画やビデオの監督として知られるマイケル・リンゼイ=ホッグの「父親」だという話があるらしいのだ。
 マイケル・リンゼイ=ホッグの名で僕の脳裏に真っ先に浮かぶのが、末期のビートルズを記録したドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」(1970)の監督である。あの見ていて肌がピリピリしてきそうな冷ややかな緊張感は、ビートルズを好きな者として見ていてつらい。そんな、ビートルズ解散の元凶とでもいえそうな作品を監督していたのが、このマイケル・リンゼイ=ホッグなのだ。
 まぁ、この男の「父親」がウェルズであるというのは、母親の死後に彼がそのように聞かされた…ということのようで、真偽のほどは定かではない。だが、マイケル・リンゼイ=ホッグは生前のウェルズと仕事で関わる機会が多かったようで、それなりに親しい関係だったようではある。それを知った僕は、あることにハタと思い当たった。
 「レット・イット・ビー」の撮影は、元々はライブ感溢れるビートルズをカメラで追いかけるという発想で始まったらしい。いわば、「MTVアンプラグド」の元祖。映画スタジオに集められたビートルズの面々は、何台ものカメラがひっきりなしに回る中でリハーサルや演奏をさせられる羽目になったようだ。映画自体はマイケル・リンゼイ=ホッグの発案というよりポール・マッカートニーの企画だったようだが、四六時中、何日にもわたって何台ものカメラの凝視の中で演奏をさせられたビートルズの面々は、それによって過度の緊張を強いられることになった。結果、すでにグダグダ感が出ていたビートルズの人間関係に、修復不可能なまでのダメージを与えたのが「レット・イット・ビー」の撮影だったと聞く。
 実は、これって「風の向こうへ」の発想のヒントになったのではないか?
 ドキュメンタリー映画だから、カメラはひっきりなしに回っている。バンドの演奏やレコーディングを逐一記録しておきたいから、何台ものカメラがメンバー に張り付いて撮影を続ける。しかも、映画スタジオ内という閉ざされた空間の中で、カメラに凝視されての長時間にわたるノンストップの撮影だ。それは被写体 となるメンバーに、かなりの重圧を与えることにもなっただろう。常にカメラの視線にさらされるという状況は、ビートルズのメンバーを相当に疲弊させたに違 いない。故に、その人間関係は破綻へと追い込まれた。最終的にはビートルズ解散にまで至るシビアな撮影の影響を、その場に居合わせたマイケル・リンゼイ= ホッグは強烈に感じ取ったのではないか。
 まさしく、「撮って、死なせる」
 そんな極めて特殊な体験を、マイケル・リンゼイ=ホッグは親しくしていたウェルズに語ったのではないだろうか。
 常に何台ものカメラに、一挙手一投足を見つめられどおしの状況。そんな状況は、そうそう普通にあるものではない。まだスマホもデジカメもなかった1970年前後の段階では、極めて異常な状況である。それが、たまたま新作のヒントを探していたウェルズに、何らかのインスピレーションを与えてしまったとはいえないだろうか。まして、それをウェルズに教えてくれたのは、ひょっとしたら「息子」かもしれない「若き同業者」である。
 たまたま「ファウンド・フッテージ」映画の元祖となってしまった「風の向こうへ」。実はその卓抜した発想の原点は、ビートルズの「レット・イット・ビー」撮影にあったとすればどうだろう。それまでに例を見ない発想が出て来たのも道理だ… と思えて来ないだろうか。発想の原点はすでにウェルズの中にあったかもしれないが(事実、1960年代半ばには構想が練られていたようだ)、それを「補強」し 「後押し」する起爆剤的な要素はあったかもしれない。そうでもなければ当時は思いつきそうにない、
あらゆる角度から四六時中カメラの凝視を受ける」という極めて特異な状況を扱った映画なのである。
 あるいは、実はその逆だったのかもしれないとも考えられる。「父」ウェルズの「風の向こうへ」構想を、
リンゼイ=ホッグがビートルズのドキュメンタリー映画撮影に当てはめていたとしたらどうだ。そういう状況をこしらえて、ビートルズがどうなってしまうかを冷徹に観察しようとしていたとは言えないか。今となっては明かすことなど到底できないだろうが、そうだとすればマイケル・リンゼイ=ホッグの映画作家としてのデモーニッシュな意図が感じられるではないか。所詮、映画人などもれなく「鬼畜」なのだ。
 ちなみに、「レット・イット・ビー」の撮影は1969年初めに行われている。どちらにせよ、時期的に大いにあり得るのである。
 以上、僕が書いてきたのはまったくの妄想である。それは100パーセント自覚しているので、自論が正しいなどと毛頭言うつもりはない。むしろ、まったく根拠のない話だと思う。これらはくだらない戯言である。
 だが、そんな戯言を言いたくなるような、「映画的」な連想がいくつも湧いてきてしまう。それが本作「風の向こうへ」だ。
 見る者のイマジネーションをかくも刺激する本作は、それだけでも豊かな作品とはいえまいか。あんなに警戒していたネットフリックスだが、本作を発掘してくれたことに僕は感謝の気持ちしか抱けない。お試し期間が終わったら迷わず速攻解約するだろうが(笑)。

 


The Other Side of the Wind
(2018年・フランス、イラン、アメリカ)
ロイヤル・ロード・エンターテインメント 制作
監督:オーソン・ウェルズ
製作:フランク・マーシャル、フィリップ・ジャン・リムザ
製作総指揮:ピーター・ボグダノビッチ、カーラ・ローゼン=ヴェイチャー、オルガ・ケイガン、ジョン・アンダーソン、ベアトリス・ウェルズ、ジェンズ・コースナー・カウル
脚本:オーソン・ウェルズ、オヤ・コダール
出演:ジョン・ヒューストン(映画監督ジェイク・ハナフォード)、ピーター・ボグダノヴィッチ(映画監督兼映画研究家ブルックス・オターレイク)、オヤ・ コダール(小麦色の肌の主演女優)、スーザン・ストラスバーグ(映画評論家ジュリエット・リッチ)、ノーマン・フォスター(雑用係のビリー・ボイル)、ボ ブ・ランダム(主演男優ジョン・デール)、リリ・パルマー(ザラ・ヴァレスカ)、エドモンド・オブライエン(プロダクション・マネジャーのパット・ミリン ズ)、マーセデス・マッケンブリッジ(編集者マギー)、キャメロン・ミッチェル(メイク担当ジマー)、ポール・スチュワート(ハナフォードの個人秘書マッ ト・コステロ)、グレゴリー・シエラ(映画監督ジャック・サイモン)、トニオ・セルワート(男爵)、ジェフリー・ランド(スタジオ代表マックス・デイビッ ド)、ダン・トービン(バローズ教授)、ジョゼフ・マクブライド(フィルム・インスティテュートから来た男ピスター)

2019年1月3日・Netflixにて鑑賞

 


 

 

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