「ウエストワールド」

  Westworld

 (2003/11/24)


絢爛豪華な「老舗」の風格、映画の名門MGM

 みなさんはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー…MGMという映画会社の名前を聞いた時、一体何を思い出すだろう?

 「風と共に去りぬ」?…実はあれは元々はMGM映画ではない。制作者デビッド・O・セルズニックの会社、セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズの作品だ。MGM専属俳優だったクラーク・ゲイブルを貸し出した関係上、MGMが配給して公開した。その後セルズニックの会社がつぶれちゃったために名実共にMGM映画となったものの、元来はMGM映画ではないんだね。でもとにかく何度もリバイバルされているし、何と言っても豪華な作品の構えがMGMっぽい感じがするから、今ではMGM映画のイメージアップに一役買っているのだろう。

 そう。MGMって何となく豪華な映画のイメージがある。オープニングのライオンが吠えるロゴ・マークのせいか、まるで百貨店の三越みたいに「老舗」って感じがあるからね。

 そして「風と共に去りぬ」こそ生粋MGM作品ではないものの、MGM映画と言えば「老舗」「豪華」というイメージに恥じない名作群がある。

 次にMGM映画とくれば頭に浮かぶのは「ベン・ハー」だろうか。これこそハリウッドのスペクタクル史劇の最高峰だろう。オスカーを11部門も獲得し、ちゃんとスペクタクル史劇のお約束チャールトン・ヘストンも主演している(笑)。この映画を見た事はなくても、名前ぐらいは知っているよね。

 それからMGMと来ればミュージカルだろう。ジーン・ケリーやフレッド・アステアが大活躍したさまざまなミュージカル。そのオリジナルは見ていなくても、三作もシリーズ化された「ザッツ・エンタテインメント」で断片くらいは見ているかもしれない。あるいはディズニー・アニメ「美女と野獣」やケネス・ブラナーの「恋の骨折り損」で、いかにもMGM風と評されたミュージカル・シーンを目撃したはずだ。そこで「シカゴ」だとか「ムーラン・ルージュ」とは違った、豪華で気品のあるミュージカルの雰囲気ぐらいは嗅ぎ取ったかもしれない。確かにあれはMGMという会社の社風だろう。

 そしてMGMは、巨匠の「これは」という作品をかなりつくって来ているのだ。例えばヒッチコックがただ一作MGMで制作した映画が、あの「北北西に進路を取れ」。スタンリー・キューブリックは泣く子も黙る「2001年宇宙の旅」をMGMでつくっている。デビッド・リーンは代表作「アラビアのロレンス」こそコロンビアでつくったが、後年の大作2本「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」がMGMだ。

 もちろんここに挙がられなかった大作、話題作、名作、ヒット作は数知れずだ。映画好きだけに絞らず一般の人まで含めて、ハリウッドのメジャー映画会社と聞いた時に筆頭に挙がる名前って、実はこのMGMかもしれないんだよね。

 ただこのMGMという会社、実はその黄金時代はかなり昔の事になる。近年はすっかり元気がなくなった。相当の映画好きでも、近年のMGMのヒット作と言われてスッと名前は出てこないだろう。実はMGMの大作…と言うに相応しい作品も、上記のデビッド・リーンの「ライアンの娘」が最後くらいかもしれない。

 それでもMGMは一時期の危機を脱して盛り返して来たと言える。やはり経営が怪しくなったユナイテッド・アーティスツを吸収して、MGM/UAとなったりしてるしね。過去の資産も豊富だから、おそらくビデオやDVDが盛んになった昨今では、それらの資産だけで食えるのかもしれない。

 だけど一時期は、ホントにMGMも危なかったんだよね。ハリウッドきっての名門、豪華な雰囲気で売り、王者ライオンを象徴に置いたこの映画会社が、マジでヤバかった時期が確かにあった。そんな時期に、ジリ貧MGMで珍しく突然変異的にヒットした映画があった。そして、それってそんな時期でなければ名門MGMで製作されなかったかもしれない、ドサクサ紛れの異色作だ。

 それが西部劇テイスト濃厚なSFサスペンス「ウエストワールド」だ。

 

ロボットが夢を叶えてくれるテーマパーク

 大型旅客用ホバークラフトが、荒野を駆け抜けていく。このホバークラフトは、大型レジャーランド「デロス」にお客を送り届けるためのシャトル便だ。ホバークラフト内に乗り込んだお客の中には、リチャード・ベンジャミンとジェームズ・ブローリンの友人同士二人もいた。ブローリンは「デロス」に前にも来ているが、ベンジャミンは初めて。だからベンジャミンはやたらソワソワして、何かとブローリンを質問責めにしている。

 それというのも「デロス」は極めてユニークなレジャーランドだからだ。それは一種の疑似体験だ。まずは1880年頃の開拓時代の西部を再現した世界 「ウエストワールド」、13世紀ヨーロッパ中世の「ミドルエイジワールド」、帝政ローマの爛熟期を再現した「ローマンワールド」…「デロス」はこれら3つのゾーンから形成されている。

 しかもそれぞれが単なるその模倣の域を超えて、一日1000ドルでまさにその時代そのものを体験出来るというのが、「デロス」の売り物なのだ。その秘密はロボットだ。それぞれのゾーンには実際の人間と寸分違わぬロボットが配置されている。お客たちは彼らロボットに迎えられて、共にその世界の住人となるわけだ。

 やがてホバークラフトは「デロス」に到着。お客はそれぞれ3つのゾーンに振り分けられる。ベンジャミンとブローリンの二人が選んだのは「ウエストワールド」…西部の世界だ。早速衣装ルームに入って当時のコスチュームに着替える二人。いかにも西部劇然とした扮装をするうちに、徐々にウキウキしてくる。やがて連れて行かれた「ウエストワールド」は、まさしくかつての西部の町そのものだった。

 行き交う駅馬車、うろつくガンマン、窓から愛想を振りまく商売女。西部劇で見慣れた光景が目の前にあった。だがベンジャミンはイマイチこの環境に馴染めない。回りにうろつくガンマンたちも、とてもロボットとは思えない。こういう場所はなり切って楽しまねばうまくないのに、いつまでも現実を引きずってばかりだ。あげく別れた女房の話なんか持ち出すもんだから、さすがのブローリンもいい加減にしろと苦言を呈した。

 どうもこのベンジャミン、嫁さんに一方的に振り回されたあげく裏切られて別れるハメになった様子。そんな傷心のベンジャミンを励ますべく、友人のブローリンがここに彼を連れてきたという訳だ。なぁに、銃をぶっ放して女抱いて大暴れすれば、あのクソ女の事なんざ忘れるさ!

 とりあえず町の酒場に乗り込んだ二人。バーテンのオヤジに「マティーニ」とか注文しちゃうあたり、まだまるで分かってないベンジャミン。とりあえず出てきたウィスキーを口に含むが、これがやたらカッカとノドが焼けるシロモノだ。そんなこんなでむせ返るベンジャミンの肩に、ドスンとぶつかってくる男が一人。

 「酒をこぼしたぜ、坊主」

 見ると酒場のカウンターに、いかにもコワモテのガンマン=ユル・ブリンナーがいた。そんな絵に描いたように手強そうな男から、ベンジャミンはケンカを売られたのだ。だがベンジャミン、慣れてない事もあって大いにビビり、黙りこくってしまうではないか。隣りにいたブローリンはついもどかしげに言う。「撃て、殺せ、やっちまうんだ!」

 そうは言われてもすぐにはその気になれないベンジャミン。しかしブリンナーの度重なる挑発に、さすがに一言返さずにはいられなかった。「デカい口を叩くなよ」

 「なんだとぉ?」

 たちまち酒場の他の客たちが散り散りに逃げる。酒場のオヤジもカウンター奥に引っ込んだ。ブローリンもニヤニヤ笑いながら物陰に隠れた。いまや一触即発で向かい合うベンジャミンとブリンナー。

 「オマエが先に抜け」

 そうブリンナーが言った瞬間、ベンジャミンの右手がホルダーに伸びて、コルトの銃口が火を噴いた!

 もんどり打って倒れるブリンナー。それでも何とか体勢を立て直そうとするブリンナーに、ベンジャミンの情け容赦ない銃弾が浴びせられた。床に倒れて動かなくなるブリンナー。

 勝負の決着が着くと、また何もなかったように客が集まり、倒れていたブリンナーの死体はどこかへ運ばれてしまう。ただベンジャミンはキョトンとしてそこに立ちすくんでいた。「あれ、大丈夫だよな? ロボットだよな?」

 その頃「デロス」の管理センターでは、管理責任者のアラン・オッペンハイマーがロボットたちの管理に大わらわだ。そんな彼が憂慮する事態もチラホラ…。最近なぜかロボットの故障率が高くなりつつあるというのが、彼の悩みのタネだ。しかも当初はロボットの末端の部分の故障に留まっていたのが、最近は中心の制御部分での故障が目立つ。そんな事態を見るにつけ、何とも不安を感じずにはいられないオッペンハイマーだった。

 さて「ウエストワールド」では、ガンファイト初体験を済ませたベンジャミンがブローリンにまたしても質問責めだ。ロボットが人間を撃つ事はないのか? 俺たちだって間違って人間を撃つ可能性はないか? だがその心配は無用だ。この「ウエストワールド」の銃はすべて熱感知型で、センサーで体温を感知して生き物でなくロボットだけを撃つように設計されているのだ。だから銃を人間に向けても、銃は作動しない。

 …はずだった。

 さて夜になってベンジャミンとブローリンは、大人の男として極めて健全なお楽しみを求めに、町はずれの妖しげな店へと繰り出す。そう、ここは艶っぽいマダムが経営する女郎屋だ。まさしくここは男の天国。ベンジャミンはいまだに慣れずにドギマギしているが、フランスから来たとの触れ込みの素敵な娼婦をあてがわれて、ブローリンと共に二階に上がる。もはや自分を捨てた女房や金で買った娼婦に気兼ねなど要らないものを、ベッドに入ってまでアレコレ言い訳するベンジャミン。だがひとたびその身体を抱いたら、もうベンジャミンからつまらない気遣いは吹っ飛んだ。あのクソ女が何だ、社会道徳が何だ…今までクソマジメに生きてきたベンジャミンも、これにはすっかりご満悦。後から部屋にやって来たブローリンに対して、思いっきり緩んだ笑いを浮かべながら言わずもがなの一言をつぶやく。「ここは楽しいな!」

 そんなベンジャミンやブローリンが眠りについた頃、「ウエストワールド」はもう一つの顔をさらけ出す。西部の町にあるはずのない運搬車両が出現し、町のあちこちに倒れているガンマンの死体を運び去って行くのだ。

 これらロボットはすべて地下施設に運ばれ、科学者・エンジニアたちのチェックと補修を受ける。そして再び新品同様になって、地上に送り出されるのだ。ここでも全体を指揮するのは例の管理担当者オッペンハイマーだ。しかしここでも制御部分の故障が目立つ。オッペンハイマーは何やら不気味な胸騒ぎがしてきた。

 さて「デロス」に朝がやって来た。、13世紀ヨーロッパ中世の「ミドルエイジワールド」でも、帝政ローマの「ローマンワールド」 でも、そしてここ「ウエストワールド」でも一斉にロボットたちが活動を開始する。

 ゴキゲンで目覚めたベンジャミン、ブローリンを朝っぱらから訪れたのは、何とあのコワモテガンマンのブリンナー。ベンジャミン相手に昨日の復讐戦にやって来たのだ。だがまたしてもベンジャミンの早撃ちで、二階の窓からもんどり打って倒れるブリンナー。もちろんベンジャミンは今回も無敵だ。

 だが西部の町も掟が変わり、銃の無法は御法度となったと言う。かくして町のシェリフに逮捕されたベンジャミンは、保安官事務所の留置場に閉じこめられる。だが、これも「ウエストワールド」のアトラクションであることは言うまでもない。かくしてブローリンが外から爆弾を差し入れ、留置場を吹っ飛ばしてベンジャミンを救出する。おまけに行きがけの駄賃とばかりシェリフを射殺。こうして二人は西部のならず者の仲間入りだ。二人はそのまま町はずれの荒野へと馬を駆って去って行く。

 その頃、「デロス」管理センターではオッペンハイマーが会議を招集していた。最近あまりに故障が多い。まるでロボットたちに伝染病のように故障が広がっている。だがそんなオッペンハイマーの直訴もお偉方には届かない。新たな客を迎えるのは一時的に停止する事に同意したものの、施設全体の閉鎖までは認められなかった。だがオッペンハイマーには、単なる思い過ごしには思えない。

 そんな折りもおり、ブローリンが荒野に住むガラガラヘビに噛まれるという予想外の事態が起きた。このガラガラヘビもロボットのはず。本来起きないはずの事が起きたのだ。それをモニターで監視していたオッペンハイマーに緊張が走る。さらに「ミドルエイジワールド」では、騎士に扮した客が侍女を誘惑したのにしっぺ返しをくらうという事件も起きた。本来なら客の誘惑に乗るはずのものが、なぜ指示通りに動かないのか。

 そんな事とはツユ知らず、ベンジャミンとブローリンは再びあの女郎屋にやって来る。ここでは西部劇十八番の派手な殴り合いが展開していた。もちろんベンジャミンもブローリンもこれに参加しない手はない。かくして思いっきり大暴れしたあげく、大いに溜飲を下げる二人だった。

 ところが異変は確実に起きていた。それは「ミドルエイジワールド」でのこと。例の騎士に扮した客が、女王の寵愛を懸けて「黒騎士」なるスゴ腕騎士に挑まれる事になった。たちまち始まるチャンチャンバラバラ。本来ならば何がどうあれ客の勝利に終わるはず。ところが「黒騎士」はまるで攻撃を緩めない。戦いながらも息も絶え絶えになっていく客。それをモニターで見ていたオッペンハイマーらは大慌てでコントロールしようとするが、「黒騎士」はまるで制御出来なくなっていた。そして最悪の結果が!

 「黒騎士」は客を仕留めてしまったのだ!

 さらにここは「ウエストワールド」。女郎屋での大暴れでくたびれ切って歩くベンジャミンとブローリンの前に、三たびブリンナー・ガンマンが立ちはだかる。さすがに三度目の正直とあって、二人はウンザリ顔だ。「もうオマエには飽きたよ」

 仕方なく今度はオレの番…とばかり、ブローリンが受けて立つ事になった。例によって余裕でブリンナーを挑発。「そっちから抜け」

 するとブリンナーは間髪空けずに発砲。ブローリンを仕留めてしまった!

 「撃たれたよ…」とつぶやきながら、信じられないといった表情で倒れるブローリン。最初は何かのアトラクションだと思って見つめていたベンジャミンも、ブローリンの身体から流れる血を見つめているうちに事態を悟らざるを得ない。思わず見つめるベンジャミンに、ブリンナー・ガンマンはニヤリと笑った。

 大変だ!

 もうお遊びじゃない、カッコつけてる場合じゃない。ベンジャミンは一目散に逃げ出した。だがブリンナー・ガンマンは黙って彼を追って歩き始める。

 その頃「デロス」全体で、異変がアッという間に拡大していた。「ミドルエイジワールド」でも、「ローマンワールド」でも、ロボットが人間を襲い始めたのだ。慌てた管理センターがメインパワーを切ったが効果なし。ロボットは体内電池で勝手に動いたままだ。しかも切ったパワーが復活しないため、オッペンハイマー以下管理スタッフは管理センターに閉じこめられたまま。室内の温度は急上昇し、酸素もたちまち枯渇した。

 「ウエストワールド」では馬に乗って逃げ出したベンジャミンが、やはり馬に乗ったブリンナーに追いつめられていた。彼は温度や視覚や聴覚などの鋭い感知機能でベンジャミンの行方を把握しているから、どうしたって逃げ切る事が出来ない。途中で「デロス」の管理スタッフに出会って事情を知ったものの、ブリンナー・ガンマンに追われていることを告げたベンジャミンにスタッフの言葉は冷たかった。

 「あいつは優秀だ、逃げ切れっこない」

 唯一、顔面に酸をかける事が出来れば、ロボットの聴力を弱めて逃げ切れるチャンスもあるかもしれない。だが、それもたぶん先にロボットに察知されるのがオチだ…。

 そんなこんなしている間に、ベンジャミンは「ウエストワールド」から「ローマンワールド」への境目の川に辿り着いた。川の流れでブリンナーが足跡を追跡できなくなっている隙に、ベンジャミンは「ローマンワールド」から地下の管理施設へと入り込む。だがブリンナーがそれを察知するのは時間の問題だった。

 てっきりブリンナーをまいたと思ったベンジャミンは、地下の管理施設で横たわるロボットの群れを見つめていた。そこで運良くビーカーに入った酸を見つけるベンジャミン。最悪の事態にはこれを使えばいい…そんな事を思いながらボンヤリしていたベンジャミンの耳に、遠くから何者かの足音が…!

 ブリンナーだ!

 ブリンナーはたくさんのロボットが横たわる室内を歩き回っていたが、そこにベンジャミンが紛れていたのを見過ごしていた。とっさに飛び起きたベンジャミンは、ブリンナーの顔面にビーカーに入った酸をブチまける。

 ジュ〜〜〜〜ッ!

 ものすごい煙を噴き上げながら、たまらず顔を覆ってかがみ込むブリンナー。それを見定めたベンジャミンは、ホッとして部屋から抜けだした。すると…ブリンナーは顔を焼けただれさせながらも、まだちゃんと動いて歩いてくるではないか。拳銃はバッテリー切れで捨ててしまったが、ブリンナーは再びベンジャミンを追って歩き出した。

 管理施設を抜けだし、今度は「ミドルエイジワールド」に現れたベンジャミン。部屋には例の騎士に扮した客の亡骸が横たわり、女王と「黒騎士」のロボットが電池切れで静止状態にあった。ベンジャミンはそんな部屋の中をウロウロ歩いていたが、モタモタしているうちにブリンナーがこの部屋までやって来てしまった。

 ベンジャミンは必死に物陰に隠れたりしたが、温度センサーで体温を感知するブリンナーにそんな小細工は意味がない。たちまちベンジャミンのすぐそばまで駆け寄ってくるブリンナーだった。もはやこれまでか!

 ところが、突然ブリンナーの歩みが止まった。

 まるで前方が見えないみたいだ。ブリンナー・ガンマン、一体どうしたのか。実は温度センサーが仇となり、ベンジャミンの体温より熱いたいまつの炎を感知して、彼の存在が見えなくなってしまったのだ。

 これには思わずホッとするベンジャミン。気が緩んだついでに足で落ちていた金物をつい蹴飛ばしてしまった。

 カ〜〜〜〜ン!

 サッと振り返るブリンナー。温度センサーで目がくらまされても、彼の聴覚がベンジャミンの居場所を感知しないわけがなかった!

 

MGM日本支社閉鎖前後の断末魔

 ハリウッドの老舗MGM。かつてMGMは現在のようにUIPを通してではなく、自前の日本支社を通じて映画を配給していた。ただし、それで順風満帆だったのはMGMが文字通り娯楽の殿堂であった時代の話だ。

 僕が映画を本格的に見始めたのは1973年のこと。それまでもポツポツと映画を見に行ってはいたが、1973年の春に「ポセイドン・アドベンチャー」「ゲッタウェイ」(ともに1972)などが公開され、そこからコンスタントに映画を見に行くようになった。僕が映画雑誌「スクリーン」を買い始めたのも1973年の春からだ。その当時、まだMGMはわが国で自社配給を行っていた。その当時のMGMの作品ラインナップを、僕の「スクリーン」を読んでいた記憶と、僕が神保町の古本屋で見つけたMGM創立50周年記念本「The Complete History of Fifty Roaring Years - THE M.G.M. STORY」から調べてみると、不完全ながらも以下の通りになる。

 

1973年〜1974年MGM作品日本公開リスト

 

 見ていただければ分かる通り、正直言ってかなりお寒いラインナップだ。映画好きとしては「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」とか「組織」とか気になる作品もない訳ではないが、それとてもおよそ一般受けする作品ではない。そこへ来てアフリカ猛獣映画だの、残照もいいとこのマカロニ・ウエスタンだの、「黒いジャガー」の三作目だの…と、どう考えてもピントはずれのショボい作品ばかりがひしめき合っている。リチャード・C・サラフィアンなんて「バニシング・ポイント」一発屋監督の作品が2本もこの短い期間に集中しているあたりからして、この当時のMGMの元気のなさが伺われるのだ。

 実はアメリカ映画界では前年の1972年から、「ゴッドファーザー」の大ヒットに始まり「ポセイドン・アドベンチャー」「ゲッタウェイ」とヒット作が連発。往年の活況を取り戻しつつあった。しかし上記した「THE M.G.M. STORY」の本によると、1972年のMGM最大ヒット作はチャールトン・ヘストン主演の「ハイジャック」。やっぱり他の華やかさと比べるといささか格落ちの観は否めない。ハリウッド全体が上向き始めたこの時期に、なぜかMGMだけは波に乗り損なっていたのだ。

 結局こんな状況下で、よりによって何と50周年のめでたい年にMGMは日本支社を畳む事になった。たぶんその最後の配給作品は「組織」だと思うが定かではない。で、次にMGM作品の日本配給をする業者が決まらないまま、しばらくの間迷走を続けることになる。その時期、アメリカのMGM本社から何本かまとめての買い付けというかたちで配給したのが松竹富士映画(現・松竹)で、問題の50周年記念ミュージカル大作「ザッツ・エンタテインメント!」(1974)、ジョー・ドン・ベイカー主演の「ウォーキング・トール」(1973)、ジャック・ニコルソン主演のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品「さすらいの二人」(1974)、さらには恒例「風と共に去りぬ」(1939)のリバイバルなどが、1975年から1976年の間にこの松竹富士を通して公開される事になった。

 また事の真偽は定かではないが、ルキノ・ヴィスコンティの「ルードヴィヒ/神々の黄昏」(1972)日本公開が滞ったのも、一連のMGMのゴタゴタが原因だとモノの本で読んだ覚えがある。あの映画の日本での配給権がMGMにあったからだ。「ルードヴィヒ」の場合は製作会社が倒産した事も問題をこじらせる一因となり、結局日本公開は1980年までズレ込むこととなった(配給は東宝東和)。

 その後、パラマウントとユニバーサル作品の海外配給会社CIC(現・UIP)が引き受ける事が正式に決まり、MGM作品の日本での配給ルートが確立。その第一弾として公開したのが、うろ覚えだがたぶん1977年2月の「ザッツ・エンタテインメント PART 2」(1976)だったと思う。その後、マイケル・アンダーソン監督、マイケル・ヨーク、ジェニー・アガター主演の「2300年未来への旅」(1976)などが後に続く。まぁこの一連の作品ラインナップその他については、僕の記憶違いもあるかもしれないのでその時は平にご容赦願いたい。

 その後MGMも何とか持ち直したか、「天国の門」の大失敗で経営悪化したユナイテッド・アーティスツを吸収してMGM/UAと名乗るまでに至る。しかし、この当時の事を考えてみると隔世の感があるね。

 …とまぁ、不完全ながらここしばらくのMGMの軌跡を辿ってみた訳だが、やっぱりこの創立50周年前後っていろいろMGMにとって節目の時ではあった。そんな日本支社閉鎖前夜のジリ貧の時期に、MGMのラインナップで唯一気を吐いていた映画が、実は今回ご紹介の「ウエストワールド」だ。

 実はこの「ウエストワールド」、再び例の「THE M.G.M. STORY」の本から引用すると、1973年のMGM映画の中で最大のヒットだったらしい。…というか、これしかヒット作がなかった。だからこそ日本ではMGMのお正月映画にセットされ、何とシネマスコープ・サイズを無理矢理シネラマにブローアップして、テアトル東京や大阪のOS劇場で公開したんだよね。超目玉作品だったわけ。

 ところがこの映画、実はある新人監督の第一回劇場映画作品だったのだ。で、このへんのMGMの状況を考えてみると、この作品の成立事情が透けて見えてくるわけ。何故に名門MGMは、こんな新人監督に勝負作を任せなければならなかったのか? そしてなぜこの作品は見事成功を収めたのか?

 それは「ウエストワールド」を撮った新人監督が、ただの新人監督ではなかったからだ。

 その監督の名を、マイケル・クライトンという。

 

人気作家マイケル・クライトンの「映画監督」時代

 今でこそマイケル・クライトンと言えば押しも押されもせぬベストセラー作家ながら、少々売らんかなで大味な小説を書く人、ヤマっけたっぷりで映画にも食指を伸ばす商売人という、あんまりよろしくないイメージが漂う。確かに1990年代に入って映画と積極的に関わってきたクライトンの軌跡を見ると、どうしてもそんな感じを抱いてしまうよね。彼の小説の最近の映画化作品を「ライジング・サン」(1993)、「ジュラシック・パーク」(1993)、「ディスクロージャー」(1994)、「ツイスター」(1996)、「スフィア」(1998)…とずっと見てくれば、いやが上にもそんなイメージが濃厚だ。スピルバーグ作品の大ヒット作「ジュラシック・パーク」はともかく、他の作品群はいずれも器はデカいものの、出来映えとなると「?」という印象があるんじゃないだろうか。しかもその多くが原作提供にとどまらず、クライトンが製作や脚本にまで関与しているものとくればなおさら。何だか映画製作に色気を見せるベストセラー作家って悪しき構図がチラついてきちゃうよね。

 たが実は、クライトンが映画と深く関わりを持ったのはこの1990年代以降が初めてじゃない。しかもその時は、プロデュースとか脚本どころか、もっと積極的に映画に関わっていたのだ。

 そもそもクライトンと映画との関わりは、彼がSF小説家として売り出していた頃の1970年代に溯る。彼の小説「アンドロメダ病原体」が、ロバート・ワイズ監督の手で「アンドロメダ…」(1971)として映画化されたのだ。

 僕はクライトンという人の評伝の類を読んだ事がないので分からないが、どうもこの人このあたりからすでに映画に関心があったようで、一体どういうツテを使ったのか分からないが、早くも1972年には「暗殺・サンディエゴの熱い日」なるテレビムービーを監督している。作家が映画に深く関わる例はいろいろあるが、監督にまで乗り出すってのは尋常じゃないだろう。単にヤマっけだけでなく、相当に映画が好きだという気持ちがなければ目指しはしない。しかもクライトンの場合、それは決して付け焼き刃ではなかった。

 ここで紹介する「ウエストワールド」(1973)で劇場映画の監督デビューを果たし、それを成功へと導くと、クライトンへの映画業界の信頼は一気に高まったようだ。「コーマ」(1977)、「大列車強盗」(1978)などと監督作品を連発する。彼の映画監督ぶりが決して通り一遍当でなく、それなりの情熱と技術に裏打ちされているのは、この何本かの監督作品を眺めてもよく分かる。小説家上がりの映画監督で自作小説の映画化で監督になった人にも関わらず、何と「コーマ」では他人の小説の映画化を手がけているのだ。あるいは医療関係に強いSF作家が売りだったクライトンなのに、19世紀イギリスを舞台にした泥棒話「大列車強盗」とまるで畑違いの作品を手がけてみたり…。つまりはそのフィルモグラフィーは、もう立派に普通のプロフェッショナルな映画監督のそれになっていた。

 そんなクライトン映画は、どれもこれもサービス精神と発想の良さに溢れた面白い映画だった。この時期、例えばピーター・ハイアムズなどと並んで面白い映画をつくる職人監督として、並べて見たくなるような映画作家がマイケル・クライトンだったのだ。

 その一つの頂点とでも言えるのが「未来警察」(1985)で、SF的アイディアとサスペンスの盛り上げ方、観客を楽しませるユーモアと娯楽映画の要素を満載した面白さ…どこをとっても一級品。これは到底、小説家が片手間で映画もつくってますなんてもんじゃないよ。そして金儲けのメディアミックス狙っての映画界への参入でもない。クライトンは…少なくともこの時期のクライトンは、映画が好きで映画づくりに情熱を燃やす男だったと僕は信じている。それはこの時期に彼が放った監督作品の、小ツブながら工夫に溢れた面白さを見れば誰でも分かると思う。

 それがまぁどうしてこんな…という事はここでは置いておいて、「ウエストワールド」に話を戻そう。

 当時MGMは先に述べたような状態だったから、クライトン作品の映画化権がノドから手が出るほど欲しかったに違いない。するとクライトンが出した条件を比較的スンナリ飲んだ可能性もある。クライトンの「ウエストワールド」での劇場映画監督デビューは、案外こんなところから実現したんじゃないかと僕は推察しているんだよね。つまり「自分に監督させてくれれば映画化権をやる」とか条件を出したんじゃないかと思われるのだ。

 そしてクライトン監督誕生には主演のユル・ブリンナーも一役買ったかもしれない。実は「ウエストワールド」が全米ヒットになった頃、朝日新聞の海外情報欄にこの映画のニュースが出ていた。そこではまだ邦題が決まってないので「西方世界」てなタイトルで紹介されていたが、ユル・ブリンナーが会社側にクライトン監督を強く推したと言うのだ。まぁヒット直後には手柄を自分のものにする自慢話がいろいろ出てくるから、これも事の真偽は分からない。ただ作品に恵まれてなかったブリンナーが久々のヒット作にありついて、喜びのあまり飛び出した発言だと考えれば注目に値する。おそらくはクライトンの監督話は、少なくとも会社からは喜ばしく思われていなかったらしいと想像できるからだ。

 これを裏付ける証言がクライトン側からも出ている。これは確かキネマ旬報だったと思うが、かつてクライトン自身の監督作品を語るインタビューが掲載された事があった。それによると「ウエストワールド」撮影時にクライトンは、マルチカメラによる撮影を行わなかったと言うのだ。日本では黒澤明がかつてカメラを常時3台回して撮影を行っていたが、普通は日本映画では一台しか使わない。ところがアメリカ映画の場合、通常からカメラは複数台数回しているものなのだ。これで切り返しやカットバックを後からカメラ・ポジションを変えて撮る必要がなくなる。フィルムの使用量は大幅に増すが、その代わり作業効率は飛躍的にアップするやり方だ。ところが「ウエストワールド」でクライトンは、発言が確かならば基本的に一台のカメラですべて撮影したと言う。

 それと言うのも撮影を終えた後、編集権を巡って自分が監督を解任された場合、現存する撮影済みフィルムでプロデューサーによる別バージョンを編集されないためだ。クライトンは撮影だけはやらせてもらえても、最終的にクビの可能性も覚悟していた…そういう事だよね。そんなギリギリの状況下で、この「ウエストワールド」は制作されたのだ。

 そんな厳しい状況は出来上がった作品を見ても伺える。新人素人監督の初監督作と言うことで制作費を絞ったのか、それともMGM自体の屋台骨が揺らいでのことか…「ウエストワールド」は結構低予算映画である事がところどころ覗けてしまう映画なのだ。例えば…冒頭の「デロス」に客を輸送するシャトル・ホバークラフトが、その全容を画面に出さない。かろうじて限られた範囲の部分だけ、途中のテレビモニター上と着陸間際の様子で見ることが出来るが、飛んでいる様子はまったく見られない。ホバークラフト全体のミニチュアと、それを操る特殊撮影のための金もなかったに違いないのだ。

 客たちが「デロス」の施設で行き先を分けられるくだりでも、セットの貧寒さはいかんともし難いだろう。未来的なハイテクの建物というイメージで、真っ白くホリゾントを使ってスタジオ内で撮影しているが、セットはほとんど建て込んでいない。あとは…と言えば、ほとんど西部劇の世界「ウエストワールド」内で物語が展開する。それならMGM撮影所に昔からある西部劇のオープンセットさえあれば足りてしまう。

 そんなさまざまな制約や問題を逆手にとって、あるものを最大限に活かし切っているあたりが、「ウエストワールド」の最大の魅力であり、見事なところなのだ。

 

西部劇やユル・ブリンナーへのリスペクトを込めた奇跡的作品

 この「ウエストワールド」そもそも西部劇の世界とSFの混合というミスマッチ感が、何と言っても面白い。まるで両極端と言っていいジャンルが同居するあたり、お見事と言っていいアイディアだ。ここにSF作家としてのクライトンのセンスの良さを感じる。

 そして長らく不遇な状態にあった西部劇というジャンルを、SFの力を借りて蘇生させたのも素晴らしい。旧態依然で古色蒼然たる鮮度の落ちた西部劇の世界も、SFの視点を加えれば驚くほど新鮮に見えるのだ。これは熱心な映画ファンに違いないクライトンならではの発想だ。

 さらにこれは結果的に、撮影所の西部劇のセットを十二分に活用する事にもなる。低予算映画でも意外なほどリッチな雰囲気を出せるのだ。何と巧みな作戦だろう。SF作家として、そしてこれが劇場映画デビューの映画監督として、クライトンのアイディアと実行力は非凡なものがあると言わざるを得ないね。

 で、まずは興味深いのは、この「ウエストワールド」が後年のクライトン作品「ジュラシック・パーク」の習作になったと思われる点だ。画期的なテーマパークが科学力を駆使して創り上げられ、そこで人間たちの驕りが思いっきり発揮される。ところが「創造物」が人間のコントロールの域を超えて暴走し、人間は手痛いしっぺ返しをくらう…こう見ると「ジュラシック・パーク」は「ウエストワールド」のリメイクと言ってもいいくらいに、そのプロットが共通している。「ジュラシック・パーク」の構想時に「ウエストワールド」を基本にしていたのはまず間違いないだろう。

 そして「ウエストワールド」は、もう一つのSF映画を生み出す原動力にもなった。それはたぶん誰しも指摘出来る「ターミネーター」だ。

 ユル・ブリンナー演じるガンマン・ロボットの不気味さったらない。元々人間味や市井の人間の雰囲気に乏しいブリンナーだが、だからこそこの役はハマった。そもそもブリンナーはロシア系の人なので、アメリカ映画でももっぱら異邦人の役柄をやらされていたよね。「王様と私」(1956)のシャム王など、アメリカ人の目から見たら奇異に見える存在だ。それも得体の知れないロボット・イメージに向いてたんだろう。

 で、そんなキャラクター設定が、いまやカリフォルニア州知事こと「ターミネーター」アーノルド・シュワルツェネッガーにもピッタリと当てはまるんだよね。タフガイすぎて人間味が乏しい。そこに元来の演技力と表現力のなさも手伝って、よりギコチない機械の演技が似合ってしまう。おまけにシュワルツェネッガーもまた異邦人の東欧オーストリア出身だ。

 まったく躊躇いや迷いを見せず、前を一心に見つめてズカズカと無遠慮に歩いていく独特の動き。絶対に「ターミネーター」をつくったジェームズ・キャメロンの脳裏には、「ウエストワールド」のブリンナーの事があったはずだよ。時折ブリンナー・ロボットの電子眼で見た映像が挿入されるあたりも、「ターミネーター」でまんま踏襲されているではないか(もっとこちらの方がリアルにはなっているが)。やられてもやられても、全然へこたれない。ウンザリするほどしつこく立ち直る。そして最後にあっちこっちブッ壊れてきて機械の中身がむき出しになるというところまで、「ターミネーター」は「ウエストワールド」をなぞっているのだ。誰かがキャメロンに聞いてみれば、絶対に彼は元ネタがこれだと白状すると思うよ。これほど偉大な極めつけのキャラクターの原型をつくったという点で、「ウエストワールド」はもっと評価されていい作品なんだよね。

 そしてもっと面白いのが、「ウエストワールド」が意外にも正当派西部劇の定石のアレコレを、いちいち忠実に踏襲している点だ。まず西部劇でのお約束中のお約束である酒場での因縁付けと対決があり、女郎屋での娼婦たちとのやりとりがある。翌朝はブリンナー・ガンマンの襲撃とその撃退があり、二階から窓ガラスを破って転落…という、これまた西部劇で何度見たか分からない場面の再現がある。さらには保安官事務所の留置場破りから店の中での壮絶な殴り合いまでやらかす。これで先住民族がらみのエピソードを除いて西部劇に欠けているのは、幌馬車隊と牛のスタンピード、銀行強盗に列車強盗ぐらいのものだ。西部劇復権を掲げてローレンス・カスダンがつくった集大成的作品「シルバラード」ほどではないにしろ、これだけの規模でそれなりに一通り西部劇の魅力を味あわせてくれるのが、この「ウエストワールド」と言っていい。この映画の公開時点では(そして今でも)廃れてしまった西部劇の楽しさを追体験させてくれるのも、この映画の大きな魅力なのだ。

 面白い事に、「ウエストワールド」の西部劇趣向はロボットの反乱を機に少々方向が変わる。それまでいささか明朗脳天気な本場アメリカ西部劇のイメージで一貫して見せて来た映画のムードが、物語がサスペンスに傾くや否やとたんに殺伐として来る。流れる音楽もそれまでの陽気なカントリー&ウエスタンではなく、ちょっとマカロニ・ウエスタンを思わせる音色を聞かせ始める。すると、誰もいない人けのない西部の町に、ブリンナー・ガンマンが不敵な面構えで主人公たちを待ちかまえているではないか。決闘の結果、主人公の友人が血を流して倒れる描写…さらに逃げ出した主人公とブリンナーの追いつ追われつが、荒野や砂漠を舞台に行われること…などなど、一転して西部劇風味はマカロニ・ウエスタンっぽい世界へと変貌する。この遊び心が嬉しいじゃないか。この一本さえあれば、正統派アメリカ西部劇からマカロニまで、その魅力にちょっとづつ触れる事が出来る仕掛けだ。このあたり、クライトンの映画ファンぶりが伺えるよね。そして、この「ウエストワールド」を通じて、西部劇の魅力を見直してくれという願いみたいなものさえ感じられる。そうした過去の偉大な映画へのリスペクトが感じられるところが、この「ウエストワールド」の素晴らしいところなんだよ。

 そもそもロボット・ガンマンにユル・ブリンナーを起用したのが、何よりセンスのいい点だ。先に述べたようにブリンナーは異邦人ぶりが板に付いてどこか非人間的でもある。「ターミネーター」の原型ともなったと言ったよね。だからブリンナーもシュワと同様「ターミネーター」が演じられたはずだと思う。だけど忘れちゃいけない肝心な事がある。「ウエストワールド」のこのロボット・ガンマンはシュワには演じられない。いや、世界中のどの俳優も演じる事は出来ない。この役はただ一人ユル・ブリンナーしか演じる事は出来ないのだ。

 そもそもブリンナーは先に挙げた「王様と私」に代表される人間離れな個性と相まって、「十戒」(1956)あたりからすでに仇役も演じていた。そして何より西部劇にも「荒野の七人」(1960)という代表作を持っていた。しかもしかも、後年は不遇でヨーロッパへの出稼ぎも多く、「大西部無頼列伝」(1971)などマカロニ出演も行っていた。こんなうってつけの役者は他にないだろう。これはまさに奇跡としか言いようのないキャスティングなんだよ。クライトンはブリンナー起用を思いついた時、ブリンナーが出てくれると知った時、してやったりと満足感を味わっただろうね。これはそのくらいスゴいキャスティングだ。

 この映画でのブリンナーは単に「ターミネーター」的な異邦人だからいいのではない。悪役も演じてきたブリンナーだから…ではまだ不足だ。そんな個性を持ちながらも西部劇の一種のイコンとして存在しているからこそ、この役にはうってつけなのである。これは西部劇の伝統やら長いキャリアの偉大な俳優ブリンナーへのリスペクトがなければ、決して思いつかない役だと思う。ブリンナーもそんな自分の真価をうまく活かされて、晩年の久々のヒットにきっと大喜びしたと思うよ。おかげでブリンナーはそのキャリアの末期に、また一つ代表作を付け加える事が出来た。そんな小さな点まで見逃せないし、それに気づくとさらに面白さが増す映画…それがこの「ウエストワールド」なわけ。

 そしてクライトンの才気走った点は、西部劇とSFとの融合、西部劇の魅力の再発見、魅力的な悪役ロボット・ガンマンの創造、低予算を逆手にとった面白い映画づくり…など、今まで挙げてきたあらゆる部分に見いだす事が出来る。だがもちろん、断然ズバ抜けているのはサスペンス映画作家としてのうまさだ。

 何をどうやっても追いかけてくるブリンナー・ロボット。熱感知の裏をかいて逃れたと安堵したとたん、物音を立てて感づかれてしまう。進退極まった主人公は、たいまつの炎でガンマン・ロボットに火をつける。ロボットは主人公の目の前で火だるまになった。

 これで助かったと思いきや…。

 この終盤のショックまたショック…の段取りのうまさ、演出の呼吸のうまさ、人物の画面への出し入れのうまさをじっくり味わって欲しい。新人としてここまでやるのは大したものだと言わねばならない。映画のはじまりの頃は多少ギコチなさも感じたし予算の乏しさも身に染みた。そんなアラが多少なりとも目に留まらないでもなかった。だがブリンナーが主人公を追いかけ出す終盤には、まったく画面から目が離せない。息もつけないとはまさにこの事。とにかく最後の最後まで、シッポまでアンコが詰まった鯛焼きみたいな映画なのだ。このへんの見事さは、実物をぜひご覧になっていただきたい。サスペンス映画の教科書みたいな出来映えだ。

 この映画の成功の後、続編「未来世界」(1976)が製作された事も一応付け加えておこうか。リチャード・T・へフロン監督、ピーター・フォンダ主演のこの作品はほとんど黙殺されちゃったけどね。これを見てないから何とも言えないけど、「ウエストワールド」の奇跡的な構造から考えると、これの続編を成功させるのは難しいと思うよ。

 それにしても、旺盛なカツドウ屋魂に溢れていた監督時代のクライトン、ことにこの「ウエストワールド」のクライトンを思うと、今のご本人の有り様が情けなくて見ていられない。まだ「ウエストワールド」を見ていない人は、「ツイスター」や「ディスクロージャー」をつくった人の映画だと思わないで見て欲しい。あんなのと一緒にされたら悲しいよ。ベストセラー作家として今の方が偉くなったのかもしれないが、映画ファンはみんな彼の作品をバカにし始めている。センセーショナリズムと売れセンを考えながら、大味な作品を連発している姿がそぞろ哀れをそそるのだ。おまけにもはや現場で監督はせず、制作・脚本でコントロールして面倒くさい事は誰かを雇ってやらせるってあたりが、デブって成人病になったみたいなジョージ・ルーカスやリュック・ベッソンと共通するオレ様ぶりではないか。昔、映画づくりの醍醐味を味わいたくて、MGMと駆け引きをした情熱はどこに行ったんだ。

 クライトンよ、しっかりしてくれ。面白い映画づくりに燃えてた初心を忘れちゃいけない。器ばかりデカいクズ映画ばかり量産してちゃあまりに情けないよ。昔アンタを支えて頑張ったユル・ブリンナーも、草葉の陰で泣いてるとは思わないか。

 


Westworld

(1973年・アメリカ)M.G.M.映画 製作

監督:マイケル・クライトン

製作:ポール・N・ラザルス三世

脚本:マイケル・クライトン

出演:ユル・ブリンナー、リチャード・ベンジャミン、ジェームズ・ブローリン、ノーマン・バートルド、アラン・オッペンハイマー、ヴィクトリア・ショウ

2003年11月19日・DVDにて鑑賞


 

 

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