∀ガンダム正風伝
第1章 航海
その日は珍しくお客がおらず店の中は閑散としていた。別に不人気だということではない。逆に地球からも注文が来るほど店の名は知られている。場所が悪いということでもない。ハイム時計店が面しているウェルノウン通りの近くには高級マンションが複数建っている。日曜日ともなれば通好みの常連客が多く入店してくれるのだ。
ハイム時計店の主であるヨーゼフ・ハイムは時計を見ていた。今日の閉店時間まで残り1時間ほどあるが来客の雰囲気はなかった。クローズの名札を店の入口の扉に掲げた後でも彼には時計製作という仕事があることを考えると今日は早めに終わることに決めた。
名札を手に取り入り口の扉に足を向けたその時扉が開いた。
――― チリン、チリン、チリン。
来客を告げる鈴の音とともに男が二人入ってきた。男二人とはいっても片方はグレーのスーツを着用しヨーゼフと同年代のようであり、もう一人はスーツを着た男の身長の半分半にも届かない子供でありバランスが取れていなかった。三歳、四歳ぐらいだろうか。
入店してきたのはヨーゼフの兄、ルイス・セアックと彼の一人息子、ラルフ・セアックだった。
本日最初の客であるが喜びではなく多少驚いた表情が浮かんでしまった。通常ならば兄と兄の一人息子が現れても驚かなかっただろう。しかし時計屋の主人の兄はスペースコロニー政府の主席代表であり現在は時計屋に足を運ぶことが出来ないほど忙しいのだ。
「久しぶりだな」
「兄貴も元気そうじゃないか」
兄弟はぎこちなく握手を交わした。名字が異なるのはハイム家に婿入りしたためである。ヨーゼフの師匠にして義父、つまりハイム夫人の実の父親が出した結婚条件だったらしい。
甥にも挨拶は忘れない。いつもどおり髪の上にやさしく手を置いてやる。ラルフは嬉しそうに彼の手を握り返す。ハイム夫妻には子供がいないためラルフが可愛くて仕方がない。ルイス以上に溺愛していた。
ヨーゼフ・ハイムは時計を売る店の主人であると同時に名の知れた時計技師でもある。工場で生産される大量消費型の時計が全盛の中あえて手作りに拘わり続けている。徹底した丁寧さが評価されハイム時計店オリジナルの「サザンクロス」シリーズは10年来の愛好家が存在するほどだ。唯一の欠点は一つ一つを自分一人でつくっているため納期が異常に遅いことだろうか。
サザンクロスを製造している工房に兄と甥を通した。何にでも興味をもつ年頃であるためかラルフは早速時計の部品に触り始めた。
お約束どおり父親の注意する声が飛ぶ。
「ラルフ、叔父さんの大事な物に勝手に触るんじゃない」
幼い子供の手がピクッと止まり、恐る恐る所有者である叔父の様子をうかがう。
所有者は右手の親指を立てた。扱っても良いというサインである。
「やった!」
嬉しい気持ちをいっぱい表したガッツポーズをとってラルフは再び触り始める。父親の心配を他所に慣れた手つきで部品を壊すような素振りはなかった。
実はヨーゼフがラルフに時計の部品を触らせるのは今回が初めてではない。保育園が休日の場合ラルフは必ずハイム家に預けられる。何時の頃からか時計に興味を持ち始め時計店の主人も次第に部品やサザンクロス自体を触らせるようになった。
大人二人はテーブルをはさんで向かい合って座っている。テーブルに置かれている二杯のコーヒーカップからほのかな匂いが漂っている。
「別に構わないよ。お得意先には昨日納品したからね」
「しかしだな・・・」
「硬いことを言うなよ、兄貴。実を言うとラルフがもっと成長して時計の世界に興味を持ってくれたら弟子にしたいと思っているぐらいだ」
「・・・弟子かね?」
弟のささやかな野望に多少面食らったようだ。
「弟子さ」
再び告白するヨーゼフの表情には今にも笑みがこぼれそうになっている。冗談であることが彼の表情から読み取れた。しかし続くルイスの発言は意外なものであった。
「ならば弟子に貰ってくれないか」
瞬間ヨーゼフの目が細くなる。滅多に冗談を言わないため彼の発言が真面目であることはすぐに理解できた。多忙であるはずの兄貴が訪ねてきた理由がやっと判ったよ。
――― なるほど、そういうことか。
彼らの居住するスペースコロニー「フェニックス」は一ヶ月後に地球圏から離れることになっている。政治指導者であるルイスは準備に忙殺され本来ならば子供と一緒に過ごす時間すら取れない。おそらくかなり無理をしてスケジュールを空けたのだろう。
「煙草を吸いたいのだが」
「灰皿はないよ。兄貴と違って煙草を吸わないからね」
「携帯用の灰皿を持参している」
「準備万端だな」
ルイス・セアックは気分を落ち着かせるため煙草に火をつけた。弟を何としてでも説得しなければならない。政治上の交渉ならば幾度も修羅場を切り抜けてきた。しかしヨーゼフと行う交渉はそれらとは根本的に異なるものだ。政治家ではなく一人の父親として向き合わなければならない。
「ヨーゼフ、お前が一緒に航海に出ることは知っている。だがあえて意志を曲げて地球に残ってくれないかと頼みたい」
「何故?」
ヨーゼフ・ハイムの表情からは笑みが消えた。ラルフ・セアックの父親として生涯最大の緊張感が体内を走る。
「息子を託したい。我々は地球圏を離れて太陽系からも遠く離れていく。新天地に到着するまで何年もかかるだろう。道半ばで多くの人命が失われるかもしれい。私もいつかは倒れるだろう。そんな危険な旅に幼いラルフを連れていくことは出来ない」
ヨーゼフの予想が当たった。幼い甥をちらっと見る。
「ラルフはどうなる」
「ラルフか・・・」
兄と弟の声が震える。
「ラルフはどうなるかと聞いている。物心つく前に母親に死なれ今度は父親から捨てられたとあっては可哀相すぎるではないか。子供は実の親と暮らしたほうが良いのだ。危険だから連れて行けないなどという理屈は自分勝手なエゴだ。危ない時に守ってやるのが親の務めだろう」
「政治指導者としてフェニックスを導かなければならない。守ってやることはおそらく不可能だ」
「主席代表の地位は他の人間と交代できる。しかしラルフの親は、ルイス・セアックしかいないのだ。代わりはいないのだよ」
ヨーゼフの一言一言が怜悧なナイフとなって父親の良心をえぐる。
「政治家をしていると色々な人間に会う。時には救いようのない奴もいるが大概の人々は未来に希望を見出そうとしている。一ヵ月後の航海に誰もが期待している。アルマゲドンが永過ぎた所為だ。新天地で今度こそ戦争のない平和な世界を築いてみせようと願っている。私には彼らの願いを裏切ることはできない」
ルイスとしても本心はリーダの地位を放棄してラルフと一緒に地球に残りたかった。だがもう後戻りは出来ない。政治家としての責任は全うしなければならない。
「政治家として私には市民を守る義務がある。親として子供を守ってやることが本当だろう。しかし私は二つを同時に守ることは出来ない。大人の勝手な我侭と糾弾されたらそれまでだろうが他に方法がない。信頼できる人物に託すことしか息子を守る方法がないのだ」
「何故私達にラルフを預けようと思ったのだ。他にも人はいるだろう」
「弟であるお前にしか頼めないことだ。私以上にラルフに父親としての愛情を注ぎ込んでくれる。ヨーゼフ・ハイムならば立派に育ててくれると見込んだから託したいのだ」
奇妙だがヨーゼフは感動していた。兄の考えは愚直と言い換えてもよい。だが愚直なまでの誠実さに魅せられヨーゼフも含めたフェニックス市民は自分達の未来を託したのだ。
「兄貴、それは買い被りすぎだ」
「人を鑑定する眼だけは誰にも負けないつもりだよ。ヨーゼフ、ラルフを託せるのはお前しかいない」
二人の間に沈黙がおりた。何時の間にかルイスの隣にラルフがちょこんと座っていた。大人同士の会話が理解できず眠そうだ。愛くるしい姿が視界に入ったとき決断した。
「わかったよ、ラルフは大切に預かろう」
「・・・ありがとう」
深々と頭を下げる兄の姿に政治家特有の打算は無かった。政治家ルイス・セアックがフェニックス市民に支持される理由を改めて実感した。
一ヵ月後、ハイム夫妻と養子に迎えられたラルフは地球に降り立った。新居はアメリア大陸イングレッサ州のビシニティという街である。ルイスが手配した。
養子に迎えたとはいえハイム姓に改めることなく名前はラルフ・セアックのままで通すことにした。ヨーゼフの兄に対する敬意の証かもしれない。
*
黒歴史は語る・・・。
人類が宇宙(そら)に居住するようになってからも数百年、数千年、果ては数万年とよばれる永い年月戦争と平和が繰り返された。飽きることなく延々と繰り返された。時には人類という種族自体を自滅の一歩手前まで追い込んだ戦争もあった。生活範囲は地球と地球の周辺宙域から拡大することもなく永い永い停滞の時代を過ごしていた。
だが永遠に停滞が続くことはない。ルネッサンスがヨーロッパ中世の息が詰まるような時代に風穴を開けたように歴史が証明している。
やがて何度目かの戦争を終えたときスペースコロニーを恒星間移動できる宇宙船に改造し太陽系から旅発つことを発案する人物が現れた。環境破壊のため地球が極限まで疲労していたこと、戦争の愚かさが骨身に染みていたこと、息が詰まるような時代を変えたかったことなど個人によって理由は様々だが人々は熱狂的に宇宙移民計画を支持した。ちなみにスペースコロニーとは人類が宇宙に住ために必要な円筒形の建造物であり円筒の内部に住んだ。
新しい居住空間を求めて我先にと太陽系外から離れていく人々。地球という親鳥から巣立つ時期が到来したのかもしれない。大航海時代の始まりである。
最初の宇宙戦争が勃発してから大航海時代が始まるまでの混沌した時代をアルマゲドン、大航海時代以降をフロンティア・モードと区別する。フェニックスは最後まで地球圏に残っていたスペースコロニーだったがついに航海の時を迎えた。
フロンティア・モード152年春の出来事である。
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