たわごと 1
100.「解散に寄せて」部長(03.3.18)
宇大どうでしょうが、ついに3年間の歴史に幕を下ろす時がやって参りました。沖縄旅行に始まり、その後も神奈川、岩手、青森、宮城、山形、福島、東京、シンガポール、インドネシア、長野、千葉、韓国、茨城、アメリカ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェーと、様々な場所で騒動を巻き起こしてまいりました。
やり残した事は多々ありますが、部員4人、それぞれがそれぞれの道へと巣立って生きます。公僕となる者、第3次産業に従事する者、学問を修めんとする者と、別の道を進みます。しかし、大学生時代に培った「宇どう魂」はしっかりと我々の心の中に刻み込まれております。
思えば我々宇どうは、たくさんの方々に支えられてきたといっても過言ではありません。その中でも、特にメルマガや宇どう通信の読者の方々には、どんなに感謝しても尽きません。内輪だけの戯れのはずだったメルマガも、発行部数が30部をゆうに越えるまでになりました。宇どう通信に関しても、「あの通信、読んでますよ」との声を直接頂いた時など、あまりの恥ずかしさに赤面してしまうほどです。
また、よおっく考えてみると、我々のくだらない文章や企画内容を毎週読んでくださる方がいらっしゃるという事実を考えただけでも、ものすげえことだと今更ながら思います。
平成15年3月25日をもって、宇大どうでしょうはひとまず解散するわけでございますが、今後とも我々宇大どうでしょう4人に、暑きご声援を賜りますよう、重ねてお願い申し上げます。最後になりましたが、宇どうファンの皆さん、本当に今までありがとうございました。必ずや再びお会いできる日が近いことを祈って、解散のご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。
99.「思いつきと計画性と酒と」部長(03.3.18)
2000年4月、思いつきで「今度、ANAが『超割』(全国どこでも1万円)をやるから、沖縄に行くべ」という発言から、宇大どうでしょうが始まったといって過言ではない。その後サイコロの旅をやる段になって、思いつきで「どうせなら本家の水曜どうでしょうさんに負けず、副部長を拉致しよう」と話がすんなりまとまり、副部長を拉致した。2001年春、東南アジアを旅行している最中に、「学内の掲示板に『宇どう通信』とかいって機関紙を張ったり、メルマガを発行したりしたらおもしれぇかもな」という思いつきで、ここまでメルマガと宇どう通信を発行し続けてきた。
しかし「思いつき」と同時に、その裏には綿密な計画があったことも確かだ。副部長拉致の際は、必ずといってよいほど、私と代理が協議をし、頭の中でシミュレーションまで描きながら拉致計画を練った。東南アジア旅行の際は、「旅のしおり」を作っただけではなく、何日から何日まではこのホテル、というように、必ずホテルの予約を入れてから旅立っていった。
「思いつき」と「計画性」。一見、相反するかのように見えるこの2つだが、宇どうではこの2つが同居する、換言すれば二面性を持っているといえる。それはなぜか。結局は、「思いつき」を実行するには「計画」が前提条件であり、かつ「計画」が無い限り、「思いつき」の実効性、具現化には無理が生じる。しかし、「計画」だけでは無味乾燥な活動となってしまうので、やはり「ひらめき的」な「思いつき」が必要となってくる。
また、代理と私がとても計画的な人間だったことも、影響を及ぼしているだろう。「しおり」作成はもとより、旅先のホテル手配、交通手段の手配など、多岐にわたる事務的作業はそのほとんどを代理と私がこなしてきた。しかし苦痛ではない。むしろ、ある程度の計画がないと心配な性分なのである。例えば宇どうの活動ではないが、2002年春に東南アジアへ行った際、私はシンガポール空港内の乗り継ぎホテルや、友人と宿泊する安宿を日本から電話予約したし、2002年秋の韓国旅行の際(佐野コサキン会企画。現在は佐野スコーン会に改称)は、ホテルや板門店ツアーなどすべてを、日本から電話やFAXで予約するほど、入念な計画を立てた。
思い出したぞ。韓国に行ったとき、副部長が現地の「板門店ツアー」を申し込み、当日の朝、主催旅行代理店に行ったら「板門店ツアー」ではなく「第3トンネルツアー」に連れて行かれたので、副部長のツアーコンダクトは当てにならない。人間、慣れない事をしてはいけない。
そうした計画性を備えた人間(代理、私)と、計画性を備えていないスズムシ(副部長)では、どちらに分があるか、火を見るより明らかだろう(支部長がどちらのタイプの人間なのかは、把握していない)。その結果が、宇どうの「拉致の歴史」である。「拉致」といえば副部長、副部長といえば「拉致」といえるほど、この副部長(スズムシ)は拉致とは切っても切れない間柄である。
また、宇どうといえば、「酒」である。国内を旅行中はもちろん、海外でも飲酒し続けた。宇都宮ではいわずもがなである。ついには解散直前の2003年3月に、オリジナルビールまで作り出す始末。宇どう分科会の「お酒をたくさん飲む会」では、後援者の方々と盃を酌み交わし、机の下に潜った代理が「お前ら、もう帰れ!」と言ってようやく解放される、いわば恐怖・独裁・専制政治の会なども存在する。ひどい時など、風呂桶に水を張って缶ビールを冷やす。冷蔵庫だけではスペースが足りないほど買ってしまうのである。さらには大まかに言って、1ヶ月に1回は総会、或いは懇親会などと称して飲み会を開いていた。ある時は2軒「はしご」して、7500円近くを散財した事もある。
東南アジア歴訪の際は、およそ3週間ぶりに日本料理店に入り、マグロのブツで一杯やった時など、涙が出るかと思うほど感動した。韓国でも焼肉やキムチを肴に一杯飲んだ。省庁ウォーカーの後には新宿の「やきとり横丁」で一杯飲み、帰りの宇都宮線の車内では3人全員がKO負けだった(このとき代理は、トイレを占拠していた)。2002年12月23日からは、2泊3日耐久飲み会(当初はそんな計画ではなかった)を開催し、連日連夜アルコール消毒にいそしんだ。
しかし、酒を酌み交わした間柄、そう簡単に縁が切れないと思う。この4月からは代理は東京、副部長と支部長は長野、そして私は栃木と離れ離れになってしまうが、おそらく「半期に1度の大決算!」と称して、東京などで飲むのではなかろうかと思われる。この3月をもって宇どうは解散するわけではあるが、この「思いつきと計画性と酒と」を心に刻み込んで、今後の人生の糧としたい。
98.「宇どう三年間の活動を振り返って」代理(03.3.17)
「宇大どうでしょう」が創部されてから三年間、色々な企画をし宇都宮、日本国内はもちろんの事、海外にまで足を伸ばしてきた。今回解散という事になりそのまとめとして文章を書く事になった。最後なので極めてまじめに書きたい。本当につまらない文章なので熱狂的なファン以外の方は本当にとばして頂いて結構です。
さてHPを読むと「宇どう」創設は2000年4月1日の「部長お宅訪問」が最初となっている。実はこれは間違いである。本当の事を話すとその年の1月に部長と代理が大学の某「ステーキM」で食事をしたのが宇どうの活動の本当の最初なのだ。その時そんなに部長と仲が良いという訳ではなかったのだがたまたまテストが一緒か何かでその店で食事をする事になった。その話の中で本当に偶然にどっか旅に出たいという話になって、たまたまANAで超割なんていう切符を売り出す事になったんだよという話になり、それならばその切符でどっか旅に出ようかという話になったのだ。それが「二泊三日沖縄満喫しきれず」という企画なのだ。ここでじゃあ副部長は絡んでいないのではないか、となるのだがこの食事には続きがあって、超割でどこか行こうという話にまとまり、ただ二人で行くのもなんだろうなぁという事になり、それならば誰か一緒に連れて行こうという話になったのだ。その中の話では他にも候補がいたのだが、その候補の一人がその副部長である。その後副部長にその件を話し、快諾し沖縄に行ったのだ。歴史に「もし」を考えるときりが無いが、あの時部長と食事をしていなければ、また副部長が都合で沖縄に行かなければ今の宇どうはありえないであろう。それだけあの時の部長との食事が宇どうにとって重要な食事なのだ。ついでにもう一つ書くと創設当初、実は「宇大どうでしょう」という名前ではなかったのだ。当初は「TAKUMI」という名前だったのだ。この理由について名前の由来について話すと色々問題があるので特に説明はしないが、実は2001年度の大学に部員名簿を提出した際の名前は「TAKUMI」で提出している。何故にその名前を変えたのかは覚えてはいないが代理が奨学金の親父とやりあった日に部長がじゃあ「宇どうで」と言った事はうろ覚えだがしっかりと覚えている。
話がかなり脱線してしまったので戻すが、その後「宇どう」において国内、海外様々な場所に行き様々な経験をしてきた。その様々な旅の中で副部長を拉致して国内や海外に行ったり、市町村のカントリーサインをまわったり、ビール工場に行ったり、実際に自分達でビールを造ったり、映画のロケ先に行ったり、旅の最中にテロにあったり、神輿を担いだり、サイコロでその目によって行き先が決まるような旅をしたり、アイスランドに行ったり、銃を持っている民間人に隣の馬鹿が指をさしたり・・・とそんな経験は、今後果たして出来るのであろうか。正直こんな素晴らしいお馬鹿さん達とでなければこんな馬鹿馬鹿しい事は出来ないような気がする。
4月からは部員それぞれ大学を卒業し、今までとは違うそれぞれの道を別々に歩む事になるだろう。しかし、どんなに忙しいとしても一年に一回程度は「宇どう」を復活させ、大学時代とかわらない馬鹿話をしていきたい。たとえ誰かが忙しくて行けないなんてほざこうが必ずそいつも含めて飲み明かしたい。我が家には「宇どう」の活動で撮ったDV、写真アルバムの山、作成者自身も良く分からない程膨大なHPという「有形の」思い出がある。ただ有形の思い出以上に形には決して残らない経験という「無形の」思い出もしっかりと持ち合わせている。そんな思い出をいつまでも無くさないように、見失う事のないようにいつまでも大切に保存していきたい。最後になるが大学時代に「宇どう」においての数え切れない程の経験は、今後の人生において必ず何らかの形で生かすことが出来るであろう。そして宇どうの活動の中で出逢った様々な人々、本当にありがとうございました。
97.「宇どう解散」副部長(03.3.10)
いよいよ「宇大どうでしょう」が解散となる。思えば、3年近く宇大どうでしょう(宇どう)の活動をやってきたことになり、宇どうだからこそできたことが多いとしみじみと思った。
宇どうだからこそできたこと、海外旅行にたくさん行った。韓国、台湾、シンガポール、インドネシア、アメリカ、アイスランドデンマーク、スウェーデン、ノルウェー。国内も多くの県にいった。それまで旅行といえば家族旅行でいった和歌山、スキー部でいった北海道・山形、修学旅行でいった奈良・京都位で人生でこんなに旅行に行くとは思わなかった。
そんな自分が海外旅行に行くとは、しかもこんなにたくさん。自分のパスポートに多くの国の印が押されていくのはなんとなくうれしいものだった。しかも、アメリカのテロの時にアメリカにいるとかインドネシアのデモ、韓国のデモなど新聞の国際欄で見て
「あー、大変だ」
位にしか思わなかったであろう出来事に遭遇できたことも宇どうで海外にいけたからだと思う。
自分は海外に行く前は外国はとても遠い国で、言葉も通じなければ文化も違うという色々な壁によって外国はいってみたいがなんとなく怖いくらいに思っていた。
しかし、その1年後には四国に行くといわれ、実は韓国に行くと知り国内旅行をするような軽装で海外に行く気がまったくないにかかわらず出国審査の順番待ちをしているほど、海外に行くことに壁を感じなくなっていたように思う。
また、国内でもおそらく宇どうでなかったら、省庁をスーツでしかも徒歩で見学して回るということもなかっただろうし、もんじゃ焼きーフランス料理ーカクテルといううまいもの食べ歩きもしなかったことだろう。神輿も担がなかった。猫の法事もしなかったし、なによりサイコロを振って出た目で行き先が決まって、目的地の駅についたらまた振って乗ってきた新幹線にそのまま折り返して乗るなど考え付きもしなかった。
宇どうとして「自己満足の追求」に明け暮れた結果、このような貴重な経験が出来たことはよかった。
宇どうの活動はそのほとんどが次の企画の話しているときが一番盛り上がり、企画の最中は企画が進むに連れてどんどん肉体的・精神的につらくなっていく。そして企画はつらいんだと自分に言い聞かせてもうやらないと誓う。企画をやっているときはもしかしたらあまりたのしんでいなかったかもしれない。しかし、企画中にまた次の企画が練られていく。そのときは盛り上がる。
なんとも不思議な状況だが、辛い企画ほどのちのち「良き思い出」として強く心に残るものであった。
辛い山を越えたときこそ楽しい充実感があるのだろうと勝手に思い込んで、これを自分なりの宇どう魂としてこれからもがんばっていこう。
最後に、アイダさん、ニーナ、韓国のガイドツアーの人、館山のおばちゃん、そのほか宇どうの活動で出会い、またお世話になった方々に深く感謝して、この「たわごと」の締めとする。
96.「宇大どうでしょうはどうでした?」支部長(03.3.3)
いよいよ就職。人生の中の大きな転換期を迎えています。私、支部長は3月には宇どうメンバーの中で一番早く就職のようです。そして時をほぼ同じくして宇どうがついに解散を迎えます。私は宇どうの晩期に入部したために、全活動のわずかしか同行できなかったことが非常に悔やまれております。しかし、なぜ宇どうに入部する流れになったのかは私自身もよく覚えていませんし、他のメンバーも首をひねるでしょう。そもそも宇どうが「部員不募集中」であることも知らずに宇どう部員となってしまったのであります・・・。ただ副部長が積極的に動いてくれたのは確かです。部長と代理はわけが分からなかったと察しますが、例外的な部員ではあれ、こうして支部長として認めてくれたことは、メンバーに至極感謝している次第であります。宇どうはホントに気の合う仲間で、常に自己満足の追求を楽しみました。部長は年長だけあって責任と知識が役立ったし、代理はホームページの更新など宇どう事務を欠かさなかったし、副部長はボケ役に徹してくれた(笑)、とそれぞれ立派に役割分担を遂行したという印象があります。
宇どうは「旅」が大きなテーマでもあるわけですが、私も当然旅は好きですね。特に車でのんびり出掛けるのが好きですね。大学一年の夏には車で1週間かけて九州、中国、近畿地方へ旅しました。道中、当たり屋の方々にいちゃもんつけられ追いかけられて逃げ切ったり、や○ざの方の車を煽ってしまった結果、時速100kmのカーチェイスの末に止められたものの散々謝罪して説教で済んだ(注:私が原因となる運転をしたわけじゃないのに、逃げるときはいつも自分が運転させられたり、当人よりも必死に謝罪した)・・・などなど「死」にもあと一歩まで近づきましたが・・・やっぱり今でも恐い体験です!是非真似しないように。奇跡的にも難を越えながら自動車運転暦は4年を迎えようとしています。時間が経つにつれ、やっぱり事故が一番不幸ですので“安全運転”の自覚が強まっています、いやホントに。
宇どう企画では、私のわがままも聞いてもらい「栃木県49市町村カントリーサイン」の旅もできました。そう、支部長として入部してから旅らしい企画はしていなかった、正確に言うと参加できなかったのですね。「ビール工場見学」や「ビール作り」、「宴会」・・・。私の在籍期間は飲み関連企画が続いていたため、解散する前に宇どうらしい企画を体験したかったのです。だから最後にふさわしいものだったと思います。 また他のメンバーはアメリカ、東南アジア、韓国、北欧などと多くの国へ旅しました。しかし支部長だけ出国したことすらないのです。気の合う人と予定が折り合わない、実家のため、スケジュール、金銭面、全ての都合が合わず、しかも私は日本が大好きなために資金は全て国内旅行に費やしてしまうなどで結局行けませんでした。なんか悔しいから40年後、定年後に絶対行ってやるっ!
宇どうはおバカな連中だったが楽しかった。支部長にとってはわずかな期間であったが楽しかった。それだけに宇どうを続けたくてたまらなく、また悔しい。今まで私は部活動というものを学生生活で部長という重責の中で嫌々やらされてきた受け身なものというのが正直な感想でした。だが、宇どうはやりたいことをバカになるまでやる。自分たちが決めて動く。すなわち能動であるのですね。だから楽しかった。人生の大きな糧になったと同時に、良い思い出つまり「幸せな時間」になりました。期間の短い支部長ゆえに「解散にあたって」らしからぬまとまりの無い文になりましたこと、ご容赦ください。メンバーへの感謝は勿論、応援してくださった人々ありがとうございました。宇大どうでしょう万歳!そして社会人(宇院)どうでしょう(?)バンザ〜イ!!なんだか遺書を書いている感覚に陥り、年のせいか涙もろいため泣きそうですので、皆々様のご健勝を願いながらお粗末ではございますがこの辺りで筆を置きたいと思います。
95.「北欧歴訪を終えて」代理(03.2.13)
学生生活最後であろう旅が終わってしまった・・・構想から二年、計画から半年以上かけて実施されたこの北欧歴訪、旅中は色々と大変だったが終わってしまえば一抹の寂しさを感じてしまうのは、いつもの宇どう旅企画と変わらない。
さて今回の旅で痛感した事は以下の三点である。
1、「北欧の福祉国家は旅行者には痛い」
2、「ストックホルムは優しいまち」
3、「やっぱり日本が一番いい」
まず、1であるがとにかく物価が高かった。歴訪した各国(アイスランド、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー)すべての付加価値税(消費税)が20%前後である・・・例を出すと某ファーストフード店の一番安いセットが日本円で1000円となっている。日本だと僅か60円弱で食べられるというのに・・・またタバコは1200円。この為費必然的に副部長は禁煙してしまった。お年寄りが沢山まちに出ていて活気はあったのは確かであるが旅行者(我々のような貧乏旅行者)にとって福祉国家は非常に痛い政策であった。
次に、2だが歴訪した4カ国の中で一番好きなまちは何処かという事なのだがそれはスウェーデンの首都、ストックホルムである。ちなみにこの意見は副部長と一致している。ここストックホルムというのは町並みが非常に素敵な感じで、自分たちがイメージしていたヨーロッパの風景に一番合致していた所である。「魔女の宅急便」を見た事がある方はあの中で出てきたまちをイメージすると一番わかりやすいと思う(ちなみに帰ってから知ったのだが魔女の宅急便はここをイメージして作られたらしい)。
最後に、3であるがそのままである。ただ先程東南アジア歴訪から帰ってきた時の自分のたわごとを読んでびっくりしたのだが同じ事を言っている・・・しかも2週間ほどは海外企画は十分ともいっている。今回は3週間・・・全然教訓を生かしていない・・・今度こそといいつつも恐らくまた忘れてしまうのだろう・・・
今回の北欧歴訪。とにかく待ちの旅だった。何かと移動、待機が多く。その点では忍耐力は非常についたと思う。こんな旅もうこれからは恐らく出来ないであろう。学生生活最後に経験出来て非常に良かったと思う。
94.「北欧歴訪を振り返って」副部長(03.2.13)
1月22日、成田空港につく。格好はスーツで状態は寝不足であった。飛行機に乗って酒を飲み、ダウンする。途中コペンハーゲンカストロップ国際空港で両替をしてぼられる。半日以上かかってアイスランド・ケプラビーク国際空港に到着する。
1月23日から27日まではアイスランドの観光をした。日本でもあまり行かないプールにもいった。「ラウガルダルア野外プール」は名前にあるとうり、屋外に水槽があり温水がはってある。なので泳いでいるときはいいのだが、いったん外に出るとすぐに氷点下の風にさらされ芯まで冷えてしまいそうになるため、なかなか水槽からでられなかった。この現象は「ブルーラグーン」と呼ばれる人口巨大露天風呂でも起こった。「ブルーラグーン」は1日かけてはいる予定だったが、日本と違い一度脱衣場から外にでて、もう一度再入場することはできないため、賭けで一度外に出てしまった結果、夜まで暇を持て余し、絵描きしりとりなどをして遊んだ。夜まで待ってオーロラを見ようとしたが見れなかった。結局1週間近くいて夜晴れた日は0日だった。オーロラをみることが一つの大きな目的だったので、オーロラは心の中で見えたことにした。
1月28日、デンマークの首都コペンハーゲンに着く。コペンハーゲンではストロイエを何度も歩いた。ストロイエは歩行者天国で服屋や食べ物屋が建ち並ぶ。お土産屋も何軒かあり一通りまわって、そのうちの一軒に目星をつけたが、ノルウェーから帰ってくると潰れていた。ほんの1週間だった。
1月31日、スウェーデンの首都ストックホルムに向う。初めて国替えを列車で行った。乗った車両は「X2000」というもの。進行方向と逆に座ったため景色が過ぎ去っていくものばかりなのがつまらなかったが、結局寝ていたのであまりかわらなかった。一等席で、乗り心地が良かった。車掌が「三國連太郎」、後方の席の人が「レーガン元アメリカ合衆国大統領」に似ていた。ストックホルムはガムラ・スタンという昔の町並みをそのまま残したという場所だった。王宮や教会があった。王宮で拳を突き上げるのは怖かった。
そのほかにもノーベル賞の晩餐会が行われた「市庁舎」のガイドツアーに参加した。かえるとびをやって帰ってきた。
2月3日再び列車にて国越えをする。しかし、オスロに着く前に列車は止まってしまい、バスでオスロ入りした。
北欧は日本より物価が高かった(特に食事)が、ノルウェーは一番高かった。マックのダブルチーズバーガーセットが1000円、マルボロ一箱が1200円というのはどうだろうと思った。手持ちのたばこが切れ、物価も高い、金もないということで禁煙を始めた。
2月5日から6日にかけてフィヨルドを観にいった。移動が長かった。移動中暇なのと疲れからか少し腹筋が弱くなった。
2月7日にオスロ観光を終わらせた後は、移動移動で、忍耐力の強化合宿をしながら成田についていた。
北欧歴訪は「待ち」の旅だった。これで少しでも精神力が強くなれば嬉しい限りだ。今回はアメリカほどのどたばたはそう頻繁にはないと思うが、そこまでいかなくても宇どうさんの旅としては無事な旅だったと思って宇都宮に帰ろうとしたとき、会社からの連絡が帰ってこないと電話があったという実家からの電話と、友達からのメールをスルーしていたことによる心配のメールなどが入いっていたことを知る。また、ボストンバックの鍵をなくした。最後のマロニエ号でほとんどしゃべれなかった。
旅に行く前の早めの「報告・連絡・相談」の必要性と気を抜いてはいけないということを改めて教わった。
93.「生誕22周年を迎えて」代理(03.2.11)
先日(というか、これを書いているときはまだ誕生日を迎えていないのだが・・・)誕生日を迎えた。いよいよである。社会人の歳だ。今までの微温湯の生活から一転するであろう社会人の生活。期待と共に不安も日々大きくなっている。
さて今年の誕生日、今までには無い誕生日であった。日本で迎えていないのだ。海外、しかも北欧、アイスランド。何ということだろう・・・しかも一緒にに誕生日を迎えたのが副部長とである。海外で誕生日を迎えるのも恐らく珍しい事だと思うがそれをよりによって日本人観光客年間3000人(しかも我々が旅行時にはオフシーズン)、国民人口30万人弱のアイスランドで迎える事になるとは夢にも思わなかった。
実はもう一つプランがあった。他の人よりも長く誕生日を過ごすプランである。その為に代理の誕生日を旅行開始日にしようかと検討していた事もあった。他の人よりも長く誕生日を過ごす事が出来るプラン、つまり「時差」を使う事である。旅行当日飛行機で欧州まで行く事になるが日本出発日も代理誕生日。そして13時間経過後の欧州到着時もまだ代理の誕生日である。計算では代理誕生日当日は我々は1日が35時間位になるはずである。ただそのプランは中止した。そんな事をすると人生の中で一番きつい誕生日を過ごす気がしたからだ。飛行機で海外に行った方はお分かりだと思うが、飛行機の中では案外やる事がない。本を読んだり、映画を見たり、起こされていきなり腹に重い食事をお見舞いされたり・・・なかなかハードな移動である。そんな事をしてしかも乗り換えてなんて事をしていてきつくない訳がない。しかも同行が副部長とである。何で人生で一番長いであろう誕生日を副部長と過ごし、誕生日プレゼントの機内食のデザート(副部長は甘いものが大の得意である為いらないらしい)を貰わなければならないのだろうか!?ということで誕生日は旅行開始日をはずした。でも今考えると案外面白いかもしれない・・・
そんな訳で何だか今回もくだらない話で終わりそうだがだが、北欧から無事戻ってきて今年一年充実した実りある一年を過ごしたい。
92.「『インドネシア・ラヤ新宿店』の思い出」部長(03.2.11)
2003年1月15日、「インドネシア・ラヤ新宿店」が閉店した。テナントビルの契約料が大幅に値上がりし、払え切れないとのことである。とても残念だ。「インドネシア・ラヤ」は、西銀座と新橋のみとなる。
私がその店を始めて利用したのは、インドネシア留学から帰国した後の、1998年1月だっただろうか。新宿に雑用で出かけたときであった。インドネシア料理が無性に食べたくなり、足を運んだ。とても人柄のいい店主さんと、気さくな店員。料理の味がおいしいことはもちろんであるが、なによりその雰囲気が気に入った。インドネシアの音楽がBGMで流れ、周りの壁にはインドネシアのお面や人形、絵画などが並ぶ。この日本の中にあって、インドネシアを思い出させてくれるその店を、私はすぐに好きになった。
その後は、コマ劇場下のシアターアプルで行われる「カンコンキン・シアター」の際や、紀伊国屋書店に本を探しに行った時など、様々な場面で利用させていただいた。その度に、懐かしいインドネシア料理に舌鼓を打ち、その雰囲気に身を委ねた。
今年の1月14日、ヤボ用で新宿に行った際、店に足を運んだ。すると店先に、1月15日で閉店するとの紙が張ってあった。店内に入ると閉店を惜しむたくさんのお客さんがいた。私は食事を終えてもすぐには退店せず、しばらくコーヒーを啜っていた。インドネシアの音楽や雰囲気に浸っていると、インドネシアに行きたいと強く思い始めるものである。会計の際、店主と歓談し、「新宿へきた際はいつも利用させていただきました。この店が無くなるのは淋しいですね」と述べると、「ありがとうございます。ただ、テナント料が値上がりしまして…」と返していただいた。しかしその眼は、明らかに悲しそうだった。
味もさることながら雰囲気でも満足させてくれる店が無くなるのは、本当に悲しい…。
91.「勤務地内定」支部長(03.2.11)
先日、私、支部長の入社先の配属地が発表された。普通は4月1日から入社、社会人となるのが恒例行事であるのだろうが、我が社は3月10日が入社式である。昨年、今年4月と新店舗の開店が相次いでいるために、即戦力を早めに使いたいということであるらしい。そのためにこうして皆々様よりも配属地決定などの段取りが幾分早いのである。
で、その配属先は“松本市”とあった。転勤は今のところなしである。実家から通うことになるであろう。ほっとした反面、微妙な気持ちである。というのも、当初は入社の最低条件が“転勤”であったのである。しかも、面接では「○○君、転勤についてはどこどこへ行けと言われても問題はないかね?」と聞かれ、この不況の時代に転勤はやむなしと「はい問題ありません・・・。」と答えたのであったので、間違いなく転勤と勝
手に解釈していたのだ。
転勤したら寮に入ろうと考えていた。寮なら光熱費込みで1ヶ月7000円と格安なのである。しかし実家なら親に幾らかの生活費を払えば良いだけである。会社から送付されてきた資料によると寮は結構ボロいようで、場所によっては2〜4人で一部屋らしい。正直それは嫌だと思った。風呂、トイレの共同は致し方無いと我慢できるが、相部屋は誰とも接することが無い一人きりの空間が無くなる事を意味する。ましてや一人の時間が結構好きな私であるので、それは選択肢の中から完全に抹殺される。アパートを借りると言っても引越しや敷金、礼金、月々手取りの半分近くが住居費に消える、食事も自分で作る、その土地へ慣れるまでなど数多くの苦労が待ち構えている。去年までは3年間神奈川でアパートで暮らしたが、騒音やゴキブリに悩まされ、坂道だらけで東京まで小田急で1時間10分もあるという町に馴染むというよりむしろ嫌気がさした。また、長野市派と長年争ってきて見事に長野オリンピック効果で完敗した“I LOVE 松本”な私としてはこの松本を離れることは心惜しいわけである。いっつも眠そうな○賀市長や市政に物申したい事は多々あるが。ちなみにローカルな話ではあるが松本市は波田町、安曇村、梓川村、四賀村と合併協議を進めるらしい。安曇村は日本一面積の大きな村であるので合併後の松本市は今の倍位になるのであろうか。
ともかく、入社前のドタバタは無さそうである。しかし転勤は今後無いとも限らないので覚悟は必要だろう。代理、副部長は確実に一人暮らしと聞いたが、早く動いて良い物件を見つけてもらいたい。いよいよ入社まで1ヶ月半となってしまったとともに宇どうも終結を迎えようとしている。徐々に社会人への心構えが出来始めている。
90.「テレビっ子」副部長(03.1.20)
年末から年始にかけて、バイトや卒論などが重なりテレビをみる機会が減った。元来どっちかといえばテレビっ子である自分は社会の動きを数多くテレビ番組繰り返し観ることによってつかんで来ていたんだということを実感した。その大切な情報源であるテレビが観られなくなることによって世間で今話題になっていることが分からなくなってしまった。一日かけて「目覚ましテレビ」「トクだね」「どーなってるの!?」「笑っ
ていいとも」「ごきげんよう」「昼の連続ドラマ」「ザ・ワイド」か「ジャスト」「スーパーニュース」ゴールデンタイムの番組「ニュースステーション」「ニュースJAPAN」「すぽると」そして深夜番組をはしごして最後に外国の通販番組か「ジャパネット高田」を観て最後に「映像散歩」か深夜の映画を観てまた「目覚ましテレビ」が始まるちょっと前に力尽きて寝るという生活を送った日は、
「なんて意味のない一日を送っているのか。」
とへこんでいたのだが、全く観ないという状況に陥るとそういう生活も意味があるんだともう少し本気で観ていればよかったと少々後悔している今日この頃である。
89.「2003年を迎えて」部長代理(03.1.13)
驚く事に2003年になってしまった・・・学生生活、予定ではもう本当にカウントダウンである・・・
今年の始まりといえば、元朝参りであるが実は今まで新年が明けると同時にという場面で行った事がないのだ。通常は大体元旦の年賀状が届いた後とかに行っていた。それが昨年実家の引越しが私、代理の同意無く行われた結果、新居が神社の下という好立地になったのだ。その為、折角だからという事で初めて行ってみる事にした。特にこれといって何にも無く粛々と元朝参りを終えたのだが、いつもよりは御利益があるのだろうということで自分で納得した。
その後は新年会の梯子。親戚と飲む事を含めると4日連続5回という予定だったものが、結果的には正月から5日連続6回開催という恐ろしい事になってしまった。実はその他にも2回誘われたのだが時間と日程が他の新年会とかぶっていたので泣く泣く断った。しかも飲み会翌日、6日には宇都宮に戻ってくるというハードスケジュール。なおかつ宇都宮に戻る際は飛行機が取れなかったので電車、新幹線を乗り継ぎ9時間かけて戻ってきた。この感想としては、
「そういえばサイコロってきつかったなぁ・・・」
という感じである。
話を戻すが、新年会「5日連続6回」。普通に考えたらおかしいと思うはずである。そういう自分も今でもおかしな飲み会であると思っている。つまりダブルへッダーなのだ。ダブルヘッダーは1月2日に行われた。
1月2日日程
17時〜19時 新年会A参加
19時〜21時 新年会B参加
21時〜 Aの二次会に途中参加(終了翌日5時)
翌日は違う飲み会に参加(5日まで断続的に続く)
ほんとにおかしな日程である。学生最後で来年からは忙しくなるから出来る限り飲みたいと考えて予定を入れたがさすがにこんなにしかも居酒屋で飲むと、新年会後半には「酒なんかどうでもいい、つまみはもういいよぉ・・・」という気持ちになってしまった。今回の教訓としては、
「時には断る勇気も大切だ」
という事である。ただそれなりに充実した生活を送る事は出来た。といいながらも、2004年も同じような事をしていそうな気がする・・・
88.「2003年を迎えて」支部長(03.1.7)
新たな年明け、2003年を迎えるにあたり、おめでとうございます。思い出すと、2002年の初めは伊勢神宮へはるばる二年参りに出かけました。「紅白」は車の中で見たのを覚えています。伊勢までの長距離と参拝者の多さに疲れて帰ってきたので、元日は夕方まで寝ているはめになりました・・・。ですから今回のお参りは近所に行こうと思ってます。善光寺か諏訪大社といったところでしょうか。
私の正月へのイメージは「国民の儀式なので盛大に祝うもの」であったので、今までは31日から1日まで夜を徹してパーティーの様に、食卓を彩り何をするでもなくウキウキと「祝い」ムードを強引に醸しだそうとしていたような気がします。ですが今回は正月だからといって浮き足立つのではなく、細く長く生きるために年越しそばを食べ、新年への願いを祈りにお参りに行き、おとなしくその意義を全うしたいと考えています。
暮れから正月は需要が上がるために物価も上がる。店に見に行くと、ブリなんか普段より割り増しで1匹30000円以上ですよ。それでも「正月だから」と日本の伝統を重んじて買われる方が多いのが実状です。その伝統を無視して正月を普段と同じ何でもない平日と考えると「何と馬鹿らしい」と思ってしまう私でして・・・。人によって当然考え方は違うのですが、私が裕福ではないからかもしれませんが、その伝統の本来を見つめ直してひっそりと過ごしたいと思います。また忘年会、新年会が続いて心身、財布共々疲
れ気味ですし。
本年度は私、それに代理、副部長の年齢は高島暦を見ると黒丸で低迷運と表されています。ちなみに部長は「少厄」と思われますが、佐野厄除け観音がお気に召さないようで行かないと申しておりました。私ら昭和55年生まれは「精神的な強さが要求される年」とあります。社会人ともなりますし、そうなる事でしょう。「病は気から」とも言われていますように、このようなものも気の持ちようで何事も受動か能動か決められることができると考えています。すなわちポジティブシンキングで前向きに要領よく2003年を過ごしていきたいですね。前にも述べたように、社会人となる上で心身的にも大きく成長することを求められると思いますし、何に関わらず確実に一歩ずつ前進していくことが重要であると自負しています。
皆様においても充実した2003年でありますように。
87.「2002年の宇どうを振り返って」副部長(03.1.7)
今年も一年が終わろうとしている。早かった、実に早かった。あまりに早すぎて何をして過ごしてきたのか分からなくなるほどだ。1月2月にはうまいものツアーと称して海外に拉致ごっこをして遊んだことは遠い過去のことのようだ。しかし、振り返ってみると今年の宇どう旅企画はそれしかやっていないのだ。有言実行で行動派の宇どうがなぜ?その理由を振り返ってみれば、今年はみんな忙しかった。正直、サイコロを振っている余裕はなかった。今年で大学生生活が終わり、来年からどうやって生きていこうか、そんなことを必死に考えた一年であったように思う。結果として部長は大学院、部長代理は公務員、支部長と自分は民間企業へと進むことになった。
しかしながら、そんな合間をぬって例会はよく開かれた。誕生日会も時期はずれるが欠かさなかった。そして、宇どう新メンバーの支部長が加わった。大型企画はなかったが、細々と粛々と活動は続けていた。ホームページも一時期更新ストップをしていたが、掲示板は動きつづけた。宇どう通信、メルマガも発行しつづけた。当たり前のことを当たり前に続けるのは案外しんどいが、今年の宇どうはそんな当たり前を続けることに一生懸命だったように思う。まさに「継続は力なり」。
自画自賛もいいところではあるが、卒論を1週間そこらで書き上げようとして(しかも出来てない)眠りたいのに寝付けない夜を何日か過ごした現在の自分には、この宇どうの地道さがどうしても輝いて見えるので、許してもらいたい。繰り返す「継続は力なり」ウサギと亀なら亀に、アリとキリギリスならアリになりたい。
いよいよ、今年も終りに近づいた。忘年会をして、大掃除をして年越し蕎麦を食べて、粛々と新年を迎えたい。最後に、今年の部長代理にはたくさん霊の方がついているみたいなので、できれば除夜の鐘の音とともに去っていって欲しいと思います。それでは、読者の皆さんによい年が訪れることを願って今年最後のたわごととさせていただきます。
来年もよろしくお願いします。
86.「大雪」代理(02.12.24)
たわごととして掲載されるのは大分遅くなりそうだがとにかくすごい事なので書いてみようと思う。今たわごとを書いている時期というのは、卒論提出まで後10日なのにこいつは何をしているんだと思わず読んで頂きたい。
今日(2002年12月9日)、南東北の宇都宮は大雪が降った。積雪17cm(気象庁発表)・・・どうもこの時期にこれだけの雪が宇都宮で降ったのは90年ぶりだそうだ。90年前というと1912年・・・
ちなみに1912年とは、
「大正元年」
「タイタニック号沈没」
「清朝滅亡」
「通天閣完成」
「富山県で米騒動始まる」
「JTB創立」
といった、年なのである。だから何だと言われても困るが。それ以来の大雪なのである。たいしたもんだ。さぞかし当時の人々は大変だったであろう。
さてこの90年ぶりの大雪、研修で東京に出かけていた副部長の話によると深夜から降っていたらしい。そんな事も知らず12時過ぎまで平和に寝ていたので、朝起きてカーテンから漏れる窓の外が白い状況に驚いた。というのは、我が家のカーテンは、というか窓が特注サイズらしく窓のサイズに合うカーテンが無い。その為寸足らずになってしまい必然的に窓の外の状況が分かるのだ。おかしいと思い、カーテンを開けると一面の銀世界だった。実家にいるような状況でいささか驚いてしまった。こんな雪はこっちに来
てからは、ほんと数回の経験だ。
そんな雪が突如として降った為、我が家でも大変な事になった。家の前にある階段がすっぽり埋もれ、外に出られないのだ。このままにしておくと明日解けた雪が凍ってしまい大変な事になるとお天気おじさんの森田さんが言っていたので、取り合えず箒で掃く事にした。ところがこの箒、いつもベランダに放置していた為、限界が来たらしく雪を掃いていたらポキッと見事に真っ二つに折れてしまった・・・森田さんのお蔭で年末の何かと諭吉が出て行く時期に無駄な出費がまた増えてしまった。困ったものである。
その雪、今夜も降り続けると森田さんが言っていた。どうなるんだろう!?森田さんが言っているのだから明日の朝も雪が降るのだろう。
〜追伸〜
翌日見事に雪が降った。さすが森田さん・・・でも昼過ぎまで雪が降っているではないか。森田さん、もういいんじゃないか!?朝までではなかったの?
85.「支部長生誕22周年を迎えてのメッセージと副部長お祝いメッセージ」支部長、副部長(02.12.12)
支部長「生誕22周年を迎えて」
何とか22年間生きてこられましたのもみなさんの支えがあったからだと感謝しつつ、これからも健康で人生を過ごしていければ良いと思っております。
部長も前に言っていたとは思いますが、22歳ともなると誕生日を迎えるメリットというものも感じなくなっております。18の時は自動車免許、20の時は酒とたばこ、21の時は自動車保険料の値下げとそのメリットは大きかったのですが。26歳になればまた大幅にその保険料が下がるのでその時を待ちましょう。何とも現実的で夢がありませんが・・・。
インターネット占いがはやった頃、運の波を占うというものをやってみました。誕生日等データを入力し、その結果は25歳が生まれてから最初のピークということでした。これまでこれといって嬉しいことも良いこともない平凡な生活を送ってきた私ですが、25歳になればようやく何かが・・・でしょうか?あまり占いや神などを信じない方である私ですが、自分に都合の良いことは信じてしまうという自分勝手な人間なのでした。
ところで22歳を迎えるにあたり、何か目標があるかというと特に思い当たりませんが、やはりこれからの一年は、社会人になるということで、無事に一年仕事ができるという事が目標でしょうか。あとは来年への抱負と重なってしまうので、そちらに記します。
兎にも角にも、前に述べましたように、今まで関わってくれた人々のおかげで今の自分があるのです。特に副部長には色々と影響を受け、支えて頂き感謝している次第であります。「人間はもちつもたれつ」と今日の『水戸○門』で言っておりました。これからも、みなさま、そしてこれから出会う方々、何卒よろしくお願いいたします。
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副部長「支部長生誕22周年を迎えてのお祝いメッセージ」
支部長、生誕22周年おめでとう!今まで特に何かするわけでもなくきたのにいまさらという声もあがりそうだけど、そういうことをあえて無視して、おめでとうございます。
誕生日と言えばプレゼントは必須アイテムなんだけど、お金がない自分はなにをあげればいいのか。できることなら大喜びしてもらいたい、気に入ってもらいたい。お金がかからないしかも喜んでもらえるプレゼントとはなにか、答えはあの「御守り」です。おかまのヒ○ローを思わせるミュージカル団員の切り抜きや歌舞伎の女形の切り抜き、昔自分が貰ったあの「御守り」を是非譲りたいと思います。御守りパワーで幸福になってください。
84.「学祭について」部長(02.12.12)
11月22日から24日の3日間、学祭にタイ料理の模擬店を出店した。メンバーは宇大でタイ語を勉強している学生たちと、タイ語の先生。立地は表通りから1本入った通りなので、売り上げの減少が心配だった
本年のメニューは、いずれもタイ料理。オイスターソースやナンプラーなど、秘伝のソースを使ったチャーハン、米から作られた麺に、少し酸っぱく、甘く、しょっぱく、かつ辛いというタイ料理王道の味を行く焼きそば、レモングラスなどで香りを付し、ココナッツミルクをふんだんに使い、まろやかでピリリと辛いカレーの3品だった。
22日は初日にもかかわらず、早速寝坊した。東北道と、昨今の道路公団民営化論議で全線開通が危ぶまれる北関東道を徹夜の寝不足のまま疾走して午後出勤。14時頃に「はようっす」と上下黒のジャージ姿で入っていくと、他の方々は忙しそうに働いていた。私もタイチャーハン作りに勤しむ。チャーハンに入れる卵は、作業時間短縮のため、予め炒り卵状態にしておくのだが、その重要な担当に私が選ばれた。日頃、アルバイト先のファミレス「G」でオムライスを作っている私、卵を撹拌し、スクランブル状態に仕
上げるなどお手の物。早速卵2パック分を完成させる。
ふと右隣を見れば、“とても”暇そうにしている副部長がいるではないか。聞くところによると、そのテントはスキー部で焼きそばを出店していたとのこと。私は閑古鳥がなくそのテントを発見した当初、「どこぞのお通夜だ?」と思ってしまった程である。我々のテントがある裏通りは、どうも外国料理が並んでいた。中国水餃子。肉を何十枚と重ねて串刺しにして、高さ50センチ程度になったものを廻しながらこんがりと焼き、周囲の焼けた肉をこそげ落とし、パンに挟んで食べる「ケバブー」。ケバブーと同じテントで出されている「チャイ」と呼ばれるミルクティー。ヴェトナム料理。そしてわがタイ料理。そうした中に混じって、スキー部の伝統料理「目玉焼きそば」。フツーの焼きそばの上にフツーの半熟目玉焼きがのっている、フツーの料理である。見事にスキー部さんのテントの前は、ケバブーの行列でふさがれ、営業妨害を受けていた。
チャーハン作りもそこそこに人に任せ、私は「お通夜会場」へ。着くが早いかビールを提供される。我々のテントはお通夜会場と違って忙しいので、ひっきりなしにオーダーが入る。ビールを飲みつつチャーハン作り。そのうちに、今度は日本酒が入りだす。いよいよ酒宴のはじまりはじまりである。
閉店後、徹夜明けの私は副部長宅で一睡し、帰宅。翌23日も寝坊し、午後出勤。バイト先からキッチンコート(いわゆるコックコート)と前掛け、帽子を持参。私の格好以外は前日とほぼ同じような光景だったが、強いて違う点を指摘するとしたら、我々のテントの売り上げが、2日間で20万円を大きく突破した点と、アルコールが日本酒から焼酎に変わった点だろうか。
隣の本葬会場(お通夜の翌日だから本葬なのっ!)が可哀相なので、焼きそばを買ってやる。「もっと買え、もっと買え」と言いやがるので、「だったら副部長のツケにしといて」と反論する。その夜は先生らとともに、郊外にあるファミレスで夕食をとる。別れた後は、部長代理宅へ。ビール(もちろんメーカーはKです)や日本酒4合を飲酒し、就寝。
翌24日は、なんと朝9時に出勤。仕込みから始める。炒り卵、玉葱刻み等々。
その日はたっぷりと焼酎水割りを飲む。さすがに夕方からバイトがあるので、量は控えたが・・・。ご機嫌なまま、帰宅。学祭で使用したキッチンコートには、たっぷりとニンニクやナンプラーの芳しき香りが付着しており、他のキッチンメンバーから「くせえ、くせえ」と非難される。よくよく考えたら、ニンニクくせえはナンプラーくせえは、おまけに酔っ払っているときている。とんでもない状態でキッチンに入り、一般のお客
様の料理を作ったものだとつくづく思う。
今更ながら、「もちっと早起きをして、テントにいたかったな」と思う今日この頃、大雪・・・。
83.「来期の阪神は強い!?」支部長(02.12.9)
阪神星野監督「(ノリは)100%巨人になんか行かない!そんな馬鹿な男ではない。」巨人渡辺オーナー「星野くんは頭がゆだっているようだね。久万オーナーと阪神を強くしようとしてるんだ。あんな小僧がいろいろ言ってもしょうがないじゃないか。」
以上は先日、中村紀洋選手がFA宣言して、阪神入団が有力とされてきた頃の対立している(?)二人のセリフである。この頃、巨人には元ヤクルトの4番打者ペタジーニ選手が入団した。それとともに世論、特にアンチジャイアンツの人々は騒ぎ立てて一斉に巨人にブーイングを始めた。「ペタジーニまで獲って、今度はノリまで獲るのか!!」マスコミは「もし、中村まで獲ることになれば、ジャイアンツファンは減るでしょう。」と巨人ファンの謀反を唆し始めたのである。確かにペタとノリの両獲りは客観的に見るといささかやり過ぎであると思う。セ・リーグの力バランスが悪くなる一方であるだけでなく、若手、特に頭角を表し始めた斉藤宜、福井選手らのモチベーションが下がるのは必至であろう。その後、渡辺オーナーは世論を気にしてかしてまいか、「ノリは阪神に行った方が良い、阪神が強くなった方が良い。もしノリが巨人に来てクリーンアップで打ってみろ。子供達があの金髪とモヒカンを真似したらどうする。巨人にノリは合わない。」と負け惜しみとも思える「ノリ獲得撤退宣言」をした。ジャイアンツファンである私でも野球界が活気を戻すためにはペタが来てしまった以上、ノリは阪神に行った方が来年は面白いのではないかと思う。この一言が来シーズンに後悔の念に苛まれる可能性は十分にあるが・・・。
来年の巨人と阪神のオーダーを予想してみよう。まず巨人は1番から清水、二岡、高橋由、清原、ペタ、江藤、阿部、仁志である。見事な脅威打線である。対して阪神は、今岡、濱中、桧山、中村、金本、アリアス、片岡、矢野となる。これまた恐ろしい打線ではないか。ちなみに前記のオーダーの2002年度のホームラン数を比較すると巨人は152本、阪神は166本である。一見、阪神の方が多いが、その実状は、巨人は清原が殆どケガ、江藤と仁志の不調。阪神は今岡、濱中、矢野のケガと片岡の不調。巨人は清原が来期を大きく占うと思われる。清原は常に左足の肉離れの危機を持つという満身創痍的状態であり、常に4番に座れるという可能性は低い。江藤は不振を脱却できるか。また松井という心の拠り所を失ったナイン達は今期のモチベーションをキープできるのか。阪神は4番らしい4番が救いに来てナインの役割がはっきりできるのではないか。あとはケガに泣かなければ。
今期、なぜ巨人は優勝して阪神は4位だったのか?それはチャンスに強いかどうかではないだろうか。二岡は満塁男、清原は逆境に強く、阿部はサヨナラ男である。濱中はソロホームランが多かった。アリアス、片岡はチャンスに非常に弱かった。「多く得点し、失点を最小限に抑える」チームが有利なのは当然である。
色々と余計なことばかり述べてきたが、「兎に角、来期の阪神は巨人に劣らない位強いぞっ!!」ということを言いたいのである。来年は伝統の阪神−巨人戦はもっと面白くなるだろう。
82.「身の回りの危険について」部長(02.12.4)
当初は違うテーマで論じる予定だったが、つい15分ほど前に災難に遭ったので、急遽「危
険」について論じることとする。
身の回りにある危険で最も起こる可能性が高いのは「転ぶ」ことではなかろうか。つい先ほどは、友人宅の玄関先で、雨で濡れたコンクリートのポーチに足を滑らせて、見事に右横受け身をギャラリーがいない中で披露した。Tシャツやハーフパンツは泥に汚れ、右ひじに小さなたんこぶができた。ヒジは擦り剥け、あらためて長袖シャツの重要性・有用性を再認識できた。しかし不幸中の幸い、中学・高校と体育の授業で柔道をやってきたおかげで、頭部は打ち付けずに済んだ(はずである)。「転ぶ」といえば、僕自身の経験はないがバイト先で同僚が下げてきた食器類を持って、濡れた床に滑って見事にひっくり返った。足元には気をつけたい。
その他には、車の出入り時にドアに頭をぶつける、階段で足がもつれる、風呂場の蛇口で背中を擦り剥く等、ちょっとした不注意から生じる危険が身の回りにはたくさんある。ぜひとも気をつけて、治療に要する医療費を抑制し、財政に気を使いたい。
81.「マイカー」部長代理(02.11.25)
最近車をやっと乗りこなせてきた。この車自分が買ったわけではない。前にやっていた家教先が高校入学できたことへの「ボーナス」として頂いたいわば現物支給なのだ。それが去年の年末。あれから一年になる。大学一年の8月という比較的早い時期に取った免許はそれまで見事に使われず。一度地元でキャンプに行った時に原付に乗りウィリーをして正直死ぬ思いをしてからは永遠に封印されるものだと思っていた免許。これを使う事になってしまった。しかも3ナンバーなので結構大きい。しかも御承知の通り宇
都宮は道が曲がりくねっており我が家周辺の道路事情もこの原則通りの道であり難所である。そんな中2年半も運転していない若造が車を自宅の駐車場(一ヶ月2000円)まで運転出来る訳もなく部長をピンチヒッターとして頼み家教先から自宅まで搬入してもらったのだ。
その後は全然運転しなかった。なぜなら任意保険に入らなかったのだ。これは御存知の方は知っているのだが任意保険料は若ければ若いだけものすごく高い。しかも20歳までと21歳になるとではまたかなり金額が異なる。そのため21歳の誕生日を迎えるまでの約一ヶ月間、車に乗る事は無かった。しかも誕生日直前には見事に風邪を引いてしまい、もう踏んだりけったりだった。その後副部長に清原工業団地まで運転してもらい運転練習をしたり、韓国に行った時は宇どうの車として首都高を初走行。成田まで向かった(その時は一切運転せず)。
その後は就職試験で図書館とスーパーと自宅の往復に使われるだけで特に目立った動きは無かったが、落ち着いてきた最近は結構ドライブに行くようになった。日光に行ったり、那須に行ったり、群馬に行ったりと今までは行った事の無い所に車だと行けるのでこれが結構面白い。そして思ったのは4年もここに住んでるのにまだまだ分かんない所が数多くあるんだなぁという事だった。
来年は東京に住む事になるがその時駐車場が無いらしい。となると、この車手放さないといけない。売っても1万にしかならないという事なので恐らく友人に譲ることになりそうだが、最近この車で沢山色んな所に行ったせいか愛着が出てきてしまった。初めはどうでもいいやと思って貰った車だが最近では手放したくないなと思ってしまっている。この車とは恐らく後半年のお付き合いになりそうだが、何か大切にしていきたいな、と最近思う。何だか車に対する贈る言葉ではないな・・・
80.「部長生誕23周年に対する部員メッセージ」(02.11.25)
〜副部長〜
お誕生日おめでとうございます。
部長と宇どうの活動をともにするようになってから、2年半が過ぎました。当時、20代を迎えたばかりであったのを思うと月日のたつのは早いなあと感じました。
「宇どう」解散まで、残すところ100日とちょっとになりました。残された時間の中で出来る限り、「宇どう」らしく、部員そろって活動できればと思います。
最後に、今後とも公私にわたる部長の益々の御活躍をお祈り申し上げて、お誕生日の挨拶にかえさせていただきます。
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〜部長代理〜
23歳・・・正直わかんない。ということは部長と2歳も歳が離れているわけだ。宇どう最年少の自分としては今まで部長の支持を忠実に実行し、それを経験として培ってきた中で部長の人徳、自主性、ジャイアンツの愛し方etc・・・を学んできました。これが今後の人生において生かすことが出来るかは甚だ疑問ですが少しでも部長の人間性を糧に生かしていけたらなと思う所存でございます。
宇どう部員それぞれの進路、就職も決まり来年には宇どうを巣立っていく訳ですが、部長はここ宇都宮大学に残り日夜お酒の沢山飲める方法等の研究に邁進する事だと思います。宇どうの看板を残す事が出来る唯一の人間です。是非頑張って欲しいと願う限りでございます。
部長生誕24周年にまた部員が揃い、そして馬鹿っ話をする事が出来ればなと、そして何十年後にも出来ればなと、誰かが死んでもその遺影の前で集まることが出来ればなと、遺影を持って「さいころ」でも出来ればなとすごい事だけどありえそう・・・
正直自分がこの部長へのメッセージの言いだしっぺだが、この文章ものすごく書きづらい・・・宇どう創立から2年半以上経つというのに文章を読み返してみて何だろうって思うが、簡潔ながら部長生誕23周年へのメッセージといたします。
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〜長野県支部長〜
部長さん、御誕生日おめでとうございます。
部長さんは今年23歳を迎えるということですが、すでにダンディーな雰囲気というか仙人の風格というか、人生を悟っているような印象があります。まさにダンディズム!!(谷村新司)
本年度は部長さんにとっても、そして私としても非常に嬉しい読売ジャイアンツの日本一優勝を迎えることができましたね。これは部長さんが23歳を迎えるにあたってその喜びも増し、また素晴らしい記憶として深く残るでありましょう。
ところで先日FA宣言した中村ノリはどうなるのでしょうか?阪神?巨人?それとも残留?阪神は金本が入団確実と言われてますが、ノリまで入ったらどうなるのでしょうか。ましてやペタなんて・・・。巨人のみならずセ・リーグの脅威になること間違いなしです。部長さんはどう思われますか。
えー、簡素な文ではありましたが、部長さんが幸せな結婚を迎えられるよう祈りながらお祝いのあいさつとさせていただきます。
79.「読売巨人軍日本一について」部長(02.11.19)
我が東京読売巨人軍が、日本一となった。心から祝福したい。
思えば今シーズン開幕戦の頃、私はバンコクにいて、気管支炎を患っていた。その影響があってか、開幕3連敗という、最悪のスタートを切った。しかしその後はあれよあれよと言う間に首位へと上り詰めた。オールスター明けには「7月中にもマジック点灯か?」とさえ囁かれるようになった。マジック点灯後は、マジック対象チームであるヤクルトの、無駄なあがきのせいでマジックが消滅→点灯を繰り返した。
これではいかんと、ついに8月20日、私と副部長、そして長野県支部長3人で構成する「宇どう的東京読売巨人軍応援団(仮称)」が、ゲスト1名を迎えて本拠地東京ドームへと乗り込んだ。対横浜戦。試合は桑田の、ものの見事なピッチングの前に横浜打線が沈黙。見事に勝利を収めた。
その後は順調にマジックを減らした我が巨人軍。最後の一押しにと、私は今夏の韓国旅行をした仲間らとともに、9月20日からの神宮3連戦へと足を運んだ。
それまでのマジックの減り方から推測し、当初は「もしや消化試合か?」と心配していた。しかし、ヤクルトのあがきのお陰で「まさか優勝決定を見られるか?」と思い始めた。しかし結局、3連戦を前にマジック8となり、たとえ3連勝しても優勝は次節の甲子園へと持ち越しとなった。
3連戦全てを観戦し、その甲斐あってか3連勝。そして甲子園では、まさかのサヨナラ負けで優勝決定。フラストレーションが溜まった。
日本シリーズは、対戦相手が伊原西武ということもあり、心配はしていた。しかし、戦前の私の予想通り、西武の5番和田を見事に抑え込み、4連勝という、願ってもない最短日本一となった。できれば1994年や2000年のように、地元東京ドームで胴上げが見たかった、といったら、西武ファンに失礼だろうか。
日本一決定後のビールかけでは、私は選手会長・松井の「かんぱーいっ!」との号令を受け、自宅のテレビ前で1人で缶ビールで乾杯をした。
その日は缶ビールを1.2リットル飲み、翌日は見事に2日酔いのまま、卒論指導で研究室へと足を運んだ。
来年も再来年も、ずっと永遠に我が東京読売巨人軍の日本一を祈念して、カンパイ☆
78.「生誕23周年を迎えて」部長(02.11.19)
いよいよ23歳となってしまった。西武ライオンズの松坂大輔よりも1つ年上である。
調査の結果、私の誕生日は安藤優子、松崎しげるの各氏と同じことが判明。海外ではジョディ・フォスター氏と同じであることが判明。これも何かの縁である、お近づきになりたい。
22歳であった昨年から本年にかけての1年を振り返ってみる。元旦は午前0時より朝11時まで、5箇所の初詣めぐり。とくに氏神である近所の神社拝殿では、お払いを受ける。1月末には副部長を韓国へ拉致。3月から4月にかけてはインドネシアとタイを歴訪する。インドネシアではバリ舞踊を学ぶ。タイでは東北部の村を訪問し、子供と遊ぶと共に、村の現状を視察。4月下旬は東京国際ブックフェアに、インドネシア出版社協会の代理として出展。6月は母校で教育実習。7〜8月は祭りの季節。みこしを担ぐ。また、8月下旬には東京ドームで野球観戦。9月には韓国へ行き、板門店を見学。9月下旬は神宮3連戦。そして10月末には読売巨人軍が日本一。その間に、大学院修士課程に合格し、進路も決定する。
なにかこう、今年1年は「前厄」のクセにめでたかった気がする。しかし、23歳を迎えて何が変化したのか、と聞かれれば、「いや、別に・・・」と答えるのみである。精神年齢は未だ幼いまま、肉体のみが衰えていくばかり(換言すれば、少年の心を持ち続ける、とでも言おうか)。
思えば10歳までは「早く10代になりてえな」、17歳までは「早く車の免許が取れる18歳になりてえな」、18歳になると「早く成人と認められる20歳になりてえな」と思い続け、また、誕生日を楽しみにしていた。しかし20歳を越え、23歳にもなってくると、「なんで誕生日がくるんだ!」と怒りすら覚える今日この頃。毎年バースデーパーティーを開く西田ひかるが羨ましい。誕生日を祝ってくれる人もおらず、卒論作成と、ゲーセンで「WCCF」に精を出す毎日である。
23歳を迎えた実感はない。例えば、19歳と20歳では雲泥の差がある。しかし、22歳と23歳では、別段何も変わりはしない。ただ年齢の数値が増えるのみ。年は取りたくないものだ。
77.「最近の近況」支部長(02.11.11)
大学の単位も残すところ「卒業論文」のみとなりました。ということで神奈川県の大学近くのアパートを引き払いこうして松本の実家に戻っているわけですが、時々文献を探したりに大学まで通っています。先日も行ってきたのですが、一切有料道路(高速道路等)を通らずに行って参りました。これはどんなことかお分かりでしょうか?平塚市まで片道約230キロ。一般道を利用して行くと6時間かかります。往復なんと12時間!!なぜこんなことをしたのかというと、「有料道路の通行料金が高すぎる!」からです。往復の通行料金のだけでなんと約15000円にもなってしまうのです。これはできることなら削減したい!ということで延々とかけて通いました。午前10時に出発し昼間の渋滞に疲れきって午後4時着。図書館で調べものをして友人宅で夕食を頂いて午後9時再出発。夜中、トラックの列に挟まれながら午前2時着。11時間近くも車の中とは改めて考えるとすごいことです。有料道路を利用すると片道2時間半で済むんですが・・・。まぁ、学生というご身分で時間もあるし、と。15000円を節約した後は得した気分ですよー。交通費も電車やバスより安くなりますし。社会人ともなるとこんなこともできないでしょうね。しかし有料道路も学割効きませんかねぇ・・・。
76.「バイト先にて」副部長(02.11.4)
自分のバイト先はカラオケ店とイタリアンレストランが厨房で繋がっている。最近レストランの人手が足りないため、稀に手伝いに入るときがある。そこでシェフをしているAさんBさんはいわゆる職人なひとだ。仕事に対して厳しく社長にも臆さない。それだけにいつもレストランは緊張感が漂っている。
先日、レストランでパーティがあった。30人を越す結婚式の2次会。フロアも厨房もなかなか忙しかった。そんな中、お客さんから声がかかった。
客「あのー、すいません」
俺「はい?」
客「なにかケーキをもらえないですか?」
「やばい!」直感的にそう感じた。今日の料理はコースでやっている。だからそのコースにない料理を頼むのはかなりシェフの機嫌を損ねるに違いない。ここはもう少し話を聞かないといかんと思い、
俺「全員分のということでしょうか?」
客「いや、一つでいいんです。」
客「○○ちゃんが誕生日なんです。」
○○ちゃん?を探すとそこには5歳くらいの女の子がいた。そこでまずは社長に相談しに行く。
俺「お客さんがケーキを欲しいと言っているんですが、出していいですか?」
社長「B君に聞いて」
やはり直接対決は避けられない。
そこで、かなり腰が引けながらBさんと交渉。
「一つだったら・・・」
と、許可が下りる。急いでショーケースからシフォンケーキ(○○ちゃんの希望により)を取り出し、厨房へ持っていった。きっと不機嫌に違いない。おそるおそる顔をあげると、そこにはもくもくとケーキを盛り付けるBさんとそれを手伝うAさんの姿があった。しかも、普通の盛り付けではなく、アイスクリームや他の種類のケーキまでトッピングされた豪華な一皿が作られていた。そこで、
俺「あのう、ローソクってありますか?」
Aさん「あるよ(機嫌良し)」
これでお客さんからの要望は全てかなえられ、、即席ながら立派なお誕生日ケーキが出来上がった。持っていく際、チャッカマンを手渡しながら
Aさん「ハッピバースデー♪って歌わなきゃだめだぞ(機嫌良し)」
ご両親はとても喜んでくれて「ありがとうございます!」と繰り返してくれたが自分は心の中で「いや、すごいのはシェフなんですよ!」と言いたかった。忙しいなかでもきちんとお客さんのことを考えているなんて。漫画のシェフのようだとひたすら感動していた。
その後、料理が出終わると2人ともすぐにかえってしまい、なおかつ明日は休業日だったことをさっぴいても自分の感動は無駄ではなかったと思いたい。
75.「卒論と私」代理(02.10.28)
卒論がきつい・・・我がゼミの卒論提出期限はクリスマス前。つまり後2ヶ月しかない。進展状況は煮詰まっている。
このままいっその事書かないでばっくれようかなと思うが関係各方面に多大な御迷惑をおかけする事が明白なので今の所は理性でここ宇都宮に留まっている。全然進んでいないわけではない。必要な場所にお話をお伺いに行ったり、関連する文献を一日2冊のペースで読んでいる。でも進まない・・・という事で、現在このメルマガ発行と11月号の通信作成という大義名分のもと現実逃避をしている。
この現実逃避の状況下でやらなければならない事。それは卒論にかかわる先進地の視察である。詳しく書くと特定されるが(といってももうすでに分かっていると思うが)、とにかく広島に行かねばならない。あくまで調査目的だ。本場の広島お好み焼きを食べ、宮島の厳島神社に行って、部員のお土産はもみじ饅頭。どうせなら瀬戸内海を渡り四国に初上陸し高松の本場讃岐ぶっかけうどんを食べたい。あぁそうだマイルが今年で切れるからそのマイルを使えば交通費はタダだなぁ。なんて考えて行くわけではない。ほんとは正直それをやりたいが時間がない。行くとしたら話を聞いて調査して戻ってくるような弾丸日程になりそうだ。そんなの楽しくない!!
最近は手帳に書かれている日程と格闘しているのだがバイトだ、卒論の発表だ、付き合いだ、飲み会だ、HP更新だ、何だかんだでこの後2ヶ月間が忙しい。わざと忙しくしているような気もしないでもないが・・・しかもその上少しでも日程が空いているならばせっかくだから色んな所に行きたいなんて思うから休められない・・・というわけで、
旅>他の色んな事>卒論
という状況になっている。といっても卒論は書かないと卒業できないからどんな事が起きようともやらねばならない。洒落にならない。
「代理は留年したので来年も宇大どうでしょうは存続しまぁーす。」
「いやー良かったねぇ。」
「部長と一緒にメルマガや通信存続だね。」
「じゃじゃ、取り合えずお祝いで飲まないと。」
そんな状況は部長や副部長は大爆笑かもしれないが本人は笑えない。おいしくもないし自分でふっている訳でもないので・・・そんな訳で実地調査に行かなければならないリミットは日々迫ってきている・・
74.「訪韓の真相」部長(02.10.20)
平成14年9月10日、私は今年1月末の訪韓に続いて2度目の訪韓をおこなった。前回のメンバーは「宇どう」だったが、今回は高校3年時の友人5人(全て男性)とともに行った。「佐野コサキン会」である。
そもそもなぜ「韓国」か?企画会議の際、候補は他にもあった。例えばハワイ、グアムなどのビーチリゾート。男6人でワイキキビーチを歩く姿を想像した。却下。今年3月に私が行って来たタイ・バンコク。移動する際、タクシーでは3人2組に分かれてしまい、6人が固まって移動する手段がバスしかないので却下。私の本拠地、インドネシア・バリ島はどうか。3泊4日の日程では日本と現地の往復に時間がかかり、観光できるのが実質2日しかないので、私が自信を持って5人を接待する自信がなく、却下。そういえば、今年1月に行って来た韓国・ソウルはどうか。メシはうまい。往復の飛行時間も片道2時間。物価もバカみたくは高くない。地下鉄網が発達しており、6人が固まって移動できる。航空券などが安い。衛生状態も日本に近く、よい。初めて海外旅行に行く人にも、抵抗が少ないだろう。以上のような理由で、訪韓が決定した。
ソウル近郊の仁川国際空港に到着し、早速現地で緊急連絡先となる携帯電話をレンタルした。空港から路線バスでソウルを目指す。さすが国際空港と市内を結ぶバスである。フットレストやリクライニングシートは完備である。これは快適快適と、余裕をぶっこいてはしゃいでいた。今から思えばうかつだった。いくら快適空間を備えているとはいえ、バスである。天敵ともいえるバスである。忘れていた。ソウル市内に到着し、バスから降車するころには荒っぽい運転のおかげで我々6人は揃って車酔いを起こしてしまった。
宿泊先のコンドミニアムのオーナー直々に迎えに来ていただき、ホテルへ到着。6人1部屋、3泊して1人5000円!洗濯機(洗剤付き)、キッチン(冷蔵庫付き)でこのお値段。どうです?奥さん。しかし我々は一休みすることなく初日の「韓国到着記念水分補給会」が開かれる、焼肉屋「南牛村」(南大門市場)へ向かった。骨付きカルビを目の前にし、一同言葉を失う。食事の「締め」はもちろん冷麺と「ビビン麺(冷麺の汁なしバージョン)」。ここで名言が出た。友人の1人、仮に飯塚君としておこう、その飯塚君は、下ネタ大王である。骨付きカルビの味は、その飯塚君をして、
「食欲が性欲を上回ったね。」
と言わしめたのである(使役)。よほどのお味だったのであろう。
食事と酒もそこそこに、ソウル随一の繁華街「明洞」へ繰り出す。佐野コサキン会員4名が買い物をする中、私と友人1人は疲労困憊と睡魔のため、「Seattle's Best Coffee」という、スタバのようなコーヒーショップの屋上で待機。そのコーヒーショップは、今年1月に宇どうで訪韓した際、我々3人が厳冬のソウルの空の下、「寒い寒い」と言いながらホットコーヒーを飲んで紫煙を燻らせていたまさにその場所であった。
私がコーヒーを飲みながら休憩していた時、明洞では名言が飛び出していた。とある友人、仮に越井君としておこう、その越井君が街を歩いていると、ポン引きのような男に声をかけられ、
「女の子はどうですか?」
と聞かれたらしい。そこで件の越井君、何を血迷ったか、
「間に合ってます!」
と断ったらしい。すばらしい発言である。名言(迷言?)である。
男同士の旅の場合、大きな問題の一つに、「寝床の確保」がある。
ベッドはセミダブル1つ、シングル1つ、シングル2つをくっつけた「無理やりダブル」1つ、完全なダブル1つの計4つがあった。6人である。公平なるジャンケンの結果(越井君は3ペナのため、ジャンケン権失効、強制的にダブルベッド)、私はシングルを選んだが、そのシングルは場所がいまいちだった。部屋の明かりを消すと、明洞のネオンがちかちかカラフルで(しかも消えるのは午前3時!)、非常に眠りにくいったらありゃしなかった。
シャワーのお時間である。前出の飯塚君がシャワーから出てくると、何の違和感もなくピンク色したタスキをパンツ一丁の体にかけていた。
「エッチ代表」
確かにそう書いてあった。男子校出身者の夜は更けて行く・・・。明洞のミリオレ(ショッピングビル)のネオンがまぶしい。
さて、今回の目玉の一つが、「板門店ツアー」。前回1月の訪韓では、どこでどう間違えたか見事に副部長が予約に失敗し、板門店ではなく「南侵第3トンネルツアー」(どちらも「非武装地帯」に行くのには変わりないが)になってしまった。今回はあらかじめ出発前に日本から国際電話を使って予約し、「Panmunjom Tour」と書いたFAXも送信する念の入れようだ。間違えようもない。
朝、ホテルから徒歩で、集合時間に旅行者のデスクに行き、予約番号を告げる。
「23番です。」
しかし、担当者は思いもよらぬ言葉を吐く。
「名前がありませんが・・・。」
「えっ!?きちんと予約のFAXを送ったし、返事のFAXもありましたよ。これが証拠です。」
と、送られてきたFAXを差し出す。
「昨日、再確認しましたか?」
そういえば、完全に忘れていた。返信されたFAXには「前日に再確認してください」と書いてあった。
やばい。そこで機転を利かし(?)、私はぬけぬけとこう言った。
「しました!」
真っ赤な嘘。
「でも名前がありませんよ。」
当たり前である。
「再確認、しました。」
「じゃ、ちょっと待ってください。」
他の5人が訝しげに私を見つめる。そうこうするうちに、他の板門店ツアー参加者はバスの待つ駐車場へと行ってしまった。すると、カウンターのお姉さんが、
「キャンセルする人とかが出てくる可能性がありますから。」
と言う。
そして、受付締切時間を過ぎると、ものの見事に6人分のキャンセルが発生した。一同、と言うよりも、私が安堵した。しかし、2人が1号車、4人が2号車と分乗せねばならないらしい。これがのちのち悲劇を生むことになろうとは、誰が予想しただろうか。
非武装地帯に入る前に、パスポートチェック。そしてそれ以後、非武装地帯内でバスには兵士が同乗する。
最初に米軍キャンプに行き、板門店に関するスライドを見る。さらに注意事項を受ける。北側の兵士にはもちろん、北側の観光客に対しても手を振るなどのアクションをとらないこと、民間人を表すバッジ着用のこと、許可された場所以外で写真撮影しないこと、コースから外れないこと・・・。
板門店は、ものすげえ緊張感があった。北朝鮮の兵士、国連軍の兵士、見るもの全てが緊張感を持っていた。しかし、会談場内に限っては停戦ラインを越えてもいいらしく、ほんの1〜2mだが、北側に入ることができた。
会談場を出ると、監視台に立って北側を望む。無人の宣伝村、国旗掲揚塔、北側の監視台、将軍を賛美する看板等が目に飛び込んでくる。
再び米軍キャンプに戻り、ビュッフェ形式の洋食バイキング(ドリンクバー付き)を堪能する。さすが軍隊の料理だ、「質」より「量」で勝負している。
ソウル市内に戻る。1号車に乗っていた2人が見当たらない。近辺をくまなく探すが、どうにも見当たらない。30分ほどして我々の出した結論が、
「見捨てる」
そのまま我々4人は、王朝時代の宮殿であった「景福宮」へ向かう。歩いて30分はかかっただろう、到着すると、なんと改修工事中。結局、「門」しか見えなかった。地下鉄で免税店へと向かう。友人の1人がキムチを買った。850円である。免税店のあるデパートの地下、いわゆる「デパ地下」へ行く。なんと違うメーカーで同じ量のキムチが350円で売っている。免税店でキムチを買った友人ががっくりと肩を落とすのを横目で見ながら、我々3人はほくそえんだ。「キムチは帰る日にデパ地下で買おう」と。
そのデパ地下のフードコートで、夕食をとり、ホテルへ。すると、ホテルには「見捨てた」2人がいるではないか。話を聞けば、「はぐれたからホテルへ戻ってきた」とのこと。まったくもって正論である。しかし、海外初渡航の2人が、言葉の分からない土地でよくぞ自力で戻って来たものである。確かに朝、ホテルから徒歩で来た。しかし、である。さすが「佐野コサキン会」である。その後、2人とともに私は再び街へ繰り出し、餃子を食す。帰りにコンビニで晩酌用のビールと翌日の朝食を買い、ホテルへ戻る。明日はテーマパーク「ロッテワールド」である。しかし、この晩酌のビールが、翌日に汚点を残すこととなる。
3日目、ロッテワールドへ行く。ロッテワールドとは、あのロッテが作ったアミューズメントパークで、世界最大の室内遊園地&人工島からなる。 回数券を学割で購入し、いざ入場。デカい。その広さと高さの3次元に驚く。まずはジェットコースター。私にとっては久々のジェットコースターである。感想は、
なかなか面白かった。しかしここで汚点を残した。前夜の晩酌の酒が完全には抜け切れておらず、私は体調不良に陥った。次のアトラクション(上から急降下し、下についたら急上昇する乗り物)は棄権した。敵前逃亡であるが、私はカメラ撮影班に回った。いくつか乗った後、外に出る。見るとフリーフォールがあるではないか。それも、異常なまでにデカく、円形をしている。円の外周に客が乗ると、その乗り物は回転を始めながら上昇、そして一気に落下。高さ70m。6人中3人が乗り、残りの3人はカメラ撮影班。言うまでもなく私は撮影班である。落下して、アトラクションから降りてくると、3人は笑顔で手を振っていた。私の隣に
いた友人が一言。
「あいつら人間じゃねぇ。」
次に、「GYRO SWING」なるアトラクションへ。これは、一見するとただのバイキング。しかし、ただのバイキングと思うなかれ。円形の乗り物の外周に客が乗り、その乗り物が回転をしながら左右180度に揺れるのである。つまり、乗っていると背中から落ちる、正面から落ちる、横に向かって落ちるなど、様々な角度を体験できるわけだ。百聞に一見はしかず、ソウルに行った際にはぜひ乗っていただきたい。4人が搭乗して2人がカメラ撮影班。私の役割は、言わずもがな。室内に戻り、昼食を取ってパレードを見る。
幼稚園児が列を成して座っているその背後で、我々男6人はパレードを見る。友人の1人(仮に小林とする)は、童心に戻ったかのように笑顔で手を振っていた。その小林、なんとパレードの1人とハイタッチをかまそうと右手を高々と上げた。ピエロの格好をして一輪車に乗った白人男性が来て、見事にハイタッチ!かと思った瞬間、そのピエロ男はなんと故意に「すかした」のである。もちろん、その後にきちんとハイタッチをしていたが。
ロッテワールドを出て、梨花女子大学前、通称「梨大(イデ)」に来た。さすが女子大前、街行く人は女性ばっかりである。ここでの目的は、女子大生に声をかけ、将来の伴侶を見つける、ではなく、「好圓堂(ホウォンダン)」という、韓国菓子店に行くことである。この店は、本家「水曜どうでしょう」さんが、「韓国サイコロ」の際に朝食(!)として立ち寄った店である。まずは買う前に1つ食べてみる。
甘い。
早速、「甘いものが大好きな」宇どうの副部長用に私が見繕って詰め合わせを買う。その後、近くのスターバックスに入り(もちろん女性が圧倒的に多い)、一息つく。友人の1人の越井(仮名)が、トイレに入った。なかなか出てこないので、私が見に行く。
「こしいーっ!」
「・・・」
「こしいーっ!」
「・・・」
2回も応答がない。大きい方のドアをたたく。
「(ドンドンッ)こしいーっ!」
応答がない。最後に
「こしいーっ!」
「なぁにぃー?」
やっと応答があった。この事を他の4人に伝えると、前出の小林が、
「じゃ、帰っちゃうべ」
と、ものすげえ発言をした。しかし、さらに驚くことにだれも反対意見を述べず、全会一致で越井を梨大のスタバに残したまま、我々5人は明洞のホテルへ地下鉄で帰っていった。
ホテルの客室から小林が、空港でレンタルして越井が持っている携帯へ電話をかけてみる。すると、何を思ったか小林が
「ハロー!ハロー!」
と、英語を話し始めた。その後、電話を切って、しばらくして私がかけると、なんと「電源が入っていないか圏外にいる」と推測されるハングル語が流れてきた。
「やばい。」
我々に不安がよぎる。しばらくしてかけ直すと、電話は通じた。今度は私が英語でまくし立てて電話を切った。このようなやり取りが3回ほど続いた。そしてそれ以来、完全に音信は途絶えた・・・。
1時間ほどして、突然部屋のドアが開いた。越井だ。話によれば、地下鉄で帰って来たとのこと。ロッテワールドから梨大に地下鉄で向かっている最中、私が雑談で「梨大は朝乗ってきた駅から4つ先の駅だ」と言っていたのを覚えていたらしい。それにしても、地図も持たずによく帰って来たものだ。しかし、話を聞くと、どうも降りた駅が違うらしい。本来は「乙支路入口駅」で降りるのだが、越井はその先の、「乙支路3街駅」で降りたらしい。乙支路入口駅からは徒歩で15分程度なのだが、乙支路3街駅から30分以上も迷った挙句にホテルへ辿り着いたらしい。携帯がなぜ通じなかったのか問いただすと、電池が切れたらしい。そういえば、レンタルしてから1回も充電していなかった・・・。
夜は、ホテルのオーナーの奥さんが経営している焼肉屋へと向かう。乾杯し、焼肉を食べる。しばらくすると、なんと特別サービスでプルコギ(韓国版すきやき)が出てきた。食後にはコーヒーのサービスもあり、大満足だった。その後は、ここで書けるような話ではないので割愛させていただく。
4日目、つまり最終日である。我が宇どうの部長代理代理が現在、ソウルの某大学に留学中なので、電話で連絡を取り合って待ち合わせる。他の5人はお土産の買出しへ出かけるとのこと。私の衣装はスーツ(もちろん上下の一張羅!)。傍らには手提げカバン。見た目は明らかに「日本人駐在員」。言い忘れていたが、私と小林(幹事補)は、初日の成田空港集合時、スーツを着ていたのである。なぜなら、今回の修学旅行で私は、小林以外のメンバーに、行き先を告げてないからである。そう、空港で発表したのである。そして、最終日はカバンに入れる荷物を極力少なくするため、どうしてもスーツを着る必要があったのだ。
話を元に戻す。ロッテデパート地下(2日目にも訪れている。)でインスタントラーメン、韓国海苔、キムチ等を購入。片手にお土産のたくさん詰まったスーパーのビニール袋を提げているので、漸く見た目が、「出張が終わって日本に買えるためにお土産を購入した日本人会社員」になった。昨日のキーポイントとなった「乙支路入口駅」で、部長代理代理と同じく留学している、宇大の女子学生さんと待ち合わせる。駅前のちょっとした広場では、円形状にベンチがある。その中で、60〜70代と思しき男性高齢者が、音楽に合わせてフラフープを2本回している。ただ回しているだけならまだしも、首と腰、2ヶ所で回しているのである。フラフープを回しながら、手は地面と平行に、つまり自らの体と垂直にして、掌を外側に向けながらぐるぐる回している。そして半径1メートル強の円形に回りながら歩いている。いったいどんな健康法なのだろうか。それとも、いわゆる「Heaven Artist」なのだろうか。摩訶不思議であった。部長代理代理と私、そして宇大からの日本人留学生1人の3人で、レストランに入った。私はサムゲタン(若鶏のおなかに高麗人参、なつめ、栗、銀杏、もち米をつめて煮込んだ料理)、他の女性2人はローストチキンランチを食べた。
食後、韓国の伝統茶を出すという喫茶店に入り、暫し一服。女性2人と喫茶店に入ることはほとんどない私にとって、とても楽しい時間を過ごさせていただいた。しかし、楽しい時はあっという間に過ぎるもので、ホテルへ帰らねばならない時間となった。そう、あの「むさくるしい」野郎どもが待ち受けるホテルである。
ホテルにはすでに5人がいた。聞けば、昼食はカップラーメンを部屋で食べたとのこと。女性2人と食べるサムゲタンとは雲泥の差である。ざまあみろ。荷物のパッキングをし、帰国の準備を整える。越井はベッドで横になって音楽を聴いている。よほど余裕なのだろう。と、その当時は思っていた。しかし後ほど、これは余裕なのではなく、ただのおマヌケだったことが判明する。ホテルのオーナーに車でエアポートバス停留所まで送っていただき、本当にありがたかった。帰りのエアポートバスの中では、6人とも熟睡し、車酔いにはならなかった。空港で無事にチェックインを済ませ、あとは出国するだけとなった。私は越井に、
「携帯電話を返しに行くぞ」
と言った。
「うん、分かった。」
「携帯電話本体と充電コード、契約書はあるだろうな。」
「携帯電話本体と・・・。あっ!!!」
やはり越井はおマヌケだった。充電コードと契約書の入ったケースもカバンに詰めてしまい、あろうことかチェックインバゲージ(カウンターで預ける荷物。貨物室にコンテナ詰めで入れられる)にしてしまったのである。カウンターで事情を説明し、18時にカウンターへ来いとのこと。搭乗開始時刻は18時40分。出発予定時刻は19時10分。ギリギリである。それまでの間、私は日本でアルバイトをしている某ファミレスが出店しているファーストフードレストランに入った。コンベヤーオーブンや食器洗浄器が日本と同じなので、
なぜか不思議と感慨にふける。味は・・・。あえてここでは書かないことにする。依然、18時にはまだまだ時間があった。そこで我々5人は、越井を置いて先に出国してしまうことにした。免税店での買い物、銀行で日本円へ両替という予定が入っていたのだ。越井には小学生に教えるごとく懇切丁寧に出国の仕方を教える。我々は先に出国審査を受け、免税店へ。葉巻や紙巻タバコなどを購入。レストランでコ
ーヒーなどを飲み、時間をつぶす。漸く越井と合流し、搭乗ゲートへ。2回目の韓国。今回は地元の友人とともに行ったのだが、やはりとても楽しかった。そして、食事がおいしかった。やはり印象に強いのは、板門店である。少なくとも、私の周りで板門店に言った経験のある者はいない。貴重な体験であった。
帰りの飛行機は雨雲のおかげでとても揺れた。成田に着くと、雨。今までの韓国での好天が嘘のようであった。今度は・・・。今度こそ、女の子と2人きりで海外に行ってみたいものである。
73.「グラススキー」副部長(02.9.29)
みなさんは「グラススキー」というスポーツをご存知だろうか?私は先日初めて経験した。結果、グラススキーおもしろい!そんな訳で今回は実況を交え勝手ながら「グラススキー」のアピールをしたいと思います。
9月19日(木) 晴れ 山形県米沢市南部天元台スキー場
遂にこの日が来た。夏休みに入ってからこっち、バイトだ、レポートだ、研修だ、稲刈りだと色々あったがそんな苦労も報われる。なぜなら今日、自分はグラス「スキー」をやるのだ。つい2日前先輩に電話をしたら
「お前はスキーに癖があるからグラススキーで滑れないんじゃねえか?」
なんて言われ、ペンションパルの女将(グラススキーのコーチ、通称ママ)にも
「君より初心者のほうが上手く滑れるかもね。」
といわれたい放題だったがそんなことは関係ない。スキー歴3年。去年はスキー部部長(部員2名の時)まで務めた自分である。自信はある。Myスキー靴もある。気合ものっている。ということで、グラススキーの板を借りに行く。普通のスキー板は単なる板だがグラススキーの板は滑りのいいキャタピラが板の下についている。サイズを合わせていざゲレンデへ。ゲレンデは一面緑の芝生が覆う。もちろん天然芝だ。そして滑り出し。まず、斜滑降の練習をし、続いてワンターン、ツーターン。ここで驚いたことはスキー未経験者(スキーを履いたこともない)が滑れるということ。これが予想以上に滑れるのだ。そして自分は予想以上に滑れない!焦る。そうこうしているあいだにママは次々とレベルを上げる。皆平気でついていく。自分、形だけついていくがさっぱりものにならん。板に翻弄されているのがわかる。曲がっていない、曲がらされているだけ。軽く打ちのめされているところにいよいよママの号令がかかる。
「じゃあ、次はリフトに乗って上から滑ろうか?」
ママはグラススキーゲレンデでは日本一傾斜がきついというこのゲレンデを上から滑ろうという。自分は冬でも自信がない。ゲレンデは一つしかないからいつかは行くと思ったが、もうですか?と思っていると、初心者2人もリフトに乗る準備を始めている。スキー歴3年にかけて弱音は吐けない。上まで行く。そして腰が引ける。
「降りれるわけねえ!」
しかし、弱音は吐けない。他の部員が滑り出す。皆が暴走をはじめ、左右の笹藪に突っ込む。もはやスキー歴・・・なんて関係ない。信ずるものはママのアドバイスのみ!ということで挑戦!お?おお?おお!滑れるじゃあねえか!至福の瞬間だった。人のいうことは真剣に聞くもんだ。切羽詰ったときは特にだ。自分はスキーの指導とともに人生の大事なことも学んだ気がした。 グラススキーはコーチの言うことをしっかりきいて、今回これをやれということを真正直に今回やらなきゃえらいことになると思って、くらいついていけば1日あれば楽しめるようになります。
海もいったし、花火もしたし、避暑地のテニスもあきたなあなんて人やスキー始めたいけどシーズンオフにもなんとかなんねえかという人、スピード狂の人などなど一度やってみてはどうでしょう?
72.「運転免許更新」副部長(02.9.29)
粛々と夏休みを過ごす今日この頃、9月5日に22歳の誕生日を迎えた。誕生日といえば免許更新ということで、5日も14時を回ろうかという時間にそのことに気付いた俺は免許更新経験者の部長代理を引っ張り出して警察署へと向かった。しかし、警察の窓口で話を聞くと今年から更新期間が誕生日の前後1ヶ月になって、なおかつ免許センターにいくと即日交付してもらえると教えられたので後日、鹿沼の免許センターへ向かうことにした。ここからは免許センターでの実況をお伝えします。
午前9時鹿沼の免許センターに到着する。視力検査、写真撮影などの手続きを終え、9時30分講習が始まる。道交法の改正によって、講義時間はなんと2時間!違反者講習と同じ長さである。なぜ、2時間も講習を受けなきゃなんないんだ。俺はこんな講習を受けなくたって事故なんか起こさないと寝不足と空腹も手伝って、無意味にいきり立っていた。そんな気持ちで交通事故のドキュメントビデオを見る。次々と事故現場が写しだされる。
「いやー、怖いな。でもモザイクがかかっていて良く見えないよ。」
休憩を挟んで1時間15分の講義が始まる。初めは道路交通法の改正の話。期間の延長、講習内容の変化などなど。
「いまさらそんな話を聞いても」
とまだ悔い改める気はない。あまりに暇で付属の運転中の自己診断カードをやってみる。「はい」か「いいえ」で答える形式でほとんどが「はい」になる。結果は・・・詳細は省略するがようは「お前は安全に車を運転したいんだったら禅でも組んで精神修行をしてこい」ということだった。一気に講習に集中する。
11時30分講義終了。沈痛な面持ちで教室を出た俺は免許を受け取ると、ハンドルを両手でしっかり握り姿勢を正して宇都宮へと制限速度をそこそこ守りながら帰っていった。
71.「夏休みの友」代理(02.8.26)
今年も夏が終わっていく・・・旅に出たいのに行けず、実家に帰る事も出来ず、神輿も担げず、何も出来ないばかりのまま不完全燃焼に夏が終わってしまったのは恐らく今年初めてだろう。というか、もうこんな経験は今年限りで終わって欲しいと改めて誓った。小中高生は後1週間で夏休みが終わるようですね。といっても私の実家はもう2学期が始まっているのですが・・図書館に行っても、何処かの店に行ってもわんさかいる状況から開放される事は正直助かる。人多すぎ!!とこのように、この夏本当に何処も出かけていないので書くことが無い・・まあ唯一話せる日光の話をしたいと思う。
7月末に地元の友達2名が宇都宮に遊びに来た。新潟から車で高速を乗り継いで来たとの事。昼食は時間の都合が悪かったのでその友達は二荒山神社の前にある、沢山の店の餃子が食べられる某店で餃子を沢山食べたらしい。その友達(といっても片方)は初宇都宮という訳ではない。2回目なのだ。今から3年半前、つまり高校卒業直後、大学入学直前にこの宇都宮に来ているのだ。当時宇都宮という新天地に期待に胸躍らせた部長代理少年は友達と各自の進学先に行くという宇どう張りの弾丸企画を立て実行していたのだ。青春18切符を使い日本を文字通り南下した六泊七日弾丸ツアー途中にこの宇都宮を訪れているのだ。当時もその店で餃子をたんまりと食べ、二荒山神社で鳩に襲われ、ロフト(といってもその当時はロフトや無印だけ独立したビルがあった)でお買い物をし、見事に時間が無くなりタクシーで駅に向かったというエピソードがある。話が脱線したが、という訳で友達は一度宇都宮に来ているのだ。
その後大学正門前で合流。我が家に来てしばらく話していた。友達は明日には東京に行かなければならない用事があったので余り時間が無かったが日光に行きたいという話が出た。この日光へも3年半前行っているのだ。・・ぎりで電車に乗り日光へ。19時前に到着。平日ということもあり観光案内所は閉まっていた。とにかく何処かに泊まろうという事になり道沿いにあった旅館に駆け込み、宿泊料を大分値引いて頂き、しかも素泊まりだったのに関わらず朝飯に焼きおむすびを頂いたという感動のエピソードがあるのだ。・・という訳で、その思い出の地「日光」に行こうという事になった。前回は東照宮しか行っていないのでどうせなら車もあることだし東照宮に行こうという事になった。
宇都宮を出発したのが18時過ぎ、しかも平日。時間が無かったので宮環経由日光宇都宮自動車道で一路向かうことにした。運転は私、部長代理。高速運転は自動車学校の教習で遥昔3年振りだった。合流どうするんだっけ?追い越しは?オービスは?と不安に駆られながら向かう。中でも一番怖かったのが本線への合流だったが日光宇都宮自動車道は合流が無かった・・これでもう完璧と思っていたら、突然のスコール。ワイパーを最大の速さにしても前が見えない。車の屋根が雨でボンボンと音がする位の激しい雨だった。すぐに40`規制になったが前が見えない・・しかも前の車が遅すぎこの雨の中で追い越しという荒業も実施。一気に車運転の経験値が高まった気がした。このスコール、高速を降りる頃には止んだ。恐るべし栃木県。
いろは坂をぐるぐる登り華厳の滝へ。もう閉まっていたお土産屋さんの駐車場を善意で勝手に貸して頂き華厳の滝へ。しかしスコール後という事もあり滝が霧で全然見えず・・どうしようかなーと思っていたら突然霧が晴れ滝が見えた。やはり日頃の行いが良いとこういう所でしっかりとドラマを見させてもらうということだろうか!?これが部長や副部長ならスコールが止まずびしょびしょになって滝を見てもこれまた見えず、お前のせいだお前のせいだとお互い罵り合っていた事だろう。その後は中禅寺湖をちょっと見ていろは坂を下る。
日光市街に入る。部長が地元の「G」でバイトをしていて、昨年の日光親睦会で山盛りポテトを買った「G日光店」で食事。このGも3年半前行っているのだ。旅館にチェックインし素泊まりだったので何処かで食事をしなければならなかったのだが何処も閉まっていて唯一「G」がやっていたのだ。という思い出の地で宇都宮でいつも食べているのと変わらない「得だねっセット」を食べる。
帰りは一般道で帰る。前の走り屋みたいな車が遅く車がつながっていたので宮環に入る前の交差点でどんなやつが運転しているのだろうと思い、その車をきょろきょろ友達と見たらやはり怖い人でしかも目が合いそうになったので慌ててそらす。そんな感じで家に戻ってきた。
ここまで書いて気づいたのだが文章があまりに長い・・ここまでだらだらした駄文をよんでいただいてありがとうございます。という訳で、何だか昔の思い出が懐かしいなーと正直思ったノスタルジックな一日でした。
70.「身の回りの危険について」部長(02.8.26)
当初は違うテーマで論じる予定だったが、つい15分ほど前に災難に遭ったので、急遽「危険」について論じることとする。
身の回りにある危険で最も起こる可能性が高いのは「転ぶ」ことではなかろうか。つい先ほどは、友人宅の玄関先で、雨で濡れたコンクリートのポーチに足を滑らせて、見事に右横受け身をギャラリーがいない中で披露した。Tシャツやハーフパンツは泥に汚れ、右ひじに小さなたんこぶができた。ヒジは擦り剥け、あらためて長袖シャツの重要性・有用性を再認識できた。しかし不幸中の幸い、中学・高校と体育の授業で柔道をやってきたおかげで、頭部は打ち付けずに済んだ(はずである)。「転ぶ」といえば、僕自身の経験はないがバイト先で同僚が下げてきた食器類を持って、濡れた床に滑って見事にひっくり返った。足元には気をつけたい。
その他には、車の出入り時にドアに頭をぶつける、階段で足がもつれる、風呂場の蛇口で背中を擦り剥く等、ちょっとした不注意から生じる危険が身の回りにはたくさんある。ぜひとも気をつけて、治療に要する医療費を抑制し、財政に気を使いたい。
69.「スーパー銭湯について」代理(02.8.12)
またまた久し振りのたわごとです。最近大分落ち着いてきたのは事実ですが、それでもまだまだ忙しい・・・HP更新の方も少し溜り気味ですがもうしばらくお待ち下さい。宜しくお願いします。
ところで最近スーパー銭湯にはまっている。「銭湯友達」の某会副部長とかれこれ市内の銭湯に車で出掛けているのだ。スーパー銭湯、行った事がある方は分かると思うのだがなかなか面白い。浴槽が2つ位でサウナがある普通の銭湯とは違い、浴槽は5つ以上、サウナも2種類、露天や日替わり風呂なんて物もあるス-パー銭湯があるのだ。最近お気に入りの某スーパー銭湯があるのだが、副部長と一緒に「銭湯会員」になった。会員になると入湯料500円が450円になる。この会員の入会料が100円なので2回行くと元が取れる。しかも風呂上りの牛乳やソフトクリームも会員だと何十円か安くなるのだ。という事で、すでに元が取れてしまった・・・
露天に入りながら前述の銭湯友達といつもの通りくだらなく、発展性が無くかつ実の無い話を延々と何時間にもわたりする。それが最近の近況です。
68.「就職活動を振り返って」副部長(02.8.5)
平成14年度の前期が終了した。今年の前期は就職活動に尽きるといっても良いほどその活動に追われた日々だった。週4日東京に通って毎回スーツを着た。成人式に合わせて買ったそれは冬眠明けの体を包むには一サイズ小さく2度、3度と裁縫セットを取り出してはボタン止めの修復・強化に追われた。
改めて、東京にはよく出かけた。渋谷で行われた説明会に出向いていったときは場所がわからず心の中で半泣きになりながら109周辺をウロウロとさまよった。朝9時に新宿に集合という時もあって5時には起きる予定が6時過ぎまで寝ていて寝癖ぼうぼう、髭ぼうぼう、スーツよれよれで出かけた。移動は新幹線。朝食もとらないため気合ものらずやっとこさ着いた。2社をはしごしたときもあった。午前中が面接で午後が小論文試験というときだった。電車を1本でも間違えればその時点で終了。しかも駅構内の移動は全力疾走というのが基本プランだった。前日この移動プランを念入りに記憶した甲斐もあって、なんと予定到着時刻よりも5分ほど早く着いて、一服タバコを吸う余裕が生まれていた。誤算だったのは「2社の就職活動はしご」を成功させることで大きな達成感を得てしまい、小論文の最中は気分がいいため思いつくまま書きなぐってしまったことだった。
後日「検討に検討を重ねた結果残念ながら・・・」という通知とみごとなエッセイと化した小論文が帰ってきた。家に着いても「手応えがあった」と喜んでいたことが悔しかった。
今考えてみると就職活動中、実際「試験」や「面接」を受けている時間は長くて2時間前後、面接にいたっては10分やそこらであった。実際就職活動を苦行のようにしているのは「待機」「移動」に費やす膨大な時間である。東京の大学生は活動が早いというがそのへんにも理由があるのではないだろうか。一度
「あーこの時間無駄だなあ」
と思ってしまうとなんだかやりきれなくなってしまう気がする。自分はひたすらマンガを読むか寝るかしていたので就活きついと思ったのかもしれない。なにかこの時間を有効かつ楽しく使う方法があればわずかながら就活も楽しくなるのかもしれない。例えば全力で人間観察をしてみるなどはどうだろう。全力というのがポイントである。本気で取り組んだことは何か結果が残るし(有効的)趣味でも何でも全力でやるから楽しいのだと思う。どんなくだらないことでも「全力」という言葉がつくだけで違ってくるはずだ。全神経を集中させ、訓練を重ね、1時間30分で目の前の紳士の色々な特徴を見出すことが出来るようになったらものすごい一芸になる。これは就職にとってはどうだかしらないが人生にとっては大きな財産となるような気がしないでもない。
とても色々と考えさせられた就職活動であった。
67.「室内スキー場」副部長(02.7.29)
今年の6月上旬ひそかに室内スキー場『スノーヴァ』(足利市)が閉場するという衝撃的な事件がおこった。
そもそも室内スキー場は冬を待ちきれないボーダーやスキーヤーにとっては大変ありがたい施設なのだが、値段の高さ、滑走コースの短さ、遠いなどの理由で
「まあ、今年はいいか?」
となんとなく行かずじまいになってきていた。
そんなおり、「足利にも室内スキー場がある」という情報が手に入った。
「そんな近くにあるんなら今年はいけるじゃないか?」
と思い、それからというもの「いつかいく、いつかいく」と機会を探り、なんと言われようとも車からキャリアをはずすことはなかった。しかし突然の閉場・・・栃木にいながら長らくその存在を知ろうとしなかった報いというべきなのか。栃木県のスキー、スノボー文化の底辺を担ったであろう企業の経営強化に露ほどの貢献をすることもできず、なおかつキャリアを付けつづけた意味がなくなってしまうことを実感して後悔の念が残った。
「もっとはやく気づいていれば・・・」
このような後悔をくりかえしてはいけないと思い、『ららぽーとスキードームザウス』にはもう一回必ずいこうと思った。なぜ「ザウス」かというと、国内有数の室内スキー場『ららぽーとスキードームザウス』をもってして9月いっぱいをもって閉場に追い込まれるからだ。
「最大限の経営強化に注力しましたが・・・」
というゼネラルマネージャーの「お知らせ」が景気低迷の厳しさを物語っているように思えた。
なぜ潰れてしまうのか。そんなにお客さんが入らなかったんだろうか。入場料が高すぎたのか。東京や千埼玉の人だったら手ごろな場所だと思うのだが、夏は海なのか。夏にスキーは邪道なのか。
これからの室内スキー場はどうなっていくのか。夏に潰れてたら冬はどうするのか。今は栃木にいるのでスキー場には困らないがもしスキー場のない県に行ってしまったら気軽に行けなくなってしまう。全国的室内スキー場ブームが到来を望む。
66.「生活リズムについて」部長(02.7.23)
眠い。どうも最近は眠くて仕方がない。かといって、夜更かしをしているわけでもない。いやむしろ、早寝早起きである。21時54分に始まるテレビ朝日の某ニュース番組のオープニングが流れるともうオネムである。シャワーを浴びて布団に横になるが早いか、あっという間に夢の世界へ旅立つ。
翌朝は7時とか8時、遅くとも9時には目がパッチリと開いてしまう。十分な睡眠とここ最近の暑さもあいまって、二度寝ができない。起床する。卒論用資料の読み込みなどやることはあるのだが、体はそれを無視しようとする。インドネシア・バリ島の伝統音楽「ガムラン」を聞く。脳が完全に覚醒する。スーツケースを洗う、部屋を整理・掃除する、銀行や郵便局に行く、買い物へ行くなどの雑用を粛々とこなしてゆく。昼食にはまだ時間があるので新聞を読む。昨日の巨人はどうした、最近の政局はどうだ、またしてもセクハラ教官はいないだろうな、といった事に目を通す。
昼になる。暑さがいよいよ厳しくなり、そうめんやうどんなどノド越し重視の昼食を取る。「森田一義アワー」や「ごきげんよう」を見る。森田さんのはしゃぎよう、ムックン(小堺さん)の服のコーディネートを見る事に忙しい。あまりにも暑いので水シャワーを浴びる。シャワー上がりのビールはおいしい。いい気分になったところで、高校時代の部活OB・OG会会長として高校の部活へ行き、顧問の先生と談笑。つい1ヶ月前まで実習生として、スーツとネクタイで歩いていた校舎を、Tシャツ&ハーフパンツ&雪駄で
闊歩する。必然的に社会科の先生に見つかる。
帰宅すると夕食の時間だ。夕食を取りながらテレビのニュースを見る。今日の為替市場や株式市場の動静、天気予報、政局などに気を配る。19時はナイターの時間。我が巨人軍を応援する。テレビの中継時間が終わり、ラジオに切り替える。そしてその日も勝つ。当然勝つ。試合が終わるとテレビ朝日の某ニュース番組の時間だ。オネムだ。→冒頭へ戻る。
大学4年らしい生活といえばそれまでだが、あらためて文章化するとものすげえ1日である。
65.「知らない間に・・・」部長代理(02.7.16)
久し振りのたわごとです。最近は自身の今後の人生を方向付ける大切な「試験強化梅雨」のため、毎週日曜は東京、東京と非常に多忙な生活を送っています。昨日は東大にいました。栃木の東大生が日本の東大に乗り込んだわけです。そんな訳で、メルマガ発行、HP更新はもうしばらくお待ち下さい。
で、その忙しい間に知らない間に大きな話が進んでいた。実家が引っ越すらしい。聞いていない・・・今度帰省する時は帰る家が違うらしい・・・これはどういうことだろう!?最近改名した某芸人は帰ったら家が違う人の家になっていたらしいが、それと大して変わりない。まさにその危険性があったのだ。おかしい・・・一応あの家に18年間住んでいた者にとってはこの長男を差し置いた重大決定に、弁明意見を述べる機会が与えられなかった事に深い憤りの念を感じる。
もう一つ、私が所属しているゼミのHPに掲示板が出来たらしい。これも聞いていない。たまたまゼミHPを見ていたら掲示板があった・・・聞いていない・・・去年一年ゼミの運営に携わった身として、確かにここ最近は忙しくてゼミに行けないがそれを差し置いても、遺憾である。しかもその掲示板の一番最初の書き込みがあろうことか副部長なのである。「宇どうHP」の掲示板の書き込みは忙しくてあまり書き込めない分際なのに、そこの掲示板での副部長の最初の書き込みは、「みなさんどんどん書き込んで下さい」だって・・・そんな事を言えるのか!?お前が書けよ!!と突っ込みたくなる掲示板だった。
64.「地元の知事」副部長(02.7.16)
高速道路は便利だ。しかもなんとなく安全な気がする。夜の下道はおじいちゃんやおばあちゃん、自転車をこぐおっちゃんがいたりして大変だ。高速道路にはいない。しかも案外やすい。全て下道を通ればタダなのでそれが一番安い。しかし、時間がかかる。時間を金で買うと思えば2800円は安いものだ。こんなことをぼんやり考えながら私は実家に向かう。実家の方では知事が不信任案を出され見事に可決されてしまった。
知事の脱ダム宣言は以外に人事ではなかった。現知事が就任するまでは私の母の実家の近くにもダム建設の予定があった。結構話が進んでいたが、
「こんなところにダム作るんかい?」
と思うような場所だった。加えて昔はよくそこで遊び自然がたくさんあるところだった。なので
「出来れば作って欲しくねえなあ」
と思っていた。今の知事になっていなかったらおそらく1メートルをこえる大イワナの住処になっていただろう。イワナは25センチもあれば十分だ。メーター級のなんか釣ったら竿を何本だめにすることか・・・ そんなわけで知事には感謝している。
知事がんばれ!信濃のおっちゃんはこうるさいが多分深く考えちゃあいないぞ。真澄の大吟醸でも与えとけば大人しくなるはずだ。
他の候補といったって「ミズスマシ」発言のおじいちゃんみたいなのがでてくるならずっと今の知事が続いて欲しいと切に思う。
63.「大使公邸について」部長(02.7.16)
駐日タイ国大使公邸へ昨日行ってきた。同じ大学の仲間といったものである。詳しいことは良く分からないが、ご招待を受けたらしい。そこで「長いものには巻かれろ」精神で私も参加した。
東京・目黒にひっそりとたたずむ公邸は、ここが同じ東京かと思えるほど閑静で、そして庭が広かった。キャッチボールはゆうにできる。ゴルフのSWを使った「寄せ」の練習もできるだろう。それくらい広かった。建物は洋館風で、元々は明治時代のお金持ちの家だったらしい。その後、戦争に突入し、自慢の家を接収されるのを嫌った家主は、1943年、タイへ大使公邸として売ったということだ。それが始まりらしい。
それにしても豪華だ。更に驚いたことに、私が昼食を食べながらふんぞり返っていた部屋はなんと、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の弟、溥傑氏の婚約式で使ったらしい。日本史を高校時代に履修していた私にとっては、とても感慨深いものである。歴史のある家だ。
昼食を食べて庭で記念撮影をし、いざ帰ろうとすると大使がピアノを弾いてくれるという。聞いてみるとなかなかの腕であるが、残念なことにチューニングが全くあっておらず、語弊があるかもしれないが、ちょいと気持ち悪かった。調律をお勧めする。
他の友人に聞いてみると「こんなお屋敷、一生に一度入れるかどうかだ」と言っていた。全くである。しかし、何の因果か知らないが、実は私、駐インドネシアのイギリス大使のお招きで、大使公邸へ参上し、夕食をご馳走になったことがある。1997年のことだ。一昨年の2000年には、駐日インドネシア大使を表敬訪問し、そのまま大使館で夕食をご馳走になった。そして今回の、駐日タイ大使公邸訪問。こんな貴重な体験を、私は決して忘れまい。
62.「私の教育実習について」部長(02.7.16)
教育実習が終わった。私の周りの教育実習経験者に聞いてみると、大概の人は「大変だった」「数キロ痩せた」「寝不足」といった声を耳にした。一体どんな恐ろしいことが待ち構えているのだろうかと危惧しながら、教育実習に突入した。
以上のようなことを踏まえ、私の実習中の生活リズムをご紹介しよう。
朝7時半起床。朝食を取らずにいそいそと着替えて登校。8時15分、職員打ち合わせ。8時半、各ホームルームで朝のショートホームルーム。その後、12時までは授業なり教材研究なりをして過ごす。12時、他の生徒はまだ授業中にも関わらず、職権で売りに来たパンを買う(もちろん焼きそばパンやコロッケパンなどの人気メニュー)。
12時半、昼寝。13時半、起床。その後は授業や教材研究、無駄話に忙しい。15時35分、ホームルームで清掃監督。ホウキでのバッティング練習にいそしむ。16時、再び教材研究や無駄話、実習生間の交流に忙しい。17時、勤務時間終了。仕事を家に持ち帰らない主義なので残業。指導案作りや実習日誌の記入も終わり、部活動に顔を出す。18時、部活終了。同じ教科の他の実習生も帰り支度を始めているので、帰り支度を済ます。18時半、帰宅。この間、教材研究や指導案作り、実習日誌記入や無駄話、
実習生間の交流中は紫煙を燻らす。
いかがだろう。こんな教育実習、誰でもやってみたいのではないだろうか。確かに楽だ。しかし楽だけれども、教材研究には手を抜かなかった自信はあるし、お世辞が入っているだろうが私の授業をご覧になった先生方からは軒並み絶賛の嵐で、ある先生からは「即戦力だ、今すぐ教壇に立っても大丈夫だ」とのお墨付きをいただく。指導教員の先生からは研究授業の後、「あれだけ校長を始めいろんな先生が見に来てたのに、堂々と良くできたもんだ」と言われる。校長からは「ベテラン教師だ」とのお言葉をいただく。反省点も多々あるが、自信を持って言える事は、「楽しい教育実習だった」。
61.「教育実習について」部長(02.7.16)
今回も文章を書いている時間がありませんので、箇条書きと致します。
・部長、「先生」と呼ばれて違和感を覚える。
・高校在学中に担任だった先生からも、生徒へ部長を紹介している時に「先生」と言われ、首筋が痒くなる。
・実習先の高校が45分授業なので、時間経過が異常に短いと感じる。
・いまのところチョークや罵声、血のりや鉄拳は飛び交わず。
「最近のスポーツについて」部長
今回は文章を書いている時間がありませんので、箇条書きと致します。
・サッカーW杯セネガル代表の10番、18金ネックレスを万引き!犯行を認め釈放!!
・W杯開幕も空席が目立つ!
・新日プロ蝶野、疑惑の「タップ」について「俺の手は俺の意思に反して勝手に動くことがある」と発言。
・ボブ・サップ、あっという間の反則負け!
・東京シティ競馬で400万馬券!
60.「日本語の乱れについて」部長(02.7.16)
最近、日本語の乱れが叫ばれている。新聞紙上を賑わし、「日本語練習帳」といった書籍まで出版されている。私も身近に日本語の乱れを実感している。特に、電車の中で高校生の会話を傾聴すると、特によく分かる。
「ってゆーかさぁ、余裕でつまらないんだけど。」
意味がわからない。まずそもそも、「ってゆーか」という言葉は、「言い換えれば」「と言うよりは」という意味ではなかったか。そうした言葉を文頭に持ってくるな!その後に続く「余裕」。バカじゃないのか。「余裕」という言葉の使い方を「すごい」と間違えてないか。また、最近では「スノボなんて余裕で出来るよ」という用例で使われているが、これもおかしい。正しくは「スノボなんて『楽に』出来るよ」であろう。
その他、「全然」も使い方を間違っている。テレビでもだ。「全然面白い」「全然楽しい」。変だな。そもそも「全然」は否定形を伴う接頭辞であろう。例えば、「全然面白くない」「全然楽しくない」であり、前述した意味を伝えたければ、「とても面白い」や「すごい楽しい」であろう。
また、私が一番気に食わないのは、英語などの外来語をやたらめったらと使うことである。特に官僚。ま、所詮官僚は、我々一般国民に政策を理解されないように、わざと難しい言葉を使っているんだろうし。「セーフティーネット」「ガイドライン」「ライフプランニング」「リテスト」など、それぞれ「安全網」「指針」「人生設計」「再試験」と言い換えられる。横文字を使うことはすなわち、官僚が「俺たちは英語が使えるんだぞ。すごいんだぞ」と言わんばかりの表記である。
日本語をロクに話せないのだ、英語なんて…、である。なぜそこまでして外来語を使いたいのだろうか、理解に苦しむ。
59.「最近の読書傾向について」部長(02.7.16)
最近、読書にハマっている。通学時の電車内における読書は勿論、就寝前の読書や、果てはバイト先での休憩中や勤務前の控え室でも読書に励んでいる。この読書傾向は間違いなく、先の東南アジア外遊に起因するものだろう。滞在先でヒマさえあれば本を読んでいた。テレビを見てもスポーツなら理解できるが、あとはニュース番組の映像を見てなんとなく理解したり、視聴者参加型クイズ番組(「クイズ100人に聞きました」のインドネシア版「Famili 100」、「クイズミリオネアインドネシア版」など)を見たりしていたので、どうしても本に手が伸びてしまう。それでは最近2ヶ月、どんな本に私が手を出しているのか、一部をお目にかけよう。
『発作的座談会 2』
『あやしい探検隊焚火酔虎伝』
『発作的座談会』
『ロシアにおけるニタリノフの便座について』
『わしらは怪しい探険隊』(以上、椎名誠著)
『インドネシア 【揺らぐ群島国家】』(後藤乾一編)
『アジア政治を見る眼』(岩崎育夫著)
『ジャカルタ路地裏(カンポン)フィールドノート』(倉沢愛子著)
『人生教典』(高田純次著)
うーん、統一性があるといえばあるような、ないといえばないような気がする本である。この中で目を引くのは、椎名誠氏の著作。ちなみに今現在読んでいる本は、『あやしい探検隊アフリカ乱入』(椎名誠著)である。あとは、卒業研究関連なのでインドネシア関連書籍が3冊ランクインしている。さらに特徴付けているのが、『人生教典』。著者が著者だけに、やや問題があると思われるが、一応読んだ。
以前誰かが、「読んだ本を見れば、その人となりがわかる」と言っていたが、私がどのような人間かお分かりだろうか。これからもどんどん本を読んでいこうと思う。
58.「副部長の就職活動日記2」副部長(02.7.16)
就職活動をしていると金がかかる。例えば1週間に2回電車で東京に行くとしたら交通費が約6000円。仮に毎週このペースで行くと25000円近くかかる。25000円といえば結構な額である。MDウォークマンが買えてさらに1回くらいなら回転寿司にもいける。 電車を利用する就職活動生全体でみれば結構お金を落としていることになると思う。なのでのでなにかお返しのサービスがあっても決して悪くはないだろう。僕個人としては横になって寝れる車両を作って欲しい。寝台車じゃなくてじゅうたんがいい。オンドルなら言う事がない。床に寝かして欲しい。腰痛もちに上質な布団は猫に小判と一緒だ。硬いところで寝かしてくれ。 余談はさておいて就職活動が過密になってくると睡眠時間はけづられてしまう。例えば夜10時頃宇都宮について次の日朝9時からまた東京で説明会という場合だってないとはいえない。また次の日が大事な面接試験という場合、緊張しやすい人は家で寝過ごすんじゃないか?もう一度資料を読んだほうがいいんじゃないか?と色々考えて寝れなくなってしまう人もいるだろう。せめて朝の早い時間の電車にだけでもこの「雑魚寝車両」があればいいと思う。特に腰痛もちは思わず口元が緩んでしまう。それがだめなら「毛布貸し出します」サービスでもいい。それがあったらどんなにうれしいだろう。徹夜明けの電車通勤に暖かい毛布がもらえればきっと熟睡できる。
最近僕の就職活動について家族会議も開かれ、いよいよ切羽詰ってきた感じもありますが、「人生は楽観主義者であるべきだ」(世界ウ○ルン滞在記・ノルウェーのおやっさん)といっていたりもするのでマイペースに進めていこうと思います。
57.「図書館の進化」代理(02.4.19)
最近しばしば図書館に行く。宇都宮市内には主な図書館というのが市立(2館)、そして県立(1館)がある。そして今までは荷物が重かったので車で図書館に日毎にローテーションで出かけていた。
最近そのローテーションが無くなった。というのも、快適な図書館が見つかったからだ。その図書館こそ、我が大学付属図書館。この図書館、最近まで改築工事をしていて最近使えるようになったのだ。改築前の図書館は正直狭く汚かった。でも改築されたことで、設備が無駄と感じるほど豪華になった。
1、入り口に改札があり学生証を通してその改札が開く。これで不審者も入れない。
2、朝は9時からそして閉館は20時まで(平日)。これで勉強に打ち込める。〜ちなみに市立図書館では9時半〜19時
3、パソコン室が完備。これで処理センにわざわざ行く必要が無い。
4、勉強できる机が膨大。ざっと100席以上はある。これで隣を気にする必要も無い。
5、1階には休憩スペースが完備。これで休憩も完璧。
6、書架は省スペース型。自動で書架が動く便利物。これでどんなに本が多くなっても対応できる。
7、トイレの便座はもちろんシャワー付。しかも便座は自動開閉式。これでどんな事態にも対応できる。
ざっと思いついただけでもこれくらい出てくる。果たして有益なのだろうか?と少し感じてしまうが、便利に越した事は無いので今では快適に使用させて頂いている。1つだけ難点を言うと、市立、県立図書館に比べ実用書が少ない事だ。つまり専門書が膨大。だからあまり借りる事は無い。そこら辺の本をもう少し充実して欲しい。でもそういう本があれば逆に読書に熱中してしまう事になるだろうけど・・・
56.「交通事情について」部長(02.4.9)
インドネシア、バリ島にて踊りを習う部長。誰だかわからない・・・
ジャカルタで生活しているとつくづく感じることがある。交通マナーの欠如である。幅寄せ割り込み何でもあり。確かにこれでは渋滞になるわな、と感じずにはいられない。
例えば、割り込み。確か日本では、交差点の手前30mだかそこいらでの車線変更は禁止のはずである。しかし、ジャカルタでは公然とそれが行われている。対向車線を逆走し、交差点の直前で突然、直進車線や時には左折車線(!)にも車線変更しようとする。これでは他の車の迷惑となるばかりでなく、車の流れを塞き止めて渋滞の原因をわざわざ作り出しているのではないだろうか。
また、バイクのマナーの悪さにも辟易させられる。渋滞中も少しでも前に行こうと、ちょっとした車と車の間隙を縫うように走行し、非常に危険である。また、交差する道路からの飛び出し、サイドミラーの死角から突然針路変更して車の前に出るなど、マナーの悪さは天下一品。
そして極めつけは、「交差点進入」。これはどういうことかというと、日本では交差点の先が渋滞などで詰まっている場合、たとえ信号が青でも交差点に進入せずに、手前で待つのが常識であり、またそれは道路交通法にも明記されている。しかしインドネシアではどうだろうか。交差点進入禁止ということは道路交通法にかかれていないのではないだろうか。交差点の先が詰まっていようと、どんどん車は流入する。そのうち信号は赤に変わり、交差する道路が青になるのだが、交差点内は進入してしまった車で詰まっており、ここで車は身動きが取れなくなってしまう。
ではこの渋滞問題の原因は、行政にはどうしようもないのだろうか。どうしたら解決するのだろうか。私が思うに、これは都市開発においてそのマスタープランの策定が出来ていなかったのではないだろうか。つまり、「ここに道路があったら便利だのになぁ」ということだけで(決してそれだけではないだろうが)、道路を作ってしまった結果、道路は「縦横無尽に」出来上がってしまった。私はこの対極に位置するのが、唐の都・長安(現・西安)や、日本の京都ではないだろうか。碁盤の目のように道路が走り、きちんと区画整理されている。
詳しくはここでは述べないが、結局はマスタープランの策定が喫急の課題ではなかろうか。こうしたこと抜きに、ODAを注ぎ込んで道路を整備したところで、いったい何が改善されるのだろうか。月並みな言い方だが、「ひとづくり」「現地状況を入念に分析した上での経済協力」が必要なのだろうと、つくづく感じるようになった。
55.「就職日記其の壱」副部長(02.4.2)
宇どうのホームページなので本来ならば宇どう関連の活動について書くのが筋なこのたわごと欄なのですが、どうも宇どうの活動ができないので、今回からしばらくは私の就職日記を掲載したいと思います。 そんなわけで第一回目は「ルートインジャパン」の会社訪問アンド適性検査の報告をしたいと思います。今回の説明会は群馬県高崎市で行われました。そのため宇都宮を10:11に出発。大宮を経由して13:00に高崎市に到着。14:00からルートイン高崎の会議室で会社説明会が始まった。今回は仕事の内容だのシフトの移り変わりについてだの説明を受けた。掃除から食事作り、フロント業務まで何でもこなすというのがルートインの特徴だそうだ。私はこの考え方が非常に気に入った。そのあと会社訪問ということでシングル、ダブル、ツインの各部屋と大浴場、厨房の見学をした。丁寧に説明してくれてありがたかった。
「何か質問はありませんか?」
と聞かれて
「この部屋は一泊いくらですか?」
という質問しか浮かばなかったのは残念だった。
途中大浴場の説明のときに睡眠不足とあまりの暑さでぼーっとしていると
「君大丈夫か?」
なんとも情けない会社訪問になってしまった。
その後SPIを受けて今日のお勤めは終了。10日以内に連絡が無ければ今回はご縁が無かったということになります。という言葉を背に受けながら高崎市を後にした。
54.「バンコクについて」部長(02.4.1)
タイにて人気者の部長。
明日、ジャカルタへ戻る。ちょっと早いがバンコクの総括をしようと思う。
ウボンラッチャターニーから国内線でバンコクに着いたのが25日。タイ東北部とは比較にならないほど発展しており、さすが首都だと感じる。ショッピングセンターにもブランド物などが並べられ、驚く。タクシーもメーター制がほとんどで、メーターのついていないタクシーは皆無だった。「トゥクトゥク」というオート三輪タクシーは交渉制だったが、数はたくさん走っており、料金交渉が決裂した場合はすぐに他のトゥクトゥクに交渉できた。ゴミのポイ捨ては罰金なので、街もジャカルタよりきれいだった。しかし、渋滞はジャカルタの比ではなく、まさしく「世界一」ではなかろうか。
残念ながらタイ芸能やムエタイを見る機会はなかったが、ナイトスポットに触れることはできた。まずは「ハードロックカフェ」に行った。ここは世界を股にかけるチェーン店なので、他国のハードロックカフェと大差はなかった。むしろ、場所の問題なのか、ジャカルタやバリよりも狭く感じた。
その次は、かの有名な(男の世界だけか?)「パッポン通り」に行った。ここは「ゴーゴーバー」がひしめく、日本で言う新宿・歌舞伎町のようなところであった。さて、「ゴーゴーバー」とは何か、と疑問に思った人もいるかもしれない。しかし、この「宇大どうでしょう」の権威を下げる恐れもあるので、このサイトには書けない。どうしても知りたい方は、各自調べてください。
さてパッポン通りに話を戻そう。歩いているとすぐにポン引きから声がかかるような場所で、非常に歩くのに困難であった。しかし、通りの両側にゴーゴーバーがあるのだが、歩行者天国になっている通りの真ん中にはTシャツなどの屋台が並び、女性でも十分楽しめるだろう。しかし、ゴーゴーバーからもれてくる騒音・轟音には辟易する。
気候は乾季なので、さほど蚊はいなかった。雨もまったく降らず、天気には恵まれた。というか、むしろ暑すぎるくらいであった。道路はアスファルトで固められ、熱が反射してとても暑く感じた。しかし、飲み物は安いので(1杯25円程度)、その点は良かった。
そこで総括だが、バンコクにはまた来たいと思う。いや、別にゴーゴーバーに行きたいとか、売春をしたいという理由ではなく、純粋に来たいと思う。まだまだ触れていないバンコクもあるだろうし、そんなバンコクに触れてみたいと思う。女の子もかわいいし・・・。おっと、こういうことを書くから部長の権威が失墜してしまうんだな。失敬!
53.「公僕について」部長(02.3.13)
鈴木氏の証人喚問が終わった(らしい)。まったく、入札関与を認めたかと思えば、某女性議員から「うそつき」呼ばわりされて、処分要求を出したり、秘書の旅券が偽造だったり、果たしてこれが公僕である国会議員のする事か?徳島県知事も贈収賄で逮捕されるし・・・。
かたや我がインドネシアでも、国会議長が汚職で逮捕されました。おかげで両替所のレートが少し良くなりました。
おかしな話だ。やはりこう、選挙で選ばれる為には汚れた仕事にも手を出さなければならないのだろうか。いや、そんなはずはない(理想論か?)。
こういった人々はいっそのこと、禅寺にでも1ヶ月こもって修行をして頂きたい。心の底から改心するまで。インドネシア国会議長はイスラム教徒だから、モスク(イスラム教寺院)の掃除とか・・・。
ウブド(インドネシア・バリ島)は心が洗われる。特に宿泊先のホテルのファミリーは芸能一家で、旦那さんも奥さんも、奥さんの妹さんやいとこ、娘なども歌舞団のメンバーとしてご活躍なさっている。家にはガムラン楽器が置いてあり、いつでも誰でも手に取る事が出来る。こういう生活をしていると、雑踏なんかには惑わされたくない、そんな気持ちになってくる。どっかのおバカみたくパチスロに行くことなどおぞましくておぞましくて・・・。もう少し頭を使ったらどうだ?あぁ?スズムシ君よ。
52.「第一回就職活動を終えて」副部長(02.3.12)
3月4日に地元で開かれた合同説明会に初めて行ってきました。この合同説明会にはニ十程の企業が参加していました。
そのあらましは次の通りです。
12時30分に説明会の受け付け開始。受付を終えて会場に入ると300人位の学生がいて、それぞれ説明を聞きたい企業のブースに並んでいた。私が説明を聞きたかった会社には20人くらい並んでいた。
並んでいる間は特にやることもなくてパンフレットを何度も見たり、他の会社で説明を受けている人の様子を観察したり、回りにはどんな人がいるのか見回したりしていた。
説明会にきている人は大体スーツに革靴だったが、たまにスーツにスニーカーの人もいた。金髪のパーマにピアスをしてだるそうに会場を歩いている兄さんもいた。
なんとなく待っているうちに私の番になった。3人同時に説明を受けるようになっていた。私は右も左もわからずとりあえず隣りの人のまねをしながら説明を聞いた。隣りの人は以前にもこの会社を訪問したらしく、会社の人となにか話をしていた。
私たちに説明をしてくれたのは目に力のある渋いおじさんだった。上目遣いが片岡鶴太郎に似てないこともないという感じに思えた。
パンフレットを貰いながら説明を聞き、幾つか質問が出て終了した。ここまでにかかった時間が一時間30分。とりあえず先に終った友達のところに行くと
「もう僕はいいよ」
と言うので一緒に帰った。こうして第一回目の就職活動は終了した。帰りにパチスロをやりに行き、ビギナーズラックが出ることなく地味に負けて友達ともども店を後にした。その後今日の反省会をして、「ギャンブルは甘くないぞ」という結論に達した。
次こそがんばります。
51.「受験勉強」代理(02.3.8)
最近、センター前の高校生並に勉強をしている。といっても、「宇どう」の企画で「お笑いセンター受験」なんていう企画をしているわけではない。まじめに就職の為に「お勉強」しているのだ。
この勉強、正直結構楽しい。
「地理」、「政経」、そして「生物」。もちろん「数1、2、3、A、B、C」・・・聞いただけで頭が痛くなる人もいるかもしれない。でも案外覚えているものなのだ。確かに、はじめは何じゃこれと思ったが、結構こんな問題を何度も解いていくとすらすら解けるものである。やれば出来るのだ。
「世界一のボーキサイト生産国は?」とか「中国の国家組織はどうなっているのか?」、果ては原子記号の「水平リーベ・・・」なんていう知識もでてきて頭の中フル動員で勉強している。
そしてそんな問題を毎日図書館で朝から晩まで勉強していたら、ほんと隣の試験勉強をしている高校生と変わらない。そんな感じで毎日が同じように過ぎている今日この頃です・・・あーどっか旅に出たい!!!
50.「証人喚問について」部長(02.3.5)
証人喚問が行われる運びとなった(3月5日現在)。それにしても、確かに偽証罪に問われるので嘘は言えないが、村上正邦氏が多用した「訴追の恐れがありますので、お答えできません」はねぇだろ!! それじゃ証人喚問の意味がない。ま、その言葉や「記憶にございません」を使った時点で、その疑惑が事実であることを認めてるけどね。
それにしても、今回の外務省調査報告書も、鈴木氏との決別を示しているのだろうが、はっきり言って外務省自身の責任について言及していない! 自己責任を認めてこその改革だろうがっ。まったく、どうなってしまうんだろうね、この国は。
49.「球春について」部長(02.2.28)
いよいよ開幕である。今年は一体どのチームが我が巨人相手に、負け戦同然の日本シリーズを戦うのか、楽しみである。セ・リーグ覇者及び日本一は巨人と決定しているので、もっと幅広く「プロ野球」を見ていこうと思う。
まず今年の最大の目玉は、なんと言ってもストライクゾーンの拡大である。昨シーズンまでのストライクゾーンに当てはめれば高めの釣り球に過ぎなかったボールが、今シーズンはストライク。審判も不慣れであろうが、今まで低めの球を練習してきた選手たちには、辛い改定かもしれない。しかし考えてもみれば、審判も人の子、開幕時点と日本シリーズ終了時点でストライクゾーンが不変である保証は無い。審判の「ストライクゾーン」がだんだん低めに下がってくる可能性も否定できない。この「ストライクゾーン」、一体どうなるであろうか・・・。
もう一つの目玉は、星野阪神。中日をAクラスの常連に育てた手腕を買われての登板であるが、あの「ダメ虎」をどこまで改造し、育てられるのか。しかし正直な話、1年目では無理ではないかなと思う。星野イズムを選手に浸透させるには時間が無さ過ぎる。むしろ、来シーズンを見越した展望が必要ではなかろうか。今シーズンは最下位脱出が関の山、3