たわごと 2

171.「メンタルヘルス」部長(09.02.28)

 メンタルヘルスが重要である。読者の方々も痛感されるところであろう。ただ、当然ながら社会人ともなれば、学生時代のように「面倒くせぇ」と仕事を休むわけにもいかず、むしろちょっとした風邪くらいであれば出勤せねばならない。病院にもあまり行く時間が無いので、自らの健康管理に努めねばならない。

 しかし、睡眠時間を十分に確保できることは稀で、土日出勤当たり前、仕事の忙しさにかまけて食事も外食などが多くなる。これではいけない。せめて精神的なゆとりを確保して、健康を保持していきたい。

 そこで、読者の方々はどのようなメンタルヘルスを行なっているのだろうか。筆者の場合、仕事の合間を見つけては旅行に行くことにしている。また、旅行も金がかかるので、買物ついでにカフェでコーヒーを啜り、紫煙を燻らせながら人間観察をしている。一人暮らしをしていて、日中は「戦場」で、夜は部屋で1人、というのも味気ない。時間のある夜はショッピングモールをぶらついて、雑踏に身を委ねるようにしている。

 もちろん、部屋に引きこもりたいという方もいらっしゃるだろう。それはそれで結構。ひとそれぞれである。しかし、いかに自らのメンタルヘルスを保つのか、そしてその方法は何なのかをいち早く認識し、その上で毎日の仕事に精を出すことが、たった1度きりの人生を楽しむ方法ではないだろうか。


170.「28歳を迎えて」代理(09.01.31)

 あれよあれよ、と今月23日に28歳を迎えました。いつも思うんですが早いもんだなぁ、というのが正直な感想です。毎年毎年一年を歩むサイクルが短くなっている気が。。

 まだまだ若手だと思っていたら、いつの間にか中堅どころに突入。仕事上も今年4月で就職七年目に突入。係長になります、多分。今の仕事もかなり多忙なんですが、徐々に慣れてきました。ただ、4月には異動することになるかと思うので、その際にはまた異動先の仕事に一から勉強していくことになります。2年振りの異動。新しい仕事に慣れるんでしょうか。うーん、これまた大変。そして、部長代理にはいつなるんでしょうか、と思いながら。。

 

まぁそれはさて置き、前々号メルマガの年末年始特大号にも書いたんですが、09年の目標を「風を詠む」にしました。風を読む、風が吹くには色々な要因があると思うんですが、その要因を具に感じ取れる人になりたいな、なれればなと思っています。

 更に今年は人の繋がりを大切にしたいな、と思っています。具体的には同窓会開催について、宇どうも含め色んな繋がりで行いたいなぁと思っています。要は皆と飲みたいだけなんですけどね。。これについては、主体的精力的に動くつもりです。

 28歳の一年、激動の一年になるかと思いますが、みなさま引き続きよろしくお願いします。そして1年後に「29歳を迎えて」書く際には笑顔でこの一年を振り返られるようになっていればと思います。


169.「自動車教習所」副部長(08.12.31)

 カードを入れて、教習簿を出して、キャン待ちしないと・・まさか、齢28になってもう一度やるとは思っていなかったです。うっかり運転免許を失ってから早くも3年がたってしまった・・仕事の為、間に合わせで買った原付の操作には慣れたものの冬の凍てつく寒さには一向に馴染むことは出来ず。様々なプレッシャーから逃れるため、願望を満たすため再び自動車教習所に通い始めました。

 この時期、周りは高校生ばかり。初々しさを懐かしく感じながら、その中で唯一ともいえる社会人のおっちゃんは浮いている感を強く強く感じています。ひたすら黙々と授業を受けています。大学の頃、初めて通った今はなき宇自校の教室で感じた緊張した感じと違い、余裕みたいなものがあります。普通は2回も通うものでないので、意味のない余裕です。

 仕事の合間にいける距離、原付で職場から1分なので、時間の合間を見つけて通っています。さすがに開き直るしかないので、逆にすべてが新鮮で、安全教習も改めて授業をきくと納得の連続です。安全運転第一です。ルールは守らないといけないのです。運転教習については一月で10時間位しか乗れなそうなので3ヶ月はかかってしまいそうです。でも、車の運転できない切なさは充分味わったので今度は2度と手放さないように気をつけます・・意外にも真面目に取り組んでいる人生2度目の自動車教習所通いの近況報告でした。 


168.「29歳を迎えて」部長(08.11.30)

 11月、生誕29周年を迎えた。悔しい。何が悔しいって、そら20代があと1年しかないんですよ。悔しいでしょ、ねぇ。

 とはいえ、28歳と29歳の違いといったらそれくらいのこと。それ以外には変化がありません。生活が一変したと言うこともないし、人生の展望が開けたわけでもないし。

 さて、20代があと1年ということですからね、それなりの目標を立ててみようじゃぁないかと。まずはゴルフスコアで90を切りたいですね。いや、本気で。だって、100を切って以来、90を切れないんですね。なかなかうまくいかない。人生と同じですね。

 二つめの目標としては、海外旅行に行きたい。ここ2年ばかり海外旅行に行ってないんですが、いい加減海外に行きたいものです。もちろん、行き先は東南アジアね。あの雑踏の中に身を委ね、皆さんから生きるエネルギーをお裾分けいただきたい。

 それと、ものすんごくプライベートなことなんだけど、そろそろ生涯の伴侶を(笑) まぁこれがもっとも難しいものなんでしょうけどね、でもそろそろという気持ちはあるんです。気持ちだけはね。ただ行動が伴わないだけ。難しいもんですよ。

 とまぁ簡単ではございますが、以上が29歳を迎えた私が日々雑感していることです。


167.「供給過剰」代理(08.10.31)

 最近体重が減らない。

 通常であれば、夏と冬の恒例地元北海道の帰省時に、美味しいものを沢山食べ、美味しいお酒を沢山飲み、しっかり栄養補給をして戻ってくるので、体重が増えるんですが、その後次回帰省時の半年で増えた分の体重をしっかり減らしてまた帰省。そんな良好なサイクルが続いていました。

 が、最近はちょっと状況が違ってきています。今している仕事というのが閑散期と繁忙期の仕事量の差が雲泥の違いがあり、メリハリがありすぎるため、忙しい時はものすごく忙しい不規則な状況になり、更に余裕がある時に色々な会合(つまり飲み会。。)にこれでもかと参戦するため、非常に不規則なサイクルになっています。

 通常であれば今は、非常に忙しく仕事にうんざりし、そして体重が年末年始に向かって縮減していくシーズンのはずですが、体の状況を推察する限り、どうやら体重が減っていない。。

 下手すりゃ夏の帰省から戻ってきた時よりも増えているのではないか、と思ってしまうような状況。我が家には体重計を備えていないため、真実は分かりません。。

 これも歳を重ねているためなのだろうか??代謝が悪くなってきているのか。部員の中では自分だけは大丈夫。いつまで経っても部員の中で一番の良好なプロポーションを保っていられる、と思っていた自分にとってこれは危機的状況。すぐに何か手を打たなければと思っているんですが、忙しいことを理由になかなか行動に移せず。。

 温泉や銭湯に行った時に体重を量った時にでもこの件は報告させていただきます。。昔冗談で某ブートキャンプに入隊しないとと言っていましたが、本当に入隊の必要が出てくるかもしれません。。


166.「28歳を迎えて」副部長(08.09.30)

 月日の経つのは本当に早いもので、28歳となった。アラウンド30、ついに30歳の壁が目の前に見えてきた。しかしながら、精神的な成長が一切していない事実に愕然とする。よくよく話を聞いてみると皆さん同じように精神年齢は10代と思っていたりして、なんだ変わったことではないのかと少し安堵する反面、こんなことで大丈夫だろうかという危機感も日増しに強くなってくる。

 大丈夫かなぁ。気を取り直して・・・

 やはり、仕事場と自宅の往復では感動がなくていかん!と思い、最近では無理をしても休みはでかけることにしている。幸いなことに最近、スクーターで15分のところに大きなショッピングセンターができ、暇つぶしにはことかかなくなった。

 映画館まで併設していればいうことないのだが、残念ながらない。それでも家に一人でいるよりは楽しい。ホテルの仕事につき、はや幾星霜。嫌でも寝具やインテリアに目がいってしまう。職業病である。かといって昔から好きというような歴史は皆無なので、普通にみて普通に通り過ぎるだけである。興味を持っただけ成長か?とかなり甘い評価を下し悦に入っている。冒頭では精神年齢変わらずといったが、やってることは高齢である。そのあと健康ランドにもいくのだから、しかもそれが楽しいのだから、やはり高齢である。

 先日ホテルのホームページに画像を載せたくて、お願いしてゴルフ場にいれてもらった。ゴルフなんて金持ちのおじさんがやるもんだ、良さはわからないと思っていたら、ゴルフ場の自然があまりに気持ちよく、ゴルフいいかもと思った。

 なんのことはない、順調に30歳に近づいている今日この頃でした。


165.「気候変動について」部長(08.08.31)

 最近、気候変動を実感している。私が居住する町でも豪雨があり、隣の宇都宮市では床上浸水、さくら市では1時間に110mmという、想像もできないような豪雨が降った。時には、東北自動車道の鹿沼IC(下り線)で、ランプの道路が冠水し、閉鎖されるという事態まで起こった。

 報道等では“ゲリラ豪雨”なる言葉が使用されているが、この超局地的集中豪雨は、私が大学に入学した頃にはあまりなかったことだと記憶している。栃木県内では「那須水害」などが起こることもあったが、通常は台風でも来ない限り、床上浸水や道路の冠水などは起きなかった。これは他の地域でも同様だと思う。

 それが、いまや日常茶飯事的になりつつある。今年から独居を始めた私としては、せっかく気温の高い夏に、心置きなく洗濯物を干すことができないということが目下の悩みである。出勤前に洗濯物を干しても、帰宅時どころか昼過ぎには豪雨が降り、洗濯どころではない。

 ようやく暑さが和らいできたここ数日であるが、それでもこの文章を書いている日の前日の昼過ぎは、東南アジアのスコールと見紛うほどの雨が降った。急に大雨が降ったと思えば、30分ほどして止み、再び太陽が顔を出して来るという天候。まさに熱帯気候である。これで職場の庭にバナナの木や椰子の木でも立っていようものなら、それこそ東南アジアである。
一連の豪雨の要因については、温暖化の影響だという説や、ヒートアイランド現象の産物だとする説など多種な説が唱えられている。しかし、少なくとも私が子供だった時分と比較すると、明らかに雨の降り方が変わった。今後は環境に配慮するとともに、従来の生活スタイルからの転換、すなわち換言すれば熱帯気候に居住する人々に学ぶべき点があるのではないだろうか。

 そのようなことを考えている夏の日の一日である。


164.「夏旅2008」代理(08.07.31)

 今月は仕事においても一区切り突いたのでえいやっ、と色々なところに出掛けました。今の職場も2年目。仕事のリズムが分かってきた(気がする)。そんな訳でビシッと休みを取りつつ、週末は全て都外にいるという生活を過ごしました。

 といっても、私こんな楽しい生活が長く続くわけではなく、また8月になるとお盆明け早々にでも忙しくなる噂があったり、そもそも来年はここの職場から異動しているはずなので、こんな少し早めの夏の楽しい生活も今年限りのようです。

 ということで、第1週末は福井、第2週末は北海道、第3週末は神奈川、第4週末は栃木と、旅人ですか、と言われてもおかしくないキチキチ日程、週末は常に自宅を空ける生活を過ごしました。

 それだけならまだしも、平日は職場関係、友人関係との楽しい飲み会(中には気疲れの会合も無きにしも非ず・・・)も入り、旅の最中の宴会も含めると、かなりの量のアルコール摂取量となっています。

 そのお陰様で現時点で体重が5キロ増えました。昨年も夏の仕事の閑散期に体重が繁忙期に比べ5キロ増加したので、本気で某ブートキャンプに入隊しようかとも思いましたが、今年こそは何かしらの対策をを打ち立てないと、今、巷で流行のメタボに突入しそうです。ちなみに去年は秋から仕事の繁忙期が今年の6月までエンドレスで続いたため、必然的に6月時点で5キロ減っていました。なので、今年もそうなってくれるのではないか、と淡い期待を持っていますが・・・

 で、話を戻すと、今年のこの週末の旅は、今まで自分が関係した所、もしくは関係した人と旅に出ました。懐かしい風景や仲間との再会、気づけば長い付き合いになる友人らとの旅。色んな意味で居心地が良い旅を過ごせました。そういう一つ一つの出会い、これからも大切にしていかなければならないと、旅の最中に流れる車窓に目をやりつつ、ふと思いました。

 そのため、最近一人旅にめっきり行かなくなりました。学生時代は行ったことのない県を目指してスカイメイトを駆使しつつ精力的に回っていましたが、最近は時間に限りがあるというのもあるんでしょうが、それ以上に新しいところを開拓するという気持ちが萎えてしまっている気がします。

 今後は糧となるような新しい出会いを見つけるためにも、そんな旅も行いたいなと思っています。時間があれば、ですが・・・


163.「08年長野県人会活動報告」副部長(08.06.30)

 6月6、7日、長野県人会を開催した。支部長は愛車初代のレガシィが不調となり、泣く泣く下取りに。そして、2代目として世界王者トヨタの雄、ボクシィエアロタイプを購入したばかりであった。今回は初乗を兼ねて新潟親不知までアジ釣りに出掛けた。ボクシィの性能は素晴らしく、ライオンの四肢のような力強い足まわり、黒光りするボディ、内部は広い3列シートに高い屋根、運転席と助手席の間はすっきりと整理され車内はとても広かった。インパネは見易く、バック時はカメラ映像でナビがついた。空調も細かく設定ができるようデジタル化され最新鋭の技術が駆使されていて、とても乗り心地が良かった。

 会当日は10時に長野駅で合流、支部長の用事を終わらせ、上越市を目指した。12時には同市内着。かっぱ寿司で軽く食事をし、オートバックスで釣り餌などで車内を汚さないようシートを購入。釣具屋で撒き餌を購入し親不知を目指す。15時同地堤防到着。釣りを始めるが全く釣れない。18時までは海牛に針がひっかかったのとハゼがかかったのみ。場所を変えるとちらほら当たりがでた。19時を過ぎると途端に入れ食いとなる。20分で20匹程釣れた。食べきれないので少し大きめの4匹だけ残し、リリース。途中見切り品を買い、支部長のアパートへ着いたのが24時。支部長は遅い夕食準備へ取りかかる。夕食を取り始めたのが1時。発泡酒を1缶空けたところで3時になり就寝。翌日は15時起床。部長の名句 太陽は西から昇るのか、を体感する。

 16時遅い昼食にラーメンを食べるも少し具合が悪くなる。海風の塩を落とすため17時洗車を行う。いかつい黒光りを取り戻し、王者の風格を振りまく。18時天然温泉の健康ランドに浸かり、19時帰宅。夕食の準備をし20時夕食。支部長所持の音楽DVDを鑑賞し24時就寝。翌朝6時惜しまれつつ、県人会閉会を迎えた。

 日本海で夕日を観れたりと癒される2日間であった。


162.「気分転換について」部長(08.05.31)

 えぇ、休みが取れません・・・4月は28連チャン。GWにやっと2連休が取れました。5月も今のところ休みがありません。どっかでスパッと休んでやろうかと思ってます。とはいえまだ新人なので、そうそうワガママは通せません。

 ということで、なかなか旅行に行くチャンスがありません。といいますか、いつ休みになるのかが直前にならないと分からないので、旅行の計画を立てようがありません。ましてや海外なぞ行けるわけもありません。強いて言えば年末年始くらいでしょうか・・・

 まぁそんな毎日ですから、週末、夜になると宇都宮へ出て行って遊んでいるわけです。酒を飲んだり、ショッピングモールをブラブラしたり。そうしますとね、多少の気分は晴れるんですが、何かこう、モヤッとしたものが残るんですね。

 ですので、CDを何枚か買いました。吹奏楽のCDなんですが、モチーフがインドネシア・バリ島の民族音楽なんですね。このCDを聞きながら出勤するとテンション上がりますし、夕刻の帰宅途中に聴くと、夕暮れの田園風景と相まって神秘的で良いんですね。

 音楽で心を癒すってのは、本当に良いことだと思います。僕の場合はクラシックや吹奏楽、民族音楽などで癒されますが、皆さんはどんな音楽で癒されるでしょうか。気分の落ち込んだ時、疲れた時など、ふと音楽なぞを聴いてみたらいかがでしょうか。きっと、心が落ち着いて、翌日への活力となることでしょう。


161.「春の匂い」代理(08.04.30)

 東京に再び住みだして2年目の春を迎えました。去年一年は新しい街に、そして仕事に慣れるのにいっぱいいっぱいだったんですが、一年が経ち、街にも仕事にもようやく慣れてきた感じがします。

 今年気付いたこと、それは花粉症に本格的に発症したということ・・・今まで春が来ると長い冬の寒さから開放され、そして桜の花が咲き大好きな季節だったのですが、今年はほんと酷かった。鼻水と目の痒みが酷く憂鬱で、しかも仕事が繁忙期というのもあり、まさに「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という感じでした。来年の花粉症シーズンには薬なり注射なりで本格的に花粉症に対抗していこうと考えている次第です。ようやく今になって、春の匂いを満喫出来るようになりました。

 そして気付けば4月も終わり。最近は日々の仕事をこなして行く事に忙殺され、そんな毎日で良いのかと自問自答する日々。学生の時と違い、一日ぼーっと過ごせたり、月曜は動きたくないから良いやと開き直ったりと、羨ましい生活を出来ないのは重々承知しています。

 社会人なので自ら稼いで、その稼ぎで生きていかなければならないのは、もちろん知っているつもりですが、とはいいつつも、旅に出たり、ゆっくり物事を考えたりと、自分の好きなことが出来ない日々は、なんだか悶々とストレスが溜まってしまいます。

 ここがぐっと堪え時なんでしょうか。出口の見えない問題をの答えを一所懸命考えているようで、何だか疲れてしまいます。

 とはいいつつも、人に比べ色んなとこに出かけ、色んな人に会い、適度にストレスを発散しているので、このたわごとを読んで、心配している方もいるかもしれませんが、全く大丈夫です。ただちょこちょこ色んなとこに出かけているので、同期に比べ一向にお金がたまらない・・・そんな悩みが最近一つ増えました。


160.「季節は春」副部長(08.03.31)

 社会人になり6年目の春を迎えることとなった。あっという間に過ぎたなというのが正直な感想である。3、4月は別れと出会いで形容される季節だが、先日ちいちゃなそんな出来事があった。昨年の夏に会社を辞めた後輩が赤ちゃんを連れて職場を訪ねてくれたのだ。やめた理由はおめでたで寿退社だったので赤ちゃんをだっこしての登場には驚くことはなかったが、生後2ヶ月の赤ちゃんの可愛さには正直なところ心を揺さぶられた。終始寝ていたこともあり大変おとなしく、また抱かせてもらうと赤ちゃん特有の体温の高さがあり、何ともいえない温もりを感じた。社会人になってからは初の赤ちゃんだっこに首がおれるんじゃないかとか泣き出すのではないかと思い、硬直してしまった。女性スタッフはその辺り実に手慣れたもので、楽しそうにだっこしていた。赤ちゃん言葉による会話にはなんとも恥ずかしくて混じることができなかった。

 後輩はひとしきり挨拶を済ますと、持ってきたおみやげを渡し帰って行った。赤ちゃんをあやす後輩の姿は母のそれを覗かしており、いわゆる女の喜びとか幸せというオーラを全身から漂わせ自信に満ちあふれていた。子供がいるとこんなにもかわるものなのかぁと思った。主役のいなくなった職場にて、先輩お母さんでもある女性スタッフの一言。

「母親は幸せだけれども、すごく大変だから父親はお母さんのフォローを頑張るのよ!。」

 いつかの為のありがたいアドバイスも頂けた、楽しい春の午後だった。


159.「ひとが旅に惹かれる理由」部長(08.02.29)

 人は旅行をする。距離の遠近を問わず、旅行をしたことがない人は皆無と言っても良いほど、人は旅行をする。なぜだろうか。私なりに考察してみる。

 まず第一に、「非日常的空間」を味わうことが出来よう。自分の知らない土地へ行き、旅館の宿泊し、見ず知らずの人たちと関わる。時間に追われ、仕事に追われ、様々なものに追われる人にとって、まさに癒しであろう。珍しい料理、珍しい文化や習慣などに触れ、心をリフレッシュさせることが出来る。

 第二に、「無責任体験」とでも言おうか。例えばインドネシア・バリ島に行ったとしよう。我々旅行者は、住民と同じ食堂へ行き、同じバイクに乗り、同じ時間と空間を共有する。安宿(民宿)に宿泊し、宿のオーナー家族と仲良くなったら一緒に村の祭礼に出席する。

 しかし、バリ島の村落システムにおける水利組合、町内会、或いは隣組に加入することはない。従って、旅行者は「楽しい」と感じる空間に対する責任をあまり負っていないのではないだろうか。もちろん、ゴミをポイ捨てする、現地の風習を無視するなどは言語道断だが、そうでない限りは、少なくとも日常生活で感じる「制約」からは脱することが出来よう。

 そこに住む人々が取り決めを守って保存している文化などを、「取り決め外」にいる我々が触れ、そして感銘を受けたり何かを感じ取ったりする。逆の視点に立てば、我々が当たり前のように守っているもの、見ているもの。例えば氏神の祭礼であったり、様々な年中行事であったり。これらは、我々は当たり前のものだと思っても、「外」の人間にとっては珍しいものなのかもしれない。

 旅に出て感銘を受けるのであれば、日常に帰ってきたら、自分の日常、立脚点のしきたり、こうしたものを守ってみよう。大きな意味での「give and take」になるはずだから・・・。


158.「生誕27周年を迎えて」代理(08.01.31)

 先日晴れて27歳を迎えました代理です。健康な体で27歳を迎えられたことに、親を初めとした周りのみんなに感謝です。支えがあってからこそ今の自分がある、ということを肝に銘じ、これからも日々の生活をしていかなければと思います。

 さて、気付けば東京での生活に復帰してからもうそろそろ1年が過ぎようとしています。早いもんです。ふと考えると、歳を重ねるにつれ、一年一年が光の如く過ぎていきょうに感じます。

 聞いた所によると、心理学的には子どもの一年より、大人になった一年の方が早く過ぎているように錯覚するみたいです。それは、経験値を重ねているので1年があっという間に過ぎるように感じるからとのこと。今でさえこうなのだから今後更に歳を重ねた際にどのように感じるのか・・・それは今は考えない方が良いのか。

 

 話は前後し、この前の年末年始、久しぶりにしっかりと実家に帰省しました。実は去年は北海道に帰省する機会が沢山あったのですが、なかなか実家にゆっくりする事も出来ずじまいでした。

 今回は久しぶりにのんびり出来そうなスケジュールで帰省したんですが、年末年始の激務のために風邪を拗らせてしまい、実家で寝正月になってしまいました。何とも勿体無い正月の過ごし方です。しかもそれが祟り、年始からの仕事も本調子ではなく、就職以来5年弱の間、職場での酒の席では絶対に粗相をしていなかったのですが、この前に始めて飲み会中に気分が悪くなりトイレ直行という初失態をしでかしてしまいました。何ともいやはやという感じです。

 

 その寝正月の実家滞在中に、小中高の同窓会の機会があり、しかも同日に3件というトリプルヘッダー参戦。1件目から2件目の移動の際に汽車の最終を乗り過ごしてしまい、タクシーで乗り付けたりもしつつ、忙しなく全てに参加しましたが、やっぱ地元は良いなぁ、って改めて思った同窓会でした。最近は東京でもまた同級生と飲む機会があったりと、改めてみんなに支えられているんだと実感します。

 27歳のこの一年も、公私共に楽しく笑顔で過ごしていければと思っています。


157.「なぜラグビーか」部長(08.01.04)

 既にご存じの方も多いと思うが、私は大のラグビーファンである。神戸製鋼7連覇をテレビで見たり、毎年早明戦や大学選手権決勝を欠かさず見たりしている。しかし、私は小中高と吹奏楽をやってきており、ラグビーに関しては未経験者である。なぜここまで惹かれてしまったのだろうか。

 第一に、他の球技にはなかなか無い魅力、すなわち『タックル』がある。例えばサッカーの場合、相手を倒してしまうとペナルティーだが、ラグビーの場合はむしろ喜ばしいことである。しかもそのタックルに魂がこもっていると、清々しささえ漂う。劣勢の場面でも、この“魂”が炸裂すると、俄然盛り上がる。

 第二に、独特の“謙虚さ”がある。ボールをパスする際は、必ずフラットか後ろへ投げなければならず、前に投げたり落としたりすると反則である。うしろへパスしながらいかに攻撃ラインを前進させて陣地を多く獲得し、そしてトライを取るか。アメフトのように前パスを認めず、非常に謙虚なことが伺える。

 第三に、心を振るわせる“何か”がそこにはある。どんなに大差で負けていても、トライを1本取る、魂のタックルを一つ決める。そんな目標に向かって、男15人が愚直なまでに体を張って前進する。決して最後まで諦めない、熱き心を感じる。さらには大学の試合がそうであるが、両校の校歌斉唱時、なぜか観客席にいる者までが目頭を熱くさせる。これは私に限った話ではなく、他の観戦仲間に聞いても一様に同じ答えが返ってきた。まさに『戦い』である。武器はない、なんの防具もない。しかし体一つで相手と対峙し、ぶつかって相手を倒す。まさに『戦い』。

 ルールが難しいかもしれないが、“パスは後ろへ”“ボールを前に投げたり落としたりしない”の2点さえ覚えれば、あとはなんとかなるものである。ぜひこの記事を読んでいただいたそこのアナタ、ラグビーを見に行こう☆


156.「やっぱり仕事三昧」副部長(07.11.30)

 群馬は藤岡に転勤して早4年が経ってしまいました。大学4年と過ごした期間はかわらなくなってしまった・・

 しかしながら ほとんど遊んだり、好き勝手やっていた宇都宮と比べると愛着に差があるのも事実。その土地の印象や懐かしさは過ごした時間ではなく、どうやって過ごしたかによるんだなぁ、と実感しております。仕事ばかりの毎日じゃあ、達成感はあってもおもしろくはないです。

 そんな毎日なので真面目に物事を考えるには最適な環境です。短い人生心底真剣になにかに取り組めたら それはそれでおいしいと感じます。

 最近、映画版「東京タワ○ オカンと俺と、時々オトン」を借りて観ました。オダギリジョー、内田裕也の嫁が俺とオカン役で主演をやっているやつです。借りてきたDVDをセットし部屋の電気を消し、気分はさながら映画館にして上映開始・・・オカンに何度も泣きました。臨終を迎え、色々あったけど 思い残すことはない という心境になれるのはどんなに素晴らしいか・・・そんなところが感動でした。久しぶりに気持ちいい上映会でした。

 その後は近所のスーパーで惣菜と酒を購入し一杯。仕事三昧ながら これはこれでありかな?と思う平和な一日を送らせて頂きました。


155.「秋の匂いを感じて」代理(07.10.31)

 今回のたわごとは何故かセンチメンタルな気分で書いています。特に意味なしということにしておいて下さい。

 

 いつまで続くと思われていた暑い夏が10月に入って一気に寒くなりました。いやいや、もう2007年もあと2ヶ月ばかり。そして気付けば東京に戻ってから7ヶ月。ほんと光の速さで最近は日々の時間が経ってしまいます。金木犀の香りが香ると、あぁ秋がきたんだなぁって、ふと思います。

 そういえば、地元北海道では金木犀の木ってないんですよね(多分)。なので、初めて内地に来た時、宇都宮で大学の後期が始まってしばらく経ち、金木犀の香りを大学構内で始めて嗅いだ時、トイレの芳香剤と変わらないあまりの匂いのきつさにびっくりしたのをまだ覚えています。

 それから内地での生活も早9年目を迎え、金木犀の香りにもいつの間にか慣れ、この匂いを嗅いで秋の始まりを感じます。

 

 秋に限らず季節の変わり目の匂いって何だかすごく良い感じがします。春のサクラの匂い、夏の海の匂い、秋の金木犀の匂い、そして冬の凛とした空気の匂い。そんな全ての季節の変わり目の匂いが大好きです。

 ただ秋になるこの匂いって、なんだかすごく寂しくなりますね。これから冬を迎えるって準備だろうか。。そんなことを考えながら寂しげな秋の日々を感じています。


154.「インターネットと私」部長(07.09.30)

 いやね、メルマガ発行人である部長代理から「たわごとを書け」と指令が出ましてね。何を書こうかと考えていたのですが、これがまーったくネタが思いつかない。書けと言われれば書くことはありますけどね、宇どうのメルマガには相応しくないと自主規制しまして、ボツになったわけです。

 でだ。こうまで書くことがなかったら、僕自身はブログを持っているので、ブログを見返してみるとか、ミクシィ日記をチェックするとかあるんでしょうがね、書きたいことは書いてしまったんで、やはりネタが思い浮かばないのさ。

 とここまで書いてみて思ったんですけど、やれブログだ、やれミクシィだと、インターネットって本当に我々の生活道具の一つになってますよね。ショッピング一つにしても、家から一歩も出ることなく本を買えたり服を買えたり。しかも「送料無料」なぁんてサイトも多いから、本当に便利になりました。

 さらに「ソーシャル・ネットワーク・サイト(SNS)」なぞというものもあります。代表的なものに「mixi(ミクシィ)」がありますね。学生時代の同級生はもとより、自分と趣味の合った人同士で情報交換したり、一緒にイベントに参加したり。メッセージのやりとりにとどまらず、各参加者が日記をつけて、その日記に対してコメントしたり。

 僕も例に漏れず、こうしたネット生活を十分に満喫しております。おそらく、近い将来に僕が一人暮らしを始めたとしても、この生活は変わらないんだろうね。ネットを繋がなかったら、はっきり言って僕の今の生活は成立しないもの。

 もしかして、インターネットが突然無くなっても、それなりに生活できるのかもしれない。しかし、より一層便利に、より一層お得に、より一層豊かに生活を送るためには、どうしても必要ではないだろうか? ただ、ほんの10年前までは、ここまでインターネットが普及すると誰が思っていただろうか。携帯電話だって、まさかここまで普及し、かつ多機能化すると誰が予想しただろうか。「10年一昔」とはよく言ったもので、たった10年で人々の生活スタイルや周囲の環境が、ここまで劇的に変化するということは、実はもの凄い進歩ではないだろうか。そう考えると、今から10年後、一体僕らはどんな風に成長し、社会はどのように変化しているだろうか?


153.「自然体」副部長(07.08.31)

 ホテルに就職して早5年、草むしり担当からはじまり、最近では責任者ということでお店の営業を行っている。

 過去に営業の経験もなく、あわわ、あわわしながらの毎日である。恥ずかしながら、責任者などと言われると舞い上がり気負いばかりが大きくなっていくのだが、気負えば気負うほど、なにもかもがうまく行かなくなるもののようなのである。

 先日暇を持て余して、コンビニにて漫画雑誌を立ち読みした時、気負えば気負うほど体は固くなり、自信がつけば自然と柔らかくなり動けるようになると描いてあった。責任者とはこうでなくてはならない!とかホテルはこうでなくてはならない!というのは、いわゆる気負いばかりが先行した状態でひたすら苦しいだけである。

 苦い顔をしているからなのか、毎日お客様からも怒られていた。あまりにそのような日が続いたので、気負いも続かなくなり最終的には、

 「もうなるようにしかならねぇ!」

 と思ってしまった。

 そうすると気分的には楽になった。なぜだかお客様から怒られることが減り、店舗に明るさがでてきた。やっていることは以前とは変わらないのに、不思議なものだと思った。

 はじめから自然体でいられれば無駄な時間はかからなかったのかなと?思う反面、そういう一見無駄な時間を重ねないと先に進めないから結果無駄ではなかったのかとも思う。

 そういう難しいことは、分かるときには分かるだろうと思う今日この頃である。


152.「忘却の彼方へ、忘れるべきではない出来事」代理(07.07.31)

 某日記サイトにも同様の内容で日記を書いたんですが、今回のことは忘却すべきではないと考えまして、ほぼ同内容+加筆し、記憶ではなく記録として残したいと思います。

 さて今月の某平日に高校同級生合計四人でミニ同窓会in渋谷を開催しました。福井時代には一度も足を踏み入れなかった、二年振りの渋谷に緊張しつつ、成人式以来の同級生との再会にもまた緊張。

 でもそんな緊張は杞憂であって、昔と変わらない同級生と楽しくいっぱいお酒を飲みつつ、ほんと楽しく過ごせました。道民の心地よさに酔いしれながらみんなと別れ、渋谷から終電で帰宅。


 出来ず。。 


 気付いたら、我孫子に、そう千葉の。。まったく記憶がないんですが。。ただ考えてみると我孫子にいるのはおかしいんですよね。。渋谷から我孫子までというのは直通で電車が通っていないので、確実に記憶がないまま乗換えをしているわけです。これはほんと恐ろしい。 半蔵門線に乗った記憶は確かあるので、どこかで千代田線に乗り換えたのかなと推測はされるのですが、如何せん記憶がない。何をしているんでしょうか。。最近は酔っ払って新聞沙汰なんてこともありうるので、まだ起きたら終点だったってことで良かったかと。これからはとにかく記憶が飛ばない程度に節度を持ってお酒と直向に向かい合いたいと思っています。

 その後我孫子でタクシー乗車。予想以上に我孫子って都内から遠いことに気付きました。。1万円。。飲み代を遥かに越える金額に、心地よい酔いも一気に醒めました。 

 酒は飲んでも飲まれるな、ふと頭に浮かびました。


151.「睡魔と健康と」部長(07.06.30)

 先に述べておきます。現在、いろいろございまして長文を書くことが非常に困難となっております。今回はとても短い文章ではございますが、どうぞご寛恕のほどお願い申し上げます。

 

 ここ最近、就寝時間が遅くなっている。やることが多くてなかなか片付かないため、どうしても遅くなってしまうのである。大概、某4chの番組で愛しの中田さんに「おやすみ☆」とつぶやいてから寝るのであるが(笑)、起き抜けの表情の暗いこと暗いこと・・・。

 こうした生活もあと2週間と考えれば、なんとかモチベーションを保たねばなるまい。その為には、精神衛生的によろしいところへ行かねばならない。ということで、最近は気分転換と称しながら、いろいろな所に出没するようにしている。ある時はショッピングセンターの雑踏の中。ある時はレストランでコーフィー&スィガレット。

 しかし、一番の気分転換は、東京に行っておいしい飲み物をおいしく“いっぱい”飲んでくることである。とっととクイズ選手権を終わらせ、早く東京で腰を据えて飲みたいものである。


150.「高級ホテル業界の今と禁煙」(07.05.31)副部長

 相変わらずの仕事漬け状態が続いています。副部長です。景気が良くなった良くなった・・といっても実際に体感できるのは大企業くらい。中小企業はまだまだ戦時中です。欲しがりません、勝つまでは。

 2007年問題でゆれる高級ホテル業界、東京にもリッツ・カールトンやペニンシュラといったビックネームが進出です。過去部長とめぐった高級ホテルのロビー訪問、といってもシンガポールと東京の帝国さんだけですが、常に場違い感を全身で感じておりました。しかし、それらすら超越した高級感、いい方を変えると一般庶民には場違い感を与えるホテルがオープンです。恐いものみたさに今度ロビー探訪にいってきます。

 というわけで、あくまでテレビでみただけではありますが、リッツやペニンシュラのロビーの格好の良さに感動しました。なんでしょうか、やっぱりお金かけないと高級感はでないんでしょうか。

 そんな中、悲しい出来事が一つ。私の会社の社長は大の嫌煙家。先日会議でタバコを吸っているメンバーは居残りで社長主催の喫煙者を2時間で禁煙者に代える会に強制参加させられました。社長の巧みな話術と健康を心配する親心、ほんの少しのパワハラでセミナーが終わった時には参加メンバーは社長に禁煙を約束していました。社長曰く、裏切りはゆるさん・・そんなわけで最近禁煙を始めました。

 健康を考えたら大切なことですよね。


149.「そして再び東京へ」(07.04.30)代理

 この4月に東京に戻ってきました。北陸生活の2年間、公私共に充分満喫をし、満を持して東京に戻って来ましたが、1ヶ月経ち、あまりの多忙さにびっくりしました。2年前以前にも経験していたつもりでしたが、この仕事、そいういやここまで忙しかったのか。。と痛感してあっという間に1ヶ月という時の流れが過ぎていってしまいました。いやぁ、びっくりです。

 実はこのたわごと、メルマガ発行日当日(4月30日)に必死に書いています。以前であれば発行月初めには完成し、他部員のトピ待ちをしていたのがウソの様に本人が締め切りに追われています。それだけ、この1ヶ月がびっくりするくらい忙しかったわけです。

 さて、現在の職場というのは、戻ると思われていた想定した職場ではなくて、ちょっとした以外な場所で現在働いております。就職してこの4月で5年目に入りますが、どうやら何かと大学時代とリンクする縁深い職場への配属が多いようです。

 でも、ただただ忙しいばかりではないということにも気付きました。東京に戻ってきて、同時に同期も戻ってきたので一緒に飲みに行ったり、高校や宇都宮との友人も距離が縮まったので週末に飲んだりと、まったく飲んでばかりですが、それはそれで良い気分転換に。楽しく時を過ごしています。

 あと、週末に色々と出かけることも多くなりました。早速この一ヶ月で宇都宮や仙台へ。同期旅行や結婚式に参加と理由があっての付随した旅でしたが、懐かしの場所を巡り、懐かしの人に会い、楽しく酒を飲むという、気分転換にはもってこいの旅を行ってきました。

 そんな訳で、ここしばらく東京に居座ることになります。宇同総会や各地の美味いものを食べに旅に出たりとちょこちょこ動きますので、皆さんよろしくお付き合いください。


148.「しんみりとした酒について」(07.3.31)部長

 先日、東京の中野にて友人と飲んだ。サシで飲んだ。10月に一緒に飲んで以来、お互いのプライベートではそれぞれいろんなことがあった。しかし、こうして友人と一緒に飲んでいると、そんな厭なことをぬぐい去ることができる。

 蝦夷征討の際も、最終日に何故か一人で居酒屋に入る。地元でも、大衆割烹でしんみりと一人酒をする。しかし、学生時代のように何人も集まってワイワイガヤガヤとやる酒もよろしいが、ここ最近は特に、一人や二人など、少人数での酒が格段に美味しい。だんだんと老けてきた自分が分かるようで厭なのではあるが、現実がこうなのであるから仕方がない。

 よく言われるのは、「一人で酒を飲んでて、寂しくないのか。つまらないのではないか」ということである。しかし、寂しくないと言えば嘘にはなる。しかし、そういう酒もまた、良いものである。カウンターの端に座り、マスターの包丁さばきや串焼きの煙などを見ながら、静かにグラスを傾ける。いとをかし。今後の人生の展望を考えるときもあれば、過去の悪行を悔いるときもある。別れた女を思い出すこともあれば、明るい(であろう)未来を夢見ることもある。

 最近は専ら、焼酎党となってしまった。先日も一人で飲んでいたら、偶然に中学の同級生と邂逅し、「どうしたの?」と言われた。どうしたのもクソもあるまいが、まぁとりあえずは挨拶をした。一人で飲んでいると、周りの人間観察もできる。そうすると、二人で飲んでいると話に夢中で周囲の人間になかなか気が回らないものであるが、一人では結構気付くものである。この同級生でも、もし僕が二人で飲んでいて、話に夢中だったら後ろを通り過ぎられて気付かなかったかもしれない。そう考えると、一人で飲むのも悪くはない。

 今後は、そば屋に行って盛りそばを注文し、そばが来るまでの間に1合の酒を飲む。そういった、大人の飲み方をマスターしてみたいものである。


147.「ゴッホ」副部長(07.2.28)

 最近は仕事場と家の往復を繰り返す毎日です。

 小さい頃よく観た社会派ドラマの冒頭シーンには そのようなフレーズから始まる作 品がありましたが、自分自身もその境遇になりました。文化的には実りのない日々では ありますが、いわゆるテレビッ子な私としてはテレビの映像をそのまま体験できている ことに少し不思議な気持ちになります。そんなわけで心ときめく体験が中々できないの ですが、先日ゴッホの向日葵についてうんちくを聞き、酒の勢いもあり目から鱗がぼろ ぼろ落ちたので今回たわごとで書きます。  なんでもゴッホは大変個性的な人物で、人との関わり合いを極端に避けるが為、フラ ンス南部の草原に居を構え一人で住んでいたとのこと。ある日大変な孤独感に陥り、唯 一の友達に手紙をだしました。友達は会いにいくと手紙を出し、それをみたゴッホは迎 える準備を始めるがなにしろ何もない草原なので飾る花が無い。そこで部屋一面に様々 な向日葵を書いて飾ったそうです。しかし、友達は結局こなかったそう。晩年精神病を 病んだゴッホは心を閉ざしたが唯一主治医には心を開き、30点以上に渡る作品をプレ ゼントしたそうです。主治医が病気で亡くなった後、それらの絵は身内によって捨てら れてしまったそうです。

 あまりにもありきたりな話だったので、何億もする絵画を描く人間でも実はすごい普 通な人なんだということに感動を覚えた次第です。

 いままで絵画・美術に一切興味を示さず、故宮博物館を15分で回った自分ではあり ますが、今回絵の普通さに親近感を覚えたのでせっかくだから、今後もう少しは絵をみ ようと思いました。


146.「東京帰還について」代理(07.01.31)

 いよいよ年が明けました。ここ北陸での生活も残り2ヶ月。もう少ししたら東京での新居を決めたり、引っ越しの準備をしたり、異動先が判明したりと、怒涛の帰還準備が始まります。

 いやぁ早い、特にこっち来てからの2年目(去年の4月)からは仕事や生活に慣れたということもあり、光の速さの如く日々の生活が過ぎ去って行く。もうここでの生活も残り少ないと感じると、色んな面において数多くのことを吸収出来ればなって、残り少ない生活を振り返りながらふと思う。

 福井に来てから自分のやってみたかった仕事も出来たし、時間に余裕も出来たので県内外を問わず様々なところに旅にも出られたし、様々な人が自分がいなかったら来なかったであろう県内の名所旧跡を案内できたし、有意義な2年間であったのではないだろうか。

 

 そういう2年間の得難い経験を出来たのも数多くの人のお陰であったんだろうと。福井でお世話になった人はもとより、東京や栃木、そして地元北海道、全国各地の知人友人、数多くの人々のお陰で今の自分があることを肝に銘じて、東京での生活に戻らなければならないんだろうなと。

 次のたわごとはおそらく4月に書くことになるだろう。その際どんなたわごとになるのだろうか。おそらく仕事にはまだまだ慣れていないし、そもそも高校卒業以来4度目の新生活。いっぱいいっぱいの文章になるのは明白だろう。泣き言を言うのかもしれない。ただ、その時にも様々な人への感謝を忘れずに、満を持して東京での生活に戻りたいと思っている。そうそう、このたわごとを読んでいる皆様、代理がいっぱいいっぱいの時はぜひ「いっぱい」付き合ってあげてください。以上、この地での最後のたわごとでした。


145.「ラグビーを見て思うこと〜選択とこれから〜」部長(06.12.31)

 この1ヶ月間は、「『生』で『本物を見よう』月間」であった。11月30日はホテル・オークラにて麻生太郎外務大臣の講演会(日本国際問題研究所主催)に出席。12月2日は足利市民交響楽団定期演奏会を鑑賞。12月3日は国立競技場で大学ラグビー対抗戦・早稲田大学vs明治大学を観戦した。12月9日は越谷で、文教大学吹奏楽部定期演奏会を鑑賞。ちなみに年明けも、2日と13日に、全国大学ラグビー選手権の準決勝と決勝を観戦する予定である。

 このなかでも、ラグビー早明戦を見ながら思ったことがある。それは、「もしあの時、違う選択をしていたら、今頃どうなっていたのか?」である。高校入学で、もし佐野高校でなく、足利高校だったら・・・。部活も、佐野高校は県内屈指のラグビー強豪校なので、吹奏楽部ではなくラグビー部に入部していたらどうなったか。高校の時分、留学に行かなかったら。或いは留学先もインドネシアでなく、アメリカなどの欧米だったらどうなったか。大学も、宇大ではなく、東京外大や早稲田、青学だったらどうなったか。大学院に行かず、大卒後そのまま教職を目指していたらどうなったか。ラグビー観戦中、そんなことを思っていた。

 恐らくは、どれも「それなりに」人生を歩むことができただろう。ラグビーをやって怪我したかもしれないし、早稲田に行って落ちこぼれ、中退していたかもしれない。青学に入って、雰囲気の異質さに辟易したかもしれないし、とっくの昔に教員をあきらめて別の道に進んでいたかもしれない。逆に、ラグビーに熱中して大学行っても続けたり、とっくの昔に教員に正規採用されていたかもしれない。インドネシアの「プロ」として、在日インドネシア大使館で勤務していたかもしれない。

 しかし、それらはすべて「もし」であり、所詮は「if」である。別の友人関係は構築できたであろうが、宇どうとは出逢っていなかったであろうし、吹奏楽のOB・OGとも付き合いがなかったろう。ここまで旅行好きになっていたかも分からない。それでも、「今」の私があるのは周囲の知人・友人・アカの他人によるものであり、私が今ここにこうしているのは、良い意味でも悪い意味でも、これまでの積み重ねがあったからであろう。

 人生、一日一日が「選択」の日々であり、勝負である。だからこそ、過去を振り返って「もしあの時・・・」なんて考えている暇があったら、明日を考えて一日一日を一生懸命に行きよう。実行して悔いるか、実行せずに悔いるか、それであれば前者を選ぼう。そう心に誓い、これからも頑張っていこうと思う。


144.「はじめての裁判所」副部長(06.11.30)

 さる9月26日 秋の一斉取り締まりがあり、自宅付近にて一時停止をしていないと呼び止められ、免許証を出すと期限が11ヵ月切れており、うっかり失効適用期間の半年も悠に超えていた。

 無免許運転で一時停止違反となり点数切符をきるといった略式の罰則制度では納まらず、11月10日高崎裁判所に出頭する運びとなった。人員不足のおり裁判の日といえども公休にするわけにいかず、夜勤明け8時10分高崎行きの電車に乗り高崎簡易裁判所に向かった。8時30分に到着した時点ですでに18人も同じく罪を犯した皆さんが裁判を心底嫌そうに待っていた。19番の整理券をもらい、まずは別室にて警察より取り調べを受ける。5人が横並びとなり別々の警察官と事実確認をする中スーツ姿は自分のみ。裁判という響きに正装は必須とイメージし当然がごとくの配慮だったが空回りし見事に浮いた。

 9時30分に取り調べが終わり裁判の順番をひたすら待つ。疲労もピークに達し、かつ今日も13時から仕事の為、少しでも睡眠をとろうと努力するものの、うとうとしては起きるを繰り返すのみ。寒さも手伝いいっこうに眠れない。

 そうこうするうちに裁判を終えた方々が罰金の支払い窓口に並ぶようになる。自分の座り位置がちょうど支払い窓口の前であった為、やりとりが聞き取れてしまった。一応に罰金の金額は高く相場は30〜50万円であった。支払い窓口の美人なお姉さんは最後まで一切笑顔をみせず淡々と「罰金はいくらになります。」と案内を繰り返した。学生もしくはアルバイターに見受けられる方はキレながら「手持ちありません!」と答える。お姉さんも全く動じず近くに銀行あると案内する。当然ながら口座にも50万は無いため、無いから払えないと開き直る支払い者。美人のお姉さんは決して視線を合わす事無く返済計画担当の男性へ送客する。親や友人、街金など借りられないかと話し合う高額罰金債務者は、話がつくと「超ありえないんだけどー」を繰り返しながら裁判所を去っていった。

 結局30人強いた被告の内、最後に支払いをした自分は30人近くの罰金支払いとやりとりを聞き続けることとなり、改めて二度とこのような過ちを犯すまいと強く心に誓った。


143.「旅に出て(ちょっと長め)」代理(06.10.31)

 10月前半の3連休を利用して山陰、島根・鳥取県に旅に出てきた。今回は車で行こうかと思いましたが、普通列車1日3000円乗り放題という切符があったのでたまには鈍行の旅も良いかなと思い電車でのんびりということに決定。ちなみにこれで本州全都府県を制覇。残りは香川、徳島、高知の四国勢と大分、佐賀、長崎の北九州勢の6県。気付けばこんなに日本全国を旅していた自分に衝撃です。そしてこのたわごとを書きながらその未開の県に行こうと計画を練ってる自分にも驚きです。ほんと旅バカだなぁと。。

 で、福井から山陰って行く人がいないんでしょうね。。本当に接続が悪い。一日目の鳥取に着くには朝5時半の電車に乗らないと着かないんですね。。それでも久しぶりの一人旅なんではりきって早起きしました4時に。。こんな早起きは大学時代にスカイメイトで朝一羽田発の飛行機に乗るために乗客が誰もいない宇都宮発の羽田行き高速バスに乗った時位でしょうか。

 でも期間限定の切符という事もありこの時間から旅行者と思しき人、バックパックとか背負っている人ですね、明らかに分かるけど、ちなみに僕はリュック一つ夏場はサンダル移動なんでこれからどっか行こうなんて思われません。この夏にもその格好で帰省
したのでその格好でよくも内地から帰ってきたのと妹に駄目出しされました。

 さて話は今回の旅に戻り、大阪を通らずに城崎温泉で足湯に入ったりと満喫しましたが、前日の台風による大雨のため電車が遅れに遅れた。2時過ぎに鳥取について鳥取砂丘でも見ようかと思ったんですが結局夕方過ぎに到着。真っ暗でした。。でも2日目に快晴の空の下で鳥取砂丘を見られ充分。

 この旅の途中、福井から鳥取まで同じルートで旅をしている人に出会った。気付いたのが城崎でその先が不通だという事を聞いた時に近くにいて福井から見たことあるなぁって気付いたので。そもそも自分の性格からして見ず知らずの人に話しかけるなんてなかなか出来ないんですが、城崎を出た後にも一緒だったんで電車の待ち合わせ時間の間に一大決心をして話しかける。

 話してみてびっくり、なんとその人道民だったのだ。といっても秋田出身で今は北海道に住んでるとの事だったのだが。仕事をちょっと前に辞め、稚内から鹿児島の枕崎まで電車の旅をしている人だった。鳥取で別れ、わずか話したのが1時間半程であったがこういう一期一会を大切にしたいなぁと思った。

 こういう出会い、911テロの時にアメリカにいた際のヨセミテでのお姉さん以来。その時の彼女も仕事を辞めアメリカにいた人だったなぁと。今どうしているのだろうか。。あの時のバスの会話が今の自分に多少なりとも影響していると思うとすごいことなんだよなぁって。今回山陰で出会った人と別れた後にふと思い出しました。

 そして島根では東京時代にお世話になった人に案内してもらい出雲蕎麦や「神在月(神無月は島根ではこうなる)」で神様サミット開催中の出雲大社、宍道湖の夕陽(絶景です)、そして美味い酒と美味しい料理を食べ満喫しました。

 本当に満喫充実、そして移動中色んなことを考え、ぼけっと車窓を眺め、至福の一時を過ごせた今回の山陰の旅でした。


142.「無気力について」部長(06.09.30)

 どうも最近、何事に対しても無気力である。誰かと会話するのも、食事するのも、恥ずかしながら“大人の”DVDを見るのも、何をするのも無気力である。別段、仕事で行き詰まったとか人間関係に苦慮するなどはない。強いて言えば、私の周囲の人間が、なかなか私の魅力に気づかない程度である。

 そもそもこうなってしまった原因は何なのだろうか。いくつか原因は考えられる。すべての原因を提示すると枚挙にいとまがないが、“まいきょ”に“い”と“ま”がなかったら“きょ”である。従って、原因の一つである“きょ”について考える。

 私にとっての“きょ”とは何だろうか。「巨人をこよなく愛す」、「挙動不審」、「虚構に飾られる人生」、「教員を目指すフリーター」など様々なことが上げられる。しかし、どれをとっても現在の無気力状態を説明できるものはない。

 確かに、面白いときや楽しいときは笑い、悲しいときは凹む。しかし、自分で分かるのである。目が笑ってないってことを。

 そういえば、今年は海外旅行を断念したため、今まで毎年行っていたインドネシア旅行が今回はなくなった。したがって、あの南国特有の気だるい、雑然かつ猥雑な空気に触れていないのである。私はあの猥雑さというか、非常に奥深さを感じる雑踏を好む。そのエネルギーを今年は受けていない。札幌のススキノ、上野のアメ横、宇都宮の駅東口・・・。どこも雑踏ではあるが、しかしなにかこう、ちょっとしたオシャレというか、“気取り”を感じるのである。それに対して東南アジアの雑踏は、そんな比ではない。

 加えて、ビーチリゾートに行くと恒例なのだが、夜のビーチに行って、一人で椅子に座り佇みながら海をじっと見つめ、紫煙を燻らす。いろいろなことが頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・。1時間は見つめるだろうか。そうこうするうちにいつの間にか心の中の迷いというか雑念は消え、スッキリとした気持ちになる。

 今年はこういった“年中行事”を行わなかった。今度、大洗の海でも見てこようかな。誰か、私を楽しませてくれ。

 様々なことが私の胸に去来しながら“きょ”について考えていたら、次の言葉が出てきた。「虚無」。何もなくむなしいこと。

 これだ・・・。


142.「目指せ!オシャレさん」副部長(06.08.31)

 ホテル業に就職し、数年経ち最も必要な能力はセンスと教えられ、大いに納得した。いわれて本屋を見にいくと、インテリアコーディネイト ガーデニング リフォームなど空間を創る、という趣旨の書物が一つのコーナーとして確立されていた。ホテル供給過剰が心配される昨今各ホテルは生き残りを懸け、客のニーズ取り込みに必死である。高級感の演出による費用対効果のUP、しばしばお得感だとか感動の創造と謂われるこれらの営業努力は、顧客ニーズの中でも本流と位置付けられており、先に述べた空間の創造は高級感を創りだす重要な要因である。ゆえに・・センスが無いのは致命的である。

 しかしながら、このオシャレといわれる雰囲気を理解し創りだそうとするのはかなり難しいようである。例にあったのだが、丸太を半分に切った簡素なテーブルは野性的ガラスにスチール製の足がついた独創的な流線型のテーブルは都会的(と一般的に思われている)オシャレなら後者を置けばよいのか?というとそうでもないらしく、どちらも使い方次第で高級感を出せたり出せなかったりするらしい。また植木の置く位置を数十センチ動かすだけで見え方が違う。ほかにも清掃が行き届いているか、これはセンス以前の問題だが、しかしその重要性に気付けるかは感性によるらしい。配色、空調、臭い これらをコントロールし、 不快感を与えないという消極的な考えではなく、より心地よい場を創ることが今後は当たり前に求められるということだ。

 以上書いた内容は文章にすれば長く難しいが、やることはお客さまを迎え入れるに際して、当たり前といえば当たり前のことともいえ、ではセンスとはなにか?と堂堂巡りになってしまう。答えはまったくでないのだが、考えてわかることではない気もするので、見て聞いて、学んでいこうと思った。道のりは遠く険しいがあきらめず、頑張ろう・・・


141.「研修の想い出」代理(06.07.31)

 最近、ひょんなことから2日間の研修を受けることになりました。研修を受けろといわれたのもびっくりしましたが、このくそ、いや、とーっても忙しい時期に日中2日間もびしっとスケジュールが押さえられ、しかもそれを知ったのは1週間前ということに、人事当局の懐の深さとありがたさに多少の憤りを感じました。

 まぁ、それはさておき、研修の中身はなかなか興味深く、なぜか初日から日直やらされたり、企画力向上研修ではリーダーという大役を仰せつかさり、それはそれで非常に有意義な2日間でした。

 今回はこの職場研修について書くというわけではなく、この研修を受けてた際にふと想い出した、とある研修について書こうかなと思います。この研修、とある研修所で受けたんですが、市内といっても山の中。携帯の電波もままならぬ場所です。そこで7年前の光景を想い出しました。。。

 

 7年前、、、宇大に入学した直後に学部で那須へ行くという宿泊研修がありました。2日間の間、学部についての説明や学生としての心構えとかの授業があったかと思いますが、まぁ正直、大して覚えてません。

 その時にもちろん部長や副部長もいて、確か部長とは同じ班で部長はリーダーらしき仕事をしていた記憶はあります。当時から部長はそんな役回りだったんですね。そして副部長、残念ながら当時の彼の記憶はありません。副部長と仲良くなったのは、ほんと大学2年の宇どう初旅企画の沖縄からだったんですね。実は沖縄に行く前の大学1年の夏休みに副部長の実家である信州長野県松本市に行きました。前日かなんかに電話でこれから遊びに行くからと言って、旅の途中で立ち寄りました。しかし当時松本に着いた僕を案内などせず、1人で松本城や上高地に行きました。彼はその時支部長と遊んでいたらしいです。当時はそれほどの関係だったわけです。まさかその後、彼らと世界を股に駆けた旅を行う同士とは当時は思ってもなかったわけです。

 その時の宇どう部員も含めた仲間との交流が今現在も続いているっていうのが嬉しいことだし、ありがたいことなんだなぁと最近つくづく思います。こんな北陸まで訪ねてくれる部員、東京に帰る度に飲み会を開催してくれる友人。ほんとありがたい限りです。大切にしていくべきなんだろうなと研修中にふと思いました。


140.「健康増進について」部長(06.06.30)

 私のブログを読んでくださってる方は既にご存じだと思うが、ジムに通い出した。仕事帰りにふらっと寄って、汗を流して帰る。時には隣のスーパー銭湯でゆっくりと風呂に浸かる。素晴らしき日々である。

 通常、まずはエアロバイクで100kcal消費。その後、筋トレ数種をマシンを用いて行い、ボート漕ぎマシン(?)で50kcal消費。休憩がてらにロデオボーイで15分。そして、30分間ルームランナーで、走ったり早足で歩いたりする。だいたいこれで300kcal消費。これがほぼ通常のルーティン。なので、1回あたり450〜500kcal消費となる。

 体重は漸減であるが、体脂肪率が徐々に減り始めてきた。身長がほぼ同じ友人と比較すると、友人とは体重で10kg重の差があるが、体脂肪率は同じ。つまり、私の方が筋力量があるわけだ。この調子を続けていけば基礎代謝も増え、なんとか今年中には目標
の大台を下回ることが出来るだろう。

 最近はタバコの量も減らし、酒はめっきり飲まなくなった。外食も財政再建中の身なのでほとんど行かなくなり、ここ最近体調がすこぶる良い。あとは、タバコを完全禁煙すれば、さらに健康道まっしぐらであろうが、そうは問屋が卸さない。

 ただ、6月も下旬となり、いよいよ目下の大目標である試験が近づき、ジムへ足を運ぶ暇があったら、勉強をせねばならなくなってきた。

 とりあえず、なぜ財政再建中なのかと考えると、車に乗ってオイルとかガソリン代、さらには車のローンがかかるようになった。また、いろんな問題から医療費がかかりまくっている。さらには、昨年調子こいて買ってしまった楽器のローン。結局、可処分所得は微々たるものになってしまっている。なんとかせねばならない。解決法はただ一つ。銀行ごうと・・・、もとい、試験に受かって正式雇用されることだわね。


139.「結婚式」副部長(06.05.31)

 年を重ねる程 月日が進む速度が加速するというがまさにその通りである。社会人となってからは仕事の忙しさも重なって一年がまさに矢のごとく過ぎてゆく。ついこの間大学を卒業し一緒に頑張ろう!といっていた同期が結婚をし姓がかわることになった。みんな結婚するような年齢になったのかと思うとなんとなく淋しい気分になる。そんな中結婚式に出席するため池袋に向かった。

 そして、大塚の結婚式会場に到着。受付係のため先に荷物を預け出席者の到着を待つ。10時40分、式が始まる。教会式であった。新郎新婦入場途中まで父親が付き添い、途中で新郎と交替。牧師さんの前で儀式が進む。賛美歌を歌ったのち、新郎新婦退場。外でフラワーシャワーをして記念撮影。

 式は終了。再度受付係再開。12時50分から披露宴に出席。料理のおいしさは分かるが緊張していて味わえず。お色直しは一回 モーニングとドレスから和服へかえた。
15時披露宴終了。

 17時から池袋のダーツバーで2次会。会社の偉い方、新郎である上司の友人、新婦である同期の友人に囲まれ緊張感は最高潮に達した。会社の偉い方にかけつけ3杯、一気をすすめられへろへろになる。

 ビンゴゲームにて班分けがされる。上司の大学の友人5人 新婦の高校時代の友人4人 会社の同僚自分1人新郎新婦からはやくチームになじんで!と声がかかりいよいよ緊張した。

 結局、ビンゴゲームで新郎新婦に関する質問をならびかえ答えを予想、当れば丸がつき、列がそろえばあがるが、ビンゴの新郎新婦の答えが予想と違った時にチームの他の人に合わせてブーイングするのが精一杯であった。

 帰りは上野から新幹線にのる。今後結婚式に呼ばれる機会があるかどうかは別にしてもうちょっと社交能力をあげないとと危機感がつのった。数出ればだんだんと慣れていけるのだろうか・・


138.「愛車シビック」代理(06.04.30)

 去年の4月に、ここ北陸の地に来てから、地方都市の宿命ですがアシがないとやってけない。そんな訳で、来てすぐに車(もちろん中古)を購入しました。どんな車というよりも、ちゃんと乗れれば良いっていう感じなんで、それほど高くなく、そして見た目も無難な車を購入しました。

 車はなぜか、大学時代にかてきょー先でタダでもらえたんで(ホンダアコードワゴン3ナンバー、学生時代に3ナンバーを乗り回せたっていうのはちょっとすごいなと)、といっても車を手放してから2年のブランクがありましたが、運転のカンはあったみたいで、こすりもせず捕まりもせず今まで平穏無事に運転しています。

 学生の時はともかく時間があったので色々乗り回せた。。。っていう訳ではありませんでした。もらったのが3年の冬。就職のための勉強真っ盛りだったので、家と図書館の自習室との往復に使っていたくらいです。今考えると何とももったいない。。。それでも就職先が決まってからは県内外へちょこちょこと色んなとこに出かけました。その車も東京への就職が決まり、さすがに都区内に持っていくわけにも行かず、宇都宮の友人にあげようと思いましたが、諸事情があり、結局今は鉄くずとなって第二の人(車)生を歩んでいるはずです。

 話が脱線しましたが、今の車はホンダシビック、新型ではないですけど、ちっちゃくて小回りがきいてなかなか気に入ってます。そして最近改良を行いました。ETCの取り付けです。なぜそんな無駄な、と思う方もいるかもしれませんが、なかなか使う機会があります。同期が北陸各県にいるのでそこに行ったり、今年は月一回必ず週末に年休を取って知り合いのとこに遊びに行くという目標もあるんで、高速を使う機会は結構あります。早速北陸各県や高山に行ってきました。

 高速の料金所で待っている車を尻目に颯爽とシビックが走り抜けていく画がなんとも優越感があります。そしてまた高速を一人運転っていうのも結構楽しいもんです。好きな音楽をかけて、一人歌合戦をしていたり、物思いに耽ったり(居眠りせずに)となかなか楽しいものがあります。そして目的地について友と美味しいお酒をたくさん飲むと。

 そんな訳で、今年はあなたの住むまちにちょこちょこ遠征をしたいと思っていますので、来た際には是非、盛大な歓迎をお願いします。


137.「蝦夷征討について」部長(06.04.01)

 時間ができたので、「そうだ、蝦夷に行こう」と思い立った。それに、ちょうどこの時期は、宇どう御用達の航空会社、全日空さんのダブルマイルキャンペーンも手伝い、単身蝦夷に乗り込むこととなった。

 まず金曜日、職場から佐野の高速バスターミナルに直行し、そこから王子駅に行く。王子から京浜東北線で上野へ行き、金・土と暇している副部長と合流。・・・と思いきや、副部長、さっそく遅刻。どこへ行ってやがるんだと思い、合流後に話を聞けば、なんと「自由が丘」! 我々宇どうとは縁もゆかりもないないはずの丘じゃないか。まったく・・・。落ちぶれたもんだと思う。

 その後、軽く夕食を取った後、ガード下の大統領へ。しかし今回は1号店ではなく、最近改装した2号店、通称“副大統領”へ行く。ビールだ農酒(マッコリ)だ熱燗だ、オイキムチだ煮込みだモツ焼きだと注文しまくった。途中、ビールを追加したら店員が、「社長のトコにビール追加ぁっ!!」と叫んでいた。私は社長ではないし、呼ばれて嬉しいのは「校長」だが・・・。

 夜も更け込み、京急線の大鳥居駅近くにあるビジネスホテルに宿泊。副部長はしきりに「大浴場はありませんか?無いのならこの近辺に、サウナはありませんか?」とフロントに聞いていた。もちろん、有るわけ無い。近くのコンビニでヨーグルトとジュースを買い、タモリ倶楽部(タモリ電車クラブ入部審査会)とオリンピック(スノーボードクロス)を見ながら就寝。副部長のイビキで私は何回か目覚める・・・。

 翌朝。副部長は律儀に朝食を一緒に食べ、さらには見送りまでしてくれた。本当にありがたい。こういった細かな気配りができる人は、周囲からも好かれると思う。

 羽田はなぜか混雑。しかし、やはり手慣れているのか処理能力が高いのか、保安検査場ではさほど待つことはなかった。そして、無事離陸。機体はボーイング737−400で、小ぶり。朝も早かったので、早速寝る。

 千歳に到着し、JRの快速エアポートの指定席で札幌へ。4ヶ月ぶり。札幌駅からは地下鉄で大通駅に行き、そこから地下街を通ってホテルへ。荷物を置いて、散策に出かける。

 とは言っても、どこに行こうか。ということで、まずは大倉山ジャンプ競技場へ。まさにテレビで見たそのままの風景が広がっている。ぜひ私も飛びたかったが、雪が降っていてリフトに乗るのが面倒だったので、今回は断腸の思いながら断念した。

 とまぁ、いろいろあったが、すべての行動を書くのは紙幅の関係で不可能なので、主なポイントを整理する。まずは回転寿司とっぴ〜。安くて、しかもネタは良いのが出てくるのでご満悦。活ホタテは目の前で裁いてくれ、「あぁ、これがホタテの味なんだ」
と再認識。ウニは時期外れ。

 すすきののバーにも行った。店名は「Piece of Dream」。ちょうどホテルの近所でもあったので入ったが、なかなか良い店だった。マスターも気さくに話しかけてくれ、賑わっているようだった。

 また、スープカレーも食す。これはバーのマスターご推奨の店で、「エス」というお店。辛さは辛口にしたが、どうやらこの店は更にその上もあり、辛さを表わすのが、やれICBMだとかパトリオット、トマホークと、物騒な名前が付けられている。でも、うまかったなぁ。病みつきになりそうだ。

 その他にも、ホテルの1Fにあるレストランでカニクリームコロッケ食べたり、「けやき」という店の味噌ラーメン食べたりして、「小腹が空いたら取りあえず1食」とのモットーのもと、1日5食というとんでもない旅行となってしまった。

 さて数週間後、久々に病院に行って血液検査。結果が出て医師に言われた。「数値が元に戻ってる(←悪化していると言うこと)けど、何かやった?」 言葉に詰まりました。間違っても「えぇ、北海道旅行に行って、1日5食、食べてきました」とは言えな
いし、もしも言ったら殴られそうである。今後、気をつけます・・・。

 総括。北海道は、ヤラレるねぇ・・・。


136.「信長の野望」副部長(06.02.28)

 昨年信長の野望のPS2版を買った。最近、戦国武将の雑誌を買って読んでしまい、高校以来2度目のブームを迎えた。高校時代は高校3年の夏以降に特にはまっていたので幾ら徹夜しても翌日は授業中に睡眠をとればよく、問題は無かった。支部長もやりこんでおり、授業中はセットでよく睡眠をとっていた。

 ただ今やっている武将は武田信玄である。はじめの居城が甲府で近くには松本の林城や木曽路の福島城といった小さな城まででており県人会員としてはご満悦なのである。

 更に盛り上げる要因があり横山先生の歴史解説漫画 武田信玄 風の章、山の章、火の章、山の章、終の章を読破したため、信玄の人間関係が良く分かった。ただ強い武将というだけでなく人として感情移入がしやすく、のめり込むようになってしまった。折しも週刊マ○ジンで戦国ものの漫画を連載しており、武田信玄のシリーズになった。(主役は織田信長の部下)馬場、山県、秋山、高坂といった名うての武将が個性豊かに描かれているすばらしい作品であるが、これまた感情移入をしてしまい、できるだけ史実に近づけようとしている

 現在、甲斐、信濃、上野、下野を制覇、宇都宮も手に入れた。信長の野望と桃太郎電鉄は私にとって地理、歴史の教科書のようなものでこれら偉大なゲームにより昔の国名と各地の伝統工芸、地域産業を教えてもらった。今後の展望としては、まず今川を攻略し、盤石な基盤を作ったのち、織田信長と対決する。綿密な用意と信念ある行動力を併せ持つ武田信玄は仮に現代に生きていたとしても一角の人物になっていただろう。戦国という今とは比べものにならないほど命のやりとりにシビアな時代、多くの部下や民を生かす為尽力し結果を残した彼等の考え方を真似し分析することで現代に置き換えるのはきっと有効な手段に違いない。戦国時代の本は売れているのだ。

 そのような屁理屈を必死でこねつつ、25才でゲームにはまっている自分をごまかしながら、今日もいそいそとPS2のスイッチを入れている。クリアをするまではしばらくかかりそうでできるだけ早くクリアして信長中毒から抜け出して、まっとうな人間になりたい。


135.「生誕25周年と結婚」代理(06.02.07)

 今月23日にめでたく生誕25周年を迎えました。四半世紀なんて、ほんとあっという間です。まだ後厄なので今年一年も怪我せず、ここ北陸の地で全力で様々な事に打ち込んで生きたいなと、そう思ってます。どうかよろしく。

 さて1月頭に地元北海道の友人の結婚式に初めて行ってきました。今まで親戚の結婚式はありますが、友人は初めて。どうなるのかなぁとわくわくしながら行ってきました。結論から言うと、ものすごく漠然としてますが、「結婚っていいなぁ」とそんな感じです。すみません。幸せって良いもんです。何よりみんなと久しぶりに会えたというのが何より。

 それでやっぱりこの歳になると、友人と会って飲むと必ず「結婚話」が出てきます。あの人はいつ結婚するとか、もう結婚しているとか・・・新進気鋭の若手だと思っててもこういう話題が出てきます。

 ふと、去年のたわごとを読んでみると(「生誕24周年を迎えて」)、見事に去年も結婚の話をしているなぁと・・・。ここ最近、毎年歳を重ねるたびに考えていることは同じなんだなぁ。そして、去年の話題に出てきた大学の同期ですがお子さんが生まれたようです(副部長情報)。副部長から聞きました。本人からは教えてもらってません。決して去年に引き続き、憤っている訳ではありません。今のところ、我が宇大どうでしょう部員一同は結婚しておりません。また、非常に残念ながら結婚の気配もありません。

 でも分からないよな。いつ、いきなり、宇同窓会に彼女を連れてきて、「私達結婚します、あはは」なんて言い出すかもしれないなぁ。ちょっとその画は面白いなぁ。でもこれは明らかにコントだ。厳しく面接しないと。

 そんな訳で相変わらずぐだぐだですが、25歳のこの一年も、引き続きよろしくお願いします。


134.「支部長をみて」副部長(06.01.03)

 某量販店に勤務する支部長は朝は5時から夜中は2時過ぎまで毎日休み無く働いている。ざっと計算すると、一日22時間睡眠時間3時間。なかなか驚異的な働き具合である。通常であればここまで働かないそうなのだが、某量販店が新しく食品部門を開き、そこで試行錯誤を繰り返しているため、中々帰ることが出来ないようだ。マニュアルの蓄積もなく某スーパーからアドバイザーを呼びオペレーションを探りながらやっている。

 そのためバイトのスタッフも全員が手探り状態でことに及んでいる。バイトとはいえ限られた貴重な人材である。責任者である支部長の期待とは裏腹に中々思うように業務が習得できない場合もある。支部長の思い通りにいかないことばかりである。

 某量販店に限らず家電や日用雑貨、DIYを扱うお店が巨大化し食料品を扱うことは多い。デパートとは一線を引くこのロードサイド型のお店の構造はいまや一般の生活者になじみ定着している。安価で大量の物品が溢れる店内は見事なものである。そこで働くス
タッフは常に欠品をださないよう気を揉んでいるようだ。何十種とある品物の売れ行きをみて発注量を決め発注の締切を把握し、検品し陳列する。接客をしつつこれらのオペレーションをこなすには経験が大きくものをいうだろう。

 支部長が睡眠時間4、5時間確保でき自由な時間も持て、減り続ける体重が増加に転じる日がいつか必ずくると信じている。頑張れ!支部長。いつか報われる日を信じてキレずに耐えて欲しい。

 支部長多忙につき、長野県人会会員副部長が、近況報告を代筆致しました。


133.「水曜どうでしょう祭に参加して」部長(05.11.30)

 去る10月16日に、北海道・札幌の真駒内で開催された「水曜どうでしょう祭」に参加した。当日はどんなに混むことだろうと想像していたが、真駒内駅で下車すると、祭に参加すると思われるどうでしょうファン(以下、藩士)が整然とバス乗り場の方へ向かっていたので、迷うことがなかった。また、割り込みその他の迷惑行為も見受けられず、いたって平穏だった。

 会場に入ると、既に多くの藩士が集っていた。グッズショップや食堂、ローソン屋敷などが建ち並び、本当にホンワカとした、いい雰囲気の祭だった。何のイベントがいつ始まるかは分からないが、しかし考えてみるとこの競技場に入っている人たちはほぼ全員が藩士なんだと考えると、不思議に感動した。

 午前中には藤村Dと嬉野Dの「本日の日記」なるトークショーが始まった。もうね、なんだろう。「カンコンキンシアター」以来の感動がおそってきた。完全に有名人ミーハーである。

 一通りグッズを買ったりして楽しんだあと、屋内会場に移動した。これがまた長蛇の列!しかしここでも不正行為はなく、本当に素晴らしい人たちだと感心した。食事は藤村D母特製の小倉トーストや、シェフ大泉がアラスカで作ったスパゲティは食べられな
かったが、かろうじて大泉プロデュースのスープカレーを食べることができた。

 残念ながら、屋内会場の客席スタンドに設けられた「各都道府県藩士席」は、あまり藩士間交流に役立っていなかったようだ・・・。
 残念ながら飛行機の時間が迫っていたので、午後2時過ぎには会場をあとにせねばならなかったが、次回、もし祭が再び開かれるようなことがあったら、今度は3日通し券を絶対に買う。そう心に誓ったのである。


132.「副部長一匹狼の会脱退に関してふと思ったこと」代理(05.10.31)

 先月(2005年9月)副部長が一匹狼の会を脱退しました。部員の前で正式に発表たのは、先日開催された第十一回宇同窓会(つまり大学卒業してから部員3人以上で会うのが11回目。何ともハイペース・・・)でのこと、で副部長の生誕25周年前日に見事に脱退したと高らかに宣言しました。うーん、大丈夫だろうかと漠然と不安を覚えたのは私だけでしょうか。勢いだけでは・・・とも思い副部長に確認しましたが、ちゃんと考えた末のことと言ってました。そう言うなら大丈夫でしょう。今世界で一番幸せだそうです。はい、そうです。副部長のおっしゃるとおりです。そもそも、本件に関し評論家的なことを言える立場でも何でもないので、副部長はともかく幸せになってほしいと、他意はなく純粋に思います。

 その席で思ったのですが、最近見事に酒に弱くなりました。人様に迷惑をかけるような状況になるのではなく、ともかく一定量飲むと代理の電源がオフになります。つまり気付けば寝てます。今回の総会でも見事に当てはまり、気付いたら代理が寝ていたため、副部長が誰かとのメールに勤しみ、話し相手がいない部長が物思いに耽る。そしてテレビでは部長の仕事風景が止め処なく流されているという状況だったそうです。さらに後日知りましたが、部長によって肖像権使用の許可なく代理の口が半開きで気持ちよく眠っている醜態の画が記録として残されていました。これについては信州松本に行くまでの移動時間が6時間弱で、宇どうメンバーでゆるーく飲んでいるという緊張感のなさが原因かと思いますが、ただそれを差し引いても明らかに酒に対して弱くなっています。

 昔の代理は違いました。大学時代よく行われていた「お酒をたくさん飲む会」では、代理本人が解散を宣言するまで終了せず、飲みすぎて半ば逆ギレで「お前ら早く帰れ」と暴言を吐いて解散したこと多数。またゼミの旅行で日光に行った時には、某友人と朝まで完徹。寝ている部長を踏み本気で張り倒され、浴衣は肌蹴、翌朝朝食時に他のメンバーのテンションが低い中奇声を叫び、なおかつ自分が何をしたか覚えておらず、翌日の解散場所のバー○ヤン駐車場にてこの数々の失態について土下座にて陳謝。というような多くの武勇伝多数でした。あの頃は若かった・・・

 そんな昔の状況に戻りたいとは思わないが、もうちょっと頑張らないとほんとおじいちゃんになってしまうと多少の危機感を持った、そんな今回の総会でした。というかまだまだ若手。宇どうの中では常に若頭です。そんな気持ちを忘れずに頑張って生きたいと思っています。


131.「最近」副部長(05.09.30)

 仕事に追われています。9月に一人辞め、2人は休職状態と人数が足りなくなりました。ホテルは3交代シフト制で動いているので人の確保は生命線なのです。あの手この手を使い、働いてと残留願をするもののなかなかこれはという人が定着しません。某球団やクラブチームのように金にものをいわせられればどんなにいいだろうと思うものの、現実にはそうはいきません。

 人は堀、人は石垣、人は城 戦国時代の雄に及ばず古来中国の時代から語られ尽くしている「人財」の思想は時を超え場所を超えます。まさに真理。そこに目的があり人が有限な時間でしか生きられないかぎり決して逃れられない真理なのです。SF映画にみられるようにロボットでもいいのです。人財ならぬロボット財でもいいのです。心があるならなんでもいいのです。なんなら猫でもいいのです。それほど人の力は偉大で敬うべきなのです。

 朝7時から夜の12時まで働いてはいけません。そんな勤務を続けてはなおいけません。すべての働いている皆さんに聞きたい。今日本はいや、アメリカ型の資本主義はちと度を超えていませんか。経営哲学の本で読んだのですが、睡眠をまとめて摂ることほど愚かしいことはない 1時間寝て働いて1時間寝る方が合理的である。

 それは確かに合理的かも知れないですが、あまりに異常のように感じてならないです。もう少しなんとかならないもんかと日々シフトをいじくりつつ、何度やっても足りないのです。お岩さんの苦悩が少しだけ分かります。最後の一枚がない、何度数えてもない、でも数える。 1人足りない・・・いつかきっと数を会わせてみせます。そんな忙しい、心を亡くしてしまいそうな今月ですが、やっと残暑も穏やかになり夜には鈴虫の声まで聞こえてくるようになりました。心を癒してくれます。虫の声を聞いているうちにあっという間に今年も終わっていきそうです。今年こそ紅白を観て、新春芸人ショーを堪能したいです。

 昨日より今日、今日より明日職場状況の整備とスタッフの精神衛生水準の向上を基本とし、早期の実現を目指します。某CMのように あ、ちょっといいかも! 気分でもいいですから、誰か働いてくれないかなと思います。

 人は大事、健康に優る宝なしと思う、 2005年秋の副部長のぼやきをもって、たわごとに換えさせていただきます。ちなみに今回も締切を破りました。


130.「海外静養について」部長(05.08.31)【シンガポールのホテル客室にて執筆】

 この駄文が配信される頃には、職場でひぃひぃ言っている頃だが、執筆している現在は未だシンガポールにいる。

 それにしても、なんだろうね、この寂しさは・・・。毎年海外に出なければストレスが溜まりまくってしまう私にとり、海外旅行は言ってみれば静養であり、かつ心の持ち用はちょっとした国内旅行といった感じだろうか。しかし、私の海外旅行は通例、バリ島の安宿に泊まったりするものであるから、今回のようなリゾート三昧の旅行は滅多にないことである。そしてこのリゾート三昧で、私は別のストレスを抱えてしまった・・・。

 ビンタン島でのシンガポールでも、周囲を見渡せばカップルばかり。しかもシンガポールの街中にいるシンガポーリアンカップルのバカップルぶりといったら、目も当てられない惨状である。駅構内などでベタベタするばかりでなく、MRT(地下鉄)車内にお
いて接吻までする始末。公序良俗に反するばかりでなく、私のような旅行者に不快感を与えるこのような行為を、管理国家のシンガポール政府には是非取り締まっていただきたい。

 ビンタン島においては自転車に乗ってホテル敷地外に出ようと思ったら、最低催行人数は2人とのこと。もちろん不可。ゴルフコースに出ようにも、1人で回ることは全く持って楽しくないので、打ちっ放しで240球打ち込む。

 プールやビーチでも、1人で一生懸命泳ぐわけにも行かず、ただ寝るばかり。何もしないことをしに行くことが目的の今回の旅ではあったが、それにしても暇である。かといって、確かに女性2人旅と見受けられる旅行者もいるにはいたが、まさかナンパすることは私の身分ではできず、ただ1人で悶々とするのみ。

 シンガポールに出てもそうだが、食事も何もすべて1人。一人旅なのだから当然なのだが、レストランに入って「何名様ですか?」と訊かれ、「1人なのだが・・・」と応えることにも飽きた。そりゃそうだ。逆に店員の立場からすれば、「この日本人は何が楽し
くてリゾート(レストラン)に1人で来たのだろうか?」と思うだろう。

 しかし、1人でいいこともある。たとえば食事にせよ、起床時刻にせよ、1日のスケジュールにせよ、すべて自分の好き勝手にできる。否、正確に言えばホテルのチェックアウトタイムさえ遵守すれば、本当に自由である。この点は素晴らしい。いちいち同行者に「何食べたい?」とか「どこ行きたい?」「何したい?」と訊く手間が省けるのである。

 っちゅうことは、私にとってはプラスとマイナス両面あるのであるから、差し引きゼロであろうか。いや、やはりプラスが大きいのかなと思う。毎回、海外では同じ目的地であろうと新しい発見がある。それを考えれば、やはり1人の寂しささえ我慢すれば海外単独旅行は楽しいのである。


129.「初体験!」支部長(05.08.07)

 映画スターウォーズの新作でありラスト作でもあるエピソード3が先日7月9日に公開された。

 私が初めてスターウォーズを見たのは小学生の時だったと思う。家族がビデオを見ていたのがきっかけだった気がする。ファミコンでエピソード4のストーリーをなぞらえたものがあり一生懸命やっていた記憶がある。R2−D2、C3POを救出し、なぜかオビワン、レイア、チューバッカ、ハンソロを開放し、デススターを破壊するというものであった。クソゲーと言われているようであるが、私には面白かった。もちろんゲームオーバーになると惑星ヤビンがデススターに木っ端微塵にされるシーンが登場する…。

 知らぬ間にスターウォーズファンになっていた私だったが、エピソード3公開前となったので今までの作品をひととおり見直した。基本的にあまり映画というものは私は好きではないのだが、スターウォーズは面白いと思った。実はエピソード3は副部長と見に行こうと約束していたのだった…が、公開日を間違えてしまった。副部長と合流したのがそれよりはやくなってしまい、二人では見ることはかなわなかった。

 公開から3日後、休日だったのでようやく見に行くことができた。会社の先輩やパートさんも見に行くと言っていて、先に行かれると内容をばらされるおそれがあったので、是が非でも行かなければならなかった。しかし、映画館なんてところは行ったことがなかった。もともと映画があまり好きではないので、デートですら映画館だけは行ったことがなかったのだ。映画マニアである副部長に電話して「映画館ってジュース飲めるの?」とか「休憩時間ってないの?」とか恥ずかしながら聞いてしまった。この歳になるとめっぽう初体験なんてものは無かったが、どきどきしながら初体験の映画館に向かったのであった。

 トイレに行って、そしてパンフレットを買い、定番であろうポップコーンとジュースを買った。そして副部長に教えられたとおり「後ろのほうの真ん中あたりがベストポジション」と席についた。いよいよ開演時間になり放映が始まったが、15分くらいだっただろうか、新作映画の紹介が続き正直ウザかった。これは目を暗闇にならすためなんだろうなと自分で納得しつつ、エピソード3が始まった。音響はさすがに良かった、振動が伝わるほど。そして大画面の迫力。内容はここで記す必要はないが、手に汗握るとはまさにそれであった。そしてスターウォーズの旧作と新作をつなぐエピソードに「へぇ〜」となり、バトルシーンでは身震いするほどの感動すら覚えてしまった…。

 ストーリーが終わってエンドロールを見ながらその余韻に浸り、帰路「良かった〜」としつこいくらいほざいていた。スターウォーズも良かったが、映画をちょっと好きになったこの頃であった。


128.「新生活」代理(05.07.01)

 このたわごとを読んでいる方の中でもこの4月から新しい場所、職場での新生活が始まっている方もいるかと思われます。私、代理本人もその中の一人です。18年間過ごした北海道を出て、栃木で大学生活を送り、卒業後新社会人生活の2年間は東京で。そして社会人3年目のこの4月から、北陸地方にて新たな生活を送っています。

 この北陸地方、代理にとってみれば縁も所縁も無いように思われますが、先祖が明治時代の北海道開拓の時代(屯田兵と学校で習われた方もいるかと思われますが・・・)に、ここから北海道に移住してきた代理家にとって見ればなかなか由緒ある土地らしいのです。今現在も県内には私の遠い親戚が住んでいます。今度訪問しないとと思っています。そんな明治以後約140年離れていましたが、ようやくこの地に戻ってきたわけです。そんな場所で新しい生活を送っています。

 さて多少話が脱線してしまったので戻しますが、新生活、みなさんはどう感じているんでしょうか?新天地での生活に楽しさを感じているんでしょうか、親しい人との別れに悲しさを感じているんでしょうか、それともうまくやっていけるのか気を張っているんでしょうか? 私は社会人になって改めて悟ったんですが、そもそも新生活下手です。今の仕事でこの新生活下手はかなり致命的な気がしますが・・・そもそも、人と仲良く出来るのかが2年位経たないと分からない性格です。そんな訳で北海道からの友人や宇都宮時代の友人というのは、長い付き合いにより築き上げてきたものであり、十分信頼しているわけです。

 社会人になってからはこれまでの間1年毎に異動しているので、仕事にようやく慣れ人間関係を築き上げてきて、ようやく2年目に突入というところで異動。また一からやり直し、というのは今まで味わったことの無い経験で、日々勉強の日々です。

 また宇都宮→東京というのは、北海道人や宇都宮人も東京に移っている人も沢山いるし何かあれば東京在住者に愚痴ったり、すぐに宇都宮や、下手すりゃ北海道に遠征できる場所柄で、なかなか2年間プライベートでは満ちていましたが、東京→北陸の今はそ
うもいきません。なかなか追い込まれているのかなと思ってしまったりもします。

 といっているだけではどうしようもないので、この北陸在住も期間限定。いずれ東京に戻ることになります。それまでの限られた期間、宇都宮や東京に負けない位に多種多様な面で満喫出来たらなと思っています。これを読んでいる、たった今、新生活を送っている方、一人ぼっちで色々と考える事があるかと思いますが、お互い頑張っていきましょう。


127.「鯖寿司」副部長(05.06.01)

 5月の初旬から2週間セ○ンイレブンで鯖寿司が発売された。いきつけのセブンイレブ○のオーナーによるとセブンの会長の剛腕がうなり、本来羽田空港でしか買えない寿司がセブンで買えるようになったそうだ。まんまと買って、食べてみたが、美味しい。鯖は酢締めではなく焼いてあり、酢飯の握りのなかにはガリが忍ばせてあった。焼鯖の少々こってりした食感をガリをはさむことですっきりさせていた。すごいことに羽田では一日に1万個売れるそう。空港はら少し高いはずなので、一つ800円位としても単純に一日800万円の売り上げ、純利益が少なくて5%だとしても一日40万円の儲け。すごいことである。「思いつきさえすればねえ」とオーナーは溜息をついていたが、まったくその通りだと思った。

 石油だって昔はただ臭い水、江戸時代ならトロは下魚、ぷ○りんすほてるとつ○み先生がいなければ軽井沢は長野の片田舎、人が知らない価値を見つける力がありさえすれば、きっと億万長者になれるはずなのである。偶然で一行に構わないので一生に一回(2回以上あるときっと罰が当たるので)そのような閃きをできたらいいなあと切に願う。

 このような閃きができる人、きっと見えている世界も違うのだと思う。一度だけでもそういう世界をむられれざよいなと思う。きっと見えている世界も違うのだと思う。一度だけでもそういう世界をみられればよいなと思う。 

 このたわごとを書いている時点で鯖寿司はすでに販売が終了しており、非常に残念。もう一回販売されるのを熱望しております。


126.「会津への旅」部長(05.04.30)

 去る4月はじめの週末、会津へ旅行してきた。今後は様々な仕事で週末が空かなくなると予想されるので、今のうちと出発した。同行者は男1名。

 私が車を運転し、東北道、常磐道を乗り継いで会津へ。まずは喜多方ラーメンを食べようと、喜多方市へ向かう。午後3時半、1軒目のラーメン屋に到着。なにやら、店構えは結構な年代を感じさせ、店内には来店した有名人の色紙が所狭しと並べられている。とりあえず普通盛りを注文。しかしお味のほうは…、う〜ん、ビミョーである。

 首をひねりながら退店してきた我々は、続いて2軒目の店へと車を走らせる。2軒目の店構えは和風の造りで、店内は座敷であった。さっそく普通盛りを注文。しかし、1軒目のラーメンを食べてから30分ほどしか経過していないため、いよいよラーメンに興味がなくなり始めた。しかし、私は「1日1麺」をモットーとしているほどの麺好きである。ここは負けられないと張り切って、1杯平らげる。しかし、どうもお味のほうがしっくり来ない。1軒目と比較すれば2軒目のほうがおいしかったが、それでも日頃から佐野ラーメンを食べ慣れている私にとっては、喜多方ラーメンはイマイチであった。宿に行く途中、「モーツァルトの曲を聞かせながら寝かせた酒」が売っているとの情報を得て、現場へ急行した。さすがに私は運転なので試飲はできなかったが、香りだけ嗅がせてもらうと、確かに芳醇で柔らかい香りがした。私は純米酒4合瓶を1本購入した。

 宿に到着し、夕食の時間に。しかし、ラーメン2杯を食べ終わってから2時間程度しかインターバルが無かったため、せっかくの和食懐石御膳を残す有様。残念だった。夜になり、風邪を引き始めた私は発熱し、友人との酒もほとんど飲まずに寝床へ。

 翌日、朝食を食べてチェックアウトした我々は鶴ヶ城へ。「白虎隊演舞」なるイベントがあったので、どんな人数で待ってくれるのだろうと思いきや、出てきたのは女性1人(しかも30代中盤と思しき)。んで、舞のストーリーをあらかた述べた後、カセットテープを再生して軍歌のような歌にあわせて踊っていた。我々はそれら一連の作業をじっと凝視し、盛大な拍手を送った。

 その後、和食のファミレスに入って昼食を取り、帰路へ付いた。目新しい発見はなかったものの、それでもなかなか楽しい旅行であった。1つ残念なのは、当日私の体調が優れなかったこと。お陰で会津の地酒が飲めなかったばかりか、頭がボーっとしていて「早く帰りたい」などと考えてしまったのは不覚である。次回の旅行は体調を万全にして出発したい。


125.「はじめてのインフルエンザ」支部長(05.04.06)

 2月の下旬、インフルエンザにかかった。人生で初めてかかった。わが社では決算があって、その打ち上げということで飲み会が開かれた。その時点で体調が優れなかった。飲んでも飲んでも酔っ払わない。お酌を受け、飲み続ける。「おかしい、酔わない。」翌日、特にいつもと変わらない朝を迎えた。しかし、夜になると微熱だが発熱しだした。「まさか…」と考えたが、認めたくなかった。「会社は休みたくない。」取り敢えずベッドに横になりテレビを見ていたが、熱は上がっていく。からだの節々が痛くなっ
ていた。

 翌朝、起きるのも辛かったが、「会社に行かなきゃ」という思いが真っ先に立ち、行く準備をしようと思ったが…無理だった。もしインフルエンザであったら、感染するし迷惑をかけることになる。インフルエンザか否か、それをまず確認すべきと病院に向かった。熱はすでに39度近くあった。平日の病院に着くと、診察が始まっていない中やはりお年寄りが多かった。具合が最悪な中、長椅子にかろうじてもたれかかり、ただ「早くしてくれ」と祈っていた。それこそ待っているだけでさらに状態が悪化しており、いらだちがピークとなっていた。ようやく名前が呼ばれ診察室に入るとまず症状を聞かれた。私は必死に熱やせきがあることを訴えると、先生はやはり「インフルエンザかもしれないね。」と言って、綿棒の長いものを取り出し「ちょっと気持ち悪いよ〜」と私の鼻にそれを入れ粘膜をとった。ちょっと強引だったので痛くて涙が出て、思わず先生を睨み付けてしまった。そしてそれを検査室に提出すると、また呼ばれた。そしてついに宣告をされてしまうのであった。「やはりインフルエンザだね。B型ってやつ。最低3日仕事は休んでください。」と至って冷静に告げられた。「あ〜ぁ、ついにインフルエンザにかかってしまった、仕事を休まないと…」とショックを隠しきれないでいた。

 会社にことの成り行きを連絡し、家で療養生活が始まった。病院で処方された「タミフル」とかいう薬を飲んで、ひたすら寝るしかなかった。先生は「今はタミフルっていう特効薬があるからすぐなおるよ。3日くらいで。」と言ったが、それでも3日はかかるのであるから、その薬を飲まなければどうなるのだろうか。とにかくずーっと寝ていることと熱でからだが痛くなり辛かったが、薬が強いせいか副作用で眠く、いくらでも寝ていた。また夜は熱のせいで夢を見たりしてうなされた。2日熱が下がらず寝込んだが、3日目、ようやく微熱まで下がった。しかし全身筋肉痛で思うように動くことができない。完治するまでは5日かかるらしいが、熱が下がれば仕事に行ってよいということで、翌日から仕事に行くことにした。

 感染しないようにマスクをして出社したが、やはり動くのも辛く、なるべく座っていたかった。微熱もあったし、早く帰った。筋肉痛が思ったよりひどく、なおるまでさらに2日3日かかった。3、4日も寝込むなんていつ以来かって位だった。インフルエンザのせいで体力ががたっと落ちたのが分かった。

 今年はインフルエンザが流行したが、病気はやはりつらいものである。なるべくはからだに無理をさせずに病気を呼び込まないようにしていただきたい。


124.「生誕24周年を迎えて」代理(04.03.03)

 いやいや、もう24歳になってしまった・・・といっても何も変わらない。厄年になったくらいである。時間とはあっという間に過ぎていくもの。そうふと頭に思い浮かぶ。

 あっという間といえば、宇どうも今年は4月で5周年を迎える。結成当時20歳。正直若いな・・・あれから5年の年月が過ぎ、生活環境もがらりと変わり、そして人としても成長しているはずである、多分。

 そして24歳を迎えた今年、環境ががらりと変わるはずである。予想としては九州が有力。果たしてどこに行く事になるのだろうか?人としても更なる飛躍をする歳である、多分。

 先月群馬県にて、「第九回宇同窓会兼代理生誕24周年祭」が開催された。このような会を開催していただいて非常にありがたかった。選挙ポスターやピンホールメガネを頂き、部員の誕生日には何を送りつけてやろうかなと今から熟考しているところである。それはさておき、後世に残るたわごとにおいて汚点を残し各方面から多大な批判を受けそうだが、批判を恐れずあえて書きたい事がある。

 この会において結婚についての話題が出た。というのも話の発端は大学の同じ学科の人の年賀状が副部長宅に着ていて、そこに「僕達結婚しました」と、結婚式場での幸せそうな写真が送られてきたのである。問題なのは代理と部長がその事実を知らなくて蟠ったという訳ではなく、というかそもそもその賀状ではなく、私自身は副部長の会社の後輩(結婚済)の賀状に正直衝撃を受けたことである。この賀状は何てことはない普通の年賀状。奥さんとおそらく自宅で普通に二人で写っている何てことはない写真付きの
年賀状。普通こういう場合、前述の大学同期のようにびしっと結婚式場でのウエディングドレス姿や新婚旅行の写真という、

「どうだ幸せそうだろう」

「はいおっしゃるとおりです」

 と、いわんばかりの年賀状を送ってくるはずだが2人で普段着で写っているほんとに普通の写真。

 で、その写真を見てふと結婚って良いなぁと思ってしまった。何だろう、こう普通の姿を曝け出すってなかなか無いと思う。そういう写真を普通に送れるって、この後輩なかなかのツワモノだなと感心してしまった。決して背伸びしてない、等身大のそんな姿をみてふと思った。

 果たして宇どうの中で誰が一番先に結婚するんだろうか?もうそろそろ、そんな話題が出てきても良い歳になったんだなぁと、池袋の街ををぶらりと歩きながらふとそう思った。


123.「健康を維持できる社会へ」副部長(05.1.31)

 平成16年〜平成17年に年が代わった。思えば昨年は厄年であったが、特に大きな事故もなく(車を軽くぶつけられたことと勤務中ギックリ腰になったこと位)無事過ごせ良かった。しかし、世間様では地震、津波、台風、洪水、猛暑、放火とあらゆる災害(人災含む)があったように思う。改めてなにもないことが幸せなことを実感した。

 今年はどんな年になるのだろうか。社会ニーズのキーワードは引き続き「癒し」や「健康」、「若さの維持」という感じだとなにかの番組でコメンテーターの方がおっしゃっていた。健康というキーワードは社会人になって、求められる理由を心底実感している。生活時間の大半が職場にかかるため、いきおい職場回りのことばかり例にあげて申し訳ないのだが、朝体調の優れないパートの方(だいぶ高齢)が休むと皆に迷惑がかかるから・・・と仕事にいそしんでいる姿は頭が下がる思いである。しかし、社会ではそれが当たり前といわれる。確かに当たり前なんだけどねえ・・・と理解は充分しているつもりなのだが、やはり休ませてあげたいと思う気持ちも無くせない。体調さえ万全ならばなにも心配ないだけに、健康が求められる時代なのだなと思った。

 健康を維持するなら心地良い睡眠、毎日たべて飽きない食事(和食がいい)、大きなお風呂(温泉なら最高)、まずはこの3つだろう。副部長家家長の信念は医食同源、もっといえば医と生活同源である。快適な生活は健康を生み出すという考え方はもっともだと思う。健康ならもちろん仕事にだっていい影響を与えるはずだ。快適な生活を送ろうと思ったらある程度計画的に過ごしたい。特にシフト制で仕事の入り時間がまちまちな業種は前日から睡眠時間や食事のタイミングを計っていることもある。健康で当たり前という世相の前提には健康を維持する努力をする余地があることが必要条件ではないだろうか。

 長々と書いてしまったが健康がキーワードな社会とは健康であることが求められる程度(常に健康でいろ!)という需要にたいして、健康を維持する環境が個人のみの力では難しい(充分にくつろぐ時間がとれん!)という矛盾を補うために生まれているのだと思う。

 この矛盾を是正してゆくことがこれからの社会正義となって欲しい。

 夜電話で急にシフト変更になって夜からの出勤が昼からになって寝付く時間を調整してたから全く寝れずあせるような人がでないよう社会が変わることを祈る。


122.「近代化について」部長(05.1.1)

 西洋近代民主主義について語ろうというのではない。ましてや中共の近代化路線でもない。イスラーム世界における西洋式近代化と宗教の在り方を論じる気は更々無い。私がノートパソコンを買った、ただそれだけである。

 しかしこのノートパソコン、使える男である。今まで論文執筆は家のデスクトップを使っていたので、外出先、たとえ学校だろうとどこだろうと執筆することはほぼ不可能だった。しかしこのパソコンを手に入れて以来、学校だろうが電車だろうがファミレスだろうが思いっきり執筆できる。まさかこれほどまでに使える男だとは思っても見なかった。

 ただ、今回購入したのは「日本一高い山」が「通」るメーカーなので、やたらと付属ソフトが多かった。私は購入するや否やすぐに、不要なソフトの削除作業に取り掛かった。地図、プロバイダー関連、デジタルビデオカメラ関連などなど、要らないものばかりである。必要なものはワードやエクセルが主である故、付属ソフトの半分以上を削除することができた。

 ついでにプリンタも買った。これで年賀状は、今までのようにプリントゴッコを使わなくとも容易に作成することができる。人間、楽できるところは楽したほうが良いのである。しかも、昨今のインクジェットプリンタは著しい進歩で、私が生まれて始めて購入したパソコン「CanBe(NEC製)」に付いてきたプリンタと格段の違いである。印刷の出来栄えが素晴らしく、レーザープリンタかと見紛う程である。

 また、千葉県幕張にある某図書館に文献資料収集調査に行く際、目的の資料名を記したファイルをプリントアウトするにも、今までは学校に行ってから図書館に行かねばならなかったが、これからは家ですぐにプリントアウトできるので、幕張まで直行できる。

 今後はやはり紙での書類とともに、メールによるファイルのやり取りも増えるだろう。また、私が将来教員になった際、授業で用いるレジュメ作成も、家にいながらにしてできる。資料もパソコンにファイル化すれば、生徒からの質問にも答えられる。国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告』によれば、各国の指標を測る際、AHDIという手法を取る事があるが、その項目でもインターネットへのアクセス度が組み込まれている。やはり我々は、デスクトップ型を含めて「真の」「パーソナル」コンピュータを持たざるを得ない時代に足を踏み入れてしまったのだろう。


121.「2回目の免許証更新」支部長(04.12.4)

 先日、自動車免許の更新に行ってきた。更新は今回で2回目だ。免許を取得したのが高校を卒業してすぐの3月下旬だったので今年で5年目になる。新規の免許は「ゴールド」、そう「金」色である。まさに無事故無違反を続けてきた賜物である。(うそ。) 次の免許更新までは5年もあるので、免許の写真はアホ面はできんと思い、免許更新センターに行く前に美容室に行って髪をカットしてビシっとめかして臨んだのであった。

 平日というのにそこには更新待ちの長蛇の列。3列に並び自分の番になるのを待った。30分位立ちっぱなしで待たされたので、さすがに不機嫌にならざるを得なくなり、近くに居たおっちゃんも文句を言い出す始末。その時、役人のおっちゃんが「後ろの人、こっちにも並んで」と言って、急遽新しい窓口が開き、後ろに居た人々が新しい列に並んだ。その結果私より後に来た連中が私より先に手続きを済ますという不条理な事になってしまった。これはさすがに頭に来た。自分の番になり、窓口のお姉さんが「安全協会にご協力頂けますか」と入会費1,200円を平然と回収しようとした時である。私はすかさず、今まで散々待たされた憂さを晴らすように「いいえ、入りません」と言ってのけた。他の人は口車に乗せられて当たり前の様に払っていたが、別に入会したといってもこれといったメリットはない。安全協会のロゴが入ったチープな免許証入れと長野県の地図が貰えるだけだ。しかもここの安全協会は最近不祥事まで起こしている。そんな所に金など払えるか!といったところである。

 手続きを終え、勝ち誇った気分で視力検査等を済まし、いよいよ写真撮影になった。何しろ人数が多いので、一人当たりの撮影時間は短い。その中でこれから5年間の免許の「顔」をつくらなくてはならない。鏡を見て確認し、椅子に座った。あっという間だった。おばちゃんが「撮りますよー」と言いシャッターが切られた…が、「あー、目つぶっちゃったからもう一回。」。思わず「すいません…。」と謝り、ブルーな気持ちになってしまったのも束の間、容赦なくその「顔」を撮られたのであった。 

 そして最後に残すのは、免許証が完成するまでの講習となった。私は金色なので30分だけ講習を受けることになっていた。軽度の違反の人は1時間、それ以外の違反の人と初心者の人は2時間となり、金は優遇されていた。ペーパードライバーと思われるおばちゃん達が多い中、講習を終え、優越感に浸りながら新免許証を受け取りに向かった。その免許証を見ると金色で「優良」と記してあった。

 副○長の様に駐車場だからといって油断してシートベルトをせずに捕まることのないよう、この色を継続させるべく安全運転を続けていきたいというものである。


120.「フィットネスクラブ初体験記」代理(04.10.31)

 ちょっと前の話になるが9月中旬のある晴れた日曜日、池袋にあるフィットネスクラブに生まれて初めて向かった。私、自他共に認める痩せ型。食べても食べても太らない体質なのだが、どうも4月に異動し環境が変わった為か、ビールがこの上なく好きな為かどちらの理由かは分からないがお腹の周りが若干の弛みを感じるようになってきた。(といっても自身の名誉のために書くがほんとにほんとに若干です)

 そんな事もあり、こんなせっかくの機会という事もあるので以前から知人に聞いていたクラブに通う事にした。若干緊張しながら受付に向かう。利用券(会社で契約しているので)を提出しバスタオル等を貰いロッカーへ。ここで気付いたのだがフィットネスクラブでの姿ってあんまり考えていなかったがもってきたのはジャージ(というかこれしかもっていない)、でも周りの人を見るとジャージじゃなくてエアロビ用のウエアみ
たいなものがある事にロッカーで気付く。しかも皆様の体格が明らかに鍛えられていますよねという感じ。場違いじゃねぇかと思いながらジャージ、シャツに着替え出る。(補足:もちろんジャージを着ている人もいました)

 出たはいいが何をすればいいのか分からずまずは名前は分からないが走るやつ、そして自転車を漕ぐやつを黙々と行う。元来黙々と何かをする事に関しては嫌いではないので案外はまってしまいランニングは1時間ほど行う。こういうクラブでは前の壁がガラス張りになっていて自分の姿が見えるのだが1時間走りこんだ後の自分の姿があまりに窶れ、そして色が白い事に改めて痛感する。その後はマシンを使って腹筋や胸、背筋を鍛える。こう私がこんな事を書いていると知っている人間はあの人がこんな事をしているの??と思われるんだろうなぁ・・・ただしっかりとやってきました。決して滑稽ではありませんよ。

 唯一残念なのがスタジオでやっていたエアロビが出来なかった事。ここでは一時間毎に初心者から上級者まで様々なプログラムをやっていた。最初来た時はエアロビなんてって思っていたのだが見ているとなかなか面白く、そして画的にも代理がスタジオでエアロビを意気揚々としているのも面白そうと思ったのだが、見ていた時は30人ほど参加していたのが次の回には5人で全員女性。さすがに恥ずかしくなり今回はパスする。踊るというのは高校の学祭でクラス対抗の仮装があってその時にクラス全員で練習をし踊った以来、そんな訳もあり妙な懐かしさを感じた。最後にシャワーを浴び、ジャグジーに入り充実感に満ち溢れクラブを後にする。

 このフィットネスクラブ体験の結果、当日夜から若干の筋肉痛で寝られず。それがしばらく続き、翌日からといわず翌週いっぱいの仕事に見事に支障が生じてしまった・・・ただこれに懲りず2週間に一回、少なくとも月に一回はこれからも通い、エアロビのスタジオで意気揚々とポジティブに動いている姿を次回のたわごとにでも書ければと思う。


119.「24歳を迎えて」副部長(04.9.30)

 富岡市、さる9月5日、24歳の誕生日を迎えた。当日は仕事。年を追うごとに時がたつのが早くて、しかも仕事をしているとなおさら早く感じるようだ。ホテルの日常業務にも慣れ、なんとなくなんとなく毎日が終わっていくようでなんとも寂しい。そんな中で月1回位販売促進の為の営業にでかける。最近は紅葉のきれいなところ妙義山近くの町に出掛ける。町の対応はそれぞれで最近は富岡市が大好きである。

 富岡市は富岡製糸場などで有名な都市である。富岡市役所観光商工課がいきつけの営業先だ。いつもいつもやさしい対応をしてくれる。警察もやさしい。交番へ行き、郵便局の場所を聞いたら、おまわりさんと近所のおばさんみたいな人がいて、あそこがいい、いやあそこが近いと熱く場所を教えてくれた。こちらがお願いにでむいている手前、そっけなくあしらわれたりアポをとっても会えなかったりということもあるので話を聞いてもらえるだけで、その町は素晴らしいとなる。

 紅葉に話を戻すと富岡市はそれほど見どころは無いかもしれないが、人は温かいと思う。紅葉を見るなら妙義町さくらの里がお勧めだそうです。上信越自動車道で碓氷峠を越えるだけでも充分楽しめるはずなので通る予定があれば是非みてみて欲しい。10月下旬からが見ごろです。

 紅葉のシーズンが終わればいよいよ冬、スキーシーズンが始まる。去年から始めたファンスキーが一回しか使わず押し入れで眠っているので、せめて元をとるためにも4回以上はいきたい。しかも行く度にスキー場を変えようと思う。スキーに行って、一杯飲んで、温泉に入るというのは理想的なパターンなので、たとえ日帰りでも、やりたい。

 暑い夏もおわり、適当に寒い冬がきてくれれば嬉しい限りである。とりあえず10月は仕事の方がかなりいそがしそうなのでそっちは一つ一つ根気よく終わらせて、少しは筋トレをして体も作って、冬を楽しめるようにしよう!と思うこのごろである。


118.「学生時代について」部長(04.9.1)

 今回のたわごとには、何を書こうかと迷った。サッカー・アジアカップの「あの」出来事、インドネシアにおける大統領決選投票・・・。う〜ん、政治的過ぎる・・・。じゃ、「伝統を受け継ぐ若手のあるべき姿とは」か? いや、テーマが大きすぎる。紫煙を燻らせながらあれこれ思案していると、いつのまにか「あぁ、そーいえばもうそろそろ学生生活ともおさらばかぁ」と感じてきた。そこで今回は、残り半年あまりで終えようとする学生時代について、改めて振り返ってみた。一体、私は何を得たのだろうか、と。

 宇大どうでしょうとの出会い、多くの友人との出会いと別れ、インドネシア政治との本格的な「格闘」などが思い出される。そして、それらとともに思い起こされるものは、「旅」である。

 学部生時代、そして現在の院生時代と、共通して思われることは「インドネシアに行き過ぎたのではないか?」という疑問である。つまり、確かに1年に1回、インドネシアのジャカルタへ行って、高校留学時にお世話になった人々と交流し、そして交流の輪を広げていった。それは私にとってかけがえのない、他の人は絶対に持ち合わせていない財産である。

 しかし、それにしてもあまりにインドネシアへ行き過ぎたのではないだろうか?日常の無駄遣いを減らし、資金を貯めてヨーロッパやアメリカ、オーストラリアといった欧米諸国、中国や北朝鮮、ラオス、ベトナムといった「ある意味」共通項の国々、中南米やアフリカといった、そう滅多にはなかなか行けない土地になぜ行かなかったのか。最近、そう感じて、反省することがある。

 そうは言っても他の人に比べると、渡航先は別としても海外には出ているほうなのではないだろうか?インドネシア以外でもシンガポール、タイ、韓国(加えて、板門店の会議棟内にある休戦ラインを踏み越えたとすれば、北朝鮮)と学生時代に訪れている。これ以外にもやれ北中南米だ、欧州だ、豪州だなどと言うのは、贅沢か・・・。

 ただ、「自由の女神」は見てみたかったし、ウォール街をスーツ姿で歩きたいし、ニューオーリンズでは飛び入りで演奏してみたいし、ラスベガスでは一山当てたい。ピラミッドを見たいし、アルプス山脈は見たいし、ウィーンの町並みを歩いてみたいし、リオのカーニバルには参加してみたかった。

 今後社会人となって果して、上に記したような目標を達成できるであろうか。情勢は非常に厳しい。しかし、もし将来、私が希望する職業に就くことができたなら、絶対に旅に出てみせる。そして、現場の「生の声・モノ」を持ち帰って、仕事に生かしたいと強く思っている。


117.「暑中たわごと」支部長(04.7.31)

 まさに真夏。温度は上昇するばかり。今こうして文面を書いている最中も暑い。我が実家にはクーラーがない。網戸にし扇風機を回して、涼の伝を求めて外からの風を今か今かと待ちわびているのであります。

 大学時代の神奈川暮らしの夏は暑かった。昼間なんか常に陽炎が立ち上っているんじゃないかってくらいのうだる暑さだった。網戸にしたくても自然の風なんてあったもんじゃない。吹いても温風。そのうえ蚊がやけに多くて、網戸にしっ放しで寝ると翌朝には体中に蚊の刺したあとがあり、それはひどかった。そんな事由もあり、そもそもクーラーが付いていたので、その誘惑には勝てる筈がなかったのである。だけどもね、クーラーを付けっ放しだとね、具合が悪くなる。クーラーの副作用である。頭痛、ドライアイによる眼痛、不眠症。やっぱり汗とかかいたりして自然の温度で過ごさないと体はうまくいかないようであります。一日中クーラー付けっぱなしでひきこもっていた日なんか体のリズムが崩れて寝れなかったもんだよ。そりゃあ、確かに風呂上りにクーラーがびんびんに効いた部屋で、きんきんに冷えたビールを飲むなんてのはまさに至福ではあるわけですがね。

 暑いとはいえ、長野の暑さは東京の方の「じとーっ」とした蒸し暑さほどではないので耐えられないほどではない。夜は涼しい。何とか寝れる。でもビール、清涼飲料水、アイスは不可欠な存在であることは言うまでも無い。仕事帰りにコンビニでペットボトルを買い込み、夜はビールのお世話になる始末と。去年はそんなこと無かったですよ。今年の暑さは、我が職場の商品の売れ行きにも去年との顕著な差ももたらしている。よしず、扇風機などはあまりに売れ過ぎて、問屋の方でも在庫を切らしてしまうほど。ニュースでは毎日、熱中症だとか最高気温更新だとか言っている。これから8月を迎え本格的な夏を迎えるのだが、今からこんな猛暑で何とかなるのかねなんて思う。

 暑いのでやる気がしない…。「暑い、暑い」とばかり言っていたら、もっと暑くなってきた気がしたのでこのへんで。


116.「水曜どうでしょうと私」代理(04.7.3)

 初めて水曜どうでしょうと出合ったのは97年11月、放送が始まったのは96年10月からだったので一年ちょっとしてからだった。

 もちろん今もそうだが純真無垢でやる気に満ち溢れていた代理(当時高校2年生)は高校の中間試験の為に遅くまで勉強していた。で、あくまで休憩ということで(別に数学の数式が解けなくて煮詰まったわけではない)ふと深夜のテレビを付けて見た。するとHTB(テレ朝系列の北海道のローカル局)でヨーロッパを旅している番組が目に留まった。私はもとから旅行が好きだったという理由だったのでどうでしょう好きだというわけでもなかった。あの時はヨーロッパ縦断だった。今考えるとかなり面白い話だったんだが、その時は「ふーん」程度で番組を見ていた気がする。で、今は知らないと思うがサイコロとか海外の最後の時にはプレゼントコーナーがあって感想文を送れば当選の権利があるという事を話していた。なんという番組だと思った。でもそんな程度だった。

 その後ぼちぼちとビデオに録って見るようになった。この番組を見る人はよく言うけれども見れば見るほど面白くなる、というふうにだんだんはまっていった。で深夜帯から23時台に変わるくらいには98年4月(当時高校3年生)にはかなりはまっていた。水曜の23時から当時「笑う犬」を見終わって、すぐにどうでしょうを見るというなんとも素晴らしい状況下で水曜夜のために頑張っているという感じでもあった。クラスでも多くのどうでしょう中毒患者を出し木曜の学校の話題はどうでしょうというくらいの人気があった。

 大学に入学し、栃木というどうでしょうなんて誰も知らないような新天地に来てしまいしばらくは実家からのビデオを頼りにするという生活で悶々と過ごしていたが、その年の10月からとちぎテレビ(独立系局)でどうでしょうを放送するという事を知り、何とも驚いてしまった。そんな訳で部長や副部長にもビデオを見せる(部長や副部長とは、どうでしょうがなければこれほど仲良くなかっただろう)などをしてどうでしょう中毒患者を増やしサイコロの旅をしたり、カントリーサインをしたり、行けなかったがアラスカやこれは実際に行ったヨーロッパに行ったりと、なかなか、というかかなり楽しい大学生活を楽しむ事が出来た。

 昨年の4月から東京に出てきて社会人になって、これは最近気付いた事だが案外まわりにどうでしょう中毒者が多いという事を知った。我が家にはどうでしょうカレンダー、DVDと揃っているのだが職場の同期が遊びに来る時に、かなりの確率で誰かしら「これ知ってる、今度DVD貸して」と言われているし、職場の同僚の壁紙にonちゃんがいたのは正直うろたえた。どうでしょう、最近では大泉さんが映画や歌番組にも出ているがいつの間にか全国区になっているんだなと思った。人気が出るのは良いけれども、なんだか北海道人としてちょっと寂しいような複雑な気持ちになった。でも、これからも一生どうでしょうしていきたい。


115.「時は金、時は作るもの」副部長(04.5.31)

 日々仕事に追われています。減らしたつもりが気付いたら増えている状況です。休みが休みで無くなる日が重なり、月の半分位休んでないなあとがっくりです。そんな日々が続いたこともあり、ここ数日いかに楽に仕事をこなせないかを考え、実践しました。結果、慣れないことをしたためミス連発。キリギリスのように生きるのは才能がいると改めて実感しました。努力する才能を持つアリを目標として頑張りたいです。

 話題は変わってつい数日前、営業で自衛隊駐屯地に入りました。案外気軽な気持ちで訪れたところ、さすが規律の厳しい?入場に5分かかりました。営業相手様とのお話は自分としては必死に持たせたつもりだったけれども、出されたコーヒーが充分温かいうちに撤退しました。自衛隊員は官舎があるよ。家族は官舎に泊まるよ。お偉い様はほとんどこないよ。よく通るけどあったなんて知らなかった。挨拶に行く=小さくて大きい一歩を踏み出したのだと、決して間違いではないのだと言い聞かせて凱旋しました。

 藤岡は藤の花も満開となり、いよいよ初夏の様相を帯びてきました。良く寝て、良く働き、良く遊ぶ、そんな生活が出来るよう仕事の効率化に努めます。

 さて話は変わって、5月22、23日と宇どう総会in藤岡を開催しました。今回藤岡に宿泊するということで差し当たって寝具がない、ということで布団一式と以前より欲しかったテーブルを購入しました。夕方まで掃除をしていると、「おう」と声がし、振り向くと部長が。自然な集合でした。

 その後代理とも合流し、タクシーで10分少々。目的の焼肉屋へ到着。開店から1時間位しか経っていなかったけれど、すでに店内は一杯という感じでした。ビール、焼肉セット、単品としてハツとタンを頼んでしばし待つ。ほどなくビールとハツが運ばれてきました。炭火でさっと火を通し、レモンだれか胡麻だれをつけて食べる。前回からの期待を裏切らない出来栄えに しばし無言。その後、箸もビールも進み、トイレの中まで聞こえる笑い声を発しながら、ユッケ、ビビンバ、冷麺を片付けたところで店をでました。

 またもタクシーで移動して、ボウリング場へ行きました。3ゲームのうち最高スコアで競う代理所属大臣杯争奪ボウリング大会を開催。1ゲーム目はお互い数ピン差の勝負となりました。しかし、2ゲーム目以降お隣りの御家族連れの個性的な投法等に動揺を与えられた代理と部長が沈み、さほど調子を落とさなかった、私副部長が優勝した。

 続いて行われた国交大臣杯争奪電車でGO! 大会は停車のうまい、部長がもぎとりました。

 その後いつも通り、朝5時まで酒をあおり続けました。

 代理、部長に比べだいぶ酒に弱くなったと感じた私でした。 


114.「食の楽しみ」部長(04.5.1)

 食べることが大好きだ。とても楽しい。「医食同源」という言葉に感謝したい。我が宇大どうでしょうにおいても、「うまいものツアー」には欠かさず参加した。お陰で、銀座のフランス料理、築地の寿司、月島のもんじゃ焼き、韓国の焼肉、信州そば、その他諸々、各地の旨い物を堪能し、そのたびに幸せに浸る私であった。

 しかし今回の東南アジア歴訪で、私は失態を犯した。インドネシアに渡航して1〜2週間すると、多くの日本人は腹を下すらしい。腸内バクテリアが替わる為と医師は述べていたが、結局は水が違えば腹壊す、ということらしい。特段心配するようなことではないらしいのだが、腹痛と食欲の無さを訴え、点滴を受ける羽目になった。生涯初の点滴を、まさかインドネシアで受けるとは・・・。

 確かに、この日の3日ほど前より、腹は下っていた。しかし、「ま、水が変わったんだ、多少は腹を壊すんだろ」と軽く考えていた。しかし、食欲は一切無く、腹は快方に向かう兆しが一向に無く、いよいよ病院に行った。そしたら点滴だ。

 脂っこいもの、辛いものなどの刺激物、堅いものは食べていけないということだ。つまり、言ってみればインドネシア料理を食べるな、というに等しい宣告だった。その日より私は、朝食はパン、昼食は日本料理、夕食はスープとご飯という、なんとも幸の薄い食事が続いた。

 数日後、検査を受け快方に向かっているとの事。インドネシアを出国する日にようやく某Mのハンバーガー、シンガポールでは中華料理を食した。特に、昼過ぎに食す飲茶(ヤムチャ)は格別の味で、エビ餃子などの蒸し料理をジャスミン茶と一緒に頂くのは、たまらない。

 しかし、やはり残念なのはインドネシアのジャカルタで満足な食事ができなかったことである。ナシゴレン、ミーゴレン、バクソ、サテ、ミーアヤム、ソトアヤム等など、どれも捨てがたい料理を、ほとんど食すことは無かった。悲しいことだ。

 読者の方々も、旅に出る際は旅館やホテル、観光名所に行かれると思うが、それらと並んで旅先での地元料理を食すことも、楽しみのひとつである方々は多いと思う。沖縄のゴーヤー、鹿児島黒豚、福岡や札幌のラーメン、広島や松島の牡蠣(カキ)、大阪たこ焼き、どれも貴重な「観光名物」である。旅先での食事が嫌な思い出であればあるほど、旅はつまらなくなってしまう。

 先日、本欄で長野県支部長が「カラダが資本」と書かれていたが、まったくその通り。そして、強い体を作るのは、運動であり、そしてまたおいしい食事である。WHO(世界保健機関)も健康の定義として、病気の無い体とともに、精神衛生上良好であることも挙げている。健康の両輪、強いカラダとおいしい食事。どんなに学業や仕事が忙しくとも、おいしい食事だけは欠損してはいけない。


113.「カラダが資本」支部長(04.4.3)

 ここのところ飲み会が続いている。しかも幹事まで任されることになった。幹事は大変だ。1次会から2次会の場所、予算、交通手段、段取りなどを一定の条件内で決めなくてならない。しかも今回は2週間おきに連続して飲み会(送別会、歓迎会)が続いた。普段の仕事に幹事のそれが加わるというのは辛いものがあった。幹事は場を盛り上げたり、気を利かせなくてはいけない。また不満なども容赦なく言われるということで疲れるものだ。飲み会といえばいつも私は潰れるのが常だった程、酒に弱かったのだが、最近は潰れることも二日酔いになることもない。まさに連勝中と、酒を楽しめるようになった。それは宇どう企画の忘年会で学んだ「大和○先生の健康法」である。これは宇どうホームページでも紹介されたが、水を大量に飲んでから飲み会に参加するのだ。そうすると血液の水分が多くなるせいか、酒に負けることがない。私はいつも飲み会前には1.5リットルの水を飲んでから出陣する。ただ、デメリットとして、水をこれだけの量飲むのは辛く、腹がいっぱいになる。そして飲み会中、異常にトイレに足を運ぶことになる。宇どうメンバーはすでに御承知であるかと思うが、「ちゃんこ江○沢」にて実証済みだ。しかしただ水を飲むだけじゃないかと馬鹿にするなかれ、酒に弱い方は是非おすすめする健康法である。教えて頂いた宇どうに感謝。

 先日、仕事中、下腹部に痛みを覚えた。下痢のようなギュルギュル系の痛みではない。キリキリ系の痛みだ。(わかるだろうか?)時間がたつに従って痛みは増していき、腰を折り曲げた老人のような格好でしか歩けなくなった。立っても、座っても痛い。そのうち治るだろうと楽観していたが、激痛へと変わっていった。そして右の下腹部が局部として痛いことに気付いた。「これは虫垂炎かもしれない」と考えた。また、うちの家系は虫垂炎をやっている人が圧倒的に多い。入院して仕事を休むなんてできないと頭に不安がよぎった。メシもまともに食えなかったが、夜中だったので緊急医に行くのはさすがに止めようと思い我慢して寝た。幸いにも翌日休日だったので、病院に行って診てもらった。当然のごとく内科で虫垂炎の疑いがかけられ、血液検査となった。結果は白血球が増えており、炎症が起きているという事であった。しかしまだ急を要する段階ではないので抗生物質で様子をみるという結論に至った。私は頭の中で「先生、切らな
くて治す方法は無いんですか?」「助かりたければ手術をするしかない。同意書にサインをしてください。」なんてフ○テレビのドラマのワンシーンを予想していたが、幸いにもそこまで病状は進んでいなかったらしい。しかしいずれは手術をして虫垂を摘出することにはなるとは思う。取り敢えず今は忙しいので入院なんかは後回しになってくれればと祈るばかりである。

 徒然なるままに…最近の心のたわごとを綴った。健康一番。


112.「23周年を迎えて」代理(04.2.29)

 先月の話になるがやっと23歳を迎えた。宇どう部員の中では一番の最年少。関係各方面の方々からお祝いのメッセージを頂いた。この場を借りてになるが、本当にありがとうございます。また、確信犯的な誕生日翌日直前5分前にメールを送りつける某部長、そして私の誕生日すら気付かず普通にメールを送りやがる某副部長。本当にありがとうございます。

 誕生日を迎えた瞬間、何をしていたかというと、某財務担当の会社から下請けの仕事が入り「数字が合わねぇ〜合わねぇ〜」と思いながら0時になり、その瞬間におめでとうメールで自分の誕生日に「はっ」と気付くというなかなか経験できない貴重な体験をさせて頂いた。今年の誕生日は誕生日当日の夜も仕事が終わらず、一日中ずーっと数字と格闘。しかも風邪気味。という日だった。

 さらに翌日から「第五回宇同窓会」のため宇都宮へ。14時から翌29時までという前代未聞の耐久飲み会が行われ、その結果翌週一週間風邪で非常に辛い週を送った。まぁこの飲み会はほんと楽しかったんで良かったんだが・・・今回の飲み会は様々な飲み会を経験している中でもかなり想い出に残る飲み会だった。まさか宇都宮で20人程の人が集まるなんて思ってもいなかったんで、宇大の力に正直感動してしまった。

 という事で本論に戻すが、23歳。宇どうの中では最年少だが、もうそろそろ、歳を取りたくないなと思う歳になってきた。これからはずーっと23歳でいたい、なんていう駄駄を捏ねていても始まらないので、前向きな話を書きたいと思う。

「チャレンジ精神を忘れずに何事にも果敢に挑戦する」

 これが23歳、一年間のテーマ。どうも最近、なあなあでいつも通りの日々を過ごしてきているので貪欲に興味を持った事に対して取り合えずやってみる。失敗した時は失敗した時。成功すれば良かったじゃないか、とそんな気持ちで前向きに日々の生活を送る。

 果たして23歳の一年。自分にとってどんな事が起こるのか、もちろん自分も誰にもそんな事は分からない。でも後悔だけはしない、このテーマを胸に秘めて充実した日々を過ごしたい。


111.「ショートスキー」副部長(04.1.30)

 某大学スキー部部長を務めた私は、レーススキーのみをスキーとしてきた。スキーヤーは長い板が基本、と思ってきたのですが、1月18日をもってその考えを捨てました。 おもしろいです。最高です。ショートスキー。会社のスタッフと今季初のスキーに行き、ショートスキー板をレンタルして一本滑って虜になりました。板がこんなにいうことを聞いてくれるもんだとは思いませんでした。よく曲がる、よく止まる、軽い。いうことなしです。天気もよく、雪質も最高だったのも幸いでした。

 ゲレンデで後ろ向きに滑ったり、ターンをしたり、とてもスキー部の先輩、後輩には見せられませんが、もうしばらくは長い板をはく気になれません。男は2メートル以上の板、通称メーターオーバーをはけ!という熱い信念も道具の進化の前には無力です。ですが、気持ちのどこかにはその熱い魂を持ち続けたいと思います。

 ところで近年毎年雪不足の年が続いており、スキー場も四苦八苦しているだろう。人工降雪機もフル稼動ではないだろうか。人工降雪機は空中に水しぶきを飛ばし、その水しぶきが大気中で冷やされて人工の雪となる。よってこのまま暖冬がもっと深刻になれば緯度の低いスキー場は人工雪すら降らせることが出来ない。すると長野や群馬のスキー場は消え、東北のスキー場がメインになるのだろうか。長野県民も雪を知らない、そんな日がこないことを祈る。

 話はがらりと変わるが私の愛車はもうお年寄りだ。老体にムチを打って走らせている。なのでがたがきている。最近窓が上がらなくなるということがあった。旅行中の為、高速や寒冷地を窓全開で走った。翌日修理が間に合わず営業先にも乗っていった。関係各方面に多大なご迷惑をかけた。壊れたら直して使うものではあるが、直すより買い替えた方が安い場合もある。3月には車検も控えている為、少々無理をしても買ってしまいたいのだ。手続きが全く分からないのとそもそも何を買ったらいいか分からないという根本的な問題を含んでいるものの、今春、大人のお買い物をすることを決意した。


110.「24歳を迎えて」部長(04.1.4)

 ついに24歳となってしまった。今年は男の本厄年、何か大きな「厄」でもあるのかと、年初は思った。

 ところが、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、何も起きないので、「なんだ、厄年なんて迷信か」と思った。さらに、5月には見事「一匹狼の会」を脱会し、むしろ運気は上昇しているかのように思われた。

 しかし、その後は再び一人身となり、また私の周囲では栃木県黒磯市のブリジストン工場火災、宇大教授停職、極めつけは足銀破綻と、次から次へと不幸が襲ってきた。

 そんな中、11月19日に24回目の誕生日を迎えた。その日は、正午から仕事だった。ただ、夜に行うはずだった家庭教師のアルバイトが相手方の要請で急遽休みとなり、アルバイト先の同僚とともに、恵比寿講という祭へ向かった。男2人が寒空の下、祭を歩く。なかなか乙なものである。

 昨年の誕生日の際、私は何を目標にしたのかを思い出そうとするが、思い出せない。メルマガに寄稿した文章を読み返すと、「22歳と23歳は大して違わない」とか、「毎年バースデーパーティーを開く西田ひかるが羨ましい」とか、馬鹿な事を書いていた。恥ずかしい(詳しくはメルマガ第63号、またはホームページの「たわごと」欄を参照)。であるゆえ、今回も目標は立てない。いや、目標は新春スローガンに表すこととするとでも言ったほうが適切だろうか。ただ、残りの「本厄」と、来年の「後厄」を無事に乗
り切ることである。

 とある手相占いによれば、私は26歳に転機が訪れるという。あと2年、一生懸命に、毎日を真剣勝負で生きて行きたい。


109.「いっぱいいっぱい…」支部長(03.11.30)

 社会人となって8ヶ月になろうとしている。

 ありきたりな言葉ではあるが、長かったと思う反面、早かったとも感じられる。

 販売という仕事に関わってから、その季節、時期に売れるものがある。春ならば園芸、夏ならばかぶと虫や鈴虫といったように。それから季節感を得ることができた。しかし「今年の夏って何が印象に残っているだろうか」と振り返ると宇同総会を楽しんだということ位しか思い浮かんでこない。体で季節を感じ取る機会が圧倒的に少なくなっている。それほど仕事というものが生活習慣になっているのだ。 休みといっても連休が中々とり難いために単休がほとんどである。そのために休みはどこかに旅に出るなんてことはもってのほか、寝て疲れをとる事で終わってしまう。とにかく疲れる。

 接客。人と触れ合うことは疲れる。社会人となって多くの人と巡り合ってきた。良くしてくれる方、そうでない人。人と接する機会が圧倒的に増えた分、そこで学んだものが多かった。人と接することの難しさに今一度思い知らされる。客との取引では言葉一つ間違えば怒らせてしまうことや取り返しのつかないことになる。また自分の鏡として噂がある。自分を周りはよく見ていて、周りが自分を評価する。研修でも聞いた話だが、「自分を決めるのは他人だ」と。自分が自分のことが理解しているつもりでも、周囲は自分と正反対の見解を示していることも少なくない。

 まだ社会人一年生でもあり、そんなことに気付き始め、どうすればプラスに転じるか模索中でもある。多分こんな苦労がずっと続いていくことになるだろう。ただ苦労だけではなんの面白みも無い。その中でのやりがいや楽しみを見つけられたら、何というかバランスがとれてくるのだろう。社会の荒波にもまれ成長し、社会人の「人材」ならぬ「人罪」にならぬよう、社会に貢献できる人間に…。

 なんて真面目で堅い話を今回はしてみた。ごめんなさいね。ちょっといっぱいいっぱい…。また会う時まで頑張ります。


108.「半年経ちました、ということで近況報告」代理(03.11.1)

 10月になり今まで暑く苦しかった日々が一転。急に涼しく、というか寒い毎日になり、「あぁ10月になったんだなぁ」としみじみと感じ始めました。

 4月から半年、仕事も見習い期間がやっと??終了しようやく正職員に。といっても今までの日々と大して変わらず相変わらずの忙しい日々が続いています。ただ社会人になった当初と違うのは大分仕事をこなせるようになった(気がする)こと。毎日毎日いっぱいいっぱいだった4月よりは余裕が出てきました。社会人のマナー、常識も採用当初よりは覚え、10月からは1年下の後輩も入って来た所です。まだ入って半年。まだまだ青二才だと傍からは見られるのかもしれないけれど、これからもなあなあにならないように日々を大切にしていきたい。

 仕事を始めてから半年という事は宇都宮を去ってから半年にもなる。そして同時に大学を卒業してからも半年。「宇どう」メンバー及び東京に住んでる友達とかは案外ぼちぼちではなくかなりの回数会っているが他の人とはまずもってほとんど(第二回宇同窓会では宇都宮に残っている人と会ったが・・・)会っていない。どうしているのだろうか??半年経つと案外会ってみたい気持ちが強くなったもする。そして宇都宮にも。

 6月に第二回宇同総会で宇都宮に行く機会があったが、あの時はばたばたと時間が過ぎてしまいあまりのんびりする時間が無かったので今度はのんびりゆっくりと宇都宮に行きたい。特に車を持ってから行動範囲が広くなり色んな所に出かけたのでそんな場所にも行きたい。といっても、そんな時間はおそらく無いので思っているだけで終わってしまうのだろうけど・・・

 東京での生活は思った以上にスピードが速い。大学の時にのほほんとした生活だったからかもしれないけどそれを差し引いても宇都宮よりもスピードが明らかに違う。確かに平日は忙しすぎて何も出来ないが、休日は何もなければ(といっても大体は二日のうち一日は予定が入ってしまっている・・・)旅とか自分の趣味の時間に取りたいなぁと思っている。宇どう最年少として、斬り込み隊長として心身ともに充実するような毎日を過ごしたい。


107.「生誕23周年のご挨拶」副部長(03.9.28)

 9月に入り、23歳になった。23歳の誕生日は代理のはからいで東京で祝ってもらい、初めてお店からの誕生日祝いをやってもらった。アイスクリームの盛り合わせ、花火のついたカクテルといういままで見たことがないようなお祝いを経験した。

 23歳、まだまだ新進気鋭の若手であり、気力・体力には若干の自信があったのだが、先日仕事で客室清掃に入り、体力がついていかず、帰宅最中に睡魔に襲われあと家まで5分というところで車をとめ、

「5分だけ休んでいこう。」

と運転席の椅子を倒したところ5時間が経っていた。車を停めたときは夜中であったのに起きたときにはあたりがすっかり明るくなっていた。

 ご近所のみなさんに見られたかどうかは分からないが、父には見られており、家族より注意が入った。警察を呼ばれなくて良かった。

 先日柔道世界選手権の団体戦をテレビで見た。女子は優勝!男子は準優勝であった。女子選手のなかで上野姉妹という姉妹で団体戦を戦っている選手をみた。妹さんはまだ19歳であったが粘り強く戦い勝利、お姉さんは寝技が得意ということで開始早々寝技にに持ち込み一本をとっていた。

 男子は3対2でフランスに敗れたものの、気迫あふれる戦いをし団体での負けが決まった後の大将戦では井上選手が内股を決めて一本を取っていた。

 選手の皆さんは勝った後も表情をかえることなく、「勝って兜の緒を締めよ。」ということわざのように最後まで気を引き締めていたようにみえた。

 解説者いわく

「本人達はまだまだ満足していない。だから表情を緩めない。」

 素晴らしいと思った。選手の中には大学生もいた。自分と同年代であったり、年下であるのにその心持ちができることが凄いと思った。

 新進気鋭、血気盛んであるべき23歳、私副部長も柔道家のみなさんにあやかり、日々精進、上昇志向、「勝って兜の緒を締めよ。」の気持ちで頑張っていきます。

 今後とも宇どうともども暖かいご支援を宜しくお願い致します。


106.「夏期休暇先の決定プロセスについて」部長(03.8.31)

 メルマガ編集長である代理より、「夏らしい『たわごと』1本を是非!」と言われたので、ほんじゃ夏らしく神輿の話にでもするか?と考えていた矢先、ジャカルタ爆弾テロの一報が飛び込んできた。神輿については、私のHPに画像をアップしておいたので、そちらを参照願いたい。

 当初は、「爆弾テロがあった直後は警戒が厳重になり、むしろ中途半端な所よりは安全ではないか?」と考えていた。ゆえに、ジャカルタにいるホストファミリーに電話をし、9月上旬に行く旨を伝えた。航空券の問い合わせも済ませ、あとは正式に航空券を予約し、代金を振り込むだけであった。

 しかしその後、新聞紙上などで続報を読み進めていくうちに、インドネシア当局は、いまだにジャカルタ市内に爆弾が数個持ち込まれている恐れがあるとの見解を出した。この一言で、私は決心した。ジャカルタはよそう、と。

 ただ、アルバイト先には9月の2週間インドネシアに行くと伝え、休みを頂いてしまった手前、今更「実は行かないことに・・・」と言うのはもったいなかった。そこで、ジャカルタ行き航空券とほぼ同じか、それ以下の代金で、かつ航空会社のマイレージサービスが4,000マイルは貯まる海外はどこなのかと考えた(現在、私のマイレージは31,000マイル。35,000マイルで東南アジア往復無料)。すると、結構あるもので、ラスベガス
48,000円、シンガポール31,500円などなど。ただ、この中で私のマイレージサービス会社と提携しているスターアライアンスの航空会社はどこかというと、シンガポール行きのユナイテッド航空。しかし、日本帰国便が現地を朝7時発。どうがんばっても、朝4時におきる自信はないし、エコノミークラスではパーソナルテレビがないので却下。

 すると、ジャカルタとまったく同じ値段で、同じ航空会社で、バリ島の航空券があった。「そういや、一昨年泊まったウブドの安宿は、1泊600円くらいだったよな。昼間は田園風景を見ながらぼけっとして、夜はガムランや芸能を見る生活もいいな・・・」と思うが早いか、頭の中はバリ島一色となった。

 たしかに、バリ島もインドネシアの一部であることには変わりはない。しかし、今回のジャカルタ爆弾テロなど、インドネシアにおけるテロの傾向を見ると、周辺から中心へという流れを見て取れる。つまり、バリ島やアンボンなどの地方都市から、ジャカルタという首都への、いわば「移動」である。であるからして、一種の賭けではあるが、バリ島に行くこととなった。

 今回はあまり大きな出来事はないはずなので、目玉を1つ作る予定である。そのことに関しては、帰国後に発表したいと思う。いずれにせよ、このメルマガが配信される直後には機上の人となっているはず、時の経つのは早いものである。


105、「宇どうと私」支部長(03.8.16) 

 就職してから4ヶ月になった。毎日毎日、仕事で疲れて終わり、休日といえば寝て終わるというそんな毎日を過ごしてきたために、たわごとに何を書いてよいやら困っているのが現状である。先頃、仕事ばかりの毎日での中でモチベーションを上げる楽しみを見つけなくてはと考えるようになった。そして思いついたのが、「“車”か“ノートPC”を入手しよう。」だった。しかし車を買うほどの資金もまだ無いのでまずはノートPCを買おうと決めた。昨年宇どうに入部した際、アンケートの“今欲しいもの”の欄にもノートPCと記入しており、前々からもずっと欲しいとは思っていたのである。何といっても使っているPCが8年前の「NECPC-98」であるから今の情報化社会で活用するにはいささか支障がある。そしてそれを機に宇どうの活動でフルに活用したいと考えたのである。

 そんな中で共鳴したのが副部長であった。松本のファミレス「G」で会談を行い、「宇どう情報高度化推進委員会(うじょこう)」を発足させたのである。そして部長、代理もオブザーバー(!?)として加わった。「まずADSLを開通しよう」と副部長と活動を開始した。そして私はスムーズに開通したのだが、副部長は彼の座右の銘(?)である「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」が出来ておらず工事が終わってからNTTビルとの距離が遠すぎてADSLが繋がらないことに気付いたのである。しかし、その後は彼らしからぬ(!)積極的な活動を進め、見事に開通に至ったのである。

 その後PC購入資金も何とか確保し、念願叶ったのである。これがまた凄い。TVも見れ、録画もできる。DVD-Rも付いておりデータの保存には事欠かない。ADSLと合わせてネットも速い速い。前に使っていたPCがあまりにもスペックが低かったために、なおさら凄いと感じてしまうのであろうが。とにかく宇どうとの距離もますます近くなったのは言うまでも無い。

 仕事で追われる毎日の中で、宇どうの課外活動にも参加したいと切に思う。というのも東京、宇都宮で行われた2回の「宇同窓会」に、仕事で参加できなかったのである。ただ次回は松本開催ということなので何とか参加できそうだ。ついこの前まで“半日飲んで半日寝て”なんて生活をしていたあの頃が懐かしい。そこまでできなくとも宇どうのメンバーが久し振りに集まり、くだらない話をする…。それだけで日々のストレスも忘れられるというものではないか。社会人となって宇どうはまさに日々の疲れを癒す趣味と化していたことに改めて気付いたのである。


104.「社会人になって」代理(03.6.30)

 あれよあれよと大学を無事に卒業し四月から社会人なってもう三ヵ月・・・自分の中ではあっという間に過ぎていっている。

 社会人なって一番大切だなと感じたのは「時間」の大切さだ。

 大学時代はのほほんと過ごしてしまい、今日出来る事は明日に、明日出来る事はいつかやるつもりで前向きに善処するという方針で過ごしていた為、かなりの時間をある意味贅沢に使ってしまっていた。

 しかし、社会人になって就職すると今まで通りにはいかなくなった・・・とにかく平日は仕事なので自分の時間がまったく無い。家に帰ってきたらまずもって寝るだけという生活が続いている(といっても、最近は時間の配分が旨くなって来たので多少は好きな事が出来るようになったが四月は大変だった・・・)し、週末は掃除洗濯というやらなければならない仕事に振り回されあっという間に時間が過ぎていってしまっている。友達と飲んだり買い物にいったりするとすぐに終了、そして月曜になってしまう。せめて週休三日制にならないか、そうすればもっと自分の好きな事が出来るのにと某省に働き掛けたい気持ちで一杯である。

 それでも、とにかく時間を作って自分の好きな事、旅に出たり、宇どうHPの更新をしたり、DVの編集をしたり、宇どう写真集作成の協議をしたりそんな事をしたいと思っている。

 もう一つ大切だと感じた事。それは「友達」である。

 仕事で知り合った同僚とはまた違う今までの学生生活全てで知り合った友達である。今まで2つの道県に住んで今は東京に住んでいるが、幸運な事に東京にそれまでに知り合った両方の友達が住んでいる。今の所毎週、少なくとも2週に一回はその中の友達の誰かしらと飲んでいるがくだらない話で盛り上がれるのはやはり友達である。

 恐らく仕事をしていけばまた新たな同僚以上の友達が出来る事になると思うが今までの友達、もちろん宇どうの部員も含めて仲良くいつまでもやっていけたらなと思う。

 東京での生活、それはかつてないものすごいスピードで毎日毎日が過ぎている。ほんとに多忙であるが今までに築いてきた素晴らしいものをいつまでも大切にしつつ、向上心を持って新しい事にもチャレンジしていきたい。


103.「徒然なるままに」副部長(03.6.1)

 社会人になり、1ヶ月半が過ぎた。学生時代とは一味違うメリハリのある日々に戸惑いつつも充実した日々を過ごしている。 

 社会人デビューと共にホテルマンデビューも果たした。とはいってもまだ見習いの身であるため、お客様との応対よりも裏方の作業をしている。裏方の作業とは客室清掃や草むしり、食器洗いなどである。裏方の仕事は単純なようでいてなかなか奥が深い。質の追求と時間の短縮は常に相反し、どのあたりでバランスを取るのかこれを見極めるには更なる訓練と試行錯誤がかかせない。

 「安い・早い・美味い」という某牛丼屋のキャッチコピーがいかに仕事の本質をついているかを思い知らされる。

 この前初めてお給料がでた。衝動的にMDウォークマンを買った。今まで車ではカセットかラジオしか聞けなかったのが、MDが聞けるようになり運転の楽しさがまた広がった。

 今後の課題は最近CDをレンタルしにいっておらず、学生時代に作ったMDしかないため新しい音楽はラジオで聞いている現状を打破し、新しいMDを作ることだ。

 最近休みの日があっという間に過ぎてしまう。月9日のお休みを頂いているのだが、どうも上手く利用できていない。原因は寝すぎである。

「明日は休みだ。遅くまで寝れる」

と思い、10時11時まで寝てみるがそれでも全然一向に疲れが取れない上に、寝たりないと感じてしまう。やりたいことはいっぱいあるのであまり意味のない遅起きをしてもどうもつまらない。ということで、5月に入り、休みの日でも6時30分には起きるようになった。

 私の休みは平日にあることが多く、我が家の平日は朝6時30分が朝食になる。寝起きにご飯と納豆、味噌汁をかき込みさっさと家を出てしまうことにした。

 ここで美術館や図書館に行くならばなかなかの文化人、花を愛でたりお寺を巡るならば風流を心得た人、趣味に生きるならば真に休日を楽しめる人なのだが、私は家のお使いと古本を売りに行く、本屋で立ち読みとどうも生産的ではない。

 このような休日を過ごして思った。今年の夏までには楽しい楽しい東京ディズニーシー訪問をしたいなあ。 


102.「SARSについて」部長(03.4.30)

 本当は今回、大学院入学式について書こうと思ったが、それよりも重大な事件が発生したので、入学式に関してはホームページの掲示板をご覧頂きたい。

 さて、「SARS(重症急性呼吸器症候群)」が香港を中心に猛威を振るっている。マンション1棟の全住民を隔離しただとか、マスク製造メーカーの株が上がっただとか、成田空港で花粉症用のマスクが品薄状態だとか、毎日のようにニュースになっている。SARS感染者は、中国、香港、台湾、シンガポール、カナダ、ヴェトナムが多いとされている。

 私は在ジャカルタ日本国総領事館のメーリングサービスを受けている。それによれば現在、インドネシアでの感染事例は報告されてないという(感染の疑いは1件ある)。しかし幸い、私の周辺では感染したという知人はおらず、ほっと胸をなでおろしていた。

「よし、今夏のインドネシア旅行は可能だろう」

 こう思っていた。せいぜい関係したところと言えば、私のバイト先であるファミレス「G」の、春キャンペーンプレゼントでシンガポール旅行があって、当選者はシンガポール旅行か国内旅行を選べるよう変更されたことくらいだ。

 しかし、である。4月13日、バイト先で緊急本部通達が発行された。それによれば、「中国、香港、台湾、シンガポール、カナダ、ヴェトナムの6カ国への渡航を禁止。正社員のみならず、準社員(注;アルバイト)、および双方の同居家族も含む」とされていた。

 正確に言えば「6つの国と地域」である、などと至極当然な批判はさておき、驚いた。

 上記の「6つの国と地域」に渡航する予定は当分無かったものの、万一、渡航禁止先でインドネシアが追加されたらどうしようか、と。なぜなら、私の大学院修士論文における研究テーマが、インドネシアだからである。

 フィールドワーク調査に行くこともできず、今夏の旅行も取りやめになってしまう。

 一応、

「やむを得ず渡航した者は、調査書に記入」

とあったので、逃げ道はできたが、まさかバイト先から渡航禁止が出されたら、私はどうすべきだろうか。
 悩みに悩み抜いて即断即決した結果、

「万一にもインドネシア渡航禁止となった場合は、辞表を叩きつける」

という結論に達した。

 男は常に、懐に辞表を忍ばせておくのが、私の美学である。万一にも上記のような通達がなされた場合、ビシッと叩きつける覚悟はできている。

 そうはならないよう、切に祈るばかりである・・・。


101.「宇大どうでしょうOB・OG会結成に添えてと部員スローガン」部長(03.3.26)

 みなさんこんにちは。「宇大どうでしょうOB・OG会」でございます。あの「宇どう」が早くも再結成!決して宇どう解散が茶番だったなどと言わないように。一応、副部長や部長代理、私は宇大を卒業し、支部長も大学を卒業したのですから。それに、現に支部長は早くも入社式を終え、一社会人として社会復帰に向け更生中とのこと。

 しかしながら、よおっく見ると「OB・OG会」。「OB会」なら理解できましょうが、なぜゆえ「OB・OG会」なのか?それは「カントリーサインの旅」の車内でのことでした。宇どう解散後に発足する新組織の名称問題について口角泡を飛ばしながら議論していました。私が冗談半分に

「OB・OG会なんでどうだろうね」

と発言しました。すると、当然のごとく部長代理と支部長から

「なんで『OG』が入るんだ!」

と批判の声が上がりました。しかしそこに1人、「OG」の意味を分からない男がいました。副部長です

「OGってどういう意味?」

結局、私と部長代理、支部長はOB扱い、副部長はOG扱いということに多数決の原理に則り決しました。ですから皆さん、副部長には「OG」の本当の意味を教えないよう、御願い奉り申し上げます。

 さて、本会は宇どう同様、メルマガを発行していきます。ただし、私以外は全員社会人で、とくにメルマガ編集長の部長代理は公僕となるので、今までのように週刊では発行が厳しい情勢です。ですので、申し訳ありませんが月刊に変更させていただきます。名称は多少変更しますが、読者の皆様には一切の手続きは必要ございません。いままで同様、継続してお読みくださいますよう、お願いします。

 今後は、半年に1度は4人で集まって、大学時代同様、バカっ話で盛り上がれたらなと思います。これからも「宇どうOB・OG会」をよろしくお願いします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「多様性の中の統一」部長

 インドネシアの国是。インドネシア語では「Bhinneka Tunggal Ika」と書く。部員4人それぞれがそれぞれの道を進んでいくが、そうした多様性の中にも「宇どう」としての統一性を失わずに人生を歩んでいこうというスローガン。4人それぞれの居住地はバラバラになるが、そうした距離を感じないほどホットラインを確立していこうと思う。

「努力は喜び。弱い自分に打ち克つ!」副部長

 新宇大どうでしょう発足にあたり、恐縮ながらメッセージを添えたいと思います。
まずは、祝!「新宇どう」発足!「宇どう」の流れが卒業後も続けていくことが出来るのはうれしい限りです。今後、何年も何十年も「宇どう」であり続けられる機会を得られたことはありがたくあり、同時に身の引き締まる思いであります。

 社会人となって、更に「宇どう魂」を大切にし磨き上げていきたい、そのような思いで「新宇どう」を始めたいと思います。

 「新宇大どうでしょう」に栄光あれ!

「一期一会を大切に。」 代理

 新生「宇大どうでしょう」発足にあたって、これからも宜しくお願いします。

「前と何が変わったのか??」「変わってねえじゃないか!!」

と思われる方もいますが、まさしくその通り何も変わっていません。ただ宇大どうでしょう部員それぞれが卒業という一区切りを迎えて仕切り直しの意味で解散、そして発足という経緯を踏みました。HPの更新は今まで通りとは行きませんが、部員が集まればその都度更新していきたいと思っていますし、掲示板もこれまで通り運営していくつもりです。宇どう通信メールマガジンも週刊とまでは行きませんが定期的に発行し続け部員の現況を伝えていけたらなと思っています。

 そしてこれから新たな旅立ちを迎える新生「宇大どうでしょう」。一期一会を大切に、これから出会う全ての人との出会いを大切にしていきたいなと思っています。これからも宜しくお願いします。

「原点に立ち返り、最高のプレーをお見せ致します。」 支部長

 「宇どう」ファンの皆様、平素より「宇どう」に対して暖かいご声援ご理解を頂き、厚く御礼申し上げます。先日「宇どう」が無事解散致しました。そしてすかさず、新生「宇どう」の誕生です。後援者の皆様におきましては「まだくだらねぇことやんのか。はやくやめちまえ。」な〜んて声があるのかもしれません。しかしあくまでも宇どうのテーマは“自己満足”です。だから、我々が「やりたい!」と言ったことはやりたいんです!!ですが、もちろん後援者の方々の力なしでは何もできませんし、どんな方にもご迷惑はお掛けてはいけません。今後は部員の殆どが就職するために活動時間が大きく制限されることと思われます。ですが、宇どうの発展に準ずる心意気は継続すべく精進してまいります。今後も「Show the Spirit!」を胸にV2を誓って、ファンのみなさまに、よりスリリング、そして強い巨人を、スタンドでもテレビでもたっぷりお楽しみ頂きたいと思います!


 

【運営会社「パラダイムシフト」サービス】

無料ホームページ   携帯ホームページ   無料ホームページ作成   レンタルサーバー   ブログ   ホテル   アンドロイド   旅行 口コミ   旅行情報   国際電話   ホテル比較